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第38話『旅の果てにこそ運命あり』

 アンジェ、ニコル、そして助っ人のドイル。

 3人は力を合わせて旅路を行き、次なる街……仮面の都サターンへと向かっていく。


 アンジェは知識の海を活かして道案内。時折地形が変わっている部分があるため、知識の海でさえもいまひとつ信用できないが、参考くらいにはなる。


 ぴょこぴょこと跳ねるような早歩きで、アンジェは先頭を行き、周辺の地形や生物を確かめる。たまに前を行きすぎて、ドイルに注意されながら。


 ニコルは植物の触手と、それに付属している花の感覚器で周囲を警戒。ニコルも悪魔だと明かしたため、遠慮なく魔法を全開で使える。

 ニコルの周囲を覆い尽くすような蔦。咲き誇る花。飛び回る虫。アンジェは楽しそうに小躍りし、ドイルは魔法の精度の高さに怯えている。


 さて、期待の新人、ドイルの仕事はというと……。

 無い。そう、まったく無いのである。


 魔物の撃退も、襲ってきた魔物の死体を剥ぎ取り埋葬する流れも、全てニコルがこなせる。触手の数だけ労働力になるのだから、10人分近い作業をひとりでこなすことができるのだ。


「あっ、右前方に敵です。やっつけます」


 ニコルはそう言って、触手を右手側に集中させ始める。

 フウカの襲撃だ。数は2体。他に増援はない。


「俺が……」

「いえ、もう終わりました」


 剣を抜くドイルを制して、ニコルはさっと触手を振るい、最初に突っ込んできたフウカを両断する。

 特に刃も付いていない植物で、速度と怪力に任せ、強引に引きちぎったのである。


 アンジェには見慣れた光景だが、ドイルは仰天している。


「なっ……なんだお前!?」

「ニコルです」

「そうじゃない! その力はなんだと聞いている!」

「危ないから下がっててくださいね」


 ドイルはニコルの手際の良さを前にして、困惑することしかできないようだ。

 それもそうだろう。ニコルは強いのだ。知識の海でさえ解析しきれないほどに。


 そんな彼の方を向いて微笑みつつ、ニコルは襲ってくる次のフウカを一撃で殺して死体に変え、次の瞬間には別の触手で解体を始めている。

 売り物になる毛皮や牙は加工されて丁寧に箱詰め。骨は砕かないよう慎重に引っこ抜き、肉はどうにもならないのでアンジェのもとへ。


「オレが燃やそう」


 アンジェは頑丈な魔物さえ焼き尽くすほどの炎を放ち、魔物の死体を完全に処理する。

 こうすることで魔物の魔力は無害な形に分解され、地面や空気中に溶けて混ざる。混ざった魔力は生物を育む餌となり、この地を肥すだろう。

 ついでにドイルから貰った聖水もかけておく。魔物が発する悪しき魔力を分解する作用があるらしい。燃やせば十分なのだが、ドイルが抱く信仰への配慮のためだ。


「祈った方がいいですか?」

「いらん」


 こうして、3人を襲撃した小型の魔物たちは、体の部位を何ひとつ無駄にする事なく、資源へと変わっていく。

 過剰な凶暴性と、生態系への害をもって、人間に仇をなす魔物たち。そんな彼らでも、死ねば今を生きる者たちの肥やしとなるだけだ。


 ニコルは自分で生み出した柔らかい葉で返り血を拭いながら、アンジェに尋ねる。


「これ、いくらくらいになるの?」


 手に入った魔物の素材のことだろう。アンジェはサターンの街で売ることを想定し、軽く計算して、首を横に振る。


「どれだけ高く売っても、合わせて小金貨1枚ってところかな」

「十分すぎるくらいだろう」


 2人の会話に、ドイルが口を挟んでくる。

 信じられないと言いたげな顔だ。無口で無表情な彼だが、最近は驚いている姿を見せることが多い。


「小金貨が1枚あれば小型の魔道具が1つ買えるぞ。それも中古品や無名作家によるものではなく、名のある工房によるものが……」

「魔道具もお金も、今のところは間に合ってるんですよね……」


 小型の魔道具は、既存の魔法を詠唱なしで発動する機能のものが多い。わざわざ声を発する必要がないのは、楽だ。


 だが、ここにいるアンジェは知識の海を持つ多才な魔法使いだ。魔道具を買っても旨味が薄い。


「魔道具なんか、いくらでも作れます」

「便利な奴だな……。だが、金の使い道は他にもあるだろう」


 小金貨一枚の使い道について、ドイルは語ろうとしている。

 無論、アンジェは現在の貨幣価値を十分に理解している。それを制して、現在の懐事情を述べる。


「今、ニコルの懐に小金貨30枚があります。郊外に家を建てられますね。銀以下の貨幣も出せば、家具を揃えても余ります」

「なるほど。現状、金は足りているのか」


 ドイルは特に驚くことなく、考え込む。


「だが、子供が持ち歩いていい額ではないぞ。あまり言い触らすな。悪党に狙われる」

「それはそうですけど……預けられる拠点も組織も、何もありません」


 ドイルは何か悪い物でも食べたかのような顔つきで額に手を当てる。子供が大金を持ち歩いているという事実に直面して、気が気でないのだろう。


「なるほど。早急にサターンの街に行かねばな。組合の金庫を貸そう」

「別に組合にも預けませんけどね。信頼できません」

「なんだと?」


 狩猟組合が金融関係の仕事に手を出し始めていることは知識の海で知っている。だが、ニコル以上に信頼できる保管方法などあるはずがない。

 組合に所属しているドイルには悪いが、金はあくまで自分たちで持つ。これは譲れない。


「組合に加入したいというのに、組合の金庫を利用しないつもりか?」

「別に義務ではないんですよね?」

「組合に仕事を回せ。暗黙の了解だ」


 口論になり始めた2人の間に、ニコルが穏やかな笑みを浮かべながら割って入る。仲裁に慣れているのだろう。反応が早く、対処も的確だ。


「まあまあ。まずはサターンを見ないことには何とも言えませんよ」

「……そうだね」


 サターンを永住するに値する街だと判断すれば、他の方法を考える機会も自ずと生まれるだろう。

 ドイルの意見に反発するようなことを言うのは、いささか早計だった。決して不和を招きたいわけではないというのに。


 ドイルもそのつもりのようで、黒い外套を纏い直して態度を改める。


「……どのみちお前たちが決めることだな。金を自分の手の内に溜め込む狩人も、知り合いにいる。無理強いはしない」

「別に、組合を悪く言うつもりじゃなかったんです。すみません」

「わかっている」


 明るく大袈裟な仕草で場を和ませようとするニコルを見ながら、2人は反省する。

 これから先、お互いを頼って旅をしていくのだ。道中での喧嘩別れは禁物だ。


 〜〜〜〜〜


 それからの旅は、極めて順調であった。

 それぞれの役割や人柄が明確になっていくにつれ、不和や連携の不備がなくなっていき、どのような事態にも最適化された対応ができるようになった。


 特にドイルの経験が役に立った。アンジェの知識にも載っていない実践的な小技をよく知っており、悪路の歩き方や人とすれ違った時の対応など、様々な旅の極意を教わることができた。


 ——ある時は山の麓をなぞるように、3人は進む。

 野生動物の生息地の境目を縫うように、面倒な獣がいない場所を狙って歩く。本来の群れからはぐれた獣もたまにいるため、完全に敵を避けられるわけではないが、それでも厄介ごとは格段に減る。

 先住民の住処を荒らすべからず。ドイルが経験で編み出した旅の極意である。


「なるほど。知識の海だけではたどり着くのに苦労しそうな境地ですね。まさに体で覚える、といったところでしょうか」

「そうだな。この道を見出すまでに、ずいぶんかかった。……だが、俺のやり方とお前の力を併用すれば、もっと楽に旅路を選択できるはずだ。あらゆる未知を既知に変えることさえできるだろう」

「ほう。ずいぶん知識の海を高く買ってくれていますね。もしかして、興味がおありで?」

「当たり前だ。少しでも魔法をかじっていれば、お前の知識の海とやらがおかしい事くらいわかる」

「詳しい仕様を教えてもいいですよ。対価としてドイルさんの剣、オレに教えてください」

「あ、私もドイルさんに聞きたいことがあるんです。ピクト領って、どんなところなんですか?」

「……待て。いっぺんに情報を叩きつけてくるな」


 結局ドイルは申し出を受けて、知識の海による講座と引き換えに、2人に剣を教えることになった。

 お互いを知り、学び合い、高め合い、3人は急速に力を蓄えていった。


 ——ある時は突然の落石に震えながら、進む。

 野兎だった肉塊が転がっているのを見て、アンジェは戦慄しつつその場を離れる。


「な、なんですかあれ。ここって大丈夫な場所なんですよね?」

「そのはずだが、地形が変わっている。魔物が暴れたらしい。避けた方が良さそうだ」

「ふむ。少し痕跡を探らせてください。知識の海に載っているかもしれません」

「よし。その間、俺が守ろう」

「あ、左後方に魔物です。大物ですよ」

「なにぃ!?」

「うひゃあ!」


 土砂崩れの原因らしい、全長がわからないほど巨大なミミズの魔物を、3人はあっさりと葬った。

 図体こそ大きかったが、動きが鈍重だったため、剣も魔法も触手も、何もかも思いのままに命中させることができたのだ。

 気分爽快であったが、素材が売り物にならない点は残念といったところか。


 ドイルは燃えカスに聖水を撒きつつ、自慢げに悪魔祓いの知識を披露する。


「聖水は悪魔祓いに伝わる神秘であり、極意だ。最新の製法は知識の海にも無いようだが、そう簡単に教えるわけにはいかん」

「極意……。もしかして、オレを埋めるときに使った聖水って、高価なんですか?」

「当然だ。同じ重量の酒の100倍はする」

「うひゃあ!」


 その後、3人は貴族に対する偏見や愚痴を思いおもいに話し合い、笑い合った。


 ——ある時は空を飛ぶ魔物を狩りながら、進む。

 トウリ。しかも大群だ。どうやら例の親玉は、あの森以外でも大暴れしていたらしい。

 派手に幅を利かせていたからこそ、あのマンモンに目をつけられて舎弟にさせられたのかもしれない。

 真相はもはや闇の中だが。


「残党いるの!? オレもう鳥と戦いたくないんだけど!?」

「トウリの親玉とやらは、ずいぶん広範囲を飛び回っていたようだな」

「私がやります」


 ニコルが出陣して触手を振り回すと、25体のトウリはあっさりと全滅した。

 かつて相手したあのシュンカでさえ、触手の一撃が直撃すれば、あっさりと即死したのだ。小鳥ごときに耐えられるはずがない。

 あるいは、ニコルならマンモンが相手でも勝てたのではないだろうか。ニコルは武術の心得こそ無いものの、意外なことに肉弾戦が得意だ。相性は悪くないように思える。


 アンジェとドイルはトウリだった肉塊を眺め、気落ちしながら会話する。


「やはり強いな、彼女は」

「ほんとですね。やっぱり、あの時はオレが行くべきじゃなかったんだなあ」

「それはその通りだ。お前は自分の能力を理解している割に、度を超えた無茶をしすぎる」

「うむむむむ」

「だが、お前も決して弱くはない。むしろ歳の割にずいぶんよくやっている。将来が楽しみだな」

「おやおや、悪魔を育てちゃっていいんですか?」

「気が咎めるなら、悪魔祓いの道に進んでもいいぞ」


 ドイルはアンジェの方も高く買ってくれている。それが今のアンジェにとって、僅かに救いとなっているのは間違いない。


 ……こうして、3人は経験を積みながら、サターンの街にたどり着いた。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 サターンの街。仮面の都。

 そこはいつだって、お祭り騒ぎだ。


 色とりどりの派手な布飾り。道端で笑顔を咲かせる芸人たち。腕を競い合う料理の屋台。何処からともなく流れてくる明るい音楽。情熱的な色の花々。幾度となく公演する劇団。愉快だがどこか扇情的な踊り。万人が熱狂する対戦競技。


 華やかな街。王国が誇る、繁栄の象徴。それがこのサターンだ。


 私はかつて、ここを訪れた。世界の果てしなさを知って、それに手が届かないことを理解した。

 だけど今なら……アンジェと一緒なら……あの時よりも……。


 私が自分の中にある感情を整理するのに手一杯になっていると、アンジェが興奮した様子でぴょんぴょん飛び跳ねて、感想を伝えてくる。


「すごい。すっごいよニコル! 知識で見るのとは大違いだ! 色が沢山で、美味しそうな匂いがいっぱいしてくる!」


 アンジェは幼い女の子らしく、全身を使ったはしゃぎ方をしている。いつもの冷静で寂しそうなアンジェとは大違いだ。

 ここに連れてきて良かった。私の判断は間違ってなかった。今のあどけないアンジェを見るだけで、そう確信できる。

 アース村の子供のままだったら。マーズ村に留まっていたら。こんなアンジェは見ることができなかっただろう。


 トコトコと走り回ろうとするアンジェを、私は蔦の触手で優しく引き留める。

 アンジェの身長は大人の腰くらいまでしかない。気づかれないまま蹴られてしまうかもしれない。ただでさえ街全体が興奮状態にあるんだから、私が気を張っていないと、何が起こるかわからない。


 時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり楽しもう。大はしゃぎする必要なんかない。私だって何もかも忘れて楽しみたいけど、ここは年長者として、我慢の時だ。


「駄目だよ、アンジェ。危ないから」


 私がアンジェを諭していると、隣にいるドイルさんが肩を叩いてくる。

 唐突に触られるとびっくりするから、もう少し遠慮してほしいけど……あまり他人と接してこなかったらしいから、仕方ないか。


 彼は彼なりに精一杯作っただろう不恰好な笑顔を向けて、私たちに告げる。


「お前たちは一人前だが、子供だ。共に旅する中で、それを承知している」

「えっと、つまり?」

「はしゃいでこい。俺は赤追い組合で待つ」


 私は内心を見透かされたかのような都合の良い赦しを得て、混乱する。

 遊んでいいのだろうか。私もドイルさんも、アンジェの保護者として振る舞わないといけない場面だと思うんだけど。


 でも一人前ってことは、つまり……別行動をしても問題ないってことで……自由が認められているということで……。


「私は……田舎者で……駄目な子で……」

「若いうちから自分を縛るな。お前は運命から解き放たれたいのだろう?」


 その言葉に、私はハッとする。

 運命。それは私に相応しい単語だ。私の本質だ。

 生まれつき病弱で、父親がいなくて、どうにかしたいと思っていたけれど、いろんなことを勉強しても、村の外に出てみても、どうにもならなくて。

 私はきっと、運命の奴隷だった。運命を変えたくて旅に出たんだ。


 ドイルさんは笑顔を作るのに疲れたのか、いつも通りの無表情に戻って、続ける。


「使命を背負うにはまだ早い。自分を閉ざさず、遊びの中で世界を知れ。先を生きた俺からの提案だ」

「……いいんですか?」

「普通の子供は、そんなことを尋ねはしない」


 普通の、子供。

 普通とはなんだろう。以前にも、アンジェに似たようなことを聞かれた気がする。その時も結論は出なかったんだっけ。


 ドイルさんは念のために聖水をいくつか渡しつつ、私たちに要件を告げる。


「俺はしばらくこの街に滞在する。困ったことがあったら声をかけろ。組合に入るならいつでも歓迎する」

「……はい」

「他の街に行くなら、予定が合えば着いていくぞ」

「……ありがとう、ございます」


 気遣われている。

 思えばこの旅の間、ずっとそうだった。彼はまるで親のように私たちを見守っていてくれた。私に父親がいたらきっとこんな感じだったんだろう。そう思えるくらいには、優しかった。


 彼の忠言が一区切りついたところで、アンジェが私の太ももを突いてくる。

 反射的に見下ろすと、心配そうに見上げてくるアンジェと目が合う。


「むふー」


 この広い街でさえも、彼女ほど美しい少女は他にいないだろう。そう確信できるほどの比類なき美が、私だけを見つめている。


 ある意味、この子も運命に縛り付けられている。生まれた時から、私と出会い、仲良くなることが決まっていた存在だ。


「ニコル。一緒に遊ぼうよ」


 私はそんなアンジェの頭を撫で、決意する。

 そうだ。この子に広い世界を見せるために、旅をしているんだ。アンジェは私についてくる。だったら私が率先して楽しまないと。


 触手の花の中から財布を取り出して、私は微笑む。


「わかった。行こう、アンジェ」


 私はドイルさんに軽くお辞儀をして、人混みの中に飛び込む。

 彼は私とアンジェを見比べた後、少し複雑そうな顔をしていたような気がした。


 〜〜〜〜〜


 アンジェとニコルは、サターンの街を観光することになった。

 とはいえ、広大で雑多で、何処へ行っても賑わっている街だ。目的なく彷徨うと、迷子になってしまうだろう。


 まず人の少ない場所まで移動して、知識の海で情報収集だ。


「(オレは賢いから、迷子になんかならないぞ)」


 アンジェは知識の海からサターンの地図を引っ張り出して、素早く石板に記入する。

 触手で覗き込むニコルに向けて、アンジェは小さな脳を酷使しながら、次々に知識を得て解説する。


「サターンの街は東西南北の4つに分かれている」

「うん」

「ここが現在地。南の区域だ」


 視界と知識の海を照らし合わせて、アンジェは推測する。

 今のアンジェは知識の海から入ってくる情報を整理するのに忙しい。ただでさえ視界の情報量が多いというのに、海から流れ込む知識量も膨大なのだから、目まいがしそうだ。


「南は商業区域。商人、職人、料理人たちが集う。お金のやり取りが頻発するからスリや詐欺が多い。置き引きも多発し……んんっ、失礼」


 妙な方向に思考がぶれ始めたため、アンジェは一度咳払いをして中断し、仕切り直す。

 有益な情報ではあるが、こんなことを話したいわけではない。せっかくの観光地なのだから、楽しいことで頭を埋め尽くしたいものだ。


「西は芸術区域。芸人、劇団、音楽家が集う。画家や作曲家も訪れるらしい。貴族が多いから、揉め事を起こさないように注意」

「うん……そうだね」


 貴族という単語に反応し、ニコルは表情を暗くする。

 先ほどから気分が落ち込むような話題ばかり繰り広げている気がする。脳への負荷が強力すぎてそこまで気が回らない現状が恨めしい。


「東は生活区域。住民たちの家と旅人向けの宿が立ち並ぶ。昼間のうちは、この街で唯一の、静かで穏やかな場所だ」

「じゃあ、夜は?」

「酒場や……その他諸々の店が、繁盛している」


 ようやく当たり障りのない解説ができた。口数を減らし、知識の海の深度を浅くした方が、余計なことを言わずに済むようだ。


 生活区域について、知識の海の隅に妙な情報が見えたような気がするが、これには意識を向けない方が良い気がする。これは見てはいけないものだ。うっかり口に出そうものなら、空気をまずくしてしまいそうな気配を感じる。


 アンジェは気を取り直して、最後の区域に移る。


「北は連合区域。様々な連盟、同盟、組合が集う。赤追い組合もここだね。領主の家もここにある」

「そこは行ったことないや。遠くから見たことはあるけど」


 ニコルは神妙な顔でゆっくりと頷く。


 ……そこは、と言ったか。そういえばニコルはこの街に訪れたことがあるのだった。

 もしや今しがた調べた内容を、彼女は既に知っていたのだろうか。


「えっと……ニコルはこの街のこと、どれくらい知ってる?」

「あの頃とはお店がだいぶ入れ替わってるけど、案内くらいはできると思うよ」


 やはり知っていた。自信満々で知ったかぶりをしてしまったようで、恥ずかしい。顔から火が出そうだ。


 とはいえ、間違った内容を口にしたわけではないようなので、気にする必要はあるまい。ニコルの知識量に追いついたと思えば良いのだ。


 アンジェは火照る頬を両手で押さえ、背中の荷物をがさりと震わせながら仁王立ちする。


「よかろう。では、ニコルくん。まずは宿を取ろうじゃないか。荷物置いて、寝床確保して、身軽にしてから遊ぼう」

「了解です師匠!」


 ニコルはアンジェの奇妙な寸劇に乗り、心底楽しそうな笑みを浮かべながら、東の区域に向けて歩き始める。


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