増殖『世界は動く』
《ナターリアの世界》
気だるい午後のひととき。
あたいは街の広場で、ドリーちゃんと一緒に楽器を演奏しています。
今日はこの国に広く伝わる弦楽器。頑丈な木製の胴に、ヤギを加工してできた弦。ぽろんぽろんと穏やかに奏で、人々に穏やかな風を味わってもらいます。
あたいとドリーちゃんが5曲目を終えると、たまたま通りかかったらしいアルミニウスさんが声をかけてきます。
「よお、嬢ちゃん。相変わらず上手いな」
「どうもこんにちは。お仕事ですか?」
「まあな。商会がとんでもねえ勢いででかくなりやがるせいで、世話係は大変なんだ」
そう言って、彼は身の丈ほどもある大荷物をぽんと叩きます。
布で包まれた何か。おそらくは魔道具でしょう。
「ところで……これ、なんだかわかるか?」
「意地悪ですねえ。あたいは無職ですから、見当もつきませんよ」
「ドリー、わかるよ!」
ドリーちゃんはパタパタと駆け寄ってきて、アルミニウスさんの足元で主張します。
「おじさんのけんと、おんなじ!」
「おお、凄え。大したもんだ。正解だぜ」
アルミニウスさんは布をちょっとだけめくって、中を見せてくれます。
そこには新品と思われる金属の、鈍く渋い輝きが。
ああ、なるほど。剣を新調したんですね。確かに彼の荷物の持ち方は、剣を担いでいる時と同じです。ちょっと考えればわかるはずなのに……。悔しい。
アルミニウスさんは豪壮な笑みを浮かべて、ドリーちゃんの頭をわしわしと撫でます。
「こいつは群青卿特製の巨大剣だ。使い勝手を確かめたいから、適当に振ってこいと言われてな。俺以外にも使えそうなら、売り物にするらしい」
「そんなに大きな剣、アルミニウスさんにしか使いこなせないでしょうに」
あたいが正直な感想を伝えると、アルミニウスさんは剣を背負い直しつつ、苦笑ぎみに答えます。
「それがな……これ、専用の鎧を装備すると、重さが軽減されるんだぜ。意味わかんねえだろ?」
「他の人でも持てちゃうんですか」
「うちの重装歩兵なら、余裕だった。そのうち鎧ごと新調することになるかもな」
うわあ。ビビアンちゃん、またとんでもない発明をしてる。あの子、目を離したらすぐ偉業を成し遂げちゃうんだから。
「昔の辺境伯の義体は魔力効率が悪かったってんで、改良していくうちに魔力で重量を減らす方法にたどり着いたんだとよ。足の裏から土魔法を放つことで、なんとかかんとか……らしいな」
ニーナさまの役に立ちたいという想いの結晶というわけですか。はあー……尊敬ですね。
「ビビアンちゃんの原動力は、他人への愛情なのかもしれませんね」
「本人の前で言ってやるなよ? 蹴られちまうぜ」
「ビビアンちゃんやさしいよ。けったりしないもん」
足をふらふらさせて蹴る真似をするドリーちゃん。
一時はどうなることかと思いましたが、すっかり人に慣れて、今では街のみんなに可愛がられています。
お勉強も順調で、来年には学校に通わせることもできそうです。母親として誇らしく思います。
あたいは集まってきた人だかりを見て、ドリーちゃんを呼び戻します。
「観客の皆さんが、今か今かと待ち侘びています。すみませんが、この辺りで失礼します」
「おお、そうか。……よし。折角だから、一曲聴いていくか」
「おやおや、怠け癖が出たようですねえ」
「あんたの美貌に負けたんだよ」
軽口を叩き合いながら、あたいはとびっきりの演奏をするべく、ドリーちゃんと目を合わせます。
ドリーちゃんは自信に満ちたまっすぐな目で、あたいを見つめ返します。
春の気配が近づいてきた街に、柔らかい音色を流しましょうか。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
ぼくは正式にピクト家直下の主任技師となり、工房と商会を交互に出入りする日々を送っている。
前任のクリプトンは引退し、手の足りない部分を補いつつ、後進の育成に心血を注いでくれている。
彼ほどの技師は多くない。ぼく以外にも若手が育ってくれないと困る。忙しいぼくの負担を、さっさと減らしてくれ。
……まぁ、そんな愚痴はともかくとして。
最近のぼくは、溢れる魔力と発想力の赴くままに、新しい技術を生み出し続けている。
今までは既製品の改良を主に手掛けてきたけれど、この辺りでひとつ、ぼくから発生したまったく新しい概念を世に残したいと思ったのだ。
「んみぃ……。また失敗かよ。クソが」
ぼくは生殖機能に異常が発生して死んだネズミを水で流しつつ、問題点を分析する。
「魔物は魔力で増えるのに、どうして雌雄の別が発生するんだろう。どうして大半が雄として振る舞うのだろう。何度やってもわからん。……魔物の専門家を集めるか? いや、アンジェに頼るべきだな。今夜聞いてみよう」
ぼくは記録媒体に書き殴りながら、整理のためにひとりごとを呟き続ける。
「魔力量が少ないネズミに投与しても、わからないことだらけだ。人と暮らすだけの知能のない魔物を確保できれば……」
「やめてくださいよ……。気持ち悪いです」
ぼくの適当な言葉に反応して、黙っていた使用人のライン君がぼやく。
彼には工房に出入りする許可を与えてある。ぼくの付き人として相応しくなれるよう努力を積み、それなりに専門的な話ができるまでの知識を身につけてくれたからだ。
彼は馬鹿正直そうな顔でぼくに向かって意見する。
「魔物は凶暴な個体が多く、捕獲や繁殖は極めて困難です。実験を安全にこなすだけの設備を整えるには、手間が……」
「あぁ、もう。わかってるってばぁ。教本に書いてあるような基礎を振りかざすんじゃないよぉ。一丁前に意見しやがって……まったく」
ぼくは彼の成長を嬉しく思いながら、新しいネズミを飼育室から持ってくる。
工房に流れる水の通路により、ぼくはこの場にいながら遠くの機材や資料をいじることができる。効率化のための数ある工夫のひとつだ。
水路から船に乗って現れるネズミを取り上げ、ぼくは研究者として姿勢を正す。
「第3回の試験を開始する。記録は本日……」
新しい技術で新しい世界を作るため、ぼくは努力を惜しまない。
愛するみんなが、少しでも生きやすくなりますように。
〜〜〜〜〜
《アンジェの世界》
オレは使用人のドーナと共に、この街の学校を見学している。
将来的にエイドリアンが通う可能性があるから……というのは勿論、そうでなくとも興味があるのだ。
「(オレくらいの子供は、何をしているんだろう)」
知識の海でそれらしい情報を得ることはできる。だけど、結局自分の周りにあるものを目で見て学ぶのが一番だ。
遠くにある知識は、オレのために生きてくれるとは限らない。今オレの前にある現実こそ、最新なのだ。
オレは初等部の教室のひとつを訪ね、中ではしゃぐ子供たちの様子を観察する。
「あれは包囲采か。子供向けの木彫り盤だね」
「貴族でなくとも、嗜むことがあるのですね」
「勿論。やり方さえ知っていれば、適当な石ころでもできちゃうからね」
オレが無表情のドーナに向けて解説すると、彼女は少しだけ目を細めて、教室の中で遊ぶ小さな子供たちを見つめる。
「人間だけでなく、悪魔まで通っているのですか」
「そうだよ?」
この街は魔物を受け入れる取り組みを続けている。今はもう、学校に魔物や悪魔がいて当然だ。
人間と同等の知能があることを、数年単位の試験で示した者は、人間と同じ権利が与えられる。それが今のこの街の仕組みだ。
彼らの魔力を隠すため、人間も含め、皆に同じ制服が支給されている。これで魔力による差別が発生することはなくなり、平等に教育を受けることができるようになるのだ。
そう遠くない未来、魔物が人間社会に参画する時代が来る。豊富な魔力による経済規模の発展。多様性に満ちた文化の形成。
ああ、なんという輝かしい世界。悪魔を嫌っていたかつての自分が信じられない。
「(世界は個の集まりでできている。恨むのは一部の大人だけに留めて、未来を担う子供たちには優しくしないとな……)」
オレが未来の世界を幻視してうっとりしていると、会話を聞きつけたのか、教室から2人の女の子が抜け出して声をかけてくる。
片方は派手な外見で活発。もう片方は赤い服を着た地味な子だ。
「ねえねえ。施設の子? 見学に来たの?」
「来年くるの……? それなら、3つ下だね……」
どうやら併設されている保育施設の子供だと勘違いされたようだ。まあ、無理もないことだ。
彼女たちはおねえちゃんぶりながら、オレの周りをうろついている。
「きれい。お姫様みたい。へへ……いい匂い」
「あたしのお父さんね、ぐんじょーさまの家来なの。ノーグなんとかってとこで、働いてるの」
「へえ。ビビアンを知っているのか」
意外な接点に驚きつつ、オレは明るい方の少女を見上げる。
綺麗に整えられた髪。清潔な衣服。お転婆ぎみだが愛らしい仕草。学校に通うくらいだから、きっと金持ちか有力者か、あるいは先進的な活動家の娘なのだろう。
彼女は得意げに胸を張り、親の自慢をしてくる。
「そうよ。ビビアンっていうすっごく偉い人の、次の次くらいに偉いんだから」
「ビビアンがこの街に来たのは最近だろう? それまではどうしてたんだ?」
オレが尋ねると、もうひとりの陰気な女の子が答えてくれる。
「この子……ライちゃんのお父さんはね、ウチのママと仲良しなんだァ……。だから、そっちでお仕事してたの……。へへ……」
「君の母は、何を?」
陰気な子は目元を覆うほど伸びた前髪をつんつんと指先でいじり、下を向いたまま答える。
「ヒヒッ……。ママはね……半分悪魔なの。ママのそのまたママが、悪魔に襲われて、産んだの。だからウチは、よんぶんのいち悪魔。魔力もたっぷり……」
「そんなことがあるのか……。聞いたこともない事件だ……」
「フーちゃん! 家庭の話、暗いからだめ!」
ライちゃんという子は、空気が重くなると嫌な気分になるようだ。なかなかはっきり物を言う子じゃないか。
しかし、今は悪魔の子とやらの情報を仕入れなくてなるまい。この事例は知識の海にも載っておらず、希少性が高いと判断できるからだ。
「オレはもうちょっと聞きたいな。その話」
「ギッヒヒ……! うれしいなァ!」
「ひゃん」
オレは前髪の裏から覗く眼光に怯えながら、彼女たちと談笑した。
歳の近い子供たちと仲良くなるのは、いつ以来だろう。ジーポントとミカエルが懐かしい。
彼らは今頃どうしているのだろう。この街での立場が定まったら、無事を伝える手紙を出そうかな。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
私は移転した方のピクト家にお伺いして、ドムジさまと会談を行っている。
爵位の件については、あっさり話がついた。子爵までなら、ピクト家の権限でいくらでも授与できるらしい。
もちろん増やしすぎたら価値が下がるから、慎重に判断する必要があるみたいだけど……私については元から決まっていたみたいだ。
とりあえず私は男爵になった。アンジェも同じ。特に式典は予定されていないけど、それでいい。身内はみんな、私たちの活躍を知ってるし。
さて。爵位の件が終わり、次の話題に移る。
ドムジさまは少し躊躇う素振りを見せつつ、私にとっておきの情報をくれる。
「この国は、いずれ割れる」
割れるというのは、悪魔が拳で……。
いや、それは違うよね。ただの比喩だ。魔王ならできそうだけど、今しているのはそんな話じゃない。
内部分裂だ。
「貴族の派閥争いですか?」
「それも一因ではあるが……ここ最近の事件が折り重なって、この国はまずい状態になっている」
ドムジさまは使用人に命令して、簡単な地図を持ってこさせる。
「我々がいるピクト領はここだ。ミストルティア王国の最東端。王都はここから遥か西の、ここだな」
私は旅してきた経験のおかげで、実感を伴って地図の広さを理解することができる。
この国は大きい。アース村なんて豆粒以下の大きさしかなくて、この地図に載せる価値さえない。悲しいけれど、それが事実だ。
悪魔じみた力を持つこの私でさえ、王都まで行くには半日くらいかかるだろう。馬だとその数十倍……いや、下手すると数百倍の時間が必要だ。
ドムジさまはサターンの街に黒字で何かを記入し始める。
「ここで例の悪魔が事件を起こし、西の貴族たちの薬狂いが発覚した。同時に、我が領地への侵食未遂も」
エコーが暴れた、あの時か。
私は薬を満載にした馬車を見つけて、その車輪を壊したけど……あれは貴族が薬を持ち帰って広める途中だったのかもしれない。
「快楽をもたらす薬。薬を手に入れるために、悪魔に魂を売る馬鹿ども。どちらも言語道断だ。しかし救いようのない奴らにも、手を差し伸べてしまう家族や友がいた」
ドムジさまは地図の西の方に何ヶ所か点を打つ。
「奴らは結託し、自らの罪を認めず、我々に罪を擦りつけようとしている。悪魔を匿う我が領地こそ、諸悪の根源であると。サターンで見つかった薬は、ピクト領から出た物だと。そう主張しているのだ」
「そんなバカみたいな話がある!?」
私は思わず声を荒げてしまう。
「私たちも被害者なのに、なんでそんな……。理不尽過ぎる!」
「西の果てと東の果て。物理的に距離があるため、噂を流しやすいのだろう。否定するには、我々が西まで出向かなければならない。出向いて弁明したところで、派閥による数の力で袋叩きにされるだけだがな」
ドムジさまは実際に見てきたような疲れ果てた顔で語る。
外向きの貴族の主な仕事は、外交と縁結び。ニーナさまが内政を支えている間に、ドムジさまはずいぶん苦労しているみたいだ。
「王都の方々は流石に冷静で、我々の意見を聞き慎重に判断してくださっている。故にピクト領は、魔物を受け入れ、あらぬ疑いをかけられても、王国の領地として認められているのだ」
そういえば、ドイルさんが隣国への使者の資格を貰うために頑張っているはずだけど……それに影響はないのかな。
私が疑問に思い、早速尋ねようとすると、ドムジさんはちょうどその話をしてくれる。
「悪魔に塗れた領地から、名のある悪魔祓いが無事に帰り、あまつさえ味方になろうとさえしている。これは我々にとって実に都合がいい。……お前たちのおかげで、我々は救われた」
「ドイルさんが来てくれたからですよ。お礼はあの人に直接お願いします」
「……そうだな。誠意を見せる必要があるだろう」
貴族だから常に招く側でなければ、という固定観念を、ドムジさんは捨てたようだ。
やっぱりこの人は、偉そうにふんぞりかえるだけの醜いお貴族さまじゃない。
「(あれ。でも、ドイルさんから使者になるって言い出したわけじゃなかったような)」
モズメさんとドイルさんを使者にしたのは、ビビアンちゃんの判断だったはず。
まさか、あの子……国の情勢まで考えて……?
「(い、いや、単に面倒だから押し付けただけだ。あの子は頭がいいけど、そこまで計算高くはない……はずだけど……考えていても、おかしくは……)」
私が身内の頭脳派の恐ろしさに戦慄していると、ドムジさんは仮面のような無表情で、私に圧をかける。
「さて……。ここまでは事実を述べてきたが、これから話すのは、貴族としてのただの予想だ。くれぐれも街で流布しないように」
「はい」
どうやら相当にまずい話をするつもりらしい。
私は拳を握り締め、背筋を伸ばして覚悟する。
「騒動を聞きつけてか、西のニーズヘッグ帝国に動きがあるらしい。混乱に乗じて攻撃を仕掛けてくるのではないかと予想されている」
「……それって」
戦争じゃないか。
人々が大勢殺し合い、大地が血で染まり、回収されなかった死体の山を動物が食い荒らし、集まった動物を魔物が食い、人が住めない地が広がる。書庫でそんな話を読んだよ。
そんな愚行の極みを、ビビアンの故郷が起こそうとしているの?
帝国は陰湿って聞いていたけど……まさか、そんなに愚かだなんて。
言葉を失った私を冷ややかな目で見つつ、ドムジさんは話を続ける。
「あくまで予想だと言ったはずだ。中止になる可能性も大いにある。もし攻めるとしても、正面から突撃するような愚は犯さないだろう。周辺諸国を味方につけるため、それなりのお題目と、それに沿った行動を心がけるはずだ。まだ大ごとにはならん」
……まだ。ということは、何年か経ったら本格的な戦争になるかもしれない。
その時、この街は大丈夫なのかな。平和を保っていられるのかな。
私の不安を見透かしたように、ドムジさんはため息をつく。
「お前がその調子では、民が迷ってしまうだろう。打てるだけの手は打つ。お前はこの街の内部をまとめ、東の魔王どもと戦うことだけを考えろ」
……はい、とは言えない。
なんとなく、ドムジさんが本当にしたい話が見えてきたからだ。
「それは私だけではなく、ビビアンやアンジェたちも背負うべき課題です」
「……英雄はお前一人だけだぞ」
「『白き剣士』の異名なんて、私の行動についてきたおまけです。戦いの場は勝つことが最優先ですから、他に英雄が立つこともあるでしょう。私が命を落とすことも……。私は別に、英雄であり続けようとは思ってないです」
私はなりたくて英雄になったわけじゃない。勝手に押し上げられて、今でもその名に振り回されている。
あって困るものじゃないから、有効活用しているけど……特にこだわりはない。
私がきっぱり宣言すると、ドムジさんはしばらく上を向いて考え込んだ後、私に聞かせる気があるのかもわからない様子で口を動かす。
「……はあ。案外、周囲に気を配っているようだな。どうにもお前を理解できずにいたが……なるほど。少なくとも、驕りは無いようだ」
どうやら彼は、私を試していたらしい。国の話も戦いの話も、そのための遠回りな試練。
お貴族さまの会話は、本当に難しい。
大きなため息をついて、天井を仰ぎ……そして、私に向けて宣告する。
「いいだろう。お前の動きは、一応頭に入れておくことにする。好きにしろ。お前の責任でな」
喜びかけた私の顔に向けて、ドムジさんは鋭く付け加える。
「だが、ニーナとの交流に関しては丁重に頼む。群青卿はともかく、他にはやれん」
「ですよね……」
私は平民上がりで、貴族の恋愛事情にも詳しくないし……どうにもならない。これからも、あの人はあんまり自由ではなさそうだ。
とりあえず、今回は私たちの価値を認めてもらえただけでよしとしよう。
英雄として表に出るのは私の役目。舵取りは後ろでアンジェがやってくれる。自分の仕事を果たせて、ちょっと安心だ。
私は宙に舞い上がりそうなほどうきうきした内心を隠しつつ、ドムジさんのところから去る。
この国の未来の話をされたけど……それはひとまず置いておいて、今の幸せを噛み締めよう。
今夜は祝杯だ。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
夜。
私、アンジェ、ナターリア、ビビアンが寝室に集まっている。
エイドリアンはお休み中。もう夜遅いから、良い子は寝る時間だ。絵本を読んであげたから、ぐっすり眠れるといいな。
アンジェは興奮で目を輝かせ、今日あった出来事を語ってくれる。
「それでね、それでね! フーちゃんはライちゃんが飼ってる犬と会話できるんだって!」
今日のアンジェは年相応の活発さを見せてくれている。やっぱり同じくらいの子供たちに囲まれると、話し方や身振りそぶりもそっちに影響されてしまうのかな。案外アンジェは染まりやすいのかもしれない。
私は寝巻き姿ではしゃぐアンジェを見つめながら、ナターリアに膝枕をしてあげている。
ナターリアは口元を歪ませてとろけた笑顔を浮かべている。ご満悦のようだ。
「あー、なんか聞いたことありますね。演奏を始めたばかりの頃、聴きに来てくれたことがありましたよ。人狼の子は可愛かったですね。もう一人の方は、化粧を落とせば美少女だと思うんですけど……」
「知り合いなの?」
「いやあ……向こうは顔を覚えてないと思いますよ。顔より音楽で覚えてるかもしれませんけど、それも望み薄ですかねえ」
そう言って、ナターリアは顔の向きを変えて、私の太ももに顔を突っ込む。
ナターリアは美人さんだから、案外覚えられていると思うけどね。私の耳にもナターリアの評判は届いているけど、みんな演奏にも容姿にも高評価なんだよ。
私はナターリアの後頭部を撫でながら、ずっと黙って作業をしているビビアンとニーナさまを会話に混ぜようとする。
「ねえ、ビビアン。そろそろ終わった?」
「いや、まだだ」
ビビアンはニーナさまの義体の整備をしている。今は義足の手入れだ。砂が入っていないかどうか。変な歩き方をして壊れていないかどうか。ビビアンは忙しい身でありながら、定期的に確認している。
ニーナさまの体は、ビビアンが改良に改良を重ねたことで、今やすっかり多機能になっている。
食事もできるし、食べた物から魔力を吸収して燃料にすることもできる。味も温度も感じられるし、あえて何も感じないようにすることもできる。
本体を覆う容れ物も改良して、聖水との接続を更に効率化。言語能力も普通になって、言葉が通じるようになった。肌の感覚も取り戻し、擬似神経による刺激を再現することにも成功した。
……それだけ、仕事が複雑になっているということでもある。
真剣に点検しているビビアンをよそに、ナターリアは私の脚を枕にしてうっとりしている。
「見上げると、白くて大きなお胸が、一面に……。まるで雲の上にいるみたいです……」
「足元が見えないから、不便だよ。こうしてみんなを誘惑できるのは良かったけどね」
「下品な話はやめろ。最近の君たちは知性を捨てた猿みたいだぞ」
ビビアンは義手の最終確認をしながら、私たちを嗜める。
……欲望、ビビアンにもあるくせに。
「今夜も、しようね」
私のあけすけな発言に、ビビアンの両手がぴたりと止まる。
しばらくすると、戸惑いが目と指先に出てくる。なんとか冷静になろうと努めているけれど、どうにもならない様子。
「ビビアンも、したいでしょう? だからここに来たのでしょう?」
「そんなわけ……あるかよ……」
「嘘ばっかり」
あれだけ震えていたら、整備なんてできないよね。
よし。もうやっちゃおう。時間が勿体無いし、さっさと貪っちゃおう。夜は長いようで、案外短いから。
私はすっかりその気になって、皆に襲いかかる。
色狂いでごめんね。こんなのに目をつけられた不運を呪ってね。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
朝。
汚れて不衛生になった部屋の中で、ぼくとアンジェは一足先に目を覚まし、建設的な会話をしている。
「なるほど。魔力が性別に与える影響か……」
「これを解決しないことには、どうにもならないね」
ぼくは昨日持ち帰った課題の解決策を知識の海に求めている。残念ながら、進捗はあまり芳しくないけれど。
アンジェは顎に手を当てて、じっくりと考え込む。
「悪魔が人間の妊婦に魔力を注入して、赤子もろとも悪魔にしたことがあるようだ。胎児は母から栄養を得る過程で魔力を吸収するから、まとめて影響を受けてしまうらしい。……でも、オレたちの場合はそもそもデキないからなあ」
「無から赤ちゃんを作るのは無理だよねぇ。……知識の海にも載ってないかぁ」
ぼくはアンジェの艶々した体から目を逸らしつつ、簡単な解決策が無いことに落胆する。
ぼくが研究している、まったく新しい発明。それは同性同士で子供を作るための方法だ。
それが魔道具にせよ、魔法にせよ、完成すれば世界は変わる。人口が爆発的に増え、社会問題になるだろう。同性婚による子供が差別の対象になる可能性も高い。
それでも、ぼくは作りたい。ぼくたちが愛し合った形を世に残したい。生まれてくる子供に迷惑がかからないように、全力で社会整備を頑張るから……だからどうか……。
ぼくが祈りを捧げるような気持ちで目を閉じると、同調によってアンジェに通じたのか、彼女は鋭い声でぼくを叱咤する。
「祈るなんて、ビビアンらしくないよ。神も道理も蹴っ飛ばして、便利な世の中を作ってくれよ」
「肝っ玉だなぁ、アンジェは」
このままだと尻に敷かれてしまいそうだ。少しはカッコいいところを見せなければ。
ぼくはアンジェを風呂に誘いつつ、気を引き締め直すことにする。
神に声が届かなくとも、手の届く場所に悪魔がいるんだ。手段を選ばなければ、きっと何だって可能になるはず。
人も神も魔も、全部まとめて力に変える。それくらいの意志を込めて、より一層の研究に励むとしよう。