『子孫』
《ニコルの世界》
朝。
私は早起きして、屋敷内の見回りをしている。
自分で歩いて朝の空気を吸いながら、エイドリアンがハイエロファントに向かう前に残した枝を使って、残りの区域を監視。いつも通りの日課だ。
「うん。異常なし」
どうせ夜番の使用人からも報告されると思うから、いいところで切り上げる。
私がやってるのは、単なる気休めだ。本当にすごい泥棒だったら、見てわかるような痕跡は残さないだろう。残っていたとしても、今から足取りを追うことはできない。
まあ、早起きするための口実ってところかな。こういう理由を用意しないと、すぐ怠けてしまうのが私だから。
「ふふふ……」
見回りの最後に、私はアンジェの部屋に入る。
もちろん、寝込みを襲うためだ。性的な意味で。
「久しぶりに……愛し合おうねえ……」
私もアンジェも、今は忙しい身。夜はずいぶんご無沙汰だ。
もう3日も抱き合っていない。我慢の限界だ。
私は枝の警報を無力化し、暗い寝室に押し入る。
物音を立てないように。寝ているアンジェを起こさないように。
しかし、部屋を何歩か進んだところで、私は目に入ってきた光景に愕然とする。
「えっ。なんで?」
アンジェは寝床でエイドリアンに抱かれていた。
大きくなったドリーちゃんは、もう立派な女性だ。幼いあの頃の面影を残しながらも、魅力的な姿に成長している。
……それが今、アンジェの体をしっかりと拘束し、うなじに唇を添えている。
「なんてこった」
私は動揺で足音を立てながらも、冷静に現状を分析する。
アンジェの側から手を出したとは思えない。性欲が薄く、求めるより求められるのが好きな性格だ。そもそもエイドリアンの教育を率先して行った師匠なんだから、彼女をそういう目では見ていないはずだ。
どちらかというと、エイドリアンがアンジェを襲った可能性が高い。この状況もそれっぽいし。
「無事かな?」
私はアンジェの下半身をすっぽんぽんにして、色々と確かめる。
汚れなし。拭いた痕跡もなし。布も同様。
「そこまではしてないか」
私は剥ぎ取った服に顔を突っ込んで匂いを堪能しつつ、エイドリアンに疑いをかけたことを心の中で謝罪する。
抱き合って眠るくらい、よくあることだ。私も魔王討伐の前夜は寄り添って寝たし。これくらいは普通なんだ。エイドリアンにとっては。
「じゃあ、気を取り直して」
私は顔を上げて指を温め、本格的な情事に移行しようとする。
……そんな私を、褐色の顔面が、じっとりとした目で見ている。
「ニコルさん。あんた、何してるの」
いつのまにか、エイドリアンが起きていた。行軍中に襲われてもすぐ戦闘体制に入れるよう訓練されているから、起きない方が不自然か。
彼女はいつも以上に不機嫌そうな顔で、私の目の前まで迫ってくる。
「2人がそういう仲なのは知ってるよ。子供の頃からたまに覗いてたから。でも、人前でするのはよくないよ。ちょっとくらい我慢して」
「……昔よりそういうことに厳しくなったね」
幼い頃はエイドリアンが私たちを色ごとに導いていた気がするけど。みんなで『仲良し』しようとか。
私の率直な指摘に、エイドリアンはますます機嫌を悪くして、ほんのり頬を膨らませる。
「あたしはもう、無知じゃないよ。一般常識も身についてる。みんながおかしな関係だってことも、ちゃんと理解してるんだよ」
「そっか。アンジェの教育が良かったんだね」
「アンジェちゃんだけじゃないよ。みんなのおかげだよ。……そのみんなの中に、ニコルさんも入ってる」
エイドリアンはアンジェにそっと服を着せる。
安眠を守るように、ゆっくりと、優しい手つき。柔らかいアンジェの肌を刺激することなく、服は元通りにアンジェの体を飾る。
エイドリアンは器用だ。手先は勿論、枝の魔法をずっと使ってきたからか、魔力の操作も上手い。
何もかもが高水準。だからこそ、魔王を倒すほどの戦士になれた。
エイドリアンはアンジェの寝息を確かめた後、私に湿った腐葉土のような目を向ける。
「あたしはニコルさんを尊敬したいから……えっちなことは、違うところでしてね」
「ごめんなさい」
私はアンジェを貪ることができずにしょんぼりするものの、同時にエイドリアンの成長を実感して、心がじーんと熱くなる。
この子の前では、節度ある良い人でいよう。私はどうしようもない色狂いだけど、狂気を回りに押し付けるような真似はしたくない。
私は頭を下げて、大人しくアンジェの部屋から出ていくことにする。
今日はひとりで発散するしかないかな。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
私は何回かひとりで荒れ狂った後、お風呂で身を清め、朝食の席に座る。
私とアンジェとビビアンとニーナ様。屋敷を拠点としている4人が、勢揃いだ。
特に用事がない時は、なるべく4人で集まるようにしている。
私たちはみんな地位が高く、忙しくてなかなか会えないけれど、それでも……家族として、なるべく一緒にいたいから。
今回はみんなに加えて、エイドリアンもいる。前日の時点でエイドリアンがここに来ていることは承知していたから、厨房の人もちゃんと多めに作ってくれたようだ。優秀だなあ。
今日の献立は、豚肉をびっくりするくらいしょっぱい調味液で焼いたものと、普通のゆでたまご。あと、柑橘類の砂糖漬。ついでにただの麦餅。
特に美味しくはない。昔の私なら美味しいと感じただろうけれど、もう70年も似たような朝食を食べているから、すっかり慣れてしまった。
……私もずいぶん贅沢になったものだ。
私はもそもそと麦餅を食べながら、誰かが会話を始めるのを待っている。
あんなことがあったからか、気まずい。いつもはいないエイドリアンが話の中心になるはずだから、私は黙っておかないと。
私が二口目を頬張った直後、案の定、ビビアンが喋り始める。
「魔王が死んだ今……我々の脅威となる存在は、身の回りにはない。強いて言うなら帝国の動きが怖いけれど……しばらくは平和になるだろう」
その通りだ。しかも、その平和は私たちの手で勝ち取ったものだ。達成感と疲労感で、思考がふわふわと落ち着かない。きっと軍の下の人たちも、偉い人たちも、同じ気分だろう。
何か新しいことをしようという気分には、しばらくなれそうにない。戦争で火照った脳を冷やすため、元の生活を取り戻しながら、小休止だ。
ビビアンはニーナの様子をチラリと窺いながら、軽めの酒をひと口飲む。
「平和な世の中になったからこそ……提案したいことがある。これは強制ではないし、我々の立場や体質からして確実とも言えないんだけど……その……」
なんだろう。ずいぶん勿体ぶった言い方だ。穏やかな朝の、風が吹けば飛ぶような軽い世間話……ではなさそうだ。
ビビアンは懐から何かの瓶を取り出して掲げる。
とても小さな瓶。だけど、とんでもない量の魔力が詰まっている。
「魔法薬だ。効果は……その……」
ビビアンは急激に顔を紅潮させて、俯いてしまう。
挙動不審な様子。ビビアンの研究内容。平和になったからこそできること。
あらゆる要素を噛み砕いて……自分自身の願望も混ぜて……私はようやく、答えに辿り着く。
「子作り!」
ほとんど絶叫に近い私の声に、アンジェは満面の笑みで喜び、ニーナ様は驚く。エイドリアンは……何かを考えているようだ。
ビビアンは燃え上がりそうなほど顔を熱くさせて、薬の詳細を語る。
「そうだ。悪魔の生殖方法……魔力を注ぎ、相手を乗っ取るというやり方を応用し、作り上げた薬だ」
「しかし、あれは我々の考える人道的な子作りとはかけ離れた方法でしてよ?」
ニーナ様の指摘に、ビビアンは頷く。
「うん。だから、発想をもう一歩先に置いた。互いに魔力を注ぎ合って、素体無しで悪魔を作り上げる。この薬がもたらすのは、そういう子作りだ」
ビビアンは恥ずかしがる乙女から理知的な研究者へと早変わりし、更にもうひとつ瓶を机の上に並べる。
「片方が青い薬を飲む。もう片方が赤い薬を飲む。青い方が赤い方に魔力を注ぐ。すると、赤い方の子宮で子供が育つ。……細かい注意事項は、食事の場で話すことではないね。また今度」
……おお。
理屈に関してはさっぱりだけど、とんでもない発明だということは私にもわかる。
魔力を使うということは、魔道具の作り方を応用したのかな。ビビアンとアンジェの得意分野だ。
下腹部をさする私の前で、ニーナ様が期待に満ちた目でビビアンを見つめる。
「もしや、わたくしでも……?」
「当然だ」
ビビアンは当然と言いたげに胸を張り、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「近年のニーナの義体は、この薬に馴染むように作ってある。つまり……想像の通りだ」
「体の変化や妊娠期間は!? 人と同じですか!?」
「だいたい同じ。人に近い魔物で試したことはないから、確実とは言えないけど……人を基準に予定を立てていいはずだ」
「ああ、ついに……ついにわたくしも、人としてあるべきところまで戻れました……。どんな子供が産まれてくるのでしょう。今から楽しみですわ!」
ニーナ様は愛するビビアンの手で人間らしさを取り戻すことに喜びを覚えている。
もはや見た目も中身も人間と遜色ないのに、子供までできるようになったら、それはもう人間と変わりない。
しかし当のビビアンはそこで少し口ごもり、気まずそうに続きを話す。
「産まれてくる子供は……全て悪魔の女性になる」
「悪魔になるのは魔力のせいでしょうけど、男の子が生まれないのは……?」
「女性同士では女性しか生まれないらしい。アンジェの知識の海がそう言ってるし、ぼくも動物実験でそれを確かめた」
アンジェはビビアンから話を受け取り、解説を引き継ぐ。
「知識の海にも答えは載っていません。ですので、あくまでオレの推測なんですけど……男性というのは、男性になるための要素があって、初めて成り立つものなのです」
「男親がいないと、子供がその男性要素とやらを持てないということですか?」
「そういうことです。子供は男性の親から、男を受け継ぐのです。難しすぎてオレもよくわかってないんですけどね」
アンジェは特に気にしていない様子で匙を口に咥える。
昔のアンジェは悪魔嫌いだったけど、悪魔しか産まれない不具合を受け入れられるんだね……。
種族も性別も限られてしまうのは、子供の未来を妨げているみたいで、私にとってはちょっと悲しいことなんだけど……。
でも、私たちが普通に接してあげればいいだけか。私だってそうやって育てられたんだし。子供を悲しい目で見るような真似はやめよう。
ニーナ様はほんの少しガッカリした様子で、食事の手を止めている。そんな彼女を見て、ビビアンも悲しそうに口をつぐむ。
一方、エイドリアンは作法通りの上品な仕草で口元を拭いながら、ぶっきらぼうな声で沈黙を破る。
「悪魔の方が長生きするし、魔力があるからできることも多い。今更人間にこだわることないと思うよ」
「……そうですね。わたくしも理解しています」
ニーナ様は取り繕った笑顔を向けつつも、声色はどことなくぎこちない。
「悪魔が暮らすこの街において、わたくしの想いは、単なるこだわり以上の意味を持ちません。感性が過去のまま更新できていないのでしょうね」
「うん。頭が古いよ。今どき人間讃歌なんて」
エイドリアンは当然のように首を縦に振る。
悪魔として生まれたこの子には、人間であることを誇る気持ちは絶対にわからないだろう。
……たとえ純粋な人間でも、わからない人は多い。私だって、ニーナ様の気持ちを本当の意味で理解できてはいない。ちょっと共感できるだけだ。人でも悪魔でも、自分の命に誇りを持てるならそれでいい。
友人から厳しい発言を受けつつも、ニーナ様は怒るどころか、むしろ吹っ切れたように笑う。
「取り戻すことのできない昔を懐かしみ、時流の変化に置いていかれる。……わたくし、お婆ちゃんみたいですわね」
流石は王様。懐が広い。
と言うと、なんだか冷やかしみたいだから、やめておこう。
一方、エイドリアンはやっぱり不機嫌そうな顔をしたまま、ビビアンに問いかける。
「魔力を注ぐ……。その方法だとお姉ちゃんは子供を作れないし、男の人同士でも無理だよね」
「……うん。一応目処は立ってるけど、まだまだ遠いねぇ」
「ふうん。……じゃ、あたしでも色々考えとくよ」
エイドリアンは頷き、食事に戻る。心なしか眉間に入る力が緩んでいるから、きっと落ち着いてくれたんだろう。
……人間でなくても、情はある。
エイドリアンは心無い道具じゃない。みんなに大切に育てられたから、みんなを大切にするいい子になったんだ。
私はニーナ様とエイドリアンの言葉を胸に抱え、食事を終わらせる。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
私は魔王の谷の調査を指揮しつつ、何日かを過ごすことになった。
アンジェとビビアンとニーナ様は、まだ前線には降りてこない。溜まりに溜まった私の性欲は、もっぱらナターリアにぶつけることになった。
ビビアンから子作りの話を聞かされたからか、凄く燃えた。激しくしすぎて、ナターリアは枯れ気味だ。
……性の事情はともかく。
ぶんぶん剣を振り回した甲斐あって、付近の魔物を一掃できたから、今日は谷の中に降りて本格的な制圧に乗り出す。
エイドリアンとナターリアが枝で様子を探り、軍の人たちが手分けして目印や記録を書いていく。
土地の状態。魔物の死骸の数。落石に注意しつつ、未知を情報で埋めていく。
「補修、終わりました」
「よし。じゃあ、手筈通りに」
木材で工事をしていた班からの連絡を受けて、私は剣を携えて谷底に向かう。
道中は人でもそこそこ安全に通れるくらい頑丈に組み木がされている。後でアンジェとビビアンが詳しい調査をするから、あの子たちでも問題なく通れるようにしておくのが、今回の目的だ。
「地面は長い時間をかけてゆっくり動いてるってアンジェが言ってたけど、ほんとかなあ……」
私は靴の中に入った砂を気にしながら、奥へと進んでいく。
エイドリアンの魔法でぐちゃぐちゃになった魔物の肉片がこびりついていたらしいけど、今は片付けられて綺麗さっぱり。観光地にしたいくらいだ。
「さて」
私は底で待っていたナターリアと合流する。
周りには血痕がある岩と、かつて骨だった粉で溢れている。そんな暗くて不潔な場所にいるというのに、ナターリアは神聖王の優雅な衣装を着て、いつも通りの挙動不審な態度だ。
「あたいまで来る必要はないでしょうに……」
「愛しのドリーちゃんの晴れ舞台だよ?」
「でもここ、ばっちいですし……」
「やる必要性を感じないよ」
部下たちと共に追いついてきたエイドリアンが、つまらなそうな声で話しかけてくる。
「こんなことしなくても、ここはもうあたしたちの谷なのに。どうして儀式なんか……」
「ダメですよ王妹殿下。浪漫は大事です。浪漫があるからこそ、語り継がれるのです」
お付きのハイエルフたちが、記録用の機械を弄りながら苦笑している。
ハイエロファントの人々は、ナターリアたちと距離が近い。いつも仲が良くて、とても羨ましい。
「我々の子供や、その先を生きる未来の人々が、この国を誇れるように……ぱぱっとでいいので、やっちゃいましょう」
「えー……」
いまいち乗り気でないエイドリアンに、ハイエルフの人たちは大きくて立派な旗を押し付ける。
私も儀礼用の使い物にならない剣を渡されて、思わず苦笑い。こんなごてごてした装飾のある剣、どうやって使えばいいんだろう。
……まあ、この際なんでもいいか。やっちゃおう。
私は魔王がいた谷底に、剣を突き立てる。
エイドリアンも剛腕を持ち上げて、旗を差す。
ハイエルフたちは映像を保存する高価な魔道具を構え、ナターリアの周囲に群がる。
「えー、おほん。ニーナ様の代理として神聖王が宣言します。ここ、今日からあたいたちの領地です」
「うおおおおおッ!!」
大地が震えるほどの歓声が、谷底に響き渡る。
魔王を打ち倒した証。数多の人々の犠牲が報われ、新しい時代が始まる証。それが今、掲げられたのだ。3人の英雄によって。
当の英雄はみんな、やる気のない顔で帰り道の方を向いているけどね。私も含めて。
……みんなが喜んでくれるなら、それでいいか。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
その後何日かかけて人が住むための工事の計画を立てて、更に数日。
周囲に魔物がいなくなったので、私の出番もなくなった。報告用の人員たちを連れて、一旦帰宅する予定だ。
私に求められている役割は、魔物や他国との直接的な戦闘だけ。
私の剣術は身体能力と無限の魔力ありきだから、他の人には使えない。だから手合わせの相手にはなれるけど、指南はできない。
英雄だなんて呼ばれているけど、暴力のための人材でしかないんだ。今の私は。
「(アンジェやビビアンに比べれば、全然大したことしてないのに、とんでもないお給料を貰って、尊敬までされちゃって。昔じゃ想像もできなかったな)」
私は自室でひとり、過ぎ去った日々のことを思い出している。
アース村から旅立った日。アンジェは魔法と頭脳を見込まれてお貴族さまになれると確信していた。一方私自身は大した能力が無いから、使用人か奴隷になるだろうと思っていた。
アンジェはほぼ予想通りの立場になったけど、まさか私ごときが貴族として肩を並べられるなんて、夢にも思わなかったなあ。
今ではある程度、自負を持っているけれど……それでもやっぱり、少しだけ違和感がある。
「やぁ、白き剣士。お疲れ様。楽しみすぎて、ちょっと早く来ちゃった」
使用人さんに部屋の扉を開けてもらいながら、ビビアンが入ってくる。
何やら話したいことがあるらしいから、帰ってきて早々にお茶会の予定を入れたのだ。
とはいえ、こんなに早く来るとは。まだ待ち合わせ時間前なのに。誰かに仕事を任せて来たのかな。
私は姿勢を正して礼をして、自分でビビアンの席を用意する。
「ようこそ。椅子はこれでいい?」
「もちろん。いい茶はあるかい?」
私はあまり使用人さんを雇っていない。人を顎で使うのが苦手だから。
だから私はビビアンに笑顔を向けつつ、自分で茶器を乗せた台車を引っ張る。
「お茶会はよその国に行った時、最低限するだけだから……ここには、あんまり……」
「そうか。ま、帰ったきたばかりだし、買うのも間に合わないか」
ビビアンは想定済みだったみたいだ。まあ、この子は頭が良いし気配りもできるし、何より私たちと仲良しだ。私のお茶会事情も、ちゃんと把握しているんだろう。
ビビアンは使用人さんから袋を受け取り、ひらひらと振って示す。
「ぼくからのおすすめだ。これを飲もうじゃないか。淹れ方はこの子が知ってる」
「ありがとう。せめてお茶菓子は出させて」
私は魔道具の保存器から、常備してある様々な菓子を取り出す。
ヤマト連邦のもちもちとした食感のお菓子。ミストルティア王国の果物を入れた焼き菓子。ニーズヘッグ帝国の砂糖をたっぷり使ったお菓子。
このお茶に何が合うかわからないから、選択肢はたくさんあった方がいいよね。
席に座ったビビアンは、ちょっと悪戯っぽい雰囲気で微笑む。
「ほうほう。ぼくの分まで、色んな国に訪れてくれたみたいだねぇ」
「私にできるのは、前に出て動くことだけだから」
私はビビアンの使用人さんが正確な手順でお茶を淹れる姿を、のんびりと見守っている。
私は英雄として名が売れているから、定期的によそで演説をすることになっている。ピクトへの偏見を減らすためには、口を開いて主張するしかないのだ。
また、各地の貴族たちとの会合にも出席している。私はあんまり出たくないんだけど、地位がある人にも顔を見せておかないと、ミストルティアからの印象が悪くなるかもしれないから。
ニーズヘッグ帝国からの使者とも話をして……。
……あの時のことは、ちょっと思い出したくない。
あの国のお菓子は美味しい。音楽も素晴らしい。だけどあんな人たちばかりなら、味方したいとは思えない。
……そんな感じで、色々な人たちとおしゃべりをしたけれど。
正直、次々と新技術を生み出しているビビアンや、有名な学者に教えてきたアンジェや、芸術家を何人も抱えているナターリアと比べたら、私のしていることなんて、ただの使いっ走りだ。
私が自分の地位に違和感を覚えているのも、このどうしようもない劣等感が原因かもしれないね。
「んみぃ。そう謙遜することはないよぉ。ニコルは誰よりも努力家だ」
ビビアンはニーズヘッグ帝国の菓子を選び、使用人に取り分けさせる。自信に満ちた態度だ。
「ニコルは自分のことを怠惰だと思い込んでいる。でも、怠惰であることを自覚して行動できるから、結果的に誰よりも努力を積んでいるんだ。国の利益として実る努力を、たっぷりとね……」
「そうかな……? 私、才能にあぐらを掻いているだけだと思うんだけど……」
無限の魔力と、身体能力。これらを没収されたら、何も残らないんじゃないかな。
でもビビアンは私の内心を察したのか、よくわからない曖昧な表情で首を振る。
「例えば……エイドリアンは強い。剣を振って一流、魔法を撃っても一流だ。アンジェの知識の海に『新たなる魔王、英魔雄王のエイドリアン』と記載されたくらいだからね。君も納得だろう?」
「強いけど……魔王呼ばわりされてるんだね……」
まさかあの子、真っ向から魔王と戦っても勝てたのだろうか。……あの子の本気は未だに底知れないからなあ。あり得る。
ビビアンはくすっと笑い、私の皿にある大量のお菓子に視線を奪われつつ、励ましてくれる。
「それと渡り合えるなら、ニコルは十分に強力だ。力はもちろん、心も技も世界屈指。というか、未だに負けたことが無いんだろう?」
「剣だけならそうだけど……魔法を使われたらたぶんあっさり……」
「うじうじするんじゃないよ。君に勝てないまま散っていった剣士たちが、あの世で泣くぞ」
ビビアンは気楽に笑ってみせる。
田舎娘の面影を僅かに残した、屈託のない笑顔。
……すっかり貴族に染まったビビアンも、そんな顔をするんだね。
「(貴族でも、気楽でいいんだ……)」
私はまだ納得できずにいるけど、不満を喉の奥に押し込むことにする。
ビビアンは正しい。気持ちだけで否定している私より、ずっと筋が通っている。私に問題があるなら、私が引くべきだ。引いて、振り向いて、少しずつ考えを改めていこう。
何十年も生きてきたから……年の功というやつだ。
お茶の準備ができたので、私は声をかける。
「冷めないうちにいただきましょうか」
「そうだね。話は舌を整えてから……」
私とビビアンは、目の前の茶の香りを楽しみつつ、同時に口をつける。
ちょっと渋めだけど、底に甘さが漂う味だ。私とビビアンのどちらも楽しめる、良い選出だと思う。
私はしばらく、争いとは無縁の優雅なひとときを過ごすことにする。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
ひと息ついてから使用人たちを外に出し、ビビアンは本題を口にする。
「例の薬について、話がしたい」
女の子同士で子供を作る薬のことか。
それにしても、どうして私を呼び出したんだろう。警戒されているのかな。日頃の行いが悪いし。
私は相変わらず巨大な胸に手を当てて誓う。
「確かにアレの回数は私が圧倒的に多いけど、避妊はちゃんと心がけるよ。無責任なことはしない」
「そういう話じゃない」
違ったみたいだ。
だとすると、私に孕んでほしいのか……。ビビアンが最初の人に私を選んでくれたなら、光栄だ。てっきりアンジェになるかと思っていたけど。
私が体の疼きに火照っていると、ビビアンは恐ろしい怪物を前にしたかのように冷や汗を流す。
「子供を授かる組み合わせはもちろん、誰がどの役をするのか……時期はどうするか……順番は……世間への公表はどうするべきか……色々考えるべきことはあるだろう。もう少し脳に栄養を回したまえ」
「そうだね」
私は薬の効能を思い出しつつ、首を縦に振る。
青が与え、赤が授かる。同じ組み合わせでも、赤い薬を飲んだ方に大きな負担がかかる。
私は外で仕事をすることが多いから、考えなしに赤い方を飲むわけにはいかない。十分に準備をしてからじゃないと。
それに、同時期に出産が重なるとまずいよね。何人もその時を迎えたら、人手が足りなくなりそうだし。
「私が飲むと、戦えなくなるのが不安だね。魔王が死んだから、暇はできそうだけど……」
「そうだ。時間の確保はもちろん、最初だから母体の安全にも気を配りたい。……そこで、その……提案があるんだけど」
ビビアンはもじもじと両手を擦り合わせつつ、俯きながら私に尋ねる。
「最初に産むのは……アンジェがいいと思うんだ」
「えっ」
私は予想外の提案に言葉を失う。
ビビアンが私に相談をもちかけた理由はわかった。でも、アンジェが一番安全だと判断したのはどういうことなんだろう。
アンジェは小柄だ。どうやって子供を産むというのか。膨らんだお腹に潰されてしまいそうだ。
私は茶器を傾け、ビビアンの解説を待つ。
この子は私たちの頭脳だ。何をするにしても、常に理論を携えている。私を納得させるための準備をしてきたからこそ、こんなことを言い出したんだろう。
案の定、ビビアンは早口で訳を話す。
「アンジェは魔法出力が強い。魔力感も鋭敏だ。魔力を注いで子供を作るという過程において、失敗はほぼ無いと思っていい」
「アンジェが魔法を失敗するわけないもんね……」
アンジェは世界最強の魔法出力を持つ。数値化はできてないけど、魔王の谷を操れるエイドリアンよりずっと上らしい。
そのうえ、細かい魔力操作も大得意。確かに、失敗は避けられそうだ。
ビビアンはろくに呼吸もしないまま、更に舌と唇を動かす。
「アンジェは不死身だ。魔力さえあれば蘇る。腹を開いて赤子を取り出しても生還できる」
「……そうだけどさあ」
それって、アンジェを一度殺すと言っているようなものだよね。
承認したくない。私はアンジェを傷つけたくない。
「アンジェにはこの話、したの?」
私が確認のために尋ねると、ビビアンは神妙な様子で頷く。
……そうだろうね。
最初に試す役は危険だ。ビビアンだって、アンジェを実験に使うような真似はしたくないはず。私の目で見ても、アンジェのことを気遣っているのが伝わってくる。
だから……きっとアンジェが言い出したんだろう。自分が最初に産むって。
元は男だったという事実も、心の奥底で後押ししたかもしれない。最近可愛らしさを研究しているみたいだし、女性らしさに憧れているのだろう。今更そんなことを気にしなくてもいいのに……。
私はアンジェの身の危険も考慮して、答えを出す。
「アンジェならやれる」
漠然とした不安以外に、拒否する理由は無い。アンジェは悪魔だから、案外平気な顔をしてぽろりと産んでしまうかもしれない。見た目よりだいぶしぶとく、頑丈だからね。
私は飲み干したお茶を置き、ビビアンの考えを指摘してみる。
「ビビアンだって、アンジェに子供を産んでほしいんでしょ?」
その場で言いくるめず、私のところまで話を持ってきたからには、そういう意思があるのだろう。
アンジェを止めたいなら、私の手をとって「一緒に説得してくれ」と言うはずだ。
ビビアンは目を丸くして、体を硬直させる。
「……察しがいいね。そうだよ。ぼくの意見はその通りだ。よくわかったねぇ」
「何年一緒にいると思ってるの?」
「ひひっ。それもそうか」
ビビアンはすっきりした顔で席を立ち、格好つけた歩き方で窓に向かう。
外は明るい。曇りひとつない青空が広がっている。
「理論上、人数に制限はない」
唐突な発言に戸惑いつつ、話についていくため疑問を口に出す。
「人数って……何?」
「青い薬をぼくとニコルで飲んで、2人でアンジェに魔力を注ぐのも……出来そうなんだよ。今回はやらないけどね」
「そんな方法が!?」
私はビビアンの発想力と技術力に絶句しつつ、思わず椅子を蹴って立ち上がってしまう。
3人で。そんなこと、考えたこともなかった。革命じゃないか。ということは4人でも5人でも……。
動揺する私の顔を面白そうに眺めながら、ビビアンは後光を受けて微笑む。
「ひとり対ひとりの子作りくらい、どうってことないよ。理論は完璧。準備も万端。後は実証するだけだ」
「ビビアンの頭は、もっと先にいるんだね」
「ぼくだけじゃない。世の中の母親はみんな、これと同等の恐怖を克服しているんだ。渋っていては情けないよ」
そっか。ビビアンがそう言うなら、安心だ。
当然、危険が無いわけではないだろう。本当に何もかもが安全なら、言い淀む理由はないんだから。
でも、あの子がここまで主張するのなら。私が堰き止めていいはずがない。
あれこれ話し合った後、私はビビアンから赤い薬を受け取った。
順番を譲ってくれてありがとう。期待に応えられるよう、頑張るね。