第32話『黒鷲の人間狩り』
《ニコルの世界》
作戦会議の直後。
私はアンジェの身支度を手伝いながら、深く大きなため息を吐く。
「ふはあ……」
私は今、気が立っている。
ずっとずっと徹夜で盗聴していたから毎晩の日課をすることができなくて、色々と良くないものが溜まっているのだ。
たった1日我慢しただけでこんなにイライラするなんて、私は本当にどうしようもない悪魔だ。
……いや、悪魔のせいにしちゃ駄目か。人間だった頃からこんな感じだったし。
「(さっきは危なかった。ついアンジェに襲いかかりそうになっちゃった)」
寝起きのアンジェは可愛すぎる。小さな体をゆっくり持ち上げて、まだ眠そうに目を擦って、呂律が回っていなくて、理性がとろけていて、無防備で、守りたくなって、でもなんだかちょっぴり手篭めにしたくなって……。
おっと、いけない。また発情しかけている。
「(気をしっかり。私には役目があるんだから)」
私は頬をぴしゃりと叩いて、人間時代では持ち上げられなかっただろう重い荷物をアンジェに渡す。
蔦で編んだ籠。その中身は、アンジェ特製の即席魔道具。鳥の魔物を撃ち落としたり、空からの攻撃を防いだりするためのもの。
アンジェは私より体が弱いから、小鳥のついばみでも生身で受けると致命傷になっちゃうらしい。だから装備を整えて、万全の状態で挑むのだ。
小鳥に負けるなんてか弱い生き物だなあ……と思ってしまうけど、魔物だから甘く見てはいけない。嘴は鋭いし飛行する速度も凄まじい。準備はいくらしても足りない……らしい。
アンジェはちっちゃくて愛くるしい体をくいっと動かして、土魔法の鎧を着込む。
群れを相手にするなら、防具は必須だ。でも重くて動きにくそうだから、心配になる。
特に頭に被っている土の兜は、とても丈夫だけど首への負担が大きいみたいだからハラハラする。潰れちゃったらどうしよう。
「準備完了。じゃあ、行ってくるね」
「あっ……うん」
私は家の外に出て、アンジェを見送ることにする。
……と、その前に。
この家の外周および内部に設置した、花の感覚器。それらから連絡があった。どうやら家主の人が起きたらしい。
イオ村は遅起きだなあ。アース村もマーズ村も、朝日が出る少し前には起きておくのが普通の生活だったよ。
私は家主の人に声をかけて、家の外まで手招きで誘導する。
「こっちこっち。こちらですよー」
「ふわあ……。なになに? おらに何か手伝ってほしいのかあ?」
「そうですよ。これよりアンジェが魔法を披露いたしますので、是非ともご覧いただきたいのです」
「へー。そう……」
家主の人はのんびりした声で返事をしながら、ふわふわとこちらに歩いて来る。
ふくよかで優しげだから、ぬいぐるみが動いているみたいでなんだか面白い。同じ太っちょでもお貴族さまとは大違いだね。
アンジェは風の魔法で一気に森の奥まで突撃する予定だ。たびたび使っている『風の脚:異説:ヨミビトシラズ』という魔法でふっとぶのだ。
つまり今こそ、アンジェの魔法の素晴らしさを知らしめる絶好の機会だというわけ。この人にも見てもらうしかないね。
「いってきます」
覚悟で引き締まったアンジェの声が聞こえる。もう魔力を集める段階に差し掛かっているのだろう。
私は巻き込まれないよう、アンジェの視界に入るぎりぎりの距離から返答する。
「アンジェなら勝てる!」
「ありがとう、ニコル。帰ったら村のみんなとお祝いしようね」
そしてアンジェは呪文を唱え、竜巻のような突風を脚にまとい、服を剥ぎ取られそうなほど凄まじい爆風と共に舞い上がる。
魔法は自分の体の部位を指定して、そこに魔力を集めて放つ。でも名前に『異説』とついている魔法は、体の部位を傷めるほどの威力を発揮する危険なもの。
すなわち、田舎の村では決して見ることがない、大規模で、崇高で、派手な魔法だ。これで心を動かされない人間はいないだろう。
私は呆然としている家主さんの方を見て、ここぞとばかりに声をかける。
「アンジェの魔法はいつ見ても爽快だなあ……。あなたもそう思いませんか?」
家主さんは現実を受け止めきれない様子で目を白黒させている。
まあ、そうだよね。アンジェの魔法は凄いもん。何年もかけて築き上げた価値観がごろっと変わってしまうくらいとんでもないものだから、すぐには反応できないよね。
彼の口から感想が出てくるのは、もう少し経って、目の前で起きた現象を理解できた頃からだろう。
私はアンジェの魔法を見て言葉が出なくなるほどの衝撃を受けている家主さんを見て、少し嬉しくなって思わず微笑んでしまう。
いつものよそ向けの作り笑顔じゃないから、下品に思われていないかどうか心配だ。少しずつ調整して、無難な笑顔に変えていこう。
私は家主さんに向けて、先日のような長話にならないように気をつけながら、アンジェの魅力を説く。
「詳しく語ると長話になっちゃうので簡潔に言いますけど……アンジェはね、凄いんですよ」
「……はあ」
家主の人は理解が追いつかないようで、まだ反応が弱い。さっきからずっと、口を開いたまま、胡乱な目つきをしている。
アンジェの魔法について語り合えないのは残念だけど、まあ仕方ないか。混乱している今のうちに、要求を突きつけてしまおう。
混乱、魔法、要求。アンジェ流交渉術の三要素が揃っている。今こそ実践の時だ。
私はここぞとばかりに、畳みかけるように要求を伝える。
「そんな凄いアンジェに、任せてみませんか?」
「……え? な、何を?」
私の発言に、先程までとは違う雰囲気を感じ取ったようだ。家主さんは気を取り直して話に集中しようとしている。
ぼんやりしているけど、交渉ができる程度には理性が戻っている。これは聞き入れてくれそうだ。
折角だし、私もちょっと気合いを入れて説得しちゃおうかな。村の偉い人たちとお話しする前に、この人相手に練習だ。
「組合に任せても、金を払った上で素材まで横取りされちゃうんですから、村のためを思うなら、いっそのこと私たちに任せてみませんか?」
あっ、赤追い組合のことを悪く言うのは、ちょっと失敗したかな。これから組合に加入しなきゃいけないのに、推薦してもらいにくくなっちゃった。
ま、まあ、今は組合より私たちに任せてもらって、しっかり手柄を貰うのがお得だから……大丈夫。まだアンジェの計画は崩れてない。
今の相手が村長たちでなくてよかった。落ち着くのです、私。発言は慎重にね。
家主さんはちょっと戸惑っているようで、目を泳がせてしどろもどろになっている。
「そ、それは、おらに言われても」
まあ、この人は村の方針を決められる立場にはないからね。本当なら泊めてくれたお礼だけ告げて別れてしまっても構わない関係だ。
でも仲良くしておけばお互いに得をするはずだ。私たちは数日分の居場所と交渉のとっかかりを得て、彼はその分の宿代と、討伐に協力してくれたお礼……すなわち私たちが狩った魔物の素材が一部手に入る。
ただ、今の家主さんにそこまで説明するのはやりすぎかもしれない。いよいよ混乱して、情報量の多さに拒否反応が出てしまうと思う。
長いというだけの理由で、内容を理解する気が失せてしまう人って、よくいるからね。特に難しい会話をする機会が少ない田舎ではそうだった。
「(うーん。村での地位に興味はなさそうだし、大金で釣るべきかな……でもお金に困ってる感じもしないんだよなあ。どうしよう)」
私は顔に出ないように気をつけながら悩む。
この人とはまだ仲が良いわけじゃないから、交渉が難しい。顔見知りとしか話さない田舎暮らしだと、こういう時に経験が足りなくて困るね。
それに私、くだらない会話をやり過ごすのは得意だけど、相手を思い通りに動かすのは苦手なんだ。
よし。ここは頭を使わずに済む仕事を与えてあげよう。彼を騒動に巻き込みつつ、村との交渉のための先触れに任命する。
……要するに、考えるのが面倒くさくなったから、彼を味方にするのを諦めて放置するってことです。
「仕方ないですね。じゃあ村長さんに話をつけてくれるだけでいいですよ。まあ、あなたはアンジェの魔法に魅了されたわけですし、賛成してくれますよね?」
私はちょっと人懐っこく見えるだろう笑顔を浮かべて、彼にお願いする。
私は薄汚い田舎者だけど、田舎の基準ではそれなりに容姿が整っている方だ。人畜無害そうな笑みを浮かべておけば、断りにくい雰囲気を作ることはできる。
個人的にはこの人とは仲良くしたい。今のところイオ村で一番仲が良い人だから。
すると、家主さんはなんだか魔物にでも遭遇したみたいな顔つきになって、真っ青な顔で首を縦に振る。
素早く、小刻みに、震えながらの首肯。あれは喋る余裕がなくなった人の動きだ。
「(な、なんで怖がってるの?)」
あの少年は笑顔でお願いを聞いてくれたのに。いや……まさか、悪魔だってことがバレた?
でも、それなら悲鳴をあげたり助けを呼んだりするはず。だからあくまでニコルという人間が怖いんだ。
……なんか、その方が傷つくなあ。
家主さんは私に背を向けて、村長がいるはずの集会場までわき目も振らずに走っていく。
脱兎のように。追い詰められた小動物のように。
きっと私の胸にある荒んだ感情が伝わってしまったのだろう。相手がイライラしていたら、温厚な家主さんだって嫌な気分になるのが当然だ。
アンジェに任された使命があるのに、これじゃ良くないね。反省しよう。
「帰ったら、アンジェとお祝い。それまでは、何があっても我慢我慢」
自分にそう言い聞かせながら、私は村中に仕掛けた盗聴の花に耳を傾け始める。
あの人がどんな風に村長たちを引っ張り出すのか、聞いておかないと。
〜〜〜〜〜
イオ村に隣接している、暗い森の中。
アンジェは風魔法の反動で折れた脚を庇いながら、木陰で敵の姿を探す。
「あいたた……」
だいぶ派手に突撃してしまったので、こちらの場所は既にバレているだろう。一瞬たりとも時間を無駄にできない。
「(予想では北と東に数が集中しているはず)」
事前に考察しておいた内容をもとに推測しながら、アンジェは森の隅々まで警戒する。
この辺りの自然は色が濃い。夏が近づいているためか、木々を覆う葉の緑が深くなりつつある。土が湿っており、こげ茶に近い色になっている。背の低い草は長い葉や茎で視界の情報量を増やし、天然の隠れ蓑となっている。
大小様々な植物が繁茂するこの環境は、魔物が潜むにはうってつけだ。
「(トウリは襲いかかる前に、仲間と連携するための鳴き声を発する。絶対に聞き逃すなよ、オレ!)」
アンジェは内出血で紫色に染まった両脚を草むらに隠しながら、指先に魔力を集め始める。
敵が何処から来るかわからない。前後左右、だけでは足りない。頭上と足元にも気を配らなければ。
相手は魔物。それも、より上位の個体によって統制された大戦力だ。気を抜けば一瞬で殺され、ありがたくもない魔の翼で天国へと運ばれる。
「【王導マツタケ】は……【千手ツクシ】……くそ、知識の海め。邪魔するなよ」
視界から得られる情報が多すぎるせいで、知識の海が脳内で暴れ出す。少し気を逸らしただけで、必要ない知識まで釣り上げようとする。
この能力には幾度となく助けられてきたが、こうして牙を剥かれるのはこれが初めてだ。気が散って仕方がない。
アンジェがなだれ込んでくる知識の山に辟易し、いっそ目を閉じてやろうかと思い始めたその時。
笛のような甲高い音が響く。
「ピイィーーーヨォーーーロロロロロ!!」
トウリの鳴き声だ。笛のようなけたたましい音色。これは侵入者に対する攻撃の合図だ。
アンジェは方角を割り出し、魔道具の力を借りて、すぐさま先制攻撃の準備をする。
「いた」
北の方角。距離は大球50前後。先程鳴いた奴がそこにいる。
ぼんやりと姿が見える。翼を広げてもアンジェより大きく見えない程度の、小さな魔物。茶と白の地味な色合いで、目立ちにくい。間違いなくトウリだ。
やや角度がきついが、当たる位置だ。今なら確実に命中させられる。
「そこだ!」
アンジェは腕を大きく振りかぶり、腰を捻って勢いをつけ、魔道具の石ころを投擲する。
魔力による機構が込められた物であれば、元が何であろうと魔道具だ。河原で拾った石だろうと、魔力で改造すればそれは魔道具になる。
アンジェが投げた魔道具は、一見すると何の変哲もない石ころにしか見えない。だが魔道具製作用の特殊魔法に加え、風、土、水の魔法の応用で、風向きや空気中の湿度を無視して一直線に飛んでいく効果が付与されている。
すなわち、それは石ころの姿をした立派な武器だ。
風魔法で補佐された正確な投擲により、石は木々の合間を縫って、無数の葉や枝を弾き飛ばしながら、まるで流星のように突き進み、ついにトウリの頭部を消しとばすことに成功する。
「ピギッ!?」
一撃。頭部を潰された魔物は、大地に崩れ落ちる。
「よし。次」
アンジェは合図を受けて動き始めているはずの別個体を探し、防御の姿勢をとる。
今身につけている土魔法の防具であれば、トウリの嘴くらいなら容易く防ぐことができる。生身で受け止めなければ、無傷の完全勝利さえ夢ではない。
アンジェは治りかけの脚を胴体に引き寄せ、大木を背にして姿勢を低くする。
しゃがむなどして体を丸めれば、それだけ的が小さくなり、攻撃も防ぎやすくなる。
「……そこか」
トウリが一瞬だけ日差しを遮ったため、森の奥に点滅が見えたのだ。
戦闘力が高いとはいえ、所詮は小鳥。居場所を隠すための立ち回りを思いつく知能は持ち合わせていないのだ。
「食らえ!」
アンジェは別の魔道具を大雑把に投げつけ、広範囲を攻撃する。
こちらは土と風と火の魔法を組み込んだ石ころだ。魔力を込めると熱を帯び、時間経過で勢いよく爆散する。
森を燃やすわけにはいかないため、火の魔法はおまけ程度。土の散弾で裂傷を与えるのが主な用途だ。
手段を選ぶ必要がないなら、こんな森はさっさと燃やして平地にしてしまいたいのだが……。村の今後を考えれば、そうはいかない。
「(滅ばない程度に、燃えろ!)」
魔道具は豆粒のように小さく見えるようになった辺りで爆発し、周辺の木々に尖った砂礫を突き刺す。
翼に傷を負ったトウリが短く悲鳴を上げ、木に激突して墜落する。命中したようだ。
「(まだ息がある)」
念のため、とどめを刺そう。アンジェは『土の腕:インドラ・モウ』を発動し、土の槍でトウリを串刺しにする。
「せいっ!」
「ピギャ!」
目に見える範囲は仕留めた。しかし、油断はできない。
「……むっ!?」
アンジェは右側から迫る風の音に気が付き、咄嗟に腕の防具で顔を守る。
勘は見事に当たり、死角から顔面目掛けて迫ってきたトウリが、アンジェの腕に阻まれる。
顔と関節だけは防具で覆うことができていない。危ないところであった。
「ピイィ!」
トウリはアンジェの腕を蹴り、飛び上がって退避する。
トウリは小柄なため、至近距離での格闘戦は得意ではない。勢いをつけて突進しなければ、体格で優る相手に有効打を与えることができないのだ。
だが、アンジェ相手に背を見せるのは愚策だ。魔法とは、背を向けて逃げる相手にこそ有効な攻撃手段なのだから。
「『土の指:パドマ』」
アンジェの指先から爪ほどの大きさの石が放たれ、トウリを尻から頭まで粉砕する。
まっすぐ最短距離で逃げる敵は、まっすぐ進む魔法で貫くのが一番だ。
「(3体。順調だけど、まだまだこれから)」
村人たちの予想では10体以上のトウリがこの森に潜んでいるとのことだった。更に、アンジェの知識が正しければ、現在進行形でトウリは増え続けている。
おそらく、トウリを束ねる頭領のような存在もいるはずだ。
「……来る」
アンジェは葉が擦れる音により、四方八方から同時に襲いかかってくる気配を察知する。
トウリが3体、それぞれ別方向から。親玉が指揮を始めたのだろう。これは厄介だ。
アンジェは左右の2体の位置を大まかに把握し、正面から来る個体を見る。
「(低空飛行!?)」
それはまだおぼつかないアンジェの脚を狙い、地面すれすれの高さを飛んできている。
花を散らし、砂利を巻き上げ、並の人間では反応しきれない猛烈な速度でアンジェに体当たりしようとしている。
「『土の腕……」
アンジェは詠唱しつつ、正面からの攻撃をあえて脚の防具で受ける。
風魔法の反動で防具にガタが来ているが、トウリの攻撃くらいならまだ余裕を持って受け止められる。
トウリの接触と同時に脛に鈍い衝撃が走り、体勢が崩れる。
アンジェは膝をつきつつも、翼を翻して逃げるトウリを泣きながら睨む。悲鳴を上げたいが、詠唱を止めるわけにはいかない。
「(避けなきゃ……!)」
アンジェは頭を下げ、追撃に備える。
左右から来たトウリが、凄まじい速度でアンジェの頭上を通り過ぎる。
「くっ!」
兜の頂点に翼がかすり、羽根が落ちる。もう少し反応が遅れていたら首筋に直撃し、血飛沫をぶちまけることになっていただろう。
「……インドラ・モウ』!」
詠唱が終わり、地面から鋭い土の槍が生える。落ち葉を撒き散らしながら急速に空へと伸び、飛び回るトウリの体を正確に撃ち抜く。
3体のトウリは一斉に空中で固定され、絶命する。外した際の追撃も考えていたが、使わずに済んだのは幸運だ。
「……邪魔!」
アンジェは舞い散る羽毛を振り払い、すぐさま土の槍を破壊する。視界を塞ぐものをいつまでも残しておくと不利になる。
現に、次のトウリが既に控えているのがわかる。今度は上空から2体、森から1体だ。
「次! かかってこい!」
アンジェは腐葉土を踏みしめ、叫ぶ。
まだまだ敵は残っている。敵に有利な状況で、ひたすら耐え続けなければならない。
「(親玉は何処だ……!?)」
トウリは機動力が高く、あらゆる方向から襲ってきている。そのため、生み出している親玉の居場所を絞り込むことができない。
推測できれば楽だったのだが、どうやら自分の足で探し回らなければならないらしい。
おそらくは集中的に発生している北か東のどちらかにいるはずだ。
「(探すなら東からかな……。村に近いから)」
アンジェは次の波を押しのけた後、緊急性が高い東の生息地に向かうことにする。
アンジェは再び襲来するトウリに向けて、魔法を編み始める。
〜〜〜〜〜
トウリを20ほど倒した頃、アンジェはようやく東側の生息域に足を踏み入れる。
森の中を流れる、河原の周辺。トウリはこの辺りから発生している。
この一帯にある木は空洞があるものばかりだ。おそらくあの内部に潜んでいる小鳥たちが、トウリに変えられているのだろう。
「何処からくる……?」
アンジェは木の内側からの奇襲に注意しながら、少しずつ森の奥深くへと前進していく。
トウリはここで生まれ、一旦上空に飛んでから襲いかかってきている。それはこの場に至るまでの道中で確認済みだ。
間違いなく、親玉はこの先にいる。
「……うっ!?」
アンジェは息をのみ、足を止める。
声が聞こえたのだ。明らかにトウリのものとはかけ離れている、禍々しい鳥の鳴き声。
「カカカカ……!」
すると、前方からトウリが矢のように飛来する。
速い。まるで声の主に急かされているかのようだ。
トウリは勢いを落とすことなく、嘴を地面に突き立てる。
高速で地面に激突したためか、直後に頭蓋が砕けて即死する。
「ひっ!?」
後続のトウリたちも、アンジェ目がけて全力の突進を仕掛け、木や地面にぶつかって死んでいく。首が折れ、翼がもげ、血飛沫をあげて死んでいく。
これでは本当に、ただの矢ではないか。
「この扱いは……」
アンジェは知識の海で調査し、手口から親玉の正体を推測する。
おそらく、小鳥たちよりも上位の存在。彼らを捕食する立場にある、猛禽類の魔物だ。
トウリたちは親玉に食われたくない一心でこうしているのだろう。生き残る僅かな可能性に賭けて、覚悟の特攻をしかけているのだ。
「……はっ!」
刺し殺すような鋭い殺気を受け、アンジェは弾かれたように空を見上げる。
森の奥に生えている、一際背の高い巨木。その頂点に、威風堂々たる魔物の姿がある。
「クカカ……」
成人した人間よりも遥かに大きく、焦げた土の色をしている。翼を広げると内側に純白の羽が整列しており、高貴さすら感じられる佇まいだ。
だがその目つきは残忍極まりなく、冷たい輝きを帯びている。内に抱える性根もおそらく、人の営みとは相容れないものだろう。
孤高にして頂点。この森に君臨する者。
知識の海によると、鷲の魔物らしい。名を『マンモン』という。
魔王がいる谷の上空を飛び回っており、人間からは『死の番人』と呼ばれている。
魔王の頭上を飛ぶことを許される程の実力。人の世においては滅多に観測されず、それでいて死の象徴として広く名が知れている存在。
まさしく、生きた伝説。その実力は、シュンカの比ではない。
「(想像以上にヤバい奴が来やがった!)」
マンモンは冷酷な眼光をアンジェに向け、毛の内側に隠された高密度の筋肉を隆起させる。
トウリの矢を避けられたためか、自らの手で直接戦いに来たようだ。自分の実力にそれだけの自信があるということか。
「(死ぬ。殺される!)」
恐怖に駆られ後ずさるアンジェを睨み、死の番人は咆哮する。
「キイイィィッ!!」
絶望的な脅威が、その巨大な翼で太陽を覆い隠し、アンジェに襲いかかる。




