第18話『水葬』
魔物と戦った戦士のため、弔いが行われる。
村を挙げて、盛大に。最期くらいは華々しく。
マーズ村の葬式は、本来ならもっと小規模だ。自宅に飾りをつけて喪中であることを示し、死者に縁がある者たちが集まって、思い出話をする。
その後は慣習に則って火葬をし、骨を墓に埋めて、それで終わりだ。
だが村を守って死んだ者は、家族のみならず、村全体の恩人だ。故に村中がその死を悼む。全員で日程を合わせ、大皿に料理を盛り、朝から夜まで話し合う。あまりにも大規模な慰霊であるため、最早祭りと見分けがつかなくなるほどだ。
英雄の村という成り立ちに由来するこの慣習は、今日もマーズ村の結束に寄与している。
当初は故人に対する感情から提案された風習だったが、今は村に対する帰属意識を高める手段として機能している。
死を恐れるな。隣人を守れ。村のために生きろ。そして何より、魔物と悪魔を許すな。そういった考えが常識として根付く要因となっているのだ。
……そして今日、ひとりの戦士が村を去る。
シュンカと戦い、散っていた元商人だ。
喪中は終わった。語らいは済んだ。故に後は、あの世に送るだけ。
遺骨が無いため、代わりに遺品を焼き、残った灰を埋めて葬式を締め括ることになる。
今、彼が死の直前まで身につけていた衣服と、彼の自宅にあった首飾りと、近しい者たちからの餞別が、副葬品として燃やされ、煙となって天に昇っている。
「(味気ない葬儀だ)」
参列者の中に混ざり、アンジェはそう感じる。
「(遺骨を取り上げられないというだけで、こんなにも虚しくなるのか。いや、オレは葬式に参加したこと無いから、厳密にはわかんないんだけどさ)」
知識の海と照らし合わせて、そう考えただけのことだ。どれだけ葬儀の知識を得ても、実際に参加した経験がなければ、正確に比較することなど出来まい。
「(オレの能力は強い。だが、万能じゃない)」
アンジェは死んだ男の顔さえ知らない。
ふとアンジェが周囲を見渡すと、参列者たちの先頭に青い少女の姿があることに気がつく。
彼女こそが唯一の遺族なのだから、最も死者に近い位置にいるのは当然だろう。
だが彼女は泣いていない。無表情で、彼の遺品が焼けていくのを見つめている。
「(ビビアン。あの子はどんな気持ちなのかな)」
アンジェは先日受けた葬式の提案を思い返す。
ビビアンはこの村の慣習から外れた形の葬式を望んだ。父親が死んだ場所に行きたいと言ったのだ。
その提案をアンジェは彼女と共に村長に伝え、半分は受け入れられた。
彼の最期の地で葬式を終えることは、認められた。遺体が残らなかったが故の配慮だろう。こうしなければ娘である彼女の中で区切りがつかないと、村長はそう判断したのだ。
だが村の中に墓を作る都合上、火葬も村で行われるべきだ。灰を持って長い距離を移動するのは、死者のためにも歓迎できない。
よって、彼が亡くなった峠での最後の弔いは、ビビアンとごく少数の村人だけが同行し、ひっそりと行われることになった。
「(オレとニコル。ジーポントとミカエルと、彼らの両親。あとは村長。行くのはそれだけだけど、要望が通ってよかった)」
ジーポントとミカエルはビビアンと、両名の親はビビアンの父親と、それぞれ交友が深かった。故に1日だけあらゆる仕事を代わってもらったのだ。
村長は葬式を見届けるために同行する。彼の妻や長老は、体力を考慮して不参加である。
アンジェとニコルは、道中の護衛としての参加である。ドウはアンジェの手で修復されているが、間違いが起こる可能性は否定できない。念のため魔物を警戒しておきたいのだ。
「(おのれ悪魔め。全てが終わってからも、まだ気を抜けないなんて)」
あの峠を通るたびに、人々はアース村の悲劇と、今回の葬式を思い出す羽目になるのだろう。
アンジェは脳裏に強くこびりついた魔王の姿に向けて、心の中で唾を吐く。
〜〜〜〜〜
名も無い峠。
マーズ村からアース村へ向かう道中にある、旅人たちの休憩地点。
尤も、もはやアース村を訪れる者がいない以上、通る者もいなくなるであろう、そんな岩場だ。
元商人が亡くなった地には、一本の杭が刺さっている。
シュンカに襲われた場所。すなわちドウのすぐ隣。
アンジェにとっても、ここは因縁の地である。
シュンカと相討ちになり、危うくニコルの前で屍になるところだった。
よく見ると、先日の戦いの痕跡がそこかしこに残っている。アンジェが叩きつけられて崩れた岩も、流した血の痕も、まだそこにある。
「あそこで亡くなったのか」
「いや。あっちはオレが流した血だ」
「えっ」
地面に広がっている赤黒い血の量を見て、ジーポントとミカエルは目を見開く。
何か言いたげではあるが、口を開いたまま硬直している。言葉を失うとは、まさにこのことか。
彼らに向けて、アンジェは短く付け加える。
「死闘だったんだよ」
アンジェにとっても、思い出したくない体験だ。
体の熱が徐々に失われていく感覚。ニコルの取り乱した姿。あんなものは二度とごめんだ。
アンジェの顔色を見て察したのか、2人は深入りしようとはしてこない。
今日は葬式を終わらせるために来たのだ。一刻も早く悲劇を終わらせて日常に戻りたい。そう思っているのだろう。
隅で話し合う3人をよそに、葬儀は進行している。
村長がまず、送別の言葉を述べる。形式通りの、ありふれたものだ。
死者への個人的な語りは、これより前の段階で済ませてある。語りたいことは語り尽くしてある。よって手短に済ませ、ビビアンに出番を譲ることになる。
ビビアンは村長の代わりに一歩前に出て、墓石代わりの杭を見る。
何かを決意したような表情だ。死別を受け入れたのか、それとも……。
ビビアンは何も言わず、祈りもせず、皆の方を振り返る。
ジーポントとミカエルの心配そうな視線。それを受けて、ビビアンの口元が僅かに歪む。
後悔のような、未練のような、そんな何かが、彼女の水底に沈んでいるのがわかる。
「(決意が揺らいだ? ……何故?)」
アンジェは彼女の中にある不穏な意志を察知する。
父親に別れを告げようとしているなら、生きている友人を見て決意を新たにするはずだ。
今まさに隣で見守ってくれている友人。今を生きている彼ら。それを大切にしていくことを誓うはずだ。
だが、そうではなかった。
ビビアンは彼らに対してこそ、惜別の念を向けている。
アンジェは推測する。
自分たちは何かを間違えている。致命的な何かを。
このままでは取り返しのつかないことになる。そんな予感が止まらない。
だからこそ、推測する。ビビアンという人間が何をするつもりかを。
「(助けてくれ、知識の海……!)」
ビビアンは澱んだ瞳を向ける。ジーポントに、ミカエルに、ニコルに、順番に向ける。
そして、踵を返し、靴を脱ぐ。履き古して壊れかけている簡素な靴を、脱いで捨てる。
「(靴を脱ぐ……土足……文化……違う、そっちじゃないだろう、馬鹿者!)」
アンジェは広大な知識の海を泳ぎ、ビビアンの意図するところを理解しようと、必死に頭を働かせる。
ビビアンが大地を踏みしめる。
すると周囲に生えていた草花が……しおれ、枯れていく。
「なっ!?」
アンジェが流した血痕も、ビビアンに吸い込まれるようにその面積を縮めていく。音もなくゆっくりと、だが確実に消えていく。まるで木の根に水が吸われていくかのようだ。
ビビアンは何も言わない。ここに来てから、何ひとつ言葉を発そうとしていない。
村長たちが驚きのあまり悲鳴をあげてもなお、何も説明しようとしない。
アンジェは何が起きているのか理解しようとする。ビビアンを見て、彼女が何をしているのか把握しようとする。
だが何故か、知識の海は何も応えてくれない。ビビアンに対して、何の反応も示さない。
「なんだこれ。なんだこれ!?」
アンジェは混乱し、髪の毛を掻きむしる。
確かに知識の海には限界がある。人間個人など、あまりにも細かすぎる情報については何も得られないことが多い。
『アンジェ』で調べても何も出ない。『アース村の特産品』で調べても何ひとつ思い浮かばない。『国王の毛穴の数』で調べてみたこともあったが、現国王についてと、毛穴についての知識が別々に出てきた。
ビビアンは明らかに何らかの魔法を使っている。おそらくは水の魔法の応用で、周囲の水を体内に取り込んでいる。それは推測できる。
だというのに、何の知識も得られないのはどういうことだ。この世に存在しない魔法だというのか? ならば目の前で起きているこれは何だ?
そうこうしているうちに、周囲の地面はカラカラに干からびてしまう。
ビビアンは満足そうな、それでいて苦しそうな笑みを浮かべて、振り返る。
「ジー。エル。ごめんね」
喉の奥から絞り出したかのような、か細い声。
ミカエルは呆然と立ち尽くし、ジーポントは対照的に前に出て叫ぶ。
「言えよ! 何が起きてるのか言ってくれよ! 俺たちに隠し事なんかするなよ!」
心からの叫びだろう。ビビアンの全てを受け入れる度量が、その内側に見て取れる。
友情。あるいは、それ以上。
ビビアンもその心意気を感じ取ったのか、足の指で地面を擦り、少し俯いて呟く。
「ぼくは……もうダメなんだ」
答えになっていない。ジーポントの疑問を解消するものではない。
だがそれは、アンジェの脳裏に、最悪の想像をもたらす。
ビビアンはジーポントやミカエルと共に、生きる気がない。
父親との思い出を抱いて、心中するつもりだ。
アンジェがその結論に至った瞬間、唐突にミカエルが走り出す。
集団から抜け出し、ジーポントを置き去りにし、我を忘れて突進する。
彼もまた、アンジェと同じ結論にたどり着いたのだろう。ビビアンが死のうとしていることに、勘づいてしまったのだろう。
だがどうするべきかわからず、反射的に、体が望むままに動いてしまったのだろう。
他は誰ひとり動き出していない。アンジェとミカエルだけが真実を得ている。
察しが悪い。交流が深い人間がおらず、誰もビビアンの人柄をよく理解していないためか。
ジーポントの場合は……自死という発想が出にくい性格が災いしているのだろう。
「ビビアンっ!」
ミカエルが差し伸べた手を振り払い、ビビアンは崖に向けて駆け出す。
体勢を崩したミカエルは激しく転倒し、赤い髪を土で汚しながら転がっていく。
まずい。誰もビビアンを止められない。
「『土の腕:インドラ・モウ』!」
アンジェは両腕から土の網を広げ、彼女を捕らえようとする。
硬度は柔らかく、万が一にも怪我をしないように。先を丸めて、刺さらないように。
それでいて数は限界まで多く、その姿をすっぽりと包み隠すように。
ビビアンは崖を見据えたまま、後ろ手で腕を一振りし、防ごうとする。
激流のような水音が響く。
「う、そ!?」
アンジェの魔法は、容易く相殺されてしまう。
発動していた時間が短すぎて、知識でも読み取れなかったが……おそらく水の魔法だ。
それも、詠唱なし。不完全で、規模は小さい。
そんなもので、その程度のもので、アンジェの完全な魔法を打ち砕いたのだ。
「(バケモノ……!)」
無遠慮な感想が、恐怖と共にアンジェの胸に湧き上がる。
彼女がわからない。わからないからこそ、心胆が凍りつくほど恐ろしい。
「ダメ……そんなのダメっ!」
かなり出遅れて、ニコルが植物の触手を伸ばし始める。
速い。アンジェの網など比較にならない速度だ。崖まで迫ったビビアンに瞬く間に追いついて、その体に触れようとする。
だがビビアンは、体を変形させてそれを避ける。
ほんの一瞬だけ、明らかに人体の構造を無視した動きをして、それを回避する。
「えっ!?」
体の中に骨が無いかのような動き。軟体動物以上に柔軟な……まるで、そう、水。人の形をした、水の塊のような……そんな動き。
触手が腕を掴もうとすればすり抜けて、腹部に巻きつこうとすれば千切れて、通り過ぎれば即座に元の少女に戻る。
触手の一本が地面を砕くも、まったく足を止める気配がない。
そのうち、無理な変形を続けたためか、ビビアンの服がずれていく。
奇妙な服。ビビアンの体格に見合わない設計の服。
それが肩から落ち、腰から下がり、ついには完全に地面に広がり、ビビアンの体には女性用の普通の下着だけが残される。
アンジェが服に目を向けた途端、知識の海がその布の正体を捉える。
布。布は服の材料であり、魔道具に適した素材である。服は体を隠すためのものだが、魔法を付与すれば体に帯びる魔力も隠し、偽ることができる。体と魔力を隠すことで人に正体を知られずに済む。人の中に潜む悪魔たちの間では一般的な潜入方法である。
「悪魔だ……!」
ビビアンは崖側で立ち止まる。
アンジェが口にした内容を、聞き流すことができなかったのだろう。
突きつけられたその言葉が、図星であったからだろう。
彼女の足で蹴り飛ばされた石ころが、視界から消える。崖から落ちたのだ。
もう一歩踏み出せば、彼女もまた、それと同じ運命を辿るだろう。
ニコルの捕縛を受け流す能力はあっても、全身を強く叩きつけられれば死ぬのだろう。
そうでなければ、彼女は今、飛び降りようとはしていない。
アンジェのみならず、ジーポントも、ミカエルも、周囲の誰もが気が付いている。知識の海がなくとも、今までの光景を見てさえいれば、とっくに理解している。
ビビアンは人間ではない。
「『土の脚……」
越えられない壁を作るべく、アンジェは魔法を編もうとする。
ビビアンの身体能力は人間の子供と同等のはずだ。脚力も腕力も大したことはない。壁さえ作れば身投げを阻止できるはずだ。
だがビビアンはまたしても、詠唱を省いた魔法でアンジェを妨害する。
「悪魔じゃないよ。悪魔でさえ……ないんだよ」
アンジェが操ろうとしていた地面に水溜りができ、乾いた土からぐずぐずの泥となってしまう。
急激に変化した土を操りきれず、集まりかけたアンジェの魔力が霧散する。当然、魔法は成立しない。
格が違う。魔法使いとしての格が。
薄っぺらい知識を得ただけでは埋められない差が、そこには明確に存在している。
「ぼくはね、魔物なんだ。悪魔にさえなれない、中途半端な存在。シュンカと同じ、バケモノなんだよ」
ぬかるんだ崖が崩れ、土砂崩れが起きる。
ビビアンの体が傾き、青い髪が揺れ、足を投げ出して、ぬるりと落ちていく。
ニコルが自ら飛び出し、蔦のような触手を伸ばす。
アンジェの風魔法が、ビビアンに吹き付けられる。
彼女の片足が崖から離れたところで、ジーポントが膝をついて絶叫する。
「ビビアン!」
だがもはや、皆の想いが届くことはなかった。
全てはもう、手遅れだった。
青い少女は、濁った水のよう中に色をした少女は、あらゆる静止を振り切って、崖から身を投げる。
透き通るような切ない笑顔を浮かべ、遺言を叫びながら、死へと真っ逆さまに直行する。
「みんな……今までありがとう」
この場に似つかわしくない、日常の一幕を切り取ったかのような、朗らかな声だ。
アンジェは駆け出す。
急速に遠ざかっていく遺言を聞きながら、それでも走る。
飛び降りて追いかけようとしているニコルを横目に見ながら、身を乗り出して崖下を覗き込む。
岩壁にぶつかり、ビビアンの細い四肢が削れて消し飛んでいくのが見える。胴体から離れた手足は水滴となり、形を失っている。
続けて衝撃で残った頭部と胴体が跳ね、せり出した岩に衝突して跡形もなく吹き飛ぶ。
かつてビビアンだった破片たちは、落下する途中で細かい粒になり、雨のように川へと降り注いでいく。
深い急流だ。落ちればまず助からないため、人間は決して立ち寄ることがない。ビビアンは魔物だが、おそらく彼女でも助からないからこそ、ここを選んだのだろう。
「うわああああっ!!」
続けてニコルが悲鳴を上げながら川へと飛び込む。
目の前で破裂するビビアンを目撃し、正気を失っているようだ。
水飛沫を上げながら泳ぎ回り、ごうごうと音を立てる水流の中で、ビビアンの体を必死に探し始める。
あのままでは、ニコルもいずれ流されてしまうだろう。既に大量の水を飲み、溺れかけている。それでもしばらくは保つだろうが、無茶はしてほしくない。
「『土の脚:ストゥーパ』」
アンジェが足で大地を蹴ると、川底が盛り上がり、ニコルを押し上げる。
大量の魔力を費やし、川の勢いに負けない硬度にしたものの、長くは保ちそうにない。
助け出されたニコルは、口と鼻から凄まじい量の水を吐き出し、えずく。
もう一度飛び込もうとしたものの、アンジェの魔法で助け出されたことに気がついたようだ。
崖の上を見上げ、諦めたように倒れ込む。
「……ビビアン」
泥とすり傷だらけになったミカエルが、アンジェのすぐ隣まで這ってきて呆けている。
どうやら足首を痛めてしまったようだ。足が妙な方向を向いており、一目で治療が必要だとわかる。
ジーポントは地面に頭を擦り付けながら何事かを喚いている。崖の下まで歩いて覗き込む気にはなれないようだ。
「(こんなにも悲しんでくれる人がいるのに、どうして死を選んでしまったんだ。大馬鹿者め)」
流れ続ける川の音を遠くに聞きながら、アンジェは今は亡き青い少女に文句をぶつけた。