第48話『鍋をかぶった迷探偵』
《ナターリアの世界》
あたいはナターリア。小鳥の巣という宿の、表向きの看板娘です。
まあ、裏の看板であるドリーちゃんを何とかして表に引っ張り出そうと四苦八苦して五臓六腑が七転八倒なんですけどねハハハ辛い。
そもそもさあ、こーんな瓶底眼鏡の病みまくりブスを日向に出そうなんてさあ、おこがましいじゃないですか。世間様に対して。看板がこんなんじゃ、客が来ないのも納得ってもんですよ。
……えー、おほん。閑話休題。
あたいは今、地下でドリーちゃんに勉強を教えてあげています。具体的には、人間の体のことを教えているところです。
なんでかわからないんすけど、ドリーちゃんは今やる気がもりもりの大密林になっています。朝起きておはようの挨拶をするなり、あたいに「体のこと教えてー」って感じでして。
ああ今日も可愛いなあ、ドリーちゃんは。ドリーちゃんの頼み事なんて全人類誰一人として断れるはずがないじゃん。断ったらそいつは人じゃないから殺す。
あたいは自分のもさもさした頭を摘んで、ドリーちゃんにその名称を問います。
「これは?」
「かみのけ」
「これは?」
「まゆげ」
「じゃあ……これはなんすかねぇー!?」
「……まつげ」
「フォォォォォォッッ!!」
的確に回答していくドリーちゃんに感極まって、あたいはのけぞりながら奇声をあげる。
地下室は防音がしっかりしているから、いくら騒いでも外に漏れることはない。だから絶叫しても何にも問題なし。最高!
「よし。今日はまつげ記念日っすよドリーちゃん!」
「……おねえちゃん。もっと、おしえて」
「お安い御用の大捕物っすよ!」
あたいは上着の中からドリーちゃん用の筆記用具を取り出して、書く練習をしてもらおうとする。
ところが、紛れ込んでいたあたいの私物が、コロリと転がり落ちてしまう。
「……おねえちゃん。それ、なに?」
ドリーちゃんはやけに怯えた様子で、ちっちゃな人差し指をそちらに向けます。
転がっていったのは、丸薬です。植物の葉っぱを丸めて乾燥させた粒で、疲労回復や気分高揚の効果があるらしい。
毎日体を張ってお金を稼いでいる芸人さんたちの間で広まっている、流行のお薬です。これさえあればこの街はもっともっと栄えるでしょうね。だってこれ、本当にすごいんですもの。
「これはね、お薬だよ」
「おくすり……」
「飲むだけで気分がよくなって、毎日がキラキラ輝いて見えるんだよ」
全然誇張ではないっすよ。むしろこれでも表現し切れないくらい、しあわせがパッと溢れ出るんですよ。世界がキラキラに輝いて見えるくらい、頭がふわふわして体もぽかぽかして……。今度ドリーちゃんにも分けてあげようかな。
でもドリーちゃんは拾い上げた丸薬をまじまじと眺めて、申し訳なさそうに告げます。
「これ、ドリーはだめだとおもう」
「うーん。まあ、ドリーちゃんには、そうですね」
薬は体に合わせた調整が必要ですからね。体の大きさとか、体質とか、そういうのをちゃんと把握して処方するべきものです。
ちゃんと調べずに飲むお馬鹿さんも芸人さんの中にはいるみたいですけど、あたいはそういう人たちとは違います。ちゃんと管理してるから、大丈夫。
「ドリーちゃんにはどれくらいの量がいいのか、今度知り合いに聞いてみるね」
あたいがそう言うと、ドリーちゃんは首をぶんぶんと横に振って、後ろで縛った髪を振り回しながら否定します。
「ちがうの。なんかわかんないけど、これ、すっごくあぶないかんじがするの」
「ふむむー?」
ドリーちゃんは植物魔法の天才です。ニコルさんもとんでもないんですけど、本人曰く、ドリーちゃんには遠く及ばないそうです。
そのドリーちゃんが、ここまで危機感を露わにするなんて。製法か、あるいは原材料の植物か。そういう部分に、何かまずい点でもあるんすかねえ……?
あたいは服の内側に残っている丸薬を取り出して、自分でもじっくり眺めてみます。
色は茶褐色。大きさは小指の先ほど。そのまま飲む人もいれば、火で炙って煙を吸う人もいる。変わり種だと、水や油に溶かして飲む人もいましたねえ。
臭いはちょっと作り物っぽさがある。植物性のはずなのに、自然には存在しなさそうな、奇妙な感じ。
でも胡散臭い異臭がするのは他の薬も同じだと思うんすよねえ……。見た目も丁寧に作られているのがよくわかる丸さで、磨けば光りそうなくらいですし、ぶっちゃけ怪しいものとは……。
「見たところ、普通の薬にしか見えないんすけどね」
「……ふつう、しらないもん」
「あ、そうか。ごめんね、ドリーちゃん。今度持ってきてあげようか」
あたいにはドリーちゃんが間違えるとは思えないんですけど、どっちなんでしょうね……。正しいのはドリーちゃんか、それとも薬か。
……は?
今、あたい何を考えた?
専門分野で断言したドリーちゃんを、疑った?
神への冒涜。
「ぐあああ何言ってんだクソボケ! ドリーちゃんが全面的に正しいに決まっとるやろがい!」
「ひいっ!? なにごとー!?」
あたいは固い丸薬を握りつぶす勢いで拳を握り、鼻息を飛ばしながらドリーちゃんに詰め寄る。
ほんの一瞬でもドリーちゃんを疑ったあたいが愚かだった。ドリーちゃんは無知無知の無知だけど、この手の植物魔法に関しては絶対的な叡智叡智の叡智なんだよ!
「ドリーちゃんは妖精! ドリーちゃんは神! ドリーちゃんの意見に素人考えで口を挟むなど信者1号の名が廃るっ!」
「おねえちゃんこわいよお……」
「ぴゃっ!? ごめんごめん、こわくなーいこわくなーい」
ドリーちゃんを慰めながら、あたいは暇を見て丸薬の調査をすることに決める。
普段この薬を売ってくれている芸人さんに、問い詰めましょう。怖いけど、お母さんがやってる店の中なら、こっちに有利だと思いたいものです。
〜〜〜〜〜
《ナターリアの世界》
夜になりました。
広場の芸人さんたちは店じまいをし、今度は東の生活区域が忙しくなる時間です。
宿もちょっぴり人が増えて、慌ただしくなるんすけど……お父さんとドリーちゃんに無理を言って、少しだけ時間を貰うことができました。
そういうわけで、あたいは今、武装して酒場に来ています。
頭に使い古した鍋を被り、ぶかぶかの服の中に鉈とか櫛とか胡椒とか、色々詰め込んでいます。
……ま、単なる気休めですよ。
「たのもーっ!」
勢いよく扉を開けて声を張り上げると、酒の入った常連さんたちが、一斉に笑い出します。
「ぶははっ! 新入りかと思ったら、リアちゃんじゃねえか!」
「騎士様の真似かー!? 裏通りの連中よりは、皮肉が効いてて面白えなあ!」
「俺もやってみるか。ちょっと箒借りるぜ。……ここは俺が食い止めてみせる!」
「お、英雄様のお通りだ! 魔物役は誰だ!?」
「俺だ俺だ! ガルルルルル!」
魔物そっくりの声真似を聞き流しながら、あたいはすーっと酒場の隅を通り抜ける。
あたい、割と大真面目なんすけどね。真剣さが伝わらないみたいで、残念無念。
……まあ、酔っ払いは置いておくとして。
あたいは酒場の奥に座っている連中のところまで歩いて行って、どんと音を立てて腰かける。
体が重くなっているせいか、椅子が軋む。修理しないと保たないかな。後でやっておきましょう。
机を挟んで向かい側に座っているのは、危ない目をした男。
ここでも古株の方ですから、追い出したりはされないでしょうけど……ちょっとだけ仲間から疎まれていたりする、そんな人。
最近は芸を見せることがめっきり減ってしまったんすけど、昔は役者志望で、劇団に雇われることを夢見て悪魔の芸を続けていました。
彼の名前は、ゲダイ。
「……俺に用か?」
ゲダイさんは堀の深い顔をこちらに向けて、睨みを効かせてきます。
普段から悪役のような素振りをしているから、目つきの悪さが頭蓋骨にまで染み付いている、ような気がします。おっかない。
あたいは震え始める脚を押さえながら、単刀直入に聞きます。
「あの薬、何なんすか?」
ゲダイさんが安く売り捌いている、例の薬。現在では多くの芸人さんたちに親しまれているけれど、ゲダイさんは早くから目をつけていたように思う。
この人に聞けば、何か新しい情報が得られるはず。なんとなくですけど。
あたいの質問に、ゲダイさんは頬杖をつきながら、ぶっきらぼうに答えます。
「お前も飲んでるから、ちっとはわかるだろ?」
「それ以上のことを知りたいんすよ」
「なら、北区と西区の間あたりに行くといい。売人がいる。西区寄りのところなら、会いやすいかもな」
やっぱりゲダイさんが自分で作ってるわけじゃないんですね。そりゃそうか。薬師じゃないんだし。
だいたいに、こんなものを作れる知識がある人は、芸人をしようとすら思わないでしょう。あたいの決めつけですけど。
あたいは薬の現物をコロコロと転がしながら、何事かと見守っているみんなの方を横目で窺います。
シラけさせちゃいましたかね。これは悪いことをしました。
「お? あたいに酒でも奢るつもりっすか?」
「ちげえよ。まだ早えだろ」
「そんじゃ、酔っ払いは酔っ払いで酒盛りしててくださいねー」
「あいよー」
あたいに構わず飲むような雰囲気を醸し出しつつ、あたいはゲダイさんに問う。
「この薬、どれくらいの人数に渡してるんすか?」
「いちいち覚えてねえよ。来なくなった奴もいるし」
結構ばら撒いているらしい。
これは調査に苦労しそうですね。誰も彼もが薬を持ってたら、そのうち煙に巻かれて足取りが掴めなくなりそう。
あたいは注文を聞きに来た顔見知りの店員さんに、いつものやつとだけ告げます。
せっかく来たんですし、何か食べながらもう少し話をしていきたい。噂程度でもいいので、情報を仕入れておかないと。
「(そうだ。ニコルさんにも話を聞かないと。あたいに警告してくれてたし、何か知ってるはず)」
今思えば、ニコルさんは最初からあれの危険性に気がついていたんすねえ。確か、薬のせいで何処かの村が酷いことになったとか、そんな話を聞いた覚えがありますよ。
だとすると、この街も結構危険なんじゃ……。既に薬が蔓延してますし……。
何やら事件のにおいが立ち込めてきたのを感じながら、あたいは運ばれてきたみかんの皮を剥く。
ドリーちゃんが外に出られれば、もっと簡単に解決しそうなのになあ……。薬の製造元とかも、割り出せるかもしれませんし。
でも、仕方ないですね。あたいが頑張って解決まで導けばいいんです。気合い入れましょ。
〜〜〜〜〜
アンジェとニコルは、北区にある狩猟組合の本部でドイルと合流する。
この街を観光していた上に、何日か外に出ず愛を深めあっていたため、ずいぶん待たせてしまった。連絡くらいするべきだったが、後の祭りだ。
アンジェはおそるおそる、強面のドイルに詫びを入れる。
「遅くなりました。ごめんなさい」
「いつでも構わないと言ったはずだ。この街を楽しんでいるか?」
「……はい。とても」
「それでいい」
ドイルは相変わらずの仏頂面だが、何ひとつ文句を言う様子がない。
黒い外套に、黒い帽子。闇そのもののような立ち姿であるため、腰にさげた銀色の剣が一層目立つ。
無愛想だが、頼りになる。カッコいい。アンジェはドイルの人柄を再認識し、ほっと息をつく。
すると、後方にいるニコルがアンジェの隣まで歩いてきて、ドイルに尋ねる。
「あの、ドイルさん。最初に聞いておきたいんですけど……」
「なんだ?」
蝶に変化させた触手の目で周囲を警戒しながら、ニコルは顔色ひとつ変えずに続ける。
「本当に入っても大丈夫なんですか? ここ、悪魔祓いの人たちがたくさんいますよね?」
ニコルは自分たちの正体が発覚することを恐れているようだ。
それも無理はない。アンジェの目にも、北区にいる人間たちの姿は写っている。
他の区域よりも年齢層が高く、すれ違う人々の大半が武装している。何処かの用心棒らしきいかつい男。悪魔祓いらしきボロ布の男。
たまに出会う商人や貴族も、護衛という名の盾を連れている。おそらく人を金で雇えるか、脅して顎で使えるほど、高い地位にいるのだろう。
アンジェは彼らの視線を気にしながら、会話の行方を追いかける。
「私は悪魔っぽく見えないみたいですけど、アンジェは危険ですよね?」
「一応、人が来ない場所を検討してあるが……そもそもアンジェの擬態を見抜けるほどの悪魔祓いはそうそういないぞ」
アンジェにはとてもそうは思えないのだが、彼がそう言うのなら、そうなのだろう。
外見だけで悪魔祓いの実力を判断できるほどアンジェの目は肥えていない。また、知識の海に頼ったとしても、勘などの感覚に頼る部分はどうしても苦手だ。
周囲にいる誰も彼もが、アンジェより強い古強者である。そう考えて慎ましく行動するのが得策だろう。
ニコルはとりあえず納得したようで、アンジェの頭を撫でてくる。
好意に満ちた仕草だ。彼女と触れ合っていると、心が安らぐ。
「えへへ……」
アンジェはニコルの白い手に頬を擦り寄せ、笑みを浮かべる。
そうだ。いざとなれば、ニコルとドイルが庇ってくれる。悪魔だとバレても、2人が捕虜だと言ってくれれば、それで切り抜けられるのだ。
「許可は取ってある。ついてこい」
そう言って、ドイルは狩猟組合の無骨な扉を迷いなく開ける。
まだ心の準備ができていないが、仕方あるまい。
アンジェは腹にぐっと力を入れて、組合の本部へと突入する。
〜〜〜〜〜
狩猟組合。正式名称『赤追い組合』。
その名には、手傷を負わせた魔物を逃さず狩るという意志が込められている。
獲物が垂らした赤い血を、どこまでも追いかけて必ず仕留める。それが赤追いの由来だ。
アンジェが室内を見回すと、泥臭い空気が目と鼻に飛び込んでくる。
引っかき傷が木造の壁や床を埋め尽くしている。ここを訪れる者の剣や鎧で擦れ続けているからだろう。
貴族の屋敷のように広い建物だというのに、美術品の類は一切飾られていない。ここにはあるのは掲示板と、いくつかの机と椅子だけだ。
目を凝らして掲示板の貼り紙を見ると、お尋ね者の人相描きや魔物の出現情報、あるいは貴族や商人からの求人が掲載されている。
依頼人が好き勝手に貼っては剥がしているためか、紙の質も文章の体裁もまるで統一性がない。中にはいつからあるのかわからないような古ぼけた紙まで見受けられる。
「(王都周辺地域に出現した魔物の捜索……。隊商の護衛……。ん?)」
アンジェはひとつだけ気になる見出しを見つけ、目を凝らして内容を確認する。
「(誰でもできる気付け薬の販売業務。用法が記載された説明書を配布するので初心者も安心。催促なし。販売目標なし。お気軽にご参加ください。連絡先は、北西の……。なにこれ?)」
悪魔祓いに頼むような仕事ではないような気がするが、あれは一体どういう事だろう。目立つ位置に貼られているのは、掲載されたのが最近だからか、あるいは他を押しのけてでも貼ったおきたいほど人気があるためか。
……怪しい。ナターリアが言及していた薬の出どころは、ここなのか?
だとしても、堂々と貼り紙をするとは、大胆不敵にも程がある。
アンジェが首を傾げていると、ドイルがこっそりと声をかけてくる。
「ここは人目が多い。行くぞ」
「はい」
情報の塊を見てつい立ち止まってしまったが、まったくもって彼の言う通りである。
辺りを見ると、余裕のなさそうな表情をした悪魔祓いたちが、アンジェを注視しているのがわかる。
本来こんなところに子供がいるはずがないのだ。怪しまれて当然である。
アンジェは彼らと目を合わせないように神経を集中させて、ドイルと共にそっと逃げる。
「(みんなおっかないな……。あの人、オレのこと睨んでない? 声かけられたらどうしよう)」
ただでさえ対人恐怖症ぎみだというのに、殺気に満ちた悪魔祓いと会話などできる気がしない。
しかし挙動不審になってしまうと、それはそれで怪しまれるはずだ。ニコルとドイルがいれば追及をかわせるとはいえ、怖いものは怖い。
アンジェは目に涙を浮かべながら、ニコルの背中に隠れようとする。
これ以上注目を浴びないように、音を立てないようゆっくりと動き、慎重に、冷静に……。
「お前……怪しいぞ」
「びゃあああんっ!」
「もっと普通にして……どうした!?」
ドイルの忠告に不意を突かれたアンジェは、失禁しながら空中で大回転し、後頭部を打ち付けて鈍い音を立てながら転倒する。
……今回は気絶しなかったため、一応進歩はしているのだろう。こんな有様では、今ひとつ成長を実感できないが。
〜〜〜〜〜
ドイルの部屋まで担ぎ込まれたアンジェは、ニコルに濡れた服や体を拭いてもらっている。
頭でぶち抜いた床板の弁償は必要ないらしいが、あの場にいた全員に顔と名前を覚えられてしまった。金では買えないものを失ってしまった気がするので、まったく助かった気がしない。
「う……ぐすっ……ニコルぅ……」
アンジェは泣きながらニコルに縋り付いている。
元から寝小便が治っていなかったが、女性に変化して以降、更に膀胱が緩くなっている。原因は未だ不明であり、治る見込みもない。
……そもそも悪魔の体は魔力でできている。魔力を摂取できるなら食事という形式に拘る必要はなく、汚れた魔力を体外に出す手段があるなら排泄も不要である。
そのため、ニコルは肉体改造によって排泄しなくても生きていける体に変化しているのだが、どういうわけかアンジェは小水をまったく制御できない。生物として欠陥があるような気がしてしまい、情けない。
ニコルはドイルを触手で牽制しながら、水の魔法でアンジェを洗濯し、ため息をつく。
「あのね、アンジェ。いくら女の子になっちゃったからって、普通こうはならないと思うの。次同じことやったら、怒るからね」
「ごめん……ごめんなさい……」
ニコルが怒りを露わにするのは珍しいことだ。温厚な彼女の機嫌を損ねるのは、嫌われてしまいそうで怖い。
するとドイルは配慮のために背を向けたまま、何か恐ろしいものに直面したかのような歯切れの悪い口調で、声をかけてくる。
「女に、なった……?」
「あっ」
「そういえば言ってませんでしたね」
口を押さえて慌てるニコルを制し、アンジェは自らの秘密を開示する。
ドイルは味方で、既に2人のことをだいたい知っている。また、2人に対しては性別を意識せず、まとめて『子供』という枠組みに押し込んでいる節がある。この情報を与えたところで、これからも関係は変わらないだろう。
「オレ、悪魔になる前は男だったんですよ」
「……そんなことがあり得るのか?」
「あり得たんですよ。現実に」
悪魔は似た生物に大量の魔力を与えることで同種に変えてしまう。あの日アンジェに投与された瓶の中身は、おそらく女性の悪魔の魔力だったのだろう。故にアンジェも女性になってしまった。
……そうした生殖方法の都合上、悪魔には肉体的な意味での性別が存在しないはずなのだが、どういうわけか心の性は男女に分かれているらしい。おかしなことだ。
ドイルは背中で困惑を表現しながら、悪魔祓いとしての経験を語る。
「悪魔には、何度か出くわしてきたが……ほとんどは男のような口調で、男のような体格だった」
「へえ……」
「俺以外もそうだ。女の悪魔を見たことがない奴がほとんどだろう。いくらかはここの記録に残っているかもしれないが……話題になったことが無い以上、存在しない可能性の方が高いな」
アンジェが持つ知識の海には、悪魔の性別については記載がない。研究されていないためか、結論が出ていないためか。
これまでに何体もの魔物の生態を見てきたが、いずれも雌雄の違いについては触れられていないかった。魔なるものたちの男女関係については、謎が深まるばかりだ。
ドイルは手持ち無沙汰な様子で首の後ろを掻き、考え事をしている。
「悪魔に女はいない。悪魔祓いはそう信じ込んでいる奴が多い。かくいう俺も、お前たちと出会う前はそうだった」
「女の悪魔って、そんなに少ないんですね……」
「だが、その考えは間違っていたわけだ」
ドイルはうっかりアンジェの方を向こうとして触手で叩かれながら、自らの記憶を巡っている。
「俺が戦った悪魔の中には、人間からかけ離れた姿の奴もいたが……もしかすると、男だと思い込んでいただけで、中身は女だったのかもしれないな。考えたこともなかったが」
悪魔の外見は様々だ。人間たちに近いものも、獣に近いものもいる。そして、魔王のように既存の生物に当てはまらないものも……。
アンジェは念のため、心当たりを尋ねてみる。
「女っぽい悪魔って、いました?」
「ヘキリュウという竜と戦ったことがある。あれは女だったかもしれん。もうこの世にいないが」
さらりと竜殺しを語ってのける彼は、アンジェの体をまじまじと眺める。
「お前はあらゆる意味で例外中の例外だ。女の悪魔で元人間。しかもかつては男だった。……こうして口に出すと、異常性がはっきりするな」
アンジェは綺麗になった下着を履きながら、自分の体をまじまじと見る。
今の自分に、男のそれはついていない。下着の中を覗いてみても、女であることの証明にしかならない。子供を育てるための内臓も、奥にある。
……そして、アンジェはその現状を、すっかり受け入れてしまっている。
男に戻るための魔道具ができた。使ってみないか。誰かにそう言われても、アンジェはそれを拒否するだろう。
ニコルは今のアンジェも愛してくれている。ならばアンジェは、女でいい。
いや、そんな後ろ向きな考えでもない。アンジェは女がいい。女のまま生きていきたい。
「ドイル。過去がどうあれ、オレは女だ」
「それでいいのか? 男として過ごした年月の方が、遥かに長いだろうに」
「そんなの、どうせ数年で逆転する。それに、その、恥ずかしくて言いにくいんだけどさ……」
アンジェはかつて川で見た自分の容姿を思い出しながら、ニコルとドイルから目を逸らす。
「オレさ……女の子になれて、幸せなんだ。可愛いって言ってもらえて、嬉しいんだ」
アンジェははにかんで、現在の自分を肯定する。
元に戻ろうとする努力も、男だった過去にしがみつく努力も、しなくていい。自分はこれでいいのだ。
ようやく振り向くことができたドイルは、理解できないという態度を顔に出しながらも、言葉でアンジェを肯定する。
「お前がそれでいいなら、俺も女として扱おう」
そして、ドイルはわざわざ用意したらしい子供用の椅子を持ってきて、部屋の中央に置く。
「ここなら人は来ない。組合の話をしようか」
……来客が絶対にないと断言する彼を憐れみつつ、アンジェはそれに腰を下ろす。




