第37話『あべこべな親友』
《ビビアンの世界》
最近のぼくは運動不足だ。辺境伯ニーナの義体を作るため、暇さえあれば工房にこもって修業を積んでいるのだ。
魔物たちも最近はおとなしくしているし、外に出る用事がない。これも出不精を助長する要素だろう。
まあ、魔物は太ることがないから、戦闘の勘が鈍るくらいだ。その分魔道具作りの腕が研ぎ澄まされていくなら、別にいいかな。
「ふんふふーん、ふんふふーん」
ぼくは工具を準備しながら、昨日の舞踏会で聴いた曲を鼻歌で奏でる。
先日の魔王との戦いで、ぼくはいよいよ英雄として持ち上げられることになった。強大な悪魔を落とし、魔王に立ち向かってニーナを救い出した功績で。
そのせいで、最近は行きたくもないお茶会や談合に顔を出すことになっている。
ニーナたちピクト家の配慮のおかげで、回数はそう多くないし、何処かの派閥と繋がりを作る必要もないけど、苦手な貴族だらけの空間にいるだけで、疲れが溜まる。
たまにニーナも一緒に参加することがあるけど、あれはちょっと勘弁願いたいかな。まさか他所の貴族が相手でもあの態度のままだとは思わなかった。普通の話し方が出来ないのかな。なんか怖かった。
「ほんと、ニーナは手間がかかるねぇ」
ぼくは腰を下ろし、ニーナの義足を解体し、検査を始める。
手持ちの検査項目一覧と照らし合わせて、ひとつひとつ異常がないかどうか確かめていく。
「人工骨髄……外傷なし。聖水生産機能……異常なし。循環機能……異常なし。洗浄。装着。人工骨……外傷なし。筋組織……」
ぼくは見落としがないよう目を光らせながら、真剣に部品を点検していく。
今のぼくは工房の知識と技術を吸収して、義足だけならこうしてひとりで点検できるようになっている。主任技師のクリプトンおじさんは驚いていたけど、元から魔道具の知識があったから、このくらいは出来て当たり前だ。
早く義手や内臓も任されるようになりたい。でも義手は指の部分が精巧で難しいし、内臓は機能が繊細かつ複雑だ。簡単には修復できない。
ましてやニーナにとって唯一の生身である脳の周辺なんて、10年早い。うっかりで壊してしまったら取り返しがつかない。
「よし。完了」
しばらくして、ようやく全ての作業が終わる。
手間がかかったけど、クリプトンならもっと早い。まだまだ精進しなければ。
ぼくはすぐさま汚れた体を水魔法で洗い、下級貴族が着るような、縫製や布地がちゃんとしている、普段より数段まともな服を着る。
ぼくは隣室で作業をしているクリプトンに一言だけ挨拶をして、整備が終わった義足を持ち、ニーナが待機している彼女の私室に向かう。
最新式の義足は、片方だけでも大の男が血管を浮かべながら必死に持ち上げる必要がある重さだ。以前のぼくではとても運べなかっただろう。
でも今のぼくは何故だか筋力が増していて、簡単に持ててしまう。義手になっていない右腕でも容易に持ち上げられるんだから、おかしな話だ。
便利だから別にいいんだけど、クリプトンも首を傾げていたし、何が起きているのやら。
「(アウスではない何かに、変質している……?)」
ぼくはニーナの自室の扉の前に立ち、靴を脱いで、足の指で叩き金をひっかけ、音を立てる。
品がないけど、誰も見てないし、別にいいだろう。
扉を叩いた直後、ニーナ本人が顔を出す。
貴族らしい豪華な衣装で隠されているけど、かなり古いらしいボロの義足を装着しているのがわかる。微かに軋むような音がするし、立ち姿がぎこちない。いつも見ているから、それくらいすぐにわかる。
「群青! 我が銀の柱はその輝きを取り戻したというのか!?」
「うん、直ったよぉ」
「朝日である! 猫のように参るべし!」
「はいはぁい」
ぼくはニーナの招待に応じて、遠慮なく私室にお邪魔する。
この数ヶ月で幾度となく足を運んだ、貴族の部屋。ニーナの部屋はその地位の割に飾りが少ないけど、どこを見ても清潔で上品だ。
なんだか落ち着くなあ。香水も穏やかで鼻にきつくないし……家具の色合いも良い……。
いや、何を楽しんでるんだぼくは。仕事で来てるだけだってば。さっさと義足を置いて帰ろう。
「じゃあ、ぼくはこれでぇ」
「そっけないぞ群青! 暇である! あるいは茶菓子であるぞ!」
一瞬だけ、どういう意味かと裏を探ってみたけど、たぶんそのままの意味だな。ニーナにしては素直な誘い文句だ。
ぼくと一緒にいたいのか。じゃあその誘いに乗ってあげないと可哀想だ。
「仕方ないなぁ。お茶を蒸らしてる間に、義足を付けてあげるよぉ」
「僅かな暇に!? 新たなる門出であるか!?」
「そう。新機能もあるよぉ」
ぼくはニーナ自らお茶を淹れるのを待ちながら、クリプトンの案でほんの少しだけ改良された義足を見せびらかす。
これはニーナの脚だけど、今はぼくの手中にある。だからこの瞬間くらい、ぼくの好きにしてもいいはずだ。
紅茶の良い匂いが漂い始める中、ぼくは義足の接続部分を改良したとか、聖水の循環機能を向上させたとか、そんな話をする。
ニーナは黙って解説を聞いてくれる。自分がうるさいことを理解して、静かにしてくれている。貴族のくせにこうやって気遣ってくれるから、憎めない。
説明と装着が終わる頃には、ちょうどお茶の準備が整う。
「いい香りだ」
ぼくは貴族の流儀を無視して、自ら椅子を引き、部屋の主人に構わず勝手に席に着く。
堅苦しい貴族のやり方は、ぼくらの性に合わない。ここでくらい、無礼講でいい。ニーナも以前からそう言ってくれている。
「群青。此度は仮面の地より数奇なる『弾け菓子』を招いたぞ。さあ、手を伸ばすがよい!」
仮面の地、とは何処のことだろう。こういう時は固有名詞を出してくれないと、まだ理解できない。
ぼくが右手を顎に当てると、ニーナは何処からか紙の束を取り出して、とてつもなく下手な字で、書いて伝えようとする。
「『サターン』」
ああ、あそこか。マーズ村から少し離れたところにある、旅芸人や商人が集まる愉快なところ。ミストルティア王国で2番目に大きな街。
ちなみに1番は王都で、3番がこの街だ。
サターンは『輪の都』という別名で呼ばれている。動物による火の輪くぐりの芸や、腰で金属の輪を回す遊びが伝統だ。商人たちが壊れた車輪で遊具を作ったのが始まりだそうだ。
ノーグと行った時は、あんまり楽しめなかったな。その頃にはとっくに旅に疲れ果てて、安住の地を探していたから。
でも観光で訪れるには良い場所だと思う。賑やかで人が多くて、色々な意味で活気がある場所。
今度はニーナと一緒に……いや、やっぱりニーナとは行きたくないや。ただでさえやかましいのに、更に大はしゃぎしそうだ。ジーとエルの方がいい。いつか会いに行って、誘ってみよう。
「(サターン……。あのバカは元気かな……)」
それはともかく、今はお菓子だ。せっかく用意してくれたんだから、食べてしまおう。
聞いた話だと間食は美容の大敵らしいから、自分によく言い聞かせてから食べることにする。
「これくらい問題ない。今日は大丈夫な日。自分へのご褒美。……よし」
ぼくはサターン名物だという『弾け菓子』をひとつ手に取る。
白くふわふわした、綿のような外見。上に垂らされているのは、蜂蜜かな。
ぼくは迷わず、それを口に運ぶ。ニーナが出す菓子は変なものが多いけど、絶対にまずくはない。
「はむっ」
食感は柔らかい。というより、虚無だ。本当に綿を食べているかのような気分になる。歯応えがない。ちょっと肩透かしだ。
肝心の味は……まあ、悪くない。蜂蜜がなかったら物足りないかもしれないけど、あっさりしていて、いくらでも食べられそうだ。塩をかけて料理の材料に使ってもいいんじゃないだろうか。
総評。思っていたのと違ったけど、嫌いじゃない。ただ甘いだけの砂糖菓子よりずっと良い。
「群青。何を得た?」
ニーナが自信に満ちた笑みを浮かべて、感想を引き出そうとしている。
彼女は何も食べていない。そもそも食べることができないのだ。ろ過装置を起動していればお茶は飲めるけど、味を感じることができないし、熱さもわからない。
だから彼女にとっては、ぼくの反応だけがお茶会の楽しみなのだ。
ぼくは素直に、思ったことを伝える。
「淡白だねぇ。実質蜂蜜舐めてるだけかもぉ。これ、他の味も作れそうじゃない?」
「風向きが研究者である!」
ニーナはおろおろしている。堂々としているように見えて、意外と慌てることが多いから可愛い。いや、別に可愛くはないか。そんなはずがない。
あんなに慌てているってことは、他の味は用意してなかったんだろうね。もしかしたらあるかもしれないと思ったけど、流石に意地悪だったか。
「新たなる味を、創造せねば! 緊急事態として厨房を司る偉人たちに鞭と花束を渡さねば!」
ニーナは執事を呼ぼうとして、机の上にある、手のひらに収まるほど小さな、金色の鐘に手を伸ばす。
魔道具の鐘だ。鳴らせばすぐにでも、この部屋に使用人の誰かが駆けつける。大体はあの執事の老人だけど、たまに他の人も飛んでくる。
「(その必要はない。静かなお茶会に、騒々しさを持ち込まないでほしい)」
なんとなくそう思って、ぼくは咄嗟にニーナの手を掴んでしまう。
ニーナは驚いて目を見開き、椅子がコトンと音を立てるほど大きく跳ねる。
「あっ、群青……!?」
「わがままは言わないよ。注文はまた今度にしよう」
ぼくは貴族じゃない。野良の戦士だ。心まで金色に染まりたくはない。使用人や料理人を顎で使いたくなんてない。
だから今回は、提案だけに留めよう。贅沢はせず、次の楽しみを取っておくのも、平民流だ。
ぼくが手を離すと、ニーナはやけに丁寧な動作で、つるりとした義手を膝まで下ろす。
空気の感触を確かめているかのような、やけに緩慢な手つきだ。ぼくとの接触のせいで不具合でも起きたのだろうか。それほどヤワじゃないはずだけど。
「わたくしが、手を伸ばされてしまいましたね……」
「そういうの、気にする人だった?」
「お手付きにされるのは……その……群青なら……」
ニーナは火が出そうなほど真っ赤になって、義手をもてあそんでいる。やはり故障かと疑ってみるけど、そんな様子ではなさそうだ。ただの手癖だ。
「(様子がおかしい)」
ぼくは彼女の言葉の意味を考えてみるけど、そのままの意味にしか受け取れない。手が触れてしまった。ぼくが相手なら別にいい。それだけだろう。
考え込むぼくとニーナの間に、しばらく沈黙が流れる。
気まずいので、ぼくは間を埋めるべく、熱い紅茶を飲んで一息つく。
清々しい香りだ。茶葉の中に干した果実が混ぜられている。
「これ、柑橘系だねぇ」
空気を変えるため、ぼくはお茶の方に話題を逸らすことにする。
流石に強引だと思ったけど、ニーナは助け舟を出されて喜んでいる。かけらも貴族らしく見えない、屈託のない笑顔だ。太陽みたいで眩しい。
「よくぞ船を漕ぎ出した! これは異国より来た鮮烈なる黄色の果実から搾った……」
それからニーナは、よくわからない言語で紅茶に関する蘊蓄を長々と喋り始める。
旅している時、商品として紅茶を扱ったこともあるけど、ぼくには貴族が飲むような高級品はよくわからない。
それでもぼくは、ちゃんと耳を傾ける。
さっきまではぼくばっかり喋っていたから、少しはニーナも気持ちよくしてあげないとね。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
楽しいお茶会が終わり、気付けばずいぶんと時間が経っていた。
ここにいると時間を忘れてしまう。ニーナの言葉が冗長でわかりにくいからであって、決して夢中になっているわけじゃないけどね。
ぼくは名残惜しそうにしょんぼりしているニーナを見上げて、思わず苦笑いを浮かべる。
「どうせすぐに会うじゃん。夕食とかさぁ」
近頃のぼくは、ピクト家の人たちと夕食を共にしている。静かで窮屈な食卓だけど、席に座っているだけのニーナが嬉しそうにしているから、断りにくくて困っている。
もう少し退屈そうにしていれば「ニーナが嫌がってるじゃないか」って言えるのに。口実をおくれよ。
ニーナは今、帰ろうとしているぼくの肩を掴んでいる。まだここにいてほしいのだろう。このままだと夕食までずっとここで過ごすことになりかねない。
「夕食での再会。それが真理ではあるが……我らの縁は共にあってこそ成立する戯曲であろう……?」
「そんなこと言われてもさあ……予定があるんだよ」
ぼくは旧式の義足を工房に戻すために回収して、扉の前に立つ。
古いけど貴重な魔道具の予備だから、いつでも万全な状態にしておかないといけない。だから帰ったらすぐにこれの整備に取り掛からないといけないのだ。
しかし、ニーナは尚も服を引っ張って駄々をこねている。体格にも身体能力にも大幅に差があるため、本気で拘束されたら逃げられないのだが、そうはしてこない辺りが女々しくて可愛い。いや、可愛くはない。
このままでは埒があかない。
ぼくは根負けして、妥協案を提出する。
「ニーナ。この先、予定はある?」
「空虚なる夜の味がする!」
「夜まで暇、ねぇ。じゃあ……ぼくの部屋に来る?」
「なにぃ!?」
旧式の義足くらいなら、工房でなくとも、ぼくの部屋の設備だけで修理できる。
工房に連れ込むかどうかで迷ったけど、あそこにはクリプトンがいるし、ガラクタや油だらけだ。戦場帰りならともかく、綺麗な服を着ている状態のニーナを連れて行くわけにはいかない。
ぼくの部屋も似たようなものだけど、汚れてはいないし、私物の本屋や魔道具があるから、退屈はしないはずだ。
「言っておくけど、お茶は出せないよ。ぼくの部屋は何もないから、義足を修理するだけ」
「悪くない!」
ため息をつくぼくの隣で、ニーナは大喜びして幼い子供のようにはしゃぐ。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ぼくの部屋は屋敷の隅にある。余っていた部屋を片付けただけの、特に貴族らしくもない質素な空間だ。
壁や床の木材は古びており、ほんのりカビ臭い。それでいて家具や寝具は新品で美しい。部屋全体が不釣り合いで、まったく統一性がない。
下級貴族の部屋としては、こんなものだろう。これでも使用人の部屋よりは広いらしい。旅していた時はだいたい野宿だったし、特に不満はない。
むしろピクト家をはじめとする周りの人たちが納得できていないそうだ。これからどんどん地位が高くなる予定なのに、今の部屋じゃ狭いし格が低いって。
ニーナは初めて入ったぼくの部屋をきょろきょろと見回している。
「群青。群青の部屋。群青の……秘密!」
「無いよそんなの……」
ぼくが呆れを明確に出して返事をすると、ニーナは不意に振り向いて質問してくる。
「我はどのような物語を紡げばよいのか不明瞭であるぞ……。言の葉を授けてはくださらぬか?」
自分で一緒にいたいと言い出したのに、何をしたらいいのかわからなくなっているらしい。
不器用だ。本でも小物でも、いくらでもいじっていいのに。既に返済が終わっているとはいえ、ニーナのお金で揃えた物なんだし、今更何を遠慮しているのやら。
「する事が無いなら、部屋の隅で黙って見てて」
ぼくは少しだけイラっときて、つい素っ気ない返事をしてしまう。
出会ったばかりの頃はこんなトゲトゲした会話ばかりだったから、昔に戻ったような気分だ。
……そういえば、いつの間にぼくは、ニーナに対して優しくなったんだろう。相手は辺境伯なのに。大嫌いなはずの貴族なのに。
ニーナはぼくの発言を間に受けたのか、床に座り込んで膝を抱えている。部屋の隅で、光の届かない暗がりで、闇より暗い表情でうずくまっている。
ぼくなんかの言葉に従う必要はないのに。ニーナは自由でいればそれでいいのに。大人しくしているニーナは、ニーナじゃない。
「(さっきからニーナが妙だな)」
ぼくは集中力が途切れるのを感じ、ニーナらしいニーナを引き出すべく、要望を出す。
「……義足の感想でも伝えてくれ」
ニーナはパッと明るくなって、旧式と最新式の違いや改良された義足の使い心地について語り始める。
そうだ。長々と喋ってこそニーナだ。あんな暗い顔のニーナは、もう見たくない。
義足について話した後、ニーナは不意に落ち着いた口調になって、ぼくに質問をする。
「群青。完全なる人を羨んだ過去はあるか?」
今のぼくが欠陥品みたいな言い方だけど、その通りだから否定はできない。
ぼくは人を模倣しているだけの水だ。色々な血液を吸い取って、川の水に流されて、義手と義足を得て、変な体になってしまったけれど……それでもやっぱり人間ではない。
今のぼくは、魔物としても、人間としても、欠けている。
そして、他人を羨ましいと思ったことも一度や二度ではない。数え切れないほどある。
「人間になりたい。今でもたまにそう思うよ。でも水で良かったと思うこともあるから、トントンかな」
「水に近い様相を是とするとは……何の摂理か?」
ニーナはそちらの方に興味を示したようだ。想像がつかない部分だったからかな。
ぼくは旅の経験をもとに、簡潔に答える。
「水があればって時にすぐ使える。汚れが出ないからいつでも清潔。喉が渇くこともない」
「おお……」
「あと、昔は体全体を本物の水みたいに変形させられたんだ。今は一部しかできないけど」
ぼくは右腕だけを水に変化させて実演する。
アンジェの異常に魔力が濃い血痕を取り込んだ影響か、ぼくの体は以前ほど溶けなくなっている。血の色は赤いし、傷つくと痛い。だから、今変化できるのは右腕と僅かな表皮だけだ。義手と義足を隠すくらいしか役に立たないし、不便極まりない。
「ぼくはこの体で、ずいぶん長いこと生きてきた。だから悪用する方法も色々あった。忍び込んだり逃げ回ったり、時には……」
人を殺してしまった時のことを思い出して、ぼくは言い淀む。
向こうが襲撃してきたから、抵抗しただけだ。でも命を奪ったのは事実であり、永遠に消えない傷となってぼくの内側を濁らせている。
ニーナはぼくの内心を察してくれたのか、ちょっとだけ切なそうな顔で呟く。
「現在より深度がある魔物だったのだな」
言われてみれば、その通りだ。あの頃の方が魔物らしかった気がする。今のぼくは、血が通った人間みたいだ。
……だったら、今のぼくが幸せなのは、人間になりたいという願いが叶えられている状態だからか。色々と大切なものが欠けてはいるけど……それでも……。
今のぼくは人間なのか?
胸を張って生きてもいいのか?
するとニーナは突然立ち上がり、豪華な服をはだけさせて、金属でできた体をぼくに見せびらかす。
無機質で冷たい、魔道具の集合体。それでも彼女は偉そうに威張って……。
威張って、いない。いつものような明るさはそこにはなく、何処か儚げだ。
「我も、鏡合わせである。この完全なる体を得て勝利と誇る機会は山であった」
「……うん」
「一転、肉と骨を持つ弱き器へ回帰せんと願った禊ぎも星の数ほどですわ」
意外だ。ニーナは常に笑顔であり、それ故に、今の自分に誇りを持って生きていると思いこんでいた。最初からあんな存在だったのだと、そう錯覚してしまうほどに、彼女は充実した日々を満喫していた。
だが、普通の少女だった頃に戻りたいと思っていたのか。たとえ弱くなったとしても。
そうだ。今の様子からは想像もつかないが、ニーナはただの無力な少女だったはずなのだ。舌で味わうことができ、魔道具を装備する必要もなく、多くの技術者の手を煩わせることもなかった。何ひとつ不自由のない暮らしをしていたのだ。
ではお茶会の時も、食事の時も、そして今も……。心のどこかで、寂しいと感じているのだろうか。
ぼくは作業を放棄して完全に横を向き、ニーナを正面から見つめる。
ニーナは人生の末路を悟ったような、どこか諦めた顔をしている。
「近似ですわね。我が身と、群青は」
「そうかな?」
「故にこそわたくしは、群青を流水より掬い上げたのです。傷を舐め合い、その心に巣食うことで救われたかった」
ぼくとニーナは似ている。だからあの時、死を求めるぼくを助けた。他人事だと思えなかった。そういう意味だろう。
……そんな悲しい顔をして、言うべきことじゃないだろうに。同じとまで言うなら、嬉しそうに、楽しそうにしているべきだ。ぼくに失礼だと思わないのか。
ニーナは自嘲するかのように短く息を吐き、口元を歪ませる。
「わたくしの目には、群青が輝いて見える。水のように自由な意思が、我より人の身に近い体が、さりとて完全なる人間足り得ない欠陥が、わたくしに羨望という名の罪をもたらした」
「は?」
「夢を見ています。二度と見られぬ夢を、群青に。人に戻るという、淡い、叶うことのない幻想……」
ぼくは今の幸せが、意図して与えられたものだったことを理解する。
お金を注ぎ込んで、手間暇をかけて、背負わなくても良いはずの苦労をしてまで、ぼくという魔物を抱え込んだ理由。
それは、夢を託すため。裏を返せば、自分の人生を諦めるため。
……もう少し現実的で乾いた理由だと思っていたけれど、こんなにもどろどろしていたとは。
いいや、そうじゃないだろう。ニーナはそんな、湿っぽい人じゃないだろう。カラッと爽やかで、頭がおかしいくらい明るい人のはずだ。
ぼくがじめじめした日当たりの悪い部屋に連れ込んだから、暗い一面が顔を出してしまったのだろう。基本的には、ニーナは太陽みたいな人なんだ。
ぼくは席を立ち、ニーナの頬をふにふにと揉む。
全身金属製のくせに、ここだけは人目に晒されるからか、柔らかい素材が使われている。珍しい魔物の脂肪を使っているらしいから、非常に高価なはずだ。
そんな代物を、ぼくは乱暴に、怒りが伝わるように揉みしだく。
「むぎゅー。ぐんじょー?」
ぼくは目の前の美しい女性に向けて、断言する。
「ニーナは幸せだ。ぼくにはそう見える」
「……幸福」
「そうだ。だから、いつもみたいにしていてくれ。そんなしけた顔をしないでくれ」
ぼくは心の底から、そう願う。
ぼくを幸せにすることがニーナの喜びなら、ニーナこそ幸せそうにしていてくれないと困る。
ぼくはニーナの頬から手を離す。
自分が今、どんな顔をしているのかわからない。
ニーナはというと、自分で自分の頬を撫でて、恍惚としている。普通の人間の女の子みたいな、生き生きとした表情をしている。
演技ではないだろう。ニーナは嘘をつけるほど器用な人じゃないから。
「群青……。把握した。再びこの顔面で前を向くことを宣言しよう」
そう言って、ニーナは恋に恋する乙女のように、血の通った笑顔になる。
……そして。
夕食の後も、ぼくたちは共に過ごした。
夜更けになり、眠気がぼくらを飲み込むまで、ぼくらは語り合った。
今までにできた友達。お互いの人生観。うわついた話。その他、取り止めのないこと。
こうしてぼくにとってのニーナは、親友になった。
ニーナにとってのぼくも、同じだといいな。




