第16話『賑わいの中で増す孤独』
《ジーポントの世界》
宿の……たぶん2番目くらいに良い部屋の中。
汚した床を綺麗に片付けた後、黒い髪の女の子は、おどおどしながら俺たちに自己紹介を始める。
「オレは、アンジェ、です。あんなことがありましたが、つよいこころをもっているので、とくにきにしていません。オレはむねをはってそういいきることができます」
アンジェは口をぎゅっと結んで、ぷるぷる震えながら泣いている。
さっきの言葉は絶対に強がりだな。あんなことがあったから、仕方ない。まだちっちゃいし。おねしょもまだしてそうだし。
見た感じ、たぶん俺の半分くらいの年齢だと思う。5歳か6歳だ。まあ、本当のことはわからないけど。
みんな話しにくそうにしているから、まずは俺からだな。こういうのはだいたい俺からだし。
「俺、ジーポント。ジーでいいよ」
俺が握手しようとすると、アンジェはびくっと震えて、後ろに跳んで逃げてしまう。
そんなに怖いかなあ、俺。いくらなんでも怯えすぎな気がする。
俺はビビアンの方を見て、肘でちょっと突く。まださっきのことを謝ってないからな、こいつ。
「ぼくの番かぁ」
そうじゃねえってば。
でも話しているうちに謝るかもしれないから、黙って見ていよう。
「ぼくはビビアン。さっきはごめんねぇ、アンジェ」
「ひっ!?」
「仲良くしてくれたら嬉しいなぁ」
ビビアンはやけに明るい声で笑っている。
謝ってるのにしょんぼりしてない。こいつ反省してないだろ。いつかまたやらかすぞ。
アンジェは歯をガタガタ鳴らしながら、必死に挨拶を返そうとしている。
「こ、ここ、ごち、ごぢらごぞよろじぐお願いじまずビビアンざん!」
アンジェは涙とよだれでぐずぐずのとんでもない泣き顔になって、脚をガクガクさせながら床に座り込んだ。
……大丈夫かこの子? 本当に頭が良いのか?
そういえば、最初に会った時も気絶してたなあ。
おうちに帰らせた方が良いんじゃないのかな。
心配になってきた俺の隣で、可哀想な子を慰めるみたいにミカエルが話しかける。
「僕はミカエル。11歳だ。よろしくね」
アンジェはビビアンから目を逸らして、ミカエルの顔を見てうなずく。
……ミカエルにはちょっと懐いてるみたいだ。なんでだろう。知り合いじゃなさそうだし。ミカエルの弱そうな雰囲気のせいか?
自己紹介が終わった後、俺たちはしばらくだんまりになった。
だって、どうしたらいいのかわからないし。こんなに小さい子を相手にするのは初めてだし。アース村のこととか、色々話を聞きたいと思ってたのに、そんな雰囲気じゃないし。
俺とミカエルが相談しようか迷っていると、ビビアンが前屈みになってアンジェに顔を近づける。
「ねえ、アンジェ。シュンカのこと教えて」
いつになく冷たい声だ。
そういえば、シュンカについて何か知っているかもしれないと、ビビアンは言っていた。
シュンカっていうのがあの狼のことなら……ビビアンが狼のことを詳しく知りたがっているように見えるんだけど……なんでそんなに気になるんだろう。
「……シュンカ」
シュンカの名前が出た瞬間、アンジェはぴたりと泣き止んで、いつか村で見た賢い感じの顔つきになる。
突然頭が良さそうになったから、なんだか別人に変わってしまったみたいだ。
「シュンカは魔物だ。死体で良ければ、今なら村のそこら中で見られるよ。いや……待てよ。それを見たからこそ、オレに詳細を聞きに来たんだね?」
「そんな感じ」
アンジェは葉っぱみたいに小さい手をあごに当てて考え込んでいる。
大人みたいな仕草だけど、ちっちゃいから見た目がなんだか面白い。
「確かに、オレはシュンカと戦った。情報もある程度は得ている。教えられる範囲で教えるよ」
「たたかっ……た?」
「心が震える大活劇を期待しているなら申し訳ないけど、オレは決して語りが上手いわけではない。起きた出来事をそのままなぞるだけになるけど、それで良ければ……好きなだけ聞いて」
信じられない言葉が出てきたんだけど、空耳かな?
血煙のシュンカと……戦った?
俺どころかビビアンより弱そうな、こいつが?
〜〜〜〜〜
アンジェはシュンカとの戦いの話に聞き入る3人組を、胡乱な目で観察する。
ジーポント。金髪の少年。活発そうだが、粗野ではない。将来的には落ち着いて、好青年に育ちそうだ。アンジェは人の成長を見てきたわけではないが、なんとなくそんな雰囲気を感じ取っている。
ミカエル。赤髪の少年。年相応のごく一般的な少年という印象だ。ジーポントの方によく視線が向いている。きっと仲が良いのだろう。
ビビアン。青髪の少女。能天気な口調だが、行動が破天荒すぎる。また、寝不足という言葉では説明し切れないほど、目のくまが酷い。
……アンジェは青い少女にそっと注意を向ける。
「(この子だけおかしくない?)」
ただの自由奔放な少女ではなさそうだ。どうにも嫌な寒気を感じる。
知識の海には載っていない。ということは、人間のはずだ。魔物や悪魔なら、外見を見るだけで情報を引き出せる。シュンカの時と同じように。
「(ただの村娘だというのに、なんだこの悪寒は)」
アンジェの中の良心が、これ以上見てはいけないと警告を発している。
ほのかな敵意に勘付かれたら、先ほどのような奇襲を受けることになるだろう。
隣の男子2人は、こいつの存在を気にも留めていない。何故だ。何年も隣で過ごすうちに慣れてしまったのか?
そもそも村の真ん中で堂々と暮らしているのは何故だ。危険性に気づいているのは自分だけなのか?
「(見ちゃダメだ。見ちゃダメ……)」
アンジェはビビアンから必死に目を逸らしながら、シュンカとの戦いを語り続ける。
先日村長たちに語った内容とほぼ同じだ。予習できているのは幸いだが、このまま淡々と話していても退屈だ。
折角なので、要望通り演出を入れて、英雄譚っぽくしてみようか。
アンジェは両親やニコルが語ってくれた物語を参考にして、だんだんと熱量を上げていく。
「内部に可燃性の毒霧はない。炎を出しても燃えなかった。ならば覚悟を決めて突撃あるのみ! オレはとっておきの魔法を使って洞窟を破壊した! ドッゴオオオン!」
「うおおおお!」
「地面が崩れ、現れたのは太古の鉱山! そう、あの洞窟の奥には、人間の技術と大いなる自然が織りなす広大な迷宮が広がっていたのだった!」
「迷宮だああ!!」
「オレはシュンカの親玉を迷宮の大穴に落とし、力の限り叫んだ。『こい、化け物。人間の底力を見せてやる!』」
「かっけえ!」
アンジェは手に汗握る冒険が大好物なのであった。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ぼくは昔、ただの水のように生きていた。
ぼんやりと流れて、流されて、ぷかぷか浮くような気持ちで生きていた。
なんとなく物を食べて、なんとなくお散歩して、なんとなく寝て。そんな毎日を過ごしていた。
いつからぼくは、女の子になったんだろう。昔のことだから、よく覚えていない。物心がついた時には、パパと一緒に旅をしていた。
しばらくはやっぱり、ぼんやり生きていた。
なんとなくパパと同じ物を食べて、なんとなく森の中を歩いて、なんとなくパパと一緒に寝て。
だけどそのうち、ぼくは服を着せられて。髪型を作られて。言葉を教えられて。人前に出されて。
ぼくはだんだんと、ただの水から、パパの水になっていった。
ぼくはパパが好きだった。職人で、商人で、旅人のパパが大好きだった。
真剣な目で小物を作るパパはかっこよかった。魔法の使い方を教えるパパは優しかった。たまに叱るパパはちょっと悲しそうだった。夜中に知らない人の名前を叫ぶパパだけはちょっと怖かった。
パパは自分のことを話さない人だった。ぼくのことも話さない人だった。昔の話も、未来の話もしなかった。今のぼくを見て、今を生きている人だった。
なんとなく、水に浮かぶ落ち葉みたいな人だと思った。まだ青くて、枯れてない落ち葉。
ぼくはパパと一緒に長い旅をして、最後に村に流れ着いた。
マーズ村。英雄がいた村。
パパは最初、ここにいたくないみたいだった。ぼくのためにそうしているみたいだった。
でも商売をするのに便利で、パパを頼る人も大勢いて、居心地が良いみたいだった。だからぼくも、流されるのをやめて、ここに居ようと言った。嬉しそうなパパが一番好きだったから。
村に来てからすぐに友達ができた。男の子が2人。
赤と金。ぼくとは違う色。明るくて、暖かい色。ぼくをきらきら照らしてくれる、素敵な友達。
ぼくは川から湖に飛び込んだような気分だった。大きな太陽と綺麗な月を水面に映して、ゆらゆらと静かに揺れる湖。
ぼくは幸せだった。
……幸せだった。
〜〜〜〜〜
しばらく語り合った後、アンジェは3人と共に、宿の外に出ることにする。
「(なんだかんだ、いい奴らだった。ビビアンとやらも気さくで話しやすいし、今のところ危害を加えてくる様子はない。……オレの気にしすぎだったか)」
意外にも己の失態を引きずることなく、打ち解けることができた。大人相手より、こちらの方が話しやすかった。
彼らの反応が素直で好意的だというのも、要因としては大きいだろう。笑顔を向ける子供たちに、どうして涙ばかり見せられよう。
「オレはニコルって人と一緒に来たんだ。後で紹介するよ」
アンジェは3人を信頼し、大切なニコルのことを伝えるまでに至った。
彼らと好きなものを共有したい。ニコルのことを知ってもらいたい。抜け駆けは許さないが、惚れるくらいは大目に見よう。それがアンジェの今の心境だ。
ところが、3人は既にニコルのことを知っていた。
彼女がマーズ村に来た時に出会っていたのだ。
「ニコルは大人って感じするよな」
「ジー。ニコルじゃなくてニコルさん、な」
「ぼくもニコル、好きぃ」
「さんを付けろってば」
思えばニコルにとっても、彼らは歳が近い子供なのだ。交流があってもおかしくはない。ニコルは人付き合いが得意なのだから、話しかけない方がおかしいと言えよう。
アンジェは納得して、3人から見たニコルの印象を聞き出すことにする。
「ニコルとどんなことしたの?」
質問を受けて、ジーポントとミカエルは、ちょっと悩んだ末に答える。
「あんまり覚えてない。外に出てこなかったし」
「積み木で遊んでもらって、それっきりかな」
曰く、特に変わったことはせず、よくある遊びに興じた程度だそうだ。
当時のニコルは太陽が苦手だった。外を出歩くことが難しいのだから、それもそうだろう。わんぱく盛りの少年たちに付き合うのは大変だ。
一方で、ビビアンは目を輝かせて食いついてきた。
「ニコルはねぇ、パパのお弟子さんなのぉ」
「弟子!?」
ニコルは何かにつけて誰かの教えを受けることが多いらしいが、弟子とまで言われると俄然気になってくる。
まさかニコルに男がいたとは。そのような仲では断じてないだろうが、事情を説明してもらう必要がありそうだ。
うっとりした様子で頬を撫で、揺れるビビアン。
彼女は堰を切ったようにニコルとの思い出を喋り始める。
「ニコルはね、パパから旅の話をよく聞いてたのぉ。冒険のお話とか森のお話とかぁ……あとはね、川とか池とか、海とか」
なるほど。ビビアンのパパは、ニコルが言う旅商人の男だったのか。
……いや、待てよ。その元商人は、シュンカに噛まれた死んだはず。
「(ニコルの目の前で死んだ人とビビアンの父親が、もし同じ人なら……この子はシュンカに親を殺されたことになる)」
アンジェは異様な緊張感と共に、ビビアンの話に耳を傾ける。
「ぼくもパパのお話をニコルと一緒に聞いてた。ニコルみたいに優しい人がお母さんだったらよかったのになぁ。そしたら……」
アンジェは咳払いをして話の流れを止める。
ビビアンは母親を、あまり好いていないらしい。赤の他人を母親として慕いたがるというのは、そういうことだろう。あるいは、今の家庭に母という存在はいないのかもしれない。
ということは、今のビビアンは孤独なのか。
「(……これ、周りは知っているのか?)」
アンジェは横にいる2人の反応を見る。
ジーポントは気まずそうに目線を床に向け、ミカエルは話題が中断されたことに安堵している。
……やはり聞かない方が良いことのようだ。出会って半日も経っていないのだから、アンジェ程度の会話能力で詳しく踏み込むべきではない。またの機会にしておこう。
「あ、そ、そういえば、シュンカがたくさん並んでたんですけど、あれ見ながら話します?」
「いいね。そうしましょうそうしましょう」
ミカエルの露骨すぎる誘導に心の中で感謝しつつ、アンジェはぎこちなくそれに乗る。
〜〜〜〜〜
外で自分が倒したシュンカを見せながら、自らの戦いについて再度解説するアンジェ。
子供たちだけでなく、作業をしている村人たちも聞き耳を立てているようだ。アンジェの話を聞きつつ、何処にどんな傷があるのか覚え書きをしている。
大勢に聞かれていると緊張で口が止まりそうになるが、これ以上の好条件で演説する機会はそうそう無いだろう。
アンジェは苦手を克服するために、自分の得意分野のについてだけしっかりと解説する。
「ここ! これが火の魔法で貫いた跡だよ」
「どこ? あ、これか。こんな細いので倒せるのか」
「あれ見ろエル! 向こうにも傷あるぞ!」
少年たちは興奮した様子で、シュンカを遠巻きに観察している。
近くにいる大人たちは、気を使って彼らにも見えやすい位置に移動しながら、何事かを話し合っている。毛皮の損傷が少ないと助かるとか、魔物の肉は不味いとか、そんな内容だ。
少年たちはキンキンと高い声で爪や牙の鋭さに目移りしているが、ビビアンは傷の付近だけをじっと見つめながら、アンジェに尋ねる。
「どんな魔法使ったの?」
「今は周りに人が多い。明日、広い場所でやろう」
どうやらビビアンは、魔物よりも魔法に興味があるらしい。
シュンカについて知りたがっていた割には、実物を前にしても興味がなさそうだ。話を聞いて関心が薄れたのだろうか。この少女の内面は、やはり理解できない。
「(どう接したらいいのか、わからない)」
青い髪を指先でくしゃくしゃといじりながら、ビビアンはシュンカに空いた穴を見つめている。
「シュンカは全員死んだの?」
唐突に話題が変わる。
先程の、思い返してみると小っ恥ずかしい英雄譚で話したような気がするが、記憶にないならもう一度話すまでだろう。
アンジェは自分より背が高いビビアンの横顔を見ながら、首を縦に振る。
「うん。全員倒した」
「そっか。もう殺せないんだ」
ビビアンはようやくシュンカから目を離し、アンジェの方を向く。
濃い青の瞳が、潤んでいる。口元が歪み、波打っている。
「じゃあ、ぼくはどうしたらいいの? 仇もいないしパパもいない。どうやって、残りの時間を過ごせばいいの?」
その顔は、まるで真っ黒な雨雲のように暗く、湿っていた。