第17話『縁起ではない』
《ニコルの世界》
何日もかけて、どうにか全てのシュンカを運び終えた。
途中でアンジェが力尽きてからは大変だったけど、無理をさせた私が悪い。アンジェの魔力はたぶんすっごく多いはずだから、それを使い切らせるくらい私の要領が悪かったんだ。
「アンジェ、寂しがってないかなあ」
私は宿で休んでいるはずのアンジェのところに、ウキウキしながら帰っている。
アンジェが寝ていたら起こさないであげよう。起きていたら、すぐにでも抱き着こう。匂いを嗅いで、肌に触れて、髪を……。
うん。すぐに会うのはちょっとまずいかも。
「(落ち着け、私。全力を出すと、アンジェに嫌われてしまうぞ)」
私は自分の頬をぴしゃりと叩いて、冷静になる。
欲を発散させてからじゃないと、暴走してしまう。何もいじらないまま1日以上経つと、どんどん理性が飛んでいっちゃうんだ。
街への旅をしていた頃は大変だったなあ。毎日深夜にみんなのところから抜け出して、こっそり持ってきたアンジェの私物を吸わないといけなかった。何種類も持ってきていなければ、私はとっくに発狂していただろう。
でも最近は村の人たちが出歩いているからなあ。変なことをして見つかったらまずいなあ。目立たないようにするのは難しいし……。
「よし。我慢我慢」
私は夜になるまで耐えることにする。
月明かりの下で想いに耽ろう。私は太陽が嫌いだけど、月は好きだ。傷つけないように優しく見守ってくれている感じがする。
「……あっ」
私は視界に入った僅かな黒色に反応し、マーズ村に壊れかけの台車を置いて、宿まで小走りで向かう。
アンジェがいる。外に出て、誰かと話している。ちょっと困っているような顔だ。きっと私の助けを求めているんだ。
それにしても、私以外の誰かとお喋りするなんて珍しい。相手は一体誰だろう。この村の子供かな。
私はその後ろ姿を見て、思い出の中を探って……そして、ぴたりと足を止める。
ああ、なんで私はあの子に会いに行かなかったんだろう。きっと辛い思いをしているはずなのに。考えるまでもなくわかっていたのに。
「ビビアン……」
青い髪の女の子。いつも眠そうにしている、気まぐれな子供。
その子は私の記憶にはない、土砂降りの雨みたいな顔をしている。
「ニコルだぁ。久しぶりぃ」
声だけはいつも通りにのんびりしている。でも、その表情はただ事ではない。
アンジェが何かしたわけではないはず。アンジェはむしろ、目の前の人がこうなる事を怖がる性格だ。
なら、きっとシュンカを見て恐怖したんだろう。
あの子の父親を奪ったシュンカを見て、悲しくなってしまったんだろう。
「ニコル。ビビアンのことを教えて」
私に気づいたアンジェは、真っ先にそう言った。
〜〜〜〜〜
ビビアンの父親は、マーズ村からアース村へと向かった先遣隊のひとりだった。
ニコルの目の前でシュンカに食べられた、元商人の男が彼だ。ニコルに都会の魅力を教えた人物でもあった。
元々ビビアンに母親はいない。父親と共に生きてきた。父親だけが唯一の身内だった。
つまり、今の彼女は天涯孤独だ。
「ぼくのこと、教えるね」
ビビアンは宿の一室で境遇を語る。
父親と共に旅をして、この村に来たこと。
父親はシュンカに殺されたと村人に言われたこと。
父親の仇討ちをする方法を探していたこと。
「長老のお世話になる……かもしれない」
親がいない子供は、長老が管理する施設に預けられる。アンジェも今のところは、そうなる予定だ。
アンジェは会議で言われたことを思い出し、愕然とする。
ニコルと離れ離れになるのは嫌だとしか考えていなかった。孤児たちと共に暮らすと言われても、今ひとつ気乗りせず、断る理由を探していた。
まさか自分と友達になりたがっている少女がいるなどとは、思いもしなかった。
ジーポントとミカエルにとっても、このことは寝耳に水だったようだ。
ビビアンは今までずっと、友達にさえ、親の死を隠していたらしい。
「なんで黙ってたんだよ……!」
ジーポントは涙を流しながら、悲痛な叫びを上げている。
「お前がそんなことになってるなら、俺だって……」
「シュンカと戦ってくれた?」
光のない瞳で、ビビアンはジーポントを射抜く。
笑顔だ。生気の抜けた、水死体のような顔色の、冷たい笑顔。
「エルは絶対止めたと思うんだ。ジーはもしかしたらついてくるかもしれないけど」
ミカエルは黙って俯く。
彼は仇討ちをしたかったと聞いた時も、憤慨のような反応をしていた。ビビアンの自殺行為を、きっと止めただろう。
……ああ、そうか。彼女は死にたがっているのか。父親の後を追って、命を捨てようとしているのだ。
「(死にに行くのを止めないでくれ? ……勝手なことを言いやがって)」
意味のない死だ。それで一体誰が得をするというのか。ビビアンの死を喜ぶ人間が、この村の何処にいるというのか。
「(人の死は、そんなに軽いものじゃない!)」
アンジェは震え、悲しみと怒りを胸に、ビビアンに怒鳴り声を浴びせる。
「死んでどうするってんだよ!?」
ビビアンの服を掴み、引っ張る。
「それで君のパパは喜ぶのか!?」
ビビアンは呆気に取られた表情で、力なくアンジェを見つめ返す。
目の前のアンジェが怒鳴っているのが、そんなに不思議だろうか。
ああ、不思議だろう。アンジェ自身、他者にこれほど怒りを向けるのは初めてなのだから。アンジェ自身も、何処からともなく湧いてきたこの感情を、制御できていないのだから。
アンジェはビビアンを激しく揺さぶりながら、ひたすら言葉をぶつける。
「ジーポントは!? ミカエルは!? ニコルだって悲しむはずだ!」
「知らないよ、そんなの」
やけを起こしたビビアンは、眉をひそめて吐き捨てるように呟く。
ビビアンの中の優先順位が垣間見える発言だ。父親こそが至高であり、他の人間はその次以降。
彼女を支える者たちがそれを耳にしたら、一体どう感じるのか。
アンジェの視界の隅で、ジーポントが膝から崩れ落ちる。ミカエルはおろおろしている。
ビビアンは「しまった」という顔をして、彼らの方を振り向く。
「あっ……これは、違くて……ごめ……」
自らの失言に気がついたようだ。
彼女にとって、2人は大切な友人だったはずだ。それを一時の感情に身を任せて、突き放してしまった。差し伸べてくれた手を、振り払ってしまった。
青い瞳に後悔が滲む。顔に貼り付けた理性が水面のように揺らぎ、溶けていく。
ビビアンはついにくたびれた笑顔を崩し、ぽろぽろと泣き出す。
大粒の涙だ。雨音のように、床に落ちて弾ける音が聞こえる。
「ぼくは……ぼくは……」
アンジェは彼女の服から手を離す。
今の彼女を慰める方法を、弱者たるアンジェは持っていない。彼女との絆は浅く、知識の海を深く潜っても、答えは沈んでいない。
「(託すしかないか)」
後はニコルと、2人の少年たちに任せるべきだ。
アンジェが離れると、入れ替わりにニコルがビビアンを抱きしめる。
更にジーポントが駆け寄り、ビビアンの頭を優しく撫でる。
ミカエルは何をしたらいいかわからないようだ。それでも、心の内側にある気遣いが垣間見える。
あんなことを言われても絶交を言い渡さないだけ、歳の割に分別がある方だろう。
それとも……理解できてしまったのだろうか。彼女の苦しみを。大切な人を失う気持ちを。
「(ジーポントのことも、ミカエルのことも、オレは全然知らないからなあ)」
もっと他人を知りたい。アンジェは初めて、心からそう思った。
〜〜〜〜〜
《ジーポントの世界》
お祭りなんかじゃなかった。
ミカエルが結婚式みたいだって言って、俺がお祝いだと言って、それで俺たちは勘違いしたんだ。
この村は英雄の村。魔物や悪魔と戦って、村を守って死んだ人たちを、勇気ある戦士としてあの世に送るらしい。
つまり、最近の騒ぎの正体は……お葬式だ。
俺たちは初めてだから、知らなかった。魔物に襲われることなんて滅多にないから、聞いたこともなかった。大人たちは誰も教えてくれなかった。
縁起が悪いから、話そうとなんかしなかったんだ。子供だから知らなくていいって、みんなそう思って、隠してたんだ。
「俺、なんにも知らなかった」
俺は隣のミカエルに向けて言う。
俺は悔しい。
村のことも、ビビアンのことも、教えてくれなきゃ何もわからないままだ。それなのに、大人は何も教えてくれないんだ。
だから、勉強しようと思わなきゃいけなかった。大人になりたいって言わなきゃいけなかった。俺が自分で何かしなきゃいけなかったんだ。
ミカエルも俺と同じように、夕焼けを背中にとぼとぼ歩いている。
「僕も見えてなかった。僕たちはまだ子供なんだな」
ミカエルも悔しいんだろう。自分に腹が立っているんだろう。
俺も同じだよ、エル。同じ気持ちだ。
「嫌だな、こういうの」
「……うん。知らないのは、良くないね」
大人になりたい。子供のままで、いたくない。
俺は家の前に着いた。
木の一軒家。アース村の人からは、新しくて立派に見えるらしい。アンジェからそう聞いた。
アース村は狭くて、貧しくて、楽しくない。そう言っていた。
でもそんな村で育ったアンジェは、俺よりずっと凄い人だった。
シュンカを倒したのも本当だったし、それも凄いと思ったけど、そうじゃない。
うまく言えないけど、あの時ビビアンを泣かせたのは、良いことだったと思うんだ。
「俺が何言っても、ビーはずっと笑ったままだった。アンジェがいなきゃ、隠しごとをしたまんまだった。泣いてなんかくれなかった」
俺は帰りたくなさそうにしているミカエルに、そんなことを言ってみる。
「俺たちに、何ができるのかな」
「……ん」
俺たちは家の前に腰かけて、悩んで悩んで、日が落ちるまで悩んだ。
暗くなってきた頃になって、ミカエルは空を見上げて、立ち上がって、最後に小さな声で言った。
「明日まで、考えさせて」
たぶんずっと、考え続けるんだろうな。今夜は眠れないんだろうな。明日も明後日も、何日も、こんなことが続くんだろう。なんとなく、そう思った。
……ビビアンもずっと、眠れなかったのかな。大好きなパパがいなくなって、自分に何ができるか、ずっと考えてたのかな。
それで、あんな悲しいことを……。俺たちを置いて死んでしまおうなんて……。
俺は言葉が見当たらないくらい寂しい気持ちを抱えたまま、家に帰った。
家族がいる家の中は暖かくて、切なかった。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
ビビアンを村の孤児院に送り届けて、今はアンジェと2人で話し合っている。
私たちが杭を打って作った墓。それの処遇が決まったことをアンジェに伝える。
「村にもお墓を作るけど、あれはあのまま残すって。何処で亡くなったのか、知らない人ばかりだから」
「そっか」
アンジェは土の魔法で何かを書きながら、相槌を打っている。
たぶん知識を漁っているんだろう。みんなと別れてから、ずっとこんな調子だ。
万能な知識の海に頼っても、どうすればいいかわからないらしくて、時々頭を抱えて唸っている。私も何か助言ができたら良かったんだけど、未だに何も言えていない。
「(アンジェがここまで悩む姿……初めて見た)」
今日知り合ったばかりのビビアンのことでここまで悩めるアンジェを、私は誇りに思う。
私は最低な悪魔だから、今もアンジェのことばかり考えている。あんなことがあったばかりなのに、ムラムラしてアンジェ以外のことに集中できない。自分が嫌になる。
……ビビアンが後を追いたがる気持ちを、私はよくわかってしまう。
アンジェが突然死んでしまったら、私は迷わず死を選ぶ。抱えきれない想いを抱えて、死ぬと思う。
私もあの子も、死にたがりだ。大切な人がいなくなったら、生きていけない弱虫だから。大好きな人のことしか考えられない、自分勝手な人間だから。
だから私は、何も言えない。泣いてるあの子に胸を貸して、長老のところに送ることしかできなかった。
そんなことをしても、何も解決しないのに。口を開いたら、あの子を殺してしまう気がして。
アンジェが一番してほしくないことを、選んでしまう気がして。
「この村の葬式は、どんな感じ?」
アンジェは色々な葬儀を調べていたようで、不意に私にそう尋ねてくる。
土魔法の石板には、私も知っている火葬や土葬の他に、鳥葬、水葬、風葬……遺体を食べて弔う方法なんてものもあった。
私は火葬を指さした後、アンジェが調べたお葬式の形を詳しく聞く。
棺に入れて地面に埋めたり、動物か何かに食べさせたりする形式が多いみたいだ。火葬は手間がかかるから、それほど広まっていないらしい。
「焼いて骨にするって発想は、小さな村じゃ意外と出ないものなんだよ。埋める土地に困ってるわけでもないし、遺体を無闇に傷つけたくなんかないし……」
アンジェは指先に小さな炎を灯して、得たばかりの知識を披露する。
最近のアンジェは、詠唱無しでもほんのちょっぴり魔法を使えるようになっているから、こういうお洒落な演出もしてくれる。
アンジェの炎は好きだ。ずっと見ていたい。
「火葬は素敵だと思うんだけどなあ。私が死んだら、火葬で見送ってね」
「縁起でもない。……でも、そうするよ」
アンジェは指の炎を息で消して、ぽつりと言う。
「……じゃあついでに、あえて聞くけど、オレが死んだらどうする?」
私はアンジェがシュンカに殺されかけた時のことを思い出す。
あの時、私はアンジェの死体を残らず食べてしまおうとした。異常で狂った考えだと思ったけど、知識を聞く限りだと、他にもそういう考えの人が沢山いるようだ。
驚きだ。やっぱり、世界は広いな。私が知らないことも、まだまだたくさんある。
私は言うかどうかちょっと躊躇ったけど、正直に伝えることにする。
「私はアンジェを食べることにするよ。きっと美味しいと思うから。その後、村のみんなみたいに苦しんで死のうかな……」
「ニコル?」
アンジェは真っ青になって石板を落とす。
……やっぱり異常みたいだし、やめておこうかな。
〜〜〜〜〜
次の朝。
アンジェが目を覚ますと、案の定、ニコルの口の中に指が入っていた。ニコルの指とアンジェの指、両方とも1本ずつである。
……奇妙な光景だ。
「うっかり魔法でも使っちゃったらどうするんだよ、もう」
最近は指先から火を出す練習をしているので、寝ぼけてニコルの口を火傷させないか心配だ。
起こさないように引き抜いて、水の魔法で洗浄し、アンジェはひとつあくびをする。
魔力はほぼ回復している。数日かけて使い切っても元に戻るのはあっという間だ。
悪魔という生物の種としての強さを、アンジェは恨めしく思う。もう少し奴らが弱ければ、何処かの誰かが討伐してくれただろうに。
すると、見計ったように扉が叩かれる。
一瞬敵襲を警戒して身構えるものの、アンジェは気を緩める。
「この前みたいな失敗はしないぞ」
警戒しすぎてもろくなことにならない。ここはもう危険な旅路ではないのだ。
それでもアンジェは人差し指に火を用意して、そろりそろりと扉を開ける。
開いた隙間から、外にいる人物が何者かを確認しようとして……アンジェは目を見開く。
誰もいない。気配すらない。
悪戯だったとしても、十分に警戒したアンジェの前から、人間が足音ひとつなく立ち去ることができるだろうか。いや、できまい。
「(よかった。こわかった)」
アンジェはほっと一息つき、呟く。
「幻……。寝不足かな?」
「うん」
窓の辺りから声がする。
アンジェは弾かれたようにそちらを振り向く。
「ぼく、寝不足なんだぁ」
「『あっはっはっはっはっはっは!!!』」
死人のような顔色の少女。爆笑する人形。
「あびゃあっ!!」
アンジェは股の間から盛大に内容物を漏らし、あっさりと気を失った。
〜〜〜〜〜
同じ失敗を繰り返した敗北感に打ちのめされ、アンジェはしゅんとなっている。
まさか二度もしてやられるとは。この少女、やはりただものではない。
アンジェは半ば恐れ、半ば尊敬しながら、目の前でやはりしゅんとしている少女を見つめる。
あの後ニコルにたっぷり叱られたらしく、目が覚めたばかりのアンジェに向けて、ビビアンはそれはそれは綺麗な土下座を披露した。
「ごめんなさい。調子に乗りました」
……あの潔さと手段を選ばない姿勢は見習いたいものである。
「(腰が低すぎるのは考えものだけど、あれは綺麗な謝罪だった……)」
ビビアンは細い体をよじりながら、アンジェに申し出る。
「調子に乗ったついでに、アンジェにお願いしたいことがあるんだぁ」
色々あったが、ビビアンのことはもう友人だと思っている。友人の頼みとあれば、なるべく引き受けたいところである。
アンジェは背筋を伸ばし、胸を張り、手を膝の上に置いてその先の言葉を待つ。
「パパのお葬式のことなんだけどね」
ビビアンは父親から教わったのか、ごく簡単な水の魔法で手のひらを濡らし、こう言った。
「パパが死んだところで、やりたいの」