第75話『遊び半分、残りは未定』
《ナターリアの世界》
あたいは放り込まれた病室で、ひとり退屈を持て余している。
手足を動かせないし、娯楽もない。ビビアンちゃんが持ってきてくれた音楽を奏でる魔道具があるけど、何曲も聴けるわけじゃないし、すぐに飽きた。
贅沢病かもしれないっすね。芸能豊かなサターンの民の生態っす。
そんな訳で、あたいはただ寝そべって、周りにいる人たちの姿を思い浮かべている。お医者さんとかじゃなくて、旅の仲間や友達たちのこと。
……いや、違いますね。より正確には……最近気になっている人たちのこと。
あたいはニコルさんが好きです。一緒に悪魔と戦って、ドリーちゃんを守り抜いて、手を取り合って旅してきたニコルさんが好きです。このまま一生、あの人の隣で過ごせたらいいのになって、思います。
でもあの人にとって、あたいは友達止まりだと思います。既にアンジェちゃんという可愛い想い人がいるんすから、あたいにできるのは横恋慕だけっす。
あんな幼児の心を奪っていることの是非は、この際置いておいて、ね。
でもあたいはビビアンちゃんのことも大好きです。こっちは恋とは違うのかもしれないけれど、誘惑されるとコロリと心が転がってしまいます。この人に求められたら、断れる気がしません。
ニコルさんほど優しくないけど、あたいのことを考えてくれているのが伝わってきます。昔は大人っぽい子供だったけど、今は子供っぽい大人って感じがします。
あ、これはいい意味で子供っぽいってことっすよ。悪口じゃないですからね。
「はあ……。あたいって、ちょろいっすね」
2人の間で揺れ動く、あたいの心。どうしたらいいんでしょう。
……どうするも何も、精神的にも肉体的にも手を取れない状態なんですけど、それはそれとして……悩むくらいなら、罪にはならないでしょう?
これくらいしか娯楽が無いんですから、見逃してください。どうせあたいはいくじなしで、誰の手も取れないんですから。
あたいはまず、ニコルさんとの生活を妄想する。
旅での日々を下敷きにして、そこにちょっと足した感じですかね。
2人で野山を越えて、森を抜けて、涼しい風が吹く丘の上へ。サターンみたいな平野じゃなくて、ちょっと見晴らしのいいところに小さな家を建てて、最終的にはそこに落ち着きたいっすね。
それで、ニコルさんが採取してきた材料をもとに、あたいの手料理を振る舞うわけです。ドリーちゃんもあたいとニコルさんの子供として、3人仲良く食卓を囲んで……。ニコルさんが面倒を見て、あたいが……あたいが……何をしたらいいんだろう。
そもそも、ニコルさんの方がずっと料理上手なんすよねえ。裁縫もニコルさんの方が……。あたいも出来ないわけじゃないんすけど、敵わないからなあ……。
駄目な奥さんっすねえ、あたい。気が滅入ってきました。
「あたいじゃ、とてもニコルさんの隣には……」
気を取り直して、ビビアンちゃんとの生活でも思い浮かべて楽しみましょう。頭を切り替えたかっただけで、妥協したわけじゃないっすよ? そんな失礼な理由でビビアンちゃんに求愛なんかしませんから。これは単なる妄想。あたいの脳内だけのお遊びです。
ビビアンちゃんと暮らすなら、人の多いところがいいっすね。美味しくないけど安くて早い小料理屋でも経営して、3人で切り盛りするんです。あたいが調理でドリーちゃんが配膳、ビビアンちゃんは接客かな。
それで、店を閉めている間はビビアンちゃんと2人っきりでまったりと……。お店がうまくいったら、ドリーちゃんの妹か弟を養子で誰かから貰ってもいいかもしれませんね。それはそれとして、ビビアンちゃんとも愛を確かめ合って……。
あ、でもドリーちゃんとビビアンちゃんは親子って感じじゃないっすよねえ。見た目の歳が近いし。中身はビビアンちゃんの方がだいぶ年上なんすけど、どうにも違和感が……むぐぐ。
「あー、だめっす。あたいは駄目な女っす。誰と一緒でもうまくいく未来が見えない。はあ」
あたいは布でぐるぐる巻きにされて無様にぶら下げられている両腕を見つめ、大きなため息をつきます。
妄想の中でさえ、あたいは誰とも結ばれません。すっかり駄目人間が板についてますね。自分が成功している姿が想像できません。
「彼女ほしー……」
そもそも宿屋以外の生活さえ、少し前までは想像さえしていなかったので……今はちょっと、地に足ついてない感じです。
あたいは体を揺すりながら、寝返りさえろくに打てない現状を嘆く。
これからは食事も排泄も他人任せです。大変なことっすよ、これは。ニコルさんに頼むわけにはいきませんし、ドリーちゃんにお願いするしかありません。使用人の方々を顎で使うような真似もできません。
「つらい……」
あたいはまたしてもため息をつきながら、この身の不運を嘆く。
自分で引き寄せた未来とはいえ、これはあまりにもきっつい。まるで牢獄です。実際、罪を犯したからこうなっているわけですけれども。
ま、色々な人に助けてもらったわけですし……このまま安静にして、ゆっくり反省するとしましょうか。文句なんて言えた立場じゃありません。
……ただ、せめて退屈凌ぎは用意してほしいっす。
このままだとあたい、どうにかなってしまいそうですから。
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《ビビアンの世界》
ぼくは抽出と精錬が終わった魔力を、皆と共に比較検討している。
途中、色々と障害があったけど……まあ、それに関しては適当にごまかした。
なんでニコルの魔力からアンジェの魔力がたくさん出てくるのとか、なんでアンジェの魔力がひとりでに動いてるのとか、色々あったんだけど……ね。
魔力の専門家は皆に向けて発表した後、皆を会議室に閉じ込めたまま、ぼくと2人でこそこそと話し合っている。
「まだ皆さんには黙っていますけど、例の2人って、相当……」
「ニコルとアンジェのこと? 恋仲だってことは伝えてあるはずだけど?」
「いやいや、だとしてもあれは……尋常な量ではありませんよ。まるで捕食でもしたかのような……」
捕食、ねえ……。
あの2人、具体的には何をしてるんだろう。何かはわからないけど、きっと道徳を踏みにじるような、凄まじい行為に違いない。毎夜毎夜、互いの体を貪り合って……。
……まずい方向に思考が流れ始めている。このままでは、あの真っ白な英雄を憎んでしまいそうだ。
「(だめだ。ニコルはいい人だ。アンジェも幸せそうにしている。ぼくが入り込む余地はない)」
ぼくはむくむくと湧き上がる嫉妬心を貴族としての教育で抑制し、深く息を吐く。
弱みは見せない。嘘で固めろ。今だけは大地を覆う凍土になれ。
魔力の専門家に向けて、ぼくは冷静に告げる。
「いいかい、フランシス。2人の仲を引き裂くような真似は許されない。最終的に混じり気のない魔力を確保できている限り、実験に支障は無い」
「それはそうですが、あの関係が発覚すれば屋敷内の風紀に関わりますよ……?」
「いつ、誰が、2人の行為を暴いたっていうんだ」
ぼくは作り笑顔のまま一歩近づき、フランシスにくってかかる。
「おおっぴらにするわけでもなし。子供ができるわけでもなし。何が問題だって言うんだ?」
「いや、だって……教育上、よろしくないのではないかと思われます」
「じゃあ君が面倒を見てくれるのかい? 無駄を悟るだけだろうけどね」
アンジェとニコルは深く依存し合っている。他に愛すべき人を探そうという試みもしたようなのに、2人の距離が遠ざかる兆しはまるでない。
彼女たちを引き離した上でそれぞれ自立させるためには、10年以上の歳月が必要になるだろう。新しい常識を植え付けるには、それだけの苦労が要る。
だけど一体誰があの2人を離別させられるというのか。何らかの手段で別れさせたとしても、武力を行使して数日で合流するに決まっている。2人はべらぼうに強いのだ。生半可な力では止められない。
そして、その数日の間に彼女たちを心変わりさせる手段など、この世のどこにもありはしない。
ぼくはそんなことを軽く語ってから、フランシスの胸を叩く。
「やってみるだけなら自由だ。研究者だから、試したくもなるだろう。悪魔の教育なんて初の試みだろうからね」
「悪魔をこの手で育てるなど、とんでもないことではありませんか。人間として許され……いや、彼女たちはそうでしたね……」
フランシスは彼女たちが悪魔だということを忘れていたかのような反応で後ずさる。
恐るべき悪魔の魔力を誰よりも見ている彼でさえ、このザマだ。あの2人がどれだけ悪魔離れしているか、はっきりとわかるね。
……人にしか見えず、人の中で暮らせてしまうからこそ、ちょっとした奇行が目立ってしまうのだろう。愛し合う行為を奇行と呼ぶのは、胸が痛いけど。
フランシスは優柔不断そうに悩みながらも、ちらりと会議室に続く扉を見て、結論を出す。
「僕が決めることじゃないのは、確かですね」
「そう。悪魔の処遇を決めるのは、辺境伯だ」
ニーナはアンジェ達と積極的に関わろうとしてくれている。身内として取り込もうという意思を、わかりやすく示してくれている。
……ニーナはアンジェのことを嫌っているみたいだけど、2人が夜にしていることを知ったらどう動くかな。
「(ニーナは今、何を考えているんだろう。機械の体だけど、興味が湧くことはあるのかな……)」
今度会ったら、お茶会に誘おうかな……。
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《ナターリアの世界》
「暇……暇あ……」
あたいが退屈を持て余していると、こつこつと部屋の扉が叩かれる。
お貴族さまの屋敷ともなると、扉の開け方ひとつ取り上げても気品に満ち溢れている。使用人さんの教育が行き届いているんですなあ。
あたいはなんと返事をしたものか迷いながら、か細く声を上げる。
「なんの御用でしょう」
「内密である!」
するとさっきまでの丁寧なやりとりはなんだったのか、勢いよく扉が開かれ、すぐに閉じられる。
いや、乱暴に開けられたように見えて、音が無い。あたいが知らないだけで、結構な高等技術だったりするんすかね? お貴族さまの文化はちーっともわかりません。
あたいが目をぱちくりさせていると、入ってきた大きな女性は足音ひとつ立てずにあたいの側ににじり寄ってくる。
見上げるほど背が高いし、布が擦れるほど派手な服を着ているのに、なんとまあ流麗な動きだこと。高貴な立ち振る舞いに影響されて、あたいもお嬢様口調になってしまいますわ、おほほ。
……すみません。混乱してるだけです。
「貴様をなんと刻むべきか、鉄の牢獄に包まれし我が中枢に問いかけてみよう!」
目が覚めるほど赤い髪。耳によく通る美声。まるでお人形みたいにつるつるのおでこ。
たぶんこの人は、辺境伯のニーナさまだ。見間違えるはずがないんすけど、ここにいるはずがないと思って、しばらく反応に困ってしまいました。失敬。
あたいは両手足の自由がない状態でどう敬意を示すべきか迷い、頭だけで会釈をすることを選ぶ。
「え、えーと、お目通り……えっと、お会いできて、光栄です、ニーナさん……あ、ニーナ、さま?」
「ふむ。貴様をメジロと呼称する」
さっそく愛称をつけられちゃいました。
気に入られたのか、それともお貴族さま特有の文化なのか……誰か説明してください。
あたいは困惑を顔に出さないように気をつけつつ、仁王立ちしている辺境伯を無言で見つめる。
「…………なんだ、メジロ」
なんだと言われましても、あたいから話しかけるのは礼儀がなってないと思われそうで……。話したいことは山ほどあるんですけど……。
ニーナさまは首を傾げてあたいをじーっと眺めています。
挙動がいちいちあざといっすね。見た目の第一印象からは想像もつかないほど可愛らしい。
やがてニーナさまは少しずつあたいに顔を近づけながら、話を切り出してくる。
「メジロよ。貴様は魔なる土台であるか?」
「ぴえ?」
魔なるって……あたいも悪魔なのかって聞いてるんすかね、これ。
確かに、あたいの周りは悪魔ばっかりですけど……ドリーちゃんという悪魔と強く結ばれてますけど……たぶん違うはず。
悪魔かどうかって、見る人が見ればわかるらしいですし。あたいは素の状態では悪魔だって言われたこと無いですし。
「あたいは人間っす」
「ふむ。そそられる。人を霊長たらしめる真髄とは何か。表皮は希薄、されど何色にも染まることのない布である」
「はい?」
ニーナさまは庶民のあたいにはよくわからないことを呟いた後、指先まで意識が行き渡った綺麗な動作で椅子を持ってきて、腰かける。
「我が眼光が、おなかが、疼いているのだ。メジロの波動を解体することで、新たなる明日を線にすることができるのではないかと……」
「興味があるってことすか? あたいなんかに?」
「是である」
あたいの何処に惹きつけられたのか、全然ピンとこないんすけど……。
でもこうして研究されているわけですし、学のある人たちにとってはなかなか興味深い存在なのかもしれませんね、あたい。
悪魔を生み出した人間なんて、おとぎ話にも聞きませんし……もしかしたらあたい、結構すごいのかもしれません。
ま、足元を掬われないためにも、自惚れずにいたいものです。
あたいは座ったまま上体を傾けて覗き込んでくるニーナさまに向けて、馴れ馴れしくも話しかけます。
「えっと、あたいの何処に興味があるので?」
「資材である」
「……ぴえ?」
ニーナさまは瞬きひとつせずにあたいを見つめながら、作り物みたいに綺麗な唇を動かす。
「貴様は我が未来を渡す橋であり、橋のための資材である。我が後にも道は続く。我が前にも道は続く。喜ぶがいい。貴様は礎となるのです」
……この人、おっかないことを言ってません?
いやいや。流石にあたいをぶち殺して生贄になんてしないと思いますけど……でも、考えれば考えるほどそうとしか思えないような……。
ある国に伝わる童歌では、何度架けても落ちる橋がありまして。村人たちは橋が落ちる原因を神の悪戯だと判断しまして。それで、若い女を生贄にしてどうか落ちませんようにと祈願したそうな。
まさかあたいを神に捧げて橋を建設するつもり……なーんて、そんなわけないっすよね。はははっ。
「メジロよ。貴様の内臓を教えよ! 我が激流にて洗い流してやろうぞ!」
「ぴえええええっ!! 殺されるぅ!!」
あたいは拘束を振り解きこうともがく。
痛い。手足がもげそう。内側から肉が剥がれて骨だけになりそう。でも、こんな狂人に捕まって訳の分からない儀式の生贄にされるよりマシです。
「頭のおかしい貴族に内臓を洗われる! そんなの嫌だ嫌だ! あたいは人並みに人を好きになって明るい家庭を築くんだい!」
ニーナさまは取り繕った振る舞いを忘れて、ガタリと音を立てながら立ち上がり、部屋の外に出ていく。
「潔白なる手を持つ祈り手達よ! この部屋の核を清めたまえー!」
きっとあれは、ニーナさまの姿を模した悪い奴に違いない。いくらなんでも、あんな奴がこの街の領主であるとは思えない。
……あれ? でもビビアンちゃんと再会した夜に見たニーナさまも、あんな雰囲気だったような。お茶会で見たニーナさまも、発言がよくわからない人だった記憶があるような。
……気のせいっすよね。あんなに物騒なことを言う人じゃなかったはず。あのニーナさまは訳がわからないけれど、優しくて面白い人でした。
「ふーっ、ふーっ……脅威は去った……はず」
あたいは血が滲んだ手足の痛みを堪えながら、頭を振って流れっぱなしの涙を吹き飛ばす。
この状態じゃひとりで涙も拭えません。乙女としてあるまじき事態ですよ。
次の瞬間、ビビアンちゃんが血相を変えて部屋に飛び込んでくる。
あたいの危機に駆けつけてくれるなんて、良い子じゃないですか。ああ、やっぱりあたいにはもったいないっすね。
「もーっ。ニーナは相変わらず不器用だなぁ」
「群青。これは悲劇という名の狂い咲きである」
「言い訳しない!」
その背後には、なんとあのニーナさまもどきが。
心なしかしょんぼりしているようにも見えますが、あたいの目はごまかせませんよ。どうせ口を開けば、あたいの臓物を抉るだの川に流すだの、とんでもない計画が飛び出してくるに違いありません。
ですが、ビビアンちゃんはその容姿に騙されてしまったのでしょう。ここはあたいが注意喚起しなければなりません。
あたいは声を張り上げて、ビビアンちゃんの身に迫る危険を排除します。
「ビビアンちゃん! 後ろーっ!」
ビビアンちゃんは油断なく振り向く。
ニーナさまもどきも素早く振り向く。
ん?
「いや、あの……その人が危ないんすよ。偽物っすよたぶん。あたいを生贄にするつもりだって……」
あたいが顎でニーナさまもどきを示すと、ビビアンちゃんはわざとらしく肩をすくめて、そいつの赤い服を肘でどつく。
「ああ……こいつが危ないのは言動だけだよ」
「慈悲を求む」
……ひとまず、事情を聞くことにしますか。仲が良いのは確かみたいですし。
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《ナターリアの世界》
話によると、ニーナさまは普通の会話ができないとのこと。そのせいで貴族社会でも日常生活でも不便を強いられているのだそうだ。
言動が怪しすぎて勘違いしてしまったけど、向こうにもそれなりと事情があったというわけで。いやー、あたいったらまたやらかしちゃいましたね。ははは。
「すみませんでした!!」
あたいは土下座できない身の上なので、せめて声を出して誠意を表明する。
卑屈に。へりくだって。自らをどうしようもなく小さな存在に見せる。
だって、それくらいしか償う方法がないので……。
「辺境伯を前に平民ごときが妙な口をきいてしまい、本当にほんっとうに、申し訳ありませんっした!!」
「メジロ……。負の側面は順風にこそある」
ニーナさまが口を開くと、すぐさまビビアンちゃんが解説する。
「私が悪いってさ」
「滅相もございません! あたいが、あたいがお貴族さまに罪を押し付けるなど、そんなことは決して!」
「あー、ナターリア。ニーナは割と物分かりがいい人だから、そんなに気にしなくていいよぉ」
ビビアンちゃんは隣にいるニーナさまが恐ろしくないのか、ぺちぺちとその背中を叩きながら大爆笑している。
昔のあたいとのやりとりでも見せなかった、ずいぶんと気さくな仕草だ。きっと仲良しなんだろう。
「人前ならともかく、こういう場所ならこいつに全部押し付けて大丈夫。今回なんて、十割この馬鹿のせいなんだから、ナターリアが謝る必要なんかないよ」
「それ、本当っすか?」
「ほんとほんと。ね、ニーナ?」
ビビアンちゃんが圧をかけると、ニーナさまはこくこくと首を縦に振る。
「猛き炎の作用である」
「はい?」
あ、変な声でちゃった。ニーナさまの発言が突拍子もなさすぎて……。
ビビアンちゃんは面白そうにニヤニヤ笑いながら、わかりやすく通訳してくれる。
「私がやらかしただけだから、気にしないでってさ」
よく理解できるなあ……。よっぽどお貴族さまに慣れ親しんだようで。
すっかりお貴族さまになってしまったビビアンちゃんは、それでも昔のようにケラケラと笑って、あたいに微笑みかけてくれる。
「いひひひ。ねえ、ナターリア。暇な時、ここに来て話をしたいってさ」
「えっ……それはビビアンちゃんもってことすか?」
「残念ながら、ぼくは忙しいからねぇ。たまにしか来れないと思うよぉ」
ビビアンちゃんがいなければ、ニーナさまのお言葉を理解できないと思うんすけど……。
ニーナさまはあたいの困惑を察して、手の内側に水で文字を書いて伝えてくれる。
「これ『筆談できる』って書いてあります?」
ニーナさまは嬉しそうに何度も首を縦に振り、肯定している。
字が下手くそすぎて、解読が難しいっす。でもさっきみたいな訳の分からない言葉を聞かされるよりは、まだなんとかなるか……。
その時、あたいはふと気になって、ニーナさまに尋ねる。
「あのー、ニーナさま。超失礼な質問なんですけど、聞いても大丈夫ですか?」
「時報が如き産毛の心拍である」
「あー、不穏な前置きで身構えてるってさ。どうぞ」
あたいは真剣みが増したニーナさまの表情に緊張感を覚えながら、顎を引いて疑問をぶつける。
「ニーナさまって、どうして喋れないんですか?」
聞いてよかったのかわからないけど、どうしても気になっちゃいまして。うーむ、調子に乗ってしまいましたかねえ。
すると、ニーナさまは額に手を当て、悲しそうに上を向いて……そのままの姿勢で答える。
「我は金属の輝きによって組み上げられている。故に我が芯の部分は、正確にその温度を調整することが難しいのだ」
「おお、今回は頑張ったね。だいたい今言った通りの意味だよ」
「すみません……学がないので通訳してもらわないとわかりません」
恥を偲んで申告すると、ビビアンちゃんはより平易な言葉に置き換えて話してくれる。
「ニーナは全身が機械でできている。これは知ってたかな?」
「まあ、はい。にわかには信じられないんすけど」
「うふふ。秋のネジ拾い」
あたいの反応を見て、意外にも年頃の少女のような笑みを浮かべているニーナさま。彼女をよそに、ビビアンちゃんは解説を続ける。
「生身の部分は、ほぼ無い。脳だけだ」
「……脳みそ以外、みんな金属なんすか?」
ニーナさまは真面目な顔で一度だけ頷く。
頷いた首も、綺麗な顔も、全て作り物だって?
……確かに、綺麗すぎる感じがする。人肌はもっと繊細なものだから、艶々させるのは難しくて……。
服の下も全部魔道具なんでしょうか。脱いだら全部が全部、金属で……。自分の手も脚も、もはや存在していなくて……。精密魔道具でしょうから、魔法使いの人による整備も必要なはずですよね……?
今のあたいより大変な状態じゃないすか。
「そういうわけで、脳が頑張って機能を果たそうとしても、思うようにいかなくてねぇ。頭に思い浮かべた言葉が、口に出す頃には捻じ曲がっていたりするわけなんだよぉ」
「是である。出口まで曲がりくねっている」
「よく生きてますね」
あたいは思わず正直かつ遠慮のない感想を放ってしまう。
だって衝撃的すぎたんですもん。こういうのがあたいの悪いところっすね。
にもかかかわらず、ニーナさまはくすくすと手を口元に当てて笑っている。あたいの失言を軽く流してくれている。
「わたくしもよく生存権を空売りしていないものだと日々嚥下しておりますもの」
ああ、いい人だ。ニーナさまは遥か目下のクズが牙を剥いても、聖母のような笑みで頭を撫でてくれるんだ。
……待て、あたい。また推しを増やすつもりか。いくらなんでも手が早すぎるぞ。というか、許されないぞそれは。目上すぎる。
ごく健全なお友達でいよう。そうしよう。距離感を見誤るんじゃない。
ニーナさまは服の内側から布でできた指人形を取り出して、あたいに見せびらかしてくる。
妖精さん。勇者くん。魔法使いちゃん。彼らの人形を指にはめていく。
「ほつれが正しくなったところで、我が指でもちもちしますね」
可愛い。この人の中身、思った以上にほんわかしてる。癒し系だ。
あたいはニーナさまの指人形による劇を見ながら、しばらくほっこりとした時間を過ごす。
眼福。至福。幸福。ああ、そうだ。これが友達だ。
あたいは童心にかえり、楽しんだ。ニーナさまが辺境伯であることを忘れるほど熱中してしまった。
あたいはまだまだ、人に与えられる立場でしかありません。しかし、このままでいたくもありません。
どうすれば、大切な人たちの役に立てるのか……この療養期間で考えてみますか。




