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扇動『悪魔祓いもかくなる上は』

 《アンジェの世界》


 オレたちは来賓向けの茶器をラインに持って来させて、すぐさま彼らを歓待する。

 モズメ。サターンの街の商業区域で出会った、旅の悪魔祓いだ。ドイルの知り合いでもある。


 ……エコーが起こした事件とオレの不甲斐ない死のせいでうやむやになってしまったけど、彼女たちはあの後何をしていたのだろう。

 モズメはドイルとも既知だ。彼の動向を聞くことをできるかもしれない。丁重にもてなさなければ。


 オレは同じような仕草で茶を飲んでいるモズメさんとお連れの方々に、声をかけてみる。


「突然の来訪でございましたから、茶葉はこちらで選ばせていただきましたが、いかがでしょうか」

「構いませんよ。あら、良いお茶ですね。……ああ、疲れた体に染みるわ」


 流石は万人受けする果実茶。趣味嗜好が全く読めないモズメさんにもご満足いただけるとは。『優等生』の異名は伊達ではないようだ。


 ……と、その時。

 ちょうどいいことに、ビビアンが様子を見にきてくれた。


「ようこそ、お客人。ぼくはこの屋敷の主人、群青卿ビビアンだ」

「あら。お邪魔しています」


 モズメは立ち上がって軽く頭を下げ、にこやかに笑いかける。

 実に形式的で、乾いた挨拶だ。ビビアンの地位を知っているはずだが、ずいぶんと調子が軽い。


 ……さて。

 舞台は整った。前置きはこれくらいでいいだろう。


 アンジェは本題に入る。


「モズメさんは、何故この屋敷にいらっしゃったのですか?」


 そう、理由だ。

 モズメは遠い地の悪魔祓い。今ここにいる理由はアンジェの頭脳を持ってしても不明だ。サターンで何かがあったのか、それとも別の用事があるのか。まずはそれを聞かなければなるまい。


 モズメはほわほわとした無垢な顔で、オレの疑問に答える。


「ピクト領はね……悪魔に乗っ取られた街って噂されてるんですよ」

「そのようですね」


 ビビアンがピクト家と同格の貴族にまで成長してしまったことと、ドムジがニーナのために魔物との融和政策を推し出したこと。

 普通の人間の領地ではあり得ない。まるで悪魔と仲良くしようとしているようだ。そう思われても仕方ない状態だ。


 モズメは格好つけてニヤリと笑う。


「本当にピクト領が悪魔の手に堕ちたのなら、我々が退治しなければなりません。だから、ここに来たのです」

「なるほど。しかし、今のところ見逃してくださっているようですが……?」

「街を見てみれば、平和そのものでしたからね。手を出したら、こっちが悪者になってしまいますわ」


 モズメはあっさりと、この魔に満ちた街の価値を認める。

 悪魔死すべし。それが悪魔祓いの常套句だったはずだが。


「ま、実を言いますと、わたしは悪魔祓いの中ではかなりの異端でして。他国で生まれ育ったからでしょうか。どうにも魔物に対して嫌悪感を抱けないのです」

「なるほど……」


 アンジェは知識の海でそのような類例を検索して、手に入れる。


 魔物は必ずしも全てが凶暴とは限らない。生まれたばかりで闘争を知らない魔物を人の手で優しく育てた場合、普通の動物のように優しい性格に育つのだそうだ。

 魔力がおっかないことには変わりないが、手と手を取り合うことは不可能ではない。それを知った者たちは、皆魔物への嫌悪感の減退を報告している。


 尤も、確実な飼育方法は研究されておらず、失敗して飼い主が手を噛まれたり、食いちぎられたりすることも多いようだが……。

 まあ、それは他の動物でも同じことか。


「ありがとうございます」


 見逃してもらった事実に、アンジェは頭を下げる。

 彼女のような悪魔祓いがひとりいるだけで、外野が受ける印象は大きく変わる。彼女のおかげで、しばらくは平和でいられそうだ。


「ここは良い街です。悪魔の混じった人間や、悪魔そのものも暮らしておりますが……平和で活気があります」

「そうですわね。来て正解でした。貴女様にもお会いできましたし」


 モズメはアンジェに向けて意味深な視線を向ける。

 こちらからは大した感情は無いのだが、モズメにとってのアンジェは恩人なのだ。親しげな対応にもなろう。


 アンジェは内心苦笑しつつ、できるだけ打ち解けたように見える微笑みを浮かべる。


 ……とりあえず、大ごとにするつもりは無いようで良かった。

 モズメはこれからサターンに帰り、何も問題はなかったと報告するだろう。サターンは安堵しつつ復興を進め、ピクトはいつも通りの日常を奪われずに済む。


 オレが一安心して茶に口をつけると、ニコルがぱっと閃いた顔でモズメに話しかける。


「そうだ。モズメさんって、ヤマト連邦の出身なんですよね!?」

「ええ、まあ、はい」


 そういえば、そんなことを言っていたような気がする。そうか。他国で生まれ育ったとは、ヤマト連邦のことだったか。


 ならば、ニコルの考えていることも読み取れる。

 モズメを向こうの国への連絡役にしようという魂胆だろう。


「モズメさんって、帰郷する予定は……」

「ありません。何か頼み事でも?」


 余裕のある笑みと共に、モズメは茶の香りを堪能している。

 その仕草からは、どことなく育ちの良さのようなものが感じられる。破天荒な性格や明るい口調に隠された、人格の奥深くにある本質だろうか。


 ニコルは先ほどまでのビビアンとの会話を思い出しつつ、交渉する。


「実は、魔王の谷に人を入れないようにしなきゃいけないんです。谷にいる魔物を倒すと、それだけ魔王の襲撃が早くなることがわかったので……」

「それは一大事ですね。ヤマトにも伝えなくてはなりません。……だからわたしにお願いしたい、と」


 モズメは一気に深刻そうな顔になり、青ざめて取り巻きの剣士たちと話し合いを始める。

 ……が、剣士たちは小声など作れないのか、会話の一部が漏れ聞こえてくる。


「姫様の立場では、あまり……」

「道中、刺客に狙われますよ……」

「故郷に味方がいるかもわかりませんし……」


 姫様?

 気になる内容だが、根掘り葉掘り質問するわけにはいかない。明らかに彼らの素性に関わる重大な問題なのだから。


 茶が冷めるほどの時間が経過した後、モズメはくるりと振り返って、笑顔を向ける。


「条件付きで引き受けましょう。魔王を倒す一助となる、その役割を」

「条件ですか」

「はい。条件は2つあります」


 一体どんな内容をふっかけてくるのだろうか。この人の発言は読めないため、推測が働かない。


 オレたちが緊張していると、モズメはくすりと笑って窓の方を見る。


「おっと、その前に……ひとつ報告が。実は、この街にドイルさんも来ています」

「ドイルさんが!?」


 思わず大きな声が出てしまった。あまりにも嬉しすぎたからだ。


 ドイル。凄腕の悪魔祓いであり、無骨な剣士。イオ村からサターンまでの道中では、たいへんお世話になった。短い付き合いだったが、だからこそ、もう一度会いたいと思っていたところだ。


 オレはばっと前に飛び出し、喜びのあまりモズメの前でぴょんぴょんと跳ねる。


「ドイルさんはどちらに!? 別件でお仕事中ですか? それとも休養を?」

「魔物が多いこの街は好きじゃない、とのことで……ずっと宿に篭ってます。あの人、典型的な悪魔祓いですから」


 ……そっか。ドイルさんは、この街が嫌いか。


 だったらオレが、好きにしてあげるしかないな。

 いい店を知っているんだ。いい人も、いい剣士も。何もかも嫌いなままでは、もったいない。


「宿の名前を教えてください。あと何日ここに滞在しますか? 手伝えることは? あとは……」

「アンジェ。話が逸れてる」


 ニコルの指摘で、オレは我に帰る。

 ドイルさんはオレが炭になって死ぬ直前まで手を尽くしてくれた。そのお礼を言いたくて、元気な姿も見せたくて……つい気がせってしまった。


 モズメはオレの暴走にも動じることなく、ドイルさんの居場所を教えてくれる。


「ドイルさんはわたしの付き添いで来ました。噂通りの恐ろしい街だったら、わたしひとりでは帰れないかもしれませんから」

「そんなに警戒してたんですね」

「取り越し苦労でしたけどね。うふふ」


 モズメは油断しきった笑顔で、悪魔である我々の前に立っている。

 彼女の実力が如何程かはわからないが、仮にドイルと同格とした場合、かなりの実力者だ。対抗できる者は、この街でさえ何人いるかわからない。

 大暴れしようという気はないようで、本当に助かった。本当に……。


 モズメは咳払いをひとつして、指をひとつ立てる。


「わたしにできる助力。それはヤマト連邦への進言です。魔王の危険性と作戦の重要性を、わたしの口から熱弁させていただきます。耳の腐った議会の老人たちにも届くように、はっきりと」

「はい」


 オレたちが頼みたい助力も、まさにそれだ。


 ピクト領からでも文書を出すことはできるが、それだけでは弱い。信憑性が薄い、あるいは重要性が低いとして破棄されたらそれまでだ。

 魔王の封じ込めを確実に履行してもらうためには、ヤマト連邦の人間に議会で主張し、後押ししてもらう必要がある。

 そこで、モズメなのだ。


 モズメは穏やかな笑顔で我々を見つめながら、話を続ける。


「そのためにわたしから出させてもらう条件は……まず、わたしをミストルティア王国とヤマト連邦を繋ぐ親善大使にしてもらうことです」

「……はい?」


 モズメの発言が曖昧で、聞いただけでは内容にピンとこない。


「この国の地位が欲しいということですか?」

「地位というより、保証です。……少し、身の上話をしますね」


 モズメは使用人のように控えている3人の剣士の方をチラリと見る。


「わたしはヤマト連邦の東にある小国……『吟義蘭(ギンギラ)』の王女です」


 なるほど。やんごとない身分だったか。

 しかしこの国で悪魔祓いをしているということは、何か大変な事情があったのだろう。一家離散か、それとも革命か。


「大国ミストルティアと比べることさえおこがましい小国ですが、連邦の中では第二位の戦力、資金力、生産力を誇っております」

「……ふむ」

「ですので、政治的な利用価値が高く……この身を狙う者が多くいます。そこで、ミストルティアからの使いという肩書きを併せ持つことで、少しでも手を出しにくくなればと思いまして」

「……ふうん」

「肩書きが増えれば、それだけわたしの発言の信憑性も増すでしょう? きっと議会は無視できません。悪い話じゃないはずですわ」


 ビビアンはその情報からギンギラ国の規模を試算してみようとしている。

 オレも知識の海を起動して、それを補佐する。


「(ギンギラ国は50年前に武将『タカユキ』によって興され、現在は息子の『ムクヨシ』が継いでいる。『モズメ』は彼の長女であり……側室の子だ)」

「(側室……。妾の子なのか。それが長女。本妻はどうした?)」


 既に勢力争いの臭いがしてきたが、モズメの周辺にはまだまだ地雷が埋まっているようだ。

 オレはモズメにバレないよう、同調でこっそり知識を送り続ける。


「(本妻は子を成せず、嫉妬に狂って側室を殺害。その後夫のムクヨシに刀で斬られる。彼女の遺言によると、モズメ殺害のために人を雇ったとのこと。モズメは事件が起きた夜から行方不明。雇われた人足は隣国の者と判明。……現在、ギンギラ国と隣国は戦争状態にある)」

「(モズメがこの国にいる理由はなんとなくわかった。祖国に残っても、座敷牢で厳重に守られるだけだな。自由に動けない)」


 祖国の力になりたいという思いはないのだろうか。オレはつい、そんなことを考えてしまう。


 だがモズメの国がそれを許してくれないのだろう。我々とは文化が違うのだから、女は前に出るなとか、王族は大人しくしていろとか、そんな制約が多く、力になろうとしてもなれないのかもしれない。


 ビビアンは鋭い目でモズメを品定めしつつ、発言する。


「条件は2つあると言いましたね。もうひとつは?」


 モズメはビビアンの視線に少しだけ戸惑いつつ、答える。


「もうひとつは、ドイルさんを護衛としてお借りしたいということです」

「ドイルさんを!?」


 オレは思わず大きな声を出しつつ立ち上がってしまう。

 ……が、少し考えてみれば、不思議なことはない。さっきドイルの名前が出てきたのは、こういうことだったのだ。


「それも、理由は同じですか」

「はい。身を守るため。そして、議会を確実に動かすためです。あの方なら、それができます。旅路で確信しました」


 ドイルがいると発言が通りやすくなるのだろうか。

 オレは一瞬疑問に思うものの、連邦側の立場で考えてみて、納得する。


 肩書きがあっても、向こうの認識ではモズメは連邦の人間でしかない。しかしドイルは生粋のミストルティア人だ。他国の人間……それも極めて優秀な剣士がわざわざ足を運んできたならば、国同士で足並みを合わせて魔王と戦いたいというこちらの意図が伝わりやすいはずだ。


 ドイルは口下手だが、顔が良く、多方面から信頼されている悪魔祓いだ。魔王を倒すための使者として、相応しい人物と言える。


 ビビアンは額に皺を寄せて悩み、腕を組んで唸る。


「ミストルティアからの使者ってことにするには……王都に行って王族の許可を得なきゃいけない。想像を絶するほど大変ですよ」

「はい。我々だけでお願いしても、断られてしまうでしょう。そこで、ピクト領の子爵であられるビビアン様のお力添えをと……」

「ぼくは王都には……」


 するとビビアンは、何かを閃いた様子で不意に真顔になる。

 嫌な予感しかしないのだが、大丈夫だろうか。


「待てよ。そうだな。推薦状を書いてやってもいい。ついでに王家への寄進として、上等な宝石もくれてやろう。向こうの機嫌が良くなるはずだ」

「は、はあ」

「君の旅費はぼくが出す。大金貨2枚でどうだ。ここから王都へ、王都から連邦へ、連邦からこの街へ……それどころか、他国に寄り道しても余るだろうよ」

「どへーっ!? だ、だだ、大金貨なんて、見たことも触ったこともありませんけどぉー!?」


 目を限界まで見開いて驚くモズメ。警戒心を強めている3人の剣士。オレの後ろで動揺するライン。


 そして、白けるオレとニコル。

 ……なんとなく、ビビアンの意図が読めたからだ。


「ぼくはこれでも金持ちでね。それくらいは気前良く出せる立場にある。おっと、よその子爵ではこうはいかないよ? 技術力があり、大規模な組織をいくつも囲っているぼくだからこそ出来るんだ」

「わたしなんかよりよっぽど王族らしいことしてるじゃないですか! 久しぶりに姫様気分になれて、ちょっと気持ちよくなってたのに! これじゃもう二度とわたし姫だぞって自慢できないじゃないですか!」


 ああ、モズメさん……そんなこと考えてたのか。俗っぽい感性をしてらっしゃる。


 ビビアンは王族らしいと言われて調子に乗っているのか、やたら神々しい雰囲気で義手の方の手を差し出す。


「では、モズメ()()。これだけの支援を約束するのだから、ひとつくらい頼みごとを増やしても問題ないね?」

「えっと……何を、させるおつもりで?」


 奇妙な服の裾を握ってわなわなと震えるモズメに対して、ビビアンはくまのひどい恐ろしげな目をギラつかせて告げる。


「なに、大したことではない。魔王の谷を塞ぐ必要があることを、王族にも伝えてほしいだけだ。ぼくからの伝言だから、責任はぼくが持つ。連邦会議の予行練習と思って、失敗を恐れずやるといい」

「それだけですか?」

「ああ。連邦用の台本を、使いまわすだけ。簡単だろう?」


 案の定だ。ビビアンは王都に行きたくないから、モズメを使いっ走りに仕立て上げようとしているのだ。

 しかし、そのために大金貨2枚も使うとは。なんという贅沢だ。そんなに王都が嫌なのか。


 オレは冷めた果実茶を飲みつつ、モズメとビビアンのやりとりを眺める。

 金に目が眩んだモズメは、もはやビビアンの言いなりでしかない。本を買うかどうかで迷うくらいなのだから、きっと金欠なのだろう。王族だというのに、なんとも哀れだ。


「(たぶんもう、忘れないな)」


 モズメという名前が自分の記憶にしっかり刻まれたことを確認しつつ、オレは茶菓子に手を伸ばす。


 〜〜〜〜〜


 《アンジェの世界》


 打ち合わせのため、ビビアンがモズメを連れて行った後。

 オレとニコルはドイルさんがいる宿を訪ねることにする。


 ニコルの蝶によると、街の入り口付近にある安い宿の一室にいるようだ。寝そべって本を読んでおり、出かける用事もない雰囲気らしい。


「じゃあ、今すぐ行こうか」

「そうだね。明日以降は時間取れないし」


 ラインに夕食はよそで済ませることを伝え、オレたちは屋敷を出る。

 街の大通りを通過し、知り合いの何人かと世間話をして、ニコルに挑戦状を叩きつけた身の程知らずを返り討ちにし、ようやく宿へ。


「ドイルさーん。オレです。アンジェです」


 もうじきに陽が沈む。そろそろ部屋の中に入りたいのだが、返事がない。何故だろう。


 オレは扉を叩き、また声を張り上げる。


「ド、イ、ル、さん!」

「聞こえている。少し待て」


 中から低い声で返事があった。聞き覚えのある、暗い声。威圧感と風格と、どこかくたびれた雰囲気を兼ね備えた声。

 間違いない。ドイルがこの中にいる。


 オレは頬がにんまりと緩んでいくのを感じつつ、歌いながら彼の許可を待つ。

 一方、ニコルは触手で髪や服をいじりつつ、オレに話しかけてくる。


「ねえ、アンジェ。アンジェから見たドイルさんってどんな人?」

「強いおじさん」


 オレは迷わず答える。

 他にも「カッコいい」や「男前」といった単語が山のように浮かんだが、どれも的を射ているようには思えなかったので、最も確かである「強い」を前面に押し出して表現したまでだ。

 おじさんは……まあ、おまけだ。


 ニコルは少しだけ安堵した様子で、軽く息を吐く。


「そっか。まあ、強いからね」


 もしかしたら、ニコルは嫉妬していたのかもしれない。オレがドイルさんに懐いているから、羨ましくなったのかもしれない。


 ……愛おしい。こんな可愛らしい恋人がオレのものでいいのだろうか。ニコルが喜んでくれているから、これでいいはずなんだけど。くう。


 オレは喜びで心臓が跳ねるのを感じ、溢れる想いのままにニコルに飛びつく。

 ニコルは丈夫な体でオレの体重を受け止めて、頭を撫でてくれる。


「……いいぞ」

「きゃっ」


 ドイルさんの声に不意をつかれつつ、オレたちは招かれる。


 安宿というだけのことはあり、部屋は狭い。3人でただそこにいるだけで息苦しさを感じるほどであり、寝泊まりなど考えたくもない。


 オレは部屋の隅にちょこんと座り、ニコルは蔦で細い椅子を編んで体を固定する。


「……ふっ」


 ドイルさんは愉快そうに短く笑う。


「懐かしいな。そういえば、お前たちはそんな奴らだった」

「ドイルさんこそ、お変わりないようで」

「……呼び捨てでもいいぞ」

「……このままで」


 そういえば、内心ではドイルと呼び捨てにしていたのだったか。……ニコルと同様に、会えない時間が仲を育んだのだろうか。


 オレはドイルさん……ドイルの姿をじろじろと観察して、率直な感想を述べる。


「貫禄が増しましたね」

「そうか?」

「筋肉が増えたように見受けられます。あと、髭がちょっと濃くなりました」

「自分では気がつかないものだな」


 そう言って、ドイルは自分の顎を少し撫でて……また黙る。


 ……沈黙。

 話題はいくらでもあるのだが、話しにくい。オレは元々話上手ではない。最近はだいぶマシになったとはいえ、人付き合いも苦手な方だ。


 オレはニコルに視線で助けを求める。

 ニコルは不服そうな顔でドイルを見て、言い訳めいた口調で話し始める。


「私、アンジェと恋人同士になりました」

「それはサターンで聞いた。進展があったか?」

「アンジェのことが好きな子が増えたり、私のことが好きな子が増えたり……色々あって、他の子にも体を許したりしましたけど……それでも私たちは恋人同士です」

「そうだな」


 あっさりと認めたドイル。

 その態度に、ニコルは何故か目を丸くしている。


「えっ。不貞行為をしたようで、もやもやしてたんですけど……怒らないんですか?」

「よくある話だ。愛人を何人囲っても、誰ひとり咎めることなどないだろう」


 愛人。オレにとってのビビアンや、ニコルにとってのナターリアは、それだと言いたいのか。

 対等ではない関係を築いていると指摘されたような心地がして、あまり良い気分ではない。しかし、実態はそれに近いのだから、何も文句は言えない。


「(自分たち以外を愛そうだなんて、オレもニコルも傲慢で、欲張りで、掟破りで……。でも愛人を囲うのが普通の社会も、ドイルは見てきているんだろう)」


 オレがモヤモヤとした気分になる中、ドイルは平然と続ける。


「お前たちは一夫一妻の環境で育ち、その常識を植え付けられてきた。だからこそ良心の呵責を感じているのだろう。……それでもいい。己と向き合い、奔放に愛するか己を縛るか、決めるといい」

「……はい」

「忘れずにいてほしいのは、お前が新しい常識を作ることも可能だということだ。自分の世界を自分で狭めてはならない。上に立つ者として」


 知識の海で既存の世界をなぞってきたオレには、刺さる言葉だ。オレ自身が知識の海に載るような人物になろうという意識が、オレには欠けていた。


 この人は本当に……いい大人だ。オレたちの視野を広げて、ちょうどいい力加減で背中を押してくれる。


 オレは座ったままドイルに頭を下げる。


「ありがとうございます。……本当に、会えてよかったです」


 するとドイルは、気まずそうな顔で窓の外に視線を移し、先ほどより少し小さな声量でぼやく。


「こんな説教をするつもりではなかった。お前の死と復活、ニコルの旅路を支えられなかった謝罪、ナターリアの現在……。もっと話したいことがあるというのに」


 なんだ。やっぱりドイルは口下手なだけで、人付き合いは好きな男だ。

 ドイルの要望を受け入れて、オレはにっこりと微笑む。


「いいですよ。たくさん話しましょう。夜が更けて、明日になるまで!」


 一瞬、ニコルの唇が尖った気がしたが、オレが目を向けた時には、いつもの作り笑顔に戻っていた。


 〜〜〜〜〜


 《アンジェの世界》


 ドイルの話によると、サターンの復興は難航しているらしい。


 災害からの復興は、他所からの支援が重要だ。

 しかしエコーに乗せられて貴族たちが薬をばら撒いた件が尾を引いており、金と物を動かす権力を持った者たちが対立に明け暮れ、ちっとも物が流れ込んでこないらしい。


「オレや『白き剣士』の名声を聞きつけて挑みにくる荒くれ者が多くな。そいつらを叩きのめして、復興を手伝わせている」


 ニコルの方にやってくる決闘野郎たちは、ドイルに比べれば大した数ではなかったようだ。彼はしっかりとニコルを守るための囮の役割を果たしていたのだ。


 サターンは商人たちの交差点。故に豪商や旅人たちができる限りの努力をしているが、道の整備が精一杯で家屋や公共設備までは手が回っていない。男手がひとりでも多くほしい状況らしい。

 特にエイドリアンが暴れた東区では、今でも家を失った人々が路上生活を続けているそうだ。


「あの悪魔は更生したか?」


 ドイルはどこか苦々しい顔で訪ねる。


 エイドリアンの力はエコーを倒すために必要不可欠だった。彼女が宿屋を操らなければ、被害範囲はあの街だけでは済まなかっただろう。

 しかし、現にエイドリアンの手で破壊された街や、涙を飲む人々は存在する。彼らを無視するわけにはいかないのだ。


 アンジェはエイドリアンの教育を担う者として、強く宣言する。


「あの子はオレたちの手で、正しく導きます」

「たち、か。誰がどんな試みをしている?」


 ドイルの質問に、アンジェは誠実に答える。

 今までに行った取り組みと、これからの課題。

 人の営みを学び、人の価値観を得て、人のために生きることができるよう、あらゆる手を尽くしている。何ひとつ恥じることなどない。


 その姿勢が通じたのか、ひと通り聞いたところでドイルは頷く。


「そうか。やはりお前は賢いな。自らの強みと弱みをよく理解している」

「えへへ」

「なるべく多くの人の手を頼ることだ。無論、世論や奴の状態も考慮して、慎重にな」


 一流の悪魔祓いであるドイルのお墨付きを得ることができた。努力が報われたような気がして、とても嬉しい。

 これを励みにして、更に精進しよう。それがあの子とナターリアと、そして世界のためになると信じて。


 ……アンジェが感涙する中、ニコルが窓の外を見て提案する。


「そろそろ暗くなってきましたし、ご飯に行きませんか?」

「……そうだな」


 確かに、部屋の中が暗くなり始めている。腹の虫が鳴き始める頃合いだろう。この街に慣れていない彼のために、道が闇に包まれる前に出かけよう。


 アンジェは店選びをニコルに任せ、外套を羽織るドイルを憧れの目で見つめる。

 カッコいい。昼の空も夕陽も夜も、彼にはよく似合う。こんな大人に、自分もなりたい。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私はお気に入りの食事処で、目の前のドイルさんをぼんやり眺めている。


 ドイルさん。私たちを助けてくれた悪魔祓い。

 アンジェは彼を強く信頼している。もしかすると恋まで発展してしまうのではないかと危惧してしまうくらい、どっぷり懐いている。


 私も悪い人ではないと思っている。剣の師匠であり旅の師匠でもあるから、今の私の形成に大きく関わっている。否定したいとは思わないかな。


 ただ、過剰に持ち上げ過ぎるのもどうかと思う。

 この人はあくまでただの剣士でしかない。私が決闘で倒してきた数多の人々と同じで、その道の達人ではあるけれど、それ以外の分野に詳しいわけじゃない。


「(アンジェの方がすごいもん。ビビアンもドイルさんよりすごいもん)」


 私は嫉妬しているのだろう。アンジェがドイルさんといちゃつきすぎているから、心が離れたようで気掛かりなんだ。

 実際には、ドイルさんは数日中にこの街を離れるというのに。


 私はアンジェとドイルさんの会話を引き裂くべく、この場にいない人物の話題を出す。


「このお店、ナターリアのお気に入りでもあるんですよ」

「ああ、そうだ。ナターリアのことも気になっていたんだ。……まったく、話したいことが多すぎて困る」


 ドイルさんは少しだけ早口になって、食い気味に身を乗り出す。

 ……ナターリアのことをそんなに気にされると、それはそれで妬ける。移り気みたいで。

 ナターリアも私のものなのに……。


 私は最近のナターリアの様子を思い出しつつ、努めて軽い口調で答えることにする。

 内容に若干の意地悪を含めつつ。


「あの後、ナターリアは死にかけました。この街に来たおかげで助かりましたけど、医療の発達していないところで力尽きる可能性もありましたから、私の手で連れてくることができてよかったです」

「……そうか。後遺症は無いのか?」

「まだ治っていないので、なんとも言えません。まあ大丈夫だと思いますけどね」

「……すまない」


 私たちの旅に同行しなかったことを後悔しているらしい。

 ……後悔は、しないでほしかったな。サターンの人たちは、ドイルさんがいることで助かったはずだし。


 ……少し気まずい雰囲気になってしまったので、明るい方向に修正する。


「まあ、今は元気ですよ。この前なんて、そこの広場で音楽を奏でていましたから。上手いんですよ、ナターリアの演奏。弦楽器も笛も鍵盤も、何もかも弾きこなせて……。本人はその道で食っていける人には勝てないなんて言ってるけど……」


 私ばかり喋ってしまっているけれど、ドイルさんは楽しそうに相槌を打っている。


 だんだん、ドイルさんとの会話の仕方を思い出してきた。

 ドイルさんは私たちが楽しそうにしているのを見るのが好きなんだ。黙って眺めて、私たちを見守ってくれているんだ。


 静かな人。そういう生き方も、ちょっと羨ましいと思えてしまう。

 私は派手な見た目だから、無理だけどね……。


「あ、ニコルの分がきたよ」


 アンジェが興奮を隠しきれない声で伝えてくれる。

 傍を見ると、ちょうど店員さんが器を運んできて、私の前に置くところだ。


 私が頼んだ料理は、タレ漬け肉団子の豪快焼きと、根野菜たっぷりの卵とじだ。

 ピクト領は周囲を農地で囲まれた都会だから、他国の調味料も新鮮な野菜も、何もかもが手に入る。だからお金さえあれば、こんなに贅沢な食事を毎日食べることだってできてしまうんだ。


 ドイルさんは涎を拭う私を見て、相好を崩す。


「幸せそうで、何よりだ。居場所を見つけたからには、大切にするんだぞ」


 彼は心から、私たちの幸福を祈っている。……そういう人がいてくれることが、今は嬉しい。


 私は待ちきれないので、ことわりを入れて、お先に食べ始めることにする。

 肉は秘伝のタレがしっかり染みており、噛めば噛むほど汁が溢れ、こんこんと唾液が湧いてくる。卵とじも家庭的で、なんだか安心できる味がする。


 旅をしていた頃は、こうはいかなかった。料理といえば、その日たまたま出会した動物か、魚か、あるいは虫。野菜は塩漬けの保存食か、そのへんに生えている雑草で誤魔化す。


 ……こんな食事ができる今に、感謝しないとね。

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