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第82話『常識という名の免疫』

 混沌逆巻く病室で、見知った者たちが暗い顔をしている中。

 エイドリアンは、部屋いっぱいに枝を広げ……まるで天使のように微笑んでいる。


「みんなでなかよしになろう。だってみんな、みんなのことがだいすきだから」


 アンジェの目には、エイドリアンの悪魔の魔力がみえている。ずっとずっと、エイドリアンが人間の天敵に見えている。


 ……エイドリアンの言葉が倫理的に間違っているように聞こえるのは、それが原因だろうか。

 それとも、この惨状の始まりが彼女にあるからだろうか。


「(元はといえば、ニーナとエイドリアンの2人から始まったんだよな、この言葉のどつきあいは)」


 白い目をするアンジェの隣で、寝そべったままのナターリアが、慌てた様子で何事かを捲し立てる。


 ずっと放心していたというのに、いざとなったらすぐに知性を取り戻すほど、エイドリアンのことが大切らしい。


「ドリーちゃんにとってのなかよしって、……友達になるとか、そういう生やさしい意味じゃなかったはずっすよね?」

「おんなじだよ。ともだちだから、なかよしするの」


 エイドリアンにとって、そうした行為に手を染めるまでの壁は、とてつもなく低く薄いものらしい。

 親密になったら即、性的接触。……あの幼い純情の中に狂った価値観が収まっているとは、とても信じられない。


 あるいは……価値観というものを築く前だからこそできる発言なのか。


「待て、エイドリアン。落ち着かせてくれたのはありがたいけど、肉体的接触については、ぼくは反対だ」


 ビビアンもまた、エイドリアンを説得するために動き出す。

 彼女はずっと理性的だった。この場において、最も信頼できる人物と言ってもいい。


「(ビビアン……。オレは君のことも、少しは大切にしたい。ニコルと同じ扱いはできそうにないけど、それでも……)」


 アンジェは先程ようやく理解したビビアンの恋慕を胸に抱き、ニコルに寄り添いながら親友を見守る。


「エイドリアン。君はおかしい。普通は一人の相手を愛し抜くべきなんだ。大勢で愛し合ったりなんかしない」

「ちがうよ。だってドリー、ふつうじゃないもん。みんなだって、ふつうじゃないよ」


 普通ではないとは、人類の敵であるはずの悪魔を守っていることを指すのだろうか。それとも同性に対して恋していることを指すのだろうか。


 心当たりが多すぎるが故に、ビビアンは言葉に詰まっている。ビビアンは生まれも育ちも中身も外見も、何もかもが普通ではない。


「そ……それでもぼくたちは、普通でありたいんだ。普通に恋愛して、普通に人間の中で……。みんなも、たぶんそう……だよね?」


 ビビアンはついに混乱して、周囲に答えを求め始める。

 自分だけでは判断できない。故に、周りの意見を求めている。


 アンジェは同調されながら考える。ビビアンのために、疲れ果てた己の頭脳を振り絞って考える。


 だが考えれば考えるほど、わからなくなる。

 村や街によって常識は違っていた。極端に閉じたアース村、内輪で管理され合うマーズ村、無知で学ぼうとしないイオ村、良くも悪くも雑多なサターン。それぞれ結婚に対する向き合い方が違っていた。


「(()()()()()()()()())」


 答えを見つけられないアンジェの側で、ビビアンは狼狽えている。


「ぼくは普通でいたいけど、みんなはどう? 普通が一番だよね?」

「……うーん。やっぱり、結婚は大切な一人だけとするものかなあ」


 ニコルはアンジェを抱きながら、ビビアンの発言に賛成する。


「私みたいな重い愛が普通だとは思わないけど……みんなと結婚するのは、ちょっと……」

「けっこん? よくわかんない」


 なるほど。エイドリアンは結婚という概念をよくわかっていないのか。だからこそ、こうも周りとズレている。


 ……しかし、無知だからこその発言とはいえ、誰もが間違いだと感じるわけではない。そんな彼女を後押ししている人物が、ここにいる。


 ニーナだ。彼女は申し訳なさそうにおずおずと挙手をしている。


「一同。大切なおしゃべりがある。巣箱の囀りが受け止められないなら、我が託宣を甘受するがよい」


 いつになく言い出しにくそうな様子で、ニーナは大きな体を屈め、慎重に言葉を選ぶ。

 自信に満ち溢れた普段の姿を知っていると、滑稽にさえ思えてくるが……彼女なりの誠意を見せてくれているのだ。真剣に対応しなければ。


「高貴なる者は、多くの野鳥に囲まれている。それが世界の掟なのである」

「……うん」

「……ここにいる全て、我の子飼いに変じてほしい。そうすれば、万事安泰であろう」

「はあ!?」


 ビビアンが激怒した様子で掴みかかろうとするが、先ほど喧嘩して取り押さえられたことを踏まえて踏みとどまる。


 代わりに、その場で地団駄を踏みながら焦りを浮かべ、きょろきょろと周りを見回す。


「全員……全員……!? そんなこと、許されるわけがない!」

「損得勘定は水の内にあるだろう。収益になる。全ての渡り鳥にとって。それが理由である」

「ダメだ! 絶対にダメ!」


 ビビアンが通訳してくれないので、何を意味しているのかさっぱりだ。

 子飼いということは、どうやらニーナの庇護下に入ってほしいという意味のようだが、それではかつて守られていたビビアンが焦る理由がない。


 ナターリアはある程度ニーナの言葉を理解できるようなので、そちらに聞いてみるしかなさそうだ。


「ねえ、ナターリア」

「……い、いやー、あたいにもわかりませんね。さっぱり見当もつきませんよ。本当です」


 ナターリアはおよそ内容の察しがついていそうな顔で、気まずそうにアンジェから目を逸らす。

 余程ひどい内容なのだろう。あるいは……。


「これは推測だけど、エイドリアンの提案に乗るような事を言ったんだね。みんなで、その……らん、乱暴を、しようって」

「なんでわかるんすか!?」


 ナターリアは顔を真っ赤にして叫ぶ。喉が裂けるのではないかと心配になるほどの絶叫だ。

 ……やはりナターリアの反応はわかりやすい。


 ビビアンは観念した様子で、渋い表情で解説する。


「ニーナはみんなを側室に迎えるってさ。みんなの立場を明確にして、同じ共同体の枠組みに入れて、気兼ねなく……仲良くするために」

「側室?」


 アンジェは知識の海に潜り、その文化について学ぶことにする。

 わからない単語があったら、調べる。己の無知を知り、正す。それが自分のためであり、周囲のためでもあるのだ。


「【側室】とは【一夫多妻】のあり方である。本妻と妾を囲い……うひゃ……ニーナ様の奥さんになるってこと……?」


 ……これで十分だろう。わざわざ口に出すのが恥ずかしくなってくる。


 つまり、アンジェもニコルもビビアンもナターリアも……あるいはエイドリアンさえも、ニーナの愛人にしてしまおうということか。無茶苦茶な提案だ。


 アンジェが知識の海から浮上すると、ニーナは更に高い声で堂々を口にする。


「全員、我が腕の中。我が寵愛を満足に受けられぬ、哀れな小鳥たち。ならば嘴で慰め合うも、自然な在り方ではないだろうか」

「ニーナの妻になったのに手出しされないことを憂いて、側室同士で乳繰り合っている。表向きはそういう設定にするってさ。……アンジェとニコルが愛し合う名目ってことかな」

「だとしても、ニーナさまはそれでいいの……?」

「どうせ側室なんて建前でしかなくて、やがては本当の関係も周知されることになるだろう」


 ニコルは透き通るような瞳を見開いて、呆然と口を半開きにしている。意外なことに、あまり悪い気分ではなさそうだ。


「私も……貴族になるの?」

「ある程度の立場は得られるけど、正確には違うよ」


 貴族に詳しいビビアンが、ニコルの勘違いをすぐさま訂正する。


「この国の爵位は個人に授与されるもの。家に守られたからといって、貴族にはならない。嫡子は余程のことがなければ親と同等の爵位を付与されるから、ほぼ世襲ではあるけど……」

「お貴族さまが出入りする家に住まわせてもらって、たぶんだけど、アンジェとも自由に過ごせて……。私が、そういう立場になれるの?」


 ニコルの理想は、限りなく低い。村娘としての感性が未だに色濃く残っているため、不自由なく生き、アンジェを愛でることができれば、それで十分なのだ。


 ニコルは貴族によって心に深い傷を負わせれている立場だ。心の奥底で、自分がその相手より高い地位になる可能性を否定している。

 本当は物語の英雄になれるほど優れた人物だというのに。


「アンジェと結婚して、お貴族さまみたいな生活までできるなら……そこまで悪くはない……?」


 ニコルは迷っているようだ。


 確かに、サターンの街でアンジェが提案した時より高待遇のようではある。手続き上の結婚とは違い、どことなく物語的で特別な浪漫が漂っている。何の地位も無いエイドリアンからの提案とはわけが違う。


 ……だが、手続き上だけだとしても、結ばれるならその責任を取らなければなるまい。


「ねえ、ニコル。このままだとニーナ様の奥さんになっちゃうんだけど、それでいいの?」

「……んー……んんー」


 アンジェが問いかけると、ニコルは少しだけ悩み、最終的に苦いものを食べたかのような表情で結論を出す。


「うーん……。アンジェと一緒に偉くなれるのは魅力的だけど、ニーナさまに対して……その……妻としての責任を果たさなきゃいけないなら、お断りするしかないかな」

「何様であれ、そのような物好きは無縁であるぞ!」

「ニーナは誰も抱かないってさ」

「へえ……」


 責任など不要だということか。そううまく事が運ぶとは思えないのだが。


 しかしニコルはぱあっと笑みを広げて、アンジェの手を取り要求する。


「アンジェ! 一緒になろう! もう考えるのも面倒くさいし、なんでもいいからひとつになろう! 結婚したい! アンジェと結婚、結婚!」

「急にどうした」


 突然の発狂に、ビビアンは青白い顔を歪めている。きっとアンジェも同じ顔をしているだろう。


「ニコル。さっきから、ちょっと落ち着きがないよ。どうしちゃったの?」

「大丈夫だよ。私は大丈夫。私は大丈夫。アンジェへの愛が溢れてるもん。狂ってなんかないよ。大丈夫」


 ニコルは爛々と輝いた目つきで、アンジェと鼻先を擦り合わせる。


「(発情している……)」


 先程エイドリアンに受けた媚薬がまだ抜けていないのか。道理で妙な態度を取っているわけだ。


 ニコルは態度を取り繕うのが上手い。見知らぬ相手に対しても愛想よく振る舞い、作り笑顔を崩すことがない。アンジェが内心の変化に気付けなかったのも、無理はない。


 ……むしろ、これほどの欲望を抱えたまま、よくぞ今まで理性を保っていたものだ。


「アンジェ。私と結婚したら、おっぱい放題だよ」

「むぎゅう」


 ニコルはアンジェを抱き締め、欲望のままに首筋を舐めてから、ニーナに問いかける。


「お貴族さまからは()()()()()()にしか見えないでしょう私めに、財を割いてくださる……ということで、本当によろしいのでしょうか」

「無論である」


 ニーナは胸を張って、2人に向けて宣言する。


「我は暗黒と薄氷の恋路を踏み荒らすほどお寝坊さんではない。ここに誓おう」


 アンジェも多少は意味がわかるようになってきた。ニーナともそれなりに仲良くなれそうで、何よりだ。


 妻にはなりたくないが。


 2人が抱き合う中、ニーナは腰に手を当てたままナターリアの方を振り向く。


「メジロも巣箱も、我が腕に抱かれるがよい」

「ぴえっ!?」


 ナターリアは自分もそうなるとは思っていなかったのか、いつも通り小鳥のような鳴き声をあげる。


「あ、あたいは、ニーナさまは友人であると思っていますよ。だから、その……そういうのは違うんじゃないかと……」

「抱擁は見ず知らずの陰とするがよい。我はただ、互いを尊重し合える天秤を用意するのみである。釣り合い、引き合い、価値を示し合い、そして……外側で、好きにすればいい」


 ニーナはあくまで、皆が対等な立場であることを対外的に示すためだけに、自分の傘下に置こうとしているようだ。


 他に方法がありそうなものだが、何故側室なのだろうか。アンジェには到底理解できない。複雑に絡み合った恋愛からの、連想でしかないのだろうか。それともなんらかの深謀遠慮があって……。


「(貴族にはできない。でも並の使用人より立場を高くしたい。食客じゃ研究者に好き放題されそう……。外聞を気にしないなら、側室が一番……なのか?)」


 アンジェの考察をよそに、ナターリアは問う。


「ニーナさま。あたいたちはピクト家に何もしてあげられないと思うんですけど、恩恵だけ受けちゃっていいんですか?」

「書き物を愛する者はともかく、人間とは紙と筆で作られるものではなかろう。人の世は移ろうものと涙は語る」

「書類の上で妻になるだけだから、妻同士で好きにしろってさ。……はぁ」


 ピクト家にも手出しさせないということか。ビビアンへ懸想していることを考慮するなら、それがニーナの本心とは思えないが……。


「無茶苦茶だよ!」


 ビビアンが叫ぶ。部屋に満ちた湿った空気を切り裂くように。


「ニーナはそれでいいの!? 何人も同性の妻を持つ変態だと思われるよ!?」

「我は元より狂っている。垢まみれである。叩けば落ちるほど灰汁が出るこの身に、層がひとつ増えたところで、何の不都合があるというのか」

「でも……でも……」

「群青は、薄氷が嫌いか?」


 薄氷とは、ニコルのことか。言い得て妙だ。美しく儚い、冬の幻想。


「巣箱は? 暗黒は? ……我のことは、嫌いか?」

「嫌いじゃない。けど結婚は……」

「こうは意を持てないか? 互助会であると」


 結婚と表現するから、重く感じるだけ。社会的に有効な()()を得ると思えば、確かにある程度気は楽になるだろう。


 だが、結婚とは浪漫だ。子供の時分より長く見続ける夢だ。急に意識を切り替えろと言われて、簡単に従えるはずがない。


「流石に結婚は……。仲良くしたいとは、思ってるけど……」


 ビビアンは結婚を拒否してしまう。

 ……まあ、それが普通の感覚だろう。


 アンジェは自分と同意見の者が存在することに安堵し、自らも口を開く。


「オレも反対です。結婚はニコルとだけしたいです」

「妙案ではないかと我が頭頂部が太鼓判を押したのだが……うむう……」

「でも、方向性は悪くないと思いますよ」


 ナターリアが自信のない素振りで声を出す。


「表向きにも、結婚じゃなくて……なんというか、こう……今までにない言葉というか、役職を作って、当てはめれば良いのでは?」

「なるほど。結婚という概念も、昔の誰かが作り出したものだ。ならば、ぼくたちで新しく関係性を作ってしまえばいいってことか」

「そういうことっす!」


 本当にそれでいいのだろうか。アンジェは盛りのついた犬のように息を荒げているニコルを宥めながら、ため息をつく。


「(そういう関係を選んだら、結婚とは無縁になりそうだけど……いいのかな?)」


 結婚願望に最も過敏だろう彼女がこの有様だ。本当に困ったものだ。


 ……それにしても、なんだか話の流れがおかしな方向に向かいつつある。秘密の暴露はどうした。最初の和気藹々とした雰囲気はどこに行った。何故辺境伯と結婚などという話に……。


 だが、ここにいる全員で意思を統一できず、喧嘩別れするよりはマシだ。これでも良い方に向かっていると信じたい。


 〜〜〜〜〜


 アンジェはある程度理性がある者の一人として、進行役を買って出る。


 ニコルはまだ頭が沸騰している。空気を入れ替えるためにも、ここは負担の大きい役を引き受けるべきだろう。


「秘密の暴露は中断して、一旦、人間関係を整理しよう」


 アンジェは作り慣れた石板に複雑な恋愛模様を図解する。


 アンジェはニコルが好き。

 ニコルはアンジェが好き。

 これを相思相愛組とする。


 ビビアンはアンジェが好き。

 ナターリアはニコルが好き。

 これは横恋慕組。比翼の2人を奪わんとしている。


 ニーナとエイドリアンは乱痴気組。どちらかというと個人ではなく、集団を愛するきらいがある。……すなわち、全員の絆を繋ぐことが最大の目的だ。

 エイドリアンは乱交、ニーナは重婚という形でそれを叶えようとしている。


 これが、この会議で整理された恋愛模様だ。


 現在は全員の意見を擦り合わせて、どうにかちょうどいい着地点を探っている。

 第一候補は、新しい互助会を結成すること。


「(全員で生きていく。その方針は嫌いじゃない。でも結婚と同等に置くのは、ちょっとなあ)」


 アンジェは限界を超えつつある頭を酷使して、事態の解決策を練る。


 横恋慕組と乱痴気組を説き伏せることができれば丸く収まりそうだが、今後彼女たちとの関係が悪化することは避けられない。

 元の友達にさえ戻れないだろう。恋敵なのだから。


 有効な手が思いつかない。どう頑張っても、みんなが楽しく暮らせる未来は見えてこない。

 恩人のビビアンとも、戦友のナターリアとも、不器用な優しさを持つニーナとも、幼いながらも皆を思いやるエイドリアンとも、末永く付き合っていきたいのだが……。


 そんな未来を望むにしては、関係性がややこしすぎる。


「(時間は経ってないのに、すっごく頭が重い)」


 アンジェは疲れ果てた頭を休め、とりあえず多数決をとることにする。


「みんなで愛し合う互助会を結成する、という意見について……賛成する人は挙手を」


 ニコル、ナターリア、ニーナ、エイドリアンが手を挙げる。

 反対派はアンジェとビビアンだけか。


「みんなと一緒がいい。喧嘩なんかしたくない。それが一番だ。……でも、結婚はニコルとだけしたい」


 アンジェが内心を吐露すると、ナターリアもため息混じりに呟く。


「あたいは……友達ができたのはいつ以来かもわからないってのに、まとめて全部失うなんて、耐えられません。だからかもしれませんけど、みんなでどこまでも深い仲になりたいです。ここにいるみんなとなら、出来ます」

「ぼくは……」


 ビビアンはバツが悪そうに立ったまま揺れている。


「ぼくは大勢で爛れた関係になることを許せそうにない。ぼくにとっての恋は、もっと尊いものだ」

「でも、それじゃアンジェちゃんとは絶対結ばれませんよ?」

「ぐ、ぐぐぐぐぐ……」


 ビビアンは揺れている。きっと、心の中も。


 アンジェもまた、揺れ始めている。

 とても嬉しいのだ。愛のために死ぬほどこだわりが深い彼女から、懸想してもらえることが。


 ニーナが思案しながら、己の考えを口にする。


「群青が我を巻けぬことは、ひび割れるほど痛み入るが、それでも……群青からは、多くを貰った」

「ぼくにとっては、奪われただけだけどねぇ」

「……恥じるばかり。閉塞、我はこれでいい。罪を撫で回させてほしい」


 ニーナはビビアンが製造した魔道具の体を抱擁し、悔しそうに涙を堪える。


 そうか。側室になれと言い出したのも、ニーナなりの気遣いだったのか。

 方向性がおかしいが、もしかすると仕方がない事情があったのかもしれない。

 例えば、彼女も結婚を実家からせがまれていて、それへの対処を兼ねていた……という可能性もある。


 貴族の事情は、アンジェにはわからない。考えなしにあんな提案をする人物ではないという確信だけが、今のアンジェにはある。


「ニーナ様。お心遣い、感謝いたします」


 アンジェは軽く頭を下げる。


 ……そうだ。結局のところ、この場にいる人たちは仲が良いのだ。行き過ぎて片想いにまで発展している者もいるが、そうでなくとも友人なのだ。ここにいる誰もが、みんなで幸せになりたいと願っている。


「ここに来てたった数日だけど、私、みんなと仲良しになったんだよね……」


 ニコルが感慨深そうに呟く。

 ナターリアとビビアンも、揃って頷く。


 すると、エイドリアンが何事もなかったかのような顔で服を脱ぎ始める。


「おい待て」

「ちょっと」


 ビビアンとアンジェは、まったく同時に彼女を咎める。


 この空気の中で何をしている。せっかくしんみりとしたいい雰囲気になってきたというのに、台無しじゃないか。


「ちょ、ちょっとドリーちゃん!? ここはお風呂じゃないっすよ!?」

「でも、みんなとなかよしって……」

「そういう意味じゃないっすよ!?」


 ナターリアが大慌てで叱りつけると、エイドリアンは澄んだ瞳で見回して、またしても突拍子もない提案を叩きつける。


「なかよし、してみようよ」

「そんな軽い勢いで……」

「ドリー、けっこんはよくわかんないけど、なかよしになるのは、たぶんだいじょうぶ。だから……やってみようよ」


 話をややこしくしているのは、主にこのエイドリアンだ。


 彼女の内心は、アンジェでも推測できない。

 混沌としているようにも、あるいは欲望に忠実な単細胞のようにも思える。彼女の辿々しさも相まって、一体何を考えているのか、未だに見えてこない。


 結婚は社会的な立場が関わるため、簡単に決めていいことではないが……裸の付き合いをするだけなら、一夜の関係で終わっても構わない。そう言いたいのかもしれない。


「(いやいや、貞操観念はどこに行った。オレは既に純潔じゃない。でも易々と受け入れるわけにはいかない。ニコルの意見も聞かないと)」


 アンジェはそばにいるニコルに、意見を伺う。まだ頭が冷えていないようだが、それでも頼りになる人物といえば彼女だ。


「えーと、エイドリアンから提案がありましたが、ニコルさんはどう思いますか?」


 ニコルは何故か服を脱いで下着を晒しながら、一見すると冷静に見える……が、よく見ると興奮した赤ら顔で答える。


「私は……一緒にお風呂に入るくらいなら、いいんじゃないかなーと思います。それなら、みんなで()()()()しながら仲直りもできると思います」


 そうか。その手があったか。流石はニコル。発情していても、機転の良さが冴え渡っている。エイドリアンと皆の貞操観念を擦り合わせた、良い解決策だ。


「(隣の国には温泉という文化もあるらしい。これは良い提案だ)」


 だが裸を見せることに抵抗がある人もいるだろう。アンジェにもそれなりの羞恥心はあり、肌を晒すとなるとどことなくむず痒い気持ちになる。


「(ニコルの案が最善だと思うけど、みんなの意思を無視して強行するわけにはいかない)」


 アンジェは議長としてナターリアに質問を投げる。


「ナターリアはどう思う? お風呂、入りたい?」

「もちろん入りたいっすよ。それはそれは豪華なんでしょう? どうせあたいの裸なんて、体を洗ってもらう時に見られまくってますし……」


 ナターリアはこの屋敷の浴場を使ったことがないためか、ここぞとばかりに主張してくる。こんな機会でもなければ入ることがないからだろう。


 肝心のニコルはナターリアの裸を見たことがないはずだが……彼女が気にしないなら、何も言うまい。


 その後、ビビアン、ニーナ、エイドリアンも承諾する。


「ぼくは……まあ、お風呂くらいなら……」

「ふむ。同士の延長線上であるな」

「おかあさんのおみせのみんなも、なかよしのまえにおふろはいってた」

「……相変わらず、酒場の闇は深いねぇ」


 一同は休憩を兼ねて大浴場へと向かうことになった。


 朝風呂。ああ、なんて優雅な。まるで貴族のようではないか。色々あって疲れたが、それもこれまで。全てを洗い流すとしよう。


 アンジェは心が浮き立つような気持ちで、自室に着替えを取りに戻ることにする。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 短い間に色々ありましたが、結局あたいたちはそれなりに仲良くなれた気がします。


 あたいとしては、ビビアンちゃんとニコルさんに想いを伝えることができて、すっきりしています。元から結ばれないと覚悟していたからですかね。

 いや、諦めたわけじゃありませんけどね?


 アンジェちゃんとはちょっと喧嘩したこともありましたけど、なんだかんだ、あの子が苦しんでいる姿を見ると、庇護欲が湧いて出てしまいます。罪ですね、美貌って。


 ニコルさんは会議の途中から様子がおかしくなっていましたが、今は平気そう……に、見えます。

 でもニコルさんって、一見平気そうな見た目をしていても、中身は凄まじい状態になっていそうなんすよねえ……。突然脱ぎ始めたりしましたし。


「(おっぱい放題……)」


 ニコルさんのえっちな姿が、今でも目に焼き付いていますよ。

 貴族の間で流行っているらしい薄い布の下に、真っ黒な下着。それに、だんだん翼や尻尾が生えて……。

 興奮してるんだって、一目でわかっちゃいました。平然とした笑みを浮かべているのに、心は淫らな欲望でいっぱいなんだって……。


 まあ、これからもっと凄い姿を拝ませていただくわけっすけどね。どきどき。


 と、いうわけで。あたいたちは屋敷に設置されている大浴場にお邪魔しています。会議を中断して、所謂気分転換ってやつですよ。


 あたいは一時的にドリーちゃんの枝を突き刺して、体を動かしています。

 人として無茶な動きもできてしまうため、使い方を間違えると怪我が悪化するんですけど……短時間ですし、許してください。ごめんなさい、お医者さん。


「わあ……すっごーい!」


 扉を開けると、その向こうには広い空間が。ドリーちゃんも大はしゃぎです。


 あたいもおそるおそる中に踏み入って、思わずうっとりしてしまいます。


「おお……」


 美しい石造りの宮殿って感じ。まだお湯が張られていない浴槽は、あたいが100人いても余裕で収まる広々空間です。

 それ以外も充実していて、面白い形の寝台があったり、お香を焚く容器があったり。


 この街に来てから、つらいことがいっぱいあったけど……全部洗い流されていく気分です。まだ入ってすらいないのに。


 あたいが感動に咽び泣いていると、いつもあたいの体を洗っているアンジェちゃんが、手を取って導いてくれます。


「ナターリア。具合はどう? 痛くない?」

「これは嬉し涙っすよ」

「ならよかった。……ほら、行こう」


 あたいは小さな手を握り返します。


 あたい、介護される毎日の中でアンジェちゃんに八つ当たりしてしまったことがあります。

 でもアンジェちゃんは、幼いのにすごく寛容で。あたいの器の小ささが恥ずかしくなってきますよ。


 それに、アンジェちゃん……体を見ればわかりますけど、やっぱりとびっきりの美人っすね。元は男の子だったなんて、信じられませんよ。

 お尻は小さいのに可愛い形で、魅力的。脚もすらっとしてて、食べちゃいたいくらい。


 こんな子に当たり散らすだなんて、あたいはどうかしてましたね……。


「ナターリア。お湯は熱くしていいかな?」


 ビビアンちゃんがお湯を沸かしながら尋ねます。

 ちょっと目を離した隙に、浴槽が透き通った水でいっぱいに。魔法の偉大さを感じます。


 ビビアンちゃんは最高っすね。いつだってあたいに夢を見せてくれる。心が躍るような、明るい夢を。


 あたいはビビアンちゃんに答えます。


「ここの普通に合わせてほしいっす。あたいは体験する立場っすから」

「じゃあ、これくらいかな……」


 ビビアンちゃんが義手を何やら弄ると、何かしらの魔法が発動して、水がお湯に変化します。


 ……いや、この広いお風呂を一気に温めるなんて、どんな熱っすか。その割に沸騰もしてないみたいですし、何が起きてるのかさっぱりですよ。


「魔法ってすごいっすねえ」

「我も尋常ならざる技に生かされている」


 ニーナさまがつるつるのお身体を晒しながら仁王立ちしています。

 おへそとかの凹凸がなくて、のっぺりしています。でも出るところはちゃんと出ていて、柔らかそう。たぶん使われている素材が違うんでしょう。


 服の上からじゃはっきりしなかったけど、やっぱり金属の体なんすねえ……。それでも体の線が凄く蠱惑的で、扇情的で……。これを作ったビビアンちゃんの技術力に驚かされます。


「メジロよ。貴様を動かす仇なる枝も、手腕によるものぞ」

「魔法に不可能なんて無いのかもしれませんね」


 宿屋が巨人に変身したり、死んだはずのアンジェちゃんが蘇ったり……。本当に、魔法って不思議。


 そんな魔法の達人ばかりが、この一箇所に集まっている。それも、あたいは全員と知り合いで、友達として認識されている。

 夢物語みたいっすね。あたいまで偉くなったみたいに錯覚してしまいます。


 あたいが穏やかな湯気を見つめていると、ニコルさんが後ろから声をかけてきます。


「先に外側で垢を落として、お湯が汚れないようにするんだよ」


 振り向くと、そこには……。

 ああ、女神。女神です。真っ白な女神が、そこに立っています。


 いつもと同じ、優しげな瞳。幼さを残した白い顔。その下にあるのは、不釣り合いな大きな胸。あたいより背が低いのに、あたいより何十倍も大きい、豊かな母性の象徴が、そこに……。


「そんなに見つめられても……。私、まだドリーちゃんの薬が抜けてなくて……」

「す、すみません……」


 ニコルさんが恥ずかしがっているので、吸い寄せられる目線を必死に胸から逸らす。

 すると、今度は腰の細さと脚の優美さが極端に際立って見える。あたいとは比べものになりません。あたいが短足なのか、それともニコルさんの体型が素晴らしいのか。きっと両方でしょう。


 あたいは憧れのニコルさんが裸体を晒している現実に耐えられそうにありません。理性が肉欲に飲まれていくのを感じます。


「(なんだか、むずむずします。口の中が乾いてきました。お風呂にいるのに、どうして……)」


 ああ、これだから旅の間は水浴びを別にしてたんすよ。こうなっちゃう予感がしていたから。


 あたいの後ろで、アンジェちゃんがポツリと呟く。


「女性経験が無い男性を【童貞】と呼称する。女性に【免疫】がない人物を中傷する意味合いでも使われることがある」

「ああん!? 誰が童貞だって!?」

「オレじゃなくて、知識の海が突き止めただけ」

「言い訳不要っすよ!」


 あたいとアンジェちゃんはしばらく子供みたいな喧嘩を繰り広げます。

 ほっぺたをつねったり、絞め技をかけたり、お湯をぶつけ合ったり。無理しない程度に。


 それを見て、みんなが笑っています。ビビアンちゃんも、ニーナさまも、ニコルさんも、ドリーちゃんも。


「仲良いなあ、あのふたり」

「羨ましくなっちゃうよ」


 ……そうだ。こういうのでいいんだ。

 あたいの好きな人を、他の誰かが先に奪ってしまったとしても……その人が良い人なら、ちゃんと受け入れてあげないと。


 ここに辿り着くまでに、ずいぶん時間がかかってしまった気がします。みんなには申し訳ないことをしました。


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