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第56話『強迫と迫害』

 《ニコルの世界》


 勝利の余韻に浸る間も無く、木の巨人の体が音を立てて崩れ始める。

 ナターリアがついに限界を迎えたみたいだ。助けに行かないとまずい。


 蝶の目で様子を確認すると、地下室を元にした部屋の中で倒れているのが見える。

 左目に突き刺したエイドリアンの枝が枯れている。もう巨人を制御することはできないだろう。起き上がる体力さえ残っていないようだ。


 私は蝶を巨人の中にたくさん入れて運ばせる。

 私の蝶は見た目以上に力持ちだ。集合すれば女の子のひとりくらい簡単に移送できる。もちろん、怪我を悪化させないように揺れも圧迫感も起こさない。


 その間、私は風化していくエコーの体を凝視して、最期の瞬間を見届ける。

 奴が完全にこの世から消えて無くなるまで、油断はできない。魔法で悪あがきをするかもしれない。蝶に任せず、自分でやらないと。


「……やっぱり」 


 エコーはまだ生き延びるつもりのようだ。巨大に膨れ上がった死体の中から、人間の姿に擬態した男が現れる。


 白い仮面に黒い杖。最初に出会ったエコーの姿。大した力は残っていないようだけど、何をするつもりだろうか。


 いずれにせよ、放置はできない。

 私は奴の前に着地し、触手で四肢を縛り上げる。


「見逃すとでも思った?」

「逆だね。姿を見せれば、必ず君自身の手で始末をつけに来ると思ったのさ」


 私はエコーの腕を折りながら、拘束を強める。

 返り討ちにしようとしていたなら、お生憎様だ。私はまだまだ絶好調。簡単には倒せないよ。


「ふうん。それで、何をしようとしてたの?」

「最後にひとつ……いや、ふたつだけ、言い残したいことがある。あ、質問したいこともあるね。殺してもいいから、とにかく聞いてくれ」


 この期に及んで図々しい奴だ。

 合体したネズミは爆発で全部死んだようだけど……余裕があるように見えるのは、どういうことだろう。策があるのだろうか。


 私は足を折って逃走を防いだ後、自在に動く翼で、エコーを地面に押さえつける。

 突然詠唱を繰り出してくるかもしれないので、これでもまだ油断はできない。爪を首筋に立てていつでも掻き切れるようにしておかないと。


 私は地面に這いつくばるエコーの上に座り、肘で奴の背中をぐりぐりと押す。


「聞くだけ聞きますよ。あなたのせいで用事がたくさんあるので、手短にどうぞ」

「助かる。話したいことは山ほどあるけど、かいつまむよ」


 エコーはすっかり観念したかのような口調で安堵している。

 ……敵意がないように見えるけど、どうせ演技だろう。死ぬ間際まで胡散臭い奴だ。


「まず、ひとつ。ボクがこの街を襲った理由だ」


 なるほど。聞いておく価値はありそうだ。再発防止にも役立つし、他の悪魔と戦う時の参考にもなるかもしれない。


 エコーはかなり高名の悪魔らしいから、うまくいけば魔王軍の動向も探れるかもしれない。アンジェにも聞いて欲しかったなあ。


「アンジェが待ってるの。早く言え」


 私はエコーの鎖骨を折りながら、続きを促す。


「表向きの理由は、魔王様にこの街を謙譲するため。多くの街と繋がっているここは、人間にとっての要地だからね。効率的に()()()()()()()ことができる」

「表? じゃあ裏は?」


 エコーはいけしゃあしゃあと、裏の目的とやらを口にする。


「ボクはこの街の名物である、小豆入り乾酪(かんらく)が好物でね……」

「は?」

「この街を手に入れて、人間や配下に全力であれを作らせて、お腹いっぱい食べる。それがボクの夢さ」


 私は南区でアンジェが食べていたそれを連想する。

 私でも食べたことがあるくらい手頃なお菓子だ。それを求めて、こんな大掛かりな真似を?


 ……悪魔は他者を傷つけることに躊躇いを持たない生き物だ。アンジェからそう聞かされてはいたけど、こうまで徹底して俗物のクズだと、呆れてしまう。


「くだらない」

「そうかなあ? 夢に生きるのって、楽しいよ?」


 私は彼の首筋に爪を当てて、血を滲ませる。


「言いたいことはそれだけ?」

「ふたつ。ボクの計画に乗った人間がこの街にいる」


 私は動揺を心の中に封じ込めようと努力して、失敗する。

 声が上擦り、爪が彼の首筋を離れる。精神力の底を見せてしまったようで、不甲斐ない。


「協力者が……?」

「何を驚いているんだい。君はずいぶん視野が広いみたいだから、西区で貴族の馬車を見たはずだ」


 確かに、薬を満載した馬車を見かけたけど……。私の目線では、あれも被害者だという認識だ。薬に惑わされた、哀れな被害者。


 だけどエコーは、さも愉快そうにくすくすと笑う。


「ま、あとは君たちで勝手に調べたまえ。貴族とやらに逆らったら、面倒なことになるらしいけどね。あーあ、人間って窮屈な生き方をしてるんだなあ」

「あなたが口を割れば済む話だよね」

「手短にって言ったのは何処の誰だっけ?」


 人の神経を逆撫でするのが得意なんだなあ……。私は既に勝者になっているはずなのに、不快感で胸焼けしそうだよ。


 エコーは私の脅しに屈することなく、最後に私たちへの質問とやらをぶつける。


「最後に質問。君たちはアース村の出身だけど……」

「…………は!?」


 私は拷問しようとした手を止めて、更に激しく動揺する。

 そうだ。エコーは魔王の側近。ならあの場にいたとしてもおかしくないじゃないか。アース村の虐殺の場に。


 ……エコーは人間だった頃の私たちを知っている。それを踏まえた上で、何を尋ねようというのか。想像するだけで身の毛がよだつ。


 エコーは小さく「覚えられてなかったか」と呟き、自嘲ぎみに笑う。


「フフフ。混乱してるとこ悪いけど、質問するね」

「……何?」

「生き残りは君たちだけかな? あのザマでまさか生きてるとは思わなくてさあ。見落としがあったのかなって、気になっちゃって……」


 私は5本の爪を長く伸ばし、エコーの首の血管を一気に引き裂く。

 我慢ならなかった。情報を得ようとか、そういうのは全部どうでもよくなってしまった。殺したいという気持ちが、閾値を超えてしまった。


 面倒くさがりなんだ。私は。


「もういい。話したくない。消えて」

「そ、か……フフ……死んだか……英雄の村が……フフフ、フハハハハ……!」


 エコーは一切抵抗することなく、急速に力を失っていく。

 悪魔は頑丈だけど、所詮は魔力でできた生き物だ。魔力を失えば再生も復活もできなくなるし、急所を突かれれば全てを失う。つまり死ぬのだ。


 エコーはか細い声で、遺言を口にする。

 魔物として生きた感想……ではない。たぶん、私に向けたものだ。


「あの()()()()()()()はともかく……君に負けるのは、予想できなかったなあ……。口惜しいなあ……流石は英雄の、末裔……か……」


 エコーは意識を失う。

 血液とともに大量の魔力を失い、脳への魔力供給が疎かになったからだ。


 …………そういうことだ。

 私が殺したんだ。この男を。


「今更だよね。罪悪感なんて」


 たまたま人の姿をしているから、心が痛むだけだ。魔物は何体も殺してきたじゃないか。薬で悪魔に変化した人間だって……。


 ……それでも、さっきまで話していた相手が、私の手で物言わぬ骸となってしまうのは……精神的に堪える。


 案の定、エコーは最後にとんでもない置き土産を遺していった。謎と、呪いと、罪の意識。彼の意図については、もう確かめようがない。


 私は血で汚れた爪を、人間のものに戻す。

 長さが変わっても、返り血は落ちない。私の手は、まだ汚れたままだ。

 私は尻尾で爪を剥がし、何処かへ捨てる。痛みは戦いの中でとっくに麻痺してしまっている。


「……はあ。こういうことをする私は、やっぱり悪魔なんだなあ」


 私は姿だけは人間に戻りながら、ナターリアの到着を待つ。

 癒されたい。一刻も早く、人間として扱われたい。そう思いながら、緑の英雄の帰還を待ち望む。


 ……私が英雄の村の出身だとしても、私にとっての英雄は、私じゃない。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 ニコルさんには、あたいとドリーちゃんの関係性について、お話ししないといけませんね。


 あ、このまま歩いてていいっすよ。この蝶、思ったより快適なんで。寝心地いいっすよ。


 それに、さっさとドリーちゃんを迎えに行かないといけませんからね。時間を無駄にすると、その分金と客を逃す。宿屋の常識っすよ。


 結論から言うと、ドリーちゃんはあたいが生みました。

 魔物とか悪魔って、魔力でできてるんすよね? だったらあたいの魔力が飛び出て、ドリーちゃんになったってことだと思うんすよ。

 まあ、あたいは魔法にも悪魔にも詳しくないんで、想像なんすけどね。


 経緯も話しておきますか。

 昔、お母さんの酒場で無茶振りをされ、えっちな踊りをさせられた時に……酷い目に遭いまして。

 あたい、踊りが下手なんで……怒り狂ったお客さんに押し倒されて、危うく……げふんげふん。

 あー、この話は前にもしたから、巻きで行きましょうか。それでいいっすよね。


 そんな時、ドイルさんが助けてくれたんすよ。

 酒場にいたわけじゃないんすけど、近くを通りがかったみたいで。

 なんでも、悪魔祓いの親玉さんが「あの辺りで魔物が生まれる気配がするぞ!」とか言い出したみたいでして。それで、見回りをしてたみたいっす。勘がいい人なんですねえ。


 危ないところで助けられたとはいえ、あたいは酷く傷ついたわけでして。

 部屋に戻ったら、もうガン泣きで。物に当たったり枕を引き裂いたり、我ながらとんでもない取り乱しようでございまして。


 ……は? 前に話した時は「不思議と涙はこぼれなかった」って?

 ……え、あれ?

 なんであたい、泣かなかったことに……どうして思い違いを……。


 まあ、いいや。昔話に戻りますね。


 ……えーと、その日のあたいは荒れに荒れて、お父さんにも当たり散らして、ひとりで塞ぎ込んだいたわけですね。


 まあ、あんな無茶を一度飲んでしまったのが悪いんすけどね。お母さんも悪いけど、あたいも悪い。

 そういう意識もあったんすかね。あたいは誰にも打ち明けられず、相談もできず、自罰的になってたんすよねえ。


 それで……あたいは……。

 泣いて泣いて泣いて、泣き腫らした自分の目を刺して、えぐっちゃったんすよ。死ぬつもりで。


 ドリーちゃんが生まれたのは、次の瞬間……だったはず。よく覚えてないんすけど、たぶんそう。

 あたいの左目と魔力を犠牲にして……ドリーちゃんは生まれたんすよ。


 ……そんな感じっすね。


 ドリーちゃんの魔力は、元々あたいのものだった。だからドリーちゃんが作った物なら、あたいでも動かせるって思ったんすよ。それで巨人を乗っ取って、代わりに戦ったわけです。 

 ぶっつけ本番だったから、正直大博打だったんすけどね。いやー、ドリーちゃんの詠唱考えたのがあたいで助かった。知らなかったら最悪でしたよ。


 ……あ、そうそう。

 ニコルさん。そろそろ服着てほしいっす。目のやり場に困るんで……。


 おっきいなあ、ニコルさん。かっこいいし……いざって時に助けてくれるし……。

 大人になったらニコルさんみたいな人になりたいなあ……なーんて。あたい、案外惚れやすいのかもしれないっすねえ……へへ……。


 もしも……もしもこの先ずっと、ニコルさんと一緒にいられたら……幸せなのになあ……。


 ……えっ?

 ……はっ?


 あたいより歳下!?

 ってことは、こどもぉ!?


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私は蝶の上で満身創痍になっているナターリアを連れて、巨人が落とした片腕のところに向かう。

 エイドリアンが人々を守って待っている。あの子に全てが終わったことを伝えてあげないと。


 一応、南区で服は着た。拾い物だから、持ち主の人に申し訳ないかも。


 ナターリアも何処に隠していたのか、瓶底眼鏡をかけ直している。もはや体の一部みたいだ。

 あるいは、本当に体から生み出していてもおかしくないのか。


「蝶で連絡するんじゃ、ダメなんすか? あたい、もうこんななんですけど……」


 ナターリアは今にも死にそうな声で、私に尋ねる。

 悪い汗をどっと流しながら熱を出している。本人は気丈に振る舞っているけど、息をすることさえ苦しいはずだ。

 このままだと死んでしまう。そんな予感がする。


 私は連絡がつく蝶とつかない蝶を仕分けながら、ナターリアに返事をする。


「ドイルさんとモズメさんには連絡できました。でもドリーちゃんは、蝶を握りしめちゃって……。最初は優しく扱ってたんだけど、何かあったのかも……」

「あー……わかる……」


 身に覚えがあるのか、ナターリアは遠い目をしながら思い出話をする。


「ドリーちゃん、ぎゅってするのが好きなんすよ。抱きついたりしがみついたり。心細くなって、うっかりやっちゃったんすかねえ……」


 私はアンジェと仲良くしていた時のエイドリアンを思い出して、納得する。

 あの時もアンジェにベタベタ張り付いていた。微笑ましいと思ったけど、反面ちょっと愛情に飢えてるのかなって思ったりもした。


 ……急ごう。エイドリアンのためにも。


 私はナターリアを運ぶ蝶を増量する。揺れると思うけど、辛抱してほしい。


「えっ。ニコルさん?」

「しっかり捕まっててくださいね」


 私は龍の翼を生やして、蝶と共に空へと舞い上がる。

 人に見られるかもしれないけど、今更だ。今は時間が惜しい。


「ぴ、ぴえええええっ!?」


 みっともない悲鳴をあげるナターリアを大事に守りながら、私は東区へと急行する。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私はエイドリアンがいる腕の真下にたどり着く。


 建物を飲み込んだ巨木……というより、巨木を飲み込んだ建物かな。それが不恰好な塔のように地面に突き刺さっている。


 腕だけでも、東区の中では飛び抜けて大きい。遠くからでもよく目立つ外観だ。


 ナターリアが正気を失った顔をしているので、私は塔に入る前に彼女を起こすことにする。


「ナターリア。しっかりして」


 私の呼びかけに、ナターリアはぼんやりと悟ったような口調で答える。


「ニコルさん。世界って、思ったより広いんすね」

「気をしっかり。ドリーちゃんに会うんでしょ」

「……ドリーちゃん!」


 よし、戻ってきた。


 私はナターリアを運びながら、塔の中に踏み込む。


 内部は段差と木の枝だらけで、進みにくい。暮らすには不向きだけど、敵の侵入を防ぎやすいから、砦としてはこれで正解だと思う。


 蝶で侵入した時に、内部の構造はある程度把握している。エイドリアンがいる場所の見当もつく。

 私は煉瓦の階段や木の幹の柱を踏み越えて、この塔の頂上……肩のあたりを目指す。


「……おかしくないすか?」


 蝶たちの羽で、柔肌に傷がつかないよう慎重に運ばれながら、ナターリアは呟く。


「なんか、嫌な雰囲気しません?」

「それは……人がいないからじゃないの?」

「いや……そうっすけど……だって、ドリーちゃん出てこないし……」


 ナターリア自身、理由を説明できないらしい。


 そんなことを言われると、私まで不安になってくるじゃないか。完全に根拠が無いってわけでもなさそうだし。


 機能停止したとはいえ、巨人の中だ。ナターリアの勘は無視できない。

 それに、この人は私と共闘した戦友だ。信じたい。


 私はもう一度翼で飛ぼうとしてナターリアに止められつつ、一気に枝を破壊して先へ進む。

 爪を立てて壁に張り付き、翼も腕として使ってすいすい上へ登る。


 ……そして、しばらく登ったところで、人が集まっているらしいところにたどり着く。


「ここかな……」

「なんか怖いっす。や、やっぱりやめにしません?」

「……じゃあ、ちょっと慎重に進むことにするよ」


 何故か怖気付くナターリアを宥めつつ、私は何故か厳重に封をされた扉の隙間に、爪を差し込む。


 龍の怪力で重そうな扉をこじ開けると、老若男女が広間に押し込められているのが見える。


「ひいっ!?」


 私の爪を見て怖がっている。武器らしい棒をこちらに向けている。当然だね。私、悪魔だし。


「ドリーちゃん……いないね」


 私はちらりと人混みを確認してみて、エイドリアンがいないことを把握する。

 でもナターリアはガチガチと歯を震えさせながら私の手首を掴む。


「います。ここに。ドリーちゃんが」

「……ナターリア?」

「ドリーちゃん……ドリーちゃんっ!!」


 ナターリアは体の節々からメキメキと妙な音を立てながら、扉に手をかけて体を押し込む。

 驚いた中の人たちに棒で突かれ、指が折れていく。恐怖に飲まれた大の男の人たちに、寄ってたかって暴力を振るわれている。


「入ってくるな! 壁を破るんじゃない!」

「うるせえ! あたいのドリーちゃんを返せ!」


 ナターリアは止まらない。体力が尽きても尚、気力だけで命としての限界を超えて動く。


 ……そして、ついに木製の扉を破壊し、完全にこじ開けてしまう。

 愛の成せる業……。なんという強さだ。私の愛も、こうありたい。あまりにも鬼気迫っていて、ちょっと怖いけど。


「ドリー、ちゃ……」


 ナターリアは途中から妙な方向に曲がった腕を必死に部屋の奥に差し伸べつつ、床に倒れ込む。

 瓶底眼鏡が床に落ち、ひび割れる。縫い直されたばかりの空虚な右目が痛々しい。


 人間たちはナターリアの姿を見てどよめいている。

 まだ棒で叩いている人もいるけれど、大半は互いに制止しあって、理性を取り戻している。


 ……代表らしい人が、若い男性にナターリアを介抱させつつ、私の方に近づいてくる。


「あなたは、いったい……」

「人間の味方ですよ」

「……ああ。よく見ると、人間ですね……」


 どうやら私が悪魔だということに気が付いていないみたいだ。話しやすくてありがたい。

 ……爪は見えてたはずなんだけどなあ。目を瞑ってくれているのか、見間違いだと思っているのか。


 代表の人はナターリアと人混みの奥を交互に見て、不安そうに話しかけてくる。


「出会い頭に殴りかかってしまい、申し訳ありません。悪魔の城に閉じ込められて、皆気が立っているのですよ」

「……外にいるよりは安全ですよ」


 エイドリアンが悪魔であり、生まれつき人に嫌われる性質を持っていることは否定しない。

 悪魔に襲われながら、また別の悪魔に匿われる。その状況に混乱してしまうことも……まあ、あってもおかしくないよね。


 私が落ち着いた様子だからか、かえって代表の人は焦りを覚えたみたいで、自分たちが置かれている状況を細かく説明し始める。


「我々は街を破壊した悪魔によって拉致され、ここに囚われているのです。何処までも伸びる恐ろしい枝によって、帰り道も封鎖されています」

「拉致、ですか?」

「同胞たちが次々に捕まり、押し込められていくさまは……まさに悪夢でした」


 エイドリアンの救助行動のことを指しているのか。


 エイドリアンの最初の暴走が、悪い方向に働いているみたいだ。街の人たちは、巨人をすっかり悪者だと思い込んでいる。

 事情を説明する暇なんかなかっただろうし、誤解されるのも仕方ないけど……守るべき相手に罵倒されるのは、やるせないね。


 そして、代表の人は…部屋の奥にいる人たちに声をかけて、道を作っている。

 人がはけたその先にいるのは……エイドリアンだ。


「……いた」

「あれが我々を監禁している悪魔です。見かけに騙されてはいけませんよ」


 エイドリアンは枝で作った籠を被り、周囲から身を守っている。本人はその内側で、膝を抱えてうずくまっている。


 その目には涙が。その唇には震えが。


 ……彼女の状況を察することは、容易にできる。

 そして、つづく代表の言葉が、その推察を確信へと変える。


「我々による抵抗の甲斐あって、悪魔を追い詰めることに成功したのですが……木の枝の防御が硬く、とても打ち破れず……」

「袋叩きにしたんですか?」

「はい。しかし、あれほどの規模の魔法を使う悪魔ですから、全て防がれてしまいました。いつ防壁を解除して暴れ出すかわからず、予断を許さない状況です」

「可哀想ですよ……」

「あれは悪魔です。穢らわしい魔力を垂れ流す、人間の天敵なのです。強い力を持った蛆虫なのです」


 ……ああ。これはもう、説得できそうにない。


 私がエイドリアンに優しい声をかけようものなら、私までまとめて敵として扱いかねない。それくらい、ここにいる人たちは悪魔に対する敵意が強い。


「(別の方法を考えよう)」


 ここから逃げられるかどうか、私は検討する。

 私だけなら問題ない。ここにいる全員を適当にあしらって、エイドリアンを解放して逃げられる。

 でも早急な治療が必要なナターリアは難しい。傷つけないようにしながら逃げ切るのは……。


「(逃げるのも、無理。それなら、あっちに動いてもらうしかない)」


 一度、彼らにはここを退いてもらう。

 周りの目がない安全な状態でエイドリアンを逃がして、街の人々には「悪魔を退治した」と報告する。

 なるほど。この方法だ。これしかない。


 ……そのためには、まず私が信頼を勝ちとらないといけない。エイドリアンという悪魔を倒す役目を、私に任せようという風潮が生まれなければならない。


 私は体内に収納してあったアンジェの黒い剣を取り出す。

 私は剣士じゃないから、今ひとつ使いこなせないけど……見た目はカッコいいし、よく目立つ。

 悪魔祓いの人たちも、何故か剣を持っていることが多いから、信頼される材料にはなるはずだ。


 私が剣を高く掲げながら歩いていくと、それに合わせて人混みがゆっくりと割れていく。

 半分は私の剣を。3割くらいは私の体を。残りの2割はナターリアか代表の人を見ている。


 十分に注意を惹きつけられたと判断して、私は次の行動に移る。

 部屋の奥にもうひとつ出口がある。そこもここにいる人々の手によって封鎖され、頑丈な防御になっている。


 私はそれを、剣の一閃で叩き斬る。


「なっ、何を……!?」

「悪魔が……悪魔が来ちまうじゃないか!」


 騒ぎ始める群衆を、私は威風堂々とした雰囲気で黙らせる。

 アンジェに村との交渉役を任されて来たから、度胸がついている。この人数が相手でも、怯むことはないよ。


 私は剣の先でエイドリアンを示す。

 人が割れた先にいる、エイドリアン。枝の壁で身を守りながら、四方八方からの攻撃に耐え続けていたエイドリアン。


 彼女に剣を向けるのは心苦しい。一瞬とはいえ、あの子は裏切られたような気分になっていると思う。でも、今だけは辛抱してほしい。


 私は人間たちに向けて、宣言する。


「この悪魔は、悪魔祓いドイルの弟子である私が請け負います!」

「あのドイルさんの!?」

「聞いたことがあるぞ。ドイルという凄腕の悪魔祓いがいると」

「俺も騒ぎの中で見たぞ。悪魔祓いを従えてた」


 ドイルさん。私の実力に説得力を持たせるためとはいえ、勝手に名前使って、ごめんなさい。でも嘘ではないから、別にいいよね。


 私は彼らが自発的に外へ向かうよう、適当な言葉で後押しする。


「外は東区。首魁は討ち取られ、残っているのは残党のみです。まだ事態は緊迫していますが、ここよりは安全ですよ」


 首魁は討たれた。私がそう告げると、何人かが涙をこぼす。


 私は鈍く輝く剣を振り、彼らの行き先を示す。


「道は既に開かれました。この悪魔は私に任せて、塔から逃げるのです!」


 人々はざわつく。たぶん私を信用し切れないのだろう。偉そうな態度で信用を得ようとしたけど、足りなかったかな。


「あんな女の子ひとりに任せていいのか?」

「でも剣の腕は確かだ。相手も小さいし、何とかなるだろう」

「俺たちにできることなんかないだろ」

「悪魔の手のひらの上にいるよりは、逃げた方がマシだな」


 少しずつ「ここから逃げる」という選択が広がり、伝染していく。

 それだけエイドリアンを嫌っているということだから、複雑な気分ではある。でも、うまくいきそうで助かった。


「俺は逃げる。これ以上悪魔と同じ空気を吸いたくねえんだ」


 しばらくすると、私が来た方の道を通って、ひとりずつ人々が下に降り始める。

 代表の人にナターリアを連れて行かれそうだったので、それは私が断る。

 この人は悪魔にとっての弱点だ。理由は顔が似ているから。そんな適当な言い訳で、丸め込む。


「……そうですか。やけに似ていますね」

「……たまたまですよ」

「そういうことにしておきます」


 何処に納得する要素があったのか、代表の人は私をすっかり信じ込んで、任せてくれる。


 ……かくして、私とナターリアと、エイドリアンだけが残される。


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