第71話『比較的歴史の浅い英雄たち』
《ナターリアの世界》
あたいは泣き止んだ後、女使用人のドーナさんとガタイの良い老人のクロムさんに頭を下げる。
このかっちりした服を着た人たちがどういう立場なのかはわかりませんけど、まずはお騒がせしていることへの謝罪が必要でしょう。アンジェちゃんがこの街でお世話になっているなら、立場が悪くなるようなことは避けたいものです。
あと、事情を説明すれば、減刑の余地ありと判断されたり……あるいはニコルさんにはお咎めなしになったり……と、そんな希望があるかもしれない。
薄氷のような希望ですが……懇願してみます。
「あたいはビビアンちゃんの友達なんです。この街に来る前、ソーラ領であの子と出会って……それで最近ここで生きているって知って、どうしても会いたくなってしまって……」
「あなたのような方が知り合いにいるとは、初耳ですね。最近は親戚を騙る者も多いので……」
ドーナさんは堅物そうな目つきであたいを睨んでいます。
怖い。あたいの命なんかなんとも思ってなさそうな目ですよ。殺されそうなほどの威圧感が、あたいの行動を制限してきます。
それでも、ビビアンちゃんが日頃お世話になっている方々が、血も涙もない人たちとは思いたくありません。
「お願いします。群青卿に会わせてください。向こうで起きている騒動は大したことありません。危害を加えるつもりは無いんです。本当ですよ。あたいたちは人間の味方です」
あたいの発言に続けて、アンジェちゃんがハッと何かに気がついた様子でクロムさんに詰め寄る。
「そうだ。オレもその件で呼ばれたんですよ。戦場で何かが起きてるって。何がどうなってるんです?」
どうやらアンジェちゃんも全てを知っているわけではないらしい。さっきここについたばかりって感じですからね。
……あらゆる知識を手に入れられる魔法でも、それは知ることはできないんでしょうか。万能ってわけじゃないんですね。
生きて帰れたら、本人に仕様を聞いてみましょう。生きなければ。頑張ろう、あたい。
クロムさんは戻ってきた男の兵士2人に素早く事情を説明してから、何か相談を始める。
あたいたちの扱いをどうするべきか、考えているんでしょうね。
今のビビアンちゃんは群青卿と呼ばれる大英雄で、ピクト領の主力のひとり。それに会いたいと言い出しているのは、よくわからない平民と、小さな悪魔。これで面会が通る方がおかしいっすね。
あたいたちの未来はアンジェちゃんの後押し次第だけど、今のアンジェちゃんはどういう立場にいるんでしょう。ビビアンちゃんと同じように戦力として期待されているのでしょうか。お貴族さまへの口利きができたりするんでしょうか。
というか、よくよく考えてみればどうしてアンジェちゃんがここにいるんでしょう。風に吹かれて散ってしまったはずなのに。偶然か……それとも必然か……。
あたいは彼らが話し合っている隙に、こちらも情報共有を済ませることにします。
「アンジェちゃんアンジェちゃん。大事な話をしましょう」
「オレも聞きたいこと、たくさんあるよ。何から話そうか」
ぴょんこぴょんこと近づいてくるアンジェちゃんに向けて、まず、あたいはここに来るまでの経緯をさっとまとめて話します。
街に居られなくなったあたいたちをお供に連れて、ニコルさんは旅に出た。アンジェちゃんが風に流されて行った方角を目指し、探しに行ったのだ。
しかし道中は険しく、アンジェちゃんの情報は何も無し。途方に暮れ、疲れ果てようとしていた。
そんな時、ビビアンちゃんの生存が確認され、我々は新たな目的を見出した。そして、ここまで遥々会いにきた。
「そういうわけっす」
「そういうわけかあ」
あたいと違って、アンジェちゃんはとても理解が早い。世界中の知識をいつでも手に入れられるっていう話が本当なら、この年齢で頭が良いのも納得ですね。
あたいはアンジェちゃんとニコルさんのために、顔を明るくして朗報を告げます。
「ニコルさんも来てるってことっすよ。今や時の人となった、大英雄のニコルさんっす」
「おお! そういえば、白き剣士の噂、ここにも届いたよ! そっかあ。時の人かあ。ニコルともたくさん話さないとね。何処にいるの?」
アンジェちゃんが目をキラキラ輝かせてあたいに縋りついてきます。
ああ、無邪気ですなあ。幼い子供というのは、どうしてこうも可愛らしいのでしょうね。
これがニコルさんの心を奪った張本人だと思うと、少し複雑な気分ですけど……まあアンジェちゃんならいいか……。アンジェちゃんは可愛くて賢くて実力もあって、きっと明るい未来を切り拓ける人だ。
それに、どんなに頑張っても、あたいは横入りした簒奪者の立場ですし。平等な競走じゃないんですよ、この恋愛は。……つらいなあ。
あたいはニコルさんがいるはずの方角に視線を向けて、彼女の身を案じる。
戦場にいるはずなんですけど、何がどうなってるんでしょう。さっきから妙に静かですけど、戦いが終わったんすかね。
「ニコルさんはあっちです。アンジェちゃんが呼ばれた騒動の原因が、ニコルさんなんすよ。ビビアンちゃんを引っ張り出すために、ちょっと暴れてるんです」
「はー。ずいぶん危ないことするね」
「ここの人たちを怪我させたりはしないっすよ? だからアンジェちゃんも、あたいに合わせてくれると助かります」
「なるほど。演目ってことか」
アンジェちゃんはあたいたちの作戦が伝わったようで、力強く頷く。
本当に理解が早い。あたいのことを心から信頼してくれてるんすね。
ああ、ありがとう。あなたのことは代々語り継いでいきますね……。生きて帰れたら。
すると、ちょうどよくクロムさんがこちらに戻ってきます。
彼らには葛藤があるようで、苦渋の決断をした直後のような緊迫感が漂っています。
彼らの視線は、主にドリーちゃんの方を向いています。
……そんなに怖いんでしょうか。可愛いのに。
「群青卿に連絡が付きました。ただいまお会いになるそうです。……こちらにどうぞ」
そしてあたいたちは、彼らの案内のもと、ビビアンちゃんがいる戦場へと向かうこととなりました。
なんとかなったのかな。アンジェちゃんのおかげだろう。感謝してもしきれません。
とりあえず、あたいは左腕を布できつく縛って、とめどなく流れ続ける血を止める。
もう戦いにはならないはずです。ピクト領の技術を借りられるなら、治療の見込みもあるかもしれない。腕を見捨てるにはまだ早い。おかえり、左腕。
あたいはここの人たちと仲良くなれることを祈りながら、軍事施設と思われる建物へと足を踏み入れる。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
……そろそろ、ナターリアが夜の街を移動し始める頃かな。
私は今、ピクト領に面する荒野で、ひたすら魔物を狩っている。
私が迷惑をかける間、軍の警備が疎かになるのは間違いない。だから横槍が入らないよう、こうして人の敵を潰しておくんだ。魔物の侵攻の肩を持つなんて、絶対に嫌だからね。
「弱すぎる……。ちょっと肩透かしかも」
私はシメンを100体、フウカを20体くらい葬った後、上空でピクト領へと降臨する準備をしている。
龍の角。龍の爪。龍の牙。龍の脚。龍の翼。悪魔の尻尾。いつもの最強装備を生やすのだ。
さあ、装備は整った。恐るべき悪魔として、私は戦場へと、いざ降り立つ。
「よし」
私は上空から急降下し、土埃を立てて激しく着地する。
これ以上なく目立つ登場だ。サターンの演劇でも、ここまで派手な演出はしないだろう。私の存在に、今いる全ての軍人が気づいたはずだ。
さあ、ビビアンを呼びに行くがいい。前哨戦と洒落込もうではないか。
「…………?」
しかし、砲撃の音も魔法を唱える声も聞こえてこない。
戦う気がない? 悪魔が目の前にいるのに?
降伏……いや、それはありえない。でも、だとしたら、これは一体……。
私が腕を組み、首を傾げて待っていると、ひとりの女性が整った姿勢で走ってくる。
小さな姿。澄んだ青と汚い赤と、濁った黒が混ざった髪。そんな髪以上に混沌としている赤と青の瞳。
そして……あの時と変わらない顔立ち。
魔物の少女、ビビアンだ。
「え? いきなり?」
まずは領軍と交戦して、最大戦力のビビアンが到着して、それから会話……となるはずだったのに。手順をすっ飛ばしてビビアンが来ちゃった。
何が起きてるんだろう。もしかして、今日は例外的な行動をしていたのかな?
というか、ビビアン……アース村にいた頃は綺麗な青色だったのに、今は不気味な色に染まっている。乾いた血のような赤黒い色が、ところどころにこびりついている。
……そうだ。ビビアンも昔とは違う可能性がある。私たちを狙う悪徳貴族になっているかもしれないと、ナターリアも言っていた。
あの頃とは全然違う外見。心なしか、顔つきもいくらか鋭さを帯びている。私が知るビビアンとはまったく違う生き物だと思った方が良さそうだ。
私は戦闘態勢を解かないまま、ビビアンに話しかける。
「ビビアン。私のこと、覚えてる?」
「ニコルでしょ? 変な仮装をしてるけど」
これは仮装じゃないよ。変身だよ。悪魔としての力を解き放ったんだよ。ビビアンなら魔力の違いでわかるはず。
私は爪をじゃきじゃきと鳴らして、少しだけ凄んでみせる。これで私の正体が悪魔だということがはっきりしたはずだ。
「ほら、見てよこれ。龍の爪だよ」
「龍の爪はもっと太いよ。種類にもよるけど。さては偽物掴まされた?」
「えっ」
……そうなの?
アンジェの知識と私が知ってる寝物語の文脈を参考にして、とびっきりカッコよく構成したものなんだけど……本物の龍に似てないんだね……。
……そっか。そうなんだ。アンジェは喜んでくれたんだけど、似てるからじゃなかったんだね。残念。
「龍の爪と称して紛い物を押し付けてくる商人は結構多い。そういう手合いがぼくの商会に擦り寄って来ないよう、抜き打ちで試験を……。ああ、話が脱線しそうだ。とにかく、それは……」
「龍の爪だよ。私とアンジェにとっては、これこそが龍の爪なんだもん……」
「……頑丈で良い性能をしてるのは確かだけど、本物を名乗るのはやめた方がいい。混乱を招くから」
私は悪魔らしい振る舞いをしている自分が急に恥ずかしくなってきて、人間に戻る。
ビビアンは専門家だ。他人の持ち物にケチをつけるのは無粋だけど、職業柄仕方ない。偽物に実害を受けている立場だから、指摘して排除するのが当然だ。
私は何事もなかったかのように作り笑顔を見せて、話題を流す。
「ビビアン。生きててよかったね」
「……う、うん。そうだねぇ。でも、なんでニコルがここに?」
ビビアンはただただ困惑している。私を見て、怖がるわけでも警戒するわけでもなく、ただ怪訝な顔をしている。
誰も殺す気がないことがバレている? ビビアンって、そんなに鋭い子だったかな……。いつもぼんやりしている印象だったけど……。
いや、もしかして、私のことを信じてくれているのかも。悪魔になってなお、私の人格が人間のままだと疑っていないんだ。
嬉しいなあ。そんなに信頼されてたんだ、私。
私は両腕を大きく広げて喜びを表現しながら、ビビアンに接近する。
「ビビアンに会いたくて、来ちゃったの」
「ソーラ領から遥々ここまで? ぼくの名声を聞いたから?」
「あー、それは、なんというか……まあ、後でゆっくり話すよ」
私はビビアンの前に立つ。
ビビアンはあの頃から成長していない。ちょっとだけ凛々しくなった気がするけど、背は伸びていないし胸も膨らんでいない。
髪の色や雰囲気は色々と変わってしまったけれど、それでもあの頃の気配がする。
私はビビアンを軽く抱き締める。
ほんのり冷たい。水の魔物だからかな。
……本当に、生きてたんだ。ようやく実感できた。
「よかった。……よかったあ」
どうやら私は、ビビアンが生きていたことを結構喜んでいるみたい。
こんなに嬉しいとは思いもしなかった。まさか涙が止まらなくなるなんて。
私は膝から崩れ落ち、ビビアンに抱き返される。
小さな手が、私の背中に回される。突然やってきた友達に泣かれて、戸惑っているのがわかる。
力が抜ける。安心するのは久しぶりだ。アンジェが死んでから、気を張り続けてきたから……ああ、なんだかとても救われた気分だ。
「ビビアン。ビビアン。……このまま、ここにいて」
私はそのままビビアンの胸に顔を押し付けて、ずっと泣き喚く。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ぼくが現地に呼ばれた理由は、魔物が急激に減ったからだ。
正確には、正体不明の何者かが、魔物を残さず狩り尽くしたから。
倒しても倒しても湧いてくる、厄介な魔物。それを一人であっという間に片付けてしまうなんて、尋常の人物ではない。ぼくや大剣士アルミニウスでさえ相当時間がかかるというのに。
領軍に加えてもらうために力を披露しているのかもしれない。かなりの腕前なので、相手の出方次第では採用も検討してほしい。観測班の人からそんなことを言われて、ぼくはやってきたのだ。
……まさかニコルだとは思わなかったけど。
「……ニコルぅ。もうそろそろいいかなぁ?」
ぼくはだらしなく泣き叫んでいるニコルを無理矢理引き剥がす。
いつも冷静でうっすら微笑んでいるような人だったはずなんだけど、ぼくの記憶違いかなぁ……。今のニコルはなんというか、心が弱っているように見える。
……でもよくよく考えてみれば、ぼくを助けるために崖に飛び込んできてくれたくらい、ニコルはぼくのことが大切だったんだ。泣いて喜びもするか。
ぼくって、幸せ者なんだな。自分で思っているよりも、ずっと。
ニコルは目を擦り、涙でびしゃびしゃになった顔を拭き始める。
大きな胸の谷間にできた涙の水溜まりには、気づいていないようだ。目のやり場に困るから、さっさと拭いてほしい。
「う、うぎゅうううう……ビビアン、ビビアン……!」
「……その声、何処から出てるのぉ?」
「喉からァ!」
結局ニコルは水溜まりを放置したまま、ぼくに向けて屈託のない笑みを向ける。
「……ふう。ビビアン。元気にしてた?」
それ、むしろこっちが聞きたいよ。今のニコル、なんだか様子がおかしいもん。こんなに疲れ果てた表情はしてなかったでしょ。
とりあえず、ぼくは首を縦に振る。元気とは言えない時期も長く続いたけど、今はまあまあだ。アンジェもいるし。
……そうだ、アンジェ。アンジェの話をしないと。
ニコルはアンジェと旅をしていたんだ。だったら、アンジェの安否をなによりも知りたいはず。ぼくの事よりも、こっちが重要だ。
「ぼくもそうだし、アンジェも元気だよ」
「……アンジェ」
「そっちは大変な目に遭ったみたいだねぇ。なんというか、お疲れ様」
ニコルはわなわなと震え始める。見ていて不安になるほど痙攣していて、今にも身体中がドロドロに溶け出すのではないかと錯覚するほどだ。
「あん、じぇ。アンジェ。アンジェ。アンジェが、ここに、ここ、ここにいるの?」
「うん。そうだよぉ」
「ここにいる。ここ、こ、ここに、アンジェ、アンジェ! アンジェアンジェアンジェアンジェッ……か、はーっ、アンジェェェッ!!」
ニコルはぐわんと胸を揺らして水溜りを吹き飛ばしつつ、ぼくを投げ飛ばして地面に押さえつける。
とんでもない速度だ。あの時見た悪魔バツザンの剣より遥かに速い。ニーナが相手でも渡り合えるんじゃないかと思えてしまうくらいだ。
「どこ!? アンジェどこ!? 教えて! 早く!」
「落ち着いて。慌てなくても、すぐ会えるから。無事だから」
その時、ぼくの魔道具に連絡が入る。
クロムからだ。何の用事だろう。彼は使用人の中では例外的にかなりの特権を持っているから、大抵の事は自分と部下だけで解決してしまうんだけど……。
ぼくはニコルを制して会話を始める。彼からの連絡なら、たとえ目の前にいるのがニコルでも、無視はできない。
「何事ですか?」
「強大な悪魔が市中に出現しましたが、群青卿の友人を名乗っております。敵意は薄いようです」
……訳がわからん。ニコルの話じゃないの?
ぼくはその悪魔とやらの詳細を聞き出す。
「特徴は?」
「首魁の名はナターリア。緑色の髪で、左目がありません」
「なんすかそれ」
驚きすぎてナターリアの口調が移っちゃったよ。
なんでナターリアがここにいるんだよ。アンジェと出会ったのは知ってるけど、旅に同行してるのはどういう風の吹き回し? 宿はどうしたの。というかなんで片目がなくなってるんだよ。悪魔扱いされてるのは何故なんだ。
言いたい事は山ほどあるけど、とりあえずぼくから言える事は全部言おう。
「ナターリアはぼくの知り合いで間違いないよ。昔の腐れ縁だ。……あと、ぼくが知ってるナターリアは、悪魔じゃなかった」
「……さようでございますか。また、彼女の傀儡と思われる悪魔が、もう一体おります」
傀儡って誰だよ。ナターリアの縁者はそう多くないんだけど。父親と母親と、あとはぼくの踊りを一緒に見ていた酒場の誰かくらいか。
そうでないなら、ぼくではお手上げだ。あの時ぼくは旅に疲れていて、サターンの街ではあまり友好関係を築かなかったから、知らない名前が出てくる可能性が高い。
ぼくは神妙な顔つきで正座しているニコルを確認しつつ、続きを聞く。
「名はエイドリアン。緑色の髪で、褐色の肌。耳が長く、ナターリア氏の妹を自称しています」
「うーん?」
ナターリアに妹なんかいなかったはずだけど。
ぼくが去った後に主人のイズミットさんとその奥さんが張り切って、デキちゃったとか?
だとすると年齢が幼すぎる。旅ができるほどしっかりしているとは思えない。
いや、悪魔なら年齢はあまり関係ないのか。会ってみないと判断できない。ナターリアが悪魔になっているのも、その子が原因かもしれないし……。
「なおナターリア氏は、エイドリアンをドリー……失礼。ドリーちゃんと呼称し、妹ではなく娘であることをそれとなく示しています」
は?
娘?
娘って、あの、娘?
自分の庇護下にある女性を指して言う、娘?
……娘?
娘?
……娘?
娘?
理解が追いつかない。いっぺんに色々起きすぎて、頭が回らない。
娘って、ナターリアと誰の子供だよ。何処の馬の骨だよナターリアに手を出したのは。
いや、でも……娘が悪魔ってことは……ナターリアは捨てられて未亡人になっている可能性も十分ある。ナターリアと娘が一緒にいて、夫らしき存在が確認されていないってことは……そうだな……そうかも……。
……ああ、もう。考えてもキリがない。本人から聞き出すのが手っ取り早いか。
とりあえず、娘とやら。ナターリアが擁護しているなら悪い奴じゃなさそう……かもしれない。たぶん。
こっちに来てもらおう。見極めたいし、ナターリアにも会いたい。
懐かしいなあ、ナターリア。もっと心に余裕がある時期に出会っていたら、また違った関係になっていたかもしれない。もっと仲良くなりたかった。
今からでも遅くないかな。もっとナターリアと仲良くなれるのかな。マーズ村ではできなかったような、親しげな交流も……たくさんできちゃうかも。
一緒にお出かけしたり、劇を見たり、お揃いの飾りを身につけたり。
……夢が広がるなあ。
「クロム。ナターリアたちをこっちに連れてきて」
「よろしいのですか? 悪魔ですが」
「友達だって言ってるでしょ。そもそもぼくも魔物だっての。ついにボケた?」
「……あちらも面会を希望していましたので、ちょうどよいですね」
クロムが通信を切る直前、深いため息のようなものが僅かに聞こえてくる。
ぼくでさえ理解できてないんだから、あの人にとっては混乱の嵐だろう。優れた実務能力を持つ彼でさえ捌ききれず、もう諦めの境地にいるのかもしれない。
夜中で人が少ない中散々働かされて、あまりにも気の毒だ。後でニーナに労ってもらうといいよ。
ぼくは何故か胡乱な目つきでこちらを見つめてくるニコルに視線を戻す。
通信用の魔道具は特定の魔力を持つ者にだけ働きかけて会話を聞かせる仕組みだから、内容は聞こえていないはずなんだけど……ニコルなら盗聴できてしまいそうで怖い。何を根拠にそう思っているのかは、自分でもわからないけど。
「ニコル。ナターリアたちがこっちに来るから、ここで待とう」
「……会ってくれるの?」
「会わない理由なんて無いでしょ」
ぼくとしては、今の発言は心外だなぁ。
まあ、あらゆる縁を切り捨てて自死を選んだ過去があるから、そう思われるのも無理はないのか。
「懐かしい友達が、わざわざ遠方から足を運んでくれたんだ。これより優先すべき用事なんてあるはずがないよ。君やナターリアの処遇についても、ぼくの手が届く限り、最善を尽くそう」
貴族として、ニコルを誠心誠意もてなすという意思を見せる。
これくらいしないと、伝わらないと思ってね。ぼくはもう、昔のぼくじゃないんだ。
ニコルは顎の前で手を組んで、吊り上がった口角を隠す。
ニヤケ顔を見られたくないみたいだ。どうせ美人なんだから、見られてもいいと思うんだけど。
「ふふっ……。ビビアン、すっかりお貴族さまだね」
「そうだよ。ぼくは貴族だ」
「感無量だよ。生きているだけでも嬉しいのに、こんなに立派になってるなんて……。それに、アンジェのことも助けてくれて……ふふふ」
そこまで言われると、照れ臭いじゃないか。
マーズ村にいた頃のぼくとニコルは、それほど仲が良いわけでもなかった。共にノーグから教わる立場として会話はしたし、良い人だと思っていたけど、お互いの領域に踏み込んでいこうとまでは思わなかった。
だけど、今は……ニコルとももっと仲良くしたいと思っている。かつてのビビアンのことを知る、数少ない人だから。
そして、ぼくのことを魔物と知った上で、大切にしてくれる人のひとりだから。
久しぶりにノーグの話でもしようか。それと、アンジェの話も……。
結局ぼく自身は、あんまり冒険を楽しいと感じたことがないからね。人が愉快そうに話すのを、聞き手に回って楽しむのが一番だ。
ナターリアたちの到着を待つしばらくの間、ニコルと共にしんみりと視線を交わし合う。




