第80話『頭脳派の公理』
過去と秘密を晒し合う、地獄の会合。綺麗に整頓された病室で、少女たちは輪になって腹を開き合う。
お互いを知るために。お互いを信じるために。
これで正しいかどうかはわからない。それでも、仲違いするよりはマシだ。
「(いつか起きる喧嘩の前借りだ。ちょっとの我慢だ、我慢)」
アンジェは己の過去を遡り、記憶の淵を丹念に探しながら、ゆっくりと話し始める。
「オレはニコルの隣に生まれた」
アース村で起きた事件については、先にニコルが話してくれたので割愛。
アンジェは細かい部分を装飾するように、村での暮らしぶりについて話すことにする。
食生活。家族構成。交友関係。
アース村はよくある山中の村であり、大した特産物があるわけでもない。聞いていて面白いわけではないだろうが、気の利いた話ができるほど、アンジェは話し上手ではない。
「そうして、オレはニコルを好きになった」
気がつけばニコルの話をしている。やはりアンジェの人生とは、ニコルで構成されているのである。
まあ、惚気話はやめておこう。今でも十分に、2人の愛は伝わっているだろうから。
マーズ村について少しだけ触れて、アンジェの過去は締め括られる。
「こうして、オレたちは旅に出た。おしまい」
「おわっちゃった」
エイドリアンが呆然としている。とてつもなくつまらない物語を聞いたような反応だ。
もう少し熱を入れて、英雄譚のようにした方がよかったか。シュンカとの戦いの辺りに力を込めて、激しい死闘だったことを熱弁……。いや、後の祭りか。
アンジェは若干の後悔と共に、質問を受け付ける。
「えーと、これがオレだけど、質問はある?」
すると、ニーナが挙手をする。
あまり接点がない彼女からの質問となると、少々緊張する。目上に失礼のないように、丁寧に答えなければなるまい。
「なんでしょう、ニーナ様」
アンジェが声の高さにも細心の注意を払って発言を促すと、ニーナは遠慮のない声で質問を投げかける。
「その黒き影に変じたならば、古き地図と時計の針は何を示す」
「いつ人間から悪魔になったのか、どんな感じだったのか、知りたいって」
もっともな疑問だ。人間から悪魔になった者はそう多くない。街を守る戦士たちのことを思えば、少しでも解明したいと思うのが普通だろう。
アンジェはその瞬間のことを回想し、そして……眉をひそめる。
「思い出せない」
「そんなことある?」
「意識がなかったんだよ」
アンジェは気を失っていたため、いつ悪魔になったのか覚えていない。残念ながら、答えられないのだ。
だが、推測することはできる。あの時アンジェの身に何が起きたのか、状況から読み解くのだ。
「ニコル同様、原因は悪魔の薬。たぶん悪魔の魔力そのものだ。それを投与されて、直後に気を失った」
「……ふむ、これは精査する必要がありそうだ」
ビビアンは興味深そうに聞き返す。研究者の血が騒ぐのだろうか。アンジェにはよくわからない感覚だ。
いくら同調してお互いの距離が近づいても、やはり2人は別人なのだ。物事に対する受け取り方が根本的に異なっている。
「残念ながら、あんまり大差ないよ」
「ちょっとの違いが大違いなんだ。ニコルとアンジェは他の村人と違い、魔力を克服して生き残った。例外には必ず理由があるはずだ。それも、2人の理由はまったくの別物である可能性が高い」
大袈裟に考えすぎではないだろうか。アンジェはそう思いつつ、ビビアンにも一理あると考え直す。
村人は破裂して死んだ。ニコルは破裂して生き返った。アンジェだけ体がそのままだった。何がこの差を生んだのだろうか。
……気にならないはずがない。今の自分たちにも直に繋がっている話だ。
アンジェが知恵を絞っていると、ナターリアが深刻そうな様子で声をかけてくる。
「アンジェちゃんもニコルさんも、大変な目に遭ったんすね……。女子供、赤子さえ見逃さないだなんて、魔王は本当に容赦ない悪党っすね……」
「ちょっと違うかな。赤ちゃんはいなかった。たまたまそういう世代だったんだ」
「あ、そうなんすね。……小さな村だと、そういうこともあるのか」
ナターリアは自分が生まれ育った大きな街との違いに驚き、感心している。
アース村の出生率は低かった。代わりに死者も少なく、毎年ひとりいるかいないかという具合であった。生も死もひっきりなしに訪れる大都市とは大違いだ。
ナターリアは知識の海に潜り始めたアンジェを置いて、ニコルと会話を始める。
「そっか。他に子供がいないなら、そりゃ仲良くなりますよね」
「他にいたとしても、私はアンジェを好きになっていたはずだよ。素敵だもん」
「そう言い切れる関係、羨ましいっす」
ナターリアはふと思いついたように質問する。
「あ、そういえばニコルさんって、年齢的にアンジェちゃんの出産に立ち会った可能性がありますけど……そこんとこ、どうなんすか?」
ナターリアの素朴な疑問に、ニコルはそっけなく返す。
「覚えてるよ。私は見てるだけだったけど、アンジェが生まれた時のことは全部覚えてる。どこもかしこも大騒ぎだったなあ」
「大変な出産が、お祭りに早変わりっすね。めでたいことです」
「いや、そういう騒ぎ方じゃなくて……アンジェはあんまり歓迎されてなかったの」
「えっ?」
アンジェは知識の海を中断し、ニコルの話に聞き入ることにする。
ニコルは何か、アンジェ自身も知らないとんでもない秘密を握っている。そんな気がしてならない。出生について両親に聞いたことはなかったが……何かあったのだろうか。
ニコルはアンジェの方をチラリと見て、冷や汗を流し、言いにくそうにもごもごと口を動かす。
「アンジェ、黒髪と黒目だから……不気味だって言われてたの。忌子だって」
「ああ、なんだ。その話か」
アンジェは両親のどちらにも似ておらず、炭のように黒い髪と目を持って生まれた。ニコルの父親の件もあり、何処の誰とも知らない男の血が混ざったのではないかと疑われたのだ。
だがこんな髪の人物が村を訪れていれば、皆の記憶に残るはず。狭い村は全員が知り合いなのだから、見知らぬ人がいれば誰だってすぐにわかる。誰かが村を訪れた形跡が無い以上、偶然の事故による産物ということで決着した。
ナターリアはアンジェの髪を見て、ぽかんと口を開けて感想を口にする。
「はへー。髪の色でそんなことが。黒髪は確かに珍しいっすけど、嫌うほどのもんじゃないでしょうに」
「いや、ある点においては理にかなっているよ」
ビビアンが学術的な観点から意見を述べる。
「魔力には色がある。ぼくなら水色、ニーナは赤色、ニコルは透明な白だ。一説によると、この色が魔法の適性や体の色に関わっている可能性があるらしい」
「つまりビビアンちゃんの場合、魔力が青色だから髪も青で、水の魔法が得意ってことすか? なんというか、単純っすね」
「その通り。短絡的だけど、あながち間違っているとも言えなくてね……。かなり有力な仮説だ」
ビビアンは右隣にいるアンジェの髪を愛おしそうに撫で、浮かない顔をする。
「こういう珍しい色は特殊な魔法に目覚めることが多い。たとえば、そう……悪魔の魔法、とかね」
「へ?」
てっきり知識の海に触れられるかと思っていたアンジェは、油断を突かれて素っ頓狂な声を上げる。
だが、これも目覚めた時期を鑑みれば、悪魔の魔法と判断するべきなのか。自分の力として行使してきたが……そういえば悪魔の力だ、これは。
ビビアンはアンジェの髪から頬にかけて、優しく指先で愛でる。
「アンジェとニコルは元々特殊な魔力を持っていた。だからこそ悪魔の魔力に対する親和性が高かったんだろう。それが生き残った原因ではないかと、ぼくはそう思うよ」
「……複雑な気分だ」
まるで自分が生まれつき悪魔だったかのようではないか。あまり良い気分ではない。
アンジェは不貞腐れつつ、一度昔話を打ち切ることにする。
秘密を打ち明けろと言われた時はどうなることかと思ったが、ニコルの前振りのおかげでだいぶ話しやすかった。これくらいならいくらでも提供できそうだ。
「流れからして、次はぼくだねぇ」
ビビアンは一息入れてから、ノーグの話を始める。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ぼくが最初に語るべきは、ノーグのこと。やっぱりぼくにとって、彼こそが命の始まりだ。
彼がどのようにしてぼくを生んだのか。彼とどのように旅をしたのか。語りたいことは山ほどあるけど、客観的に見て重要な事実だけを選んで話そうか。
ぼくが水の魔物であること。悪魔の入れ知恵によって狂わされた大魔法使いが、恋人の死体を使ってぼくを生んだこと。恋人は大貴族で、そのせいで追われる羽目になったこと。旅の果てにマーズ村にたどり着いたこと。ノーグが死に、ぼくも死を選んだこと。そして、この街でニーナに救われたこと。
「だいたいこんな感じかな」
アンジェは頷き、ニコルはほろりと涙している。
普通の反応だ。予想の範囲内。2人とも優しいな。
ナターリアは号泣してエイドリアンに目や鼻を拭いてもらっている。
普通じゃないけど、これも予想通り。大袈裟だね。
問題はニーナだ。ニーナは真顔でぼくをじっと見下ろしている。
何か言いたそうだけど、どうせ言語化できないから黙っているつもりのようだ。
……秘密を打ち明ける会で新しい秘密を作ってどうするんだよ。はっきり言えよ。
「ニーナ。質問があるなら、どうぞ」
ぼくが腕と脚を組んで睨むと、ニーナは若干嬉しそうに頬を緩める。
気づいてもらえたのがそんなに嬉しいのか。面倒くさいなあ、こいつの内面は。
「かの取り立て人について、思うところがあるか?」
……ずいぶん真面目な質問だな。辺境伯としてよその貴族のことが気になるんだろうけど、みんなは知ったことじゃないんじゃないかな。
さして重要なことじゃないと思って、黙っていたんだけど……これも暴露しておくか。
「ぼくの元になった大貴族は、この国の人じゃない。隣のニーズヘッグ帝国の宰相の娘だ」
「うげっ。その話、聞いたことありますよ」
なんと意外な人物から反応があった。ナターリアがティルナのことを知っているというのか。
「あれっすよね……『帝国悲劇』。悪しき男によって娘を怪物に変えられ、復讐に狂っていった貴族の話。あれ嫌いなんすよねえ、あたい」
「ノーグって、そんな語られ方してるのぉ?」
「有名っすよ。色々な舞台で語られるうちに、登場人物とか題名とかオチとか、色々変わってたりしますけど……だいたいは同じっす。むしろビビアンちゃんが知らなかったのが意外ですよ」
最悪だ。ぼくは怪物でいいけど、ノーグが悪者扱いをされるのは看過できない。この街で上演される時は是非とも手を入れさせてほしいものだ。
ナターリアはサターンの街で吟遊詩人から聞いた話を長々と教えてくれる。
「誰も救われない、最悪の物語っすよ。娘を奪われた貴族は、財産の全てを復讐のために費やし、生きている人々を蔑ろにして、やがて没落してしまう。怪物と魔法使いの行方は知れず、何処かでのたれ死んだとされている。いやー、きついっすね。特に怪物は人の世で生きられないって締め括られているところが本当に嫌っす。ねえ、ドリーちゃん」
「こっちふらないで。こまる」
「冷たいっすねえ!」
復讐に狂った宰相もまた、人の世を脅かす存在になってしまったのだろう。教訓としての要素も兼ね備えた、出来のいい物語だ。
それが実話であることと、ぼくが貴族として生きていることを抜きにすれば。
ぼくは不快感を覆い隠しつつ、ノーグを想う。
ノーグの死の詳細を知った者は、物語の通りにのたれ死んだと思うだろう。辺境の村で魔物にあっさり殺されたのだから、帝国屈指の魔法使いだった過去と比べれば、没落したように感じてしまうはずだ。
彼のおかげで助かった命があるのに。彼は最期まで必死に生きたのに。
……なんか、嫌だな。
ぼくが膝の上に肘を乗せてため息をつくと、ニコルはくすくすと微笑む。
「好きに言わせておけばいいんじゃないかな」
「ノーグのためにも、そういうわけには……」
「私も変な語られ方をしてるけど、噂って変えようとしてもどうしようもないから……」
そういえば、ニコルも物語にされているのか。
彼女は主人公だけど、ナターリアたちは悪者扱い。身内が悪役にされて喜ぶような人じゃない。きっとつらいのだろう。
……ぼくも意識の転換が必要なのかな。それとも、貴族としての影響力を高めていけば、噂をねじ伏せられるようになるのかな。
「ぼくも少しは劇場に足を運ばないとダメだね」
「ビビアン。物語はいいぞ。特に英雄譚は最高だ」
アンジェが感慨深そうにニヤニヤしている。そういえば、物語が好きなのか。
「機会があったら、一緒に行こうねぇ」
……そして、ぼくの秘密は一区切りつき、次に語り部を回すことになる。
「あたいの番っすね」
流れは寝床に横たわる親友へと向かっていく。
〜〜〜〜〜
《ナターリアの世界》
何から話すべきっすかねえ。ドリーちゃんのことが一番大事なんすけど、みんな生まれた時のことを話してますし、あたいもそうしますか。
思えば、サターンの友達にも話したことないから、口に出すのは初めてっすね。途中で途切れたらごめんなさいします。
あたいはサターンの街の宿で生まれました。経営はちょい苦しいけど、食う寝るには困らないから、まあそれなりの生活だったと思います。
両親はかなりの大恋愛をして結ばれたそうで。あたいは周囲に祝福されて生まれました。近所の人も喜んでくれたそうです。
あたいの部屋には、その時貰った物が今でも飾られて……ああ、今もう無いんだった。うわあ、地味にへこむなあ、これ。
あ、ドリーちゃんのせいじゃないからね。落ち込まないで。
幼い頃は友達がたくさんいました。子供たちを集めて伝統的な遊びを教えている活動家の集団がありまして、そういう集いで自然と仲良くなっていったわけです。
ドリーちゃんをあれに参加させるのが目標になっていた時期もありましたが……今は遠い過去って感じっすね。
でも、祖父母が亡くなって……あたいは強制的に宿を回す一員にさせられました。仕方がないことです。穀潰しではいられませんから。
宿のお仕事は面倒くさいっすよ。日常生活のあれやこれを何倍にも膨らませたようなもんです。考えただけで嫌になるでしょう?
ま、そのうち慣れてしまって、お先真っ暗から灰色の日々くらいにはなったんすけどね。はは。
ビビアンちゃんが泊まりに来たこともありました。ノーグさんが生きていた頃の話っすね。あたいにとっては大切な思い出なんすけど、ビビアンちゃんはどうなんすかね。覚えてます?
あ……あー、よかった。本当によかった。そうそう天井から蜘蛛が……。床板を踏み抜いて……。
あ、これはまた違う機会にしますか。いくらでも話せちゃいそうなので。……ぐすっ。泣きそう。泣いてる。覚えててくれてありがとう。
……えっ、忘れたくても忘れられない……。そんなに強烈だったんすか?
……あー、おほん。気を取り直して、続きを。
そして、色々あってドリーちゃんが誕生して、故郷にいられなくなって、ここにいます。この辺の事情は耳に入ってるんでしたっけ。お貴族さまは耳がいいんすねえ……。
……エコーの薬が、ここまで。へー。だから……。それは、なんというか、大変でしたね……。あ、他人事みたいでごめんなさい。
……ドリーちゃんの話をもっとしたいんすけど、長くなりそうだからやめた方がいいっすかね?
あ、はい。またの機会に。はい。了解しました。
あー、あと、何を話せばいいんでしょうか。
えーと、秘密……秘密にしていること……?
あたいって、何を知られたら嫌なんすかね。
あ、そうだ。あたい、大勢の人の前で脱いだことがあるんすよ。
突然何を言い出すのかって……一番知られたくない嫌な記憶っすよ。まあ、アンジェちゃんとニコルさんは知ってますから、別にいいかなーと思って。一度話すと楽になるんすね、こういうの。
あたいのお母さんは酒場をやってまして。そこで、ちょっとした踊りといいますか……まあ、その、口に出すのはちょっと、なんですが……あー、はい。さっきドリーちゃんが言ってたようなやつです。不埒な感じのやつです。それをやってました。
そう、あたいもです。ビビアンちゃんがいなくなって、焦ったんでしょうね。お母さんに脱げって言われまして。あたいみたいなブス踊らせてどうするつもりだったんでしょうね。錯乱してたんだと思います。
ま、あたいもビビアンちゃんと別れて、正気じゃなかったんです。踊りましたとも。脱ぎましたとも。
そしたら、まあ、なんやかんやあって、お客さんの怒りを買いまして……襲われそうになりました。というか、床に押さえつけられて……その、ちょっと思い出したくないモノまで、見ちゃいまして。あたいここで死ぬんだなって、思ったわけです。
なんかでかくて黒くて硬そうで、凶器みたいでしたし。あんなので刺されたら死んじゃいますよ。
その時、たまたま居合わせた悪魔祓いの人に助けてもらいまして。あの人がいなかったらどうなっていたことやら。まあ、ほかの人たちがどうにかしたとは思いますけど……そうならない可能性もあったわけで。その時は生きた心地がしませんでしたねえ。
えーと……それでですね……。
その次の日に、ドリーちゃんが生まれました。
何があったかって……あたいもよく覚えてないんすけど、自分の体が嫌いになって、自傷して、うっかり目を傷つけてしまって、それで……何かしたんでしょうね。気がついたらドリーちゃんがそこにいました。
こういう話、ここでも珍しいんすか?
……そっすか。ま、アンジェちゃんでもわからないみたいだから、期待はしてませんでした。
なんでアンジェちゃんが出てくるのかって……ニーナさま。この子はなんでも知ってるんすよ。最強の魔法使いっすよ。この世にある知識全てを、望んだ時にその場で手に入れられるんです。羨ましいっす。
えっ……厳密には違う?
へー……口伝などは対象外……。限度があるんすね。
え? 他人の秘密を喋りすぎ?
ビビアンちゃんのこととか、アンジェちゃんのこととか?
そういえば、そうっすね……。知識の魔法のこと、まだ話してませんでしたね……。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ナターリアには悪いけど、進行役として話を止めさせてもらうよ。
ちょっと、その……自己紹介的な軽いノリから逸脱しそうだったからさ……。
いずれは言うつもりだったよ。でも、その、今じゃないじゃん。覚悟ができてなかったし、他人に言われると、その……傷つくじゃないか。何かが。酒場で踊り子をしていた過去なんて、おおっぴらに話すことじゃないよ。
「……ま、まあ、大した秘密じゃないよねぇ」
ぼくは笑い飛ばそうとして、失敗する。笑顔がひきつっているのが自分でもわかる。
ナターリアも同じような秘密を打ち明けたから、強く責められない。だからこそ、たちが悪い。
……ああ、思い出したら恥ずかしくなってきた。
ぼくは手足と首くらいしか露出していない服をもぞもぞと動かして、口笛を吹く。
ナターリアから逸らした視線の先には、アンジェがいる。
「オレの魔法の話、する?」
アンジェの『知識の海』は興味深い代物だ。だけどどうせあの魔法についての答えは出ないし、後回しでいい。ナターリアが語った内容が全てなんだから。
「まずは全員の番を回してからかな」
「そっか」
アンジェは可愛らしい唇をそっと持ち上げて、うっとりした様子で微笑む。その丁寧な眼差しから、感謝の念が伝わってくる。
……変な気分になっちゃったじゃないか。こんなに魅力的な子がすぐそばにいるのに、平常心を保てって言うのか。
……はあ。疲れる。とりあえずナターリアのせいってことにしよう。
「じゃ、気を取り直して……次はエイドリアンかな」
「ドリーちゃんってよんで」
この場にいる面々の中で最も幼く、アンジェの次に小さな女の子は……気まずそうに口を開く。
〜〜〜〜〜
《エイドリアンの世界》
ドリーは、お姉ちゃんから生まれました。
かんようしょくぶつ……と、お姉ちゃんの魔力と、お姉ちゃんのおめめ。そしていちばん大事な、お姉ちゃんの脳みそ。ドリーはこういう材料でできてます。
……えっ? 中止って……?
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ぼくは思わず椅子を蹴って立ち上がり、ナターリアに詰め寄ってしまう。
貴族らしくないとか、そんなことはどうでもいい。ここには身内しかいないんだ。気にする奴がいるものか。
「ナターリア。今こいつが言ったことは本当か!?」
「あ、あたいも今知って……え? ええっ?」
そうか。ナターリアも知らなかったのか。
……ナターリアにも知らせてなかったのか。こんなに大切なことを。
ぼくは踵を返し、振り向きざまにエイドリアンの肩を掴む。
「エイドリアン。脳ってのはどういうことだ?」
「わかんない。なんでおこってるのか、ぜんぜんわかんないよ」
「脳だよ! 奪ったのか!? ナターリアを殺す気だったのか!?」
「ちがうもん! それに、おねえちゃんもしってたもん! おもいでがドリーのなかにあるって、いってたもん!」
ナターリアはハッとした顔で両腕をガチャガチャと鳴らし、ぼくを制止する。エイドリアンに掴みかかってほしくないらしい。
やっぱり君は人の親だよ。この子を殺したらどんな反応を示すやら。たぶん死ぬまで恨み続けるんだろうな。たとえこの子がどうしようもない悪魔でも。
ぼくは様子が変わったナターリアに問う。
「エイドリアンの構成要素を、何だと把握していたんだ?」
「あたいの魔力と、眼球と、思い出っす」
「……思い出」
「サターンの街を出るきっかけになった、例の事件の時に気付いたんすけど……嫌な思い出がいくらかなくなってたんすよ。つまり、ドリーちゃんはちょっとした記憶と、それに付随する嫌な感情とかを持っていってくれたんだなって、解釈しました」
「でも、実際には記憶ではなく……脳そのものが欠けていたわけだ」
「……そう、みたいっすね」
脳を奪えば、記憶も抜けるだろう。当たり前だ。
ナターリアは現象のごく一部しか把握しておらず、間違った認識を抱いていたのだ。
脳と眼球は近い位置にあり、神経を通じて直接繋がっている。眼窩から脳がズルズルと這い出して、エイドリアンの形になったのだろう。
ならば今のナターリアはどういう状態なのか。脳は簡単には再生しないため、おそらくは……ズタズタになったままなのだろう。
「悪魔や魔物は他の生物に魔力を送り込んで自分のしもべに作り変えてしまうけど、エイドリアンはそれと似た方法で生まれたんだな」
「えっ。なんすか突然……」
皆が困惑しているが、今のうちに考えをまとめておきたいから、声に出そう。意見も聞きたいし。
「魔物は魔力を流し込んで増える。シュンカの魔力を受けた獣はシュンカになる。その時、もちろん体も変化しているが、それ以上に大きな変化が内部で起きている。……すなわち、脳だ。脳の変化こそ、最重要なんだ」
「え、えーと? つまり?」
「わかった。当てて見せよう」
混乱するナターリアやニコルをよそに、アンジェだけはちゃんと話を理解してついてきている。
「例えば、オレが自分の腕を切り落として大量の魔力を注いだら、もうひとりのオレが出来上がるだろう。凄まじい量の魔力が必要になるけど。それと同じだ」
「えっ、そうなの?」
「そんなことで悪魔が生まれるんすか?」
「……前例はないけど、悪魔は魔力の生き物だし、そういうことが起きても不思議じゃない」
アンジェの推測は、ぼくと同じ内容だ。
同じ結論に至ったことが、なんだかちょっとだけ嬉しい。
「ナターリアの脳がどうなっているのか、調べてみないといけないね」
「まさか、解剖するんすか!? 嫌っす! 断固として拒否させていただきますよ!」
「そこまではしない。ただ、健康のために検査は必要だ」
……それよりも、ニーナがやけに興味深そうな目でナターリアを見ているのが気になる。
脳はニーナにとって重要な部位だ。なにせニーナに残された生身は、もはや脳しか無いのだから。それが他人の脳の話であろうと、首を突っ込みたくなるのが当然だね。
「ニーナ。次、お願いね」
「巣箱は、これで完全か?」
エイドリアンはまだほとんど話していないじゃないか。そう指摘されてしまうが、ぼくはこれでいいと思う。
最低限の生まれ育ちはわかったし、旅の話もナターリアから聞けるし。
念のため、エイドリアンに確認を取ると……彼女も首を縦に振る。
個人的には、ナターリアを姉と呼ぶ理由を知りたいところだが……焦る必要はない。話したくなるまで話せばいいんだから。
「では、閉鎖された洞窟の内に、わたくしが綺麗な油を流し込みましょう!」
物騒なことを言いながら、ニーナは椅子から立ち上がり、その巨大な体を目一杯使って主張を始める。
「我が最奥とは閃光、胸の鼓動にあり! 我は群青に深く、深く、沈んでいる!」
「……つまり?」
「ぼくのことが……好きなんだってさ」
ぶっ込んできたなあ。懲りてないのかコイツは。
殴りたい。




