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第85話『髪と脚が絡まった朝』

 風呂場での出来事の後。


 アンジェたちは何日もかけて情報を共有し合った。

 過去も現在も友人関係も、思いつく限り語り合い、そして認め合った。

 お互いに肌を晒し合い、心地よい感覚に身を委ねながらの会話は、何故かすんなりと心に溶け込んでいった。


 客観的に見ると爛れた生活ではあるが、それも構うまい。今後の人生のためには必要なひと時だ。命絶えるその時まで、共に過ごすと決めたのだから。


「……んん」


 アンジェが目を覚ますと、ビビアンとニコルの顔が目に映る。まだ眠っているようだ。


 ビビアンの年相応に見える温和な寝顔も、もはや見慣れてしまった。すやすやと聞こえてくる寝息が実に愛くるしい。


「ビビアン……。よかった。今日も生きてる」


 ニコルは相変わらず涎を垂らしながら寝ている。無防備な一面を曝け出せる相手が増えたことに、恋人のアンジェは多大な喜びと、僅かな寂しさを覚える。


「ニコルも相変わらずだ。ナターリアは……そっか。病室か」


 寝ぼけ眼を擦りながら、アンジェは徐々に脳の機能を取り戻していく。


 怪我人であるナターリアを放置したまま何日も屋敷を空けるはずがなく、ピクト家の移動が済んだ後、使用人や研究者たちはすぐに戻ってきた。


 その後、この屋敷を正式に譲渡するための手続きや話し合いの日程が組まれ……今日、ついにピクト家との面会が行われることになっている。


「(屋敷の名目上の所有者は……ビビアンということになるらしい。意外だ)」


 どうやら前線から逃げる意味合いは勿論、ビビアンに貴族としての箔をつけるためでもあるようだ。


 いつまでもピクト家の住処を間借りしている立場では、英雄として持ち上げるにも限界があるということだろう。かといって、戦場に出る立場のビビアンを後方の屋敷に送るわけにはいかない。


「(このビビアンが、それほどの大物になっちゃうとはねえ……)」


 アンジェは屋敷の主人である少女の長い髪を撫でながら、壁に伸びている枝に声をかける。


「おはよう、ドリーちゃん。今、通話できる?」

「おはよう、アンジェちゃん。ドリーはだいじょうぶだよ」


 エイドリアンはいつのまにか屋敷を完全に掌握し、己の支配下にしている。本人は相変わらず地下に篭りきりだ。


 一見サターンの街での生活と変わらないように思えるが、近年のピクト領は何故か魔物との融和を目指している。そのうち大手を振って外に出られる日が来るに違いない。出られないことに苦痛を感じながらの引きこもりと、出られる希望を待つための待機は違う。


「(情勢が整ったら、おでかけも検討してみよう)」


 アンジェは裸の2人を毛布で隠しながら、窓の外を見る。


 ここはニーナの自室近くに用意された娯楽部屋だ。各人それぞれに割り当てられた自室とは異なり、広々とした空間が確保されている。当然最上階であり、眺めもいい。


「今日は晴れてるね」


 アンジェは街を一望できる素晴らしい立地に感謝しながら、エイドリアンと会話を続ける。


「うん。きょうもおせんたくがはかどるね!」


 使用人に任せておけばよいものを、最近のエイドリアンはすっかり気合いを入れてお世話に回っている。

 洗濯、掃除、警備。宿で行っていた業務をそのまま屋敷に適用しているのだ。


 それが理由で、どうやら屋敷内で一定の立場を獲得しつつあるようだが……それはそれとして、子供を顎で使っているようで気が引ける。


「(エイドリアンが将来どうなるかは、オレにはわからない。使用人になるかもしれないし、貴族になるかもしれない。慎重に見守ろう)」


 アンジェは窓への背伸びをやめて、エイドリアンが持ってきた服に着替える。

 体の汚れを軽く拭いて、可愛らしい服で全身を包んでいく。

 あっというまに、貴族と見紛うほど清楚で可憐な、麗しい美少女の完成だ。


 アンジェは鏡の前でくるくると踊りながら、上機嫌に鼻歌を歌う。


「ふふん。オレ、今日も可愛いな」

「アンジェちゃんって、おけしょうがすきなの?」


 エイドリアンが純朴な声で尋ねてくるので、アンジェは少し考えてみる。

 容姿に自信はあるが、着飾ることに興味があるかというと、すぐには肯定できない。今まで考えたことがなかったからだ。


「もっと可愛くなれるなら嬉しいけど……情熱を持てるほどじゃないかな。嗜みって感じ」

「そっかー」


 エイドリアンはある程度好奇心を満たしたためか、それ以外の質問はしないようだ。


 彼女にはまだ化粧は早いだろう。世間に出る前には教えた方が良いのだが……ナターリアもニコルも、できる割にはやりたがらないので、アンジェかビビアンが教師になるしかないだろう。


 アンジェはエイドリアンのことを考えつつ、寝床で丸まっている2人を起こすことにする。


「おーい。ニコル、ビビアン。朝だよー」

「むにゃ……アンジェ」


 ビビアンがまず目覚める。普段の彼女は極めて規則正しい生活を送っているのだが、一度乱れるとずるずると狂いを引きずってしまうようだ。


 昨晩までダラダラとした生活を続けていたためか、ビビアンはすぐには起きられず、寝ぼけたままニコルの胸を鷲掴みにしている。


「んみぃ……これは……ああ、なんだニコルか……」

「今日はピクト家に挨拶する日だよ」

「……みぃっ!? そうじゃん!」


 ビビアンは毛布を吹き飛ばしながら飛び起きて、あたふたと服を探し始める。


「えぇと、ここは憩いの場で、昨晩は……何処に着替えを置いたっけ?」

「置いてないよ」

「そうだった。じゃあ使用人を呼んで部屋まで取りに行かせ……」

「ここ、立ち入り禁止にしたけど」

「そうだった。じゃあぼくが直接……」

「ビビアンちゃん。はい、これ」


 エイドリアンが彼女の部屋から服を持ってきて、ビビアンの前に置く。アンジェのものに似た、仕立ての良い服だ。やや男物に寄った意匠だが、よく似合っている。


 ビビアンはさっと両手で体を隠しつつ、赤い顔を床に向ける。


「あ、ありがと……」

「今更何を恥ずかしがっているのやら」


 エイドリアンは全てを見ている。我々の痴態など、もはや見飽きているに違いない。……教育に悪いとは思うが、後の祭りだ。


 とはいえ、エイドリアンは意外にも賢い。そして、アンジェより年上だ。一般常識と、建前で武装する術を身につけさせれば、それで十分世渡りできるようになるだろう。


 アンジェは最後に残ったニコルの耳元で、目覚めの挨拶を行う。


「ニーコールー!」

「ぐう」


 まだ眠りの中にいるようだ。

 ニコルはだらしない。そして、アンジェより起きるのが遅い。いつものことだ。


 アンジェはニコルの頬を人差し指で突き、ぐりぐりと円を描く。


「ニコル。起きないと置いてくよ」

「アンジェ……行っちゃダメ!」


 ニコルはアンジェの腕を掴み、寝床に引き摺り込んで抱き締める。

 痛い。腕の力が強すぎる。首の骨が折れそうだ。息ができない。


 アンジェはニコルの体を手のひらで叩き、限界を訴える。


「いちゃい」

「あ、ごめん。変な夢、見ちゃって」

「けほっ。……大丈夫。怖かったよね?」


 ニコルはアンジェを体から離し、怪我がないことを確認してから、今度は優しく抱き締める。

 ……意地でも抱きしめたがるあたりが、ニコルらしい。


「おはよう、アンジェ。今日も早起きだね」

「ニコルが遅いだけだよ」


 ニコルは我々の中で最も寝坊助だ。遅く寝て遅く起きる。不健康極まりない。


 アンジェが口を尖らせると、ニコルは何を勘違いしたのか、そこに口づけをして微笑む。


「ふふっ。お待たせしてごめんね」

「……別に、これが欲しかったわけじゃないよ」


 アンジェは目を背けて照れ隠しをしつつ、服を着て颯爽と現れたビビアンに声をかける。


「あ、ビビアン。良い衣装だね」

「そうでしょぉ? ほら、アンジェと似たものを選んだんだ」

「いいなあ。私の体型じゃ似合わないだろうな……」


 ビビアンはスラっとした脚が目立つ服を着こなし、優雅な立ち姿で朝日を受けている。


 カッコいい。素直にそう思える。アンジェが男のままだったら、あんな服が似合う少年になっていたかもしれない。

 そう思うと、何やらビビアンが自分自身のように見えてくる。


「(魔力を同調し合ってるし、魔物の感性だと本当に自分自身なのかもしれない)」


 魔力を分け与えて増える魔物の生態。それに基づけば、アンジェとビビアンは親子……あるいは分身体のようなものだ。

 とはいえ、人間の中で生きる我々に、その価値観は適用されない。ビビアンを含めて、みんな仲間だ。


 ニコルは自分の服をエイドリアンに要求するため、枝に話しかける。


「貴族向けの服、仕入れたんだっけ。私に似合うの、あるかな?」

「ニコルさん、おむねがおおきいから……あんまりえらべないね」


 エイドリアンは下の階にあるアンジェの部屋で、ニコル用に用意された服を探りながらぼやいている。


 ニコルの胸が収まる服はそうそうない。今こそ悪魔になって成長が止まっているから良いものの、人間のまま膨らみ続けていたとしたら、胸囲がアンジェの身長を追い越していただろう。恐ろしい。


「えっと、ビビアンちゃんが研究室から貰ってきた服以外には、どんなのがあるの?」

「かんたんにきれるのは、これ」


 エイドリアンは薄い布切れをニコルに手渡す。誰が作ったものなのか、肌が透けて見えるほど薄く、そよ風で飛ばされてしまいそうだ。


 こんなものを着ていては、娼婦と間違われかねないではないか。いや、娼婦でもこれほど露骨な衣装は着るまい。夜ならともかく、ピクト家に行くには不適切だ。却下。


 ビビアンはしかめ面をしつつ、エイドリアンの枝をくいくいと指先で弄ぶ。


「ぼくが選ぶ。全部持ってきて」


 アンジェが要請すると、エイドリアンは大量の枝を動かして、部屋の四方八方から服を届けてくる。


 ニコルの服は数えるほどしかない。旅していた時のものと、ビビアンが経営している組織から適当にかき集めてきたもの。

 大きさも素材もまちまちで、ニコルがお洒落な性格だったら数日と耐えられなかったかもしれない。2人でも全ての組み合わせを検討できてしまうだろう。


 ビビアンは貴族の社交においてあり得ない衣装を、容赦なく弾いていく。


「これは旅していた頃のやつか。ボロボロすぎる。これは胸が収まらない。丸見えじゃん」

「私はえっちでもいいよ。アンジェが喜ぶなら」

「嫌です……。外に出る時は普通でいて」

「ふふっ。冗談だよ」


 そうして除外していくと、なんと上半身が収まる服が一切無いという事実に行き着いてしまう。


 まさか胸を放り出したまま貴族の前に顔を出すわけにはいくまい。ビビアンとアンジェは揃って唸る。


「んみぃ……こうなる前に作っておくべきだった」

「ニコルは意外と無頓着なんだよ」

「いっそのこと、旅姿で行く?」

「いやあ……ナターリアとの旅路が過酷だったのか、ズタズタで……」


 ひとまず、他の手段を考えるしかあるまい。ニコル本人も交えて、3人は対策を講じる。


 まずは、ニコルの発言だ。


「私はよく、服を組み合わせて着ることがあるの。ほら、既製品だと胸で押し上げられて丈が足りなくなるから、その分を他の服で隠して……」

「なるほど」


 ニコルは着慣れた何着かを組み合わせて、実践してみる。

 (ぼたん)で止める服は、胸より下を。上からかぶる服は、胸より上を。2つをなるべく違和感なく繋ぎ合わせ、自然に仕上げる。


「どう?」

「……まあ、それなりにはなったね」


 普段通りの服装だが、ビビアンは不満そうだ。

 アンジェにも理由はわかる。今のままでは貴族らしくないのだ。


「繋いだ服はどれも一般庶民が着るような安物だし、見てくれが良くない。もっと格のある服を身に纏っておかないと……」

「でも、そんなの持ってないよ」

「仕方ない。なんか癪だけど、ニーナに借りよう」


 ビビアンはエイドリアンに頼んで、ニーナの部屋に枝を伸ばしてもらう。

 離れた部屋の相手と会話ができるのだ。まったくもって便利な魔法である。


 ビビアンが枝に向けて用事を伝えると、ニーナの大きな声がこちらまで響いてくる。


「我の纏う威圧は! どれもこれもが大嵐かつ繊細なものばかりである!」

「うるさい。そんなに声張らなくても聞こえてるよ」

「……故に、最も臭いものでさえ、下々の民では見上げるように崇める遷都とならん」


 こっそりとビビアンが言うには、最も価値が低い服でもかなり派手な高級品になってしまうため、目立つことになるそうだ。


 ……まあ、今のニコルは物語の英雄だ。多少目立つくらいでちょうどいいだろう。ピクト家に顔を覚えてもらった方が都合がいいかもしれない。


 そう考えつつ、アンジェはニコルの様子を見る。


「私が、お貴族さまと同じ服を?」


 白い肌から血の気がひいている。どうやら辺境伯と服を共有するのは好まないようだ。

 単純な好みの問題なのか、それとも衣服に付随する権威が問題なのか。


 ニコルが嫌なら仕方ないが、それでもアンジェとしては勿体ないと感じてしまう。ニコルなら、派手な服でも着こなせるはずなのだ。


「大丈夫だよ、ニコル。とりあえず着てみよう」

「……そうだね」


 エイドリアンは既に服の選定を終え、次々に運び込んでいるところだ。

 ニーナの服は布地が多いからか、どれもこれも嵩張っており、一気に部屋が狭くなってしまう。


「(布の洪水だ……)」


 貴族の文化に詳しいビビアンが、ニコルに合いそうな服を見繕う。


「ニーナは赤を好む。同じ色合いは避けた方がいいから、薄い青……いや、もっと控えめに……」


 服の山を半分も掘らず、ビビアンはニコルの着せ替えを終える。残りはニーナの高身長にしか合わないらしい。

 身長差がかなりあるというのに、胸囲はニコルの方が遥かに上回るのだから、罪な体型である。


 それにしても、一部をぱっと見ただけで詳細がわかるほど、ニーナの服を見慣れているというのか。


「ぼくは魔道具技師だからねぇ。ニーナの服に合う体を作るのが役目だから、服の管理もぼくがしてるんだよ」

「……なんというか、お互いを許し合ってるね」

「アンジェの方が上だ」


 ビビアンはニーナの蛮行を思い出したのか、口を尖らせている。

 言葉選びを間違えただろうか。やはり会話とは難しいものだ。

 ……それでも、もう喧嘩はしない。あの時、全てを交換し合い、受け入れたから。


 アンジェはそっとビビアンから目を逸らし、着替え終わったニコルの方をじっくりと眺める。


 胸が強調されすぎないように、膨らんだ布で肩や腕を大きく見せる。それでいて腰はそれなりに絞り、太っていないことを主張。色合いは清潔で澄んだ水色を基調に、白とほんの僅かな黄色で爽やかに。まだ暑い時期なので、布は薄めで軽い仕上がり。


 エイドリアンがきょとんとした声で呟く。


「きれい」

「本当はもう少し蠱惑的にしたかったところだけど、仕方ない。我慢してくれ」


 ビビアンは魔道具を作る工場も所有しているため、金と権利を管理するだけではなく、しっかりと製品についての知識も仕入れているようだ。素晴らしい経営者だと言わざるを得ない。


 ところが、ニコルは鏡の前で服をめくり、ため息をつく。


「汚しちゃったらどうしよう」


 どう見ても高価で手間のかかった衣服だ。洗うのも簡単ではあるまい。下着でさえも、村娘の普段着をどれだけ買えるかわからない値段だろう。


 だが、エイドリアンの口を模した枝から、予想外の言葉が飛び出す。


「ニーナさん、それあげるって。タダだよ、タダ」

「ひっ!?」


 辺境伯ニーナは、我々の想像より遥かに気前がいい人物のようだ。風呂場でも友好を深めたいような素振りを見せていたので、彼女なりに距離を縮めようとしているのだろう。健気である。


 だがニコルには逆効果だったようで、白い手で服の裾を捲り上げたまま震えている。


「怖い怖い。後が怖い。私、何されちゃうんだろう」


 ニコルの貴族恐怖症が克服されるのは、一体いつになるのだろうか。先はまだまだ長そうだ。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 あたいがみんなと合流した時、待ち合わせ場所では美少女たちが群れで談笑していました。


 青い少女は、長く女の子らしい髪を腰まで伸ばしながらも、どことなく男の子っぽいきっちりとした服を着こなしている。男性的かつ女性的。ああ、なんてカッコいいんだろう。抱いて。


 黒い少女は、地味だけど清潔で上品な服を身に纏って、ニコニコと微笑んでいる。整った容姿がよく目立つ。可愛い。なでなでしたい。


 白い少女は、巨大な胸を覆い隠すほどふんわりとした服に身を包んでいる。あんまり似合ってないけど、普段は見られない方向性の魅力だと思えば悪くない。


「可愛い……美しい……カッコいい……!」


 あたいが裏返った声でそう叫ぶと、3人は揃って顔を赤らめる。


「えへへ……照れる」

「ありがとう、ナターリア」

「反応がきもい」


 ビビアンちゃんだけ冷たいですね。そういうところも好きですよ。


 それに引き換え、あたいは庶民。何処からどうみても安い服。履き古して色褪せた靴。おまけにすっぴんで髪もボサボサ。ああ、隣に並びたくないっすねえ。


 あたいが自分の服を摘んで俯いていると、ドリーちゃんがそっと何かを差し出す。


「おねえちゃん。これ、きてみて」


 ドリーちゃんが持っているものは……服です。

 あたいが今着ているものよりは、多少高価な……でもお貴族さまには及ばないくらいの、地味な服。


 これならあたいでも着れそうですけど……どうしてドリーちゃんが、こんなの……。


「ニーナさんが、くれた。ともだちだからって」

「まさか、あたいに?」


 ニーナさま……。ああニーナさま。あの人には本当に助けられてばかりっすね。

 こんなあたいが友達だなんて、恐れ多いのに……。でも、それだけ今回の催しに来てほしいということでもあるんでしょう。


 期待に応えるしかありませんよね。


「よし。あたいもいっちょ、綺麗になりますか!」


 あたいはドリーちゃんに枝で隠してもらって、その場で服を着替えることにします。


 上下一式に、新しい下着もある。サターンの街から履き続けてきたボロ布とは、もうおさらばっすね。というか、よくよく考えたらみんなの服もニーナさんの贈り物だったりするんすかね?


「よいしょ」


 ……ぱっと見では、おかしなところはない。この街には複雑な構造をしている服が多いけど、これはあたい一人でも大丈夫そう。


 そういえば、病室に入ったばかりの頃、靴の履き方がわからなくて困ったことがあったなあ。枝で体を動かしている時に折れた足を傷めないよう、中に柔らかい詰め物があって、履く時と脱ぐ時はそれを……ま、面倒だからいつものボロを履いちゃうんすけどね。


 あたいが感慨を胸に抱きながら服を眺めていると、枝を強引にかき分けて、ニコルさんが首を突っ込んできます。


「怪我は……平気そうだね」

「うわーっ! 覗きだーっ!?」


 あたいはひっくり返りながら叫びます。


「びっくりさせないでくださいよ、もう!」

「ごめん。物音がしないし、何かあったのかと……」


 そういえば、あたい怪我人だった。


 あたいはニコルさんの声に意識を乱されながら、後ろを向いて股間や胸を隠し、さっと着替える。

 肌触りの良い卸したての下着だ。蒸れないし、ちくちくすることもない。上着も素晴らしい。最高の素材を贅沢に使い、一流の職人が縫製したんでしょう。

 だけど外見は派手じゃない。お貴族さまが着る華美な服とは大違いです。あたいが着ても、悪くない仕上がりに見えます。


 この場にはいないニーナさまに、あたいは多大なる敬意と感謝を込めて手を合わせます。次に会った時、これの倍の感謝を伝えようと決意して。


 ……そういえば。


「あのー、お礼を伝えたいんすけど、ニーナさまはどこにいらっしゃるので?」


 全員集合するはずだったのに、あの人だけ何処に行ったんでしょう。あの人の性格上、先頭を行くと思ってたのに。


 あたいがそんな疑問を提示すると、ニコルさんは優しい声で答えてくれる。


「ピクト家との面談だから、向こうの様子を見てきてくれるんだって」

「使用人の方々で十分なのでは……?」

「直接話したいことがあるんじゃないかな。良くも悪くも、私たちの関係って……人に言いにくいし」


 まあ、それもそうですね。色々な意味で、人には言えません。


「……えっと、それじゃあ、準備できたら来てね」


 ニコルさんは頬にほんのりと紅をさして、枝を元に戻して消えていきます。控えめな仕草で手を振りながら。


 ……そうだ。あたいはあんな素敵な人と、深く深く愛し合ったんだ。

 いや、過去の話ではない。たぶんこれからも、飽きるほど体を重ね合うに違いない。

 あの優美な衣装を一枚一枚剥ぎ取って、全てを許してくれそうなほど温かい肌に触れて、相手を気遣い、自分を労り。


 ……それを、あの夢のような美少女たちと。毎日のように。とっかえひっかえ。

 情けないことに、想像するだけで頬が緩んできました。


「臆してはいけません。あたいはついに日陰者を卒業できるのです。太陽のように明るい人たちに、混ざる時が来たのです!」


 あたいが一人ではしゃいでいると、今度はビビアンちゃんが水の触手で枝をこじ開けてくる。


「終わったなら早く来い」

「あ、はい」


 待たせすぎました。恥ずかしい。一応、この場では最年長なのに……。


 ビビアンちゃんはあたいの容姿をじろりと眺めて、満足そうに微笑む。


「お、ちょっとだけマシになったねぇ」


 そう言ってビビアンちゃんは、いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべながら、飛び上がってあたいの肩を叩いてくる。


「だけど、残念。その程度で喜んでちゃいけないよ。ぼくの服の半分くらいの価値しかないんだから」

「十分でしょ」

「ナターリアなら女王の衣装だって似合うはずさ」

「褒めすぎて現実味がないっすよ」


 でもたぶん、本気で言ってるんでしょうね、この子は。

 あたいが平民を抜け出す日なんて、来るはずがないんですけどねえ。


 〜〜〜〜〜


 屋敷の裏口を出て、徒歩でほんの少し。あの憩いの場を更に見下ろす位置にある、巨大な城。そこが今回の目的地だ。


「たぶん地平線の彼方からでも見えるね……」


 目指すべき城を見つめ、ニコルが半ば呆けたようにそう呟く。


 新たなるピクト家の拠点。貴族の居住地として申し分ない広さと絢爛さが備えられているが、それでいて凄まじいほどに外敵への攻撃性を有している、完全無欠の要塞。

 外壁は分厚く頑丈で、ところどころに魔道具や魔法を撃つための穴が空いている。魔物の軍勢との殴り合いを想定しているのだろう。

 その威圧感は凄まじく、この地にあるだけで前線の士気を上げることだろう。


 アンジェは登り坂をすいすいと歩きながら、そんなことを思う。


「(立派な城だ。難癖をつけるなら、坂がきついことくらいだ)」

「怪我人に歩かせる距離じゃないっすよね、これ」


 ナターリアは枝のおかげで順調に歩みつつも、どことなく不安を隠せない様子で足元を見ている。


 すると、先頭を歩いているニコルが、からかうような仕草でナターリアの方を振り向く。


「なら、私がおぶってあげようか」

「お願いします」


 ナターリアは下心丸出しの赤い顔で、ニコルの厚意に甘える。


 ずるい。そう思いつつも、アンジェはナターリアのためを思って自制する。彼女の身に何かあったら、アンジェはきっと自分を責めるだろう。


「では、遠慮なく……ふ、ふわあ。なんかすっごく、緊張します!」


 自分より小さなニコルの背中に、おっかなびっくり乗るナターリア。なかなか鬼畜な光景ではあるが、ニコルが堂々としているためか、どこか微笑ましい。


 しかし、ニコルはのほほんとした声で呟く。


「あ、そうだ。こうすればもっと楽だね」


 直後、ニコルの背中から龍の翼が生え、ナターリアの体を丁寧に包み込む。


 ……確かに、その方が安定はするだろう。翼でナターリアを支えることができるのだから。

 だが、背中にいるナターリアとしては物足りないはずだ。龍の翼は邪魔で仕方がないだろう。


「うう……これじゃない……」


 案の定、眉間と頬がしわくちゃになった顔で涙している。

 そんなナターリアの様子を見て、からかい癖が再発したのか、ビビアンが意地悪な提案をする。


「楽がしたいなら、いっそ飛んじゃえばいいんじゃないかなぁ? こんな坂、歩く方が馬鹿みたいだよ」

「それもそうだね」

「えっ」


 ビビアンの提案を間に受けて、空に浮かび上がるニコル。

 器用かつ力強い風が、2人分の体重を悠々と持ち上げてしまう。


「ふんぎゃあああ!!」


 城まで届きそうなナターリアの悲鳴が、呆気に取られる一同の頭上へと溶けていく。

 対照的に、爆笑するビビアン。


 濃い面々が集まった結果、道中だけでも遊びが尽きない。

 ……謁見前に疲労困憊しなければよいのだが。

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