第66話『無邪気なあの子』
しばらくして、ビビアンが泣き止んだ頃。
アンジェたちはお互いの体の洗濯を再開する。
石鹸で両手に泡をつけて、お互いの手の届かない場所を重点的に擦る。
背中。腰。専用の石鹸で髪も洗う。
「アンジェの肌、白くて綺麗……。ぼくのは死体みたいで気持ち悪いでしょ」
「そんなことないよ。ひんやりしてて羨ましい。もっと肌が汚い人、いくらでもいるよ」
「むーっ。比較の問題じゃん。そこは綺麗って言ってよぉ」
どうやらビビアンは褒めてほしいようだ。
ならば期待に応えるしかあるまい。アンジェはにっこりと微笑んで、羨望を口にする。
「綺麗だよ。肌がきめ細かいし、美人に見える。いいなあ……」
「え……えっと、そこまでまっすぐに言われると照れちゃうなぁ……」
今度は先ほどのような嘘ではなく、本当に照れているのだろう。もじもじと体をくねらせながら、目を逸らしている。
こうして和気藹々としていると、まるで姉妹のように思えてくる。魔力を分け合った仲なので、あながち間違いでもないのだが。
ビビアンは涙や涎がついたアンジェの肩を洗いながら、ふと残念そうな顔になる。
「本当は洗うための布があると良いんだけど、持ってくるの忘れちゃった」
ビビアンは鼻声で申し訳なさそうに謝罪している。
まだ涙が奥に残っていそうではあるが、声色は先ほどよりずいぶん明るくなっている。いつもの調子に近い声だ。
アンジェは安心しつつ、手のひらの中でもこもこと泡を立てる。
「いいよいいよ。こうやってぺたぺた触り合うのも楽しいよ。ほら」
アンジェがビビアンの脇の下をくすぐると、彼女は甘い悲鳴をあげて快活に笑う。
「みーっ! いひひひひっ!」
「笑った。ビビアンの笑い声、初めて聞いたかも」
「ああ、もう! 変な声だから笑わないようにしてたのに! お返しだ!」
ビビアンも負けじとアンジェの脇を指でくすぐる。
だが、アンジェは笑わない。ニコルに散々いじられて、耐性がついているのだ。
思えば、ニコルはアンジェをくすぐるのが上手かった。どこに笑いのツボがあるのか、完璧に心得ていたようだ。
アンジェは胸を張り、得意げに鼻を鳴らす。
「ふふん。オレは手強いぞ」
「じゃあ奥の手、使っちゃおうかなぁ」
ビビアンは不敵な笑みを浮かべつつ腕を水に変化させ、無数の細い触腕として振るい始める。
指より細く、指より多く、指より自在に動く艶々の軟体。魔道具作りで鍛えられた精密な動作がアンジェを襲う。
これは強敵だ。
アンジェはたまらず笑い声をあげ、ころりと後ろ向きに転倒する。
「ひゃあっ! あっはっはっは!」
「可愛い! ほらもっともっとぉ!」
「やめ、あひっ、あひゃひゃ!」
2人は泡まみれになりながら、広い浴場を贅沢に使ってはしゃぎ回る。
失われた幼児期を取り戻すかの如く、小さな体を目一杯使って、大いに遊ぶ。
2人はようやく、子供としての自分を手に入れたのだ。
〜〜〜〜〜
暴れ回り、語らい、時に茶々くり合い、ようやく気が済んだ2人は、風呂に浸かることにする。
少しぬるくなってしまったが、浴場初心者のアンジェにとっては、これくらいが丁度いい。熱が欲しければ、後から温めればよいのだ。
「はふぅ……」
全身を湯船につけたアンジェは、全身の力を抜いて長い息を吐く。
アンジェにとって、入浴とは体を洗うためのものだった。汚れを落とし、清潔に保つための場所だった。
しかし、全身をお湯につけるという体験には、それ以上の意味がある。
脱力とともに、全身を包む幸福感。なんという優しい空間だ。そうだ、これこそが求めていた非日常だ。知識だけでは得られない経験だ。
「生きててよかった」
「そ、そんなにぃ?」
ビビアンが動揺しているが、特に訂正するつもりはない。これは本心から出た発言だ。こんな良い場所で自分を偽ってどうするというのだ。
風呂は良いものだ。これを生きがいにしても良いと思えるほど、身も心も救われる。
……だが、アンジェはすぐに物足りないと感じ始める。
ただじっとしているだけでは我慢できなくなってきたのだ。
動きたい。生を謳歌したい。そんな衝動がアンジェの心を支配し始める。
「生きてるからには、やっぱり動いてこそだね」
アンジェは脚を伸ばし、広い湯船の中をぷかぷかと泳ぎながら、知識の海で泳法の知識を獲得する。
これほどの広い空間で、泳がない方が損だ。きっとそうに違いない。
「脚をばたつかせて……こう……いや、こうか!」
川遊びはよくしていたが、深い場所には立ち入らないようにしていたため、本格的に泳ぐのは初めてだ。
体が浮く感覚に戸惑いながらも、アンジェは不恰好だが前に進むことに成功する。
初見の水泳で沈まずに前進できる。才能が開花したに違いない。アンジェはその確信と共に、更なる飛躍を志す。
「よし。次は腕だ」
「アンジェ、お行儀わるい」
ビビアンが水に慣れた動きで接近してくる。
どうやら水泳を指導したいようだ。水の魔物だけあって、人間の泳法もお手の物ということか。
「型通りだけど、本質を掴めてないねぇ」
「師匠。ご指導を願います」
「いいよぉ。ぼくに任せたまえ」
ビビアンは力強い義手と水の腕でアンジェの体をしっかり固定し、体の動きを叩き込む。
実際に正解の動かし方をその身で体験して学ぶことができる。知識の海では得られない経験だ。
「腕は水を押す感じ。前からもってきて、後ろに」
「こう?」
「そうそう。上手いよ」
ビビアンの的確な指導のおかげで、アンジェはめきめきと上達していく。もはや腕だけでも泳げそうなほどだ。
……だが、そう簡単には習得できそうにない。アンジェの急成長に歯止めがかかる時が来る。
「脚はやたらめったら叩きつけないように」
「動かさないと進まないよ……」
「こら。足ばかりに集中しない」
やはり技術は一朝一夕で身につくものではないようだ。アンジェは運動が得意ではないため、ここから先に進むには相応の努力が必要だろう。
膨れっ面のアンジェを眺めながら、ビビアンは白い歯を見せて笑う。
「まだまだだねぇ。水と仲良くなるには、1年くらいかかりそうだ」
「水は魔法も苦手だし、たぶんもっと……。下手すると10年経っても今のビビアンに追いつけないよ」
「……無詠唱であれだけできるんだから、得意な属性かと思ってた。やっぱりアンジェって天才なんだね」
ビビアンからの高評価に、アンジェは首を傾げる。
アンジェは天才などではない。怪しい薬で悪魔にならなければ、凡百の村娘で終わっていたはずだ。魔法のひとつも知らず、大した知識もないまま、狭い世界で満足して暮らしていただろう。
「(オレなんて、ただのアース村の炭の小僧……ああそうか。当時は少年だった。つい忘れそうになる)」
村でのかつての呼び名と共に、アンジェは男だった過去を思い出す。
アース村にいた頃が、もはや遠い過去のようだ。女になってからの方が、濃密な人生を過ごしているためだろうか。
……そういえば、ビビアンはアンジェが男性だったことを知らないはずだ。
彼女に対して誠実でありたい。心の内側を開いてくれたのだから、自分も全てを伝えなければ。
それが正しいことかどうかは、アンジェにはわからない。関係が悪化するかもしれない。それでも、隠し事をしたまま仲良くなるのは、心苦しい。
「ビビアン。お風呂から出たら、話がある」
「いいよぉ。ぼくの部屋でまったりしよう。久しぶりに休暇を取ったから、今日は一緒にいられるよ」
そう言って、ビビアンはつるりとした体を楽しそうに揺らす。
硝子窓からの日差しが、ビビアンの水滴を眩しく照らしている。光に祝福された彼女の体は、人に忌み嫌われているとは到底思えないほどに、育ち盛りの少女特有の儚さと美しさを備えている。
……アンジェの体も、ビビアンとそう大差ない。
水面に映る自分の姿は、相変わらずの美少女だ。ニコルの次に可愛らしい、自分でさえ惚れ惚れするほどの美貌。
これが元は男だったと知った時、ビビアンはどんな反応をするのだろう。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
お風呂上がりにお互いの体を拭きあって、ぼくたちはさっぱりとした心地で廊下に出る。
身も心もすっかり生まれ変わったような気分だ。元からお風呂は大好きだったけど、今日のは格別だ。
アンジェはぼくの想定よりずっとずっと慈悲深く、それでいて子供っぽい。
聖女のように優しく罪を許してくれたというのに、お風呂で楽しそうに大はしゃぎする幼い感性も持っている。本当に不思議な子だ。
……ぼくもマーズ村では不思議な子とよく言われていたから、お似合いなのかもしれない。
ぼくはアンジェと共に自室に戻り、2人して寝床に倒れ込む。
ほかほかしたアンジェが毛布にくるまって、くりくりした目でこちらを見ている。
まるで猫みたいだ。自分で猫を飼ったことはないけど、食事会に猫を連れてくる貴族が時々いるから、なんとなくわかる。
アンジェはその状態で、意図がよくわからない質問を投げかけてくる。
「ビビアン。オレは何に見える?」
「ねこちゃん」
「えっ!? そうじゃなくて、男とか女とか、性格とか……そういう話」
アンジェは毛布の中で丸くなって、可愛らしく頬を赤らめている。
本当にアンジェは可愛い。そんな可愛いアンジェに本心から綺麗だと言ってもらえるぼくは、きっと良い友達を持ったのだろう。
それはそれとして、ぼくはアンジェがどのような人に見えるか、一度頭の中で整理してみる。
最初に思い浮かぶのは、アンジェは可愛いということだ。
ぼくがノーグとの旅の中で見てきたあらゆる人の中でも、頂点に近い。美しさやかっこよさならもっと凄い人を見た記憶が無いわけでもないけど、可愛さならアンジェが首位だ。
ぼくは期待した目で見つめてくる可愛いアンジェに向けて、考えを口にする。
「可愛い」
「……もう。そうじゃなくて」
「まあまあ。頭の中で箇条書きにしてるだけだから」
ぼくは「可愛い」の次に出現した単語を、率直に告げてみることにする。
アンジェといえば、やはり幼さに見合わない知能の高さだろう。ぼくより年下なのにぼくより魔法に詳しいのは、なんだかずるい。
「賢い」
「よく言われる。けど、そうでもないよ……。本当に頭がよかったら、あんな目に遭ってないし」
確かにアンジェは、サターンの街で悪魔と戦って、それでああなったと言っていた。
危険を避ける人こそ賢いということだろうか。それはちょっと共感できないなぁ。人を守るために、危険に立ち向かう賢者がいてもいいじゃないか。
ぼくはアンジェの英雄的な行いを肯定するため、3つ目の単語を告げる。
「勇敢」
「そう見える? オレが?」
自暴自棄だった頃のぼくも、ひとりで強大な魔物や悪魔に挑んでいた。
武功を積んだという扱いでどんどん出世して、それと同時にアルミニウスたちから心配された。体を大事にしろって何度言われたかわからない。
それでも、ぼくはあれが完全に間違いだったとは思っていない。自分が大切になった今でもだ。
ぼくはアンジェのそばに寄って、毛布から体を出させる。
黒髪が水分を吸って艶めいている。このまま寝たら寝癖が凄そうだ。
アンジェはとても魅力的な女の子だけど、性根がズボラなのか、それとも油断が多いのか、たまに無頓着な部分が顔を出すことがある。
今がそうだ。ちゃんと手入れしないと、綺麗な髪が傷んでしまうじゃないか。
4つ目の単語は、これだな。
「だらしない」
「うっ。オレ、だらしなく見える?」
「うん。しゃきっとしなさい」
アンジェは毛布から静かに這い出て、寝床の上であぐらをかく。
……あぐらもだめだよ。場合によっては裾から中が見えちゃうから。
ぼくも同じようにあぐらを組んで、指先でその脆弱性を示して見せる。裾が捲れているから、たぶんアンジェの方からは、下着が丸見えになっているはずだ。
アンジェはハッとした様子で座り方を変える。
「油断大敵だよ、アンジェ。女の敵が何処かで見てると思わなきゃ。5つ目は、案外少年っぽい、かな。だいぶアンジェから遠くなってきた気がするけど……」
「いや……案外近いところまで来れるものだね」
「うん?」
アンジェはまたよくわからない発言をしている。
近いところって何? 来れるって何?
座り方を指摘しただけなのに、アンジェは妙に神妙な顔つきになっている。言っちゃいけないことだったのかな。
ぼくはアンジェに、質問の意図を問うことにする。
流石に聞かないわけにはいかないからね。
「ねえ、アンジェ。これって何の話?」
「お風呂上がりにしたいって言った、オレの身の上話だよ」
結構真剣な話をするつもりだったんだね。
旅の話はそれなりに聞いたけど、身の上ってことは今の職業とか……あるいは、アース村にいた頃の話をするつもりなのか。
そうだ、アース村だ。アンジェの故郷はもう存在しない。だからこんなに暗い表情になっているんだ。思い出したくないのかもしれない。
ぼくは固唾を飲んで、アンジェの言葉を待つ。
急かすわけにはいかない。アンジェはぼくを救ってくれたんだ。だからぼくは、親友としてアンジェの力になってあげたい。確実に、丁寧に、そして親切に。
そんなぼくの決意が伝わったのか、アンジェは真面目な顔で打ち明ける。
「オレ、実は男だったんだ」
…………は?
聞き間違いではない。何かを聞き逃したわけでもなさそうだ。
男。アンジェは男、ねえ。
ぼくは風呂場でのアンジェを思い浮かべて、今のアンジェもじっくり眺めて、そして答える。
「女の子にしか見えない。というか、女の子だよ?」
ぼくはアンジェが錯乱した可能性を考えて、すぐにそれを破棄する。
喋り出すまでにだいぶ間があった。十分に考えた末の発言が、混乱によって歪んでいるとは考えにくい。
となると、何かの比喩だろうか。旅をして悪魔と戦うなんて男勝りだから、実は男なんじゃないかと不安になった……とか。
いやいや。まさかね。アンジェは勇敢だけど、男みたいってわけではない。
でもアンジェはふるふると首を横に振る。
「アース村にいた頃のオレは、炭の小僧と呼ばれていた。悪魔に薬を投与されて、悪魔になって……何故か女になっていた」
……………………は?
割と筋の通った話が展開されてしまった。
悪魔のせい。望まぬ性。んん?
えっと……待って……それじゃアンジェは……。
アンジェの心は、今も男の子なの?
それじゃあ、女の子の体に閉じ込められて、女の子扱いをされるのは……。ぼくと一緒にお風呂に入るのは……嫌だったの?
ぼくはどうしても気になってしまい、足元の毛布を蹴りながらアンジェに近づいて尋ねる。
「アンジェの中身は、男の子なの!?」
「違うよ」
アンジェは淡々と答える。
「オレは女の子だよ」
「えっ!? で、でも、つい最近まで男として生きていて、というか男として生まれて……今は……」
「最近はよく、男だった事を忘れる。たぶんオレはもう、女の子に染まり切ってる」
混乱して話を飲み込みにくいけど、ぼくは頑張って理解しようとする。
心も体も女の子で、過去だけが男の子。
……なるほど。だから気に病んでるのか。中身まで男の子なのかと思って、びっくりしちゃったじゃないか。
ぼくは思いの外重い話に驚きながら、ちょっとだけ軽い雰囲気に戻すため、水魔法でお茶を用意する。
お風呂上がりだし、まだほんのりと暑さが残る時期だ。冷たいお茶を淹れるとしよう。
ついでに、話題ももう少し軽い方向に誘導しよう。浮いて流れるような、軽口を挟めるほどあっさりした話をしたいかな。
……気分を入れ替えて、頭を休ませたい。
「女の子に染まったってことは……もしかして、好きな人でもできた?」
「それは、えっと……」
「お茶でも飲んでゆっくり話そう」
まあ、こんなところかな。アンジェの恋愛話から、適当な話題にもっていこう。
アンジェは寝床から離れて、ちょこんと席につく。
こうして椅子に座っているのを見ると、本当に人形みたいに思えてくる。可愛いなあ。
ノーグの笑い人形、また作ってみようかな……。
お茶の匂いが立ち始めたところで、アンジェは赤面しつつ話し始める。
「オレの恋なんて、需要ある?」
「あるある。ぼくにある」
「そっかー。……ビビアンになら、いいか」
アンジェには既に好きな相手がいるらしい。
旅の話を聞いていれば、だいたい見当はつく。あの人だろうなあ。
ぼくはニタリと笑みを浮かべつつ、人差し指を突きつけて指摘する。
「ズバリ、ドイルさんって人でしょ!」
「違うよ」
「違うのぉ!?」
アンジェはドイルさんの話をする時、ちょっと楽しそうになるんだけど……違うのか。
英雄譚が好きだから、強い人について語る時はどうしてもそうなっちゃうのかな。ドイルさんへの好きは恋愛の好きじゃないみたいだ。
……じゃあ、誰のことが好きなんだろう。他に男の人の気配が無いんだけど。
ぼくも席について、先にお茶に口をつけながら、アンジェの恋愛話の続きを待つ。
「オレは、ニコルのことが好きなんだ」
「ふぐっ!?」
ぼくはお茶を吹き出しながら、むせる。
いよいよぼくのちっちゃいオツムじゃ追いつかなくなってきた。頭の回路が爆発しそうだ。
ニコルって、あのニコル? 何故ここでニコル?
好きって、憧れって意味? 理想の人ってこと?
ぼくは机に溢したお茶を魔力でさっと拭いて、しれっと体に取り込む。
貴族として許されない行為だけど、今はそれどころじゃない。
「ニコル……アンジェの幼馴染で、真っ白で、おむねが物凄くおっきい、あのニコル!?」
「そうだよ」
考えれば考えるほど思考が混線してくる。
中身は女の子だって言ったじゃん。なんで、なんで女の子を好きになってるの!?
そんな調子でよく自分は女の子だって言えたなあアンジェ。普通女の子が好きなら、自分は男だって思うものなんじゃないの?
ぼくは茶菓子を差し出して、引き攣った笑顔をごまかす。
「アンジェ。普通の女の子は……いや、普通の人は、同性を好きにはならなんだよ」
「性別の問題じゃないよ。ニコルが好きなんだ。オレが男のままで、ニコルが男になっていても、きっと恋をしていたはずだ」
言い切った。この子、悟りを開いてる。何ひとつ迷いが無い。ここまで正々堂々と愛を語る人、大人でも見たことないよ。
待てよ。アンジェが元は男の子だったことを、ニコルは知っているわけだ。
じゃあニコルはどう思っているんだろう。アンジェの恋は叶わないんじゃないか?
だってアンジェが特殊だとしても、ニコルもそうとは限らないし。
ぼくはらしくもない冷や汗を拭いながら、率直に尋ねる。
「ニコルはどう思ってるか、わかる?」
「両想いだよ」
また断言したよ。この子、強い。
いやいやいや、まさか、まさかね。まさかニコルがそういう人だなんて、ね。
ぼくはマーズ村でニコルと話をしたからわかるよ。あの人は周りを気遣ってくれる優しい人で、ぼくを助けるために崖に飛び込むくらいお人好しで。
そんなニコルが……女の子でも好きになれちゃう人だなんて……。もしかして、ぼくのことも恋愛対象に入ってたり……。
いや、元が男の子のアンジェだからってことなのかな……。それにしたって、こんな……何処からどう見ても可愛くて守ってあげたくなるような幼い子を……。
ぼくは思い出の中の2人に祈りを捧げながら、アンジェの発言を待つ。
どうか、どうかアンジェの勘違いであってくれ。
「ニコルの方から告白してくれたんだ」
「ニコル、の、方から……」
「だから、オレとニコルは……えへへ」
ぼくは卒倒しかけて、正気を保つためにアンジェを疑う。
アンジェが嘘をついている可能性だ。もしくは、アンジェが勘違いをしている可能性。ニコルのちょっとした発言を拡大解釈して、告白だと思い込んでいると考えれば、まだ……。
「ニコルはね、オレのことずっとずっと好きだったんだって」
「……男の子だった頃から?」
「そう。それでね、結ばれた後はニコルと……」
……それからのアンジェの言葉は、ぼくには届かなかった。
茶菓子の味がしなくなるくらい破廉恥なことを、これでもかと語っていた気がするけど……記憶に残っていない。
ぼくは所詮、誰とも愛を交わし合えない恋愛弱者だったんだなあって……。お互いの愛が重すぎると、凄まじいことになるんだなあって……。
今のアンジェは水そのもののぼくより湿度が高いように思える。しっとりしてて、うっとりしてて。
……これ以上はやめよう。頭が痛くなる。
ぼくは渋い顔を隠すためにお茶を飲んで誤魔化しながら、アンジェの恋愛話に相槌を打ち続けた。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ぼくにとってのアンジェは、なんだろう。
友達。いや違う。もっともっと大事な存在だ。
親友。足りない。それだけじゃ表しきれない。
恩人。……まあ、無難な表現ってところかな。
アンジェの血を吸ったのは、ただの偶然。でもそれだけじゃない。
アンジェはぼくの代わりにノーグの仇を討ってくれた。崖から身を投げたぼくを助けようとしてくれた。荒み切ったぼくの心を優しく抱きしめてくれた。
だからアンジェは、恩人だ。
……でも、本当にそれだけだろうか。
ぼくにとってのアンジェは……ただの親友で、ただの恩人?
親友なら、なんでこんなにも苦しいんだろう。恩人なら、なんでこんなにも否定したいんだろう。
……ぼくの中には、まだアンジェの魔力がある。どういうわけか、なかなか消えずに残っている。
というか、たぶん使用した端から増殖している。そう、消滅を拒んでいる。周りの魔力を吸って。
アンジェはただの欠片になっても、生きている。
消そうと思えば、消せる。ぼくの魔力で一気に飲み込んでしまうか、魔道具にかけて完全に分離してしまえばいい。
だけど、ぼくは……ぼくを救ってくれたこの魔力を消したくない。
いつまでもいつまでも、ぼくがもう一度死ぬその時まで、ぼくの中にいてほしい。
これはどういう想いなんだろう。親友が相手でも、恩人が相手でも、こんな気持ちになるのが普通なんだろうか。
ニーナが相手なら……どうだろう。ニーナの魔力がぼくの中にあったら。ニーナが知り合いの女の子に恋をしていたら。ぼくは……どう思うんだろう。
わからない。何もわからない。何が恋で、何が愛なのか。
父親に抱いたあの感情は、何だったのだろう。この切ない胸の痛みは、一体……。
もしかすると、ぼくは恋愛をするのが下手なのかもしれない。




