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第69話『不器用、浮世に溶ける』

 《ニコルの世界》


 私たちはお世話になったお礼をした後、村を後にしてまた旅に出る。


 目指すはピクト領。ビビアンがいるはずの土地だ。悪魔と戦う戦士たちの領地。私たちにとって、旧友との再会の地となるか、それとも自らの墓地となるか。


 一番危ないのはエイドリアン。魔力の擬態ができない上に、判断力がない。並の人間には負けないけど、対悪魔の専門家には無力だろう。

 次に危ないのは私。擬態はできるけど悪魔そのものだ。それに、戦えるけど所詮は素人。立ち回りは未熟だし人殺しをする覚悟もない。

 ナターリアは普通の人間だから大丈夫だけど、エイドリアンを庇ったらどうなることやら。投獄で済めばいいけど、纏めて殺されちゃうんじゃないかな。


 要するに、ビビアンを求める旅は過酷なものになるということだ。


 情報が正しければ、ビビアンは貴族になっているはず。そのうえ魔道具を大量生産する工房の頭で、悪魔さえ屠る大英雄。

 大勢の部下がいるだろうし、私たちのために時間を割く余裕もないだろう。見つからずにこっそり再会するのは無理かもね……。


 それに、大出世を遂げているビビアンに迷惑をかけてしまうかもしれない。ずいぶんピクト領に入れ込んでいるみたいだし、帰りたくないかもしれない。本当に会っても良いのかどうか、疑問ではある。


 それでも、ビビアンはきっと私たちと会うことを嫌がらないはずだ。かつての友人なんだから。

 そう信じて、私たちは進む。頼りない地図と睨めっこし、危険な道も安全な道も、慎重に確かめて歩んでいく。


 旅路は整備されていて、とても進みやすい。

 だけど人通りもかなり多い。毎日違う誰かとすれ違う。その中には悪魔祓いらしい人物もちらほら。


 エイドリアンには鞄の中に隠れてもらうようになった。狭い思いをさせてごめんね。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 しばらく歩いていくうちに、私たちは物々しくなっていく街道に怯えるようになった。


 旅人相手に物を売る露天商が現れ、途中の村々には悪魔祓いの交流の場が。貴族の使いらしき人たちも。


 白き剣士の物語もまだ途絶えていない。むしろ濃い愛好家が増えているようで、それとなく臭わせてみただけで、早口で詰め寄られるくらいだ。


「その髪……その剣……まさか、白き剣士!?」

「おねえちゃん、握手して!」

「すっげえ本物じゃん! 本物やべー! 色々やべーよ! やばいくらいやべー!」

「うっわ……いい匂いがしますわ……。花が咲き蝶が踊る、舞台の演出通り……。わたくしが死んだら全財産を貴女さまに……」


 あの物語のせいでろくに出歩けもしない。


 ……更に、ナターリアは恐怖と疲労で頻繁に足をガクガク震えさせるようになっている。

 体力と気力が尽きては休み、少し歩いてまた休む。その繰り返しだ。

 そのたびにナターリアは申し訳なさそうな顔で謝るが、彼女を連れ回しているのはこちらなのだから、謝るのはこちらの方だ。


 私はナターリアに蔦を巻いて、荷物と同じように運ぶようになった。もはや私の荷物もエイドリアンもナターリアも、全部が私の背中にある。


「おじいちゃん。今すれ違った人、荷物が山みたいだったね」

「最近の若いもんはすごいのう……。わしなんざ、もう婆さんひとりしかおんぶできんというのに……」

「あら爺さん。昨日はそれも無理だったじゃないの」


 すれ違う人が奇異な目で見てくるようになってきているから、そろそろ荷馬車を買うべきかもしれない。


 そんな旅の果てに、私たちはついにピクト領へと足を踏み入れる。


 関門は簡単なものがひとつ。通行税は小銀貨1枚。大領地にしてはかなり良心的だ。

 管理が大変なことを思えばもっと取っても良いはずだけど、搾り取ったら人が来なくなるし、微妙な塩梅なんだろう。


 お金を払って身体検査を受けると、見上げすぎて首が痛くなるほどの大荷物を持ってきているのに、中身の検査もなく素通りされる。


「あんなのでいいんだ……」

「拍子抜けっすねえ……」


 ここは悪魔を狩る地だし、武器や魔道具の類が無い方がおかしいとはいえ、もう少し用心した方が良いと思う。


 ……そして私たちは、ピクト領を歩く。

 私を含む3人にとって、初めての他領だ。ソーラ領とは法律も気候も特産品も、何もかもが違う。実質的な外国だ。


 戦場に赴いたような心地で、関所を越えた私は最初の一歩を踏み出す。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 最近のニコルさんは無理をしすぎている。


 あたいたち2人と大荷物を全部背負って旅するなんて、いくらニコルさんが怪力でも、あたいの心情が許しませんよ。

 辛い物事を全部ニコルさんに押し付けて、自分はお荷物の一つとしてぼうっとしているだけなんて、なんだか自分が許せなくなりそうです。


 というわけで、あたいは平気だから自分の足で歩かせてって何回も何回も打診しているんですけれど、そのたびに却下されています。

 まあ、それもそうっすよね。あたいの脚、このところ休息を欲しているみたいですし。鉛のように重いんですよ。発熱もしてますし。


 ……でも、立ち位置的にも立場的にも荷物になってしまう方がつらいです。


 今あたいはニコルさんに背負われたまま、ようやく骨が繋がった手の指を慎重に動かす訓練をしている。

 豆を摘んで隣の皿に移す。たったそれだけ。それだけなのに、どうしても完遂できない。


「……うっ」


 あたいは外側に落ちた豆をドリーちゃんの枝に拾ってもらいながら、泣きそうになっている。

 傷が酷かったからか、前ほど自由には動かない。これで家事さえもできないポンコツお荷物が完成してしまいましたね。ハハ。泣きそう。


 ……泣き言ばかり言ってはいられない。さっさと旅の役に立てるようにならなければ。

 そろそろ食事くらい自分でできるようになりたいものです。ニコルさんに食べさせてもらう毎日も悪くはないのですが、流石に迷惑でしょうから。


「動くようにはなったんです。そのうち、元通りになりますよ。ええ、なりますとも」


 自分に言い聞かせていると、鞄からドリーちゃんがぽんと顔を出してくる。

 今は顔を出しても大丈夫な時だ。人がいる時は合図を出して、鞄の中に伝わるようにしてある。

 えらいね、ドリーちゃん。教えたこと、ちゃんと覚えられましたね。


「ねえ、おねえちゃん。からだ、だいじょうぶ?」

「大丈夫だよ」

「ほんとうに?」


 ドリーちゃんはあたいの体調を心配してくれてる。

 うーむ、もったいなきお言葉。むしろあたいはドリーちゃんの方が心配っすよ。


「ドリーちゃんは大丈夫かな?」

「……ビビアンちゃんの、おはなしして」


 ドリーちゃんはこれまでに幾度となく聞かせてきたビビアンちゃんのお話を、またせがんでくる。


 ビビアンちゃんは超可愛い大親友で、あたいの先代推しだからね。気になるのは当たり前か。ましてや、これから出会うことになるんだから……。


 あたいはドリーちゃんに向けて、長々とビビアンちゃんとの思い出を語る。

 ビビアンちゃんの人柄についてよくわかるように、具体的な出来事を中心に据えよう。

 ビビアンちゃんとの出会い。外見。会話。趣味。何ひとつ包み隠さず話す。


 でも話せば話すほど、あたいの中のビビアンちゃんが薄れている事実を突きつけられる。

 姿も声も笑った顔も、大雑把には思い出せるのに、細かいところは忘れかけている。

 あの日の服装はどんなだっただろうか。初めて一緒にご飯を食べたのはいつだったかな。思い出せないことばかりで、胸が苦しい。


 ドリーちゃんは耳をぴこぴこさせながら、ビビアンちゃんについてあれこれ尋ねてくる。


「ドリーとビビアンちゃん、どっちがおおきい?」

「ビビアンちゃんだね」

「なんさい?」

「教えてくれなかったけど、ドリーちゃんより年上だろうね」

「せんぱいだね。がんばって、おぎょうぎ、よくするよ」


 ちゃんと仲良くできそうだね。ああ、いい子だ。

 あたいもちゃんとしないと。これ以上ドリーちゃんの前で情けない姿を晒すわけにはいかない。


 ピクト領の街『トライマレー』まであと少し。到着まで指の鍛錬に励もう。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 ピクト領はあまり広い領地ではない。極めて豊かではあるものの、常に外部から流れ込んでくる人々を賄いきれるほどではない。食糧や資源はほぼ輸入に頼っている状態らしい。


 では魔王との戦いを支える財源は何処にあるのか。答えは単純明快。襲ってくる魔物たちこそが、最大の収入なのだ。

 魔物の素材は魔力が豊富で、何処においても魔道具の素材として重宝されている。それでいて、発生する仕組みがわからないため安定した供給が見込めない。故に、魔物を常に狩り続けられるこの領地は、巨大な金鉱を抱えているようなものというわけだ。


 私たちが今いるトライマレーは、そんな金鉱のおこぼれを狙う移民たちが多く集まっている。ピクト領の最前線から遠く、それでいて各地と繋がる街道に接しているからだ。

 自分で戦いに出る勇気はない。戦場の近くに店を構えたくもない。だけどお金は欲しい。そんな人たちばかりだ。


 ……ちょっと薄情みたいだけど、別に悪いことではない。戦うのが怖いのも、豊かな生活がしたいのも、当たり前のことだ。私だって悪魔じゃなければそんな生活がしたかったよ。


 それに、ここの人たちだってピクト領を支える大事な血流だ。物を運び、お金をやり取りし、前線にいる戦士たちの代わりに他所との接触をしているんだ。


「そういうわけです」

「どういうわけすか」


 酒場の片隅で、私は目元を隠すための仮面をつけたナターリアと共に会話をしている。

 せっかく違う領地に来たから、情報収集のついでに一緒にお出かけしているわけだ。こう見えて、私もちょっとだけ……いや、凄くワクワクしているからね。


 私は外国から入ってきたらしい珍しいお茶を飲みながら、ナターリアにさっきの会話を繰り返す。


「ソーラ領の小さな村と違って、ここではよそ者に向けた仕事が沢山あるの。赤追い組合じゃなくても色々あるみたい」

「あー、なるほど。何処にも所属してない、得体の知れないブスのあたいでも、仕事が見つかるんすね」


 ナターリアはブスではない……むしろかなりの美人だと思うけど、それは後でたっぷり言い聞かせよう。


 私は事前に蝶で得た情報をまとめて、ちょっと辛口の味つけがされたお芋を食べながら、ナターリアに伝えてあげる。


 主な組合について。それぞれの派閥の雰囲気について。最近の流行。組合とは関係ないけど、割のいい働き口について。

 ……パッと思い浮かぶのはこれくらいかな。後は覚え書きを見直さないとわからない。


 私はお芋のほくほくした食感に思わず頬を落としそうになりつつ、宿屋出身のナターリアに向けて、疑問に思った点を聞いてみる。


「ソーラ領出身者募集って貼り紙があったんだけど、どういうことなの?」

「……働き先は何処すか?」

「特になんてこともない宿屋だったはず」

「ああ……ふーん」


 ナターリアはなんとも言えない微妙な表情をしている……ように見える。

 どういう感情の顔なのか、よくわからない。片方の眉を下げて皮肉っぽく笑ってる……けど、本当に心から楽しそうでもある……のかな?


 ナターリアはその顔のまま、豆をさやごと炒めた温かい料理を一旦置いて、専門家として私に解説する。


「それ、ソーラ領の人向けの宿っすよ。旅先でも同郷の人に囲まれて過ごしたい人がいるんすよ」

「そういう人もいるんだね……」


 私は外国に来たら外国の人と接したいんだけど、必ずしもそうというわけじゃないんだね。言葉が通じるんだから、見聞を広めればいいのに……。


 私が皮まで食べられるお芋に感動しながらもやもやしていると、ナターリアは得意そうに話し続ける。


「ここはサターンほどじゃないにしろ、結構裕福な街みたいっすね。ほら、道中の宿は身分にかかわらず同じ部屋だったでしょう?」

「まあ、田舎の宿には選択肢なんか無いし……」


 貴族だろうと平民だろうと並んで床に寝る道中の宿を思い出し、私は口を曲げる。


 対して、ナターリアは形のいい鼻をひくつかせて喋りまくる。


「そうなんすよ。いろんな宿があるのは、人がいっぱい訪れる大きな街だけ。ましてや働き手を選り好みできるのは、人が流れて栄えている証拠っすよ」

「なるほどね……」

「うちの酒場に芸人が集まっていたように、人が増えると中身が更に細かくなっていくもんなんすよ。きっとここにも、芸人の集う場所が……」


 ナターリアは空気中のお酒でも吸い込んだのかと思ってしまうくらい、ずいぶん饒舌になっている。

 ここ最近では一番のおしゃべりだ。何かいい事でもあったのかな。


 それにしても、サターンの街はここよりずっと裕福なのに、ナターリアの宿はあんまり特色がなかった気がする。やっぱり、よその人を雇う余裕が……。口に出すのはやめておこう。


 まだうまく動かない指で慎重に湯呑みを掴む、笑顔のナターリア。私はそんな彼女を眺めつつ、そっと微笑む。

 大切にしたい。そう思える人がいるのが、今はありがたい。生きていていいんだって気分になれる。 


 そうだ。私は生きなきゃいけないんだ。大切なナターリアのために。……まだ死んじゃダメだ。


「じゃあ、一緒に見に行こうか。路銀には困ってないけど、ここでも噂を集めたいし」

「うーん。短期で働けるところがあるといいっすね。今は繁盛期かなあ。こっちの事情はまだ……」


 最近ナターリアの口数が減っていたから、元気が出たみたいで安心したよ。

 ここの料理も、ひさびさにまともな雰囲気だし……決戦前に、ちょっと腰を落ち着けてもいいかもね。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 そんなこんなで、あたいは宿でのお仕事に就きました。

 とはいえ、経営には関係ない、誰でもできるようなことだけ。要するに薪割りや仕入れや清掃などの力仕事です。


 ボロボロの体でやるのは無理ってことで、ドリーちゃんに頼んであたい専用の枝を作ってもらいました。

 巨人を操縦するために目に突っ込んだ、あの枝。あれを応用した、あたいの体に突っ込む事で無理矢理体を操縦できるようになる魔道具です。

 おかげさまでまともに動けるようになり、手足の不自由も誤魔化せています。

 指先を使う仕事が増えたらきついんですけど、その時はまあ、誰かに頼んでなんとかしましょうか。


 そんなこんなで、働いて、飯食って、体を洗って、寝て。お給金は1日大銅貨6枚。

 やっすい。宿代にもなりません。


 ニコルさんがいなかったら、あたい飢え死にでしたねえ……。ドリーちゃんを隠す手段と、ニコルさんの大金と、ニコルさんというあたいの片想いの人がいなくなるわけっすから……。


 両親も実家も家業も失い、体を袋叩きでぐちゃぐちゃにされた時点で、あたいひとりでどんなに頑張ってもどうしようもなかった。

 そんな役立たずのあたいを、ニコルさんは優しく受け入れて、手持ちのお金を湯水のように使って治療までしてくれている。


「(自分にかかる金くらい、自分で稼いでみせなければ!)」


 あたいは宿屋が所有する荷馬車から荷物を積み下ろしつつ、ニコルさんへの忠誠を強く誓う。


 この街で一番安全な立場にいるのが、あたいだ。ならばあたいにしかできない働きがあるはずだ。


 たとえこの身を滅ぼしたとしても、あたいの全てはニコルさんのために。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 何日か街を嗅ぎ回って、わかったことがいくつかあった。

 おおまかに分類するなら、3つだ。


 ひとつ。ビビアンの噂は正しい。ピクト領にビビアンがいることは間違いない。

 青い貴族の少女が前線で戦っていることも、魔道具を量産していることも、この街で有力かつ詳細な情報を得ることができた。

 聞けば聞くほどビビアンとしか思えない。髪の色に赤黒い部分が混じっている点だけが気がかりだけど。


 ふたつ。白き剣士の噂はここまで広まっている。

 私が白き剣士だと気づかれかけることもあった。髪の色は変えていたとはいえ、目の色や胸の大きさは、実力不足で隠せない。

 なんで変えられないのか、理由がさっぱりわからないなあ。納得いかない。


 最後に、一番大事な気づき。

 貴族の手は、長くて広い。私の想像より、遥かに。


「あなた様が、音に聞く白き剣士……ニコル様でございますね?」


 そう声をかけてきたのは、仕立ての良い真っ黒な服を着た、背の高い老人だ。

 肩幅が広く、なんらかの武術を修めているかのような立ち振る舞いだ。背筋が伸びているし、まったく体が揺れていないし、隙がない。


 まず間違いなく、貴族だろう。貴族の召使いという線もあるけど、従者の立場ではこれほどの貫禄は身につけられまい。


 私の正体が悪魔だと看破した刺客ということだろうか。それとも腕試しに来た酔狂な武芸者だろうか。


 そういえば、ここに来るまでの道中で、そこそこ名のある剣士らしい人に決闘を挑まれたことがあった。剣で斬りかかってきたからとりあえず刀身と心をへし折ってしまったけど、今頃どうしてるだろう。


 私は途方に暮れる決闘者の背中を思い出しながら、目の前の老人に作り笑顔を向ける。


「有名な物語ですよね、白き剣士。でも残念。私はそんな有名人ではありませんよ。都会の風に浮かれている、ただの出稼ぎの田舎娘です」

「おやおや。それにしては、ずいぶんと金払いが良いと評判ですよ」


 老人は全てを見透かしたような笑みで私の前に立ちはだかる。


「田舎から手ぶらで来て、物と金をお土産に持って帰る。それが出稼ぎというものでしょうに。貴女の行動は真逆ではありませんか」


 田舎娘を名乗ったのは失敗だったかな?

 いや、貴族を名乗っても家名やしきたりでボロを出すだけだろう。


 とりあえず、適当にはぐらかそう。それしかできないし。


「捨てられない荷物が多いだけですよ」

「何も捨てることなく、魔物が蔓延る世界を渡れるのは、強者か幸運の持ち主のみです」

「では、私はきっと幸運なのでしょう」

「運だけに頼るお人柄には見えませんね。貴女は強者です。それも、厄介ごとを抱え込む性格ですね」


 単なる揚げ足の取り合いではない。老人の手先と思われる手勢が私をそれとなく囲んでいる。この会話は時間稼ぎといったところか。


 私は飛べるし、蝶で戦力のほども確認できる。大したことはない。せいぜいサターンの街にいた悪魔祓いたちくらいだ。ドイルさんほどの規格外はいない。


 逃げるか。いや、ナターリアへの連絡がまだだ。あの子は今、接客中だ。話しかけたら怪しまれる。

 エイドリアンには連絡できた。荷物の中で待機中。お昼寝中に起こしてごめんね。


 私は所持品が落ちないように配置を確認しながら、老人に満面の笑みを見せて威嚇する。


「私はただの、愚かな旅人ですよ。私ほどの愚物は、世界中を探してみてもそうそういないでしょう」

「お美しい方が、そうご自分を卑下するものではありませんよ」

「お世辞は結構です。では、これにて失礼」


 私は跳躍し、人の海を飛び越えて宿まで直行する。

 流石に抜刀して街中を彷徨くことはできなかったのか、取り囲んできた男たちは慌てて剣を抜いている。


 ……あまりにも悠長だ。剣を抜く前に通り過ぎてしまおう。


 私は小規模な龍の翼を手のひらに呼び出し、エコーが使っていた不可視の壁を放つ。


「『飢餓災(ブレイクルーム)』」


 彼らの手を狙い、適当に設置。大した威力ではないけれど、脅しにはちょうどいい。被害が出ないし証拠も残らないから、後腐れもない。


「ぐあっ!?」

「殴られた……。どうやって!?」

「見えない攻撃だ! 気をつけろ!」


 下を見ると、彼らは壁にぶつけて痛めた手の甲を押さえながら、攻撃の正体を探ろうとしている。

 不可視の攻撃に怯まないあたり、歴戦の猛者の貫禄があるね。私は初見で避けることも防ぐこともできずに全部食らってしまったから、戦士としての格の差を感じてしまう。


 まともにやり合ったら勝てないかもしれない。逃げるが勝ちだ。


「どいてくださいね」


 着地した私は通行人の間をすり抜けて、人混みに紛れつつ宿屋へ向かう。

 前払いの宿にしておいて正解だった。おかげで気兼ねなくいつでも脱出できる。


 私はエイドリアンが開けてくれた窓から侵入し、物とエイドリアン入りの鞄をかき集めて、飛び出す。


「いたぞ!」

「逃がすな!」


 触手で身支度をしていたのはほんの一瞬の間だというのに、既に宿の外に数人が待ち構えている。恐ろしい手際の良さだ。戦闘に入った瞬間、この判断力か。


 でも残念ながら、この宿には証拠を残していない。偽名を名乗ったし、ナターリアも部屋以外では仮面をつけっぱなしだ。何も焦ることなく、悠々と外に出てやろう。


「あらよっと」


 私は大荷物が引っかからないように窓から飛び出た後、風の魔法でふわりと浮いて宿の屋根に登る。

 ナターリアと合流するために、蝶で状況把握。あらかじめ考えて置いた段取りを脳内で演算。


 ナターリアは屋外で草むしりをしているようだ。

 ……ちょっと人目が多すぎるけど、仕方ない。やるしかなさそうだ。


「飛んで、蝶々!」


 合図に合わせて私の蝶は巨大化し、装飾がごてごてとついた、もはや蝶には見えないほど奇怪な姿に変身する。

 花の顔面に、蔦の腕。胴体は元の蝶のまま。何も知らない人々は新種の魔物だと思うことだろう。


 そんな化け物に、ナターリアを攫わせる。蔦の腕でがっちりと掴んで、空へと連れ去る。

 職場から消えるのは不可抗力であり、魔物の襲撃による不幸な事故だった、ということにしておくのだ。


 一応、別の蝶を使って詫び金を勤め先に放り込んでおく。迷惑をかけた分はお金で補填だ。


 ナターリアは演技とは思えない絶叫と共に、天高く舞い上がっていく。


「ぴえええええっ!? たしゅ、たしゅけ、びごぶざーん!」


 今、私の名前を呼んだでしょ。減点だよ。後で料理当番をお願いするね。


 〜〜〜〜〜


 《クロムの世界》


 私はニーナお嬢様から任じられた命を果たすことができず、じくじたる気分で部下に命ずる。


「かの白き剣士は、奇譚に語られる姿より尚一層別格でしたな。真正面から相手をするのは得策ではありませんね。兵に街の出入り口を押さえさせなさい」

「かしこまりました」


 聞き分けの良い軍人上がりの彼は、靴を高く鳴らして雑踏の彼方に消えていく。

 ……有能だ。頭脳明晰かつ健康優良。だが彼が何人束になろうと、あの閃くような大立ち回りを止めることはできまい。


 ……あるいは、彼奴はニーナお嬢様にさえ匹敵するほどの絶傑やもしれん。心してかかるべきだろう。


 しかし、民草の噂話の、なんたる信憑性の無さか。吹けば飛ぶような軽口の集まりとはいえ、実物とこうもかけ離れていては、雑音と大差ないではないか。

 ある者は凛とした鋭い瞳の剣士と囁き、ある者は見上げるほどの大女と誇張する。まったく、浮世とはよく言ったものだ。


 ニーナお嬢様は、アンジェ殿の手綱となり得る人物を求めていらっしゃる。ニコルという少女なら、アンジェ殿の枷となるであろう。一刻も早くお連れして、安寧を取り戻していただきたいものだ。

 さもなくば、お嬢様の御心は叶わぬ恋路の果てに暗く落ち込み、千人力の剛腕を振るうことさえままならなくなるのですから。


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