第78話『悪い虫』
《エイドリアンの世界》
ドリーのお部屋に、人が来ます。
誰が来たのか、もうわかってます。ドリーは枝をたくさん作ったから、お屋敷のこと全部わかるんです。
おねえちゃんのことも、アンジェちゃんのことも、ビビアンちゃんのことも、全部、全部。
……最初は勝手なことしないでって怒られちゃったけど。今は平気です。
扉の向こうから、女の人の声がします。
高くて、綺麗で、優しい声。
「リンです。辺境伯がおいでです」
「はいっていいよ」
ドリーがいいよって言うと、2人の女の人が入ってきます。
何度も会いに来てくれている、リンさんとニーナさんです。ドリーのことを仲間って呼んでくれる人たちです。
いつもみたいにリンさんが挨拶をします。体をぐいって曲げて……お辞儀っていう挨拶だよね。ドリー、知ってるよ。
「本日も作戦会議を行いましょう。エイドリアン殿」
「『巣箱』よ。緊急事態である」
ニーナさんはいつもと違って、なんだか焦ってる感じがします。どうしたんだろう。
ニーナさんはドリーの前に立って、よくわからないことを言います。
「川の流れは長きに渡り人の手に余るとされてきた。故にこそ先人は挑み、そして平らげた。だが今日この日、原初に巻き戻ろうとしている」
「……わかんないです」
わからないことしか言わないけど、ドリーは頑張って聞きます。ニーナさんが頑張って伝えようとしているからです。無視したら可哀想だからです。
ニーナさんの言葉がわかるリンさんが、ドリーにわかりやすくしてくれます。
「群青卿……えーと、ビビアン様はニーナ様のことが好きじゃないんだって」
「えーっ!?」
ドリーはびっくりしてしまいます。
あんなに仲良くしてたのに、どうして?
「リンさん、まどからみてたよね?」
「はい。ビビアン様に勘付かれてしまいましたが、ちゃんと見張っていましたよ。お2人はとても仲良しになった……はずでした」
リンさんはごめんなさいと言いたそうな顔でニーナさんの方を見ています。
ニーナさんはしょんぼりしています。あんなに頑張ったのに、ドリーも手伝ったのに、ダメになっちゃって……悲しいです。
頑張ってお薬、作ったのになあ……。
「巣箱に頼ったのが全ての元凶やもしれぬ」
ニーナさんはドリーの枝を指で撫でてくれます。
「毒に変ず危うきものに、もたれかかった報いを受けたのである。この手で抱き、この手で洗顔するべきであった」
「……お痛み、お察し申し上げます」
リンさんも悲しそうです。
ニーナさんが言っていることはよくわかりません。でも大好きな人に嫌われちゃったら、とてもつらいと思います。
ドリーも、おねえちゃんに嫌われたら……とっても苦しくなると思います。
ニーナさんは、きりっと前を向いてドリーに話しかけます。
「巣箱よ。薬は中止だ」
「えっ」
ドリーなんかいらないってこと?
ドリーは別にいいのに。薬、たくさん作るよ。だってニーナさんたちはちゃんと使ってくれるもん。エコーさんと違って変なことしないもん。みんなに優しくしたいだけだもん。
この街もエコーさんのせいで……ドリーのせいで、たいへんだったのに……ちゃんとしてくれてる。ドリーに優しくしてくれてる。
ドリーはもっと『つみほろぼし』がしたい。ニーナさんのために。この街のみんなのために。
「ドリー、まただめだったの? また悪いこと、しちゃったの?」
「否である。貴様は伸長している。己の根の届く領域に流れを絞り、完成している。……種の内包が奇譚の花であることは、留意すべきだが」
「……りゅうい」
「大丈夫。ドリーさんはサターンの街と同じ失敗をしていませんよ。……という意味です」
リンさんは何か隠していそうな顔で、ドリーを褒めてくれます。ニーナさんが何を言っているのか、ちゃんと教えてほしいです。
ニーナさんが言ってた『種の中身』のこと、たぶんリンさんは言いたくないんだと思います。『りゅういするべき』って、良い意味じゃなかったはずだから、教えたらドリーが怒ると思ったんだと思います。
ドリーはムッとして、リンさんを叱ります。
「それだけじゃない! ニーナさん、ドリーのことりゅういしてっていってた! かくさないで!」
「大人になったらわかりますよ」
どうしても、教えてくれないみたいです。
大人はずるい。ドリーのことを可愛いって、すごいって言うのに、教えてくれないことがたくさんある。
可愛くなくてもいいから、ドリーは大人になりたいです。ニーナさんくらいじゃなくても、おねえちゃんと同じくらいになりたいです。
ドリーがぷくっとほっぺたを膨らませていると、ニーナさんは困った顔でドリーにお願いしてきます。
「巣箱よ。枝を通じて、我に水を注ぎたまえ」
ビビアンちゃんのことを教えてって意味です。雪だとニコルさん、影だとアンジェちゃん、鳥だとおねえちゃんのことです。ドリーもそれくらいわかります。
ドリーはまだ怒ってるけど、おねだりされたから教えてあげます。
「ビビアンちゃんはアンジェちゃんと仲良しになってます」
「なっ!?」
どうしてびっくりするのか、ドリーにはわかりません。ビビアンちゃんとアンジェちゃんは、ドリーがここに来た時からずっと仲良しです。
「ビビアンちゃんは、アンジェちゃんといっしょに、おねえちゃんのからだをあらってます。ビビアンちゃんはアンジェちゃんばっかりみてます。アンジェちゃんはいっしょうけんめいあらってます。おねえちゃんはアンジェちゃんにもんくいってます」
「3人で、だと!? なんたる不埒な!」
ニーナさんは何故か怒ってます。みんなが仲良くすると、どうしてニーナさんが嫌になるのか、ドリーにはわかりません。
ドリーも昔のおうちにいた頃、おねえちゃんと一緒にお風呂に入ってました。だから変なことじゃないと思います。
怒られないようにお祈りしながら、ドリーは枝でこっそり見たみんなを教えます。
「ビビアンちゃん、まっかっか。アンジェちゃんにべたべたしてる。もっとなかよししたいみたい」
「ぬうううううっ!!」
「アンジェちゃん、ビビアンちゃんみてない。おねえちゃんのおしりあらってる」
「かの暗黒めええええっ!! 隣の群青が蟹のようになりかねんぞ!?」
「おねえちゃん、ビビアンちゃんみてる。だいすきみたい」
「くっ……ぐっ……へぶう……!」
ニーナさんはお腹が痛くなったのか、うずくまってしまいます。
リンさんは慌てて駆け寄って、かんびょうします。
「おそらく、ビビアン様はアンジェ殿に懸想しているからこそ、ニーナ様を拒んだのでしょう。しかしドリーちゃん様が見た通りの状況なら、アンジェ殿の方はビビアン様に好意を抱いてはいないようで……」
「そういう目利きではないのだ! 死して墓穴を掘る者無しとお婆ちゃんも言っているのだ!」
ニーナさんのことは、ドリーにはさっぱりです。代わりにリンさんとお話しすることにします。
「アンジェちゃん、仕事してるだけ。おねえちゃんの体洗うおしごと。全部見える。泡まで見えるよ」
「そんなに細かく監視できるなんて、エイドリアン殿はすごいですね」
「枝さんで見るの、ニコルさんにならった。ちゃんとできてるか、わかんないです」
「それでも、見えているのでしょう?」
ドリーが首を振ると、リンさんは本当に嬉しそうな笑顔になります。
「上手くなりましたね……。私にはさっぱりわかりませんけど、あなた様がとてつもない魔法使いだということはよく理解できます」
リンさんはドリーの魔法を見て褒めてくれるから大好きです。
お姉ちゃんもアンジェちゃんも褒めてくれるけど、最近すごく辛そうで、忙しそうで、イライラしてて、あんまり話しかけたくならないです。
ニーナさんはお化けみたいな声をぐるぐる上げながら、立ち上がってお部屋を出ようとします。
「う、うう……悪しき台風かな。次なる宣言は、巡りの時に……」
「ですが、もはや事態は一刻を争うのでは?」
リンさんがニーナさんに反対するのは珍しいです。何かあったのかも。
「ああ、あの暗黒は台風の目である。波は荒れ狂い、大しけに吹かれる霊とならん。小鳥の巣ではたちまち流されようぞ。堅牢としてご挨拶しなければ……」
「しかし、アンジェ殿は水を得ている自覚がなく……ニコル様と言う伴侶がおり……」
「それを強く貼り付けるだけでは、足りぬ。それで鎮まる群青ではなかったのだ。現に我は、我は……水底に沈む泥となった。流れに置いて行かれたのだ!」
悔しそうにおててをぎゅっと握っているニーナさんを見ていると、ドリーは苦しくなってきます。
話してることがわからなくても、中にあるものは伝わるみたいです。それがドリーのお胸をぎゅうぎゅう締め付けているんです。
リンさんはドリーの方を見て、お辞儀をしてニーナさんを連れて行きます。
「エイドリアン殿。本拠の移動が完了次第、この屋敷は本格的にあなたのものになります。この分だと、例の作戦の始動はその頃になるかもしれません」
「えっと、どういうこと?」
「つまり、もう少し時間がかかる、ということです。偉い人たちの邸宅と皆様が使う居城を別々にするまで、エイドリアン殿は待機ですね」
リンさんは重いニーナさんをがっしり支えながら、丁寧に扉から出ていきます。
……ドリーもあんな風にぎゅってしてもらいたいけど、リンさんに迷惑はかけられません。悪い子になりたくないです。
そうして、ドリーはひとりになりました。
「……いつものことだもん」
昔のおうちでも、ずっとこうでした。暗いお部屋にひとりきり。ドリーは賑やかなおうちを見てるだけ。
だから、ドリーはこれしかできません。おはなしのやり方がわかりません。嫌われるのが怖いです。
お外に出たら、ニコルさんみたいになれるのかな。でも、まだあの時のおとなの人たちが怖くて、夢に見ます。悪魔だって言われて、街のみんなに叩かれる、嫌な夢。
だから外に出たくない。お屋敷の部屋にいたい。ほんとはドリーも仲良ししたいけど、これでいいの。
「おねえちゃん……」
ドリーはおねえちゃんのお部屋に隠した枝で、はだかんぼのおねえちゃんを見つめます。
髪がツヤツヤで、お胸がちょっと大きいおねえちゃん。綺麗じゃないって言ってたけど、ドリーは綺麗だと思います。
綺麗な体が、アンジェちゃんとビビアンちゃんに洗ってもらって、もっともっと綺麗になっていきます。とっても素敵です。
ドリーはおねえちゃんと仲良くしてるみんなも見ます。
細くて綺麗なビビアンちゃん。ちっちゃくて赤ちゃんみたいなアンジェちゃん。
みんな素敵。ドリーよりずっと可愛い。おねえちゃんはドリーのこと、可愛いって言ってくれるけど……2人の方が……。
「かわいい……。かわいいとかわいいが、たくさんあつまって……いっぱいしあわせになる……」
みんな仲良しになればいいのに。
ニコルさんも、ニーナさんも、みんなみんな集まって、ひとつになっちゃえばいいのに。
もう少しだと思うのに、なんで遠いんだろう。なんで『さくせんかいぎ』なんかしないといけないんだろう。あとちょっとで仲良しにできそうなのに。
「そうだ」
ドリーはひらめきます。
「もっとおくすりをつくればいいんだ。いままでのとは、ぜんぜんちがうの」
ドリーにできるのは、やっぱりそれだけです。
お薬は中止って言われたけど、前とは違うのなら、いいよね。
次に作るのは、みんながうーんと幸せな気分になるお薬。エコーさんのものじゃなくて、体に優しくて、ほわほわする魔法みたいな感じにしたいな。
みんなが仲良しになる素敵なお薬で、みんなを幸せにしちゃえばいいんです。そうすれば、みんながみんなをぎゅってできるようになります。ぎゅってして、笑顔になって、優しくなれるんです。
「よし。ドリー、やってみるね」
ドリーは間違えないように、丁寧にお薬を作ることにします。
ニーナさんに頼まれた、仲良しのお薬。あれをもっと強くして、霧みたいにして、簡単に飲めるように。でも死んじゃったりしないように、弱くするところはちゃんと弱くして。
「なかよくなあれ。なかよくなあれ!」
ドリーはたっぷりの魔力を込めて、そのお薬を作りました。
完成です。すぐに使ってみるね。
〜〜〜〜〜
ナターリアと口喧嘩や行水をした翌日。
アンジェは馬乗りになったニコルの行動により目を覚ます。
「アンジェ。アンジェ……」
アンジェは寝るのが早い。悪魔となって以降も、体はまだ幼児らしく睡眠を欲している。故にニコルとの愛の語らいも中途半端になってしまうことが多い。
その場合、ニコルは眠っているアンジェに語りかけながら欲望を発散することになる。だいたいは深夜から朝までぶっ続けだ。
アンジェとしては、ニコルを満足させることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。しかしそれと同時に、ニコルに求められる喜びのようなものが胸に溢れてくる。
ニコルは決して、アンジェに合わせてフリをしているわけではない。ニコル自身がどうしようもなくアンジェを求めている。それを再確認できるからだ。
「アンジェ。アンジェ。欲しい。もっと。アンジェの全てが、欲しい……」
今もそうだ。ニコルは熱を帯びた額から滝のように汗を流し、アンジェの上で激しく運動している。
どのような動作をしているのかは、寝ぼけ眼のアンジェにはよくわからないが……まあ、ろくな動きではないだろう。
「ありがとう、ニコル。今日も愛してくれて」
アンジェは心からの感謝と共に、起床を告げる。
最初は起きていることを伝えると驚いて逃げたものだが、今はもう慣れたものだ。構わず愛を貪り続けることの方が多くなった。
ニコルはギラギラとたぎる瞳でアンジェを見つめ、首筋にその唇を衝突させてから答える。
「おはよう、アンジェ。早速だけど、今日はお休みにするから」
「……うん?」
休みとはどういうことだろう。
アンジェは鼻を髪の中に埋めて呼吸するニコルに向けて、困惑しながら尋ねる。
「ビビアンか誰かに言って、予定を開けてもらったってこと?」
「ビビアンとニーナ様がそうしたの。だから今日は、ずーっとずーっと、愛しあえるよ」
……ニコルの様子がおかしい。いつにも増して欲望が前に出ているような気がする。
ニコルは欲が深い。だが、それを抑えて余りあるだけの強い理性を併せ持っている。普段の彼女ならこうはならないはずなのだ。
アンジェは寝床から飛び起きて、水魔法を全身にかぶり、風魔法を活かした早着替えをする。
「ニコル。警戒して。たぶん敵襲を受けている」
「……わかった」
アンジェが鋭い声で促すと、ニコルは自らの顔面を叩き、瞬時に興奮を鎮め、普段通りの張り付けたような笑みを浮かべる。
どんな時にも、お互いの命令は絶対。それは旅の中で決めた、ある種の戦術だ。そうでなければ、緊急時に素早く対応できない。
おあずけした分、後でめちゃくちゃにされるが……その時はその時だ。
「さて」
アンジェはニコルの着替えを見届けて、周囲の様子を確認する。
部屋が薄い魔力の霧で満たされている。これが原因と見て間違いないだろう。問題は出どころだ。
「ニコル。この霧、何処からだと思う?」
「霧?」
ニコルは今になってようやく部屋の異変に気がついたようだ。顔をしかめて、じっと観察し始める。
「これ……ドリーちゃんの魔力だと思う。たぶん、変な薬だ」
「つまり、毒だね」
ニコルは赤ら顔で息を荒くしながら、窓の隙間をこじ開けて侵入した枝を指し示す。
確かにあれは、エイドリアンの枝だ。……ビビアンの件といい、奴はどうにも臭い。何かを企んでいるのだろう。
……あまり彼女を疑いたくないのだが。
アンジェは枝を睨みつけ、魔力を吸い込まないように気をつけながら、低い声で脅しをかける。
「ドリーちゃん。これは何の真似?」
ニコルから教わった魔法を活用しているなら、聞こえているはずだ。エイドリアンにまだ人間らしい感性が残っているなら、応答してくれるはずだ。
「こんなことされたら、嫌いになっちゃうよ」
猛毒を魔力によって必死にねじ伏せているニコル。今にも倒れそうなほど揺れている彼女を見ながら、アンジェは主張する。
「一刻も早く解除しろ。解毒剤があるなら出せ。さもなくば、君を……殺さないといけなくなる」
相手は悪魔だ。アンジェが憎んでやまない、悪魔なのだ。魔王の手先ではないが、人に、そしてニコルに害を成そうというのなら……除くだけだ。
だがエイドリアンは、枝から震える声で告げる。
「ドリーは、きらわれてもいいよ」
敵対する、という意味だろうか。
エイドリアンは強い。正確には、強かったと言うべきか。あの街の宿がある限り、アンジェだけでは勝ち目がなかっただろう。
だが、今は違う。エイドリアンは植物魔法の達人ではあるが、経験不足だ。アンジェだけでも容易に狩れてしまう。
アンジェは指先から火の粉を飛ばしつつ、エイドリアンを脅迫する。
「もう一度言うよ。オレの味方をしないなら、エイドリアン……君を殺す。それでいいの?」
「ドリーはみんなのみかた……の、つもり」
なるほど。ニコルに投与したこれは、善意によるものだと主張するのか。
確かに効果は大したことがない。ニコルの目を掻い潜った隠密性はともかく、吸い込んでもせいぜい微熱を出して苦しむくらいだ。
だが善意のつもりなら、せめて散布する前にあらかじめ予告しておかねばなるまい。それが誠意というものだろう。
「こんなこと、してほしくなかった。誰がしてほしいだなんて頼んだんだ。部屋の殺虫のつもり? それとも洗濯? 名目が何であれ、勝手なことをしないでほしい」
アンジェは自らの体にも毒の影響が及んでいることを自覚しつつ、熱を持った喉を震わせる。
「迷惑だから、やめて」
「……ドリーは」
エイドリアンは、強い決意のようなものが垣間見える口調で、頑なに主張する。
「ドリーは、みんながなかよししてるのをみたいの」
「仲良しって……なに?」
「アンジェちゃんとおねえちゃん、けんかばっかりしてる。ビビアンちゃんとおねえちゃんも。そんなのおかしいよ。だから、みんなみんな、なかなおりしてほしいの」
……それでどうして、この毒に至ってしまうのか。
アンジェはエイドリアンの理解しがたい思考回路に頭痛を覚え、額を押さえる。
枝のそばに寄りすぎたためか、いよいよ頭痛が出始めている。吸い込み続けたらまずいかもしれない。
アンジェは枝に背を向けて、ぼうっとしているニコルに声をかける。
「ニコル。エイドリアンの口ぶりから察するに、他のみんなも危ない。蝶で探してほしい。特に、ビビアンと辺境伯を」
「わかった」
後ろの枝の「ドリーちゃんって呼んでよ」という声に、アンジェは細い火炎を返す。
敵対などしたくはないのだが……悪魔に対する殺意が膨れ上がって止まらないのだ。
村を滅ぼした魔王と、その配下たち。彼らを皆殺しにするまで、アンジェから恨みが消えることはないのだろう。
「(悲しい奴だな、オレは)」
アンジェは羽ばたいていく蝶を眺めながら、こっそりと自嘲する。
〜〜〜〜〜
アンジェとニコルは、ナターリアの病室へと向かっている。エイドリアンは現在そこにいるらしい。
彼女が部屋を離れることは滅多にないのだが、これも彼女なりに覚悟した故の行動ということだろうか。
ビビアンとニーナもそこにいるらしい。エイドリアンと何かを話しているような様子だったそうだが、既に確保に動いているということだろうか。
「(動機が理解できないと、周囲も含めて行動が読めなくなるから困る)」
アンジェはエイドリアンの真意を読み取ろうと知恵を振り絞りながら、廊下を走る。
使用人も研究者も誰一人として見当たらない。異変を察知して避難したのだろうか。だが、主たる貴族たちを置いて自分だけ逃げ出す者ばかりとは思えない。
おそらくは、ニーナが逃したのだろう。戦闘になると予想したのかもしれない。彼女はかなりの強者だと聞いているため、並び立てる者はビビアン以外にいないはずだ。
アンジェは幾度となくくぐってきた病室の扉を目にして、ニコルの方を振り向く。
「突入するよ」
「私が前に出る」
ニコルはアンジェを庇いたいらしい。
死んでも死なないアンジェが攻撃を受け止めた方が良い気がするが、ニコルを信じるとしよう。
「怪我したらすぐに交代してね。いつでもオレを身代わりにしていいからね」
「……アンジェはもう少し、自分を大切にした方がいいと思う。むしろ私がアンジェを守るから」
「……ニコルがそう言うなら」
遠慮しがちなところも、ニコルらしい。
アンジェは一応ニコルの選択に配慮しつつ、変わらず優先順位の最上位にニコルを置く。
自分の身を盾にしないとしても、こればかりは性格なのだから仕方ない。
2人は見つめ合い、息を合わせる。
ニコルが扉に手をかけ、アンジェは魔法を発動できるように魔力を集める。
「合図、お願い」
「わかった。いち、にの、さん!」
扉を押すと同時に、ニコルの姿が消える。目にも止まらぬ速さで中に飛び込んだのだろう。
アンジェも続けて突入し、腕を構える。エイドリアンがいつ襲ってきても対処できるように。
「何処だ、エイドリアン!」
「何事すか?」
見ると、ナターリアが寝転がったまま呆然としている。両手足を固定されたまま、いつも通りの様子でそこにいる。
エイドリアンはその隣で林檎を剥いている。悪戦苦闘しているようだ。折角の上質な林檎がいびつになっている。
変わらない日常。穏やかな姉妹。ニコルとアンジェは揃って首を傾げる。
「あれ? 思ったより平和だ」
「ドリーちゃん、何してるの?」
ニコルの質問に、エイドリアンは俯いて黙り込む。話したくないようだ。何か事件があったことは間違いないようだが……。
そして、奥にいたニーナが代わりに答える。
「討伐はめでたしめでたしなり。この先は我が主催となろう」
意味がわからない言葉を、更にその隣で呆れた様子のビビアンが解説する。
「『事態は収束した。ここから先は私が現場を仕切ろう』ってさ」
「はあ」
「……偉そうにしてるけど、だいたいこいつのせいだから、遠慮なく罵倒してやって」
なるほど。またニーナのせいか。
「群青。わたくしの立場が……」
「黙ってろ。クソみたいな謀略こなしやがって。ぼくが魔力の研究をしてなかったらどうなってたと思ってんだ」
「あ、あんまりですわ!」
悪態を吐くビビアンに、アンジェとニコルは戸惑うばかりだ。




