第79話『買い被り、飼い齧り』
アンジェとニコルは、ニーナから……正確には通訳を務めるビビアンから事の顛末を聞く。
「ニーナがぼくに薬を盛ろうとしたのが、全ての始まり。薬の作成を依頼されたエイドリアンは、最初は断ったものの、ニーナたちの必死の説得でついに折れてしまう」
折れたというより、絆されたと表現するべきかもしれない。姉がいない期間の寂しさが災いしたのだ。
安定したら面会できるようになる予定だったのだが……エイドリアンにとって、その数日間は耐え難いものだったのだろう。
この世に生を受けて以降、1日離れたことさえなかったのだから。
そこに、ニーナが現れた。優しく面白い、大人の女性。ビビアンや使用人たちが信頼している女性。周りの尊敬を集めている彼女に、エイドリアンはなびいてしまったのだ。
周りの反応を見て、信用に足る人物かを見極めようとしたのだから、悪魔エコーに騙された時よりは成長しているのだろう。
問題は、貴族と使用人という立場の違いを理解していなかったことだ。雇われの立場では、ニーナに異を唱えにくい。解雇されないよう、全力でニーナの援護をしたことだろう。
実りのある意見を出せるのは側近のクロムとリンくらいだが……残念ながら、両者共にニーナの狂信者である。
こうして、エイドリアンはニーナを疑う機会を得られず、まんまと取り込まれてしまったのだ。
「まずエイドリアンはニーナから茶葉を貰い、それを参考にして茶葉型の魔道具を作った。魔法薬、と言い換えてもいい。ニーナはそれでぼくの心をかき乱そうとした」
エイドリアンが作った魔法薬とは、媚薬だ。ニーナは媚薬でビビアンの心を解きほぐし、強引に迫ろうと試みたのだ。
流石は大貴族。他人の弱みにつけ込んで操り、地位や財産に任せて知人に毒を盛るとは。いやはや、大した外道ではないか。
……そんなことをする人ではないと、信じていたのだが。
「ぼくはひと口飲んで気がついたけど、ニーナの意を汲んで抱かれてやった。恩人相手にこういう言い方はあれだけどね」
「……不本意、であったか?」
「あんな乱暴な真似をしでかしておいて、二度目をやるつもりじゃないよねぇ?」
「うう……」
ビビアンの仄暗い視線を受けて、ニーナは機械の肌を震わせる。
ニーナは強姦という最低な方法で囲うつもりだったのか。このビビアンを。
それはなんとも侮辱的だ。彼女は快楽で騙し切れるほど安い人物ではない。許せない。
ビビアンはエイドリアンの方をチラリと見て、説明を続ける。
「その後、ニーナは薬の製造を中止するようエイドリアンに要請。ところがエイドリアンは無能として切って捨てられたと解釈。実力や有用性を示すべく……という意識があるのかどうかも不明だが、とにかく暴走を起こした」
「つまり、ニーナさんは悪魔を私利私欲に使おうとして、結局手綱を握りきれなかったのか」
「そういうことみたいだねぇ」
一同の口からため息が漏れる。
「悪事に加担させた上、ご褒美も渡さず、相談も聞かず、一方的に契約打ち切り。いいご身分だよ本当に。子供相手だと思って勝手な真似を……」
ビビアンはしらけた顔でニーナの方を睨んでいる。
彼女はニーナのことを強く信頼していたはずだが、今となってはかなり侮蔑の感情が混ざっているように見える。
当のニーナによって毒を盛られたのだから、それも当然の反応ではあるが……些か悲劇的だ。
ニーナは普段の威勢が消え失せ、すっかり意気消沈している。
長身の身体を縮めている姿は、調教された獣を思わせる。本来なら悪魔を手懐ける飼い主の立場にいるはずの人物なのだが、これでは真逆ではないか。
ビビアンは怒りの滲んだ声で強く批判する。
「ニーナはぼくの親友だ。だからこそ許せない」
肩を震わせるニーナに向けて、ビビアンは人外の目で軽蔑を露わにする。
「ぼくのことを好きになってくれたのは嬉しい。媚薬を飲ませたのも許そう。昨日の乱暴も……まあ、別にいいよ。痛みはもう無いし」
「……群青」
「だけど他人を巻き込んで、こんな騒動を起こすなんて……貴族として恥ずべきことだよ。人の上に立つ者としてあまりにも不適格だ」
「雨に打たれる心地である」
「怒ってるのはぼくだけじゃないよ。ぼく以外の顔色も見たらどうだ?」
いつのまにか貴族としての誇りを身につけつつあるビビアンに、血筋も育ちも本物のニーナが、押されている。実際に辺境伯として活動しているはずのニーナが、立場を悪くしている。
アンジェには、ニーナを擁護できない。するつもりがない。元よりビビアンに対する行動に苛立っていたのだ。領主であるとしても、然るべき罰を受けるべきだと思っている。
「(いっそのこと、ビビアンが領主になっちゃえばいいのに)」
だが、ここでニコルが挙手をして口を挟む。
「ねえ、ビビアン。ニーナさまはともかく、ドリーちゃんの話ももう少し聞きたいな。私にとっては、そっちの方が大事だから」
助け舟ではない。より事態を正確に把握するための追い討ちだ。
エイドリアン。この場における最年少の人物。彼女の意見も聞かねばなるまい。ニーナの謝罪を引き出して終わりでは、根を絶ったことにはならない。
アンジェは頷き、ニコルに同意する。彼女と話したいのは、自分も同じだ。
エイドリアンとは良い友人関係を築けると思ったのに。彼女の態度次第では、殺し合いにまで発展することになるだろう。
……アンジェにはもう、彼女がエコーと同類の悪魔に見えている。
「責任能力があるのかどうか疑わしいけど、罪を問うのは原因を究明してからだね」
「……エイドリアンとアンジェって、ほとんど歳が変わらないんじゃ」
「まあ、そうだけどさ……」
ビビアンからの指摘を受けて、言葉を途切れさせるアンジェ。
アンジェは自主的な判断に任せられる場面が多く、あまり自分が子供であるという意識を育まずにここまで来てしまった。
故に、本来ならエイドリアンのように扱われるべきだと言われても、しっくりこない。
「オレには判断力があるし、責任意識もある。だから議論の場にいても……いいよね?」
「……うーん。責任能力の有無は難しい話だけど、でもアンジェの意見は参考になるから……いいと思う。少なくとも、ぼくはアンジェを信頼してる」
「そうか。ありがとう」
ビビアンの熱っぽい視線を頼もしく思いつつ、アンジェはナターリアの隣に腰掛けているエイドリアンに詰め寄る。
エイドリアンは果物を隅に置き、話を聞く姿勢を見せる。今にも泣き出しそうな表情だ。
「ドリー、またわるいことしたの?」
「そうだ」
エイドリアンが慌てて支離滅裂なことを言い出さないよう、優しげな声色を作って、ビビアンは問う。
「まず、あの毒はなんだ? 大した毒性はないみたいだが、それでも有害であることに間違いはない。調べさせてもらうよ」
これは実行犯であるエイドリアンにしか聞けないことだ。ニーナはあくまで、エイドリアンの監督者でしかない。
エイドリアンの言語能力では多少の困難があるかもしれないが、それでも構わない。全てを詳らかにさせてもらおう。
エイドリアンは実物をこの場で作り上げ、ビビアンに渡す。
「これだよ」
「……瞬時に作れるのか」
「危険な魔法だねぇ」
外見は乾燥した葉に見える。だがアンジェの目にはエイドリアンの魔力が色濃く映っている。
おそらく魔力の擬態もできるのだろうが、今回は省いたようだ。全力で騙そうとすれば、ビビアンさえ欺けてしまうようだが……。
ビビアンは眉間に皺を寄せつつ、それを手に取って確かめる。実物を飲んでしまった彼女だからこその気づきがあるはずだ。
「あの時見たのは、これで間違いないね。特徴が一致している。よくぞまあ、ぼくを騙せるほどの外見に仕上げられたものだ。味も香りも悪くない。魔力や脳への作用さえ除けば、貴族にも出せる茶だ」
「ごめんなさい」
エイドリアンは唐突に謝罪する。抑えきれなくなった内心がこぼれ落ちたようだ。
「ドリーは、みんなをしあわせにしたくて……だからおくすりをのんでもらったの」
「確かに、ニーナが一時の幸福を得たね。未来永劫の後悔に変わってしまったけど」
エイドリアンはわなわなと震えながら、自らの動機を洗いざらい暴露する。
勝手に薬を作った点については反省したが、その大元となる思想が間違っているとは、まだ思っていないようだ。
「みんな、どうしてけんかしちゃうの? しあわせになるおくすりをつくったのに。みんな、なかよしになればいいのに」
幸せになる薬。エイドリアンはあれをそう認識しているのか。あの媚薬としか言いようがない代物を。
……エイドリアンは性的交渉の意味を理解しているのだろうか。
「ねえ、ドリーちゃん。あの薬を飲むとどうなるか、ちゃんとわかってる?」
アンジェは今にも殴りかかりそうなほど苛立っているビビアンを宥めつつ、おそるおそる尋ねる。
すると、エイドリアンは首を小さく縦に振ってから答える。
「うん。おくすりをのんだら、おかあさんのおみせのひとたちみたいになるよ。おかおがまっかになって、しあわせになれるの」
「酔っ払うってことすか?」
「ちがうよ。はだかんぼになるの」
その言葉の意味を理解し、凍りついたのは4人。
アンジェ。ニコル。ビビアン。そして、ナターリアだ。
ニーナだけが、エイドリアンの発言を聞いて訝しげに口を曲げている。
……エイドリアンが言う母親は、ナターリアの母親と同一人物だろう。酒場を経営していた女性だ。
件の酒場は住宅地の中でも治安が悪い区域に建てられており、危険な薬物が横行していたのだが……問題はそこではない。
酒場に併設されている、肉体的接触を伴う事業。それをエイドリアンは知っているというのだ。
知るはずがない知識。知るべきではない知識。
「ドリーは、ないしょでちかのおへやをひろげてました。もっとおそとをみたくて。おかあさんに、あいにいきたくて……」
そうしているうちに、いつしか酒場まで届いてしまい、それの存在を知ってしまったということか。
「みんなみんな、なかよしだった。おかあさんのおみせで、なかよししてた。たくさんのひとが、まいにちちがうひとと。だから、ドリーも……みんなそうなればいいのにって」
その時、ナターリアの拘束具がガタリと揺れる。強い力で引っ張られたのだろう。
当然、か弱いナターリアの細腕ではびくともしないが、それでも布が擦れる音くらいは出る。
拘束されている場合ではない。エイドリアンと触れ合わなければ。そんな必死の表情が、ナターリアの整った顔を崩している。
「あたいのせいだ。あたいがドリーちゃんをちゃんと育てられなかったんだ。だからみんなを貶めるような真似を……。あたいの責任だ」
「ちがうよ。ドリーがわるいこなの。おねえちゃんはだめだっていったのに、ドリーがやぶったの」
「外の世界も、お母さんのお店も、魔力さえ隠せばいくらでも見にいけたはずなんだ。最初からそれだけを目指していれば。……親として情けないよ」
エイドリアンをほとんどその身一つで教育してきたナターリアだからこそ、責任を強く感じているのだろう。
……アンジェは親という一言に、重く複雑な感情を垣間見る。ナターリアにとってのエイドリアンが、どれほど手間がかかり、どれほど大切な存在であったのか、窺い知れるというものだ。
エイドリアンは目を丸くしている。ニコルはギョッとした様子でナターリアに聞き返している。
「親……? 何を言ってるの? 比喩、だよね?」
「ああ……。今までずっと言えなかったんすけど……もういいや。言っちゃいましょう」
ナターリアは歪んだ笑みを浮かべて、エイドリアンに告げる。
「あたいはドリーちゃんのこと、血を分けた娘だと思ってるんすよ。ドリーちゃんがお姉ちゃんって呼んでくれるから、それに合わせてきましたけどね」
「……おねえ、ちゃん?」
エイドリアンは絶望している。長い時間をかけて築き上げてきた自我を、粉々に破壊されている。
彼女の人間関係はひどく狭い。本当の意味で肉親と言える存在は、ナターリアしかいない。父親も母親もナターリアの親だからそう呼んでいるだけだ。ナターリアを根とすることで、全てが成立していたのだ。
それが揺らいでしまったら……エイドリアンという人格そのものも、危うくなろう。
エイドリアンは虚な瞳をナターリアに向け、縋るように問う。
「おかあさんは、あっちのおみせに……」
「あたいの母親かもしれませんが、ドリーちゃんの母親じゃありません。……そうしたくありません」
「ドリーは、いもうとじゃ、ないの?」
「あたいが身体を痛めて産んだんです。こればっかりは意識の問題っすから、どうしようも……」
「……うそつき」
覇気のない吐息と共に、つぼみのような呟きが垂れ落ちる。
「おねえちゃんの、うそつき」
ナターリアは言い返さない。事実、本心を隠していたのだから。
代わりに、乾いた笑いを口の隙間から吹かせる。
「……はは。あたいは、これが怖かったのかもしれませんね」
しんと静まり返った部屋の中に、病室の主人の声が響く。
彼女特有の長話が。誰が求めたわけでもない冗長な話が。虚しく響く。
「親のつもりでいたのに、親になる勇気が出なかったんだ。だからドリーちゃんのせいにして、姉の立場を都合よく確保して……ずっと逃げていたんです。親になることから」
そうではない。ナターリアは立派に責任を果たしていた。どうすれば悪魔の子を育てられるのか、必死に考えながら手厚く子育てをしてきた。前例のない事態に体当たりで挑み続けていた。
アンジェはそう言いたい。だが、言えそうにない。いつも通りの推測だからだ。当事者でもない子供が、適当なことを言いふらしても、信憑性など欠片も感じられないだろう。
代わりにアンジェは、押し殺した悲鳴を喉の奥から漏らす。
「どうして、こんなことに」
いま、人間関係が断裂しようとしている。
ニーナとビビアン。ナターリアとエイドリアン。そしておそらく、それ以外の関係も。
破断だ。寸断だ。関係が冷え込めば、屋敷内にも木枯らしが吹くであろう。ここの居心地が悪くなったとしても、当分は離れられないというのに。
「(こんな空気、嫌だよ。お願いだから、誰かなんとかしてくれよ)」
アンジェは心の底から祈る。大人数での会話経験に不足があるアンジェでは、とても事態を収められそうにない。
解決に導けるのは誰か。ニーナではない。ナターリアでもない。エイドリアンでも……。ビビアンが最有力だが、やる気がない。自分の身に起きた不幸で心の余裕が埋め尽くされているのだ。
ならば、残るはひとり。アンジェが最も信頼する、可憐で清楚で、それでいて人の醜さにも理解を示す、清濁併せ持った完全なる幼馴染。ニコルだ。
「私から提案があります」
アンジェの期待通り、ニコルが動く。
最も自由に発言できる立場にいるのが、彼女だ。どうか打開の一手を示してほしい。
アンジェは胸の前で両手を合わせて、心細い内心を隠しながら、ニコルを見守る。
「これから先、私たちは長い付き合いになると思います。ナターリアの治療は勿論、私の贖罪もまだ終わっていません。ですので、お互いのことをもっとよく知るべきではないかと思うのです」
「……うん?」
前半はまったくもってその通りだが、後半の内容は繋がりがないように思える。
アンジェが首を傾げると、ニコルはいつもの能天気そうな作り笑顔で詳しく内容を語る。
「ドリーちゃんにしろニーナさまにしろ、内緒のまま行動したから、こんなに拗れてしまったわけです。ナターリアもそうです。その想いはもうちょっと早く伝えることができたと思います」
「……なるほど」
ビビアンは納得した様子で頷く。
「これからは、何か行動する時は相談し合おうって話かなぁ?」
「それもあるけど、今日はその前段階かな」
ニコルは大きな胸の前で手を叩いて、満点の完璧な笑顔を浮かべる。
「みんなの言いにくいこと、言えなかったこと、全部ここで暴露しちゃおう。きっとすっきりするよ」
「力技じゃん!」
ニコルがもたらした解決策は……アンジェの想像以上に、突拍子もない迷案であった。
〜〜〜〜〜
一同は鍵のかかった病室で、輪になって座る。ナターリアだけは寝床に横になったままだ。
これから互いの秘密を打ち明け合う悪魔の儀式が始まろうとしている。そのためには、互いの顔が見える座り方は必須だ。雰囲気作りというやつである。
本当にこれで皆が楽になれるのかはわからないが、やってみるほかあるまい。このままの空気で解散するわけにはいかないのだから。
エイドリアンとニコルが外の様子を確認して、それぞれ報告する。
「だれもいないよ」
「うん。この周辺には誰もいません。これだけ広いお屋敷に、本当に誰一人いないなんて……何があったのですか?」
するとビビアンはニーナの方をひと睨みしつつ、その理由を説明する。
「拠点をもうひとつの方に移す話が持ち上がっていてね。みんなそっちに駆り出されてるんだ。……これ、もう少し進むまで内緒の予定だったけど、今言っちゃっていいよね?」
「我が認める」
もうひとつとは何のことだろう。アンジェが首を傾げると、すぐさまビビアンが解説してくれる。
「ちょうどぼくが来た辺りから、ピクト家の本拠地移転が計画されていた。研究所や防衛施設がある最前線と、戦いに関与しない貴族が近い位置にいるのは良くないんじゃないかって……」
ビビアンはふっと鼻で笑い、肩をすくめる。
「ま、貴族は危険から離れたがる生き物ってこと。ぼくを筆頭に、武功で身を立てた人々は例外だけどね」
「無論、我も内陸である」
その流れのまま、ビビアンが今回の暴露会議の議長を務めることに決定する。
感情的だが、知的で事情通かつ、この場にいるほとんどの者と面識がある。適任だろう。
「……それじゃ、人がいないことを確認できたし、始めようか。お互いの秘密を曝け出して……弱点の殴り合いだ」
茶化し半分、脅し半分の口上により、皆が深刻な顔つきで息を呑む。
……本当に適任だったのか、早くも怪しくなってきたような気がする。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
まず、言い出しっぺの私から秘密を打ち明けよう。最初だから、軽いものがいいのか……それとも、思い切って重い話をした方がいいのか……。
とりあえず、アース村の話をしようかな。知らない人もいるだろうし。
「私はアース村という小さな村に生まれました」
「うん」
アンジェが頷き、エイドリアンが身を乗り出す。
「私には父親がいません。昔はいたんですけど、浮気が度を過ぎて村から追い出されました」
「えっ」
ナターリアが青ざめている。
ぎりぎりのところで家族仲が途切れずに済んでいた人だから、ちょっと衝撃的に感じちゃうかもね。
「それから私は厳しく躾けられました。お母さんは私に裁縫や料理を教えて……」
それからは私の思い出話が続く。なるべく暗くならないように、出来る限りかいつまんで話す。
「幼い頃から体調を崩しがちで、原因が日光にあるとわかったら、お母さんは取り乱して……」
暗くならないように。
「5歳くらいの頃から、だんだん胸が大きくなっていって、歩くのも大変になって……」
暗くならないように。
「狭い村じゃ良い相手がいないから、領主さまのところに連れて行かれて……」
暗く……なってるね。みんなの顔が。
私はちゃんと笑顔のままなのに、おかしいな。
するとビビアンが、ぽつりと一言だけ、感想を口にする。
「それ、親に見限られて、捨てられそうになったってことじゃ……」
「違うよ」
それは違う。絶対に違う。私のお母さんは大変だったんだ。こんな馬鹿で無能でどうしようもない私を、育ててくれたんだ。断じて悪い人なんかじゃない。
「私はちゃんと、愛されてたよ。私を連れて旅するのは大変だったはずなのに、私の幸せを第一に考えて、苦労してまで外に出してくれたんだよ」
「……そう。アンジェはどう思う?」
ビビアンから話を振られたアンジェは……見るからに焦っている。
折角見て見ぬふりをしていたのに、呼び出されてしまった。そんな表情をしている。
心のどこかで、アンジェもそう思っていたのかな。私が捨て子だって。
「……ニコルのお母さんは、悪魔に襲われそうになった時、抵抗してたよ。ニコルのためだったと思う」
私のお母さんは、悪魔によるアース村の襲撃の時、発狂して殴りかかって、あっさり返り討ちにあった。
あの行動が私のためだったのか、それとも自分自身のためだったのか、今となっては確かめようがない。
だから私は、私のためだったことにしている。あの村がいい村だったと思いたくて。
ビビアンは納得した様子で、私に続きを促す。
「アース村の話も、してもらっていいかな?」
そうだ。その話がまだだった。うっかりしてた。
私はアース村に起きた悲劇について、軽く語る。これを知る人は、もう私とアンジェと、悪魔たちだけだから……しっかり語り継がないと。
誰がどうなったのか、どんな悪魔がいたのか、魔王の見た目はどうだったか、その時私がどうなったか、一部始終をしっかりと。
「そういうわけで、私は旅をしているの」
話し終わる頃には、すっかりどんよりとした空気が充満していた。
……こんなはずじゃなかったのになあ。うむむ。
〜〜〜〜〜
アンジェは歯ぎしりを堪えながら、ニコルが語った悪魔による蛮行を補足している。
思い出すだけで胸が苦しくなり、魔王たちへの殺意がとめどなく膨れ上がっていくのだが、それはひとまず置いておこう。
「シュンカに騎乗した悪魔が、何体も。バツザンなどの名だたる悪魔もいた。気づかなかったけどエコーもいたらしい。どうせネズミの姿だったんだろう」
「お、バツザン。それは倒したよ。強かった」
ビビアンがあっさりとそう答える。
伝聞ではなく、面識があるような口ぶりだ。この街の防衛をする日々の中で、出会したのだろう。
……仇がひとり減った。その事実にこっそり笑みを浮かべつつ、アンジェは尋ねる。
「そっか。死んだんだ。魔王についてはどう思う?」
「我が知るところだ」
この質問には、ビビアンの代わりにニーナが答えてくれるようだ。
ニーナは得意げに胸を張りながら腰に手を当て、ふんぞりかえっている。おかげでつるつるの額が陽の光を浴びて艶々に輝いている。
「我は魔王と拳を交えし絶大なり。故にその個人情報を人の世ではあり得ぬほど有しているとの噂で持ちきりなのである」
「見た目は合ってるってさ」
「群青!? 香りがせぬぞ!?」
通訳を放棄したビビアンに、ニーナが訂正と是正を求める。
……まあ、今の内容はおよそ理解できるので、問題ないだろう。わからない時だけ質問すればいい。
アンジェはニーナの眩しい額を手で覆いつつ、ニコルの顔を見る。
愛しのニコルは、よそ行きの笑顔だ。常に微笑んでいるニコルだが、昔話をするときもその調子では、かえって不調に見えてしまう。
「ニコル。そろそろ会議の雰囲気は伝わったと思う」
「そうだね。一旦これくらいにしておこうかな」
アンジェが話しかけると、ニコルは他の者には伝わらないだろう微細な変化を見せる。すなわち、笑顔が偽物から本物に変わったのだ。
アンジェがいる限り、ニコルは本物でいられる。アンジェがニコルを生かしている。
それに優越感を覚える自分が腹立たしい。
「(ニコルはみんなのニコルだ。オレだけのものじゃない。そうあるべきなのに、どうしてこうも嬉しいんだ)」
アンジェはほのかな自己嫌悪と共に、姿勢を正す。
次は自分が語る番だ。




