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第47話『悪徳、美徳、傲慢の証』

 《ビビアンの世界》


 ぼくは書庫の片隅で紅茶を飲みながら、戦記モノの小説を読んでいる。


 この手の本はあまり興味がなかったけど、戦場でそれなりの地位を得ている立場だから、いつまでも戦争に関して無知でいるわけにはいかない。有名な戦くらいは押さえておかないとね。


「ふぅん。水の魔法は部隊を支え、戦線を維持するための要……。水の確保が容易になれば食事は当然として衛生面も安定し、兵の士気が高まる。水と火の魔法は古来より人気が高く……。ふふっ。いいねぇ」


 水魔法が良い扱いを受けていると、自分が褒められてるみたいで気分がいい。体が水でできたぼくだからこその感性だ。


 ぼくは気分の高揚に合わせて紅茶をひと口飲み、更に深く悦に浸る。


 ピクト領()()・ビビアン。通称『群青卿』。それがぼくの今の立場だ。

 くすぐったいけれど、みんなから頼りにされているみたいで、悪い気分ではない。功績を積み重ねて偉くなって、地位を活かして更に功を積む。なかなか良い循環だ。


 この国の貴族は、基本的には伯爵ばかり。ピクト領の領主であるニーナもまた、伯爵だ。危険地帯を任されている辺境伯だから、ちょっとだけ箔がついているけど、まあ似たようなものだ。


 そして、当たり前ではあるけど、この街における他の人間は、誰も彼もニーナより低い爵位しか持っていない。この国における爵位は、個人に付与される称号だからだ。


 実家が金持ちだとしても、高貴な血を引いていたとしても、生まれただけで偉いわけじゃない。たとえニーナの家族であったとしても、勉学や社交に励んで努力しなければ、居場所がない。頑張れば子爵くらいにはなれるけど、当主を超えるのは難しい。


 ……そう。そういうことだ。

 もはや言い訳なんかできない。ぼくは完全なる貴族になってしまった。嫌だからと言って、逃げることはできない。

 一挙一動で、多くの人間の生活を……そして命をも左右することになる。

 責任重大だ。胃が痛い。


 マーズ村のみんな。これが自己顕示欲をこじらせた変態の末路だよ。こうなりたくなかったら、大人しく親の言うことを聞いて、慎ましく生きるんだよ……。と、言いに行けたら良いのにね。


「……卿。お時間です」


 ぼくの専属として任命された青年の使用人が、静かに声をかけてくる。

 名前はライン。ちゃんと覚えてますとも。知ったのは最近だけど……。


「わかった。着替え、よろしくねぇ」

「かしこまりました」


 ぼくは本を閉じて、移動用の外套を羽織り、この街におけるぼくの役目を果たしに行くことにする。


 とはいえ、これは貴族になる前と変わらない。普段はニーナのために魔道具を作り、召集があったら戦いに出る。それだけだ。


「今日は平和みたいだし、のんびり作業するか……」


 ぼくは使用人を伴って工房に行き、動きやすい格好になってから義手を作る。


 義足はもう問題なく作れるようになったので、今は精密な義手を勉強中だ。これも一人で完成させられるようになるのは、時間の問題かな。こう見えて、ぼくは真面目な努力家なんだよ。


「聖水循環機構……よし。点検終了」


 ぼくは魔道具に内蔵された聖水が正しく回路を巡っているのを確認して、隣の部屋の扉を叩き、師匠である主任技師のクリプトンに見せに行く。


「できました」


 彼はぼくから義手を受け取り、凄まじい手際で分解してざっと中をあらためた後、首を縦に振り、何も言わずに突っ返す。


 ……いくら彼が無口とはいえ、何ひとつ文句をつけてこないのは珍しい。

 これは、まさか。ついに。


「これを読むといい」


 クリプトンは、ぼくに設計図の束を手渡す。

 山のように重ねられた、凄まじい重量の紙の塊。分厚く重い、この工房の歴史そのもの。


 ぼくは興奮気味にその表紙を確かめる。

 描かれているのは、ニーナの胴体部分。これまではクリプトンしか触れられなかった、辺境伯の力の源。屋敷にあるどの宝石よりも価値が高い秘宝だ。


 ぼくはどうやら、新しい境地に達することができたようだ。職人としても、この地の貴族としても。


 ぼくは胸の中にある重さを噛み締めながら、頭を下げる。

 紙の重みだけじゃない。信頼を得られた喜び。未知に対する好奇心。それらが織り合わさってできた、燃えるような情熱。そんな素晴らしい感情が、ぼくの胸を圧迫しているんだ。


 ぼくはクリプトンに背を向けると同時に、頬を緩めてニヤニヤと笑う。

 さあ、挑戦の時だ。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 数日後、工房にて。

 ぼくは図面を見つめながら、頭を抱えている。


「参ったなぁ……。どうすれば……」


 このところ、ずっとこの調子だ。

 うん。間違いなく停滞してる。自覚はあるよ。


 ぼくは手元にある完成済みの内臓を検分して、その機能が働く様子をぼんやりと見つめる。


 魔道具の素材は高い。霊山の奥深くでのみ採掘される魔鉱石。使い手が少ない植物魔法で作られた樹脂。最高品質の聖水。どれも手に入れるのに大金貨が必要な超高級品ばかりだ。


 故に、今のぼくは内臓を同じ材料で作ることを許されていない。絶対に失敗できないからだ。そっくりな模型で状況を再現しろという課題を出されている。


「くそっ。実物で練習したい。作ってみたい。それさえできれば前に進めるはずなんだ……。でも、材料を無駄遣いするわけには……」


 ぼくはクリプトンさんが作った内臓を見て、呻く。

 機能はわかる。組み立て方もわかる。模型を組み立て、ガワを作れる。

 でもこれは魔道具だ。魔力を注いで、内部に魔法を成立させないといけない。その部分だけが、どうしてもわからない。


「魔力を吸収……? 聖水の浄化……? ただ動かすだけじゃ解決できない……。どうすれば……」


 ぼくは暗くなりかけた工房の中で、奥歯を強く食いしばる。自分の不甲斐なさを噛みちぎり、無念と共に飲み込むかのように。


 ……そして、膝を軽く叩き、一気に力を抜く。


「よし。視点を変えよう」


 どうやら頭の中に解答は存在しないようだ。

 ならば、いつまでもここで足掻いているわけにはいかない。外に答えを探しに行こう。


 ぼくは悩むのをやめて、明日からは書庫に通うことを決める。

 あそこは知識の宝庫だ。クリプトンもあれらの書物で学び、今の技術を得たという。だったらぼくも、本を読んでひたすら勉強し続ければ、なんとかなるはずなんだ。


 ただし、貴族としての会合など、外せない予定が詰まっている。ぼくがそういったことを疎かにすれば、ニーナが困る。だからあくまでも、可能な範囲で努力を続けることになる。


 ぼくは持ち出し厳禁の設計図を大事に仕舞い込み、工房に鍵をかける。

 明日は貴族たちが集まる食事会だ。早めに寝て、備えよう。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 屋敷を会場にして行われている、食事会。

 ぼくはその片隅で、ピクト領まで遥々旅をしてきた貴族たちに囲まれ、もみくちゃにされている。


 そりゃそうだ。この宴の名目は、ぼくの紹介なんだから。


「群青卿は我々と思想を異にする存在であると風の噂になっておりましたが、やはり事実無根でしたな」

「辺境伯同様、大変に英雄的なお方であるとか。当家ともぜひ、縁を結んでいただけると……」


 寄ってたかって声をかけてくる貴族たち。太っちょの髭面ばかりで、顔と名前を覚えきれない。

 どうして貴族という生き物はこうも肥えているのだろう。長旅によって脚を酷使してきただろうに。

 ……いや、馬車か何かで長距離を移動できるから、むしろ一歩も歩いていない可能性すらあるのか。貴族ってずるいなぁ。


 ぼくは適当に返事を返しつつ、誘いを受けた時だけは丁寧に断る。

 貴族は当たり障りのない言葉を拡大解釈して、約束を取りつけたことにしたがる生き物だ。口約束でも、貴族たちの耳と目があるこの場所では、有効な契約になってしまう。

 特に縁を結ぶという文言には絶対に乗るなと、厳命されている。


「(よその領地に旅行させられるだけならまだいい。縁談を持ちかけられたりしたら、流石に気分悪くなるからね)」


 ただでさえぼくは貴族嫌いだというのに、そんな話をされたら、取り繕った笑顔さえ消え失せてしまいそうだ。

 目下のいじめ方しか知らないような貴族のお坊ちゃんと対面させられるくらいなら、水たまりを眺める方が、気分が落ち着くぶんマシだ。


 ぼくは慎重に貴族たちをあしらい、彼らが離れるまで相手し続ける。

 つまらない、仲良くする価値のない奴と思われては困る。たまに相手の気を引くようなことを言って、耳を傾けるだけの価値があるという評価を確保しなければならない。


 ……そして、しばらく経過した後。

 彼らはだいたい満足したのか、それとも引き抜きを諦めたのか、ぼくの側から離れてお互いに会話をし始める。

 明るい笑顔を浮かべているが、仲良しこよしという雰囲気ではない。ぼくという金鉱を確保するために、牽制し合っているようだ。


「(おっかないねぇ……)」


 ぼくはそっとその場を離れて、ニーナの所に向かう。

 あの人がいれば、貴族はたじろぐ。貴族どころか人としても色々と型破りだから、誰ひとりとして自分の主張を保てなくなるのだ。


 故に、ピクト領の最高権力者でありながら、ニーナはあまり話しかけられない。少し寂しげではあるけれど、あんな話し方しかできない以上、仕方ないね。


 むしろ何人かニーナの言葉がわかるらしい人がいるのが驚きだよ。熱心なおっかけか何かか……?


「群青っ!」


 ニーナは貴族たちの前だというのに、相変わらず大きな声で胸を張って大威張りする。

 彼女はこの会場で一番偉い立場ではあるけど、親友としてはもう少し態度を控えてほしいものだ。ピクト領は彼女の双肩にかかっているのだから。


 ぼくは一応他人の目があるので、貴族らしい表情を崩さないまま、豪華な衣装をつまんでお辞儀をする。


「ごきげんよう、辺境伯」

「麗しきかな白き羽衣! 音に聞く枯山水!」

「ええ。ピクト領を流れる川を表現した衣装ですわ」


 枯れてどうすんだ、というツッコミが口から飛び出しかけるが、他人もいる手前、やめておく。


 この服を作ったのはぼく自身だ。魔道具の布が手に入るようになったので、修業も兼ねて、隙を見て衣装作りをしている。最近はこの街の繊維業や織物屋とも仲良くし始めたところだ。

 それにしても、現役の貴族から褒められると、なかなか嬉しいものだね。職人冥利に尽きるよ。


 ぼくは作り物ではない本当の笑顔をニーナに向けながら、前置きとして感謝の言葉を述べる。


「このたびは素敵な会を……」

「うむ、くるしゅうない!」


 だよね。ニーナはこういうおべんちゃら、好きじゃないもんね。後で個人的にたっぷり感謝しておこう。


 ぼくはちょっとだけよそ行きの笑みを崩して、貴族ではなくビビアンとして尋ねる。


「此度の巡り合いはいかがですか?」

「可愛らしいものかな! 心臓が万歳である!」


 なるほど。目上がいないから気が楽なようだ。


 この場に来ているのは、大半が子爵以下の貴族だ。

 今回に限らず、外に出て偉い人相手に挨拶回りをするのはだいたい子爵だ。それなりの箔があり、それでいて領地から出ても問題ない立場だからだ。ぼくのような引きこもり子爵は例外といえよう。


「(伯爵以上……領地を守る立場にある人間がここを訪れるのは……大規模な会合の時だけだ。ぼくが出会えるお偉いさんは、ニーナくらいだろうな)」


 ぼくがニーナを見上げると、彼女は何をどう解釈したのか、周りの視線からぼくを守るような立ち位置に動く。

 他人に見られたらまずいことをするつもりなのだろう。ぼくは注意深くニーナの様子を伺う。


「群青。深き谷が、山を割っている」


 その言葉に、ぼくはハッとする。

 暗黒の谷は、魔王がいる場所。故にこの街においての谷は、不吉を意味する。

 ならば、今の言葉の意味するところは……。


「(要注意人物が紛れ込んでいる?)」


 ニーナはぼくが作った義手をそれとなく動かして、会場の隅にいるひとりの人物を示す。


 結構いい歳の、ちょっとお腹が出た女性だ。典型的な貴婦人。ぼくの嫌いな人種のひとつ。

 でも服の趣味はなかなかぼくの好みだ。自分の体型を隠蔽するのではなく、あえて記号として活かすような衣装。着飾ることで包み隠すのが貴族という生き物だけど、彼女からは一匹の命としての自信を感じる。


 確か、この食事会が始まったばかりの頃に、ニーナと話していた人だ。他の面々より先に来ていたということは、ここにいる貴族の中では、比較的格のある人らしい。


 そういえば、ぼくもあの人と話した気がする。目まぐるしく人が入れ替わるから、覚えきれなくて……。情けないなぁ。


 ニーナはへったくそな字を手のひらに表示する。

 ぼくの改良によって追加された、水魔法による文章の作成機能だ。これならいちいち紙を取り出さなくても、簡単に筆談ができる。

 特に……こうやって密談をする時には重宝する。音も予備動作も発生しないからね。


「『パンドーラ ・フォン・ソーラ』」


 なるほど。それが彼女の名前らしい。ソーラということは……マーズ村やサターンがある領地の人か。


「(ふぅん。確かに、それは気になる)」


 ぼくは途端に興味を惹かれ、思わずその人に視線を向けてしまう。

 自分の故郷の領主ならば、他の有象無象のようにあしらうわけにはいかない。それが敵だと言うのなら、尚更だ。

 その気になればジーポントとミカエルを……マーズ村ごと燃やすことさえできる人物なのだから。


 ところが、ニーナはぼくと彼女の間を遮るように素早く移動する。

 改造によって機動力を増した義足による、人間離れした歩法だ。クリプトンが考案し、ぼくの水魔法を組み込むことで、ようやく実現したもの。


「群青」


 ニーナは水の文字がついた手のひらを顔のそばに突きつけてくる。


「『見るな。寄るな』」


 ただごとではない。ニーナがこれほどまでに警戒するのは、初めてだ。

 ぼくの命さえ助けてしまうほどに、ニーナはお人好しなのに。


 ぼくは凍りつきそうな感覚を味わいながら、無言でニーナの顔を見る。

 ニーナは怒るわけでも、悲しむわけでもなく、ただ無表情でぼくを見下ろしている。


 ……事あるごとにうるさく騒ぐニーナの、感情が消えた無表情。

 それはぼくにとって、何よりも恐ろしいものに感じられた。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 ぼくは食事会の後、ニーナと自室で会話をする。

 食後の軽い口直しと、反省会を兼ねたお茶会……という名目で、パンドーラという女が何者であるかを教えてもらうのだ。


 ニーナは目の前に置かれたお茶を眺め、それに映った自分の姿を見ている。


「空の色。混沌に陥りし舌禍に希望を授ける者か」

「色だけで銘柄までわかるんだねぇ」


 ニーナは食事を摂ることができない。精密魔道具である内臓が機能不全を起こすからだ。

 ある程度の水や塵なら、入りこんでも排除して自己保全できるけど……高熱や酸性を帯びた不純物を大量にとなると、厳しい。

 ぬるいお茶の一杯くらいなら、ぎりぎり飲めなくはないけど……味がわからないし、飲む意味が無い。


 それでもぼくがニーナの分を用意したのは……彼女をひとりの女性として同列に扱いたいからだ。

 食後にちょうどいいあっさりとしたお茶をわざわざ選んだのも、ぼくの気配りかな。


 ニーナは紅茶を目で楽しむのをやめ、真剣な表情で本題に入る。


「我にも仔細、極彩、重箱の隅は見極められない」


 そう前置きした上で、ニーナはぼくに忠告する。


「奴からは危険な香りがする」


 雰囲気で危険を感じ取った……というよりは、そのままの意味だろうか。変なものが付着していて、その臭いを嗅ぎ取った……とか。


 ぼくは久しぶりにニーナの言葉の意味を読み取りきれず、困惑する。言葉を選んでいるのか、いつもより情報が少ないのだ。


 するとニーナはぼくが保管している茶葉の棚を指し示して、呟く。


「あれの類である」


 危険な香り。そして、棚。いや、茶葉か。

 危険な茶葉。お茶に毒でも入れた……というわけではないだろう。奴がそんなことをしていたら、ニーナが黙ってはいないはずだ。


「(そうだ。ニーナは武人。敵がいるなら戦えばいいはずなのに、あの場では見逃すことを選んだ。相手が貴族だから。そして、たぶん証拠が無いから……)」


 ぼくは行き詰まり、パンドーラという女性が悪とされる理由から考えることにする。


 あの女の罪は、殴れば解決するようなものではないのだろう。それどころか、周囲の貴族の非難を浴び、かえって事態がこじれる可能性があると考えられる。ニーナは狂人だけど、その辺りの判断はできる人だ。


 ソーラ領の領主は、きっと味方が多いのだろう。あの辺りは交易が盛んだったはずだから、方々に貸しを作っていてもおかしくはない。

 彼女がどれほどの悪党だろうと、殴ったら大規模な戦争になりかねない。厄介だ。


「(だとしても、この情報からパンドーラの正体には行きつけないなぁ。降参だ)」


 少し考えてみたけど、ぼくにはわかりそうもない。ソーラ領の事情なんて、貴族として新参者のぼくにはさっぱりだし。


 ぼくはニーナの前で強く瞬きをして、更に話を聞く姿勢を見せる。

 貴族は簡単に「わかりません」と言っちゃいけないらしいからね。あと「ごめんなさい」も禁句だ。


「……群青。我は貴殿の茶器である」

「はいはい」


 あーはいはい。そうでした。ここが茶会の場で、ニーナがあんまりにも優雅だから、うっかり貴族としての振る舞いが出てしまいました。失敬失敬。


「どっちでもいいでしょ……まったく」

「ふんっ! 弾みをつけて体勢を崩します!」


 ニーナは貴族としての態度をわざとらしく崩して、慣れない素振りで天井を仰いだり、足を組もうとしたり、胸元をはだけさせたりしている。


 ……ぼくにもそうしてほしいからか。

 ぼくも足を組み、机に肘をつく。


「で、奴の話は?」

「あー、かの昏き輪の女人は、黄金色の輝きを纏うことに迷いを見ぬ内情であってな……」


 翻訳が面倒くさい。

 ……ふむ。奴はお金が好きなのか。


「自らの相方たる者は星が降るほど夜を見る有様であり、それこそ大火の出所なりと世界の影にて仄めかされている。美しき夜空から堕ちたる光こそ、忌むべき蛇なれば」


 親しい人に愛想を尽かされ、病んでしまい、貴族の間ではそのうち尋常ではない沙汰が起きそうだと噂になっている、ということか。


「ついには人心を悪へと堕とす茶葉に染まる」


 ……えっと。

 これは、その……。


 ……そう、なのか。

 言いにくい理由は納得できた。大変なことだ。


「わかった。あの人の何がどう悪なのか、よくわかったよ」

「であろう? 茶の根は深く、広い。故にこそ、かの者ではなく、輪を成し取り囲む茸の妖精にこそ、真なる閃きがあると我は思う」


 ニーナが提唱する対策を聞きながら、ぼくは旅をしていた頃のことを思い出す。


 旅商人として世界各地を渡り歩いていた時、ぼくもその()()に遭遇したことがあった。

 持ち運ぶのに便利で、高く売れる。しかも()()()()()()から、千客万来で収入が安定する。


 どうせ逃げ続ける身だから、それの売人に手を染めてしまおうかと思ったことがある。

 でもノーグに言われて、やめたんだ。ただでさえ罪深いのに、これ以上他人を不幸にするわけにはいかないって。

 ……ぼくのために何人も襲撃者を殺し、罪滅ぼしから逃げ続けていたのに、よく言ったもんだよ。


「群青。我は星座を紡ぎ、かの悪しき流星を空より追いやった。すなわち今こそ、ドウの頭を撫で、見ず知らずの路傍の石を蹴るべきですわ」


 食事会の間、ニーナは貴族たちに呼びかけて、あの人の味方をしないように説得していたのか。


 それよりも、聞き捨てならないのは発言の後半だ。

 道祖神の頭を撫でるのは、旅人だ。それが見ず知らずの路傍の石を蹴るとは……つまり……。


 僕は机の上に肘を置いて、ニーナを問い詰める。


「旅して様子を見てこいって?」

「左様。外は未だ群青に染まらず。故に、名と色を影に投げ入れれば、容易に潜める」

「……それだけじゃ、ないよね?」

「無論。其方が激流であるが故に」


 ……ぼくの思い違いだったら良かったのに。


 ニーナはぼくを、パンドーラが本拠とするサターンの街に潜入させるつもりだ。

 もちろん、ただの偵察で済むはずがない。場合によっては武力を行使して、排除することになる。


 ……ぼくは潜入や諜報が得意だ。完全な水になれなくなった今でも、鍵を開けたり、家に忍び込んだり、聞き耳を立てたりすることくらいできる。

 寝首をかくことだって……。


 でもそれは、旅の途中で捨てたはずの真っ黒な過去を掘り起こすようなものだ。ぼくにとっては、避けて通りたい道でもある。


「ぼくを心の無い人形か何かと勘違いしてないか?」


 苛立ったぼくは、ついニーナを責めてしまう。


 自分の手を直接汚したことはないけど、ぼくは多くの人を殺めてきた。襲撃者を滝壺に落としたり、殺し合わせたり。罠に嵌めて放置したこともあった。


 それでも、ぼくはもうあんなことをしたくない。旅は楽しかったけど、人との殺し合いは二度と御免だ。

 今は多くの人の命を預かる立場でもあるのだから。


「ニーナ。ぼくは確かに旅慣れているし、戦い慣れてもいる。汚れ仕事もたくさんしてきた。だけど殺し屋になれだなんて、そんな頼みは引き受けられない。今のぼくは貴族だから」

「ぐ、群青……貴様が沸騰するとは、わたくし……」

「ぼくは幸せになりたいんだ。色んな人に愛されたいんだ。自分勝手で贅沢な望みかもしれないけど……」


 ぼくはつい、怒りを抑えきれなくなってしまう。


「ぼくを生かしたのは……ぼくを我儘にしたのは、ニーナだろ!?」


 ノーグしか生きる希望がなかったから、彼を失った時、生きる気力も消え失せた。

 でも今のぼくは、あの時のぼくじゃない。ニーナに死の淵から引っ張り出されて、新しい人生を与えてもらったんだ。


 ……そのニーナに突き放されたようで、ぼくは胸に鋭い痛みを感じている。

 ぼくにとってのニーナは……今を生きている人の中では、一番大切な人だから。


「あ……その……」


 ニーナは明確に動揺している。義眼を泳がせ、唇を震えさせ、聖水から涙を精製しようとしている。

 ちょっと言いすぎたかな。……ちょっとどころじゃないかもね。明らかにぼくが悪い。


 ……つい、感情的になってしまった。さっきの貴族たちとの社交が、思ったより精神に響いていたみたいだ。一息ついて、冷静になろう。


 ぼくは反省して、ひと口だけお茶を飲む。


「(柔らかい味わい……)」


 茶器をそっと置き、深呼吸してから、ニーナの目を見る。


()()()()()()


 ぼくは机に額をぶつける勢いで、頭を下げる。

 謝罪と嘆願。両方の意味を込めて。

 貴族らしさを、捨て去って。


「怒鳴ってしまって、ごめんなさい」

「……許す」

「それでも、ぼくはやりたくないです。やれません」

「……許可する。この願望は、その……当家より流れ込む濁流に過ぎない」


 ピクト家がそうしろと言ってきたから、一応提案してみただけということか。


 ニーナ以外のピクトとは、たまに顔を合わせる程度だけど……ぼくを排除したがっているようには見えない。

 むしろその逆。どうしてもぼくという個人が欲しくてたまらない様子だ。


「ふーん……」


 今の提案も、ぼくを貴族同士のしがらみに巻き込もうという謀略の一種なのだろう。

 ニーナと親友になったから、ピクト領の外に出しても逃げ出さないだろうと判断して、そういう作戦に踏み切った……ということかな。たぶん。


 ニーナは強い。でも、ひとりでは生きられない。だから周りの言うことを聞いて、いい子にしていないといけない。

 金も、物も、人材も……何もかも、与えられなければ生きていけない身の上なのだ。

 だから、親の言いなりになって、あんな提案をしてしまったのだ。ぼくを命の危機に曝すような、無情な提案を。


「ひっぐ……うっ……」


 ニーナは震えながら泣いている。涙を流す機能を持った義眼から、大粒の涙を落とし続けている。

 ……いくらなんでも、そこまで泣かなくてもいいだろうに。これくらいのぶつかり合いは、ジーポントやミカエルともよくやっていた。


「ニーナ。そんなに泣かなくても……」

「わたくし……わたくしは……」

「えっと、ごめんよぉ。代わりに、やれることは全部やるからさぁ……」


 寝ずに研究する。新しい義体も作る。領地も守ってみせる。だから泣かないでくれ。

 そういう話をすると、ニーナはなんだか決意を固めたような顔になって、眉を吊り上げる。


「決定的事項でございます」

「は?」


 端正な顔できりっとキメられると、ニーナのくせにちょっとカッコよく感じちゃうじゃないか。

 そう思いながら、ぼくが彼女のうるんだ瞳をじっと見つめていると……。


「わたくし、決心いたしました! 群青を、この牢獄より、体の一片たりとも、逃しません!」


 ニーナはお湯を入れた急須を掴み、中にある熱湯を口の中に流し込む。


 ……いや嘘でしょ!?


「何してんだ、ニーナ!」


 ぼくは慌てて水魔法を放ち、お湯と繋がって操ろうと試みる。

 でもニーナは凄まじい速度で逃走し、壁に衝突してめり込む。


「げほっ、げぼ……ぐ、ガ、はーっ、はーっ……」


 ニーナは糸が切れた操り人形のように、どさりと崩れ落ちる。

 口と鼻から湯気が出ている。臭いを嗅ぐと、ほのかに焦げ臭い。

 まさか、安全装置さえ切ってしまったのか。口から入った水や埃が聖水と混ざらないようにするために、そういう仕掛けがしてあるというのに。


 人間の体で例えるなら、今のニーナは肺と太い血管に熱湯を注入されたようなものだ。このままだと命に関わる。


「ニーナッッ!!!」


 ぼくは絶叫しながらニーナを抱き起こし、首輪の形をした装置を起動させ、頭部を離脱させる。

 ニーナにとって唯一の生身である、脳。そこに有害な物質が紛れ込まないように、一旦隔離するのだ。


 次に、近くの棚から引っ張り出した聖水を強引に飲ませる。

 頭部に達したお湯は僅かだろう。新しい聖水を飲ませれば中和できるはずだ。たとえ脳までたどり着いていたとしても、冷やすことくらいはできる。


 手当の甲斐あって、作り物の瞳に、徐々に生きた輝きが戻ってくる。意識を取り戻したようだ。

 ……温度や痛みを感じないはずのニーナが気絶するなんて。もしかすると、かなり危なかったのではないだろうか。


 ぼくはニーナの頬を引っ叩き、そして抱きしめる。


「どうして、こんな馬鹿なことを……」


 ニーナの行動は突拍子もなく、そして無謀だ。人々を守るためなら、平気で魔王に喧嘩を売るような狂人なのだ。

 それでも、これまではなんとか理解できていた。ニーナの奥にある優しさを汲み取ることができていた。ただ乱暴なだけの貴族ではないと、内心尊敬さえしていたのだ。


 しかし今回のこれは……まるで意味がわからない。こんなことをする理由が何処にあったというのか。


 ニーナは今にも消えてしまいそうな儚い笑みを浮かべて、そっと呟く。


「わたくしの、体……好きにして、くださいまし」

「えっ……?」

「解剖する、名目……できましたわよ……?」


 ……その言葉に、ぼくは愕然とする。


 つまり、ニーナは……研究が捗っていないぼくのために、その身を投げ出したのだ。体を解体し、調べる口実を与えるために。


 ……馬鹿だなあ。本当に馬鹿だよ、ニーナは。


「群青……。これで、旅路に、出ること、能わず」

「……ニーナ」

「ふ、はは……。どうだ、見たか。愚鈍なる血縁……否、血族たちよ。我は悪徳になど、呑まれぬ……」


 ニーナが戦闘不能になることで、ぼくはこの領地から出られなくなった。これからはニーナの分も、魔物と戦わないといけないから。

 これでピクト家からの要請も、堂々と蹴ることができる。他所に行かなくて済む。


 ……ニーナは、やっぱり優しい。優しすぎて、損ばかりしている。


「わかった。わかったよ、ニーナ。ぼく、頑張るからね。元通りに……いや、元よりずっと綺麗に仕上げてあげるからね」


 ぼくがそう誓うと、ニーナは恋する乙女のように顔を赤らめて、にっこりと笑う。


 ……彼女に恥じない貴族になろう。ぼくは密かに、そう決意する。

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