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第53話『友人』

 《ニコルの世界》


 ようやく蝶が街の全域に届いた。これで西から東まで、全ての区域を監視できる。


 正直、私の頭じゃ視界から入ってくる情報を処理しきれないけど……それでも、こうして情報源を確保しておきたい。たまにナターリアやドイルさんの姿が目に入ると、安心するから。


 東区にいるアンジェは……また無茶をしているみたいだ。全身傷だらけの火傷まみれで、両腕がなくなった状態で、狂ったように魔法を乱射している。


 ……実際、狂ってしまっているんだろう。アンジェの悪魔への殺意は、凄まじい。さっきまで悪魔と戦ってたみたいだから、怒りや正義感で周りが見えなくなっていてもおかしくはない。

 蝶で支援しようにも、魔法に巻き込まれて撃ち落とされてしまう。私の声が届くようになるまで、待つしかないか。


「アンジェ……。アンジェが痛い思いをする必要はないんだよ」


 アンジェはどうにも、義務感が強すぎる性格だ。見ず知らずの人のことも、村を襲った仇でもない悪魔のことも、色々背負いすぎて潰れてしまいそうだ。

 私もその重荷を、半分背負ってあげないとね。だって私とアンジェは、恋仲なんだから。


 ……蝶から送られてくる情報から目を離し、周囲を確認したその時。

 私の背後に、何者かが立っていることに気がつく。


 いや、厳密には立っているわけではない。私は翼を使って街の上空に浮いているんだ。それなのに、奴は平然と空気の上にいる。まるで床があるかのように、直立した姿勢を取っている。


「君が蝶と蔦の使い手かい?」


 彼は白い仮面を被り、黒い装束に身を包んでいる。


 悪魔祓いへの偽装。でも、真の姿はそうじゃない。

 間違いなく、彼は悪魔だ。しかも、雰囲気から察するに、今まで倒してきた木端の連中ではなく……。


「あなたが『塵点劫(じんてんごう)エコー』ですか」

「おお、無知な田舎者かと思えば、よくご存知で」


 わざとらしい挑発をしつつ、彼は仮面と山高帽を取り、頭を下げて挨拶する。


「そう、私こそが、今回の首謀者。魔王様の側近にして病の王。名をエコーと申します」


 その素顔は、元となったネズミの魔物とは似ても似つかない。まるで道化師のような、白い化粧をした男に見える。

 並々ならぬ努力で這い上がったネズミらしいから、その過程で顔もいじったんだろう。


 彼は細く背の高い体躯を活かし、大袈裟な身振りで杖を取り出して手の上で弄び始める。

 まるで芸人だ。人間をおちょくっているつもりか。


「さて、前置きはこれくらいにして……。私はね、この街が欲しいんだ。気持ちはわかるよね?」

「わかりません」


 私は街が欲しいなんて思ったこともないし、仮にあったとしても、ここなんて領主から譲られても願い下げだ。

 エコーは絶対にがっかりしていないだろうに、へなへなと萎れるような動きで哀愁を表現する。


「欲しくないだなんて……。まるで価値がないみたいじゃないか。サターンの人たちが悲しむよー?」


 実際にサターンのみんなを苦しめているのは、お前じゃないか。

 私は彼の流れに乗せられて、拳を握りしめ、冷静さを失っていく。


 ……まずいのはわかっているけど、どうしてもこいつに意識を集中してしまう。人を弄ぶのが得意な魔物らしい。気をつけないと。


 エコーは帽子を被り直し、杖を手のひらでぽんぽんと叩いて、笑顔で提案を持ちかける。


「どうでしょう。取引をしませんか?」

「嫌です」


 私は馬鹿だから、口車に乗せられるのがわかりきっている。だから最初から提案に乗らない。それが一番の対策だ。


 エコーは私を懐柔しようとしているのか、この場に相応しくないふざけた笑みでへりくだる。


「そうおっしゃらずに。あなたほどの()()はそうそういませんから。これでも認めているのですよ。我ら『狂い目』の次くらいには恐ろしい貴方様のお力を」


 心にもないことを言うな。

 魔王の側近がそんなに弱かったら、人間は、私たちは、もっとのびのびと生きているはずなんだ。こいつの発言は全部虚言だ。聞く価値がない。


 私は角も爪も翼も牙も尻尾もある、全力の姿に力を込める。

 この龍の鎧からは、無限の力を感じる。本物の龍よりも強くなれそうな予感をひしひしと感じている。


 私は自在に動く翼に魔力を込め、エコーに向けて吠える。


「エコー! お前は私が倒す!」


 するとエコーは肩をすくめて、白い仮面を被る。


「あーあ。君なら魔王の空腹を満足させられると思ったのになあ。これは参ったねえ」


 そして、星がまたたく夜空の上で、私と悪魔の決戦が始まる。


 私は腕から触手を伸ばす。

 数は左右に2本ずつ。合計4本。私は武術に詳しくないから、これが正確に操れる限界だ。


 1本目。まずはエコーにまっすぐ伸ばしてみる。

 距離は50くらい。これくらいなら撃ってから見て避けるのは困難なはずだ。


 私は自分の目で追うことも難しい超高速の触手の鞭を振る。


「おや」


 エコーは当然のようにそれを避ける。最小限の動作で首を傾け、通り過ぎる蔦を見て笑っている。


 ……強い。たぶん、私の動きを先読みしてるんだ。


 続く2本目。私はエコーの足を狙う。

 移動させることができれば、隙につながる。どっしりと構えられるよりは、歩いている相手の方が、有効打を当てやすいはずだ。


「うーん」


 エコーは一歩だけ右足を動かして、体の向きを変えて避ける。

 これくらいは予想通りだ。問題ない。


 3本目。私は触手を伸ばしてから、薙ぎ払う。

 1本目と2本目は先端を当てるつもりで放っていたけど、これは中腹をぶつける形になる。


「見かけ倒しだなあ」


 エコーは感想を呟きながら、寝転んで避ける。

 とことん人を馬鹿にした動作だ。でも私はまだまだ冷静だ。


 4本目。これは放たない。手元に置いて少し待つ。


「……どうしたの? 嫌になった?」


 エコーの呼びかけは無視して、私は4本目の根元をちょっと叩く。


 私の触手は植物のような見た目をしているけれど、その性質は私の匙加減次第でいくらでもいじることができる。

 目や鼻の機能を持たせたり、分離したり、空を飛ばしたり、ある程度自由に行動させることさえできる。


 だから、私の魔法の本質は……なんでもありの無法だ。『肉体を変化させる』という条件さえ守っていれば、基本的にできないことはない。


 触手に拘る必要さえない。抜け毛や垢を発火させるくらい朝飯前。湯浴みの残り湯から知性を生むことだってできてしまう。アンジェは神がかりの力だとか、そんなことを言っていた気がする。


 さっき突撃した3本の触手だって、他にも機能を備えているのだ。


「くらえ!」


 私の合図で、1から4の触手たちは一斉に集合し、周囲の空気をぶっ飛ばしながら、物凄い勢いで絡まり合う。


 もちろん、近くにいたエコーも、寝転がった姿勢のまま巻き取られて、餌食になる。


「うおっ、あばばば!」


 エコーは頑丈な触手たちに挟まれ、それらの合体と同時に胴をぶつ切りにされる。

 触手たちの間に生まれる、強烈な旋風。それに巻き取られてしまえば、避けることなどできない。高密度の魔力で補強された触手を破って抜け出すことも、できるはずがない。


 エコーは首から上と、腕と胴のぶつ切りと、腹から下の部分に分かれて落ちていく。

 悲鳴はなし。悪あがきもなし。


 ……いくらなんでもあっさりしすぎているから、これで勝ったとは思えない。奴の魔力に印を付けて、次以降に備えよう。


「魔力は覚えた。……よし」


 これでもう、奴は隠れられない。どこにいても私が感知できるから、いつでも挑むことができる。


 〜〜〜〜〜


 《エイドリアンの世界》


 ドリーは、悪い子です。

 ずっとお姉ちゃんを傷つけてきました。

 今も、お姉ちゃんは苦しんでいます。ドリーのせいです。ごめんなさい。


 ……昔のお話を、します。


 ドリーが生まれたのは、お姉ちゃんの部屋でした。

 お姉ちゃんはつらいことがあったって言ってて、すっごく泣いていて、悲しそうでした。

 お母さんのお店で、踊れなくて、お客さんにひどいことされたみたいでした。


 ドリーが生まれて最初に見たのは、倒れている姉ちゃんでした。

 髪がボサボサで、体もボロボロで、なんだかかわいそうでした。


 ドリーは、目の前の人を助けるために生まれてきたんだ。そう思いました。

 だからドリーは、お姉ちゃんの頭を撫でました。抱きしめて、ぎゅってしました。


 お姉ちゃんはドリーに気がついて、こっちを見ました。

 ……()()()()()()()()()()()()()()


 ドリーは、わかりました。全部わかりました。

 お姉ちゃんは、何か、大切なものをなくしてしまったんだって。

 目が大変なことになってるのに、それより大切なものがなくなっちゃったから、悲しいんだって。

 お姉ちゃんはドリーが慰めないとダメだって、思ったんです。


 お姉ちゃんもドリーのことぎゅってしてくれて……あたしにエイドリアンって名前を、付けてくれたんです。


 お姉ちゃんは、いろんなことを教えてくれました。

 おうちのことを教えてくれました。ご飯の食べ方。着替えの仕方。お掃除の仕方。たくさん教えてくれました。


 一番好きなのは、お歌です。ドリーは歌うのが大好きです。

 お姉ちゃんは楽器を弾くのが得意です。お姉ちゃんが弾いてドリーが歌います。とっても楽しいです。


 あと、ドリーは魔法が得意です。えいしょうっていうのはよくわからないけど、なんとなくムムムってすると、いろんなことができます。お姉ちゃんはできないのが不思議です。もったいないって、思います。


 ドリーはお姉ちゃんから、たくさん貰いました。お勉強もご飯もお歌も魔法も。

 それに、いっぱいの『だいすき』も貰いました。お姉ちゃんはドリーが大好きだって言ってくれました。だからドリーも、お姉ちゃんのことが大好きになりました。


 ずっとずっと、こんな幸せが続くんだって、思ってました。


 〜〜〜〜〜


 《エイドリアンの世界》


 お父さんは、言いました。

 お外に出ちゃダメだって。

 ドリーがころされるって。

 みんなもころされるって。


 お母さんは、言いました。

 お店に近寄らないでって。

 みんなが怖がるからって。

 私もすごく怖いからって。


 ナターリアお姉ちゃんのお父さんとお母さんは、ドリーのお父さんとお母さんです。

 なのにみんな、ドリーのことを怖いって言います。近くに来ないでって、言います。

 お父さんはちょっとだけ優しくしてくれます。でもお母さんは怒ってばっかりです。


 お姉ちゃんは、言いました。

 ドリーは、悪魔なんだって。

 人間とは違う生き物だって。

 人間を不幸にするんだって。


 ……ドリーは、わかってしまいました。ドリーは幸せだけど、もっと幸せにはなれません。今が一番の幸せで、これから先は悪くなるだけだって。

 ……たぶんもう、だんだん悪いほうに転がり始めてるんだって。


 そんな時、愉快なネズミさんに出会いました。


「やあ。道化師のエコーだよ。元気がない子には、花をあげよう。ほら、笑って」


 そう言って、ネズミさんはお花をくれました。


 ドリーは知ってます。どこのおうちにも、ネズミさんや虫さんはいます。狭くて暗いところで、隠れて生きてます。なんだかドリーみたいです。


 ネズミさんは言いました。


「みんなで笑顔になれば、きっともっと元気になれるよ。エコーも笑顔。ドリーちゃんも笑顔。お母さんもお父さんも、みんな笑顔だ」


 その通りだと思いました。

 お母さんとお父さんとお姉ちゃんも幸せになれば、幸せがいっぱい。


 だからドリーは……ドリーは……。

 みんなを幸せにしようと、思ったんです。

 それだけが、ドリーにできることなんだって。


 〜〜〜〜〜


 《エイドリアンの世界》


「それが、君の言い訳かい?」


 今、ドリーの前にいる男の人が、そう言って杖をくるくる回しています。

 ドリーのお話を聞いて、面白そうにしています。ドリーが悪い子だって聞いて、笑ってます。


 ネズミのエコーさん。ドリーがいるこのお部屋にやってきて、みんなが幸せになる方法を教えてくれた、優しい人。

 ……だと、思ってたのに。


 ドリーは、騙されたんだと思います。

 悪い人に、嘘をつかれたんだと思います。

 お姉ちゃんに黙ってこんなことをしていたから、ドリーも悪い子になっちゃいました。ごめんなさい。


 ドリーはエコーさんに聞きます。


「ドリーのはっぱ、なににつかったの?」

「薬を作るための材料にしました」

「あのおくすり、へんだったよ」

「変、と言いますと?」


 ドリーはお姉ちゃんのお薬を思い出しています。

 あんなに怖いお薬は初めて見ました。前に見せてもらったのは、あんなじゃなかったのに。


 ドリーはお外に出られないから、普通のお薬がどういうものか、わかんないです。だから、騙されても気づきませんでした。


 にこにこしてるエコーさんに、ドリーは言います。


「さいしょにつくったおくすりと、ぜんぜんちがう」

「改良しましたよ。バレないように少しずつ弄れば、あなたの目をごまかせると思いまして」

「それに、おくすりのんだひと、へんになった。おかあさんのおみせにいたひとも、まちのひとも、みんなみんな……らんぼうになった!」

「あなたと同じになっただけですよ」

「ちがう!」


 ドリーは、あんなことしません。

 お母さんの酒場でいろんな人と喧嘩して、みんなを食べちゃった、ゲダイさんみたいにはなりません。アンジェちゃんと喧嘩なんか、絶対しません。


 ……でも、ゲダイさんは薬を飲んでて……その薬を作ったのは、エコーさんで……薬の材料になる葉っぱを作ったのは……。


 エコーさんは優しそうに見える笑顔で、ドリーに近づいてきます。


「自覚しなさい。お前は悪魔なんだよ。人間から生まれたとしても、結局人間を食い物にする。それが宿命なんだよ」

「ちがう……ちがう、ドリーは……」

「フフフ……君は悪い子なんですよ。()()()()()()()()です」


 エコーさんは杖の先っぽでドリーの顎を撫でます。

 気持ち悪い、です。そういうことをしていいのは、お姉ちゃんだけです。


 お姉ちゃん……。今、何処にいるんだろう。お薬を持って何処かに行っちゃったけど……。


「ほら、ドリーちゃん。君もボクの色に染めてあげよう。君のお薬をいじる過程で、君の魔力を侵す方法も掴めてきたんだ」

「……かってに、いじったの?」

「もともとボクのものですから、勝手も何もないでしょうに」


 エコーさんは、ずるいです。

 みんながおかしくなったのはドリーのせいだって言うのに、お薬は自分のものだって言ってます。

 こういうの、自分勝手って言うんです。ドリーだって知ってます。


 ドリーは杖を引っ叩いて、叫びます。


「もうきらい! ぜっこうする!」

「おやおや。たったひとりの友達を切り捨てますか。困りましたねえ。貴方の力は、なんとしてでも欲しいのに」

「ひとりじゃないもん! ドリーにはもう、アンジェちゃんがいるもん!」

「ああ、アレですか。あの女どもにはしてやられましたねえ。ゲダイはいい駒だったのに……」


 ドリーはお外で酷い目にあっているアンジェちゃんの顔を思い出します。


 可愛いアンジェちゃん。悪魔なのも、魔法が得意なのも、お姉さんと仲良しなのも、ドリーといっしょ。

 だけどアンジェちゃんは、とっても自由で、とっても素敵。かしこくて、優しくて、可愛い。

 ちょっとだけ悪い子だけど……相手のニコルさんは喜んでるから、ドリーは好き。


 でもエコーさんは、アンジェちゃんとは違う。街のみんなをおかしくしました。ゲダイさんを操って、みんなをころして、アンジェちゃんを傷つけました。


 だからドリーは、もう怒ったよ。生まれて初めて、ドリーは怒るよ。


 ドリーは背中にあるたくさんの枝を、ぐいぐいってします。

 やったことがないけど、たぶんできます。このお家はずっとずっとドリーが守ってきたから。()()()()は、だいたいわかります。


 エコーさんは、初めて嘘つきじゃない本当の顔になって、驚いています。


「おいおい、嘘だろ……まだ修行もしてないのにこれかよ。期待以上だけど、ちょっと参っちゃうなあ」


 ドリーは足から伸びている根っこをぎゅってして、踏ん張ります。

 地下室がどんどん狭くなっていきます。ドリーが土をいじって作ったお部屋だから、ドリーは好きにできるんです。


「困った困った。こりゃ大変だ。どうにかしないと、魔王様に怒られちゃうぞお」


 エコーさんはネズミに戻って、何処かに行ってしまいます。

 この街のネズミは全部、エコーさん。だから何処にでも行けるって、言ってました。


 壊れていくお家を見上げて、ドリーは決意します。

 エコーさんは、敵です。ドリーがやっつけます。

 みんなの分まで、ドリーが頑張ります。

 だから、どうか……。


「てんごくでみててね。おとうさん、おかあさん」


 食べられてしまったお母さんと、お家を守ろうとして負けたお父さん。

 2人に、ドリーはお祈りします。


 仇を討つよ。見ててね。


 〜〜〜〜〜


 アンジェはズタズタになった体を引きずりながら、東区を彷徨っている。


 先ほどから頭が痛い。ゲダイに指で刺された部分がずっと痛むのだ。

 自分は悪魔なのだから、片目を失ったくらいで死にはしない。そう思い込んでいたのだが、どうやら違ったらしい。


「(あいつの体に、毒があったんだ)」


 アンジェは脳を食い荒らされ、頭部にある穴という穴から血を垂れ流しながら、ぼんやりと推測する。


 傷が治らない。失った両腕が生えてこない。血を再生産するのに精一杯で、傷を塞ぐ余裕がないようだ。


 ……休んだ方がいい。理性がそう囁いている。だが人を助けたいという使命感と、悪魔を憎む復讐心が、更なる獲物を求めてアンジェを突き動かす。


「『土、の、腕……インドラ・モウ』」


 アンジェはよろよろと街を歩き、出会した悪魔を片っ端から殺しまわっている。

 過剰な威力の土魔法で、ぶよぶよとした肉塊たちを次から次へと葬り去る。


 たまに見かける人間たちは、アンジェの姿を見ると悲鳴をあげて逃げていく。


「おい、やべえのが来てるぞ!」

「悪魔だ……。悪魔がいるぞ!」

「あいつが東区のみんなを殺したんだ!」


 ゲダイと戦った直後から、ずっとずっと、悪魔に対する殺意を抑えきれずにいる。

 そんな態度が、顔に出ているのだろう。人間たちが怯えるのも当たり前だ。


 そう思いつつ、狭い路地裏を歩いていると……アンジェは不意に、足の裏で違和感を察知する。


「地震?」


 地下で何かが蠢いている。それほど深い場所ではなく、地表のすぐ近くで……。

 地中に住む魔物だろうか。それとも自然災害だろうか。どちらかというと、前者の可能性が高いものと思われる。


 アンジェは眼窩の血で赤く染まった視界を、足元に向ける。

 魔物がいるなら殺すだけだ。そう考えて、脚に魔力を溜める。


「『火の脚:マツ……」


 その瞬間、巨大な何かが地面を割りつつ顕現する。

 木製の建造物。土で汚れた無骨な外壁が、アンジェの体を押し上げる。


「ひゃっ!?」


 アンジェは魔法を中断させ……そして、魔力の制御を間違えて、自爆する。

 脚から噴き出した猛火が、アンジェの全身を包む。悪魔に向けられた殺意が、自らの体を焼いていく。


「ギャアアァァッ!!」


 アンジェは巨大建造物から落下し、火だるまになったまま、頭から地面に突き刺さる。

 木の根らしきもので掘り返されて柔らかくなった土とはいえ、当然無事では済まない。

 アンジェは自らの骨が砕ける音を聞く。


「ガハッ!?」


 毒でスカスカになった頭蓋骨がひしゃげ、ありえない方向に力を加えられた首が折れ、アンジェは完全に沈黙する。

 マンモンとの戦い以来の、完全なる戦闘不能だ。


「(痛い……いだいっ! いたいいたいいたい!)」


 アンジェは五感の喪失と共に、存在そのものを蝕まれるかのような凄まじい痛みに襲われる。

 死が、絶望が、無へと還る定めが、今にもアンジェを包み込もうとしている。


 シュンカに殺されかけた時。そして、イオ村の森でも経験した……死の暗闇。


「(やだ! オレもう痛いのやだなのに! どうして毎回毎回こうなるのっ! 死にたくない死にたくない死にたくないっ!!)」


 自我や精神を直接なぶられているかのような、強烈な不快感。二度とこんな目に遭いたくないと思っていたのだが……こうなってしまった以上、地獄の苦しみが続くのだろう。


 情けない。巨大な敵を前にして、体調不良で自滅するとは。誰かを守るどころではないではないか。


「(ああ、もう。どうしてオレはこうなんだ! いつまで経っても弱いまま!)」


 アンジェは不甲斐なさに胸を痛め、ありもしない歯を食いしばって軋ませる。


 とはいえ、毒でふらついたまま行動するよりは、むしろ安全なのかもしれない。自分にとっても、周囲の人間たちにとっても。

 冷静になって治療する機会をもらえた。そう前向きに捉えるとしよう。

 アンジェは襲い来る激痛に必死で耐えながら、そう考えて自分を慰める。


 ……問題は、あの巨大な木造建築か。

 悪魔のような気配を感じたが、何者なのだろうか。知識の海で探ってみても、正体が掴めない。家が動くなど聞いたこともない。ましてや地下に潜んでいるとなると、お手上げだ。


「(はやく……はやく、もどらなきゃ)」


 アンジェは周囲の土から魔力を吸い上げ、戦線への復帰を試みる。

 多少不恰好でも構わない。すぐにでも体を治して、ひとりでも多くの住民を救わなくては。予想外の大敵が現れてしまったのだから、今こそ戦わなくては。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 エコーは私の魔力切れを狙っているのか、人目を避けながらも堂々と活動し始める。


 どういうわけか、私の目を掻い潜る手段を持っているようで、たまに姿が消えて見えなくなる。シュンカの擬態みたいなものかな。

 でも常に消えていることはできないようで、手下のネズミを生み出す瞬間は擬態が解けるみたいだ。


 ……今のところ、怖くはない。あれを倒すというより、みんなを守るように戦った方がいい気がする。

 勝つのは大前提。だから、より完璧に近い勝ち方を目指していいはずだ。


 私はネズミが湧いたそばから蝶や蔦でそれを叩き潰しつつ、みんなを気遣う。


 ドイルさんは順調だ。ナターリアを含め、大勢の人間を守りながら戦っている。

 他の悪魔祓いたちと連携して、アンジェが戦っていたような大きな悪魔も仕留めた。やっぱり強いなあ。


 ナターリアは街のみんなを1ヶ所に集めて、音楽を聴かせている。そのおかげで、みんなは混乱から脱して大人しく守られてくれている。

 人を惹きつける美貌。音楽や踊りの才能。ナターリアは天性の芸術家だ。すごい人と友達になれたんだなあ、私たち。


 悪魔祓いのモズメさんと、お付きの三剣士たちは、まあ……頑張って戦ってはいる。魔法で街ごと破壊してるけど。


 そして、アンジェ。発狂したあの子にしばらく蝶を撃ち落とされてたけど、魔法が止んだみたいだし、そろそろ声をかけても大丈夫かな。

 そう思って、私はアンジェがいるはずの場所に近くの蝶を派遣させる。


「えっ」


 そして、それに注意を奪われる。


 木でできた巨人だ。街を軽々と見下ろすほどの、凄まじい巨体。

 全体的に四角い外見で、無骨な印象だ。大工さんが作った、絡繰仕掛けの家財道具……みたいな印象を受ける。


 でもあれ、たぶん魔物だよね。そんな感じの雰囲気が漂っているし。というか、魔物じゃなかったらなんなんなの、あれ。あんなものを人が作れるとは思えないんだけど。


「……あれ?」


 そこで、私は気がつく。

 その巨人の胸にある巨大な板。そこに刻まれた、見覚えのある絵柄に。


「小鳥の、巣」


 そう、私たちが止まっている宿屋、小鳥の巣の看板がそこにあるのだ。

 ということは、あの巨人の正体は……。


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