第29話『魅力を説くなら簡潔に』
《ある村人の世界》
おらたちが住んでるここは、合わせて200人の集落、イオ村だ。
名物は特にねえけど、近くに深い森があって、そこで採れるもんが役に立ってる。薬草とかキノコとか、動物とか。どれが食えてどれが食えないか見分ける達人が何人もいるくらい、おらたちは森に助けられて生きてる。
でも最近、そんな森に魔物が住み着いた。
小さな鳥の魔物だ。たぶんモズが魔物になったんだと、森に入った連中は言ってた。
ただでさえ小鳥の中でもおっかねえモズが魔物になんかなったら、大変なことになっちまう。みんなそう思って、退治に行こうとした。
そしたら、もう……指とか目とか耳とか色々落っことしてきて……。見てるだけで痛そうだった。
おらはよそに助けを呼ぼうって言った。みんなもそれがいいって賛成してくれた。
村のみんなで金を出しあって、大商会の旦那に依頼を出すことにした。商会から大きな街にある狩猟組合に連絡して、人を送ってもらう。これが一番だ。
魔物は強いからちゃんと専門家に任せた方がいい。これ以上働き手がいなくなったら、村が立ち行かなくなっちまう。
問題は、お金だなあ。
隣の村から聞いた話だと、商会は足元見てくるし、組合も命がけだから大金ふっかけてくるし、出費が嵩んで困ったことになるんだと。いっそ魔物をほったらかしにした方がマシなんじゃないかってくらい、もっていかれるらしい。
でも森に入れないといよいよ村がダメになっちまうから、頼るしかねえんだよなあ。魔物がどれだけいるかわからないから、勘定もろくにできねえけど、少ないことを祈るしかねえな。
おらたちがそんなことを考えていると、何やら村の外から人が来た。
女の子の二人組だ。片方は真っ白でたぶん大人。もう片方は黒くて絶対に子供だ。
白いのは胸が大きくて活発な感じ。身振り手振りが大袈裟で明るくて、なんとなく人付き合いに慣れている感じがした。
黒いのは背が小さくて臆病な感じ。精一杯背伸びをして大人についていってる、幼い子供だった。賢そうで顔も良くて、将来はどえらいべっぴんさんになるだろうな。
おなごが変な時に来ちまったから、村中大慌てだ。もてなすべきか帰ってもらうべきかで大いに揉めた。
もてなしたい連中は、2人は美しいから村が華やかになるとか、女2人で旅してきたから深い事情があるんだろうとか、そういう情に訴える感じの意見を大声でがやがや喚いていた。
帰ってほしい連中は、2人とも旅姿に見えねえし、ちょっと怪しいから、これ以上面倒なことになる前にさっさと追い出した方がいいんじゃねえか。と、そんなことをひそひそ話し合っていた。
おらはどっちにも参加しないで日和見だった。村が決めた方にするつもりで、人に聞かれるたび、理由をつけて適当にはぐらかした。事情に詳しいわけでもねえのに、下手なこと言って責任取らされたらつまんねえから。
……そんなことを考えてたはずが、いつのまにか女の子2人をおらの家に泊めることになっちまった。
やっちまったなあ。黒い子はおらたちを怖がってたし、何を話したらいいのかわかんねえや。
……それが、昨日までにあった出来事だ。
そんで、今朝。
2人のうち黒い方が、おらの家の目の前で、もんのすごい風をぶっ放しながら、遥か彼方に吹っ飛んでいった。
「えっ」
突風に飛ばされたのかと思った。黒い子はおらの腰くらいまでの背丈しかねえから、紙切れみたいに軽くてもおかしくはねえ。
でも残った白い方が、なんともなさそうな顔して、おらに向けて話しかけてくる。
「アンジェの魔法はいつ見ても爽快だなあ……。あなたもそう思いませんか?」
おらは目を白黒させることしかできなかった。
そらそうだ。爽快だなんてちいとも思っていなかった。魔法なんて火を付けるのに便利なくらいで、日頃から役に立つもんでもねえと思ってたからなあ。あれが魔法だとすら、認識できなかったくらいだ。
白い方はおらの反応を見て、何が面白かったのか、さも愉快そうな笑顔になってこう言った。
「詳しく語ると長話になっちゃうので簡潔に言いますけど……アンジェはね、凄いんですよ」
「……はあ」
まあ、そら凄いけどなあ。すごく凄いけど、理解が追いつかないんだよ。なにぶん田舎もんだから、変化とかそういうのに弱いんだ。
そんな事を考えるおらに向けて、畳みかけるように白いのは喋り続ける。
「そんな凄いアンジェに、任せてみませんか?」
「……え? な、何を?」
ぼんやりしすぎて何か聞き逃したか。おらは慌ててその子の水色の目を見て、話に集中しようと気を取り直す。
「組合に任せても、金を払った上で素材まで横取りされちゃうんですから、村のためを思うなら、いっそのこと私たちに任せてみませんか?」
「そ、それは、おらに言われても」
「仕方ないですね。じゃあ村長さんに話をつけてくれるだけでいいですよ。まあ、あなたはアンジェの魔法に魅了されたわけですし、賛成してくれますよね?」
白いのは背中の方で腕を組んで、透き通った目でおらを見上げてくる。
人懐っこい笑顔だけど……おらにとっては、なんだか恐ろしいものに見える。この子たちを敵に回さない方が良いような、危機感が芽生えるというか。何故かはわからねえけど。
「(こいつ……なんかおっかねえ!)」
だからおらは……黒い子の魔法の凄さを伝えて村長を説得しようと、全然回らない頭でそう思った。
まだ殺されたくはねえからな。魔物にも、この子達にも。
おらは白いのから離れて、村長がいる家までわき目も振らずに走った。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
時は少しさかのぼり、新たな村を訪れる5日ほど前のこと……。
マーズ村を出た私とアンジェは、街道沿いにのんびり歩きながら今後の計画を確認している。
旅に出てから2日目。商人が通るような道を避けてきたから、知り合いには出くわしていない。足を止めてゆっくり話し合える領域だ。
「(いい天気だなあ)」
曇り空を眺め、私はのびをする。
周囲は見晴らしが良く、背の低い草が青々と茂っている。ちょっと虫がいるけど、触手から虫除けの香りを出したらすぐいなくなる。
私たちの邪魔をする魔物もいません。襲ってきてもこの開けた場所ならすぐにわかるし、安心安全。
丘の上に来ると、風が気持ちいい。向かい風だけど涼しくてちょうどいいかな。
「この辺で休もうか」
アンジェは丘のてっぺんでそう言って、土の魔法で石の床と椅子を作る。
土に直接お尻をつけるよりはいくらか良さそうだ。汚れなくて済むし、虫除けを出さず会話に集中したかったし。
私は触手でちゃんと石の様子を確かめたあと、用意された椅子に腰かける。一度作りかけの土に埋まってしまって大変なことになったから、念のためだ。
幸いにも椅子はしっかり固められていて、私の体重を支えられている。私の背丈にぴったりの高さだ。背もたれもすっぽりはまって実に快適。
私の体に合わせて作り慣れてるって感じがして……ちょっと照れる。もしかしたら小指の大きさやほくろの位置まで知られているんじゃないかって思えて……胸がキュンとなってしまう。
「おほん、ニコル様」
「なあに、アンジェ様」
「そっちも敬称つけちゃったら……まあいいや」
アンジェは私と目線を合わせるため、やたら脚の長い椅子に、ぴょんと可愛らしく跳ねて座る。
お尻に敷いた服の皺を丁寧に伸ばす几帳面な姿は、まさに可憐なご令嬢だ。可愛すぎる。
「(おほぉ……アンジェのおしり……)」
アンジェはわざとらしく咳払いをした後、なんとなく偉い人っぽい真面目な表情で机を作り、その上で腕を組む。
「では、これより作戦会議を始めます。議題は今後の目標と予定についてです」
「はい」
直近の予定はない。具体的な展望もない。村にいたくないという一心で飛び出してしまったため、はっきり言ってお先真っ暗だ。
でも今のアンジェといればどうにでもなりそうな気がしてくるし、実際に知識の海でどんな困難でも解決できてしまうから、何も問題ないね。
今の私たちは悪魔だから、野垂れ死ぬこともそうそうない。飢えもしないし汚れもしない。怖いのは魔物と人間だけ。
だからお金を稼ぐアテもない今でさえ、のんびりとした気分で会議ができるのだ。
「まず目標についてですが……旅の目標は、生活水準が高い街での定住ってことでよろしいですね?」
アンジェは以前よりちょっと柔らかくなった石板に文字を書き込みながら、きりっとした目で私を見つめて確認してくる。
手書き文字と真剣に向き合いながら頭を働かせている様子はまさに賢者の卵って感じで、一言で表現するなら至高。頭とほっぺたとお腹とそれ以外を、無限にいい子いい子してあげたい。
「(耳掃除……してあげたいねえ……)」
……おっと、発情してはいられない。私もちゃんと頭を使わないとね。
私は触手による周囲の警戒を忘れないように気をつけながら、アンジェの発言に意見を返す。
「生活水準って言っても、ご飯とかおうちとか職場とか、色々あるけど……」
「ひとつひとつ考慮していこう。終着点はちゃんと決めておかないとね」
私とアンジェは相談しあって、長く住むに値する街の条件を整理していくことにする。
それにしても、街という規模で考え始めるあたり、やっぱりアンジェの視点は田舎者からかけ離れている。ずっと村で暮らしていた子供の考えることじゃない。すごいなあ……。
アンジェはまず、指をひとつ立てて強く主張する。
「街の治安。オレにとってはこれが最重要だ」
「意外かも。アンジェは喧嘩が嫌いだっけ?」
アンジェは英雄譚が大好きで、血生臭い戦いの場を嫌がる雰囲気もない。自分とシュンカの戦いを嬉々としてジーポントたちに語ってたくらいだし、犯罪者が襲ってきても返り討ちにしそうだけど……。
そう言うと、アンジェは照れ臭そうに頬を染めながら私から目を逸らす。
「危ないところだと……ニコルが心配だから」
私を巻き込むことを恐れているらしい。この幼馴染最高じゃん。興奮しすぎて心臓破れそう。
「(私の体温で火事になっちゃうかも……!)」
……抑えろ、私。理性を保て。アンジェに嫌われたくないでしょ。脳みそ、使って。浮かれすぎだよ。
私は興奮してくねくねする触手を押さえながら、みんなに好かれる幼馴染のニコルを演じる。
「確かに私は喧嘩が苦手だけど、アンジェの足枷になるほどじゃないよ。いざとなったら悪党くらい何人でも薙ぎ倒せるから」
「人間相手に本気出せるの?」
「出せるよ。たぶん」
「……そう。だとしても、ニコルが人を殴るのは避けたいなあ」
そういうわけで、治安に関しては「自警団が機能している程度」で決着した。
殺し合いや奪い合いが頻発している街は居心地が悪いだろうし、私もアンジェもそういう趣味じゃない。
定住するなら、穏やかな土地だ。もっと言うなら、平和を保とうという意識がある土地だ。アンジェはそう言っていた。
いざというとき、私たち以外にも戦ってくれる人がいる方が安心だよね。突然魔王がやってきても平気なくらい強い街がいい。
「オレたちの心はいつも一緒だけど、たまには別行動をすることだってあるだろう。オレだけじゃ守りきれないし、ちゃんと自治ができているところじゃないとね」
「魔王は怖いもんね……」
次に、街の経済的な規模について話し合う。
私としては、アンジェを出世させるためになるべく裕福な街に住みたい。
アンジェなら……優秀な人がたくさん集まる都会でも、いくらでも目立つことができる。人を見る目もあるから、偉い人と繋がりを持てば順調に出世できるはずだ。大きな街に行けば、それだけ大きな地位を得られる。アンジェならきっと、自然にそうなる。
でも、アンジェの考えは真逆のようだ。
「豊かじゃなくても、不自由しなければなんだっていい。魔法があるし」
そう言って、アース村程度の規模でも満足できると言ってのける。
アース村って、外のお金がほとんど入ってこないから、経済的には貧乏を通り越して未開の地だと思うんだけど……。
無欲だなあ、アンジェは。私とは大違いだ。
でも正直なところ、謙虚すぎて損しているように見える。
アンジェの才能を腐らせてしまったら、私は死ぬまで後悔することになる。アンジェの消失は世界にとっての損失だ。それは間違いない。
「前からずっと言ってるけど、アンジェはもっと大きな世界に羽ばたくべきなんだよ。魅力的なところが数えきれないくらいあるんだから、こんな田舎で埋もれてしまったらもったいないよ」
「えー? たとえば?」
「賢さ。魔法のうまさ。性格の良さ。見た目。どれも一級品だと思うよ。世界の宝にするべき。知識の海があるんだから、アンジェにもわかるでしょ?」
「うん……。オレはたぶん、強い方だと思う。前半はまあ、同意できる」
アンジェは顔を真っ赤にして照れながら、頬を両手で押さえている。
かわいい。かわいい。
「だけど……確かにオレ、今の見た目は結構可愛いけどさあ……世界の宝ってほどじゃ……」
「可愛い自覚、あったんだ」
「あっ、オレの好みとかじゃなくて、知識の海がそう言ってるだけだから。自分で自分のこと可愛いだなんて言うわけないじゃん。自己評価が高すぎる人みたいじゃん。まったくもう」
アンジェは明確に焦りを浮かべながら、視線を泳がせている。
良い事を聞けた。アンジェは中身も可愛いから素敵で無敵だ。
「(今すぐ抱きしめたい。抱き潰したい)」
しかしアンジェは私の顔色を窺いつつ、話題を逸らす。
「でもなあ……。能力があるならそれを活かすべきって意見もわかるけど、旅した後の終着点は質素で十分だと思うんだ」
「……ふーん?」
「大奮戦とか大立ち回りとか、そういうのは道中でたっぷりやるとして、最後に腰を落ち着ける街ではのんびり慎ましく……という感じがオレの理想だな」
アンジェの言うことも一理ある。私も2人でゆっくり過ごせる場所が欲しい気持ちはある。
でもその頃には、アンジェは体も立場も大きくなっているに違いない。隠居なんかできるはずがない。周りが放っておかないだろう。
というか、今の時点で引退後の生活を思い浮かべてしまったら、今後の生活もそれを意識して萎んでしまうと思う。後で着地することを考えていたら、天高く飛べなくなってしまう。
「(どうにかして説得しないと。私より頭の良いアンジェを)」
私は気難しい顔をして唸るアンジェに向けて、理路整然と道理を説くことにする。
「アンジェはね、世界なの。人類の未来そのもの」
「……唐突にどうしたの? オレはそんな大層なものじゃないよ」
「だって、アンジェ以上に優れた人間はこの世に存在しないもの」
アンジェは筋道を立てて説明や推測をするのが得意だから、私が真面目に考えて意見をすればちゃんと受け入れてくれるはずだ。
そう思って、私は胸の内にあるアンジェ論を展開して説得を試みる。
アンジェとは何か。アンジェとはどうあるべきか。これは私の中にある、真理だ。
「人生はアンジェを知ることから始まる。己のアンジェと向き合い、目の前のアンジェに慈愛を抱くことで人は救われる。アンジェとは生誕の可能性。アンジェとは成長による変化。アンジェとは老化による悟り。アンジェとは死の後に待つ大いなる虚無の片鱗なの」
「ニコル……?」
そう、私は今から少しだけ、胸の内にある想いを解き放つのだ。
告白する勇気も覚悟もないけど、その練習だと思って、慎重かつ大胆に……。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
日が暮れた。
丘から少し歩いた先にある森の中に、アンジェは土の魔法で小屋を立てている。
丈夫で目立たない色合いの、石の小屋。殺風景で狭いけど、1日泊まるだけなら十分だ。
むしろ安全性の面ではマーズ村の宿より信頼できるくらいだ。なにせアンジェが建てた小屋なんだから、星が降ってきてもへっちゃらだよ。
私は触手を使って石壁の強度を確かめながら、人間の腕でアンジェの髪を優しく手入れしている。
「アンジェの髪は手入れをサボっても私みたいにごわごわになったりしないの。それなのに綺麗に洗うとますます艶が増すの。凄いよね。完璧だよ」
「ニコル……そろそろ……」
「この髪質なら伸ばしてもきっと綺麗だろうなあ。髪の手入れって本当は大変なんだよ? 日頃から丁寧に扱わないと簡単に駄目になっちゃうから」
「うん……」
「一本一本が太くて密度があって、でも剛毛ってほどじゃなくて、髪型を変えて楽しむのにちょうどいい感じ。羨ましいなあ。私はくせっ毛だから……」
「ニコル!」
アンジェは憔悴しきった顔で泣きながら私の裾に縋り付く。
「わかったよ。オレが悪かった。オレが悪い子だったんだ。だからもうやめてくれ」
「アンジェは何一つ悪くないよ。だって大地は……」
「ニコル……。褒めてくれるのは嬉しいけど、大事な話が進まないから、中に入って落ち着こうか……」
アンジェはそう言って、自分で作った部屋の中に引っ込んでいく。
そういえば、今は話し合いの最中だった。先の見えない旅に道筋を作らないといけないんだ。
まだまだ語り足りないけど仕方がないね。アンジェも長旅で疲れてるみたいだし、そろそろ自重しないといけない。
「(アンジェの魅力を語るときは、長話にならないように気をつけよう)」
私は魔法の灯りで照らされた室内に入って、触手で寝床を作る。触手で生み出した植物を使って大きなゆりかごを編み、その中に肌触りが良い葉っぱを敷き、寝転んで体を預けるのだ。
こうすれば突然魔物が襲ってきても触手で対処できる。アンジェからも好評だし、私もアンジェを抱きしめているみたいで良い気分になれる。
罪悪感があるし、あやまちを犯しかねないから、相変わらず触感は切ったままだけど。
ゆりかごの中の植物を持ち上げて、座椅子のような形にまとめた後、アンジェは石板を取り出す。
「えーと、街の豊かさについてだけど……まあ、これは旅で寄った土地を見て判断しようか」
結局のところ、暮らしてみなければわからない。アンジェは座椅子に倒れ込んで諦めたような顔で言う。
「これから村を点々としつつ、大きな街を目指すわけだから……目標は過程で決めればいい。要するに、ひとまず保留だ」
「……まあ、それでいっか」
私としては、アンジェが小さくまとまるつもりでなければ、なんだって構わない。
最後にたどり着く土地の事は、れっきとした旅人になってから考えよう。
できればアンジェには、誰もいない山奥の村じゃなくて、都会の真ん中で大勢に見守られながら、余生を過ごしてほしい。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
それからも、様々な事柄についてアンジェと意見を交換し合った。
街の設備、人口、住民の傾向、領主の思想、文化的な行事、旅人の待遇、宗教観、恋愛観……。
アンジェは知識の海で街の情報を検索して、候補を絞る。
目を閉じてぶつぶつつぶやくアンジェを、私はただ黙って見守る。私じゃ知識の海に手を出せないし、何かを言っても邪魔になるだけだ。
「領主が庶民にも寛大で、領内の治安が良くて、経済的に豊かで、人の出入りが多くて、変な宗教が流行っているわけでもなくて、異性愛と同性愛の両方に理解がある領地……」
「ちょっと条件をつけすぎたかな?」
「大丈夫。見つかったよ」
意外にも早く、アンジェは条件にぴったり合う街を探し出してくれた。
同性愛はアンジェの恋愛観がいまひとつはっきりしないから条件に入れてしまったんだけど、見つかってよかった。受け入れてくれる候補地がかなり狭まると思ったんだけど、現実は意外と寛容みたいだ。
私は自分のゆりかごをアンジェのそれと合体させ、足を踏み入れて一気に乗り込む。
「それってどんな街!?」
「うひゃあ!? 海賊の侵略行動みたいで怖いよ、それ……」
……海賊ってなんだろう。
アンジェはよくわからない事を言った後、石板に書き出した街の概要を見せる。
「ピクト領。当代の領主はニーナ・フォン・ピクト。人類の頂点と噂されている英雄の中の英雄。傭兵たちに混ざって戦場に出ているからか、平民にも優しい」
「そんな人がいるんだね」
私が知る貴族は、ほとんどが家の中に引きこもって美食に舌鼓を打っているような連中なんだけど。全てがそんな汚物というわけでもないらしい。
考えてみれば、うちの領地の領主さまも太ってはいないし、そういう人がいてもおかしくはないのか。昔の嫌な思い出が邪魔をして、貴族そのものに偏見があったみたいだ。反省反省。
「土地が豊かで商業も活発。街全体が武闘派で、傭兵が多いからよそ者を受け入れる下地があるし、それでいて街の中も安全だ」
「私たちでも定住できそうだね」
「こういう色んな人でごちゃごちゃした街は、大抵どさくさ紛れに犯罪を働く輩も現れるはずなんだけど、ピクト領での犯罪件数はかなり少ないね。何か起きてもすぐに鎮圧されてる……」
今のところは良いことづくめの素晴らしい街だ。そこを最終目的地にしてしまっても良いと思えるくらいに私たちの条件と噛み合っている。
でもアンジェは浮かない顔で石板の下の方を叩いている。
「ただ、問題が2つ。これを聞いたら、ニコルも反対すると思うよ」
ニコルも、ということはアンジェはピクト領行きが嫌なのか。
私は身を乗り出して、アンジェの次の言葉を待つ。
「ひとつ。ピクト領は魔物に対する敵対心が強い。マーズ村より、ずっと」
「それはまずいね……」
悪魔だとバレたら排斥されかねないからマーズ村を出てきたというのに、これでピクト領に向かってしまっては本末転倒だ。
もっとも、凶悪な悪魔を受け入れてくれる土地なんてあるはずがないから、ある程度は許容しないといけないんだけどね。
「もうひとつ。これが一番大事」
アンジェは指をピンと立てて、固唾を飲む私を正面から見据えて告げる。
「ピクト領のすぐ近くに、魔王の本拠地がある」
「…………………わかった」
私はしばらく放心した後、結論を出す。
はい、もちろん却下ですとも。
〜〜〜〜〜
ニコルが作ってくれたゆりかごの中で、アンジェは寝返りを打つ。
最後まで結論を出せないまま、2人は就寝することとなった。
寄せ合ったゆりかごを再び離し、それぞれ植物の茎にすっぽりと包まれ、サナギのように丸くなる。
ニコルはもう眠ってしまったのだろう。小屋の中は静かで、うずくまっていると少しだけ寂しさが湧いてくる。
アンジェとしては心細いので抱き合って眠りたいところだが、甘えているようで恥ずかしいので、ここは我慢の一手だ。
「おれはこころがつよいから、ひとりでねむれます」
アンジェは暗い室内でニコルが咲かせた花を見つめながら、自分に言い聞かせる。
心が強い。それは、アンジェが最初に知った英雄譚にある、お気に入りの一節。強さとは体躯に宿るものではないと理解し、少年だったアンジェの価値観を大きく変えた転換点。
体が弱くとも、成長が遅くとも、英雄になれる。アンジェはそれを信じているのだ。
「今のオレも、英雄になる途中なんだ。心細くなんかないんだ」
アンジェはニコルが生み出したみずみずしい花の香りを嗅ぎ、柔らかい茎を握りながらそう呟く。
ニコルがそばにいる。彼女も先行きが見えない今の状態が不安で仕方ないだろうに、アンジェを奮い立たせてくれている。常に触手を出して魔物から守り、安心させてくれている。
ならば、自分は彼女の献身に報いるだけだ。
「目標は決まらずじまい。だけど、予定は決めないといけないね」
アンジェは大荷物の中にある財布の中身を、正確に把握している。
マーズ村なら数年は気ままに暮らせる金額。だが、街で家を買おうものなら一瞬で吹き飛ぶだろう。
シュンカの毛皮も少し持ってきているため、物価の高いところで正しく売れば、しばらくは困らない。だがニコルの理想である都会での生活を送れる程ではない。
安定した収入源が必要だ。それも、旅をしながらでも稼げる方法が。
「今のままじゃ、田舎に引っ込んで隠居するのが精々だ」
アンジェは知識の海を頼りつつ、今後の人生設計を練ることにする。
ニコルの提案を現実にするには、どうすれば良いだろう。なるべくたくさんの金を稼ぎながら、世界中の街を見て回るには……。
そうしているうちに、いつしかアンジェは眠りに落ちる。




