第22話『この時この場所から逃げる度に』
《ニコルの世界》
ビビアンの死から3日が経った。
私はシュンカの在庫を保管するための小屋を建てる手伝いをしながら、その間にあったことをぼんやりと思い出している。
「慌ただしかったなあ」
ビビアンの死が知れ渡ると、マーズの村のみんなは嘆き悲しみ、あの場に同行した大人たちを責めた。
自ら死を選ぶほどビビアンが苦しんでいたのに何をしていたのか。淡々と儀式を終えれば万事どうにかなるとでも思っていたのか。そもそも旅は危険が伴うものだ。目を光らせて守るべきだったはずだ。
主に村長が矢面に立って、そんな非難を受け止めていた。たぶんあの人は、責任を負ってどんな罰でも受けるつもりだったと思う。
私とアンジェは必死になって擁護した。村長は確かに何もできなかったけど、それはビビアンが周到な準備をしていたからだと主張した。
魔物だったとは口が裂けても言えないから、隠し持っていた魔道具を使って私たちを退けたことにした。実際にノーグさんの家の物置に不自然なほど空きがあったらしいから、都合よく勘違いしてもらえた。
ビビアンの葬式は行われなかった。燃やせる遺品はほんの少しだけあったけど、ジーポントとミカエルが火葬を拒否したからだ。何もないからっぽのお墓が立てられて、それで終わった。
あの子が着ていた奇妙な服の数々は、ミカエルが引き受けた。彼はビビアンの死に何を感じたのか、魔法の勉強を始めたのだ。村の大人に教わりながら「ノーグさんが生きているうちにやっておけば良かった」と後悔していた。
アンジェも服の構造について調べて、効能を紙に書いてまとめたりしていた。私は読んでみたけど、ちんぷんかんぷんだ。
アンジェとミカエルは、服を着たり眺めたりしながらこんな会話を交わしていた。
「前の服、ボロボロだったじゃん。今の方が似合ってるよ。可愛いし」
「可愛い……。オレが?」
アンジェはぶかぶかな服を身につけて、顔を真っ赤にしていた。
「そっか。オレ、可愛いんだ……。えへへ」
最近のアンジェはいよいよ中身まで女の子になってきていて、本当に可愛い。妹にしたい。娘にしたい。お嫁さんにしたい。嗚呼、アンジェ。
……おっと、冷静に冷静に。
ノーグさんの遺品は村長が管理していたから、場所を取る家財道具はそのまま村の所有物になった。引き取り手がいないから、みんなが使う集会場にでも置くことになるらしい。財産を腐らせるのはもったいないからね。
それら以外の小物はジーポントの手に渡った。日常的に使える物や、置いていても家の邪魔にならないものだ。幼い頃にビビアンと遊びで作ったよくわからない人形とか、家の入り口に飾ってあった花瓶とか。
近況はそんなところだ。
「はあ……。2人とももう平気なんだなあ」
風邪でも引いたかのような顔をして大人たちに従っているジーポントを、私はそれとなく見つめる。
ジーポントは工芸や建築を学ぶつもりらしい。今も私の目の前で実物を見ながら木材の勉強をしている。
友達が死んだばかりなのに、悲劇の中にいるような雰囲気はしていない。むしろ一皮剥けて成長したような様子だ。
やんちゃだったあの子たちが、友達の死を受け止め、大人に混じって働いているのを見ていると、なんとなく寂しい気持ちになってしまう。おいてけぼりにされたような感覚だ。
私はまだ子供なんだろうか。この村の誰よりも。
「おーい、ニコルちゃん。これ、帰りがけに宿まで運んでもらえるかな」
男の人が雑多な荷物を乗せた車をひいて私の前に持ってくる。宿の維持に使われている小物が多い。雑巾にするための要らなくなったボロ布とか。
……やっと帰る時間になったんだ。退屈すぎて時間の感覚がおかしくなりそうだ。
「わかりました。管理人さんに渡しておきますね」
私は目の前の大人を見上げて、そう答える。
重そうでガタガタした荷車だ。担いで運ぶことにしよう。
ろくに舗装されてないし、車輪を転がすよりこうした方が早い。一刻も早くアンジェに会いたいし、多少重いのは我慢するべきだ。
「うわあっ……な、なんだありゃあ」
「何って、ニコルちゃんだよ。知らねえのか?」
「いやあ、いつものことだけどよお……毎度毎度、たまげるなあ。今度は車かあ。オラも力持ちになりてえなあ」
通りすがりの人たちが腰を抜かしているけど、そんなの今更だ。私が怪力を持っていることはもう広まっている。
腕っぷしがいくら強くても、守りたい人すら守れないようじゃ意味ないんだけどね……。
そんな私の姿を見て、普通なら聞こえないくらい小さな声で、後ろの村人がぽつりと呟いた。
「村にいてくれれば楽なのになあ。どうして縁談受けないんだろうな」
「嫁の貰い手なんざ、いくらでもいるだろうになあ」
縁談。
この村の人と。
誰とも知れない男の人と。
「うっ……」
荷物を投げ捨てて耳を塞いでしまいたい。そう思いつつ、私は駆け足でその場を去った。
〜〜〜〜〜
アンジェは宿の壁にあけた穴を自分で塞いだ後、この村に滞在している旅人たちの手伝いをして回っている。
お駄賃を得るためであり、限りあるシュンカの素材を高く買ってもらうための接待でもある。
掃除洗濯料理などの家事は勿論、魔道具への魔力の補充、靴や衣服の修繕、大雑把な散髪など、知識の海を生かしつつ献身的に働いている。
ある時は財布の紐を緩めない中年の商人に、冷や汗をダラダラ流しながら懸命に媚を売る。
「靴磨きですか。お安い御用ですよ。こういう仕事をする孤児は都会の名物ですからねえ。旦那さんもなかなか繁盛してそうですし、一度は目にしたことが……あ、その通りです。オレも孤児ですよ。湿っぽい話をするつもりはなかったんですけどね……ぐすっ」
泣き落としのような真似をすれば同情して金を出してくれる。そう学んで以降は、なかなか良い付き合いが続いている。
またある時は、秘宝を求めて旅をしてきた若い剣士に向けて擦り寄る。
「すごいすごい。そのピクトってところの話、もっと聞かせてください。今も魔王と戦ってるなんてすごいなあ。あっ、お兄さんは冒険が好きで……。防衛は退屈……。ま、まあ、感じ方は人それぞれですよね。お兄さんは広い世界に飛び出したんですから、枠組みに囚われない大きな人になりますよ、きっと。たぶん」
故郷の街では弱小扱いだっらしく、少し褒めるだけで面白いようにデレデレしてくれる。
このような調子で、アンジェは金持ちから小遣いを徴収している。
なんとなく雰囲気で合わせているだけなので、相手の顔や話の詳細は数日で忘れてしまう。接待ではあるが出会いではないのだ。
だが、詐欺を働いているわけではない。ただ相手を喜ばせて良い気分にさせているだけだ。そもそも受け取る金額に見合うだけの仕事はちゃんとしている。むしろ相場より安いくらいだ。
「(オレは騙していない。せこい稼ぎ方なんかしていない。良心の呵責を感じる必要なんかないんだ)」
そう自分に言い聞かせながら、アンジェはいたいけな少女として周囲に取り入る。
マーズ村の長老を避けて、この静かな宿に長く泊まり続けるため、少しでも金銭を得なくてはならない。タダ飯食らいと呼ばれないためにも、働かなければ。
こうしてアンジェは入れ替わりが激しい宿場で、次から次へと金銭を巻き上げていった。
勘の良い魔法使いに「悪魔である」と気づかれかける事があったが、そのたびになんとか誤魔化して切り抜けた。
人に優しい悪魔など、本来は存在しないのだ。あり得ないと思わせる事ができれば、アンジェの勝利だ。
……こうして。
そのうち肝心のマーズ村からも「宿屋の看板娘」と呼ばれるようになり、すっかりマーズ村の住民になるための外堀が埋まってしまった。
〜〜〜〜〜
月日が過ぎ、季節の境目に差し掛かる。
春から夏。落葉樹の緑が濃くなり、畑に現れる虫の種類が変わり、そして何より、ノーグとビビアンの死による痛みが癒えかけている。
相変わらず、2人とも忙しい毎日だ。村人たちとの交流を避けつつ、技術関連の便利屋のようなことをして過ごしている。
近頃のアンジェは、ノーグの穴埋めとして魔道具の整備を任されるようになり、村との接点ができ始めている。いつまでも宿に引っ込んではいられなかったということだ。
ニコルの方はというと、村人全員の顔と名前を覚えて、すっかりお馴染みになったようだ。大工仕事の長から、傘下に入らないかと誘われているらしい。
生きるための仕事。生きるための交流。この村はかなり裕福だが、それでも村社会の掟からは逃れられないのだろう。
人見知りのアンジェと、屋内暮らしが長かったニコルは、おせっかいで図太い村人たちに囲まれて、少し疲れ始めている。
さて。
今日は土砂降りの大雨。強風が窓を叩き、遠くで雷も落ちている。宿の薄い壁が破られないか心配だが、魔法で補強したので問題ないと信じたい。
ニコルは暗い室内で、体からにょきにょきと木の枝を生やして遊んでいる。きっと魔法の練習だろう。
一見非効率に見えるやり方だが、こうしているうちにいつのまにか成長しているのがニコルだ。要領が良いのだろう。
「昔から雨は好きなんだけど、ここまで酷い天気だとちょっと怖いね」
そんなことを言いながら、ニコルは自分の体から生み出した植物で、服の濡れた部分から水分を吸収している。
ニコルは長い修業を経て、触手を擬態ではなく完全な植物に変えられるようになった。見た目がマシになった点はもちろん、特殊な魔法と言える範疇に収まったのは大きな進歩である。
こうした植物の魔法に目覚める人間は、稀ではあるがそれなりに存在する。悪魔ではないかと人に怪しまれたら、魔法だと言い張れば良いのだ。
アンジェは旅人たちから貰ったガラクタを知識の海で検分して遊びながら、ニコルと会話する。
「もし雷が当たったら、オレたちでもひとたまりもないだろうね」
「そうなの? 一瞬だし、耐えられそうだけど」
「どうかなあ……。魔王くらいじゃないかなあ、平気な顔できるのは」
知識の海にチラリと映った情報によると、高位の悪魔は雷撃を生み出し、自在に操ることもあるらしい。あくまで彼らの場合だが、雷をうっかり自分に当ててしまっても効かないのだ。悪魔というものはまことに厄介な生き物である。
するとニコルは、座った姿勢のまま目にも留まらぬ速度でアンジェに近づき、吐息がかかるほどの距離までやってきて尋ねる。
「魔王って、どんな奴なの?」
そういえば、話したことがなかったか。思い浮かべることすら苦痛なので、無意識のうちに話題にすることを避けてきたのか。
アンジェは自然と顔が引き攣っていくのを感じながら、いつもより数段低い声で返答する。
「野蛮な悪魔どもの頂点。暴力でしか自己表現ができないクズ。あんな筋肉馬鹿に知的生命体を名乗ってほしくない。世界に謝れウジ虫野郎」
罵倒。罵倒に次ぐ罵倒。知識の海で覗き見ても、そのような言葉でしか表現できない。奥歯がぎりぎりと鳴り、歯茎が痛む。手のひらに爪が食い込んで血が滲む。
許せない。姿を思い浮かべるだけで虫唾が走る。
「(よくもみんなを。よくも村を。よくもニコルを。絶対に、絶対に許さない)」
アンジェは煮えたぎる熱湯の中を無我夢中で泳ぐかのような心地で、どうにか知識を得る。
「奴は悪魔が持つあらゆる魔法、あらゆる武芸を求めているらしい。ただ強くなるためだけに」
「悪魔も強くなりたいって思うんだね……」
「実際にどんな魔法を使うは、よくわからない。知識の海にも無い。でも、あらゆる知識を得られる立場にあるのは確かだ。だって……」
アンジェは俯き、自分の頭皮を強く掻きむしる。
何本か毛が抜けて、落ちていく。傷がつき、爪の間に血が入り込む。頭の外側に走る痛みが、内側の疼きを相殺してくれる。
痛みを痛みでかき消すなど、愚かでしかないが……それでも、一時の救いにはなる。
「オレに与えられるくらいだから、魔王も持ってるはずなんだ。今のオレにとっての、最大の武器を」
「……そっか。アンジェの知識の海も、そうなんだ」
本人か、配下か、それとも両方か。誰かは知識の海を持っているはずなのだ。
我々を悪魔に変えた薬。あれが悪魔たちの魔力から精製されたものだとすれば、尚更。
ニコルは近くで落ちた雷をまるっきり無視して、アンジェだけを見つめている。
大きな胸に手を当てて、その中につっかえている何かを言い出そうとしている。
ニコルはいつもこうだ。アンジェの預かり知らぬところでひとりで悩んで、ひとりで抱え込む。秘密主義なのだ、この幼馴染は。嘘が下手だからこそ、本当のことも言おうとしないたちなのだ。
「……ニコル。いいよ、なんでも言って」
自分の言葉一つで全てを打ち明けてくれるとは思っていない。
それでも、アンジェはこう促すことしかできない。他にうまいやり方が思いつかない。
最近は他人と会話ができるようになってきたが、それでも傷心の乙女を慰める方法は掴めないままだ。
ニコルはアンジェが持っているガラクタに目を向けて、そして提案する。
「正直に言ってほしいんだけど……アンジェは、この村から出たい?」
「出てもいいかなあとは思ってるよ」
知識の海が正しいかどうか確かめたい。自分の限界を知りたい。ビビアンのような友達を作りたい。そういった意思はアンジェにもある。
「旅に出たいって、顔に書いてあるよ」
確かにそうだ。その通りだが……。
微笑むニコルに、アンジェは尋ねる。
「ニコルは、旅に出たいの?」
「……うん。アンジェと一緒に村を出るよ」
ニコルとは思えない発言だ。意図が読めない。
安定したマーズ村で暮らしていけばよいではないか。人生全てを投げ出してでも旅に出たいと思う人ではなかったはずだが。
アンジェは隙間風を浴びながら、窓のそばにいるニコルに近づく。
「旅はもう、したくないんじゃないの?」
「……これは村のみんなに言われたことなんだけど」
ニコルはアンジェの丸く小さな膝に手を乗せて、逃げ道を塞いでから告げる。
「この宿は私たちのものじゃないから、そのうち何処かの家に迎えてもらわないといけないの。正式には村の外の人向けの設備だから、いつまでも居座られると気持ち悪いの」
「うん。……うん?」
感情的な内容ではあるが、筋が通っている。筋が通っているが、どことなく感情的である。
2人は最初にここを訪れて以降、なし崩し的に滞在し続けてしまっているが、宿は本来、旅人が一時的に腰を下ろすための休憩地点でしかない。村の一員が拠点とするべき場所ではないのだ。
マーズ村の視点では、家の玄関付近で見知らぬ子犬が右往左往しているように見える……ということだろうか。家に入れるか追い払うか、選ばなければならない。そういうことだろうか。釈然としないが。
戸惑うアンジェに向けて、ニコルは追撃のような一言を告げる。
「この前、私たちを誰の家で引き取るか決めるための会議が行われたみたい」
「ひっ!?」
「養子として受け入れてもいい人を何人か募って、その中から選ばせるつもりだって。長老が苦手なアンジェのために、掟破りの特別……だそうです」
ニコルは噂話の過程でそれを聞き出したようだ。あるいは、村の方も言う機会を待っていたのかもしれない。
「このままだと誰かの家に行くことになる。そうなると面倒を見られることになって、監視もついて、旅支度をする暇がなくなる。今ほど整った条件で村を出ることは、叶わなくなるの」
「……もう、時間がないのか」
「そう。旅に出るつもりなら、今のうちに決めないといけない。……それとも、この村で知らない人の養子として生きたい?」
子供を諭す親のような……優しさの中に、誘導したいという意図を感じられる口調だ。
アンジェは悩み、自分を見つめ直す。
アンジェにとって重要なのは、ニコルだ。ニコルがそばにいるかどうか。ニコルに幸福な未来が待っているかどうか。それがアンジェの全てだ。
「村に留まる場合、ニコルはどうなる?」
おそらく孤児たちの保護者のような立場になるはずだが、何処でどのような暮らしをすることになるのだろう。
ニコルは珍しく含み笑いをしつつ、アンジェの肩に手を添える。
「そうだね……。私は何年か孤児としてお世話になって……その間に何処か嫁ぎ先を探して、そのうち弟子入りと同時に結婚かなあ」
「結婚!? 同時……!?」
結婚。それも、僅か数年で。
ありえない。相手は誰だ。いや、これから探すということは、まだ決まっていないのか。ならば何故急に結婚などと言い出したのか。
混乱するアンジェに、ニコルは背筋が凍えるような声で語りかける。
「私ね、最近気づいたことがあるの」
「な、なあに?」
きょとんとしているアンジェの耳元で、ニコルは人を刺し殺しそうな冷笑を浮かべ、囁く。
「この村には、結婚していない女が一人もいないの。みんな16になるまでに仕事先を決める。そうすると、歳が近い未婚の村人が少ないから、結婚相手も決まっちゃうの」
それは村人を避けてきたアンジェでは到底知り得ない、狭い社会のしきたりであった。
知識の海には載っておらず、会話の中でも明言されることがない、暗黙の了解。村の中でのみ共有される常識のようなもの。共同体の一員にのみ付与される本質。
いわば、村社会の同調圧力だ。ニコルにとっては、それが我慢ならなかったらしい。
「私はそんなの嫌。だから、この村を出て行きたい」
その言葉には、人の死や魔王の悪行を間近見てきたアンジェでさえゾッとするような、凍てついた感情が込められている。
「(他人に合わせるのが得意なニコルが、ここまで嫌がるのは相当だな)」
アンジェは青ざめつつ、ニコルを守れるような未来を選ぼうと決意する。
一歩目を踏み出すのは勇気が要るが、隣にニコルがいてくれるなら、何も恐れることはない。
「なら……一緒に村の外に出よう。ニコルが悲しむことのない世界を、探しに行こう」
彼女の気持ちがわからないわけではない。自分もまた、男をあてがわれるのはごめん被りたい。ただでさえ他人を受け入れられずにいるというのに、下世話で生々しい扱いを受けるようになってしまったら、人間不信が加速しそうだ。
……それに、自分の中に眠る旅に対する憧れが、ニコルの方針と合致するなら、これ以上の幸せはない。
「(旅をしてみたい。ビビアンみたいな強い魔法使いになりたい。宿に来る人たちみたいな個性的で哲学を持った人になりたい。魔物と戦ったり未知の景色を求めたり、時には追手から逃げたり……そんな物語みたいな日々を過ごしてみたい)」
これは現実逃避かもしれない。村と折り合いをつけられない自分から目を背けているだけかもしれない。
都合の良いことばかりではないかもしれない。悪魔に襲われたり病で命を落としたりするかもしれない。
それでも……アンジェの中の情熱は、もはや目覚めてしまっている。
「(ニコルと一緒に、旅をしよう)」
アンジェは胸を押し付けてくるニコルに、優しく返事をする。
「じゃあ、どこか遠くへ行こうか」
「うん。2人で、一緒にね」
春の名残りを消しとばすような力強い風が宿屋を叩く中、2人は抱き合い、親愛を交わし合った。




