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第27話『惜しむは命か消耗か』

 《ビビアンの世界》


 観測班の崩壊と共に、地獄の蓋が開いた。

 魔法部隊の正確な遠距離攻撃がなくなり、魔物が押し寄せてきたのだ。

 素早い狼のフウカと、卵を体に括り付けている蜘蛛のシメンが中心だ。


「(シメンは厄介だな……)」


 ぼくも旅の最中に戦ったことがある。シメンの群れがこの街に攻めてきたことも何度かある。


 シメンは卵を体に纏ったまま戦う小型の蜘蛛。母体を倒した瞬間に卵が孵化し、その際母親は一部の赤子から魔力を奪い、蘇生する。

 赤子といえど、あらかじめ魔力で作っておいた予備のようなものだ。魔物にとっての親子関係など、シメンに限らずこの程度だ。


 子のために親が身を挺するという自然の摂理は、欲で塗れた魔物には通用しない。魔力による生命は、歪で醜く、生き汚い。


「火の指、用意!」


 魔法隊長は観測班が機能停止したことを察知して、すぐさま魔法を切り替える。

 発動が容易でありながら炎上網を広く敷ける、火の指を選択したようだ。

 悪魔の発言による混乱と恐怖。それによって部隊の士気が低下しかけている今の状況においては、有効な一手だろう。炎に巻かれる魔物たちを見れば、少しは兵たちの恐怖も和らぐだろう。

 魔物は決して、無敵ではない。人間でも抵抗することができる程度の存在なのだ。


「(魔物は弱者で敗者。我々こそが力ある正義だ。そういう暗示を、炎という暴力はもたらしてくれる)」


 魔法部隊の炎により、あらかじめ指定されていた範囲が火の海と化す。

 熱気の絨毯が敷かれ、シメンたちは文字通り蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、統制を失う。


 蜘蛛の魔物に作戦を理解する知能などない。ただなんとなく命令を理解し、なんとなく並べられ、周りがそうするから突撃しているだけだ。命の危機に瀕すれば、戦列は簡単に瓦解する。


「囮か」


 ぼくの隣にいる大剣士がそう呟く。

 ぼくも彼と同じ考えだ。派手に動き回り、死んでもすぐ蘇る蜘蛛の魔物。それを大量にばら撒く理由は他に考えられない。

 魔王だって、これで人間を倒せるとは思っていないだろう。


「うん。本命を隠すための目眩しかなぁ」


 大して役に立たないにもかかわらず、フウカ以上の数を動員しているのはそういう意図だろう。

 蜘蛛の子の裏に何の目的があるのか、まだ読めないのが気がかりだ。混乱に乗じて何かを仕掛けてくるつもりだろうけど……。


 蠢くシメンの群れの中から、フウカが炎に包まれながら飛び出してくる。

 突破してきたのは3体だ。そのうち1体は脚をやられている。

 連中は負傷で鈍っている。でも魔法部隊に対処させるべき距離じゃない。近づかせすぎた。魔力を集めて詠唱している間にやられてしまう。


 いよいよ前衛の出番だ。


「重装部隊、前へ!」

「はっ!」


 大剣士の号令で、分厚い全身鎧で身を固めた兵士たちが一歩前に出る。

 ピクト重装部隊、総勢400名。現在の右翼には、30名が配属されている。

 鍛え抜かれた大男がずらりと並ぶその威容は、他領の軟弱者たちを指ひとつ触れずに圧倒するほどだ。

 入隊においては身長体重で足切りが行われ、その後も拷問じみた激しい訓練が行われる。前線に立ち仲間の盾となる役目を持つため、技能と忠誠心が高い者だけが残るよう、常にふるいにかけられているのだ。

 すなわち、魔物に勝らんとする精鋭である。


「歩兵部隊、前へ!」

「はっ!」


 続く号令で、金属鎧を鳴らしながら、重装部隊の後ろにいる男たちが槍を構える。

 ピクト歩兵部隊、総勢約20000名。右翼にいるのは約500名。

 各人の平均的な実力はこの領地において最も劣る。だが決して未熟なわけではなく、集団で繰り出す息の合った槍術は魔物の命を容易く葬り去る。

 数の多さは凡百の烙印ではない。人の繁栄の証だ。


 この二部隊こそが、今回の作戦の要だ。盾と鎧で防ぎ、槍で押し、魔物を一箇所にまとめ、仕留める。

 彼らが突破されれば、主戦力である本陣が防衛のために動かざるを得なくなる。そうなってしまうと、人間が受ける被害は格段に大きくなるだろう。


 重装部隊に、2体のフウカが迫る。

 鋭い毛。殺意に満ちた瞳。唾でぬめる牙。


 それらに怯むことなく、男たちは地響きを立てて足を踏み鳴らし、構える。


「掛け声ーッ!」

「オウ!」


 戦意を高揚させるため、男たちは一斉に叫ぶ。

 重装部隊がその手に持つは、先端に斧を備えた巨大な槍。熟練の戦士でなければ到底扱えない、重く複雑な武器だ。

 まずはひとりの男が、フウカに向けて縦にそれを振るう。


「おらっ!」

「ガルルァァ!」


 フウカは難なく横に回避し、隙だらけの男に向けて飛びかかろうとする。

 だがその隣に立つ重装が動き、彼に生じた隙を埋める。斧槍による正確な突きだ。

 槍の先端が狼の額をかすめ、斧の部分が耳を吹き飛ばす。


「むっ」


 重装の隙間から、僅かに低い声が漏れる。仕留めにかかったつもりが、またしても回避されてしまったのだ。兜の上からではわからないが、きっと動揺しているのだろう。


 だが更に隣にいる重装が、掛け声によって彼の怯えを振り払う。


「オウッ!」


 斧槍を捻りながらの、強烈な突きだ。フウカは槍部分を避けたものの、斧部分に脚をやられ、転倒する。

 そして最初に飛び出したひとりがもう一度斧を振り下ろし、フウカの首を切り落とす。


 当たり前のように繰り出される、極めて高度な戦闘技術。……本当に頼もしい。


 フウカは重装部隊たちによって3体とも倒されたようだ。歩兵部隊は身構えたものの、出番がなかった。

 ぼくも震えてはいられない。彼らでも抑えきれない大物が出たら、いよいよぼくの出番だ。


「来たぞ! 悪魔だ!」


 フウカの死を確認した瞬間、大剣士が叫ぶ。

 見ると、炎の海に道を作りながら、巨体が迫ってきている。


「イイ声がしやがッたなァ!」


 見上げるほど巨大な体躯。猿を毛の一本に至るまで凶暴化させたような醜い容姿。

 奴は鞍のついたシュンカに騎乗し、無骨な骨の棍棒を握りしめている。


「我ハ悪魔の老兵、バツザン!」


 悪魔は歴戦の戦士のような声で名乗りを上げる。

 耳元まで裂けるほど巨大な口には、およそ猿らしくない太い牙が覗いている。

 表情は血に飢えた笑み。闘争心という名の激しい熱が感じられる。


「そノ首、取るゼ!」


 そして奴は……バツザンと名乗る悪魔は、ぼくたちがいる木の高台に襲いかかる。

 周りの兵たちには目もくれず、シュンカの機動力を活かして何十人もの人間の頭上を飛び越え、一気に襲いかかってくる。

 その棍棒が目指す先は、大剣士アルミニウス。


 目当ては大物で、兵士には興味が無いか。

 ならば。


「ビビアン、出ます!」


 ぼくも相手するべきだろう。わざわざ一対一を作ってやる必要はない。


「遊撃よし! 気合い入れろ!」


 崩落する高台の上から返事をして、大剣士が悪魔に斬りかかる。

 重力も乗せた重い一撃。だが悪魔には届かない。万全かつ力自慢の個体に、人間の刃が届く道理はない。


「へへッ……イイねエ!」


 バツザンは返す手で大剣士を払い、シュンカに指示を出して噛みつかせようとする。

 シュンカはすぐさま向きを変えて牙を向けるも、大剣士は既に距離を取った後だ。

 人間とは思えないほど身軽な動き。だからこそ彼は右翼部隊の大隊長なのだ。


 ぼくは彼の信頼に報いるため、義肢に魔力がこもっていることを確認して前に飛び出す。

 後ろで部隊を再編している仲間たちを、しっかり守るように立つ。


 ぼくが戦闘態勢に入ったことを目視で確認した大剣士は、身の丈ほどもある剣を中段に構えて叫ぶ。


「俺はアルミニウス! 悪魔どもに滅ぼされた、ある部族の英雄だ!」

「ホう、英雄!」

「力自慢のようだな? 俺と手合わせしてもらおう」


 バツザンは彼に見惚れているようだ。兵たちに完全に背を向けて、アルミニウスだけを注視している。


 大剣士アルミニウスは、援軍に向かおうとして隊列を崩しかけている自らの歩兵部隊に指示を出す。


「重装部隊、並びに歩兵部隊の指揮権を副隊長に移譲する!」

「了解!」


 その後、魔法部隊の隊長は、部下たちの目を正面に向けさせる。

 悪魔が割った炎の間から、魔物が次々に向かってきているのだ。歩兵部隊はそれを食い止め、魔法部隊は援護をしなければならない。


 悪魔に太刀打ちできるのは、一定以上の実力を持つ者だけ。

 つまり、ぼくと大剣士アルミニウスだ。


「ぼくは『群青卿』ビビアン」


 自分でこの二つ名を名乗るのは初めてだけど、悪魔を釘付けにするためだから仕方ない。彼に倣って、ぼくは高らかに宣言する。


「遊撃部隊の隊長だ。魔物もいるし、卑怯とは言うまい。ぼくの相手もしてもらおうか」

「はッ。人間ッてノハ軟弱者ばッかりノようだナ!」


 バツザンは長い指で耳の穴をほじり、余裕綽々とそう言ってのける。


「こんナ子供ヲ戦わせルなンてナ!」


 そして、彼の号令と共にシュンカが力強く遠吠えをあげる。

 狼に似て、それでいて太く、刺々しい声。鼓膜が揺れるたび、腹の底から根源的な恐怖が湧いてくるのを感じる。


 それでも、怖気付くわけにはいかない。

 ぼくは奴を殺さなければならない。


「(シュンカ。パパを殺した魔物!)」


 かつて友が討ったあいつの死体を思い浮かべ、ぼくは勇気を奮い立たせる。


 血煙よ。どうか死んでくれ。一匹残らず滅亡してくれ。その面を二度と……ぼくに見せるな。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 シュンカの突撃と共に、バツザンの棍棒が唸る。

 狙われたのはぼくだ。


「腕試しダ!」


 そう言って、バツザンは毛むくじゃらの腕を振りかぶる。

 身の毛もよだつほどの一撃が飛んでくる。死の予感が神経から脊髄を通り、脳へと駆け抜けていく。


 ぼくは魔道具の義足に力を込めて、左側に跳ねる。

 人のいない方へ。そして、本陣からの援護に期待できる方へ。

 ただ戦うだけでは駄目だ。勝つ気で挑んでも、負ける可能性は常にある。ならば負けた後にも後続がなんとかできるように立ち回らなければならない。この動きも、その一環だ。


 バツザンの棍棒が地面にヒビを入れる。

 この辺りの地面は乾いており、岩のように硬い。それを軽々と砕くとは、とんでもない怪力だ。

 目を凝らしてよく見ると、魔力が奴の毛先の隅々まで行き渡っているのがわかる。つまりそれだけ魔力の扱いに慣れているということだ。


「やるじャねエか!」


 バツザンは棍棒を振り上げつつ、シュンカに命令して再度突撃させる。

 移動手段と攻撃手段が別々だからこそできる、無茶苦茶な立ち回りだ。体ひとつで戦っている人間たちでは太刀打ちできまい。

 でも生憎と、ぼくは水の魔物であり、最高級の義足も装備している。前提条件で不利はついていない。奴と似たような機動力を発揮することができる。


 ぼくは倒れ込むような姿勢から、人間では不可能な力の入れ方をして跳躍し、バツザンの棍棒を避ける。

 棍棒についた血塗れの土が、ぼくの爪先にかかる。判断が鈍れば、待っているのは観測班と同じ末路だ。


「思ッタより動けるナ!」


 バツザンは楽しそうに唇を歪ませる。


 こう見えて、ぼくは生まれる前から戦いに身を置いてきたんだ。伊達に何年も戦士を続けてはいない。

 それに、ぼくにはもうひとり、歴戦の戦士がそばにいる。


「オラァ!」


 アルミニウスは巨大な剣を持ったまま突風のように駆けてきて、シュンカの後ろ足を狙う。

 竜巻のような迫力。正確無比な太刀筋。かつて故郷で英雄と呼ばれ、今はその名をこの戦地に刻んでいる男の、単純だが強力な剣技だ。


「グルル……!」


 シュンカは身を翻してかわしたものの、浅く切り傷ができ、体毛の一部を失う。

 彼の剣を避けられるシュンカもまた、伝説級の怪物か。やはり一筋縄ではいかない。


 アルミニウスは更に深く切り込んで追う……が、シュンカは続く二の太刀も回避して、既に前足で反撃している。

 恐るべき切り替えの早さだ。ぼくがあの間合いで戦ったら、勝ち目はないだろう。


 アルミニウスは舌打ちをして、攻撃を諦めて距離を取る。刃の体毛がそばを掠めたのか、腕に浅く傷ができている。


「くそっ。面倒だなおい!」

「考エるのも面倒か!? 楽にしテやるゼ!」


 その場で回転し、尻尾を当てに行くシュンカ。

 更に回転に合わせて、バツザンの棍棒も追撃に向かう。

 この悪魔、ただ漠然とシュンカに乗っているだけではない。騎兵として相当な腕前だ。


 アルミニウスは尻尾を剣の腹で受けて、棍棒を剣先で流す。

 棍棒の威力で、大剣を持つ手が僅かに震える。彼の剛腕をもってしても受け止めきれないとは、なんという力強さか。腕自慢の悪魔とは、かくも強力なのか。


 でも、ぼくの前で隙を見せてくれた。好機到来だ。


 ぼくは回転の終わり際に合わせて、義手から魔法を飛ばす。

 選んだのは『火の腕:ムツ・ミ・アイ』だ。速度と威力を重視して、確実に当てに行く。詠唱無しの魔法は不意を突きやすい。これを外したら後がないつもりで、確実に、冷静に、けれど素早く、殺意を込めて。


 狙うはシュンカだ。

 足から殺す。


「ギャウン!?」


 シュンカは野生の勘か、大きく体勢を崩しながら飛び退く。こちらを見ていたわけでもないのに、どうやって察知したというのか。侮れない。


 だが回転の勢いのせいか、避けきれていない。毛で守られていない腹部を狙った火の矢は、シュンカの胸を掠めていった。

 まだ動けるだろうが、この戦いにおいては生死を分ける。


「うギッ!?」


 どうやら慌てるあまり、背中に乗るバツザンのことを考慮できなかったようだ。動揺が連鎖していき、奴の攻撃にも隙が生じる。


 それを見逃すアルミニウスではない。彼も死線をくぐり抜けてきた猛者なのだ。


「もらった!」


 大剣が振り上げられ、シュンカの頭ごと悪魔の片腕が切り飛ばされる。

 彼は大剣使いの英雄だ。脚を止めて渾身の一撃を放てば、無防備になった魔物の体くらい両断できる。


 シュンカは息絶えて崩れ落ち、悪魔は血眼になって棍棒を振りかぶる。


「てンめエエェェ! つまンねエ真似しやがッて!」


 理性のかけらもない、やけくそじみた行動だ。欠損に怯まない血の気の多さといい、実に悪魔らしい。


 当たり前だが、そのような力任せの攻撃を受けるアルミニウスではない。彼は軽く大剣を振り下ろし、もう片方の腕も切断する。

 大根でも切るかのような、覇気のない一撃。それは目の前の敵が、もはや脅威ではなくなったことを意味している。


「……まダやレル!」

「終わりだよ。ほら」


 そして、もはや防ぐ手段を失った悪魔の体に、ぼくの魔法が直撃する。

 選んだのは『火の指』だ。土や風は威力を確保するのが大変だけど、火は少ない魔力で効率的に手傷を与えられる。


「ぐぼッ!?」


 何発もの炎の弾を浴びた猿の悪魔は、瞬く間に火だるまになって転げ回る。

 地面を転がった程度で消えるほど、ぼくの炎は甘くない。決着だ。


「あヅイ! くソ! 『水の腹……」

「ん!?」


 消火しようとしたところを、アルミニウスが剣で止める。

 首の半分を切り、とどめを刺したのだ。頚椎が折れている。悪魔でも、あれは即死だ。


 バツザンは炎に包まれたまま、大地に倒れ伏す。

 もはやぴくりとも動かない。死んだふりではないだろう。このまま焦げて、じきに灰になるはずだ。

 ぼくたちは大敵を討ち取ったのだ。それも、大きな怪我をすることなく。


 ……それにしてもあの猿、かなり高度な水魔法を使おうとしていた気がするんだけど、ぼくの気のせい?

 ……違うよな。気のせいなもんか。あいつは強かったんだ。認めるべきだ。


「敵将に出し惜しみはするな」

「……はい」


 アルミニウスに叱られてしまった。


 出し惜しんだつもりはない。魔道具の義肢から放てる魔法は限られている。火も土も風も、指と腕までしかまともに使えない。

 ぼく本体の水の魔法ならもっと高度なものがあるけど、魔王に「人間の味方をするアウスがいる」という情報を与えてしまうから使うべきではないと思ったんだ。


 ……とはいえ、バツザンはまだ奥の手があったようだし、ぼくの判断が間違っていたんだろう。アルミニウスに頼らず、強力な魔法でさっさと決めにいくべきだった。


「一手遅れれば、その分被害は増す。今この時もだ」


 アルミニウスは強面の顔を戦場に向けて、戦況を確認している。

 重装部隊と魔物が交戦している。シメンの群れだ。奴らは蜘蛛の平べったい体で地面を駆け回って、動きの鈍い重装部隊を翻弄している。

 何体かはすり抜けて歩兵部隊の隙間に潜りこんでいるようだ。長物や魔法では味方を巻き込むからやりにくそうだ。既に負傷者も出ているように見える。


 なるほど。シメンによる圧殺という選択は効果的だったようだ。魔王め……。


 ぼくの水の魔法の出番だと、アルミニウスはそう促しているのか。

 迷うことはない。使おう。


「『水の胸:アンフォルメル』!」


 ぼくの左胸から、自由自在に動く大量の水が溢れ出す。

 この水はぼくの心に従い、思い描いたとおりに、ありとあらゆる流れを生み出してくれる。暴れる戦友たちの隙間を縫い、蜘蛛だけを洗い落とすような細かい動きさえも可能だ。

 加減できないから、どうしても大量の魔力を使ってしまうのが難点だけど……今が使いどきだ。


「それでこそ英雄だ」


 アルミニウスは何やら納得したような顔で頷いて、副隊長に声をかけ、魔法部隊隊長ゲルマニクスのところに向かう。


 ぼくはまだ全然、彼を超えることなんてできていない。英雄というのは、経験と実績を見て周りの人たちが決めるものだ。つまり、ぼくより高い位にある彼の方が、英雄に近い。


「(英雄。人の上に立てと言っているのか? ぼくは魔物なのに?)」


 ぼくが生み出した水を軽々と飛び越えて進むアルミニウス。その背中を見つめながら、ぼくはため息をついた。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 その後、無数の蜘蛛と狼の死体を山のように積み上げて、ぼくたちは疲れ切った顔を見合わせる。


 確かに敵の数は多い。犠牲者も出ている。でも、それだけだ。敵を誘導する必要もなく、本陣の戦力を割くことさえなく、勝敗が決まろうとしている。

 もう敵が残っていないのだ。耳をすませば、左翼の方も静まりかえっているのがわかる。本陣も戦っている様子はない。


「どうなってやがる」


 剣の返り血を落としながら、アルミニウスがぼやく。


「雑魚とはいえ、これだけの戦力を使い捨てにするつもりか?」

「さあ。魔王は気まぐれで、軍隊を率いてるつもりがないって説もあるみたいだけど……」

「そうか? この数で攻めてきてるんだぞ?」


 自分でもまとまっていない考えを、とりあえず口に出す。


「谷の口減らしをしつつ、ついでに人間を倒せたらいいな、くらいのつもりとか……?」

「魔物のお前にわからねえなら、俺にもわからん」


 ぼくは魔物だけど、悪魔が考えていることなんかわからない。人間の中で、人間として生きてきたから。

 とはいえ、指摘するのは野暮だろう。ぼくの人生観を完璧に共有できる人間なんか、この世にいない。


 ぼくはまず、敵の大将がいるはずの方角を見る。

 魔物の無策な突撃以上に、魔王に動きが無いのが不気味だ。わざわざ出張ってきて何もしないということはありえない。

 大量の魔物と、力自慢の悪魔を連れて、魔王は一体何がしたかったんだ?


「……シメンの群れは目眩しだと、お前は言ったな」


 アルミニウスはぼくの見解から考えを広げてくれているらしい。


「本名から目を逸らすための目眩し。ここに戦力を釘付けにして、別の場所を攻めるのが目的だったんじゃないか?」

「……何処を?」

「それは……観測班が潰れたから、わからん」


 でもそれなら辻褄は合う。強者と戦うことしか考えていなかったあの悪魔が、真っ先に観測班を潰しに行ったのはおかしいと思っていたのだ。

 隠れている観測班を潰せ。あとは前線で好きに暴れろ。それが魔王の命令だったのだろう。


 魔王はぼくたちの目を奪うことに注力している。まだ奴の手のひらの上で踊らされているようで、寒気がする。


「(アンジェの村も、こうして滅んだのか……?)」


 その時、魔法隊長のゲルマニクスが慌てた表情で近づいてくる。

 彼は戦況がひと段落した段階で、観測班の装備を修理し、本陣との通信を回復させていたはずだ。何か動きがあったのだろうか。


「辺境伯が魔王に単身で突撃し、決闘を挑んだ模様です!」

「なっ!?」


 ぼくたちの想像以上に、事態は無茶苦茶な方向に進み始めているようだ。

 決闘。あのニーナが。何故?


 まさか、首を差し出して許しを乞うつもり?

 それとも、巻き込んで自爆を?

 魔王と戦うつもりじゃないだろうし……。


「群青卿。アルミニウス。部隊は俺たちが維持する。偵察任務を頼む」


 ゲルマニウスの険しい声での命令。それを受け、ぼくは即座に首を縦に振る。


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