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第36話『童には勝てぬ』

 《ニコルの世界》


 アンジェは無事だった。ドイルという怪しい悪魔祓いの言葉を信じてしまった自分が愚かだった。大魔法で全てを蹴散らして、ただひとり戦場に残っていた。


 でもアンジェは死にかけていた。アンジェは強くて凄いけど、限界がある。どうやらイオ村を襲った魔物は、アンジェでさえ手を焼く相手だったらしい。


 私はどろどろの体になったアンジェを見て後悔したり、心配したり、興奮したり……。

 とにかく色々あって、アンジェの体におかしな部分が無いかどうか調べる役を請け負った。


 ……こう言ってしまうのは外道みたいだけど、頭の中で留めておくなら自由だから、感想を抱かせてね。

 これ、役得だ。アンジェの幼馴染だからこそ見せてもらえるんだ。アンジェの一番大事な部分を。これから先、恋人にしか見せないだろう無垢な肌を。穢れなき純潔の象徴を。


「(ああ、生きててよかった。涙が出そう)」


 でも、その前にひとつ、乗り越えるべき壁がある。


 今は夜。ドイルさんが狩人の許可証を見せて、村の人たちに報告をしている。私はその付き添いだ。

 アンジェは服がボロボロで、村人たちに見せるには悲劇的すぎるから、例の家主さんのところでお留守番だ。


 見たところ、村人たちはみんなドイルに感謝しているようだ。

 狩人を呼ぶためには、普通は大金を積まないといけない。でも彼は無料で事態を解決してくれた。狩人ではなく、通りすがりの悪魔祓いとして。


「今回の俺の行動は、組合の規約違反だ。故に、この事は黙っていてほしい。俺も他言はしない」


 彼がそう言うと、村人たちは神さまでも見たかのように、泣いたり、喜んだり、拝んだりし始める。


「生き神さまじゃあ……ドウさまのお使いが、哀れな我らをお救いくださった……」

「ありがたや……ありがたやあ……」

「……神はともかく、金が出ていかなくてよかった」

「うちの子、生まれたばかりなんだ。あんたは命の恩人だ」


 彼はすっかり、信頼を得てしまっている。村人たちにとっての恩人になっている。

 魔物を倒したのはアンジェなのに、その功績を全て横取りしている。いい歳をした大人のくせに。腕のある剣士のくせに。


「(殺してやろうかな)」


 おっと、失敬。

 村人たちが助かったんだから、今回はそれでよし。私たちは何の悔いも憂いもなく、すぐにこの村を離れられる。組合への推薦も得られる。いいじゃん、それで。


 落ち着け。冷静になろう。私は人間。私は……。


「君も、このお方に感謝したまえよ?」


 イオ村の長老が、自分の考えに何の疑いも持っていないだろう目で、私に向けてそう言う。

 老害。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。でも、狭い村の長なんてそんなものだ。アース村でもそうだった。耐えよう。我慢我慢。


「ドイル様がいなければ、君たちが真っ先に魔物の餌になっていたからのう」

「くっ」


 …………落ち着け。

 何も知らない人から見れば、私たちも悪魔祓いに救われた頭のおかしい少女でしかないんだ。実際、アンジェを守ってもらったわけだから、助けられたと言えなくもないし。

 どうせこの老人も、明日からは会わない人なんだ。平常心を保って優しく……。


「ところで、彼とはどうなんだい?」

「彼?」

「君が泊まっている家の……」


 何故ドイルのことではなく、家主さんの話をし始めたのだろう。この事件に関係があるのだろうか。それとも、この場を借りて私たちの村での立場や住居を決めるつもりなのだろうか。


 私は嫌な予感を覚えつつ、引き攣った笑みを浮かべながら聞き返す。


「どう、とは?」

「彼は嫁の貰い手がいな……」


 その時、ドイルが勢いよく席を立つ。

 わざとらしく大きな音を立てて、長老の言葉を遮りながら。


「彼女たちは俺が連れて行く。サターンの街で狩人にする予定だ」


 大勢が見ている場で、彼はそう宣言する。


 十中八九、先に続く内容を予想して、聞かせないようにしてくれたのだろう。アンジェが見込んだだけあって、それなりに気遣いはできるようだ。手柄を奪った理由はわからないけど。


「(サターンの街……)」


 それを耳にした私は、戸惑う。

 私にとっては、因縁の地。かつて旅をした時の終着点。

 親に連れられて、華やかな思い出と、消えない心の傷を植え付けられた場所。


 あそこは、私にとっての『都会』なのだ。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 集会場を出た私とドイルは、夜風に吹かれながら話をしている。

 戻る前に、アンジェがいないところで少し話をしておきたい。彼はそう言って、私を連れ出したのだ。


 今更闇討ちなんて卑怯な真似はしないと思うけど、念のために警戒しながら、私は彼と共に誰もいない暗がりへと向かう。


「何の話でしょう?」


 今後の計画はアンジェと話すべきだ。彼が私と話すべき事は、せいぜい自己紹介くらいだ。

 いや、でもよくよく考えてみれば、私の紹介はまだだったね。マーズ村に滞在していたらしいけど、この人とは面識がないし。その要件かな。


 そう思って待っていると、ドイルは突然、軽く頭を下げて謝罪する。


「すまなかった。君たちの境遇を見誤っていた」


 呆気に取られて何も返事ができない私に、彼は謝罪に至った経緯を話してくれる。

 彼曰く、私たちが村人にここまで侮られているとは思っていなかったらしい。


「実力主義の組合に長くいて、感覚が麻痺していた。君たちほどの腕があっても、属する共同体によっては、それに相応しい待遇を受けられないことがある。それを失念していた」

「そうですか」

「お前たちを望まぬ扱いから救い出す方法がわからなかった。だから、ああして逃げ出すより他なかった」


 私は彼の意外な発言に、思考が止まりかけている。

 認める。謝罪する。そうした言葉を、会ったばかりの実力者に言われた。

 これはきっと、非常に価値のある体験なんだろう。仲間内での傷の舐め合いとは違う、外部と認め合った証なのだ。


「(少し、評価を改めようかな。隣にいることを許すくらいは問題なさそうだね)」


 私はいつも通りの優しいニコルを演じられるようになって、すっきりした気分で微笑む。


「私が説得に失敗したからですよ。あれが当然の評価です」

「だが、あの申し出を受け入れるつもりはないのだろう?」

「無論です。すぐにでも村を出ますよ」


 イオ村との交渉は失敗だ。でもドイル()()と出会えたから、得たものはあった。偶然だけど、組合に接触するという目的は果たせた。万々歳だね。


 するとドイルさんは近くにある切り株の椅子に腰かけて、改めて私と目を合わせる。

 本格的に長話をするつもりなのだろう。アンジェを待たせるのは嫌だけど、ここでちゃんと話しておかないと、後が面倒かな。


「まずは自己紹介からしますね」


 そう言って、私も自分で作った植物に腰かけて、彼と正面から向かい合う。


「私はニコル。隠していましたが、悪魔です」


 彼の驚愕する顔は、なんだか少し可笑しく見える。

 彼と良い関係を築けるといいな。それが巡り巡ってアンジェのためになりそうだから。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 ドイルさんとの対話が終わって、私は居候している家に戻ってきたところだ。


 あんまり深い事は話さなかったけど、相手が威圧感のある悪魔祓いだからか、すごく疲れた。

 こんな時は、アンジェで癒されるに限る。アンジェの可愛さは難病の治療薬にもなるはずだから。


「ふふ。ふふふ……」


 私はアンジェがいるはずの、物置きをちょっと片付けただけの一室に押し入る。

 中は使えなくなった道具や家具でごちゃごちゃしている。掃除はしたけど、隙間はまだ埃っぽい。

 片付ければいいのに、家主さんは捨てることも修理することもできないらしい。優柔不断だなあ。


 私は建て付けの悪い木の扉を軋ませて、疲れを振り払うべく元気よく挨拶をする。


「ただいまー!」

「うひゃあ!?」


 アンジェのふにゃふにゃの悲鳴が響き渡る。

 敵襲か。そう思って私が戦闘態勢に入ると、毛布に包まれたアンジェが、鈴の音のようにころころと声を弾ませる。


「急に来ないでよ! まだ心の準備が……」


 それを聞いて、私は毛布にすっぽりと隠れたアンジェを見て、内側に隠された姿を想像する。

 体の輪郭が浮き出ている。あれがお尻で、あれが肩。更によく見ると、滑らかな生足が毛布からはみ出ているのがわかる。

 そっか。あの下は裸体なんだ。それなら叫んだのも納得だ。


 ……えっ?

 まさかアンジェ、ずっと裸で待っていたの?

 体を見せるって約束したから?


「私の前で脱げばよかったのに。寒いでしょ?」

「そ、そんな破廉恥なこと、できないよ……」


 アンジェはいつになく大人しい声色で、もじもじと体を揺らしている。


 男の子だった頃は、あんなにしおらしくなかった。何回か偶然を装って覗きに行ったことがあったけど、その時はもう少し強く拒絶してきた。

 それが今は、こんなにもあざとく……。


「ふーっ、ふーっ……」


 私は自分の頭より大きな胸を上下させて、大きく深い呼吸をしている。

 理性が溶けていく。渇望が止まらない。小汚い空間にいる小さな天使に、意識が吸い寄せられて行く。


 昨日も今日も、ずっと日課をしていない。今の私は限界まで欲を溜め込んでいる。これを発散したい。アンジェにぶつけて気持ちよくなりたい。


「(アンジェ)」


 私は最愛の幼馴染に向けて、にじり寄る。

 すぐにでも抱きしめたいのに、足が震えて、うまく動けない。


「(アンジェアンジェアンジェアンジェアンジェ)」


 アンジェは私の顔をじっと見つめている。さっきからずっと目が合っている。

 真っ黒な瞳が、宝石よりも澄んだ光を帯びて、妖しく艶めいている。その中に秘められた感情は、きっと重く、それでも優しいのだろう。


 アンジェは私に、恋をしている。愛してくれと、おねだりしている。ずっと前からそうだ。アンジェは私を誘惑しようとしているんだ。

 このままじゃいけない。私という悪魔が、アンジェを奪ってしまう。そんなの、絶対に駄目なのに。


「いいよ。来て」


 アンジェは私の中にある欲望を見透かしたように、うっすらと笑みを浮かべて、布をはだけ……。


 その時、触手が闖入者を感知する。

 無遠慮で重い足音。体重で床が軋む音。家主さんがこっちに来ている。


「(アンジェアンジェ理性アンジェ理性アンジェ理性理性理性理性理性っ!)」


 私はさっきまでの緊張が嘘のように身軽な動きで、咄嗟にアンジェに駆け寄り、毛布をかけ直す。

 アンジェの甘ったるい体臭が私の鼻をくすぐる。お砂糖と蜂蜜を混ぜて、綺麗な水で割ったような香り。

 どうにかなってしまいそうだけど、今はそれどころじゃない。


 アンジェのこんな姿を、他の人に見せたくない。


「わっ」


 アンジェが小さく怯えた直後、勝手気ままに扉が開かれる。

 正体は案の定、家主さんだ。もう少し配慮してほしかったけど、仕方ないね。ここは彼の家なんだから、自由に出歩くのが当然だ。

 それにあの人は嫁の貰い手がいないらしいし、女性の扱い方もわからないんだろう。期待するだけ無駄かもしれない。


「(……嫌なこと思い出しちゃった)」


 直前に言われた、悪意のない暴言。まだ耳にこびりついて離れない、苦々しい記憶。

 嫁の貰い手……。冗談じゃない。死んでも御免だ。


 悪夢を連想してしまい、私の中で燃え上がっていた欲望は、煙のように何処かへ消えてしまう。


 家主さんはこの部屋で何が起きていたのかさっぱり理解していないようで、のんびりとした口調で声をかけてくる。


「ご飯できたよー。今日は奮発して、おらの好きなやつを作ってみたぞ」


 ……そっか。まだ夕飯を食べてなかったね。

 ドイルさんもいるから大人数になるのに、財布の紐を緩めて、もてなしてくれている。

 どうやら彼なりに私たちを気にかけてくれているみたいだ。責めるのは良くないね。


 家主さんが出て行った後、私は気まずそうにしているアンジェの頭を、手のひらで軽く叩く。


「大丈夫。今のところ、アンジェは何処から見てもアンジェだったよ」


 一応、アンジェの体に異常がないかどうか調べるという名目は、これで果たしたことになる。

 まあ、アンジェの裸を間近で見るための言い訳でしかないんだけどね。


 アンジェは心底残念そうな顔で俯いて、もぞもぞと毛布を撫でている。

 見目麗しい幼女が切なそうにしているのを見ていると、なんだか可哀想になってくる。私の胸がちくちく痛むのは、興奮によるものだけじゃないはずだ。


 でも、私ではアンジェを救えない。大して歳の差があるわけじゃないけど、今の私はお姉さんで、保護者なんだ。正しい行動を心がけないと。


「外で待ってるから、冷めないうちに着替えてね」


 そう言って、私は料理の良い匂いがする方向へ歩き出す。


 ……今夜はきっと、長い夜になるだろう。この欲を発散するのは、時間がかかるはずだから。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 家主さんが用意していたのは、山の幸をふんだんに使った、それなりに豪華な夕食だ。


 まずは私は脇にある野菜から手を伸ばす。

 この近辺で採れる山菜を、独特な香辛料と共に漬け込んだもの。鼻にツーンとくる辛さが特徴の、大人の味だそうだ。


 私は緑色のそれを、おそるおそる口に入れる。


「んっ……」


 最初の方は山菜のコリコリした食感が楽しい。顎が疲れるほどじゃない、歯で噛むのにちょうどいいくらいの硬さだ。

 そうして奥歯で噛んでいると、やがて辛さがパッと弾けて、上顎のあたりを突き抜けていく。結構きついから、思わず口をすぼめて目を閉じてしまう。


「んー!」


 でも辛さに耐えた後は、噛めば噛むほど美味しい味が湧いてきて、だんだん心地よくなってくる。山の幸特有の苦味と、その中にあるさらりとした甘味だ。

 後味はすっきりとしていて、意外にも長引かない。辛かったはずなのに、飲み込んだ後は清々しさが残っている。


 私は甘党だけど辛いものも平気だ。初めて食べる味だけど、結構好きかもしれない。


「美味しいですね。新鮮な味わいです」


 当たり障りのない褒め言葉と共に、私はいつも通りの笑顔を浮かべておく。

 家主さんは満面の笑みだ。ドイルさんも無口で無表情だけど、嫌いではなさそうかな。


 一方、アンジェは胸の前で両手を合わせて涙を浮かべている。辛さに耐えているのだろう。

 アンジェはすべすべしたお人形さんみたいな喉を震わせて一気に飲み込んだ後、水魔法で口の中を洗い始める。


「辛かった?」


 私が背中をさすってあげながら尋ねると、アンジェは黙ったまま大きく首を縦に振る。

 アンジェにはまだ早かったみたいだ。つらそうだけど反応が可愛くてほっこりしてしまう。


 次に私が手を伸ばしたのは、煮込み料理だ。何種類もの茸と分厚い豚肉を、よくわからないどろっとした汁で味付けした、赤茶色の物体。

 見た目はちょっと怖いけど、でもなんだか良い匂いがしている。熱そうだけど、冷めるのを待っていたらもったいない気がする。


 私は期待と恐れを一緒に感じながら、それに挑戦してみる。


「んふ……」


 予想通り、ちょっと熱い。でも火傷するほどではないかな。

 味は濃厚だ。とろっとしていて、甘辛い。まるで派手な絨毯を床に敷くかのように、口の中にどんどん味が広がっていく。

 肉を噛んでみると、内側から肉汁と共に味が溢れ出てたまらない。肉がこんなに柔らかくなるなんて、信じられない。どれだけ煮込めばこうなるんだろう。

 夢中になって味わっていると、肉の隣から茸がおずおずと存在を主張してくる。

 肉とは違う食感。小さな脇役。でもその中に詰め込まれた味は、同格だ。

 肉がガタイの良い戦士なら、茸は賢者かな。あっさりしているけど、奥が深い。お互いを高め合う最高の相棒だ。


「これ……凄いですね」


 私は舌に残る脂肪の甘さにとろけながら、感想を呟く。

 すると家主さんは誇らしげに胸を張って、自信満々に笑う。


「おらの一番好きな料理だからな」


 なるほど。後で作り方を教わろうかな。アンジェもご満悦みたいだし、再現できるようになりたい。

 いつかのときとは逆に、今度は私からアンジェに手料理を振る舞ってみたい。その時はこれを出すのも悪くないかな。


「よろしければ、作り方を教えていただけますか?」


 それからも私たちは美味しい料理の数々に舌鼓を打った。

 アンジェとドイルさんは口数が少なかったけど、私よりも食が進んでいたし、私と家主さんの話にも相槌を打っていた。私が夢中になっていたから、聞き手に回ってくれたのかな。


 最高の食卓だった。私はお腹も心も満たされて、幸せな気分になった。


 〜〜〜〜〜


 アンジェはニコルが作った蔦の寝床に寝そべり、ぼんやりと物思いに耽っている。


「ちゅかれた」


 激動の1日を終えて疲れてしまったのか、ニコルは先に眠りに落ちている。

 彼女がアンジェより先に寝るのは珍しいが、よくよく考えてみれば、アンジェはこの1日ずっと眠っていたようなものだから、当然である。


 ニコルは狸寝入りのように見えるほど静かに寝転んでいる。普段はあれほど寝相が悪いというのに、どうしてこうも静かなのか。寝息も立てていないではないか。


「オレの料理と、どっちが美味しかったのかな」


 アンジェは家主が振る舞った料理の味を思い出しつつ、不毛な比較を始める。


 根本から違う料理なのだから、味に優劣をつけるのは愚かだ。そう理解しつつも、どうしても対抗心が湧いて出てしまう。

 ニコルを振り向かせたい。あらゆる思い出を、自分で塗りつぶしたい。そんな独占欲が、止まらない。


「もっと頑張らなきゃ。あれを超えないと、胃袋を掴めない」


 アンジェは最終的に、自分の料理が劣っているという結論を出して、力なく寝そべる。


 隣でニコルが眠っている。アンジェの方を向いて目を閉じている。

 大きな胸が腕の間で柔らかく潰れている。撫でれば揺れ、押せば弾む、溢れんばかりの魅力。


 アンジェはその性的な曲線を目の当たりにし、食前のやりとりを連想する。


「(本当に、手を出す気がないんだな……)」


 ニコルは何をどうやっても今の関係性から先に進もうとしない。あまりにも手応えがないため、心が折れそうだ。

 アンジェが子供だから魅了されないのだろうか。いや、そうではあるまい。男の頃は、命の危機を前にして陥落したのだ。


「やっぱり女の子のオレじゃ好きになれないのかな」


 アンジェは一度たりとも触れたことがない自身の股をちらりと見て、すぐに目を逸らす。

 女性に変化した部分は、水浴びの際も魔法で洗い、決して手で触れないようにしている。今や自分の体であるというのに、なんとなくためらわれるのだ。


 自分自身でさえ触れないというのに、どうしてニコルにそれを押し付けられようか。


「ニコルの言う通りにした方がいいのかな。違う人を見つけた方が、いいのかな……」


 アンジェは楽しかった夕食の名残りを口の中に感じながら、物置の狭い隙間に体を埋める。


 〜〜〜〜〜


 翌朝。

 やはりと言うべきか、ニコルはアンジェの指や腕をしゃぶった姿勢で眠っている。


 あれほど綺麗に眠ることができるというのに、どうしてこうなってしまうのだろう。実はアンジェが寝るのを待っていて、隙を見て襲いかかっているのではないだろうか。そんな愚劣極まる妄想さえしてしまうほどに不可解な現象だ。


 ……それはともかく。

 アンジェとニコルは狩人となるべく、ドイルの案内のもと、サターンの街へと向かうことになった。


 イオ村への挨拶は無しだ。名誉を挽回することができなかったため、アンジェは小便漏らしの幼児、ニコルは村を惑わす危険人物という印象のまま固定されることになる。

 ……それで構わない。ニコルとドイルから聞いた、昨夜の長老の発言。あれが正しければ、すぐにでもこの村を後にするべきだろう。そして、二度と訪れるべきではない。


 感謝するべきは、泊めてくれた家主だけ。

 2人は魔物の素材と多額の金銭、そして生活が便利になりそうな魔道具を送ってお礼とする。


「お、おらだけにこんな……」

「他の人たちに嫉妬されるかもしれませんから、貰ったってことは内緒ですよ?」


 今回の騒動で得られた魔物の素材は、ドイルが全て受け取った。狂信的にドイルを崇める村人たちは、それがどれほどの損になるかを計算することさえなく、二つ返事で了承した。


 そしてドイルはアンジェとニコルに謝罪し、素材をそっくりそのまま2人に譲渡した。つまり、あの時のトウリとマンモンから得た素材は、全て2人に手に収まったのだ。どう使おうとも、2人の自由である。


 家主は村を襲った魔物の剥製や、解体された骨などを手に、震えながら青ざめている。

 襲われて指などを失った村人を連想してしまったのか、それとも無骨な素材が生み出す金銭的価値を勘定して驚いたためか。

 いずれにせよ、価値の高さを理解していることは確かだ。彼は愚かな一面こそあれど、無知ではない。


「他の村人に見られないように、こっそり換金してもらうといいですよ」

「そうする。こんなのおっかなくて手元に置いとけねえよ」

「あんまり大量に渡すと出所を疑われるので、小出しにしてくださいね。イオ村では何も起きなかった、ということになってるので」

「面倒だなあ……でも、そうするよ……」


 家主は両腕いっぱいに抱えた荷物を一旦家の中に降ろし、見送りのためにすぐまた出てくる。


「じゃ、改めまして」


 アンジェは服の裾を直し、ニコルは触手で寝癖を直し、ドイルは……特に何もせず。

 三者三様に、手を振る。


「さようなら」

「お元気で!」

「……息災でな」


 そして、手を振り返す家主を背に、3人はサターンの街へと向かう。


「(あ。名前、聞きそびれた……)」


 アンジェがそう気がついたのは、村を出て1日経った後のことである。

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