第26話『人類戦線』
《ビビアンの世界》
ぼくはビビアン。水の魔物だ。
3ヶ月ほど前から、この領地の領主の屋敷でお世話になっている。
義手義足、その他諸々の魔道具をくっつけられて、服も何着かもらって、食客として招かれている。
貴族は苦手だけど、結構なお金をかけられて、何度も命を助けられてしまったら、流石に味方せざるを得ない。そういうわけで、ぼくは領主である辺境伯の手駒として働くことになっている。
主な仕事は魔道具の整備。魔力を使い切れば仕事を上がれるから、短時間に集中して仕事して、一気に使い切ってしまえば、自由時間を確保できる。
給料もかなりあるし……魔物だからって悪い扱いはされていないし……結構良い待遇だ。
「アウス……巻末……付録……」
ぼくは今、屋敷の書庫で書物を読み漁っている。
何が材料かわからない革の長椅子に、曲線的な模様が描かれた金属と木の机。
周囲の空気には、紙と木と炭が混ざり合った、素朴で味わい深い香りが漂っている。
静かで知的で、ぼくはこの空間が好きだ。居心地が良い。
ここはぼくが訪れたどの街よりも魔物の知識が豊富に蓄えられている。知識を漁っているだけで何日でも過ごせるし、それらを細かく整理して研究なんて始めようものなら、無限に時間を潰せる。
今の研究対象は、ぼく自身。何故あれほどの傷を負って生き延びたのか。今のぼくは一体何という魔物なのか。それを理解するための研究だ。
答えがそのまま載っていれば楽だったんだけど、そう甘くはない。今回読んだ本もハズレだった。
「んん……有益だったけど、アウスについてはこれっぽっちかぁ。まぁ、目立つ魔物が優先されるのは当然かぁ」
ぼくは魔物の情報が載った本を読破し、アウスに関する記述、及びアウスに類似する事例を自分用の紙に書き出し、整理する。
書庫の本たちには、当然アウス……ぼくと同じ魔物についても記載があった。
水中で生きる粘菌のような魔物で、水から魔力を吸い取って細々と生きている。でも触媒……つまり生物の死体を用意して特殊な魔法をかけることで、その生き物になりすますことができる。
ぼくはティルナという女性の死体を乗っ取って生まれたわけだ。まあ、ここまではある程度把握できていたけどね。旅の中で調べる機会もあったし。
ぼくが読んだ本には、それ以上の新しい情報は無かった。
ノーグ以上にアウスに詳しい人なんてそうそういないだろうし、今更未知の何かが得られると思ってはいけないのかもしれない。
「アウスが関わった村は、水に溶けて消える。そんな噂もあるけど……まぁ、アウスを生んだ魔法使いが悪さをしたってことだろうし……」
ぼくは天井を見上げる。
「隣の本は明日かなぁ」
今回は収穫がなかったので、ぼくは仕方なく今までに得た資料を見直す事にする。
幾度となくめくり返されて擦り切れた分厚い紙束を開き、ぼくは見慣れた自分の手描き文字と睨めっこを始める。
「アウスの生存能力……。吸収……適応……変化……」
ぼくは魔物や魔法に関する知識を得た結果、死に損なった要因をいくつか特定するに至っている。
要因その1。直前に吸い取った血。
ぼくはノーグの血を抱いたまま死にたくて、血痕を吸収した。今のぼくの髪や瞳に、濁った赤色が混ざっているのを見れば、あの血がぼくを生かしたことは一目瞭然だ。
そして。あの時ぼくはノーグの血だけを吸い取ったつもりだったけど、どうやら近くにアンジェが流した血もあって、今のぼくにはそれも混ざっているらしい。
……というか、アンジェの血の影響がかなり大きいみたいで、なんだか自分が自分じゃないような感覚がたまにある。ノーグの魔法抜きで体が安定しているのも、あの子の魔力が原因だろう。
「アンジェ……」
ぼくは目を閉じて、記憶にあるあの子の姿を思い浮かべる。
人に怯えているアンジェ。情けなく泣いているアンジェ。自分で倒したシュンカを前に楽しそうに語るアンジェ。崖に向かうぼくを必死に止めようとするアンジェ。
可愛らしく、頼もしい。ぼくが知る中でこれ以上はいないってくらい、あらゆる意味で最高の少女。
ひと目見た時から、ぼくはあの子に興味があった。知り合って、話して、もっと好きになった。
……今になって、あの子が恋しい。
「アンジェのおかげで、ぼくは生きてる」
あの時のぼくは余裕がなかった。ノーグの死で混乱しているのに、自分の寿命も迫っていて、冷静な判断ができていなかった。
アンジェはノーグの仇であるシュンカを倒してくれたのに、ぼくとしたことが、礼のひとつも言えなかった。
「ぼくがこうして研究できているのも、たぶんアンジェのおかげだ。昔はこんなに賢くなかった」
ぼくは手元の紙に目を落とし、自分の研究内容へと思考を戻す。
要因その2。川の水。
ぼくは水の魔物で、水から魔力を吸収できる体質だったから、致命傷を負ってバラバラになっても、水に包まれることでまたひとつに繋がってしまった。
ぼくにとっては天然の治療薬に包まれていたようなものだ。血を吸ったところで、川に落ちていなければそのまま死んでいただろう。運が良いのか悪いのか。
要因その3。魔力異常。
ティルナはもともと魔力に異常が生じる体質だったらしい。それを素体にしたぼくもまた、普通ではなかったのだろう。
普通の生き方ができないなら、普通の死に方もできない。道理だね。
というわけで、今のぼくは7割が元のビビアン、2割がアンジェ、残り1割が川の微生物だ。
こうして比べてみると、アンジェの血痕に含まれていた魔力が尋常じゃない量だったことがわかる。時間経過で劣化しているはずだったのに。
「不思議だなぁ」
本当に何者なんだろう、あの子は。アース村は英雄の村だし、英雄の血が色濃く出たのかな。
あれほどの大魔法使いが山中の田舎村で燻っていたとは、もったいない。マーズ村で暮らすうちに、人の目に留まるようになるだろうから、いつまでも眠れる獅子ではいられないだろうけど。
「はぁ……」
ぼくは長椅子の背もたれにどっしりと体を預ける。
思考の巡りが止まらない。書物から目を離せば、浮かんでくるのは過去のこと。
「みんな、あの後どうなったのかなぁ」
アンジェだけじゃない。ぼくを追って飛び降りてきたニコルや、ぼくを止めようとしたミカエル。2人はきっと、怒っているだろう。迷惑をかけちゃったし、何年も騙していたわけだから、泣いてくれるとは思ってない。
彼らがあの件を村に報告していたとしたら、ぼくの持ち物や暮らしていた痕跡は跡形もなく燃やされているだろう。魔物の生活痕なんて、残しておきたくないだろうから。
ぼくは魔物だけど、ノーグはそうじゃない。だからノーグの所有物は残しておいて欲しいんだけど……ダメかなあ。ダメだろうなあ。長老は堅物だし、魔物が関わっているとわかればすぐに排除しようとするだろうなあ。
あとは、そうだなあ……ジーポントが心配だ。現実を受け入れきれてない感じの、虚ろな顔をしていた。ぼくの裏切りをちゃんと乗り越えられたかなあ。ごめんね、無責任で。
「ジー。エル。会いたいなぁ」
……気が滅入ってきた。また死にたくなりそうだ。
せめて誰かを守って死にたい。ノーグの娘は人のために戦ったと言い伝えられるようにしたい。あの世のノーグには悪いけど、もう少し待っていてほしい。
「強くなって、いっぱい人を助けて、ぼくの名前が村まで届いたら……また会える日が来るかな……」
ぼくがぼんやりと紙束をぺらぺらめくっていると、ちょうどよく使用人の人がやってきて、ぼくに話しかけてくる。
仕立ての良い服を着た、若い男の人だ。見た目が良くて、よそから来た人に貴族と間違われることもあるらしい。
あちこち歩き回って仕事をしているからか、ぼくともよく顔を合わせる。名前は確か……忘れた。
「『群青卿』。前線基地より召集です」
「指揮官はだぁれ?」
「辺境伯です」
辺境伯自ら前線に出向いて、その上でぼくを呼ぶとは。余程の大事件が起きたようだ。
ぼくは魔物であり、都合のいい戦力としても期待されているから、こういうこともある。出向いて戦わないといけないね。
「すぐ行くって伝えて」
「かしこまりました」
使用人は踵を返して駆け足で去っていく。礼儀作法を気にしている場合ではないらしい。
ぼくも紙束をさっとまとめて腰の鞄に詰め込み、外套を羽織ってすぐに書庫を出る。
誰かを守って死ぬ。その意味するところがこれだ。
今のぼくは、悪魔の侵攻から人間たちを守る、領主直属の傭兵でもあるのだ。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ぼくが前線基地に到着すると、戦の準備をしている男たちの向こうで、ニーナがドンと胸を張る。
「群青っ! わたくしを熱波の中に鎮座させるとは、神をも揺るがす戻り鰹め! 沸かしますわよ!?」
「相変わらず独特な罵倒だなぁ」
全身が魔道具でできた、人形のような令嬢。魔物と戦い続けるピクト領の最高権力にして最高戦力。
そして何より、度を超えた変人だ。
彼女は腰まである長い赤髪をなびかせ、上品かつ丈夫な靴を鳴らし、金属の腕を組んで不敵に笑う。
いつもの冗長で格好つけた長話が始まる。ぼくは右から左へ聞き流す心の準備をしながら、ニーナのつるつるした額をぼんやりと見つめる。
「汚らしい肉の首魁たる悪鬼、天を涙させ小麦の生地を嘆きに包まんと……」
ところがいつもとは違い、執事の老人が彼女に代わって横から発言する。
「お嬢様。火急につき、私が代理として連絡いたします」
「むっ。我が言を遮るとは何奴!? なんだ貴様か。任せますわ!」
彼はニーナの忠臣、もとい狂信者であり、普段通りなら区切りの良いところまで話させてから解説を入れるのだが……。
主人の話を途中で遮るなど、日常ではあり得ないことだ。余程事態が緊迫しているのだろう。
ぼくは周りにいる軍人たちが割れて道を作るのを確認した後、そこを通ってさっと距離を詰める。
屋敷のものとは違うささくれだった木の机の上に、繰り返し使われてヨレヨレになった地図が広げられている。
執事は地図の上に置かれた黒い石を指差して、ぼくに戦況を伝える。
「魔王が現れました。確認できた限り、周辺に配下の悪魔が3体。このように配置されています」
悪魔が支配する山脈のふもとに、一際背の高い石がひとつ。そのすぐ隣に悪魔を示す石がひとつ。更にそこから魔物の軍勢が左右に広がり、軍勢に守られた後方に指揮官らしき悪魔の石がひとつずつ。
悪魔らしく、無策だが攻撃的な陣形だ。絶対的な力を持つ魔王が存分に暴れられる配置である。
「(世界最大の穀潰し野郎……)」
アース村を襲ったばかりの魔王め。まだ暴れ足りないとみえる。奴が外に出るのは滅多にないことだと聞いているのに。
「過去に例がない大規模な攻撃です。これより作戦を伝えますので、ビビアン殿も会議に参加していただきます」
「わかった」
ぼくはすぐに頷いて、いつのまにかニーナの隣に用意されていた椅子に腰かける。
ニーナの右側が、今のぼくにとっての定位置だ。周りからもそう扱われている。
戦場で指揮権があるわけじゃないけど、普段のぼくの地位は彼女に次ぐくらい高い。不本意だけど、そういうことになっているのだ。
ニーナは偉そうにふんぞり返りながら、ぼくの独特な色の髪の毛をいじっている。
魔力が逃げるからやめてほしいんだけどなぁ。なんだか楽しそうだから言い出せない。
「群青。此度の戦で、貴様も箔が厚塗りとなるであろう。我が御飯事の一欠片として、申し分なくなる」
「箔があればいいってもんじゃないでしょ」
「否定する。煌びやかであるほど人生安泰であるぞ。石や布の輝き。肉と骨を盛る趣味。そこにあっていいはずだ」
「野蛮人みたいな言い方しないでよ」
ニーナの親族は、ぼくの戦功を喧伝し、貴族に押し上げるつもりでいるらしい。だからこうして戦場に出しているのだ。
やり方は強引だけど、ティルナとの血筋は公表しないでおいてくれるらしいから、これでもだいぶ配慮されている方だと思う。
死にたがりの小娘なんて、普通は要らないはずなんだけどねえ。たぶんニーナの提案だろうな。この人は何をしでかすかわからないし。お気に入りの人形で遊んでいるような気分なんだろう。
「(自分のお人形がみんなに認められたら嬉しい。そういう価値観なのか……?)」
なんとなくニーナの顔を見上げると、彼女は自信に満ち溢れた威勢の良い表情でぼくの肩を叩く。
「これで群青も、我と並ぶ高き山である」
「やだなぁ。これと一緒かよぉ」
「そんな……深き海に沈んでしまいそうだ……」
「山だったり海だったりしないでよぉ。天変地異でも起きてるの?」
正直なところ、貴族になんかなりたくない。魔物の身で責任なんか負えないし、人を顎で使えないし、何より貴族と顔を合わせたくない。
けれどアース村を襲った魔王の手がマーズ村に及ばないとは限らない。ぼくには力が必要だ。ここにいながらにして、遠くの村まで手が届くくらいの権力が。
一応、歴戦の魔法使いとして名を広めるように依頼してある。舞踏会やお茶会には興味がないし、地位を次代に繋ぐ気もないから、武闘派の看板を掲げていこうと思うんだ。
ビビアンという少女をあくまで貴族ではなく英雄として扱い、爵位は勇名にくっついてくるおまけとして受け取るという契約内容で、ニーナ率いるピクト家は了承している。
うまく丸め込まれただけのような気がするけど、妥協させることはできた。商談は成立したのだ。
そういうわけで、今ぼくはニーナの隣にいて、屈強な男たちに混ざって、悪魔と戦う手段を模索しているのである。
ぼくはしょんぼりしているニーナから目を逸らし、地図を囲んで話し合う軍師たちの様子を見る。
「いつも通り、重装部隊を前に……」
「魔王が相手では不足だろう」
「人間の強みは統率力だが……それでも……」
汗臭い部屋で武器や鎧が擦れ合う音を聞くのにも慣れた。元々ぼくの周囲には女っ気が無かったから、それほど嫌な気分にはならない。
喧嘩は好きじゃないけど得意だし、武功を挙げるのも悪くない。みんな血の気が多くて野蛮で冗談が下手だけど、それでも魔物のぼくとも仲良くしてくれている。ここも書庫の次くらいにはいい場所だ。
ただ、今回は雰囲気が少し違う。伝説の魔王の到来とあってか、みんな髭の濃い顔をこわばらせて緊張している。
魔物の襲撃で妻子を失った人。気まぐれな悪魔に村を焼かれた人。借金を返すために来た人。剣を極めるためにいる人。ここに来た理由は様々だけれど、今は一様に武者震いをしている。
「やはり、鍵は辺境伯と群青卿か」
ハゲ頭の大剣使いが、ぼくの方を一瞥する。
彼が剛腕の剣士として名を馳せた小国の英雄であると、ぼくは知っている。そんな彼を魔法の腕で黙らせたのも、もう2ヶ月ほど昔の話だ。
最初はぎくしゃくしていたけれど、何回か戦場を共にしたら打ち解けることができた。彼を指揮官としてその下で動くのが、いつものやり方だ。
ぼくはただ静かに立ち上がって、彼の隣に立つ。
「ぼくは何をすればいい?」
ぼくにできることは、強い駒として盤上に配置されるだけだ。
指揮にも戦術にも明るくない。それでも戦う力だけはあるから、ここにいられるんだ。
話し合いの末、ぼくは押し寄せる魔物の勢いを削ぐべく、前線で魔法を振るうことになった。きっと悪魔と戦うことにもなるだろう。
構わない。いくらでも殺してやる。みんなはぼくの力を頼ってくれているんだ。憎むべき魔物だとわかった上で。
その期待に、応えようか。ぼくが生きる理由のために。
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《ビビアンの世界》
悪魔に宣戦布告の概念は無い。
説くべき人道も無い。暴虐を抑える理性も無い。なんなら仲間同士の結束も無い。
あるのは暴力と、それらがもたらす愉悦だ。弱者をいたぶり強者に挑むために生きている。それが悪魔。
「(力を持つが故に、野蛮に堕ちる……)」
ぼくは到着する頃には、魔王の軍勢が山脈の麓から移動していて、もう魔物が地平線の彼方に見えるほどまで迫っていた。
度重なる戦闘で干からびた荒野。決戦の舞台に相応しい、理想的な場所だ。
「ウオオオオオオ!」
遠くからそんな声が響いてくる。
戦うことしか考えていない、自信に満ちた声。ぼくが配置された右翼側にいる、敵の悪魔の声だろう。
まだ輪郭しか見えないけれど、奴はシュンカらしき魔物に騎乗して、何やら雄叫びを上げている。近くにいたらうるさそうだ。
ぼくらの陣形は鶴翼。本陣の左右から前方に枝を伸ばすように隊列を組んでいる。
枝の部分で攻撃を受け止めつつ敵を引き込み、少しずつ包囲の形に持っていって火力で押し潰す作戦だ。
魔物は単純な突撃馬鹿ばかりだから、うまく受け流せば戦力が集中する場所まで誘導できる。特に本陣の目の前まで誘い込めば、左右の戦力と合わせて一網打尽にできる。
相手が魔物だろうが悪魔だろうが、四方八方から攻撃を浴びせられる状況まで持っていくのが、ぼくらの常套手段だ。力で劣るなら、数を揃えて勝つまでだ。
問題は魔王か。
戦場に出てきたからには、間違いなく暴れるつもりだろう。高見の見物を決め込むような奴ではない。何百年も魔王に蹂躙されてきた人間の歴史がそう言っている。
魔王はある程度満足したら根城に帰る性質がある。だからこそ人間は滅ぼされることなく文明を保っている。魔王からすれば、この街の人間は遊び相手のような認識なのだろう。
もっとも、彼の気まぐれで人間も悪魔も塵のように命を落としていくのだからたまったものではない。遥か昔まで遡れば、魔王を抑えきれずに国ごと蹂躙された過去もある。
魔王と交戦するまでに、どれだけ味方を残せるか。そして、どれだけ敵の頭数を減らせるかの勝負だ。
「来るぞ」
ぼくの隣で、ハゲの大剣士が告げる。
それとほぼ同時に、大剣士が持っている魔道具から声が聞こえる。
「1号接敵! 主戦力、フウカ!」
遠くから戦場を見ている観測班からの連絡だ。
魔物の種類に続き、敵の方角、距離、移動速度などが共有される。
ぼくは頷き、魔道具の外套を脱いで肌を晒す。
左腕と両脚は煌めく義肢。身に纏うは白き布。体から噴き出るはおぞましき魔物の力。
ぼくは義碗を覆う魔力を少しだけほどいて、金属質の輝きを露わにする。
大量の銀と魔法鉱石でできた腕。液体になれる本来の腕ほどじゃないけど、肉の体と変わらないくらい精密に動かせる。
特筆すべきは、内蔵された魔法だ。水魔法以外使えないぼくでも、義手に魔力を注げば色々な魔法を編むことができるのだ。しかも詠唱無しで。素晴らしい。
「(軍備に金をかけるのは、当たり前のことだ。ぼくという個人が大切にされているわけじゃない)」
いい気にならないよう、ぼくは自分を戒める。
まずは作戦通り、土の魔法だ。この辺りには防衛のために魔道具の罠が仕掛けられている。初手でそれを起動させて魔物の動きを阻害する。
ぼくの後ろにも30人魔法使いがいるけど、手数を確保するため彼らの魔力は温存しなければならない。
「土製防陣、起動します!」
ぼくが叫ぶと、魔法部隊の隊長さんが復唱する。
「土製防陣よし!」
戦場におけるぼくの立場は、彼ら隊長格と同等だ。一番上が辺境伯で、次がぼくたち。とはいえ、ぼくに部下はいないから、実質的には隊長より一段下だ。調子に乗ってはいけない。
ぼくの魔力で魔道具の一部が起動して、地形が変化する。
大地が割れて深い溝ができ、石が隆起して鋭い棘になる。地中に埋めてある魔道具も連鎖的に反応して、大規模な変化を生んでいるのだ。
巨大な魔物が相手では殺しきれないけど、最低限の足止めにはなるだろう。速度が緩めば、そのぶん多く魔法を叩き込める。
罠が完全に起動したところで、魔物たちの姿が見えてきた。
速度のある狼のフウカたちが先陣だ。まるで血風が押し寄せてくるような、そんな威圧感がある。『血煙』のシュンカに及ばないまでも、凄まじい迫力だ。
ぼく単体では1体相手でも負けるくらい手強い相手だけど……ここは多数が入り混じる戦場だ。
魔法部隊の隊長が部下たちに指示を出す。
「総員、火の腕、構え!」
魔力を練って備えろ、という内容だ。攻撃をなるべく揃えさせるため、準備から詠唱まで間を置くのがこの軍のやり方だ。
ぼくの後ろで一斉に魔力が高められ、水面のように波打っている。誤射されたらひとたまりもないけれど、そんな心配はいらない。彼らは戦友なのだから。
全員の魔力が十分に集められたのを確認して、隊長は叫ぶ。
「撃てーッ!」
魔法部隊から一斉に『火の腕:ムツ・ミ・アイ』が放たれる。
火の矢が暗い空を駆け、罠を飛び越え、山なりに降り注ぎ、狼たちを次々に撃ち抜いていく。
頭蓋骨を砕いて必殺。背中の骨をへし折り滅殺。後続のフウカを巻き込みながら、次々と屍が転がっていく。
外れた矢も多い。だが地面に残った炎は確実に魔物の動きを鈍らせている。
「炎、有効!」
観測班がそう連絡する。
魔法使いは魔法を編むために集中しなければならない。故に観測班は彼らの目や耳となって補佐する役目も担っている。攻撃が効くかどうかを判断する脳も、彼らだ。
とはいえ彼らが十全に機能するのは開戦時のみだ。隠れているとはいえ、敵に居場所を察知されたら魔道具による通信を妨害されてしまう。
観測班からの連絡を受けて、魔法部隊は後列と前列を入れ替え、間髪入れずに次の攻撃に移る。対策される前に、もう一度炎を叩き込むのだ。
これ以上魔物に近づかれるとまずい。観測班が逃げ出し、情報の有利を得られなくなれば、有効な魔法で攻め続けることができなくなる。攻めるなら今のうちだ。
「総員、火の腕、構え!」
だが次の命令は、観測班の悲鳴でかき消される。
「敵襲……ぐあっ!?」
そして、魔道具を通じて野太い声が響き渡る。
「次ハお前たちノ番ダ。穴ヲ掘って待っとケ!」
言語を理解している敵。すなわち悪魔。
敵将からの、死の宣告だ。
ぼくは血が滲むほど強く拳を握りしめながら、魔道具の義肢に目一杯魔力を注ぎ込む。




