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第73話『専門分野に投げ石ひとつ』

 《ナターリアの世界》


 怖い。

 その部屋に入ってあたいが最初に感じたのは、恐怖でした。


 初老の男性から、年老いた婦人から、背の高い女性から、とめどなく敵意が溢れてくる。

 情け容赦、一切なく。遠慮なんかつゆ知らず。目の前のあたいを断罪するべく、怒りを露わにしている。


 いや、まあ、そうっすよね。当たり前ですよ。この街をめちゃくちゃにした張本人なんですから。街を治めるお貴族様たちから嫌われるのは当然です。


 この街を治めるピクト家の面々にあたいが呼ばれた理由は、ただひとつ。先日あたいとニコルさんが起こした事件について尋問するためだ。

 ……あたいが向こうさんの立場だったら、殺処分も検討するところですかねえ。


 それでも、あたいは足掻くことにします。

 あたいは弱いです。でも弱いなりに、根性を見せなければなりません。

 ドリーちゃんを守れたら御の字ですけど、あの子もあれで覚悟は決まってますから……もしかすると、あたいが逆に庇われちゃうかもしれませんねえ。


 あたいは跪いたまま、顎を上げます。

 大きな窓から差し込む逆光を纏い、睨みつける貴族たち。財力も武力もあたいとは桁違いの、別世界を生きる人たち。


 あたいの口先は大したことありませんが、やるだけやってみましょう。後でビビアンちゃんやドリーちゃんが呼び出されることを考えると、嘘は良くないでしょうね。


 あたいは事件を起こした理由を正直に白状することにしました。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


「そして、5年の労働で償うことになったわけね」


 騒動の3日後。

 ぼくはナターリアを自室に招き、適当な茶を出しながら事情を聞き出している。

 何故かニーナも一緒だ。曰く、ニーナなりに新参者たちと仲良くしたいのだとか。


 ナターリアは貴族を前にして窮屈そうにしているけど、我慢してほしい。ニーナはこう見えていい人だから。


 騒動の中心となったナターリア、ニコル、エイドリアンは、5年ほど実験台になることで罪を償うことになった。

 ただの気まぐれで街を破壊したニコルが一番重い罪を背負うべきだと思うけど、計画を立てたのはナターリアだし、エイドリアンは悪魔で心証が悪いし、結局一律で同じ罰になった。


 ……研究者であるぼくとしては、手元に置いて守れるからいいんだけど、ちょっと納得がいかない結末かな。

 本来は物を壊しただけなら罰金を払えば済むはずなんだ。5年も自由を奪うなんて、いくらなんでもやり過ぎだ。


 ぼくは秋が深まる今の時期によく似合う、枯れ葉色のお茶をゆっくりと飲んでいる。

 味は香ばしく、ちょっと渋い。あんまり好きじゃないけど、たまには悪くないものだ。


 ぼくはナターリアにもお茶を勧めつつ、ぼやく。


「いくらなんでも5年は長いよ。ニコルはお金を持ってるし、罰金なら十分に払えるはずなのに」

「それは我が家の膿が執行するところである」


 ニーナは適当に本を読んでくつろぎながら、ピクト家の一員として、今回の裁決に至った裏話を語ってくれる。


「価値を安く買う。それは商いの者どもであっても、正座して迎えるところであるはずだ」

「ナターリアたちをここに拘束するためってこと?」

「難癖を付与して死の瞬間までもぎもぎさせることもあり得る」

「くそっ。()を何だと思ってるんだ」


 ぼくはナターリアに対する扱いの酷さに憤慨する。


 魔物のぼくでさえ働けば正当な対価を受け取ることができ、実力を示して出世することだってできるというのに、ナターリアは罪人という理由で一生ただ働きを強いられ続けるのだ。許せない。


 するとナターリアは茶器をゆらゆら揺らしつつ、いつもより調子が悪そうな口調で嘆く。


「あたいは魔力も無いしお金もないので、実験体にならないと償うことさえできないんすよ……。だから、これでもマシな方っすよ。衣食住は確保してくれるみたいですし、へっちゃらっす」


 悲しいことを言わないでくれよ。ナターリアは自分を卑下しすぎる癖がある。ただでさえ苦しい立場なのに、仲間を作って自分の権利を主張しなかったら、どうなるものかわかったもんじゃない。

 最悪の場合、悪魔に恨みを持つ奴に使い捨てにされるかもしれない。


「(貴族相手でも、時には臆さず主張しないとダメだぞ)」


 ぼくはナターリアの痛々しい左腕を見つめながら、乾いた茶菓子に手を伸ばす。

 小麦粉のパサパサした味わいが、口の水分を奪っていく。ほんのり苦味のあるお茶を流し込むと、落ち着いた後味がちょうどいい。やっぱりお茶は単体で評価するものじゃないね。


 ……だというのに、ナターリアはお茶を飲もうとしていない。茶菓子にも手を伸ばそうとしない。こんなにも良質なものを用意したというのに。


 ぼくは茶器をいじりつつ、それとなく勧めてみる。


「茶葉はまだ余っているね。在庫も十分だ。ありすぎるくらいかもね」


 飲んでくれた方が助かるから遠慮はするな、という意味だ。

 でもナターリアは冷めたお茶に映った自分の姿をぼんやりと眺めている。無事に開いている右目だけで。


 ぼくは義手の魔法で茶器を温めながら、また勧めてみる。


「茶会は楽しいね。夕食まで時間があるけど、退屈を忘れられそうだ」


 先は長いから胃に物を収めておけ、という意味だ。厳密にはもうちょっと色々な意味があるけど。

 でもナターリアは俯いたまま口を開こうとしない。


 ぼくは苛立ちを抑えきれず、手のひらで机を叩く。


「そろそろ飲めよ! いつまで沈んでるんだよ!? 捨てるために淹れたわけじゃないぞ!」

「ぴえっ!?」

「ナターリアのために用意したんだ! 味わって感想を言え! さあ、さあ!!」


 ついカッとなってしまった。いかんいかん。

 ナターリアと一緒にいると、昔に戻ったような気分になる。感情の赴くままに生きていた、あの頃に。


 ナターリアはようやくお茶に口をつけて、おそるおそる舌に乗せる。

 しばらく含んだ後、何か悟りを得たような無表情で固まり、やがてゆっくりと喉を鳴らす。


「美味しい」

「ふふん。でしょ?」

「風味があたい好みっす」


 気に入ってくれたようで何よりだ。ぼくがナターリアのために選んだお茶だから、喜んでくれたらとても嬉しい。


 ぼくは頬が自然と持ち上がっていくのを感じる。さっきまで怒っていたというのに、我ながら忙しないことだ。


 ニーナはぼくの方を見て、何か言いたげにもじもじしている。

 貴族らしくない振る舞いをした方が喜ぶ人なんだけど、ナターリアと親しげにしていると、なんだか複雑そうだ。何故だろう。


 ぼくはニーナに話を振ってみることにする。


「ねえ、ニーナ。減刑ってどうすればできる?」

「目指す地がどの道の先にあるか。それが問題だ」


 減刑する目的か。それは言うまでもなく、ナターリアの自由のためだ。強制的な労働から解放し、またいつでも旅に出られる立場にするためだ。


 ぼくは茶器を傾けているナターリアの方を見る。


「ぴえ?」


 ナターリアは小鳥のように鳴いている。

 そうか。ニーナの言葉がわからないのか。通訳をしないといけないね。


 ぼくはナターリアに向けて、問いを投げかける。


「ナターリアは、また旅に出たい?」

「ニコルさんにとってはアンジェちゃんに会うため、あたいにとっては安住の地を求めビビアンちゃんに会うための旅だったので、目的は果たしちゃいました。だからどうでもいいっす」


 あ、そうなのか。だったら今の立場のままでも……いや、駄目だ。ピクト家に逆らえないし貯蓄もできないのは、良くないよね。


 ぼくはナターリアにとっての弱点を探るべく、最も有力だろうエイドリアンのことを話題にする。


「じゃあ、ドリーちゃんはどう思ってるかな?」

「今のところ、旅が好きになったって感じではないっすね。ここで暮らしたいかどうかは、まだわかんないっす」

「そっか。あの子にはここを好きになってもらいたいな……」

「ふーん。なら、こういう美味しいものをたくさんあげればいいと思いますよ。ドリーちゃんは未知に飢えてますからね。あたいではなく、ドリーちゃんが」


 ナターリアは茶菓子に手を伸ばし、目をきらめかせながらサクサクと頬張っている。

 そうそう。それでいいんだ。たんとお食べ。


 エイドリアンの扱いはぼくも気になるところだ。あの子の扱い次第では、ナターリアの態度も変わるだろう。そのうちここを出て行きたいと思うようになるかもしれない。


「(あれ……? ぼくはナターリアに出て行ってもらいたいのか?)」


 ぼくは一瞬、自分が何を考えているのかわからなくなる。

 ナターリアの幸せを思っているはずなのに、ナターリアと別れることを嫌がっている。矛盾しているではないか。どっちがぼくの本心だ?

 ナターリアの罪を軽くし、その上でナターリアと共に暮らすのが、ぼくにとっての最善なのか?

 ……それではまるで、ぼくが寂しがり屋になったみたいじゃないか。友達と離れ離れになりたくないだなんて。


 ぼくはこんな人だったのか?

 以前にナターリアと仲良くしていた時は、もう少し単純で、カラッとしていたような気がするんだけど。


「んみぃ……」


 ぼくは自分自身を誤魔化すかのように、お茶の味わいに逃げる。

 さっきよりほろ苦い。茶葉が下に溜まってしまったか。らしくない失敗をした。


 ニーナは本から目を離し、ぼくの方をじっと見つめ続けている。

 その美しい目が、今はなんとなくむず痒い。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 騒動が収まってから、5日後。

 私は多忙な生活から解放されて、ようやく一息ついている。


 ここ数日ほど、私は無数の触手を大規模に操って、壊してしまった建物をひとりで修繕していた。マーズ村で大工さんを手伝った経験が活きてよかった。

 ここの建物は頑丈なものが多くて、思ったより時間がかかってしまった。何日も家から追い出された人々に申し訳なく思う。


 ……さて。今の私の話をしよう。


 私はアンジェと相部屋になった。屋敷の中では比較的狭い方の部屋を更に分割しているので、かなり扱いが悪いと言える。

 でもマーズ村の宿よりは広いし、まったく気にならない。

 家具は古物。日当たりは最悪。それでも安心して眠れるというだけで、住む場所としては上々だ。荷物と自分たちの体を置く場所さえ確保できれば、十分。


 私は昨晩アンジェに慰めてもらった名残を愛おしく掃除しながら、まだ眠っている彼女の頬に口づけをする。

 柔らかい。肌の弾力が唇を優しく受け止めて、私にこそばゆい快楽を与えてくれる。


「……したいなあ」


 眠っている隙に愛でてもいいかな……。

 いや、やめておこう。アンジェは起きた後大喜びするけど、私は罪悪感に苛まれるから。


 私は服を着替えて、扉のそばに立つ。

 ひとりで行動することは許されていない。使用人を伴うか、ビビアンたちに監視されていないといけないんだ。

 でも蝶で探って使用人さんの動きを把握しているから、私はすぐに屋敷の人と合流できる。


 しばらくアンジェの寝顔を見つめながら待っていると、今日も時間ぴったりに扉が叩かれる。彼らの動きが規則正しいからこそ、予測できるのだ。


 私はすぐに扉を開けて、使用人さんを出迎える。

 開口一番、挨拶。


「今日もよろしくお願いします」

「はい。こちらこそ」


 私たちに付けられた使用人さんは、おっとりとした茶髪の人だ。名前はリン。私より倍くらい年上だ。

 遠い祖先に悪魔の血が入っているらしく、角と尻尾が生えている。とはいえ、偏見の目に晒されながらも人間として生まれ育ち、人間を自認しているらしい。


 そんな人が領主さまの館に仕えていて、悪い噂が立ったりしないのかと心配になるけど……どうやら偉い人たちはそれも織り込み済みらしい。


 リンさんから聞いた話だと、貴族たちには何かしらの思惑があるらしい。特にピクト家は魔物や悪魔への敵意を減らしたいと考えているのだとか。


「(魔物と戦う領地。魔物を嫌う人間がたくさんいるはずなのに、ビビアンを含め、何故か魔物混じりの人がチラホラ見られる……)」


 扉を閉めた私は、長い廊下を歩きながら、リンさんに尋ねてみることにする。


「ビビアンや私たちを高待遇で迎え入れたのは、何故なんでしょう。魔物との融和を考えているからでしょうか」

「うーん。上の人の考えはわかりませんけど、融和はしないと思いますよ。だってアレらは敵ですし」


 リンさんは蠱惑的で瑞々しい口元に楽観的な笑みを浮かべる。


「私の生活を守ろうとしてくださっている……。それだけでこの家に仕える理由は十分です。思惑が何であったとしても、私は詮索しませんし、興味もありません。だから、答えられません」

「……なら、これから街を自分の目で見て、判断します」

「そうですね。それがいいと思います」


 本当に何も知らないのかは微妙なところだけど、とにかくリンさんからは深い話を聞き出せそうにない。とっかかりを得た程度に受け取っておこう。


「(敵意は感じない……でも……)」


 私は先を行くリンさんの揺れる尻尾を見つめ、この領地の不審さに警戒心を強める。

 私が心配性なだけならいいんだけど……。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私は研究室にやってきた。刑罰を兼ねて実験台になるのだ。


 リンさんとは一旦ここでお別れだ。彼女はやるべきことがたくさんあって忙しいのだ。棒立ちで私を待っているのは時間の無駄だし、仕方ないね。


 周囲にいるのは医者、魔道具技師、魔物の専門家に魔力の専門家。

 紹介があったからなんとかわかるけど、そうでなかったら判別がつかない。魔物の専門家の人はちょっと強そうだけど……。


 それにしても、魔力の専門家ってなんなんだろう。他はともかく、この人は何をする人なのか、想像がつかない。

 私がそばにいるビビアンに尋ねると、彼女は何やら部下らしき人たちに指示しながら、片手間で私に教えてくれる。


「魔力の抽出、分離、分析、投与……そのほか色々な役目があるよ」

「どうも」


 魔力の専門家を名乗る痩せた男性が、私に頭を下げる。

 私も釣られて頭を下げる。作り笑顔を添えて。


 彼は忙しそうなビビアンから解説役を引き継ぎ、私に今回の実験を教えてくれる。


「まずはあなたの魔力を吸い取ります。その後、雑多な要素を取り除き、標本とします。今日やることはこのくらいですね」

「雑多な要素とは?」

「息を吸って物を食べるでしょう? すると、それらの魔力が混ざるわけで……」

「なるほど……」


 流石は研究者だ。ズボラでいい加減な私には務まりそうにないなあ。


 魔力専門家は私を椅子に案内して、座らせる。

 ごてごてとした機器が幾つもくっついた、仰々しい代物だ。


 私はおそるおそるそれに腰掛けて、おとなしく器具を装着される。

 拘束具のような見た目だ。きっと機能もそれに近いのだろう。


 だんだんと怖くなってきて、私は血の気が引いていくのを感じながら質問する。


「もしかして、痛いんですか?」


 専門家の人はしばらく間があった後、冷たいと感じられるほどの無表情で、口を開く。


「個人差があります」


 答えになってない。もう少し詳しく教えてほしい。このままでは覚悟ができないから。


 私は彼が立ち去る前に全てを明らかにするべく、もう一度口を開く。


「一番楽だった人と、一番大変だった人の反応を教えてください」


 彼はだいぶ長い間考えた後、奥歯に物が挟まったような口調で答える。


「楽な人は、痒みさえ感じません。魔力が多いほど体への負担が少ないので。大変な人は……痛みで大暴れしたり……しばらく寝込んだり……」


 基本的に魔力が多い悪魔なら、それほど苦痛を感じないはず。念のため、確認しておこう。


「悪魔は……どうなるんです?」


 私の疑問に、彼は暗い顔で答える。


「それにはっきり答えられるほど、悪魔を検査できていないんですよ……」


 ……なるほど。何が起こるかわからないから、軽々しく安心させることもできないのか。研究者らしい。


 彼は機器の検査を終えて、他の人に報告しに行く。

 機器の状態や拘束に間違いがないかどうか他の人も軽く点検して、足早に去っていく。


 みんなが申し訳なさそうな顔をしているのは、気のせいかな。気のせいじゃないね。雰囲気が暗いし。


 はい。順調に背筋が凍ってきましたよ。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 だいぶ長い間待たされた後、ようやく魔力を抽出されることになる。


 厨房と連携して私のここ数日間の食事内容が管理されていたようで、それらに含まれる魔力を機器に覚えさせる作業があったようだ。


 側から見ているだけで結構な手間がかかっているのがわかる。食事抜きにしてもよかったはずなのに、私が人間らしく食事を楽しめていたのは、ここの人たちのはからいだったらしい。


 もしかして、ピクト家っていい人たちなのでは?


「(いや、安心するのはまだ早い)」


 私は集団で取り囲んでくる専門家たちを前に、口をぎゅっと結んで気を引き締める。


 魔力の専門家の指揮のもと、技師が機械を観測し、医者と魔物の専門家が不測の事態に備えている。


 私は魔力の専門家が何か妙なものを手に持っているのを見る。

 細い針がいくつもついた、手鏡のような形の物体。あれを私に押し当てるのかな。


 周りから人が引いていく。怖がっている人もいる。

 そんな反応しないでよ。恐怖が、恐怖が湧き上がってくるじゃないか。ああ、もう。


 私は目を閉じて、奥歯を噛み締める。

 どうか痛くありませんように。


「うう……」


 ………………だが、何も起きない。

 焦らさないでほしいんだけど。早く終わらせて。


「終わりましたよ」


 魔力の専門家の声が響いてくる。

 何処か困惑したような、調子の抜けた声だ。


 ……ん?

 終わったの?

 何もしてないのに?


 私はゆっくりと目を開き、状況を確認する。


「お疲れ様でした」


 魔力の専門家はやっぱり混乱している。ちらちらと器具の方を確認して、技師の人と目配せをしている。


 彼のそばにある針まみれの魔道具を見ると、大量の液体が詰まって膨らんでいるのがわかる。

 私の体から何があんなに飛び出したというのか、さっぱりわからない。いや、たぶん魔力なんだけどさ。魔力が出たんだろうけど、確信が持てない。


 私は他の人の様子も見る。

 技師はため息をついている。魔物の専門家はつまらなそうにしている。お医者さんは頷いている。

 ビビアンは……爆笑している。なんでだろう。


 拘束具が外される。

 あっさりと。何の意味を果たしたのかもわからないまま。


「どうなったんです?」

「必要になったらまた採りますよ」


 魔力の専門家は、ほんのりと微笑みながら私の魔力に向かっていく。

 新しい研究材料に興奮しているように見える。そんなに凄いものなのかな。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 さて。

 ぼくは今、実験の総合的な指揮をとる立場として、研究者たちと話し合っている。


 専門は魔道具だけど、各分野に多少は広く浅い知識を持っているから、話が通じるのだ。こう見えて、ぼくは結構博学なのだよ。


 彼らは頭を抱えているか、微妙な表情でぼくの様子を窺っているかのどちらかだ。

 まあ、あれを見てしまったらそういう反応にもなるよね。

 絶大な魔力を持つ悪魔のぼくでさえ、あれほど早く容器を満たすことはできない。何の痛痒ももたらすことなく採取が終わるのは前代未聞だ。


 魔力の専門家は機器にかけて魔力を分離しながら、ぼくに前提条件の確認をとっている。


「あれは一体なんなんですか。元人間の悪魔とは、あれほどまでに強大になるのですか」

「しかし、リンさんはそうでもないですよね。ああ、あれは先天的なものですから、比較対象としては微妙でしょうか」

「関連性があるかどうかはわからないけど、気になる情報がひとつあるよ」


 ぼくはニコルの生まれ故郷であるアース村についての話を切り出す。


「ニコルの生まれはアース村だ。これに聞き覚えのある人は……いないだろうけどね」

「特有の魔力異常が発生しやすい区域なのか?」

「その地の文化に影響されているやもしれん。幼少期の食事が魔力の発達を促すという研究結果があるぞ」

「いや、そうではないんだ」


 議論を始めようとする研究者たちを制して、ぼくは告げる。


「アース村は別名『英雄の村』。かつての英雄が隠居する際、はべらせた女どもを連れ込んでできた村だそうだ」

「不健全だが、それで村として成立していたなら……何も言えないな」


 この場に歴史学者がいれば、興味深いと言わんばかりに身を乗り出しただろうが……この領地の歴史学者は今お留守で、この場で歴史や文化に一番詳しいのはぼくという体たらくだ。


 仕方がないので、ぼくは彼らが興味を示しそうな言い方で続きを述べる。


「つまりは、初代村長である英雄の血を、村全員が継いでいるというわけだ」

「……それは、狭い村であればどこでも起こりうることでは? ひとりひとりに含まれる血は大した割合ではないだろう」

「そうでもないよ。何せ引退する歳になってから何十人もの女と引きこもる業の者だ。実子だけで100人は超えるだろう。下手するとその倍はいるかも」


 皆がざわつく。


「ずいぶん豪の者だな」

「人類史上最多ではないか?」

「たぶんね。そして、アース村は人の行き来が少ない辺境にあった……。この意味がわかるね?」


 医者の代表として来ている男が、がたりと音を立てて立ち上がる。


「血が濃いのか」

「その通り。ニコルとアンジェは、おそらく……英雄の生まれ変わりと言えるほど、血が濃いのだろう」


 英雄を慕う者たちが築いたマーズ村には、事実に近い伝承が残されている。

 代々の村長と長老にのみ明かされる、とっておきの秘密なんだけど……ぼくは潜入と魔道具の解除が得意だから、つい忍び込んで鍵開けして、伝承を盗み見ちゃったことがある。好奇心ってやつだね。


 英雄が連れ込んだ女は50人を超える。ただの人間はもちろん、なんと強大な悪魔まで。体や能力に違いはあれど、英雄は全員を妻として愛したそうだ。なんともまあ、贅沢な奴である。


 そんなことになってしまったため、やがてアース村にはある掟が生まれた。すなわち『村人の子供は村の子供』である。

 これは親の関係性を子に継承させないための法律であり、英雄亡き後も妻たちが喧嘩をしないための縛りであった。

 これのおかげで、英雄はその狂った所業にも関わらず、子孫たちに囲まれて穏やかに寿命を全うし、残された妻たちは村のために尽くし続けたという。


 まあ、全ては過去のこと。そのうちアース村から出て行く人が現れて、マーズ村からも人が入るようになって、アース村の狂った恋愛観は徐々にまともになっていったそうな。


 ぼくが英雄に対して言えるのは……きしょい。ただそれだけだ。


 ……まあ、この研究者たちにそこまで詳しく伝えるつもりはないけどね。ぶっちゃけ恥だし。ぼくは墓場まで持っていくつもりだよ。この話を広めないために秘密として隠蔽してるんだろうし。


 ぼくが伝えるのは、もうひとつの秘密だけ。


「その英雄とやらが、何を成した人物か……当ててみてください」

「ここにいる全員、手がかりのない問いは苦手だ。もったいぶらずに答えを言いたまえ」


 筋肉質な魔物の専門家が、幾度となく戦場を共にしたぼくに向けて急かす。

 まあ、流石に意地悪な質問だったか。推測はできると思うんだけどね。


 ぼくは満を持して、高らかに答えを発表する。


「アース村の英雄は、先代魔王を討ち取った人物だ」

「魔王を!?」


 ニコルから採取された魔力が、窓の光を受けて七色に輝く。

 英雄そのものであることを誇るかのように。


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