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第42話『ボタニカルな偶像』

 ビビアンの死を伝えた直後。

 意識を取り戻したナターリアは、うつ伏せになって床に向かってぶつぶつと呟いている。


「推しが不在……しかも死別……あたいもう立ち直れない……物言わぬ石になりたい……」


 意味の通じないことしか言わなくなってしまったため、どう対処するべきか困ってしまう。

 ジーポントとミカエルは比較的早期に立ち直ったのだが、これほど弱ってしまった場合はどう慰めるべきなのか、検討もつかない。


「どうしよう。ここで休ませる?」

「うーん……」


 何はともあれ、アンジェは自分たちにできることを考えることにする。

 彼女の気力が戻るまで待つのも手だが、それでは宿の業務が滞り、迷惑がかかってしまう。かといって客の前に出したところで、仕事が手につく状態ではなさそうだ。

 彼女の父親に引き渡すのが一番か。こんな時は身内に任せるべきだろう。


 アンジェはぐったりとしたナターリアの顔を覗き込み、率直に尋ねる。


「宿の主人はどちらにおられますか?」

「さあ……?」

「……あの、答えてくださらないと、困るんですよ。ずっとこのままでもいいんですか?」

「それでもいいっすよ」


 取り付く島がない。返事を貰えただけ、まだマシかもしれないが……既にビビアンの死を乗り越えた身としては、もどかしい。


 するとナターリアは泥のようにべちゃりと寝転んだまま、投げやりに口を開く。


「このままほっといてくれていいっすよ。この辺にしばらく置いておけば、勝手に消えますので」

「何が消えるんです?」

「あたいが」

「そんな霞みたいな……」


 起き上がる気力もない癖に何を言っているのか。


 アンジェが訝しんでいると、ナターリアはアンジェの心中を察したのか、緑色の髪をがさがさと掻いて、不機嫌そうに呟く。


「アンジェちゃんはビビアンちゃんが死んだ時、こうならなかったんすかね? 起きる気力、歩く気力、あったんすか?」

「うっ」


 ビビアンの死の光景を連想し、アンジェは呻く。

 今でもあの時のことは忘れられない。あらゆる魔法を無詠唱で弾かれ、目の前で死に向かうのを止められなかった。あの時感じた焦燥感、無力感、絶望感は、今でもありありと復元できる。


 ナターリアはアンジェの顔が歪んだことを察して、顔色を青くして咄嗟に謝る。


「あっ。頭回らなすぎて、変なこと言っちゃいましたね。アンジェちゃんも辛かったでしょうに……」

「いいよ。オレも無神経だった」


 ナターリアの指摘は、もっともであった。そして、アンジェも少しきつく当たりすぎた。故に責めるのはお門違いだ。


 あの時のアンジェが精神に負った傷はかなり深かった。それは間違いない。

 だが事が起きたのは森の中であり、無力なマーズ村の人々がおり、いつまでもそこにいるわけにはいかなかった。村長が発破をかけたこともあり、比較的早く気力を持ち直すことができた。


 ナターリアの場合はどうだろう。目の前で失ったわけではないが、かなり入れ込んでいたようなので、胸が張り裂けそうなほど苦しんでいるはずだ。気力もまだ戻ってはいないはずだ。


 ナターリアにとってのビビアンは、アンジェにとっての誰なのだろうか。もしかすると、ニコルに相当する存在だったのかもしれない。

 そんな存在を失ったともなれば……動くことすらままならないだろう。


「(ナターリアの傷の深さを甘く見ていたかもしれない。そっとしておこう)」


 自分が同じ状況に陥った時、ナターリアのようにならないとは言い切れない。そう思い直し、アンジェはナターリアを尊重することにする。


「わかりました。このまま寝てていいですよ。ここの主人には……一応言った方がいいのかな」

「それも不要っすよ。詳細は極秘っすけど、もう連絡は行ってるはずなんすよ」


 どうやら父親は既に把握しているらしい。

 連絡を入れる素振りはなかったが、一体どうやってそれを伝えたのだろうか。……考えればわかりそうな予感がするのだが、たどり着けない。


 ナターリアは寝返りを打ち、アンジェたちのために無理矢理作ったであろう笑みを見せる。

 不機嫌な態度をとってしまった分の、埋め合わせということだろうか。


「聞けてよかった……と、思うことにします。もう少ししたら、ほんとに回復してどっか行くっすよ。心配ないっす」

「本当に? 無理してない?」

「してないっす」


 ナターリアは寝返りを打ち、床板をトントンと指で叩いている。


「あたいの妹も、そのうち紹介するっすよ。あの子は臆病で変わり者だけど……でも、あの子のためにも、そのうち会わせてあげたいっすね」


 やけに多弁なのは、彼女の喋り好きが戻ってきたためか、それとも空気が悪くならないように気を使ってくれているのか。


「(オレでも……気持ちはわかる)」


 この少女は臆病だ。かつて失ったものが大きすぎたあまり、新たな出会いに執着し、失うことを極度に恐れている。

 祖父母の死。両親の不仲。人間関係が壊れていくさまを幾度となく目にしてきたからこそ、ビビアンに狂い、今アンジェとニコルに嫌われることを避けようとしている。


「(放っておけない……)」


 この街にいる間、できる限りのことをしてあげよう。アンジェはそう決める。

 もちろん、ニコルの意思が最優先ではあるが……アンジェとしては、この弱りきった緑の少女を救いたいと考えている。


「ニコル。オレはこの人の力になりたい」


 なんとなくナターリアとの絆が生まれた気配を感じつつ、アンジェはニコルの方を振り向く。

 ニコルは何故かまた蔦を呼び出して、ナターリアを包み込もうとしている。その顔に激しい動揺を浮かべながら。


「……なにこれ」


 いや、これは蔦ではない。細い木の枝だ。うねうねと自在に動いてはいるが、ニコルが普段生み出しているものとは微妙に違う。


「悪魔……!」


 身震いするほど恐ろしい魔力。擬態が下手すぎる。悪魔の仕業であることが一目瞭然ではないか。


 戦うべきか。アンジェは瞬時にそう判断し、魔力を集め始める。


「悪魔は……一人残らず……!」


 だがその光景を見たナターリアは、何かを諦めたような穏やかな表情を浮かべ、2人が敵対行動に出る前に釘を刺す。


「気にしないで。それ、あたいの妹っす」

「えっ」

「会いたいみたいっすね」

「えっ?」

「あたいも覚悟を決めましょう。今から付き合ってもらいますよ」

「ええっ?」


 呆然とする2人の足元で、音を立てて床板が動く。

 ゴトゴトと重く、鈍い響き。板だけではなく、宿の基礎ごと動いているのだろう。


「な、なにごと!?」

「うちの宿屋、変形するんすよ」

「変形って何!?」


 ……そして、瞬く間に部屋の中央に大穴が空いてしまった。

 まるでここにいる3人を招き入れるかのように。


 〜〜〜〜〜


 アンジェたちは光の届かない暗い地下に潜り、ナターリアの案内を受けつつ移動している。


 人間であれば、隣に人が立っていてもわからないほどの暗闇。その中にありながら、ナターリアは迷いなく目的地に向かっている。

 慣れている、というだけではなさそうだ。何か秘密があるのだろう。


「(たぶん、足元のこれだな……。これの配置を理解しているんだ)」


 アンジェは不安定な足の裏に注意を向ける。

 一歩足を動かすたびに、ザワザワとやかましい。この空間全体に、細い枝が張り巡らされているようだ。

 脆そうな感触がしているが、踏みしめてもまったく折れる気配がない。実際の強度は枝のそれではないだろう。


「気をつけて、アンジェ」


 アンジェの側頭部についた触手の花から、ニコルが声をかけてくる。近くにいるナターリアに聞こえないほど小さな声量だ。


「敵意は無いみたいだけど、この枝の悪魔、たぶん強いよ」


 強者たるニコルをして強いと言わしめるとは、どれほどの存在だというのか。

 アンジェは悪魔の目でも見通せない闇を凝視し、怖気付きそうな心を奮い立たせる。


「あ、いたいた。あの子っすよ。明るくしますね!」


 警戒しながら進む2人に向けて、ナターリアは不意に明るい声をあげる。

 先程までのどんよりとした雰囲気はどこへやら。客と接している時よりも高い声で、彼女は暗闇の中にいるであろう何かと会話する。


「本当に良かったの? 正体を見せちゃって」


 彼女の呼びかけに対して、返答する声が正面から聞こえてくる。


「うん……」


 臆病さが滲み出た声。おどおどした、自信のなさそうな声。それでいて、何故か耳が癒される澄んだ声。

 天性の美声。そう形容するより他にないだろう。


「だいじょうぶ。ドリー、がんばる」


 おそらくは少女。それも、アンジェと同年代の幼い子供。

 だが、相手は悪魔だ。実力を声で判別することはできない。


 ナターリアが手慣れた素振りで魔道具による灯りをつけると、その声の主が闇の中に浮き出てくる。


 ナターリアと同じ、緑の髪。顔立ちも少しだけナターリアと似ているが、細部は異なる。

 肌の色は褐色で、目の色も左右で僅かに異なる。滅多に見られない、珍しい特徴だ。


 一見すると人間のようにも見えるが、その背中からは無数の枝が伸びている。禍々しい魔力をまとった、不気味な枝が。


 間違いなく、悪魔だ。それも、かなりの強者。知識の海に記載はないが、その実力くらいは肌でわかる。


「(悪魔……敵……村のみんなの、仇……!)」


 アンジェは脳裏に浮かぶかつての悲劇を必死で振り払いながら、悪魔の前に立つ。

 侮られるわけにはいかない。そう思い、目元に力をいれて睨みつける。


 だが、アンジェはあることに気が付き、すぐに気を緩める。

 褐色の少女は、アンジェ以上に怯えている。その目に恐怖をたたえ、膝を抱えて縮こまっている。


 その少女は、震えながらも勇気を振り絞った様子で自己紹介をする。


「エイドリアン、です。アンジェちゃん……ニコルさん……よろしく、おねがいします」


挿絵(By みてみん)


 アンジェとニコルは、僅かに見えるお互いの顔を見合わせて、深い吐息とともに緊張感を吐き出す。

 ナターリアが悪魔に魅入られ、利用されているのかと思っていたが、そうではなさそうだ。少し警戒しすぎたらしい。


 自分たちの名前を知っているのは疑問だが、ナターリアの発言から察するに、何か情報を共有し合う手段があるのだろう。


「(とはいえ、相手は悪魔だ。油断しないように気をつけよう)」


 アンジェは相手が悪魔であることを念頭に置き、エイドリアンと名乗る少女と対話することにする。


 〜〜〜〜〜


 アンジェはエイドリアンと会話をしながら、詳細を素早く石板に記入する。


 エイドリアン。種族はおそらく悪魔。年齢不詳。気がついた時には宿の中で生まれていた。


 植物を操る魔法を駆使して、地下に居ながらにしてこの宿全体を管理している。

 定期的に木の床板を裏返し、箒と水魔法で清掃。何か事件があれば従業員に枝を伸ばして、情報を伝達。木札を通して客の出入りを把握。


 この宿を裏で支える、大黒柱だ。アンジェは話を聞いてそう判断する。


「(魔法の規模と繊細さがすごいな……。この宿をまるごと操るなんて)」


 才能ある者が、弛まぬ努力を積んだ結果だろう。それが悪魔だと思うと、複雑な気分だが。


 エイドリアンは手遊びをしながら、時折ナターリアの方を見上げている。見知らぬ人に囲まれ、姉に縋りたい気持ちがあるのだろう。人見知りだ。


 アンジェの方には……たまに視線を向ける程度だ。怖がっているようにも見えるが、それでいて好奇心のような感情も含まれているのが伝わってくる。


 本格的に怖がっているのか、ニコルの方はあまり見ようとしていない。ニコルは明るく接しているというのに、どの部分がどう怖いのかは、今ひとつ不明瞭だが。


「ドリーはね、おねえちゃんとおとうさんのために、がんばってるの」

「お父さんって、あの人間の……?」

「おうちのおそうじとかするとね、いっぱいよろこんでくれるの。だからたくさんおてつだいするの。たいへんだけど、ほめてくれるから、さみしくないよ」


 先程までより幼い口調で、エイドリアンは喋る。

 最初の一言はあらかじめ用意しておいた言葉を読み上げただけで、こちらが本来の話し方なのだろう。


 ドリーとは、エイドリアンの愛称だろうか。おそらくナターリアが付けたのだろう。

 当のナターリアは、エイドリアンの後方で師匠のような顔をしている。どこか得意げだ。


 似通った容姿の人間と悪魔。魔力の異常により、人間の子供が悪魔として生まれてくることもあるそうだが……エイドリアンもそんな境遇なのだろうか。


 エイドリアンはナターリアのお古らしい色褪せた服を握りしめ、涙ぐむ。


「だけどね、ドリーはおそとにでちゃだめだって、おとうさんにいわれてて……。でも、ドリーもおともだち、ほしくて……。だから、アンジェちゃんにあいたくなって……」

「オレと、友達に?」

「うん」


 アンジェは悪魔からの意外な言葉に戸惑い、慌てふためく。

 戦闘や交渉の心構えはしてきたが、友好関係を築くつもりはなかった。そもそも当の悪魔がこの容姿で、この性格だとは想像もしていなかったのだから。


 目を白黒させて挙動不審になるアンジェを見つめ、ナターリアは足元の枝をがさりと揺らす。


「だからね、ドリーとおともだちになってくれたら、とってもうれしいよ」

「ひっ……。魔力……」


 外見はアンジェと同年代の人間そのものだが、その本質は悪魔だ。その魔力を視界に入れるだけで、アース村の惨劇を思い出して気分が悪くなる。


「(シュンカもビビアンもマンモンも、魔物止まり。コイツはさらに一段進化した、悪魔。世界を蝕む絶対的な強者……!)」


 自分とニコル以外の悪魔とは、あの事件以来初めて遭遇したが……まさかこうなるとは。

 アンジェは自分の中に眠る恨みの強さを自覚し、驚く。


「(オレは復讐者になるつもりなんてなかったけど、いざ出くわしてみると、意外と嫌悪感が……)」


 ナターリアが見ている手前、エイドリアンに対する敵意を隠そうと努力するが、それでも眉間に皺が寄っていく。

 何があっても、自分はこの少女を好きになれそうにない。好きになりたいのだが、本能がそれを拒絶している。


 人としての要素を抜き出せば好意的に見られるはずなのに、魔力という不確かなものだけで、何故こうまで敵意が湧いてくるのか、自分でもわからない。


「やっぱり、ドリーじゃだめ?」


 大粒の涙をこぼし始めるエイドリアン。


 彼女の心が清らかであることは確かだ。しかし周りが厳しく接すれば、人を恨み、内面まで本当の悪魔になってしまうだろう。

 そうならないためにも、どうにかして人間として接して、友人になってあげたいものだが……直接目を合わせられない。


 彼女から目を背けると、ニコルが気まずそうにしているのがわかる。

 ニコルはエイドリアンのどす黒い魔力を見て、どう思っているのだろうか。場合によっては、これからの接触はニコルに任せることになるかもしれない。


 ナターリアはどうだろう。彼女とも仲良くしたいと思っているのだが、嫌われてしまったかもしれない。


 見ると、彼女は髪を振り乱し、駆け足でこちらに向かっているところだ。

 どうやら少し目を離した隙に何処かに立ち寄っていたようだ。その手に何か、派手で奇妙な物体を持っている。


「あれは……服?」


 ニコルの呟きに反応して、ナターリアは全力疾走により発生した汗を拭いながら答える。


「ぜえ、ぜえ……ドリーちゃんの可愛さを伝えるためなら、たとえ地の底だろうと駆けていきますとも!」


 彼女が持ってきたのは……服だ。

 布がふんだんに使われた……派手な色彩の……しかし貴族の流行とは一味違う、異様に凝った少女の衣装であった。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 どこから話せばいいのかな……。ドリーちゃんと出会った時の話でもしましょうか。


 ビビアンちゃんがこの街を去った後の事。

 あたいは推しがいなくなったことで悲哀に包まれ、毎晩のように涙で枕を濡らしていました。


 本当は旅に出て追っかけたかったんすけど、ビビアンちゃんがいなくなって酒場も宿も苦境に立たされていましたから、とてもそんな事はできませんでした。

 酒場の同志には、全てを捨てて旅人になった人もいたんすけど、みんな消息不明です。一説によると、途中で見失ってしまったんじゃないかと言われてます。ビビアンちゃんたちは貴族から逃げてたんですから、普通の追手を巻くくらいは楽勝ですよね。


 そんなわけで、ビビアンちゃんがいなくなって、客が減って、金がなくなって、生活が苦しくなって。

 そうなると、またお父さんとお母さんの仲が冷えてきて。色々あって縁が太くなったからか、喧嘩はしなかったんすけど、お互いの店にあんまり出入りしなくなって。別居中って感じですね。


 それで、特に煽りを受けたお母さんが、だんだん焦ってきて。ある時、あたいを踊らせようと打診してきまして。

 それで……義理とか、引け目とか、色々あって……ちょっとだけやってみたんすけど、最悪の気分でした。ビビアンちゃんは踊りも立ち回りも上手かったんだって、実感する羽目になりましたよ。


 地獄だったなあ。壇上に登ってきて殴られて、脱がされて……たまたま居合わせた()()()()()()が助けてくれたけど、流石にあれは死を覚悟しました……。


 まあ、そんなことがあってから、酒場にはあまり行ってないんです。今でも見るのは好きですけど、自分で踊るもんじゃない。何事もなく生業にできている人たちを、あたいはすごく尊敬しています。


 ああ、えっと、そういえばドリーちゃんの話をするんでしたね。あたいおしゃべりだから、つい変な話をしちゃいました。


 あたいがドリーちゃんと出会ったのは、酒場で襲われた次の日のことです。


 あれだけ酷い目にあったのに涙さえ出なくて、ビビアンちゃんのことでは泣けたのに不思議だなあって思ってたら、いつのまにか裸の女の子がそこにいたんですよ。

 現実がつらすぎてついに視覚さえ曖昧になっちゃったのかって思ってたら、その子はたどたどしい口調で話しかけてきました。


「おねえちゃん」って。


 その時、あたいはわかっちゃったんです。この子のために生まれてきたんだって。あたいの人生はこの日のためにあったんだって。


 ……あたい、話し始めると長くなりますから、このくらいにしておいた方がいいんじゃないかなって思うんすよ。それに、ドリーちゃんももう着替え終わったみたいですし。


 あ、もっと聞きたい?

 たぶん、話し出すと止まりませんよ?

 長話になるとわかってて、それでも聞きたい?

 …………そ、そう。ふーん。あたいの話を。ふふ。

 まあ、あたいも話したい気分でしたからね。


 ドリーちゃんはね、悪魔なんすよ。あたいは平気なんすけど、お父さんにはわかるみたいで、怖がりながらそう言ってました。

 お父さんはドリーちゃんのために地下室をからっぽにしてくれました。それだけじゃなくて、ドリーちゃんの魔法を最大限に活かすために、宿を改装してくれました。

 お父さんが普段何をしているのかといいますと、宿を改築してるんです。元から大工の心得がありましたから。

 今の宿があるのは、ドリーちゃんのおかげ。従業員を減らして、給料にかかるお金がなくなって、それでようやく食べていけてる。

 ドリーちゃんがいなくなったら、この宿は……どうなっちゃうんでしょうね。


 もっと聞きたいですか?

 聞きたいですよね、ドリーちゃんのこと。

 魔法のこと話してなかったし、話しますね。


 ドリーちゃんはね、歌ったり踊ったりしても可愛さだけが溢れてくる、とっても尊くて神聖な存在なんです。それがすっごく新鮮で、あたい感動しちゃって。最近はお勉強のためにたくさん歌を覚えてたくさん教えてます。あたい、楽器を弾けるから。それでね、ドリーちゃんの歌に合わせて演奏してると、幸せがふわふわ溢れてきて、思わずうおーって叫びたくなっちゃうんです。でもね、誰にもドリーちゃんの姿を見せられなくて、つらいんです。こんなに可愛くて可愛くて可愛いのにそれをあたいとお父さんしか享受できないのはこの世の闇を感じるくらいで、あたいの嘆きでこの街を魔王が住む暗黒の谷にしちゃうんじゃないかってくらいで、そう思うよねアンジェちゃんも。そうだよねそう思うよね。ニコルさんも、うん、そうだよねそう思うよね。ドリーちゃんも……あ、暗黒の谷っていうのは、ドリーちゃんはまだ知らなくていいことだからね。今は綺麗なものだけ摂取して健やかに生きていこうね。ドリーちゃんは幼女だからね。よしよし。あ、埃ついてる。後でお姉ちゃんが体洗ってあげるからね。うむ、よろしい。じゃあ、もっと話しましょうか。ドリーちゃんは生まれた時から話せて、魔法も使えたんすよ。悪魔ってすごいですよね。あたいびっくりしちゃいました。あたいも芸人さんに魔法習ってみたことあったんすけど、ぜんぜん使えなくて。魔力を練るってどういうことですかって感じで。意味わかんなくて。でもドリーちゃんは詠唱を教えただけで使えて。植物の詠唱は高くて手に入らなかったんすけど、この辺の魔法だと風が得意みたいですよドリーちゃん。風なんだよドリーちゃん。わかるかなあ、風。いつかお外に出られたら教えてあげるからね。大丈夫、このまま可愛さを磨いていけば、いつかきっとドリーちゃんは世界に認められるはずだよ。だから泣かないで。アンジェちゃんもドリーちゃんのこと可愛いって思いますよね。おいこっち見ろお前。


 うん、良いよねドリーちゃん。可愛いっすよね。

 仲直りしましょ。泣かないでドリーちゃん。

 手と手を繋けば、お友達。だよね?


 よかった。じゃあ続きを話しますね。

 ドリーちゃんは……


 〜〜〜〜〜


 地下に足を踏み入れて、何時間経ったのだろう。

 一眠りしようとするたびにナターリアが構ってくるので、胡乱な目でふらつきながら起きていることしかできない。


「(もう、勘弁してくれ……)」


 そんな中で、エイドリアンは心配そうな様子で少しずつアンジェに近づき、ついにはぴっとりと寄り添う形になっている。


 極度の眠気と疲労の中で、アンジェは悪魔の魔力を感知できなくなっている。万全でない状況が、かえってエイドリアンとの交流の余地を生んでいるのだ。


「ねえ、アンジェちゃん。そとのせかいって、どんなかんじなの?」


 エイドリアンはか細い声で尋ねてくる。


「おねえちゃんも、おとうさんも、おしえてくれるけど、わからないの。きれいなもの、かわいいもの、すてきなもの、たくさんあるのに、さわれないの」


 エイドリアンはアンジェの手を握り、説得しようと試みている。

 まるでアンジェに希望を見ているかのように。アンジェこそが救世主だと、思い込んでいるかのように。


「おそとはたのしいものがいっぱいあるの。おうちのそとから、きこえてくるの。だからドリーも、そこにいきたい」


 アンジェはエイドリアンの小さな手に、自らの両手を合わせる。

 同じ大きさだ。彼女はまだ幼いが、自分もまた、それと同程度の体格しかない。

 だというのに、自分はアース村で一人前だと思われてきた。自身も一人前でよしとしている。

 ……おかしなことだ。


「(普通はこうなんだな。この年頃だと、これが普通なんだよな)」


 知識を得て、憧れる。都会の暮らしを夢に見る。かつてニコルはそう言っていた。

 エイドリアンは、本来のアンジェの姿だったのかもしれない。知識も知恵もない、ただの子供として生まれ育った幼児。


 だが……エイドリアンにも、アンジェと似た部分がある。

 幼い体で、仕事をこなしているところ。魔法が得意なところ。生まれた時からそばにいる存在を、心の底から慕っているところ。


 アンジェは薄暗い中、ニコルと話し込むナターリアの方をチラリと見て、ぼんやりとした頭で悟る。


「似ているのに、違う。違うのに、似ている。だから放っておけないのか。この子も、ナターリアも」


 類似が共感を生み、差異が興味を生む。だからこそ惹かれ合うのだろう。


 いつのまにか、アンジェはエイドリアンのことも、庇護するべき対象として見ていることに気がつく。

 悪魔だろうと、関係ない。彼女が人間でなかったとしても、人間として育てれば、少なくともナターリアに背くようなことはしないはずだ。


 ……残る問題は、恐ろしい魔力だけだ。


 アンジェは自らの服をつまみ、知識の海で解析しようとする。

 だが魔道具の服は、なかなかその真奥を曝け出してくれない。


 誰かが着用している間は認識阻害が働く。知識の海でさえ、その防壁を破る事はできない。つまり、着ている間にどんな効果が働いているのか、把握することができないのだ。

 絵を見て、使われた画材を当て、工程を正確に再現するようなものだ。今までの魔道具作りとは桁が違う難易度である。今のアンジェには出来ない。


「明日の予定は、決まったかな」


 アンジェは商業区域を回ることに決める。

 サターンの街の南には、各国から商人が集まる。服を作るための材料も、きっと揃っているはずだ。やるなら、まずは形から入るとしよう。


 アンジェはそっと決意を固めつつ、うとうとと添い寝をするエイドリアンを撫でる。

 この少女を、本当の意味で愛でられるようになりたい。真心を込めて、偽りなく、友として接したい。


 姉のような目でナターリアが見守る中、アンジェはエイドリアンの肩に頭をもたれる。

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