第23話『歩幅の違う距離感』
《ニコルの世界》
私は触手で物をかき集めて、この村に来た時の荷物を鞄の中に戻している。
服を畳んで櫛などの小物を仕舞ったくらいだけど、部屋の中から一気に生活感が抜けていくのを感じる。すっかり元通りの宿屋だ。
旅支度は済ませた。この周辺の地理もだいたい理解している。多少道が変わっていても、以前通った街道はわかるはずだ。後は、この村から逃げ出すだけ。
……そう、逃げ出す。
私はアンジェが安定して生きられるこの村を捨てて、一歩先さえ見えない暗闇に足を踏み出そうとしている。
自分が見ず知らずの男と結ばれないために。そして、アンジェをこの狭い村の中で完結させないために。
「不安だな……」
自分から言い出しておいて、私はもう挫けそうになっている。
これは博打だ。人生の全てを投げ打った大博打。私だけではなく、アンジェを巻き込んで不幸にする未来がありありと見える。
それと同時に、アンジェが能力に相応しい地位を得ている姿もまた、はっきりと目に映っている。
どちらが実現するかは、私たちの努力次第。特に私が足を引っ張るか否かにかかっている。
「(私は薄汚い村娘。でもアンジェはそうじゃない。それを証明したい。アンジェを成り上がらせたい)」
……アンジェの顔を思い浮かべたからか、決意がみなぎってきた。
問題はあとひとつ。マーズ村に挨拶をするかどうかかな。
この村にはお世話になった。私の感情としては、最後に顔見せしてお礼を伝えたり、それが無理でも置き手紙くらいは残していきたい。
でも村のみんなに直接会うと間違いなく反対される。力を隠している都合で、私たちは無力な子供だということになっている。子供を守る意識が強い村だから、私たちを拘束するためにどんな手段に出るかわからない。
それに、私たちを囲い込む理由は他にもある。ノーグさんとビビアンを失った今、優秀な魔法使いを手放したくないはずだ。ただでさえ村がたいへんな状態なんだし。
「(旅に出るのは、村を見捨てるのと同じ……。私がいなくてもなんとかなるだろうけど……気が重い)」
シュンカの死体の回収ついでにこっそり魔石を採掘してきたから、それを差し出せば、多少の埋め合わせになるかな。せっかく仲良くなれたのだから、不義理を働きたくはない。
それに、万が一旅先で失敗をしても戻ってこられるだけの関係は保っておきたい。打算的であんまりいい考え方じゃないけど。
「(よし。アンジェと相談して決めよう)」
私は部屋の掃除をしているアンジェに声をかける。
高い台に登って天井まで綺麗にしようとしているから、落ちそうでちょっと怖い。すぐにでも受け止められるように、触手が手放せない。
「ねえ、アンジェ。置き手紙とか、していきたい?」
「オレに聞くのか、それ……。別にいいけど……」
アンジェは困った様子で魔法の水を消し、掃除を中断して私の方を見る。
そんなに大事な話ってわけでもないから、手を止めなくても良かったのに。アンジェは律儀だなあ。
「オレは村のことをよく知らないし、ニコルの判断に任せるよ」
「自分だけじゃ判断できないから聞いたの」
「じゃあ、ジーポントとミカエルにだけ会って、村には置き手紙。これがオレに出せる最善の案かな。これくらいしか思いつかないだけだけど」
アンジェは土魔法で石板を作って、筆記用具と共に渡す。これに書き残せってことかな。
硬くて人間の力では書きにくいけど、私の龍の爪なら簡単に削れるみたいだ。こっちで書こう。
「あ、硬すぎた」
アンジェがちょっとだけしょんぼりしてるけど。
……置き手紙の内容をコソコソ覗き見しながら、アンジェはぼそぼそと考えを伝えてくれる。
「ジーポントとミカエル。あの2人はオレたちが出ていくまで秘密にしてくれるだろう。なんとなくだけどわかる」
ビビアンを失ったばかりの彼らが、私たちの無謀な挑戦に反対しないというのは少し意外だ。
「友達がいなくなったばかりだし、きっと止めようとすると思ったんだけど、違うの?」
「うーん。どう言えばいいのかわからないけど、大人というより、その手前……つまり、オレたちと同じ挑戦者に見えるんだよ」
「同じ……?」
「うん。2人とも見習いになって、大人になるために挑んでる。前向きな別れだって伝えておく必要はあると思うけど、最後には賛同してくれるはずだ」
アンジェはあの2人よりも大人びた表情で自嘲する。
「ちょっと消極的で打算的だけど、あの2人なら、オレたちが無様に戻ってきても村に受け入れてくれそうだし。もし誰かに言うなら、あの2人かなって」
村の中に味方を作っておきたい。失敗した時の保険を用意しておきたい。
私と同じようなことを、アンジェも考えている。なんだか私がアンジェと同等になれたみたいで、嬉しいな。
私は火照る頬を分厚い石板で隠しながら、アンジェに頭を下げる。
「ありがとう。そういうことなら、私もそうするよ」
「オレの案でいいの?」
アンジェは目をパチクリさせている。
……私も別に、2人のことをよく知ってるわけじゃない。他に目的がある旅行の途中で、ちょっと遊んだことがあるくらいだ。顔と名前は一致していたけど、それ以上じゃない。人となりをしっかり理解できているか、今でも自信がない。
「アンジェの方がよく知ってると思うよ」
「そう?」
「そんなものだよ。アンジェの方が体験が濃いもん」
アンジェは「そういうものかなあ」と言いながら俯いて考え始める。
なんだか私という人間の不出来な部分を凝視されているみたいで、あんまり良い気分じゃない。駄目な私をアンジェに見せたくない。
だから私は、露骨だけど不自然じゃない方向に話題を逸らす。
「あ、書き置きの文面も一緒に考えてくれる?」
「それはニコルが一人でやる方が良いと思う……。でも、オレにも読ませてね。ちょっぴり気になるから」
そう言って歯を剥き出してニカっと笑うアンジェ。
無垢な信頼。無条件の愛情。
「ふふっ……」
私は鼻息を荒くしつつ、気合いを入れて石板に取り組み始める。
これくらいの興味が、他の人に対しても湧いて来る人間になりたかった。心の何処かでそう思いながら。
〜〜〜〜〜
《ジーポントの世界》
ビビアンの死を、まだ俺は引きずっている。
前を見なきゃ、何かをやらなきゃ、あの崖の下に置いてきたビビアンに足を掴まれてしまいそうで……。そんな悪夢を何回も見てるから、本当に切羽詰まってるんだ。
職人になりたいと思ったのは、元から興味があったのと、ノーグさんがいなくなって、村でそういう働きをする人が減るかもしれないからだ。
ノーグさんの作品を最後に、村から魔道具が消えたり、伝統工芸が無くなったりすると、俺は悲しい。
だから俺が、この村の力になりたい。俺なんかじゃ足りないかもしれないけど、それでも欠けた部分を補いたい。
ミカエルも魔道具職人になりたいと言っていたから、たぶん同じ気持ちだと思う。ノーグさんがいるうちに弟子入りしておけばよかったって、後悔していた。
……ビビアンの悩みはわかってなかったし、今もまだわからないままだけど、せめてミカエルの事はちゃんとわかるようになりたい。もう友達を失いたくないから。
「……ビビアン」
俺は部屋にある物を観察して、どうやって作られたのか考えながら、ビビアンがそれを見てきゃあきゃあ笑っている幻を見る。
ビビアンがああした理由は、俺にはさっぱりわからない。ノーグさんは凄い人で、ビビアンも懐いてたとは思う。でも、何でビビアンまで死ぬ必要があるんだよ。ノーグさんがあの世で悲しむだろ。
俺にとって、ビビアンは大切な人だった。今だからこそ言えるけど、最高の友達だった。
……あいつ以上の友達が、これから先、できるのかな。
「お邪魔しまーす」
お客さんが来て、家族が出迎えていたらしい。全然気が付かなかった。
部屋を出て玄関の方を見ると、真っ白なニコルと真っ黒なアンジェがそこにいる。
いつ見ても目立つ2人だ。2人がとんでもない美人だってことは、あんまり女の子を見たことがない俺でもわかる。村のおばさんたちが若い頃でも、こうではなかったはずだ。
特にアンジェは……なんというか、綺麗な雰囲気が漂っている。いつも周りを見渡してびくびくしているから頼りないけど、しゃきっと前を向いて黙っていれば、小さな村の出身だなんて思われないだろう。実はこの国のお姫さまだって言われてもみんな納得しちゃうと思う。
ニコルは村で1番の美人って感じで、マーズ村にいてもおかしくないような見た目なんだけど……何処から来るんだろう、この違いは。雰囲気かな。それとも表情?
「(ニコルって、いつも自信なさそうだよな……。なんでだろう。美人なのに)」
ニコルが俺の両親をひとまとめにして話し相手をしているうちに、アンジェは俺の方を見て、さっと近寄ってくる。
「ジーポント。きみには個室があるんだって?」
「え? あるけど、どうした?」
「入れて。子供部屋とやらに興味がある」
そういえば、アース村には子供部屋が無いという話を聞いた覚えがある。大部屋がひとつだけあって、そこでいつも過ごすらしい。
珍しいものを見てみたい、ということかな。俺にとってはなんてことない、ただの散らかった部屋なんだけど……。
あ、思い出した。まだ掃除してなかった。ゴミとか着替えが床に落ちてなかったかなあ。先に見ておいた方がいいか。
「いいけど、後でな」
「急ぎだから今入れて。お願い」
アンジェは両手を胸の前でピッタリ合わせて、上目遣いでお願いしてくる。
……そんな仕草をされると断りづらい。突っぱねたら俺が酷いやつみたいになるじゃないか。
まあ、見られて困る物なんて無いし、別にいいか。
「しょうがないなあ。ちらかってるけど、文句言うなよ?」
「やったあ!」
俺はほんのちょっぴりの恥ずかしさを胸の中に押し込めて、建て付けの悪い扉を開ける。
ギシリと蝶番が軋む音。それが鳴り止まない間に、アンジェは素早く飛び込んで部屋の中でくるくる回り始める。
「おお……これが子供部屋! 実物はすごいね!」
話には聞いていた、と言いたげなアンジェは、ちっちゃな手を頭の上まで持ち上げて喜んでいる。
俺の部屋にはビビアンに渡されたサナギ付きの木の棒や、蹴って遊ぶ球、壊れた人形、勉強用の木材の見本なんかが並んでいて、ごちゃごちゃしている。
アンジェはまだ幼いらしいから、見たことがない物も沢山あるだろう。見た目は5歳ちょっとくらいだけど、ほんとはいくつなんだろうな。
アンジェはちょっと賢そうな目つきになって、ぶつぶつ呟きながら部屋を探索している。
「あれは、この周辺の植物の幹……枝……葉……樹齢は50年程度……」
「じゅれい?」
俺が聞いたことのない単語が出てきた。大人の先生からも教えてもらっていない単語だ。驚いてついアンジェに聞き返してしまった。
俺よりたぶん歳下なんだから、いくら頭が良くても、なんでも知っているわけじゃないだろう。だけどアンジェなら、答えを教えてくれそうな気がしたんだ。
「樹齢とは、木の年齢だよ。年輪の間隔や幹の太さ、樹皮の厚さ、枝の数、魔力の含有量や魔力抵抗などを調べれば、それがわかるんだ」
まるでたまに村に来る学者さんの旅人みたいに、アンジェはすらすらと答えてくれる。
最初に見た時の姿だ。頭の良いアンジェだ。カッコいい。シュンカの時もそうだったけど、アンジェは凄い。マーズ村にこんな奴は他にいない。
表情とか口調から男っぽい雰囲気がする。それなのに指とかほっぺたとか柔らかくて、何処をどう見ても女の子にしか見えない。なんか、上手く言えないけど、完璧な生き物を見ている気分になる。
俺はたまらなくなって、気になっていたことを次々にアンジェに質問する。
「ここに生えてる苔、なんて名前なんだ? 気になってたんだけど、誰も知らなくてさあ」
「苔じゃないね。キノコだ。カビとも言う」
「えっ? カビなのか? それともキノコ?」
「同じ物だよ。キノコの形をしてるカビがキノコだ」
苔のフリをしていたキノコ……ってことか?
よくわからない。アンジェの話は、簡単なようで難しい。
そのカビなのかキノコなのかよくわからない物体を魔法で取り除いてもらった後、俺は次の話題に移る。
俺が聞きたい話じゃなかったからか、なんか気まずい。面白い話をして口直しがしたい。
俺は木工の先生に教わって作った木箱を手に持って見せる。
「これ、俺が作ったんだけど、どう?」
「小物入れだね。木製……ふむ。与えられた材料を、本当にただ組み立てただけ……。まあ、最初はこんなもんじゃないかな。文字通りの形からって感じで」
「……まあ、そうだけどさ」
あんまり褒めてはくれないみたいだ。なんか、俺に教えてる先生より厳しいな。あの人は厳しいけど、何かひとつ終わらせればそのたびに褒めてくれるから。
……もしかして、頭が良いってことは、俺なんかよりずっと大人に近いってことなんじゃないか?
じゃあ、褒められなくてもおかしくはないのか? 箱の出来で叱られたり、葬式の道中で魔物から守られたりするのも……当たり前なのか?
なんだか……自信がなくなってきた。
「そうか……あんまりか」
俺はだんだん気分が落ち込んでくる。よその村の凄い奴と知り合えると思って、馬鹿みたいにはしゃいでいた頃が懐かしい。
アンジェは俺より幼いはずなのに、俺が仲良くするにはちょっと賢すぎる。
それでも、友達にはなれなかったとしても、俺はアンジェと仲良くありたい。仲良くなれないのが、なんか悔しい。
だから何とかして話の種を見つけてきて、アンジェの前に差し出す。悩んだ後に手に取ったそれは、ビビアンから貰った物だ。
「このサナギ、いつ孵るんだ?」
「これは……あー、気の毒に。蛹化不全だね。顔だけ幼虫のままだ」
アンジェの話によると、サナギになるための脱皮に失敗して、幼虫の部分が残ってしまっているそうだ。
蝶になっても頭だけ幼虫のままで、餌を食べられず、ろくに飛べもしない、死を待つばかりの個体になってしまう……らしい。
あの時のビビアンが拾ってきたのが、そういう理由だったのかはわからない。ビビアンのことだから、サナギの様子がおかしいことには気付いていたかもしれないけど……その先どうなるかは、知らなかったと思う。
「春だし、気温も良好。寄生虫もなし。魔力の異常はあるけど……数日のうちには羽化するよ。まあ長くは生きられないけどね」
アンジェは特に気にしていない様子で、当たり前のようにそう言って、他のものに興味を移す。
アンジェは案外そっけないのかもしれない。それとも、こうして色々な物に目移りするから、物知りになったのかな。
俺は今まで大して気にしていなかったサナギに目を奪われている。
……長く生きられないことが決まっている体。その短い命を、蝶になれなかった蝶はどう使うんだろう。
蝶が何を考えているかなんてわからないけど、生きるために必死で戦うのかな。それとも……生きることを諦めてしまうのかな。
「(死ぬな。死なないでくれ。これ以上、死に触りたくない)」
俺は何となく、少しでも長く生きていてほしいと、そう願った。
〜〜〜〜〜
アンジェは本題である村の外に旅立つ話を伝えられず、ジーポントの部屋まで来ておきながら、未だに回り道を続けている。
目に映る品々に知識の海を適応させて、話し出すきっかけを探している。
「これは人形だね。たぶん大魔導師アリアンロッドの姿を模した……そう、『銀の螺旋』が二つ名だ。この物語はミストルティア王国西部で有名な話で、かつて隣の帝国が攻めてきた時に……」
英雄譚が大好物であるアンジェとしても、この手の知識に触れるのは極めて楽しい行為ではある。だが、別室でニコルを待たせているのだ。そろそろ逃避行動をやめにしなくてはなるまい。
「(怖いなあ。嫌われたくないなあ。村を出る前に、仲良しになりたい……)」
アンジェは楽しい楽しい英雄譚から、強引に身の上話へと軌道修正する。
「……さて、ジーポントくん。オレもそんな伝説を探しに行きたいと思っている」
「えっ?」
「オレは、ニコルと一緒にこの村を出る。……内緒だぞ」
突然話の流れが変わったことを察したのだろう。ジーポントはぎょっとした様子で部屋を整理する手を止め、アンジェの方を振り向く。
「伝説を探しにって……冒険するって、こと?」
「そうだ」
「無謀……いや、アンジェは出来ないことなんかしないよな……」
ジーポントはアンジェの意図を汲んだようだ。
察しが良すぎる気がする。また、冒険に対して根拠のない夢のようなものを抱いている様子も見られない。
身近の人の死という経験を積んだからだろうか。歳の割に冷静な反応だ。前例でもあったのだろうか。
「(……そうだ。そういえば、ビビアンもかつては旅人だったのか。出会ったばかりの頃には、よくそういう話をしていたに違いない)」
ビビアンが旅を不快に思っていなかったなら、ジーポントもまた、旅に対して否定的にはなるまい。
「アンジェはこの村で暮らさないのか?」
「うん。ここじゃない何処かを、探しに行く」
「危ないこともあるって、ビビアンは言ってたぞ」
「危ないよ。でも、こうするしかないんだ」
悪魔である我々がこの村で暮らし続けるのは、ビビアンへの対応を見た後でも恐ろしい。
彼女は自ら死を選んだからこそ受け入れられたが、あのまま生き続けていたらどうなっていたことか。良くても排斥、最悪の場合は暗殺だろう。
そこにこの村の囲い込みを行う風習やニコルの提案が合わされば……この村に留まる理由はほとんどなくなる。
そう、こうするしかないのだ。この村からの嫌悪以上に避けるべき事態は無いはずだから。
「ジーポント。詳しくは言えないけど、オレたちは死にに行くわけじゃない。永遠に会えなくなるわけじゃないし……」
「そんなの知ってるよ!」
ジーポントは不貞腐れた子供のような、濃い感情が混ざり合った顔をしている。
初めての子供らしい反応だ。理屈ではない、感情に根ざした返答。
それでも、悩んでいるわけではなさそうだ。そこからもう一歩進んで、引き止めたいと言う自分の心を、自分の頭でねじ伏せている段階か。
そして、部屋をぐるりと見回して、何かを諦めたようなすっきりした顔で微笑む。
「わかった。元気でな」
考えた末に出た彼の返事は、あっさりとしたものだ。
縁を途絶えさせないための挨拶に来たはずだったのに。お互いに対する理解は確かに進んだはずなのに。
話す前よりも、なんだか疎遠になったような気がする。
アンジェはジーポントの表情に距離を感じ、無性に寂しい気分になる。
「(想定していた通りの流れではあるけど、ちょっと展開が早すぎる。もう一悶着あると思ったのに)」
アンジェは石ころのように小さな手を胸に当てて、ぎゅっと握りしめる。
「(オレとジーポントは、たった一言で別れてしまう程度の仲だったのか?)」
自分はまた、人との関わり方を間違えたのだろう。話したのがニコルなら、もっと惜しまれたのだろう。抱き合って涙を流し合うくらいはしたのだろう。そうなれなかった自分が情けない。
アンジェは劇的でも感動的でもない別れに、己の不甲斐なさを感じる。
〜〜〜〜〜
《ジーポントの世界》
俺はアンジェを連れてミカエルの家に向かう。ニコルも一緒だ。
俺までついていく必要はないはずなんだけど、なんとなくミカエルに会いたい気分だったから、ついでに遊びに行くことにした。
アンジェは俺よりずっと歩くのが早い。何故かわからないけど、ぴょんぴょん跳ねるみたいに進んでいる。森の小動物みたいだ。
そうして時々俺を追い抜いてしまって、不安そうにこっちを振り向いてくる。
「ごめん、慣れてなくて」
うん、やっぱり小動物だ。ウサギ……じゃないや。もっと小さいな。リスかな。
ニコルが後ろの方で笑顔になっているのがわかる。動物が好きなんだろうな。優しい人だし。
……ああ、そうか。たぶん、俺が遅いんだろう。アンジェは早足だけど、村の大人くらいだし。自分より大きな人に合わせ慣れているんだ、きっと。
「(アンジェは大人に合わせられる奴なんだ。俺はそんなこと、したことなかったな……)」
早く大人になりたいなあ。後ろにいるニコルみたいな人になりたい。俺とそんなに変わらないのに、みんなに好かれて頼られる人になりたい。
そうすればきっと、全部うまくいくはずなのに。今の俺みたいに、うじうじ悩んだりしなくて済むのに。
そうしているうちに、俺たちはミカエルの家に着く。
なんでかわからないけど、ミカエルは外で待っている。
「あ、ジーだ」
勉強で忙しいはずなのに、どうしてここに……。もしかして、気晴らしに遊びに行こうとしてたのかな。
「何かあったの?」
ミカエルは俺たちの顔を見て何を思ったのか、真っ先にそんなことを聞いてくる。
こいつはまあ、気づくよなあ。そういう奴だし。
アンジェは俺にしたのと同じ話をする。
すぐにでもこの村を出てしまう、と。残念そうだけど、ちゃんと考えたらしい雰囲気でそう言って。
ミカエルは最初こそ驚いていたけど、話を聞くうちにだんだん落ち着いていく。
「たぶん、みんな困るよ?」
アンジェの話が途切れた時、ミカエルはじっとりとした赤い目を向けて、ぽつりとそう言う。
「村が豊かになるぞって、長老が張り切ってたらしいし。長老は魔法をよく知ってるし、僕も魔法を勉強し始めてアンジェの凄さがわかったから……」
「ごめん。埋め合わせになるかわからないけど、魔石をニコルが採ってきたから……」
「うまく言えないけど、アンジェもニコルもアース村の人だし……。マーズ村に長く居るつもりで来たんじゃないなら、そうなるよね。僕たちがわがままだったんだ」
やっぱりミカエルは俺が考えていることをぴったり言葉にしてくれるから、話が合う。
そうだ。俺たちはアンジェとニコルを引き留められないんだ。まだ2人がマーズ村の人じゃないから。いや……俺たちと2人が友達じゃないから。
もしかすると俺は、本当は村に受け入れる気なんて無かったのかもしれない。外から来て外に出て行く人として接していたのかもしれない。自分でもわからないうちに。
「(外から来た凄いやつ。頭が良くて凄いやつ。それ止まりだ。遠巻きって感じがする。友達になりたいなら、俺からもっと近づいた方が良かったのか?)」
アンジェはただ、黙っている。ニコルもそうだ。謝ることもできないなら、言えることなんかない。
俺も何も言い出すことができない。2人を止める言葉が見つからない。止めていいのかもわからない。送り出した方がいいんじゃないかとも思っている。
ミカエルは……怒っているんだろうか。村にいて欲しいのかな。俺も旅に反対した方がいいんだろうか。でも……。
俺たちがだんまりでいると、ミカエルはそっと、気遣うような感じで提案する。
「だからってわけじゃないけど、ひとつだけお願いがあるんだ。今日はそれを言いに行こうと思ってた」
「なに? 出来る範囲でなら、なんでも聞くよ」
謝りたがっているらしいアンジェがちょこんと前に出ると、ミカエルはいつもみたいな、にへっとした笑顔になって言う。
「魔法を教えてほしいんだ。簡単なやつでいいから」




