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『次へ』

 《エイドリアンの世界》


 ドリーはドリーだよ。

 ……などと名乗らなくなってから、もう何年経ったことだろう。


 現在のあたしはエイドリアン・ハイエロファント・ダークエルフ・アクシア・アースだ。

 ダークエルフ族の長となる予定であり、アース家の庇護のもとミストルティア王国・機械国ピクトで共通の爵位を持つ立場であり……。

 こうやって解説するのが面倒だから、今はこっちの正式名でも名乗っていない。


 今は単にエイドリアンと名乗ることが多いよ。これでだいたいの人には通じるし。というか見た目が派手だからぱっと見でわかるし。


 あたしは今、魔王相手に名乗ってみたかったなあ、とか考えながらぼんやり立っている。

 魔王の谷の崖っぷち。落ちたらそこは火の海だ。火の海にしたのはあたしだけどね。


 あたしはニコルさんの花でできた通信機を耳に当てて、通話を始める。


「こちらドリー。魔王、たぶん死んだよ」

「うそ……。私の出番、無し!?」


 ニコルさんはホッとしたような、それでいてガッカリしたような、色々なものが混ざった声を漏らす。

 ニコルさん、暫定世界最強の剣士だからね。繰り上がりで最強は、あんまり嬉しくないよね。


 あたしが通信機に集中していると、不意に視界の端から何かが近づいてきて、あたしに飛びついてくる。

 魔王の谷の上でこういうことをする馬鹿は、ひとりしかいない。


「お姉ちゃん……」

「ドリーちゃんッッ!! あたいは今、猛烈に感激しています!」


 あたしのお姉ちゃん……ナターリア・ハイエロファント・ハイエルフ・アクシア・アースは、機械化した長い耳をぴこぴこ動かしながら、昔と同じ片目の顔をこちらに向ける。


「ドリーちゃんが強いのは知ってましたよ!? でも親心ってのはそういうもんじゃないんすよ! 危険な目に遭ってほしくないのが普通で……愛娘として大事に育てて……」

「お姉ちゃんだよ。ナターリアはお母さんじゃない」

「ふぎゅうう…………。あたいドリーちゃんの母親なのにい……」


 お姉ちゃんは汚ない上にうるさい泣き方で、涙と鼻水を撒き散らしている。

 今やハイエロファント神聖国の国王なのに、国民の目が無いとすぐこうなるんだから。しょうがないお姉ちゃんだ。


 あたしはこの場に残留している魔王の魔力を見つけて、お姉ちゃんに注意する。


「そこ危ないよ。魔王の最後の一撃が残ってるから」

「最後のって、あのドーンって奴っすか?」

「違う。死にながら腹部に口を生やして詠唱してた。火のやつ、たぶんそろそろ飛んでくるよ」

「ふげっ!?」


 お姉ちゃんは今更になっておろおろと周囲を見回し始める。

 魔王本人と遭遇してたら、1発で死んでたよ。作戦を立てたビビアンちゃん……群青卿に感謝だね。


 お姉ちゃんのの足元で、悪あがきの種が爆発する。

 火の魔法だろうけど、どの部位によるものかはわからない。アンジェちゃんだったら読み取れたんだろうな。あたしは悔しく思う。


 お姉ちゃんはその一撃に巻き込まれて、全身を赤い業火に包まれる。


「ほんぎゃあアアァァッ!!」


 不細工な悲鳴。見た目はあんなに美人なのに、どうしてこうもダサいんだろう。


 あたしは背負った矢筒から特製の矢を取り出して、勢いよく振る。

 お姉ちゃんに纏わりついた炎をかき消すためだ。ニコルさんほど強くはないけど、これくらいの技術は身につけてあるよ。


 炎が消えると同時に、お姉ちゃんは火傷ひとつない状態で、のほほんとした笑顔を向けてくる。


「ぜひーっ……ひーっ……ふう。母親想いの孝行娘で、あたいは嬉しいっす」

「はあ……。折角成長したのに、まだ母親面してくるなんて。最悪だよ」

「そんなこと言わないでくださいよー!」


 何十年という長い時の中で、あたしの体は大きくなった。

 元々筋肉質だった体は、更に筋肉をつけて、引き締まった戦士の体に。濃密な魔力を帯びた髪は、ほんの少しだけ伸びて。

 何より一番変わったのは、身長だろう。ニコルさんやお姉ちゃんと並んでも見劣りしない。子供っぽさより大人っぽさの方が多くなったはずだ。


 普通の悪魔はなかなか成長しないけど、あたしは強かったから、できた。

 お姉ちゃんに娘扱いされないために頑張ったんだけど、失敗に終わって……あたしは寂しいよ。


 無傷のお姉ちゃんをよそに、あたしは花の通信機でニコルさんと会話する。


「こちらドリー。魔王の残滓も消滅したよ。もう完全に無害。生きてる魔物がいるかどうか確認して、帰るだけだね」

「そう。良かった。……ナターリアは?」

「魔法に巻き込まれたけど、平気だよ。魔道具のおかげで」


 あたしはお姉ちゃんがボケーっと立っている方を見て、ため息をつく。

 耳の代わりについている金属の魔道具。あれはビビアンちゃんが開発した、お姉ちゃん専用の魔道具だ。

 お姉ちゃんは魔力0の唯一の生物。その特性を周囲の世界に広げて……色々するんだって。


 それでなんやかんやすると、純粋な魔法攻撃は全部消えちゃうんだ。お姉ちゃんみたいに無になるから。


 あたしの視線に気付いたのか、お姉ちゃんはまたあたしに擦り寄ってくる。


「はいはいこちらナターリア。平気です。というわけで、魔王討伐、完遂しましたよ!」

「ご苦労さま。谷の侵食で疲れたでしょ? ゆっくり休んでね」


 あたしの魔法は、お姉ちゃんでも操れる。昔、サターンの街で巨人を動かしたみたいに。

 だから、谷を侵食するときも、あたしとお姉ちゃんで交互に頑張った。片方はずっと魔法を使って、もう片方は寝て。それを何回も繰り返して、半年もかけて谷を征服したんだ。つらかったなあ。


 ……でも、ようやく魔王を打ち倒すことができた。戦いじゃなくて、計画的な工事にしたからこそ、これほど上手くいったんだと思う。

 ニコルさんの出番になっていたら……倒せなかったかもしれない。


「ようやく終わったんだ……」


 あたしはそこそこ感慨深い思いに浸りながら、アンジェちゃんたちが待つお屋敷に帰ることにする。

 作戦に参加したみんなを労い、お家に帰しながら。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 魔王を倒したって実感、あんまり無いっすね。なんというか、顔も見たことがない相手の死に、感慨も何も無いっていうか。

 ニコルさんたちにとっては、因縁の相手かもしれませんけど……あたい、ぶっちゃけ魔王なんかどうでもいいし……。


 あたいは谷からほんの少し離れたところにある森に足を踏み入れる。

 この森は、あたいにとって庭のようなものだ。だってドリーちゃんと力を合わせて生やした森だから。


 ……かつてこの場所には、広大な荒野があった。谷から抜け出してくる凶暴な魔物たちと、屈強で堅牢なピクト軍とが、ここでずっと戦っていた。

 でもビビアンちゃんが起こした技術革新の数々で、人間の武力は大いに高まった。その結果、荒野を少しずつ前進し、人間の領土を広げることができるようになった。


 その前進が魔王の谷のそばまで来た時に立った計画が、今回のコレですね。

 森を作って、根を張って、根を通じて谷を動かそう作戦。……正式名称が他にあるんですけど、長いし難しいので忘れました。


 それで、紆余曲折、いろいろありまして……あたいがこの森の管理者ということになり……。数年後には特区として旗揚げする予定です。

 100年後には違う国になっていたりして。まあ、あたいじゃ先のことはわかりませんけど。


 こうなるまでの紆余曲折を詳しく話しますと……何をどうしても長くなります。

 それでも、昔よりは長話をしなくなったと評判ですので……頭の中で解説してみますか。練習がてら。ここから家に帰るまで暇ですし。


 ミストルティア王国の内乱と、ニーズヘッグ帝国の宣戦布告により、ちょっとミストルティア内部がピリついてまして。

 ピクト領はなんと、そこに追い討ちをかけるように独立を宣言しまして。ニーナさまを国王とする機械国ピクトへと生まれ変わってしまいまして。


 それで、窮地に追い込まれたミストルティア相手に同盟を持ちかけまして。何様だよって感じですけど、向こうは本当に困っているため断れずに承認。ピクト領は正式に機械国ピクトとして認められました。


 関係はあんまり変わらず、ピクトは好きにやりつつ魔道具を輸出してる感じです。そこら辺が同じだからこそ、独立が認められたのかもしれません。

 ビビアンちゃん曰く、戦争にならないように根回しを頑張ったそうですから……。

 ……向こうは大変そうですけどね。こっちを嫌う暇もないというか。


 そんな機械国ピクトの特区として生まれた、かつて荒野だった森を領地としている地域が『ハイエロファント神聖国』です。

 産業は楽器と歌と自然魔道具。特に楽器は評判が良く、各地の音楽家から注文が来ています。ビビアンちゃんの宣伝のおかげですけど、幸先は良好って感じです。

 ちなみに、自然魔道具というのは、果実や石ころに簡単な魔法を込めた素朴な魔道具です。これはまあ、大した品じゃないです。民芸品みたいな感じ。


「(……知らない人に説明しろと言われても、これで平気っすね。よかったよかった。王さまなのに世情に疎いと思われるのは恥ずかしいですもの。おほほ)」


 そんなことを考えている間に、あたいたちは神聖国の王宮に到着しました。


 木造ですが色とりどりの塗料で着色され、実に鮮やかです。

 ……ああ、塗料も特産品でした。自分の国の特徴を忘れるところでしたよ。ダメな王様でごめんなさい。


 王宮の前に、出迎えの人たちがずらーりと立っています。

 使用人が10名。護衛が30名。音楽隊が10名。それ以外の野次馬がたくさん。

 夜中だというのに、これだけの数。熱気を孕んだ声が鼓膜と背骨を揺さぶってきます。昼だったらどうなっていたことやら。


 みんなあたいと同じ、耳の魔道具をつけています。これは自分と身の回りの魔力を弄るためのもので、ちゃんと魔力がある人にとっては、大した役に立たないはずのものなんですけど……。あたいほどじゃないにしろ、結構便利に思う人もいるみたいで……。


 すんません。長耳ばっかりで見た目が怖いです。


「ご無事で何よりでございます」


 使用人筆頭のお爺さんが、あたいに最大限の敬意を表しつつ、先導してくれます。その目にギラギラと歪んだ光を宿しながら。


 ……心が痛い。こんなに年上の人をこき使うのは、あたいには無理ですよ。

 いや、待てよ。あたい見た目は歳とってないけど、もう70くらいなんだっけ。全然死ぬ気配も老化する気配もないけど。なんででしょ。


 あたいは適当に微笑んで誤魔化しつつ、王宮に入ります。


「キャー! いま神聖王様が微笑んだわ!」

「胸が苦しい……。これが、恋!?」

「正気を保て! みんなであの笑顔を守ると誓っただろう!?」


 歓声がうるさい。背中が痛くなりそうです。あと、何人か気を失ってる人がいましたけど、大丈夫なんでしょうか。踏みつけられたりしてません?


 ドリーちゃんやニコルさんがじっとりとした嫌な目つきでこちらを睨んでいます。


「しゃんとして、お姉ちゃん」


 やめてくださいよ。そんな人殺しでもしたかのような目で見ないでください。あたいはただ、何故かあたいの狂信者になってしまった皆さんから逃げているだけなんです。あたいが被害者なんです。助けて。


挿絵(By みてみん)


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私は王宮で一晩を過ごし、翌日にピクト国首都インバースに向けて旅立つことにした。


 一応、私の蝶でアンジェたちには連絡が届いているはずだ。

 魔王を討伐できたこと。魔王が暴れたから、谷をダークエルフの領土として整えるのに時間がかかりそうということ。


 魔王がいた谷に住みたいと思う人なんかいない。だから変な輩が住み着かないように、エイドリアンにそのまま管理してもらうことになっている。

 あの子は今、その件でハイエロファントの人たちと話し合いだ。谷の破壊状況とか人員への被害とか、その辺も諸々併せて。

 あの子は昔から頑張り屋すぎて、見ていて不安になる時がある。報告くらい部下に任せればいいのに。


 私は同じ寝床の上で、ナターリアと共に裸で寝そべっている。

 こうして夜を共にするのも、もう何百回目だろう。寝る時に誰かが隣にいるのが当たり前になってしまっている。


「ねえ、ナターリア。国民のみんな、優しいね。義務なんか無いのに、お迎えに来てくれるなんて」

「怖いだけっすよ。あたい、そんなに偉くないのに」

「偉いよ、ナターリアは。魔力が無い人の希望になってる。もっと自信を持てばいいのに」

「荷が重いですねえ……」


 ナターリアは私に縋りつきながら、耳をぴくぴく震えさせている。そんなに怖いのかな。


 魔力社会になったピクト国で、魔力が少ない人たちが対等に生きていけるようになっただけでも、ナターリアの功績は大きいと思う。

 絵画や音楽、小説の発達。多彩な自己表現。多様性が認められる社会になったのは、この子のおかげだ。


 魔力によって差別されてきた悪魔も、魔力が無いことで差別されそうになった人間たちも……どれほどの人たちナターリアに感謝しているのか、数えきれないほどだ。

 文明のビビアンと、文化のナターリア。2人は最早対をなす存在になりつつある。


 私はこの街に来たばかりの頃を思い返して、ぽつりと呟く。


「この街に来て数十年……色々あったね……」

「ですねえ。いろんな人にお世話になりました」


 ナターリアは遠い日々を振り返り、瞼を閉じる。


「亡くなった人の顔をもう一度見たいと思うこと、よくありますよ。この前、アルミニウスさんのお孫さんに思い出話をせがまれまして……」


 魔王を倒して一区切りついたからか、私もナターリアも、少し感傷的になっているのかな。


 人生の大きな節目を迎え、それでもまだ先は長い。私は少し背が伸びたけど、老いが見えなくてむしろ怖くなってきている。今の私は、一体どういう存在なんだろう。


「(先に死んでいったみんなとは違う。それだけは確かだね。……寂しいな)」


 この先何人の死を見送ることになるのだろう。私たちの誰かが死んだ時、感情を消化し切れるのかな。


 私たちは過ぎ去った日の思い出に浸りながら、ゆっくりと眠りに落ちていく。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 森を抜けた先に、機械国ピクトはある。

 水と鋼と魔法の国。先進的な魔道具で、世界の進歩を促す国。

 ところどころ昔の街並みを残しつつも、空には宅配の飛行機械が飛び、増設された水路では公共交通機関の船が行き来している。


 かつて領軍の前線基地があった場所は、現在も軍隊の基地になっている。昔とはだいぶ装備や編成が違うから、全然違う印象だけど。


 私たちが分厚い門に近づくと、見張り番の女の人が声をかけてくる。


「ああ、ハイエルフの人。そこは危ないよ。装甲車の出入り口だから。一般はあっちの狭い方ね」

「知ってますよー。あっちの関係者入口に用があるんです」


 ナターリアが近くにある扉を指差すと、見張りの人はすっと顔色を変える。


「あ……。し、神聖王様!? そして、大将閣下!?

 失礼しました。本日の帰投、き……じょ、上官に連絡いたしましゅ!」

「固くならなくていいっすよ。……むしろ、軽い感じの方が助かるっていうか」


 ナターリアが自分の地位に見合わないことを言い始めたので、私は彼女の耳を引っ張って、無理矢理連れて行くことにする。


 一応、見張りの人には連絡をしてもらおうか。


「ハイエロファントではお祭り騒ぎになってたから、野次馬が聞きつける前に通過する。出迎えは要らないよ。観測班とお祝いの計画でもしておいて」

「は、はいいぃ!」


 見張りの人は大慌てで通信機を弄り始める。私の花を解析してビビアンが開発した魔道具だ。


 支離滅裂なことを言い始める見張りをよそに、私は黙って基地内に入る。

 対魔王の最前線がハイエロファントになったから、ここはずいぶんと平和ボケしている。恐怖が薄れている。

 おかげでちょっとだけ、魔王を弱くできたのかも。今後を見据えると不安しかないけど。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 扉を開けて、みんなが使う通路を素早く通り抜け、たまに挨拶をされたりしながらも、私とナターリアは基地の裏側に抜ける。


 基地から一歩外に出れば、そこは金属の光沢と水の反射が眩しい未来都市の真っ只中だ。

 機械国ピクト。複雑な魔道具で満たされた、最先端の文明を持つ国。


 とりあえず、私はナターリアに仮面と被り物を与えつつ、自分も龍変化で変装し、道に泊まっている車に声をかける。


「すみません。アース家のお屋敷までお願いします」

「あいよ。観光かい?」

「ええ。あの辺りは、ノーグ商会博物館や群青美術館があるので」

「ほお、よく調べたねえ。うちは観光客向けの冊子も印刷してるからね。おひとつどうぞ」


 運転手さんは手のひらに収まる大きさの本を渡してくれる。

 開いてみると、名所と道だけがわかりやすく描かれた地図に、各地の見どころ、公共交通機関の利用方法などが記載されている。

 描いたのはナターリアか、ハイエロファントの芸術家たちだろう。この手の仕事はだいたいそっちに割り振られるし。


 運転手さんが鍵を使うと、魔力が触媒を通じて増幅され、魔導炉を活性化させる。すると車は軽い振動と共に蘇り、ごうごうと唸り声をあげ始める。


「さ、お客さん。しっかり席に座ってな。尻尾は邪魔じゃないかい? そこに尻尾入れる溝があるけど、わかるかな?」


 お尻を上げて見てみると、椅子の背もたれに穴が空いている。ここに突っ込めば、椅子の内部に収納できるようになっているのか。


 私は折角なので、そこに細い尻尾を押し込んでみることにする。


「わっ」


 入口に先端を付けた途端、くるくると勝手に巻いて座席の中に入ってしまう。

 かなり強引だったのに、全然痛くない。猫みたいに毛が生えていたとしても、巻き込んだりしないのだろう。高性能だ。


 私の反応を見て笑う運転手さんと、怯えるナターリア。


「悪魔のお客さんも多いから、うちに限らず、こういうのが山ほどある街なんだ」

「びっくりしました」

「翼は……ちょっと大きいな。専用のやつを出さないと」

「ああ、お気遣いなく」


 私は龍の翼を小さく畳んで、邪魔にならないようにする。こういう動作も慣れっこだ。


 その様子を見て、運転手さんは目を細める。


「悪魔はまだ、よそじゃ迫害されてんだろ? 不憫だよなあ。でも安心していいぜ。魔道具の布無しでも、この街だと平和に暮らせるからよ」


 ビビアンは悪魔の魔力が発する嫌悪感を解決した。昔訓練場で使っていた木刀とか、ニーナ様の体とか、ナターリアたちエルフの耳とか、そういうのに使った技術を総動員して、魔力の嫌悪感を消す装置を作り上げた。

 今では街の至る所にそれが置かれている。草むらの陰や路地裏など、目につきにくい場所を見ると……ほら、すぐそこにも。


 ビビアン・フォン・ランスラット・アクシア・アース。あの子は歴史上最も偉大な発明家だ。間違いないね。私が保証する。


「さあて。発進するぜ」


 私たちは車の穏やかな揺れを楽しみつつ、アース家の屋敷……すなわち私の家に帰る。

 街で遊ぶ悪魔や人間の子供たちを、温かい目で見守りながら。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私たちは屋敷の前で待ち伏せを受け、面食らっている。

 アンジェだ。アンジェが屋敷の門の前で仁王立ちしているのだ。

 いかにもお嬢様らしい布の塊のような服を着て、ちょこんと愛くるしい姿でそこに立っている。


「見たよ。聞いたよ。やったね、ニコル!」


 アンジェは屈託のない笑顔で私に飛びつく。

 聞いたはともかく、見たとはどういうことだろう。ハイエロファントの観測班に、アンジェはいなかったはずだけど……。


 私が疑問に思うと、アンジェは何十年も変わらない小さなおててで指を組み、私に教えてくれる。


「魔王の谷が光ると同時に、知識の海が更新されたんだ。ドリーちゃんが魔王を倒したって。やっぱり凄いや、オレの一番弟子は!」


 なるほど。やっぱりエイドリアンが魔王討伐の英雄ってことになるのか。私も参加したかったなあ。そうすれば私の名前も載ったかもしれないのに。

 ……でも、既に『白き剣士』としての情報が記載されているし、文句は言わないでおこう。エイドリアンにも悪いし。


 私がアンジェの頭を撫でていると、ナターリアも被り物を取ってアンジェに抱きつく。


「うおおおおアンジェちゃーん!」

「ナターリア! 久しぶり!」


 2人はこの上なく嬉しそうな笑みを浮かべ、抱き合った後、口づけを交わす。

 この2人の絡みは、友達の延長線上みたいな雰囲気で、とても重いのに清々しい。なんだか羨ましくなっちゃうな。


 ナターリアはアンジェを抱き上げながら、結果を軽く報告している。


「魔王相手に損耗無しの大勝利っすよ! 半年以上かけた甲斐がありましたねえ!」

「誰も死ななかったんだ……。あの魔王相手に……。完全に作戦勝ちだね。鳥肌が立ってきたよ」


 アンジェは動揺で冷や汗をかきながらも、ここ数十年で一番喜んでいるように見える。

 魔王に対する恨みが誰よりも深い子だったから、それもそうか。アース村を滅ぼした奴がようやく死んだんだから、嬉しいのも当たり前か。


 アンジェは私にも飛びついて接吻をしつつ、ぴょんぴょんと小動物のように跳ねて、屋敷の中に招き入れてくれる。


「疲れたでしょ。ゆっくり休んでね。取材とかはこっちで断っておくから、ナターリアといちゃいちゃしながら過ごしてね!」

「アンジェちゃんも混ざってくださいよ。あたい、アンジェちゃんも恋しくて仕方ないんすから」


 ずっと谷への作戦に拘束されていたナターリアは、体をくねらせてアンジェを誘惑している。

 エイドリアンや軍の人としか話せなかったから、愛情不足なんだろう。生意気だなあ。


 アンジェは今の使用人のカーマインさん……ラインさんの息子さんを見て、無言で頷く。


「よし。対応は任せた。……じゃ、そういうことで」

「やった。3人でいちゃいちゃ、いいんすか!?」

「いいや。もしかすると、4人かもよ? ビビアンのところに寄らないとね」


 アンジェは数十年前より更に意地悪で子供っぽくなった顔つきで、にひひと笑う。


「ビビアンもきっと、みんなを待ってるはずだから」


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 楽しそうに話をしているアンジェとナターリア。

 長年背負ってきた魔王という荷物をようやく下すことができて、とても嬉しそうだ。

 アンジェの場合、最新の英雄譚を聞ける喜びも大きいかもしれないね。


「魔王の谷って、やっぱり暗くて深いんだ……。それでそれで!?」

「魔王に勘繰られるわけにはいきませんでしたから、慎重に慎重に根を伸ばし……魔物の生態系を調査しまして……」


 ナターリアは半年以上の苦労を振り返り、涙を堪えている。

 生態調査は戦えるエイドリアンがやったけど、ナターリアの苦労に含めていいのかな……。まあ、あの子がいない間は根っこを維持していたし……。


 私たちは相変わらず長ったらしいナターリアの話を微笑ましい気持ちで聞きながら、ビビアンがいる工房の扉を開く。


「ビビアン。来たよ」


 この国の事実上の頂点に立つ人物の部屋に、使用人を伴わず、先触れもない訪問。これが許されるのは、私たちだけだ。


 現在のビビアンはニーナ様と結婚して、王妃となっている。でもこの国最高の技術力を持つ職人だから、結局は仕事ばかりで、ニーナ様との逢瀬はあまりできていないらしい。

 ニーナ様って、立場の割に気の毒だよね……。せっかく念願が叶ったのに、お預けされっぱなしで……。


 そんなビビアンは、机の上で半透明なぷにぷにの体を動かして、大量の魔道具を同時に操っている。

 手のひら大の柔らか水餅。技術大国の王族とは思えないほど威厳のない姿だ。


「んみぃ!? みぃんみぃ!」

「お、この姿でしたか。可愛いなあ。よしよーし」

「んみんみぃ!!」


 両手で包んで撫でてくるナターリアを、ビビアンは身を捩って必死に拒絶しようとする。

 でも手も足も無いから、どうしようもない。指先で撫でられても、頬擦りをされても、されるがままだ。


「みんっ!」


 ビビアンが怒った顔で魔力を高めると、周囲にある魔道具がガシャンガシャンと音を立てて合体し、折り畳まれて義手や義足になっていく。

 縮んだビビアンの体に腕が刺さり、足が生え、元の機能を取り戻す。

 最後に縮んでいた水の体がぐっと伸び、威厳と美しさを兼ね備えたビビアン・フォン・ランスラット・アクシア・アースの顔になる。


「ふぅ。やめろよ、そういうの」


 ビビアンは髪をかき上げつつ、よれよれのだらしない服を着る。


 ……今更格好つけても遅いよ。


挿絵(By みてみん)

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