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第4話『火葬』

 アンジェが目を覚ますと、そこは実家だった。


 見慣れた大部屋。一家の団欒に使われる生活の中心であり、台所や寝室も兼ねている。アース村ではよくある構造だ。


「(都会と違って、個人に部屋を割り振ることはまずないからね。村全体で子供の面倒を見るという風習とも相性が良く……)」


 そこまで頭の中で考えて、アンジェは気がつく。


「(村から出たこと無いのに、なんでこんなことを知ってるんだ……?)」


 アンジェはまた、本来の自分が持ち得ない知識を得てしまい、跳ね起きて辺りを見回す。

 瓶を見る。壁を見る。床を見る。天井を見る。


「(わかる。何もかもが……そこにある)」


 知識が流れ込んでくる。建築の方法も、いつも使っている水瓶の作り方も、寝床の材料も、何もかもが頭の中に存在している。


 まるで、図書館だ。脳の中に万物を保管した図書館が築かれ、必要に応じて調べ物ができるようになったかのようだ。


 いや、図書館よりもっと広く、深く、自由自在だ。海を泳いでいるかのように、どこまでも深く、遠くまで行けそうな心地に……。


 ……間違いなく、悪魔の薬のせいだろう。


「(オレは一体どうしてしまったんだ)」


 玄関の方を見ると、中にいるアンジェを守るように、ニコルが背を向けて立っている。


 いつのまにか簡素な服を身につけている。流石にいつまでも全裸でいるのは恥ずかしかったのだろう。


 寝ていた自分にも毛布がかけてある。

 ……今はこうした細やかな気遣いがありがたい。


 それにしても、ニコルは白い紐のようなものをいくつも持っているように見えるが、あれは一体なんだろうか。風に揺れているのか、まるで蠢いているようで気持ちが悪い。肉の塊のように見えてきてしまう。


「(そっか。この能力でも、わからないことがあるんだ。なんでもわかってしまうわけじゃないんだ)」


 アンジェは自分の能力に限界……すなわち規則があることに安堵して、僅かに冷静さを取り戻す。


 何はともあれ、まずは無事を報告しよう。そして、大変な状況で倒れてしまったことを謝罪しよう。


「起きたよ、ニコル。倒れてごめん」


 アンジェが声をかけると、慌てた様子で紐を投げ捨て、ニコルが駆け寄ってくる。


 手足を動かすたび、縫製が甘い服の隙間から、チラチラと中の白い肌が見える。

 目に毒だ。あれを見てはいけない。アンジェは本能的にそれを察して目を逸らす。


「アンジェ!」


 玄関から差し込む日差しを受けて走る彼女は、記憶にある姿より一段と美しく見え、アンジェは思わず息を呑む。


 後光を纏うニコル。聖画にして飾っておきたいほど素晴らしい光景だ。生まれてこのかた、聖画など見たこともないが。


「(見たことがない物の知識も得られるのか。早くこの力を理解しないと、危ない予感がする)」


 自分の変化に漠然とした恐怖を感じた時、ニコルの無防備な抱擁が襲いかかり、アンジェの意識はそちらに逸れる。


 ふわりとした肉の感触。すべすべの肌。花のような香り。無視することなど、できるはずがない。


「うわっ、ニコル!?」

「ごめんね、アンジェ。つらかったよね。許して。馬鹿な私を許して!」

「わかった。わかったから離して!」


 豊満すぎる胸を凄まじい力で押し付けられ、アンジェは気が動転している。


 思考が渦を巻く頭の中に、燃え上がるような熱量を帯びた知識が流れ込んでくる。男性と女性の違いについて。一般的な女性の胸の脂肪量について。


 ……ニコルの胸の大きさがいかに異常かもわかる。


「(何考えてんだオレ!? ニコルに失礼だろ!)」


 意図していない方向に思考がブレる。ニコルに対してそのような目を向けたことは、今までなかったはずだ。


 知らないはずの知識を受け取る力。その副作用として……アンジェの心は変わってしまった。

 変わって当然だ。子供ではあり得ないはずの経験や、小さな村には入ってこないはずの情報を獲得してしまったのだから。


 年齢故か、その先にある欲望までは至らないが……何も知らない村の子供から、一歩先へと踏み出してしまったのは確実だ。


「(ニコルの言う通りだった。オレは変になってしまったんだ。やっと実感できたよ)」


 アンジェは倒れる直前に言われたことを思い出し、気落ちする。


 ニコルはアンジェの心に起きたこの変化を、あっさりと見抜いた。そして都合の悪いそれを……好ましく思ってはいない。


「(ニコルは昔のままなのに、なんでオレだけ……。いや、落ち込むな。ちゃんとニコルが喜ぶオレでいないと)」


 アンジェはそう思い、以前と同じ自分を演技しようとするも、すぐ自分自身によってその考えを訂正することになる。


「(でもオレ、ぜんぜん嘘ついたこと無いんだよな。人と話さないから。……バレるよなあ。それに、ニコルはたぶん、嘘つきより正直な方が好きだよな)」


 ニコルが喜ぶ自分を演じる。それは不可能だ。取り繕ったところで、どうせいつかは破綻する。

 ……これでもかと強く抱きしめてくるニコルに、今も劣情を抱いているのだから。


「(こんなすごいの、隠し通せる気がしない……)」


 アンジェは初めての性的興奮に圧倒され、多幸感と罪悪感の板挟みになる。

 上目遣いで「そっちもぎゅってして」とおねだりをしてくるニコル。彼女を見ていると、体の芯がぽかぽかと温まっていくような心地になる。


「(いいのかな、これ。こっちからも、触れていいんだよね?)」


 アンジェは増大していく欲望に負け、おそるおそるニコルの背中に腕を回す。

 腕の中のニコルは、その感触をぐっと噛み締めるように、もぞもぞと悶えている。


 喜んでいる。いや、自分の行為で、喜ばせている。


「(ニコルを騙すのは、嫌だな)」


 アンジェの理性が、そう訴えかけてくる。

 たとえ頭がおかしくなったとしても、ニコルに対しては誠実でいたい。


 ならば、出来ることはただひとつ。全てを曝け出して、認めてもらえるよう誠心誠意努力する。それだけだ。


 間違いなく、嫌われるだろう。幼馴染に突然「悪魔の力で知識を手に入れました」と宣言されたら、困惑するだろう。気が触れたと思われるかもしれない。


「(それでも、後になってバレる方がニコルに与える傷は深い。もう一回やり直すくらいの気持ちで……頑張ろう)」


 アンジェは思考をそこで打ち切り、全てを明かす覚悟を決める。


 ……だが、その前に。

 まだやるべきことが残っている。


「オレが寝てる間に、何かあった?」


 まずは、この村の全てを片付けてからだ。


 〜〜〜〜〜


 ニコルに連れられて、アンジェはアース村の葬儀に参列する。

 たった2人だけの、寂しい葬儀だ。


 アンジェの目が覚めるまでの時間で、ニコルは全ての準備を終わらせていた。亡くなった村人たちを回収し、花を供え、後は弔うだけになっていた。


 太陽はまだ高い位置にある。倒れてからそれほど長い時間は経過していないということだ。どれほど手際よく行動すれば、これほどの大仕事をこなせるのだろう。


「(ニコルはすごいなあ……。オレなんかよりずっと賢くて、要領がいいんだ)」


 アンジェは隣に立つ頼れる少女の手を握りながら、感嘆の息を吐く。


 火をつける役は、任されることになっている。彼女に全てを背負わせるわけにはいかない。この火葬は、2人でやるのだ。


「今から見せる前に……先に言っておくよ、ニコル。オレは確かに、変わってしまったみたいだ」


 ニコルに嫌われるかもしれない。そう考えると背筋が凍りそうになるが……なけなしの勇気を振り絞る。


「オレの頭の中に、知識が浮かぶんだ。知らなかったことが、知っていることになるっていうか……うまく表現できないけど、そんな感じの能力が備わった」

「そういうことだったんだ。変だと思っ……て、ないよ。大丈夫」

「……うん。ごめん」


 ニコルは演技が下手くそだ。よく口を滑らせるし、感情が顔に出る。


 だからこそ、ニコルが悲しむ顔は見たくない。心の底から傷ついているのだと、手にとるようにわかってしまうから。


「大丈夫。オレはアンジェだから。ニコルの……()()のアンジェだから」


 本当は恋人でいたいのだが、今はニコルの言葉を借りておこう。ニコルを尊重する姿勢を、崩してはならない。


 川での発言を考慮すると、恋人でいたくないと思っている可能性は、無視できない程度に高い。体も心も別物になったのだから、今のニコルにとって、自分は見知らぬ女性でしかない。恋心なんて無くて当然だ。そうに違いない。


「……そう。それが今のアンジェなんだね」


 ニコルは困ったように眉を曲げて、微かに微笑む。

 微妙な反応だが、変わってしまった今の自分を受け入れてくれるようだ。


 ……ニコルの隣に居られるなら、それでいい。いつかまた惚れ直してくれる日が来るように、尽力すればいい。とても難しいかもしれないが……諦めずにいこう。


 アンジェはひとつ咳払いをして、気を取り直す。


 いよいよ、この村とお別れする時がやってきた。生き残った者として、責任を持って終わらせるのだ。


 今まで自分を育ててくれた両親も、あの中にいる。荼毘(だび)に伏すとなると、鬱屈とした感情が込み上げてくるが……泣き言は言わない。


「じゃあ、始めるよ」

「火打ち石は……」

「必要ない。オレの中に、魔法があるから」


 アンジェは今の自分の能力を開示するため、雑多に散らばった知識の海に、ひとつの種を落とす。


「(炎。炎が欲しい)」


 それはアンジェの意識という釣竿に付けられた餌。求めるものを釣り上げるために、必要なもの。

 アンジェの脳内に、知識の海を泳ぐ魚が、うようよと寄ってくる。


 魚群が口々に、断片的な知識を語る。

 炎は熱い。炎は危険だ。炎で人間は進化した。原始時代の人間が、身を守るための武器だった。文明の始まり。知性の象徴。


「(違う、そうじゃない)」


 まだ慣れていないせいか、意識が蛇行し、妙な知識が集まってしまう。

 啖呵を切っておいて失敗するのは、格好悪い。少し練習してからの方が良かったか。後悔しても、もう遅いけれど。


 アンジェは意識の餌を少し引き上げ、また探る。

 今度は違う方向に進んでみよう。


「炎は熱い。炎は便利だ。料理に使える。冬には助かる。欠かせない。必要なものだ」

「……アンジェ?」


 集中しすぎてぶつぶつと呟いてしまい、ニコルに聞かれてしまった。そちらを見てはいないが、怪訝そうな顔をしているのがわかる。


 ニコルには申し訳ないが、今はただひとりで、心の中にある海に潜らせてほしい。

 これから生き抜くために、うんざりするほどニコルの前でこうすることになるだろう。今のうちに見慣れておいてくれないと……困る。


「必要だからみんな覚える。すぐに習う。最初に教わる。簡単な魔法。炎の魔法。……これだ」


 行き着いた。手に入れた。頭に無いはずの知識を、自分のものにした。


「人間のひよっこでも使える、【簡単な魔法】だ。学校に通い始めた子供が、【最初に教わる】魔法。誰にとっても【必要】だから、この国の大半の学校で教育課程に含まれている。【冬】はこれで暖炉を灯し、暖炉の炎で【料理】を作る。とても【便利】だが……火事を起こせるほど【熱い】。……よし」


 手に入れた知識をもとに、アンジェはすぐさま呪文を唱える。


「『火の指:カ・リュウ・カイ』」


 アンジェの呪文に、肉体が、世界が、応える。

 体内から魔力が引き出され、指先で炎となって具現化する。


 アンジェは己が得た知識に沿って、追加で魔力を注ぎ、炎が進むべき道を引く。

 明るく力強い炎の塊が、村人たちの遺体が眠る家の中にゆっくりと入り込み……突風と共に膨れ上がる。


「あっ……!」


 昨日までニコルが暮らしていた家は、瞬く間に業火に包まれてしまう。


 本来これほどの火力が出る魔法ではないのだが……道を作って誘導する段階で、魔力の調整を間違えたのだろう。危ないところであった。


「は……!」


 ニコルが胸を押さえて、苦しそうにしている。

 当然だ。生まれ育った家を村人たちの棺にして、燃やしているのだから。


 呼吸が荒い。冷や汗が滝のように流れている。目にかかった前髪を、振り払おうともしていない。


 アンジェは一歩だけニコルに近づき、握っている方の手を少し持ち上げ、自身の胸に当てる。

 ニコルを想う幼馴染がここにいると、伝えるために。全てが燃えて無くなっても、自分は隣にいると、示すために。


 これが正しい対応かはわからないが……傷ついた心の癒し方は、知識の海にも載っていない。

 ならば、己の心に従って行動するしかない。ニコルを救う方法は、不器用なアンジェには他に思いつかない。


「アンジェ……」


 ニコルは呆然とした顔でしばらくアンジェと目を合わせ、やがて何かを決意した表情で、握る手にぐっと力を入れて、正面に向き直る。


 そして、燃えていく自身の家を、ただじっと、何も言わずに、見届ける。


 ニコルならきっと乗り越えてくれるはずだ。アンジェはそう信じて、目が痛くなるほど明るい炎に、視線を向ける。


 朽ちていく。故郷が、過去が、安息の地が、失われていく。


「(……オレは、未来へ行く。みんなの分まで)」


 頬を撫でる熱波に向けて、アンジェはそう誓った。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 アンジェはきっと、私よりずっと大きな人になる。

 燃え広がる炎を見て、なんとなくそう思う。


 私は村の外に出たことがある。お母さんと村長に連れられて、少し遠出をして都会に行ったこともある。


 私の容姿なら、都会に行って良い人を連れてくることもできるらしいから、みんなはそれを期待していたらしい。閉じた村に風を入れたかったのだろう。


 都会に行った時に、ちょっとだけ魔法を見たことがある。

 制服という綺麗な衣装を着た、今の私くらい歳の男の子たちが、人差し指からちょろちょろと火を出して見せ合いっこをしていた。


 物に当ててもボヤすら起こせない、小さな火。その大きさを比べて、勝った方は得意げになっていた。

 そして、そのあとすぐに、教師という人に見つかって怒られていた。危ない事をしたからとか、放火魔になるつもりかとか、そんな話をしていた気がする。


 村に魔法を使える人はほとんどいない。踏ん張ると周りに風が起きる人はいたけど、それだけだ。

 隣村には凄い魔法使いがいるけど、私たちの村に来ることは一度もない。だって、こんなところに用事なんかないし。


 だから私にとって、魔法は不思議だけど、縁がないものでしかなかった。とてもじゃないけど、羨ましいとは思えなかった。


 ……アンジェの炎は、比べ物にならないほど凄い。


 死とか、恐怖とか、後悔とか……そういう悪いものを全てを吹き飛ばして消し去ってしまう、そんな破壊力がある。


 自分の家が燃えているのに、膨れて死んだお母さんも燃えているのに、何故かすっきりした気分だ。真っ黒に塗り潰された過去を振り切って、新しい自分になれたような気がする。


「は……!」


 私はたぶん、今までの人生で一番みっともない顔をしていると思う。


 なんで興奮してるんだろう、私。正気じゃない。気持ち悪い。何が新しい自分だ。村のみんなが今まさに燃えているのに。


 色々ありすぎて、疲れてるんだ。そうに違いない。


 私がひとり錯乱していると、アンジェが心配そうな顔で手を持ち上げて、胸まで持っていく。


「アンジェ……」


 涙が引っ込む。喉まで来ていた胃液が、すっと胃に落ちていく。


 アンジェはまだ、私を大切にしてくれている。気遣って、そばにいてくれている。

 騙していて良いのかな。化け物だってこと、隠していたらダメなんじゃないかな。心が痛い。


 その時初めて、アンジェの体が柔らかいことに気がつく。

 まったく膨らんでいないけど、でも地盤がある。たぶんこれから、すごい勢いで大きくなる。そんな予感がする。


 そうだ。そういえば女の子なんだ、アンジェは。


 私は目が覚めたような心地になった。


 きっとアンジェも、新しい自分になったんだ。戸惑いながら、迷いながら、新しくなった自分を見せてくれたんだ。

 魔王のせいで得てしまった力なんて、不気味で仕方ないはずなのに。見せたくなんかなかっただろうに。


 小さなアンジェ。今もおどおどしているアンジェ。それが今では、私よりずっと大きく見える。すごい魔法使いになって、私を助けてくれている。


 ……もう、私から教わっていただけのアンジェじゃないんだ。


 私は正面を向いて、家が、みんなが、炭になっていくのを見届ける。

 今まで、本当にお世話になりました。私だけ生き残ってしまって、ごめんなさい。つらかったよね。痛かったよね。わかるよ。


「(私もそのうち、そっちに行くから)」


 心の中で、そんな懺悔の言葉を告げて。


 私はアンジェに、自分の体のことを打ち明ける決心をした。


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