第41話『宿に水垢』
朝。
寝起き直後の会議の末、アンジェたちの本日の予定は、休日ということに決まった。前日の疲労が溜まっていたことによる反動である。
とはいえ、移動していない間は毎日が休みのようなものだ。元々が気楽な身分であるが故に、アンジェはあまり休んでいるという気分になれずにいる。
2人は寝ぼけたままベッドの上で身じろぎし、時間を食い潰す。
「むにゅ……にこるは、なにしたい?」
「そうだね……」
ニコルは予定とは言えないほど大雑把に、やりたいことを述べていく。
食べ損ねた宿の料理を楽しむ。宿の中をうろうろする。他の客と交流する。
どうやら宿から一歩たりとも出るつもりがないようだ。
日光を克服した今こそ外を出歩いているが、元のニコルは引きこもりのような性質の少女であった。どことなく懐かしい。
アンジェはそういった会話の流れで、さりげなく、ニコルの触手について尋ねる。
「にこるの、あの、あれ……」
「しょくしゅ」
「そう。触手があれば、宿のこともすぐ集まるよね。らくちんだ」
「そうだね。この部屋で寝転んでいても、街のことまで全部わかっちゃうよ」
「街まで……? ああ、今は、蝶もいるからか」
アンジェは眠気が覚めていくのを感じながら、ゆるゆると頭を働かせる。
昨夜ニコルが見せた蝶。正直なところ、あれを触手と呼ぶべきかどうか迷っている。
あの蝶は明らかに生きていた。ニコルの指示に従うだけの器官でしかないようだが、外見上は単なる虫けらでしかなかった。悪魔の魔力などかけらも見当たらなかった。
知識の海で見ても、あれは前例がない。
植物を生む魔法はある。虫のような形のしもべを生み出す魔法もごく少数には使われている。
だがそれらにしても、悪魔の魔力を隠蔽しながら、複雑な自律行動をさせるのは不可能だ。飛べと命じて指定通りに飛ばすのが関の山である。
つまり今のニコルは、完全に魔法の域を逸脱した、神がかりの能力を身につけつつあるということだ。
「(生命の創造。まるで神話のような御業……)」
ニコルは蝶に関する話題に触れられたくないのか、少し渋るような素振りを見せた後、答える。
「あれはまだ練習中だし、今後は使わないかも」
「……そうなの?」
練習中にしては完成度が高かったように思える。
蝶の割に大きさがかなり目立つのは欠点だが、それさえ克服してしまえば、究極の隠密能力を得られると言っても過言ではない。
あるいは、ニコルには更なる進化の先が見えているのだろうか。知識の海しか能がないアンジェよりも、遥かに高いところに到達しようとしているのか。
アンジェは研究熱心なニコルに向けて、応援の言葉をかける。
「あれは凄い魔法だよ。オレびっくりしたもん。知識の海にも載ってないし」
「ああ……。あれは前向きな反応だったんだね。なら良かった」
どうやらニコルは、アンジェが蝶嫌いだと勘違いしていたらしい。
そういえば、あの時は脳が疲れ切っていて、発言に気を遣えていなかった。失礼なことを言ってしまったかもしれない。
そのぶんの埋め合わせも含めて、アンジェは強く優しく勤勉な幼馴染を褒め称える。
「ニコルはすごいよ。ニコルの蝶もすごい。オレなんか飛び越えて、もっともっと、前人未到の境地まで至れるよ」
「もう。アンジェだって成長してるんだから、そう簡単にはいかないでしょ」
「そ、そうかな……?」
ニコルの素直な期待をまっすぐ浴びて、アンジェは赤面する。
成長している。間近で見てくれている人にそう言ってもらえると、嬉しい。
……それはともかく。
時間が経ち、会話をし、意識がはっきりしてくるにつれ、次第に気になってきたことがある。
「蝶についてはこのくらいにしておくとして……もうひとつ、聞きたいことがある」
「何かな?」
すっかり目が覚めたアンジェは、目の前にある柔らかい肉の塊から意識を逸らしつつ、尋ねる。
「ニコル。なんでオレのとこで寝てるの?」
ニコルはずっと、アンジェと同じ寝床の中で、アンジェを抱きしめながら会話していたのだ。寝返りすらろくに打てないほど、強く、激しく。
ニコルに求められるのは幸せだが、ぬいぐるみのような扱いをされると困ってしまう。
「ごめん。嫌だった? そろそろ起きるね」
指摘されたニコルは、まだ物足りなさそうな顔をしながら、ゆっくり寝床を離れていく。
「(嫌じゃないけど……)」
ニコルの温もりが残る寝床を、アンジェは手のひらで摩る。
〜〜〜〜〜
2人は宿が用意したパンとスープを平らげながら、それを運んできた従業員の少女と会話している。
最初の金貨が効いているのか、若干緊張ぎみではあるものの、彼女は愛想良く2人の話し相手になってくれている。
とはいえ、話しているのはほぼニコルであり、アンジェは黙ったまま人見知りを発動しているのだが。
「へえ。もっと忙しいものかと思ってました」
「そうでもないんすよ。妹……みたいな子が頑張ってくれてるから、細かい作業とか、頭を使うこととか、そういうのだけで済んでるんすよ」
彼女は多弁であり、警戒心が薄いのか、宿の内情を勝手にぺらぺらと喋っている。
話ぶりを聞くに、家族経営で間違いないようだが、妹とやらの存在が気になる。肉体労働を担当している割に、その姿を見かけたことがない。
「(この部屋を掃除したのもその子ってことになるよね。……気になる)」
アンジェは会話の大半をニコルに任せ、自分が得意なことを始める。
すなわち、知識と観察に基づく、針小棒大な妄想である。
「(部屋に魔法の痕跡は無い。でも細かいところまで埃が落とされている。丁寧な仕事だ)」
アンジェは従業員の少女を警戒しつつ、立ち上がって部屋の様子を確認する。
昨日はほぼ物を動かさなかったので、ほぼ掃除されたばかりの状態になっているはずだ。何か痕跡が残っているかもしれない。
少女を会話で拘束できている今のうちに、ケリをつけられれば上等だ。……何をどうすれば決着なのか、アンジェ自身にもよくわかっていないが。
「ははは……はひ……冗談上手いっすねえ!」
何がツボにハマったのか、大爆笑している従業員を横目で見つつ、アンジェは窓を開ける。
「(ん。……これはおかしい)」
朝日に照らされて舞い散る粉。窓の縁に、微かに埃が残っていたのだ。
窓が開閉された痕跡がない。つまりこの部屋は換気されていなかったということになる。
これだけの腕前がありながら、空気の入れ替えをしなかったのは何故だろうか。臭いが残ったままになるではないか。
旅人はその身に多くの臭いを引き連れている。街にたどり着いた初日ともなれば、森や街、出会った人々の臭いもまとめて背負っている。
その上、アンジェたちの体臭は独特だ。アンジェは蜜のような甘い香りが、ニコルは花のような清々しい香りがする。外部から部屋に入った初見の者ならば、気にならないはずがない。換気しないのはおかしい。
「(窓を開けられなかった?)」
アンジェは窓が木でできていることに着目する。木の板でできた蓋を開閉する、普通の村にある民家と変わらない窓だ。
硝子は高い。この宿は全体的に良い品質だが、それでも個室それぞれに硝子を完備するのは値が張る上、得られる利益に見合っていないのだろう。
……つまるところ、窓を閉めていれば、外の様子は見えない。外から中の様子を見ることもできない。
「(掃除する姿を通行人に見られたくなかった?)」
この推測が正しいかどうはさておき、人前に姿を見せない性質が一貫しており、妙に気になる。一応、このまま推理してみよう。
当てずっぽうでも構わないのだ。どうせアンジェの趣味でしかないのだから。
ニコルは笑いすぎて呼吸困難に陥った従業員を介抱しながら、そっと背中の後ろで薬草らしきものを調合している。
ニコルの魔法の上達は恐怖すら感じる勢いだ。植物の種類が増えに増え、今ではあのような薬まで生み出せるようになっている。
「これ、飲んでください」
ニコルは無詠唱の水魔法で溶かした咳止めを少女に手渡す。
少女は一応仕事中だというのに、何の警戒心も持たずにそれを飲み干す。
見知らぬ相手から渡された物を一気飲みするなど、不用心にも程がある。いくらニコルが可憐でも、そう簡単に心を許してはならないだろうに。
「ぷはーっ。苦いっ!」
「ごめんなさい。未熟なものでして」
高度な魔法を行使したというのに、ニコルはもはや卑屈と捉えられても仕方がない謙遜をしている。
とはいえ、アンジェも知識の海が無ければ、ニコルの技の異常さには気が付かなかっただろう。従業員の少女やニコル本人がその希少性を知らないのも、無理はない。
このやり取りの間に、アンジェはこっそり部屋の扉付近を見に行こうとする。
しかし、元気を取り戻した従業員は何やら聞き捨てならないことを言い始める。
「いやー、助かりました。やっぱりお薬はいいものですねえ。飲めば飲むほどシアワセになります」
「薬が大好きって……珍しいですね」
何か良からぬことの気配がする。そう思って、アンジェは探索を一時中断し、会話に耳を傾ける。
ニコルも同じ考えのようで、身を乗り出して真剣に相手をし始める。
「最近流行ってるんすよ、素敵な薬。芸人さんが運んできたらしいんすけど、これがなんと、飲むだけでシアワセな気分が溢れてきちゃうんすよね。最強っす」
「えっ……」
それは、飲むべきではない薬なのではないか。アンジェの口から率直な意見が飛び出しかける。
だが、今は我慢するべきだ。更なる情報を得たい。口が軽くなっているうちに、入手元や詳しい効能について聞き出しておかなければ。
しかしニコルは激情に駆られ、従業員の両肩を鷲掴みにして怒鳴りかかる。
「駄目だよ、そんなの使っちゃ!」
「うわっ!?」
「昔、薬で酷いことになった村があるって、ノーグさん……えっと、偉い魔法使いの人が言ってた!」
「ノーグさんって……ん? んん?」
これはいけない。ニコルがそれの危険性を理解していたことは意外だが、今は下手に刺激するべきではない。
先ほどからの振る舞いを見るに、既に彼女はそれを摂取している可能性が高い。闇雲に否定したら、どんな行動に出るかわからない。暴力沙汰に発展させないためにも、穏便に済ませよう。
アンジェは咄嗟に割って入り、従業員の注目を引きながら後ろ手でニコルを制する。
「まあ、こっちの話です。ところで、オレからも聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
従業員はやや面食らいながらも、愉快そうな顔でけらけらと笑う。
「いいっすよ。君とも友達になれそうですから。あたい、友達に飢えてますからね。ふへへ」
「では、あなたの妹さんについて……」
アンジェは従業員に向けて色々と尋ねてみる。
この部屋の掃除もその友人がしたのか。ずいぶん腕が良いが、何か秘訣があるのか。魔法でも使っているのか。
話しやすいように友達を褒めて褒めて褒めちぎり、少しでも良い気分にさせる。
「ここ! ここの掃除をどうやってるのか、気になるんですよ! この狭いところ!」
「へ、へー……。後で聞いておきますね……」
「凄いって言っておいてくださいね! いや、そんな妹を育んだあなたも凄い!」
「あ、あたいも凄いなんて、ふへへ。あの子はお利口ですから、勝手に育ちますよ。まあ、あたいも授業をしてあげたりしましたけど……」
「そうなんですね! できればそんな凄い妹さんともお会いしたいです!」
「ぴえっ。そ、それは……あの子は内気なんで……」
どうしても会わせたく無いという意思を感じる。これはマーズ村の宿で鍛えた接待術を駆使しても一筋縄ではいかないだろう。
仕方ない。この少女と仲良くなって、時間をかけることにしよう。そのうち友達の情報をぽろりと漏らしてくれるかもしれない。
また、友達になれば、薬をやめさせるきっかけを得られる。見ず知らずの客のままでは説得できないだろうが、親しい相手ともなれば話は別だ。
「(でも、どうやって友達になろう。マーズ村の2人みたいに、遊びに誘うべきかな……?)」
アンジェが悩んでいると、従業員はすらりと手を差し出してくる。
「あたいはナターリアっす。ニコルさんとアンジェちゃん、覚えましたからね! よろしくっす!」
……なるほど。これでいいのか。難しく考える必要はなかったようだ。
〜〜〜〜〜
アンジェは薬の話を切り出したいらしいニコルを制し、友達となったナターリアと共に、しばらく歓談することにする。
まずは、芸人の話だ。薬を持ち込んだのも芸人だそうなので、事情に詳しくなる必要がある。
「芸人の出入りは激しいっすね。だから今は誰が街に来てるのか、あんまりわかんないんすよ」
「まあ、それもそうか」
宿の管理で忙しいので、ここの正反対にある西側の広場まで足を伸ばす機会が無いのだろう。
この街は広い。徒歩で移動するのは一苦労だが、しかし馬車や人力車を使えるほど道幅が広いわけでもない。時間に余裕がある人のための街なのだ。
ナターリアは緑色の髪を揺らし、どこか気の抜けた表情で、遠くを見つめながら喋る。
「宿に泊まるお客さんがみんな楽しそうに帰ってくるのに、自分じゃ見に行けないのが嫌でして。だからお母さんの酒場に芸人さんを集めて、そこで見ることにしてるんすよ」
「ああ、そういう宣伝をして、意図的に集めたのか」
「すごいでしょ? ま、来てくれるのはほんのひと握りっすけどね……」
あの集団は芸人たちの間で話題になって自然発生したわけではなく、酒場の側が誘導してできたものだったのか。良い商売方法だ。
……酒場の奥で行われている行為はともかく。
「(あの酒場、やっぱりここと繋がってたね)」
ニコルが気づかれないように触手を伸ばして耳打ちしてくる。
同じ意匠の看板が出ていたので、ニコルはそれで察していたのだろう。
アンジェは頷き、またあの酒場に行き、捜査をすることに決める。
ナターリアはあそこで薬を手に入れたのだろう。調べないわけにはいかない。
次に、ニコルが西の区域にあるやけに高い劇場について尋ねる。
「西の劇場にうっかり入っちゃいそうになって。あそこ、どういう場所なの?」
「お貴族さまのことは、あたいじゃわかんないんすよねえ……。泊めたこと、あんまりないですし」
「あんまり……ってことは、たまにはあるの?」
貴族の気配が漂い始めたためか、ニコルは警戒心を強めながら尋ねる。貴族が宿にいるとなれば、荷物を持って出ることになるかもしれない。彼女は貴族が嫌いなのだ。
するとナターリアは、突如として衝撃的な内容を口にする。
「青くて可愛い女の子が泊まったことありましたよ。現役ではなく、元お貴族さまですかね。たぶんですけど。あたい、あの子とお友達になりたかったんすよねえ」
「えっ、それって……」
「そういえば、アンジェちゃんの服、その子が着てたやつに似てますね。もしかして、お友達すか? それともあの子のパパ……ノーグさんでしたっけ? その人に作ってもらったんすか?」
ビビアンの存在が唐突に浮かび上がり、口から心臓が跳ね出そうなほど、アンジェは驚く。
そういえば彼女も旅人であった。この街を訪れていてもおかしくはない。そしてこの宿に泊まっていてもおかしくはないのだ。
偶然とは恐ろしい。どれほど細い可能性でも、あり得ないと一笑に伏すことはできないのだから。
「ビビアン!」
「ビビアンのこと!?」
アンジェとニコルは同時に詰め寄る。
その迫力に圧倒されたのか、ナターリアは壁に当たるまで後退りし、即座に答える。
「ぴえっ!? やっぱりお二人とも、ビビアンちゃんの知り合いっすか!?」
「そう!」
「聞きたい。ビビアンのこと!」
薬のことを一旦棚に上げて、2人は生前のビビアンの足跡について、話を伺うことにする。
目の前で崖から身を投げた彼女。自分たちが救えなかった少女。
あの子の過去を、もっと知りたい。
〜〜〜〜〜
《ナターリアの世界》
どこから話せばいいのでしょう……。ビビアンちゃんと出会った時の話にしましょうか。
あたいには、友達がいなかった。
宿の仕事が忙しくて、遊びに出かけている暇なんて全然ありませんでした。
接客、清掃、洗濯、修繕、簿記、その他諸々。小さな宿だけど、やるべきことはいっぱいあります。
お父さんも手分けしてくれてるし、料理と買い物はお母さんが負担してくれてるから、あたいの仕事なんて、大した量じゃないんですけどね。
幼い頃は、近所の子たちと一緒に旅芸人たちのところに行ってたんですけど……お爺ちゃんとお婆ちゃんがいっぺんに亡くなって、宿の維持が苦しくなってしまいまして。
悲しむ暇なんてなかった。それまでの自分を全部捨てて、大人になるしかなかったんです。わがままなんて言える立場じゃなくなってしまいました。
……正直、宿を畳んであっちのお店だけにしようって話もありました。片方しか続けられないなら、稼ぎが良い方にしようって。
でもお父さんが嫌がって、意固地になっちゃって。先祖代々継いできた宿を捨てるなんてとんでもないって。不潔だからそっちがやめろって。喧嘩になって。
あたいはどっちの言い分もわかるから、喧嘩しないでとしか言えませんでした。お父さんとお母さん、どっちの敵にもなりたくなかったんです。
そしたら、どっちの味方もできなくて……。
ああ、えっと、そういえばビビアンちゃんの話をするんでしたね。あたいおしゃべりだから、つい変な話をしちゃいました。
ビビアンちゃんは、宿が忙しい時に来たお客さんのひとりでした。ごつくてくたびれた感じの男性と一緒に旅をしてきて、しばらくうちに泊まりました。
変な子だ、と思いましたよ。変な格好、変な口調、変な性格、変な行動……。何もかもが変でした。同じ年頃の女の子を何人も見てきましたから、あたいでもよくわかりましたよ。
旅をするとあんな子に育つのかなあ、とか、そんなことを考えたのを、今でも覚えてます。
何日かすると、あたいたちは仲良しになりました。別に友達ってほどじゃないんすけど、用事があったらついでに世間話もしていくくらいの仲にはなれましたよ。
久しぶりだったなあ、楽しいと感じたのって。なんていうか、無になってましたから。その時のあたい。仕事仕事、次の日も仕事……って感じで。
……でもビビアンちゃんのお父さんは、この街が気に入らなかったらしくて。貴族が出入りするから駄目だって言ってましまね。
今思うと逃げてたんすね、あの子たち。何をやっちゃったのかは知らないんすけど、元は良い感じの身分だったみたいですし、派閥争いに負けたとか、そんな感じだと思います。
そういうわけで、ビビアンちゃんは行ってしまいました。行き先も告げずに。
あたいが知ってるビビアンちゃんは、それくらい。大したこと言えなくてごめんね。
あ、でも……言っていいのかな、これ。
ビビアンちゃん、お母さんの方のお店によく出入りしてましたよ。そこで、その……踊ってました。
それ以上のことはしてない、はずなんすけど、なんていうか、ちょっと……あたいも見ちゃったんすけどさあ……すごく、すごくて。踊りが。すごくて。
あ、聞きたい?
……えっ? 聞きたいんすか? この話を?
…………そ、そう。ふーん。お店に興味が。へー。
……まあ、あたいも話したい気分でしたからね。
あの子には内緒っすよ?
ビビアンちゃんはですね、何かを調べてたみたいなんすよ。そのために、お父さんに内緒で酒場に入り浸ってたようでして。
調べてた内容? たぶんですけど、魔物のことだと思いますよ。あたいも何回か聞かれたことがありましたから、心当たりがあるんです。
水の魔物……でしたっけ。名前はよく覚えてないんすけど。それがどうしても気になるらしくて、魔物に詳しい人を探してるみたいでした。
それで、結局解決したんだったかな……。悪魔祓いの人に何か聞いて、答えが見つかったらしくて。あたいには詳しいこと、何も教えてくれなかったけど。
……わざわざ踊ってた理由?
趣味だと思いますよ。あの子、割とえっちですし。
それか、お金稼ぎかな。自由に使えるお金が欲しかったんでしょ。どうせ調べ物をするなら、ついでに小銭稼ぎもやっておくかって感じで。
もっと聞きたいすか?
聞きたいですよね、ビビアンちゃんのこと。
あたいも話したいから、折角だし話しますよ。
あの子、すんごく体が柔らかくて、びっくりするくらいくねくね動くんすよ。それでね、男の人たちがお金を投げると、笑顔になってどんどん誘惑してくるんですよ。あたいね、それ見て感動しちゃいまして。ビビアンちゃんを見たいからお母さんとも仲直りしちゃって。大人気だったんすよ、ビビアンちゃん。あの時はすごく儲かってました。子供に興味ないって人もあれだけは欠かさず見に来てて、あたいも毎回最前列で応援してて、もっと脱げ、もっと見せろ、うおーって叫んで、でもね、ビビアンちゃんはどうしても全部は脱いでくれなくて。お2人もお友達なら知ってますよね、ビビアンちゃんが普段着だけ絶対に脱がないの。服が大事なんすかねえ。なんででしょう。ああ知ってるんすね良かった語り合える領域に達している仲間っすよあたいたち。それじゃあもっと話しましょう。ビビアンちゃんはどんなに踊っても次の日には普通に話しかけてくるんすよ。あたいが見てるってこと知ってるはずなのに当たり前のように平然としてるんです。でもたまに裏の一面をチラつかせてきてとってもすごくて、でも指摘したらあたいが変態扱いされるかもしれない絶妙な立ち位置を維持しててすごいなって、日常に溶け込む不審者って感じがして最高で、誰が相手だろうと見境ない本物のどすけべ女なんだって思って、でもお父さんには懐いてて、もうね、あんなにすごいのにちゃんと幼い感性も残ってるんだって思うとね、あたい頭がおかしくなりそうでしてね、もう限界で。それで、別れるのが辛くて、耐えられなくて。だからビビアンちゃんが去った後、妄想を……あ、しまった。これは内緒でした。ビビアンちゃんの話に戻りましょう。
あ、もういいんすか? まだ話し足りないのに。
そっすか。ありがとうございます。聞いてくれて。
まさか聞き流したり、してないですよね?
そう、良かった。
〜〜〜〜〜
途中から狂気じみた眼光を帯び始めたナターリアを制し、アンジェは石板に記入した内容を読み返す。
ナターリアはあの後も調子に乗ってぺらぺらと喋り続け、妹についての情報も漏らしてくれた。
「(妹とやらは、地下にいる)」
どうやら、ずっと地下に篭っているらしい。人見知りをするためらしいが、その言葉が嘘でないなら、どうやって肉体労働をこなしているというのか。
ビビアンに似た雰囲気という点も気になる。
アンジェはビビアンに対して恐怖を感じたことがあった。それと同じ感覚だとすると、妹とやらは、もしかすると……。
アンジェはおそらく長話が原因ではないだろう寒気を感じる。
ナターリアの妹は、予想より遥かに恐ろしい存在なのではないか。
「(流石に気になる。オレたちの部屋に入られているわけだし)」
先程までの狂気が嘘のように消え失せたナターリアを相手しながら、アンジェは宿の調査を決意する。
拠点となる場所を調べておくのは必須だ。また、ビビアンの友人である以上、ナターリアを放置して宿を移すこともできそうにない。
アンジェは石板をこっそり片付け、会話に戻る。
ナターリアに協力を取り付けて、妹に会わせてもらう。それができれば手っ取り早いのだが。
「ニコルさんは、どちらからいらしたので?」
「アース村だよ。と言っても、わからないか。マーズ村の隣にあるの」
「へー。マーズ村っすか。あの街道沿いの村の中ではまあまあ裕福な方ですよね。有名です。……そっか。ビビアンちゃんはそこに向かったのか」
ナターリアは髪で隠れた片目を、髪の上から手のひらで覆う。
「ビビアンちゃんは今、どうしてるんすか?」
アンジェとニコルは何気ないその質問に凍りつく。
事実を教えるべきだろうか。それとも誤魔化すべきだろうか。
ナターリアはビビアンの狂信者だ。死んでいると知ったらどんな反応をするかわからない。
アンジェはニコルの方を見つめ、判断を任せる。
ニコルは……どうやら告げることにしたようだ。
「心して聞いてね。私たちも、嘘だと信じたいくらい辛いことなんだけど……」
「ど、どうしたんです? まさかあの子、ついに犯罪者になってしまったので?」
彼女は魔物だったので、比較的近いところを突いたと言えなくもない。だが、真実は想像より残酷だ。
「あの子、死んじゃったの」
「はい?」
ナターリアは激しく瞬きをして、聞き直す。
「死んじゃったとは、もしや、もうこの世にいないという意味っすか?」
「……そう、です」
ナターリアは激しく痙攣して、聞き直す。
「もう、会えないのですか……?」
「はい」
「もひー」
ナターリアは奇声を発しながら白目を剥いて、気を失う。




