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第59話『風葬』

 アンジェは崩れていく自らの体を覆い隠す。

 炭と化した体の崩壊。なんとしてでも、これを止めなければならない。


「(くそっ。なんで、なんで治らない。あんな思いをして、ようやくここまで戻ってきたのに!)」


 エイドリアンの登場。炎による自爆。それらによって負った致命傷を、五感が失われ激痛に苛まれる中で修復し、やっとの思いで帰ってきたというのに……。


 治療途中で人間に見つかり、追いかけられ、炎で脅せば脅威と思われ、挙句ニコルと戦う羽目になってしまった。

 一体どれほどの受難が待ち受けているというのか。世界はアンジェのことを嫌っているのか。どうしても生きていてほしくないのだろうか。


 ……嘆いていても仕方ない。今の事態を解決しなければ。


「魔力……魔力を……!」


 アンジェは世界から魔力を吸い上げ、己の体を構成する力に変えようと試みる。

 前回瀕死になった時にも行った、悪魔特有の治療法だ。アンジェ以外の者が使っているところを見たことがないが、これまでは効果抜群だった。


 だが、いくら魔力を吸い込んでも、体の崩壊は止まらない。一時的に部位を生やすことができるものの、溶けるように消えてしまう。


 剣の魔力で作ったばかりの鼻が、既に腐り落ちている。呼吸器や三半規管も既におかしくなっているようだ。息ができない。


「ぐふ……おえっ……」


 アンジェは倒れ伏し、もがきながら仰向けになる。


 朝日が昇り、夜の闇が裂かれようとしている。長い夜が終わったのだ。

 だが、このままではアンジェに朝は来ない。


 ドイルが焦燥によって端正な顔を崩し、聖水を手渡してくる。


「高濃度の魔力を持つ最新式の聖水だ。お前なら分解できるはずだ」


 そうだ。イオ村で死にかけた時は、それの魔力を吸い上げて急速に治療できたのだ。聖水は悪魔にとって猛毒だが、試す価値はある。


 アンジェは小瓶を受け取り、透き通った液体を一気に飲み干す。


 焼けるように熱い。あるいは、凍りそうなほど冷たい。実際の温度は後者だが、炎症で前者のような影響が出ているのだろう。


「ぐ、ぐが、ああああっ!!」


 アンジェは喉を駆け巡る痛みに吠えながら、聖水を分解して魔力に変える。


 最新式というだけあって、一般的な人間ひとり分を上回る凄まじい魔力量が込められている。

 アンジェはそれを全て使って、脳と心臓と血肉を蘇らせる。


 ……だが、またしても急速に腐敗し、機能を停止してしまう。


「ぐ、おあ……ア!」


 心停止と脳梗塞による痛みを同時に味わい、アンジェは炭の胴体をボロボロとこぼしながら、硬い地面をのたうち回る。


 ニコルが発狂したようにアンジェの名を繰り返し呼んでいる。ナターリアとエイドリアンが青ざめて絶句している。

 ドイルは冷静に頭を働かせ、様々な案をアンジェに提示する。


「駄目か……! ならば、人間用の治療だ。包帯、治療薬、痛み止め……。一通りあるぞ。使え!」


 ドイルが渡してくる小瓶の数々を、アンジェは知識の海を用いて適切に使用する。

 再生した部位に軟膏を塗り、包帯を巻いて止血し、痛み止めを飲み……。


 そして、アンジェは血を吐く。


「……くぶっ」


 もう喋ることすらままならない。

 再び魔力による再生を試みるが、すぐに駄目になるのは変わっていない。


 対症療法では埒があかない。アンジェは原因を探ることにする。


「(さっきまでは治療できていた。何が違う? この腐敗はなんだ?)」


 アンジェは知識の海を探り、ひたすら探り、目が霞んできてもまだ探る。

 魔力を吸いすぎて周りの土地が痩せてきている。それでもまだ原因は見つからない。体が腐る病とは、どういうことだ。


 ……そしてアンジェは、手に入れた知識を元に推測する。


「(人間として死に、五感が消え、真っ暗闇の中で意識と痛みだけがある状態。……あれが関わっているんじゃないか)」


 アンジェは肉体を失って瀕死になった時、毎回あの状態になっている。そこから魔力をかき集めて、体を修復し、生き延びてきた。


 悪魔とは、魔力でできた生物。故に肉体を破壊されても、魔力が底を尽きない限りは生き続けることができる。何もできない、精神だけの存在となって、暗闇の中で激痛を味わい続けるだけの命となる。体を再生して蘇らない限りは。


 今のアンジェは蘇りの途中だ。肉体は死んでいる。五感を得て暗闇ではなくなり、多少和らいではいるものの、激痛も感じ始めている。体を斬られ、叩かれ、千切られ、炙られ、食われるような激痛を。


「(あの暗闇でオレを蝕んでくる痛みは、何に由来するものなんだ? 神経も何も無いのに、体のどの部分が、どうやって痛みを感じているんだ?)」


 アンジェは迫り来る制限時間に気を取られながら、必死に解決策を探る。


 この痛みは何が由来なのか。魔力にアンジェの意識がしがみついているのが今の状態なら、魔力で痛みを感じていることになる。

 魔力に感覚があるという概念はよくわからないが、意識が宿っている以上、ありえないということはないはずだ。


「(悪魔の体は魔力。なら、痛みも魔力によるもの。痛い魔力は何処から来る?)」


 そこまで考えて、アンジェは原因を察する。

 外部から魔力を吸収し、自分のものにするという行為。この流れの何処かに、不具合が生じたのだ。

 周囲の土の魔力や聖水の魔力が、自分のものに変化しきっていない。だから定着せず脱落していく。言うなれば、拒絶反応が起きているのだ。


 では、どうすればよいのか。アンジェはそれを考え始めるも、対処法を思いつけない。


「(お手上げ……。手遅れ……?)」


 抜け落ちた舌が喉を塞ぎ、アンジェは窒息する。


 それにつれて、暗闇の痛みがアンジェの魔力を包み込んでいく。

 魂を掻きむしられるような、尊厳を棍棒で叩きのめされるような、形容し難い痛みが、痛みが痛みが痛み痛み痛み……。


「お、お゛お゛っ! ご、ガハッ!」


 アンジェは強烈な腐臭を発する舌を取り出すも、痛みは尚止まらない。

 喉がぐずぐずになっている。耳鳴りがひどい。視力が更に落ちている。もうニコルの顔さえ見ることができない。


「あ゛あ゛! アアア゛ッ! あ、アアアあああ!」


 暗闇が来る。死が来る。幾度となくアンジェを蝕んできた、勝ち目のない敵が……来る。


 アンジェは目の奥が焼けるような感覚に恐怖しながら、ニコルに手を握ってもらおうと、腕を上げる。

 怖い。死ぬのが怖い。死にたくない。せめて、せめて大好きなニコルのそばに……。


 だが焼け焦げた腕は容易く折れ、役に立たないクズとなって地面を汚す。


 ニコルが近づいて、かつて手だった部分を握り、アンジェの頬を撫でている。

 肌の感覚がない。視界も暗くなり始めた。音も聞こえない。声も出ない。


 消える。失せる。なくなる。壊れる。無になる。剥がれる。零れる。喪う。 


 死後の世界があるなど、そんな世迷言を誰が言ったのか。無いじゃないか。こんなところまで来たのに、門のひとつも見えやしない。


 アンジェは、今、死のうとしている。


「あ……お……ア゛ー、あ……」


 アンジェは激痛と闘いながら、精一杯自我を保とうとする。

 ニコルに会いたい。ニコルに愛されたい。ニコルこそが自分の全てなのだ。ニコルを、もう一度……。


 しかし無慈悲な闇は、アンジェの自我を引き裂いていく。風に舞う塵のように、アンジェという存在は掻き消されていく。


 ……そして。

 アンジェの肉体は、完全に沈黙する。

 もはや何の制御もできない。何も感じない。完全に死んだのだ。


 ……ここに至り、アンジェは唐突に理解する。


 悪魔は魔力でできている。

 だが魔力を纏っているのはアンジェだけではない。有機物無機物を問わず、世界の全てが、量の差こそあれ魔力を纏っている。

 アンジェはそれを吸収し、簒奪しようとした。だが失敗した。

 世界の方が、強かったのだ。世界がアンジェの生存を拒んだのだ。


「(魔力は……世界……。世界は、魔力……。ひとつなんだ。そうか、そうだったのか)」


 アンジェは悟りに似た何かを、掴みかける。


 アンジェの魔力にはアンジェの意思が乗る。ならば世界を漫然と漂う雑多な魔力……いや、何者でもない純然たる魔力にも、なんらかの意思があるのではないのか?


「(詠唱は、呼びかけ。魔力への呼びかけ。世界を満たす魔力への、お願いなんだ)」


 土の意思。水の意思。風の意思。火の意思。それぞれは人間の意思には到底及ばない、野生動物以下の、限りなく無に近いものなのだろう。ただ流れる、燃やすといった機能を持ち、役割を果たすだけ。


 だが集まるとどうなるだろう。水と風が合わされば雨という天の恵みになり、それが極まれば嵐となって天災と呼ばれる。

 嵐は時に神の意思と解釈され人間から崇拝される。うねり、移動し、破壊し、変える。意思を持っているかのような動きをするのだ。

 嵐だけではない。大火も、雷も、地震も、洪水も。まるで意思ある者の手によって引き起こされたかのように語り継がれる。


 ……人間の空想ではなく、本当に、意思があるのではないか。

 塵のような意思であっても、集合することで、生命らしい強い指向性を獲得しているのではないか。


 だとすると、アンジェを拒んだのは自然そのもの。あるいは人間が言うところの……神ということか。


「(……ふざけるな)」


 アンジェは千切れて離散していく自我を魔力で強引に繋ぎ止め、今にも死を受け入れてしまいそうなほど苦しい痛みを堪え、暗闇の中で主張する。


「(何が神だ。言葉を持たず知性もない。ただの現象じゃないか。自然に存在する魔力が、たまたまオレの邪魔をする方向に揺れ動いただけだ。それは意思なんかじゃない。ただの偶然だ!)」


 当の世界によって霧散させられながらも、アンジェは怒りに震え、抵抗する。


「(オレはニコルを愛している。この気持ちが世界にわかるか!? この尊さが理解できるか!? おい、今オレの心をぐちゃぐちゃにかき混ぜてるお前。お前に意思があるなら、愛の言葉でも囁いてみろよ!)」


 アンジェは暗闇の魔力を引き裂き、自分の魔力に変える。

 すぐに闇と混ざり、また世界の一部となって消えてしまうが、それでもいい。構わない。


 千切っては変え、千切っては変える。アンジェの心が完全に消え失せ、世界と同化しないように、自分の存在を保ち続けるのだ。


 もはや復活することはできないだろう。人間の体を作り直す余裕はない。それでも、アンジェは死という現象そのものを遠ざけ続ける。


 愛する人が、待っているのだから。


「(オレは諦めないぞ。こうなったら根比べだ。オレはアンジェだ。ニコルの恋人だ!)」


 アンジェは先の見えない無限の戦いへと、身を投じる覚悟を決める。


 味方はいない。敵は膨大。痛みが襲い、安らぎは無い。

 それでも……。アンジェは屈しない。負けるわけにはいかない。勝算が無くとも、挑み続けなければならないのだ。


「(いくぞおおおおっ!)」


 アンジェは世界そのものとの、果てしない殺し合いを開始する。

 ニコルという希望がある限り、アンジェが折れることはない。


 アンジェは心が強いのだから。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 アンジェの体が消えていく。

 何も言わなくなって、何も動かなくなって、それでも抱き続けていたのに、消えていく。


 私はアンジェの頭だった炭を抱えて、口づけをして魔力を送り込む。

 息を吹き込んだり、唾を飲ませたり、やれることはなんでもやる。


 それでも、アンジェは風に吹かれて朽ちていく。

 口に入った炭も、喉まで通ることなく消滅してしまう。


「……ニコル」


 ドイルさんが何かを言っている。

 私に代わって色々試してくれていたけど、全て不発に終わった。気持ちは嬉しいけど、万策尽きたなら私だけが頼りだろう。


 私はアンジェの頭を首に繋げて、ひとつにまとめようとする。

 私の触手で包めば、こぼれ落ちることもない。ずっとこうして固めておけば、アンジェが治してくれるはずだ。


 だけど急に突風が吹いてきて、アンジェの体のほとんどが吹き飛ばされてしまう。

 頭もぐちゃぐちゃだ。強度を失った頭蓋骨が、風に乗って飛ばされていく。


 私は咄嗟に体を拾い集めて、蔦で作った容器の中に入れようとする。

 まだなんとかなる。きっとなんとかなる。アンジェがなんとかしてくれる。私には思いつかないような、凄い魔法で……。


「ニコル」


 ドイルさんがまた声をかけてくる。

 ああ、もう、鬱陶しいなあ。今アンジェを助けているところじゃないか。どうして邪魔をするんだろう。


「ドイルさんは飛ばされたアンジェの救出を。まだ間に合います。私はこちらのアンジェを固定して風のないところまで……」

「ニコル!」


 ドイルさんは私の顔を強引に持ち上げて……。

 平手打ちをする。


 ……ドイルさんが、暴力を?

 ぶっきらぼうだけど優しいドイルさんが?


「現実を見ろ。アンジェは死んだ!」


 ドイルさんは悲鳴のような絶叫を私にぶつける。


「再生する見込みはない。悪魔特有の魔力が、もはや感じられない!」

「だからなんだって言うんですか」

「お前も気づいているんだろう!?」


 ドイルさんは、私の両肩を掴んで揺さぶる。


「アンジェは……確かに凄腕だった。俺の予想を何度も超えてきた」

「ええ。アンジェはすごいんですよ。だから……」

「だが、常に余力がなかった」


 ドイルさんは、知っている。イオ村からここまで、一緒に旅してきたから……アンジェのことを、それなりに知っている。

 容姿はもちろん、能力も、性格も、そして今では、過去さえも。


「アンジェにも限界はあった。いや、むしろ……常に限界を感じながら生きていた。そのはずだ」

「何を……」

「風と水の魔法に適性が無かった。運動能力は普通の悪魔以下だった。魔力が尽きたこともあった。奴は常に己の限界と向き合い、その中でやりくりしてきた」


 ドイルさんは、涙を一粒だけこぼす。

 初めて見る涙。朝露のような、儚い涙。


「奴にも、不可能はあるんだ。……今、致命的な場面で、それが訪れた。それだけなんだ」


 私はドイルさんの肩越しに、ナターリアとエイドリアンの姿を見る。


 ナターリアは頭を掻きむしりながら地面に転がっている。現実を受け止めきれず、強い精神的苦痛に耐えかねている。


 エイドリアンは大粒の涙を流しながら立ちすくんでいる。感情が溢れ、次から次に湧いてくる思考を処理しきれなくなっている。


 ……まるで、大切な人が目の前で死んだかのような反応だ。

 ……誰が死んだっていうんだ。

 だってまだ、アンジェは……。


「う、うう……」


 私は手の中に残った、灰色の塊を見る。

 冷たい。動かない。増えない。戻らない。


 アンジェが死んだら、食べるって……。

 私が食べるって、決めていたのに。

 崩れてしまって、それさえできない。


 ……どうして。


「どうして」


 どうして、こうなった。


「どうして、私を」


 ………………私は。


 天を仰ぐ。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 サターンの街。あたいが生まれ育った街。あたいが大好きな街。あたいの全てだった街。


 そこであたいは、街の合同葬儀に顔を出している。

 言うまでもないことだけど、あたいの両親の葬儀も兼ねていますからね。当然出ますよ。


 遺体は事件から何日か経った後で見つかった。

 ドリーちゃんの巨人に踏まれ、原型が無くなっていたそうです。

 魔力を見れる役人さんが、役所に届けられた書類から魔力を読み取って、ようやく身元が判明した。

 この街は結婚やら何やらで面倒なら手続きが多いけど、それがちゃんと役に立っているのを見ると、やっぱり必要なんだなあって思います。


 ……閑話休題。


 あたいは仮面と分厚い外套で変装をして、皆の遺体を焼く炎をじっと見つめている。

 ドリーちゃんの顔を見られているから、念のためにあたいも顔を隠している。悪魔だと思われて殺されたら嫌だからね。


 おかげで『宿の看板娘』も行方不明扱いだ。大半の人は既に死亡したものと思っているらしい。そりゃそうだよね。


「嘘だ……リアが死んだなんて、嘘だあ……」


 久しぶりに見た子供の頃の友達が、あたいのあだ名を呼びながら号泣してる。

 もう何年振りだろう。大きくなったなあ。会って話したいけど、無理な話だ。


「……お父さん、お母さん」


 あたいは中央広場で燃え盛る炎に向けて、祈りを捧げる。

 ()()()()()()()けど、何処かにいる誰かに話を聞いてもらいたい気分なんです。都合のいい信仰対象を頭の中に作り上げて、それに向かって懺悔しましょう。

 仮に『世界さん』とでもしておきましょうか。


 世界さん世界さん。あたいは親不孝な馬鹿娘です。頭が悪くて直情的。接客に向いてないし、掃除も雑。ドリーちゃんがいなければ、宿は回っていなかったと思います。

 ドリーちゃんが来てからは、能無しの穀潰しになりましたけどね。ハハ。笑えねえ。


 それでもお父さんは、あたいのことを大切にしてくれました。物凄い勢いで仕事のことを叩き込んで、小さな子供から働ける子供に変えてくれました。体もずいぶん鍛えられて、お父さんほどじゃないけど、そこそこ丈夫になりました。


 お母さんは、酒場の経営が忙しいのに、向こうで作った料理を宿に届けてくれました。その時、たまに運ぶ役を自分で請け負って、あたいに会いに来てくれました。いい男がいるとか、体に自信を持てとか、そんな明け透けな話題ばかりでしたけど、嫌ではなかったです。お父さんとも仲良くしようとしてましたし。


 ……2人とも、本当にあたいのことを想ってくれていたのに。あたいは何ひとつ恩を返せていません。

 同じくらい恩義を感じさせるのは無理だとしても、あたいを育てるためにかけたお金の分くらいは、働いて返したかったものです。

 ……親孝行の仕方がわからないから、それで合ってるのかわかんないっすけど。


「……ひっく」


 あたいは仮面の内側で流れる涙を、どうやって拭こうか考えています。


 ……参ったなあ。泣く予定じゃなかったのになあ。死んだと分かった時は泣かなかったのに、どうして今になって悲しくなってくるかなあ。


 とりあえず、あたいはそのまま泣き続けることにしました。

 ここにいないアンジェちゃんの分の涙も、一緒に流しておこう。そうしないと涸れてしまいそうだから。


 〜〜〜〜〜


 《エイドリアンの世界》


 ドリーは、ドイルさんといっしょにいます。街の外の、林の中です。  


 ドイルさんとはこの前初めて会ったのに、なんだか初めてって感じがしません。お父さんみたいな感じがして、不思議です。


「エイドリアンと言ったか」


 ドイルさんは怖いけど優しい顔で、ドリーに剣を向けてきます。


「お前は確かに悪魔だ。悪魔祓いの宿敵だ。故に、狩らなければならないのだろう」


 ドイルさんはなんだか悲しそうです。ドリーはドリーだからよくわからないけど、たぶん悲しいんだと思います。


「魔物に対する恐怖は、自らの身を脅かす可能性への恐怖だ。だが、お前のそれは少し違う。……人を生かす存在として生まれたからだろうか」


 難しいお話は、よくわかんないです。でもドリーのことを怖くないって言ってるみたいだから、ドリーはちょっとだけ安心します。


「ドリーのこと、ころすの?」

「……そうしなければならない」


 ドイルさんは、たぶん悩んでます。無理矢理殺せって言わされてるみたいです。


 ……ドリーはお姉ちゃんの街をぐちゃぐちゃにしました。だから、おしおきされないといけません。悪い子になったらダメだからです。


 ドリーは剣の先っぽに近づいて、目をつむります。


「いいよ。ドリーは、こうしなきゃいけないんだね」

「……何故だ」


 ドイルさんは、怖がっているような、怒っているような、よくわからない声を出します。


「何故だ。何故お前()()は、そうまでして人のために生きるのだ。自らを死に追いやってまで……! 悪魔という存在は、もっと……もっと…………」


 お前たちって……誰のことだかわかりません。ドリーじゃない悪魔……アンジェちゃんかな?


 ドリーはドイルさんが心配になって、お目々をあけて見つめます。


「揺らいでしまうではないか。悪を屠る決意が。戦いに身を置く誓いが……!」

「むずかしいこと、わかんないです」

「くそっ……くそっ!」


 ドイルさんは綺麗なお水が入った瓶を、ドリーに投げつけます。

 ドリーの頭に当たって、割れて、中のお水がかかってしまいます。


 痛いです。すごく。とても冷たくて、嫌な感じがします。飲みたくないです。


 ……でも、街の人たちは……ドリーのお薬を飲んだ人たちは……もっと苦しかったはずです。


「……これでも、襲ってくれないのか」

「ないてるひとと、けんかしたくない……」


 ドイルさんは泣いてることに気づいてなかったみたいです。目を擦って、濡れちゃったおててを見て、ぼんやりしています。


 ちょっとだけ待っていると、ドイルさんは剣をしまって、ドリーに言います。


「人のために生きたいか?」


 当たり前です。お姉ちゃんが人間だからです。

 ドリーは返事します。


「うん。ドリーは、みんなのためにがんばる」

「お前の手が届く範囲は、きっと……。いや……それはヒトの問答、か」


 ドイルさんは、おくちをぎゅっと閉じた後、ドリーを睨んで言います。


「お前が姉と共に生きたいのなら、今から言うことを肝に銘じておけ」

「うん」

「お前が信じる道を行け。お前が言う『みんな』とやらのために、身を粉にして働き続けろ。……意味がわかるか?」


 みんなのためになることをしろって、ことでしょ。そんなのいつもと同じだよ。

 お掃除をして、お店番をして、お姉ちゃんと仲良くすればいいんだと思います。


「おうちにとまるひとに、ずっとやってきた」

「……もう宿は無い。これからは、そうもいかないはずだ。どうやって生きていくつもりだ?」

「うーん」


 おうちがあんなことになったから、同じじゃだめってことかな。それだと、ドリーはよくわかりません。だってドリーはあんまり賢くないから……。


「おねえちゃんがかんがえたこと、ドリーもします」

「それもそうか。あいつは姉であり、親だからな」


 ドイルさんはドリーに背中を向けて、どこかに行こうとします。


 ……ドリーのことが、嫌いみたいです。お姉ちゃんやニコルさんは、ドイルさんが大好きなのに。アンジェちゃんも大好きだったのに。ドリーもドイルさんとお友達になりたいのに。


 ドイルさんは立ち止まって、言います。


「誰かに言われたら、ではなく……お前自身でも考えてみろ。どうすれば人を助けられるか。どうすれば人を幸せにできるか」

「ドリーが?」

「そうだ。そうある限り、たとえ失敗して人に嫌われようと、お前は……」


 ドイルさんは、ゆっくりと言います。


「お前は人間、に……近い存在になれる」


 本当は人間だって言いたかったのかもしれません。でもドリーは人間じゃないから、やっぱりやめたんだと思います。


 ……エコーさんは、自分勝手でした。だから、そうじゃなくなれば……あんな悪魔にならなくて大丈夫になる。ドイルさんはそう言っていたんだと思います。


 ドイルさんは、何処かに行ってしまいます。

 たぶんだけど、二度と帰ってこない気がします。お姉ちゃんとも、アンジェちゃんとも、会わずに行ってしまいます。


 ドリーのせいなのかな。ドリーが悪魔だから、ダメだったのかな。


 ……人間になりたいな。


「ドリーは……みんなのためにがんばらないといけないんだね」


 すごい人間の人からの応援を、ドリーは大事に覚えておくことにします。

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