陳述『魔王はそこに在る』
《アンジェの世界》
今日のオレは、いつもとひと味違うアンジェだ。
綺麗な衣装に身を包み、まるで貴族のご令嬢。ふわふわな飾りに、ふりふりの帽子まで。
着飾っている理由はひとつ。今日はビビアンと共にガシャンドクロに会いに行くのだ。
「どこからどう見ても立派な貴族だ。これで侮られることはないはず!」
可愛くなったオレが鏡の前で胸を張ると、ニコルが呆れ顔で口を挟む。
「あいつ、戦いだけが全てみたいな価値観だから……見た目はあんまり関係ないよ」
「……そうかもしれないけど」
オレが着たいから。その言葉を、オレは飲み込む。
だって、なんだか恥ずかしかったから。我儘を言う子供みたいで。
「(可愛い服、着たいじゃん……)」
言い訳をしてでも着飾りたい心を、オレは帽子を深くかぶることで包み隠す。
〜〜〜〜〜
《アンジェの世界》
オレとビビアンは、奴がいる独房にたどり着いた。
地下深くにある通路を進み、看守に鍵を開けてもらい、いざご対面。
「よオ、ビビアン。今日はダチをツれてキタのか」
巨大な虫のように忙しない外見。黒い甲冑を着込んだようにも見えるその悪魔こそ、ガシャンドクロだ。
奴は暗い部屋の中で、盤上遊戯である『包囲采』を既に準備している。きっと我々の足音を聞いていたのだろう。健気な奴だ。
ビビアンは貴族に対する態度よりほんの少し砕けた口調で、ガシャンドクロと会話する。
「友達よりもっと大切な仲だよ。恋人一歩手前だ」
「ほーン。オイラの前に出シてイイのか、ソレ」
ガシャンドクロはオレの方をチラリと見たようだ。昆虫じみているせいで瞳の動きがわかりにくいが、なんとなく素振りで判断できる。
オレは華美な装飾を施された布をひらりと優雅に振り、名乗ってみせる。
「オレの名はアンジェ。聞き覚えはある?」
「ねエな」
100人以上いた村人の名前など、いちいち覚えているはずもないか。
……オレの外見は、あの頃の面影を色濃く残しつつも、確実に変わっている。当然、見た目でも気が付けないだろう。
オレがどういう存在か、教えてやらなければ。
「魔王に滅ぼされたアース村の生き残りだよ。お前もあの場にいた」
「アー、そンなコトもあッた」
ガシャンドクロは王の駒を器用に弄びながら、天井を仰いでいる。
「オレたちの死を……その程度の扱いで……」
オレが怒りと共に爪先に力を入れると、ビビアンが間に割り込んで、運んできた椅子に座る。
……そう警戒しなくても、オレは冷静だ。実際に手を出したりはしないよ。
そう言ってみたところで、ビビアンの行動は変わらないだろうな。オレがイラついたのは事実だし、ビビアンは同調でそれを察しているんだから。
「挨拶はこれくらいにして、早速勝負しようか」
「オ、乗り気だナ。今度コソ勝ツぜ」
オレに断りを入れることなく、さらりと2人の対局が始まった。
〜〜〜〜〜
《アンジェの世界》
ガシャンドクロは敗北した。
序盤までは互角の勝負を繰り広げていたが、中盤に悪手を指したことで一変。ビビアンが隙を見逃すはずもなく、あれよあれよと言う間に制圧され、勝敗が決した。
ガシャンドクロは失敗を思い返しているのか、盤上の一点を指でくるくるとなぞりつつ、ぼやいている。
「わかッてル。ココだ。逃ゲル大将首ヲ見て、つい攻メちまッタ」
「潰しの利かない位置に戦力を割きすぎたね。せめて味方の援護が届く範囲に配備するべきだった」
ずっと観戦していた立場としても、ビビアンの発言に同意したい。
どうやらガシャンドクロは攻撃的な立ち回りを好むようだが、無謀な攻撃で味方の駒を孤立させやすい。もう少し集団における攻撃の利き方を意識するべきだろう。
ガシャンドクロはふとオレの方を見て、ため息らしいものをひとつ吐き出す。
「……仕方ねエナ。約束通リ、魔王についテ教エてやるヨ」
そして、奴はだるそうな態度で語り始める。
「コレはフニフニが言ッたんダガよォ……。魔王ッてのは、ドウも普通じャナイらしイ」
「そりゃそうだろ」
魔王でなければ、ただの悪魔だ。もう少し中身のあることを言えよ。こっちは魔王の情報が欲しくて欲しくてたまらないんだ。
そんなオレの気持ちを、ビビアンは左手を仰ぐように振ることで制する。
「ぼくも魔王を見たことがあるけど、確かにあれは凄まじかった。ぼくが独自開発した魔法を、指先ひとつで弾きやがったからね」
ビビアンが体験談を話すと、ガシャンドクロは何本かの腕を器用に交差する。
「強さの話ジャねエんだ。ソレもヤバいケドよォ、ほんとのホントにヤベェのは、アレが『概念』だッテこと……らシイぜ」
……何を言ってるんだコイツは。
あれが概念。魔王は概念。
哲学だろうか。そんなものに興味があるとは思えないが。
ビビアンも訳がわからないと言いたげな素振りで肩をすくめ、挑発的な声で解説を求める。
「おいおい。ぼくは奴と相対したことがあるけど、ちゃんと肉の体を持っていたぞ。概念と表現するなら、フニフニの方がそれらしい」
「オイラも同ジ意見ダ。概念がドウとか言ワレてモ、頭ワリィかラさッぱりダゼ」
この野郎……だんだん腹が立ってきたぞ。
そんな不確かな内容で情報提供をしたつもりになっているのか?
オレは悪魔の魔力で満ちたこの部屋の床に、どんと足の裏を叩きつける。
「お前は何が言いたいんだ? 適当なことを言って、煙に巻こうとしていないか?」
「……オイラは、フニフニとの思い出に、嘘なンかつかねエよ。アイツも嘘なンか……」
「どうだか。本当に大切な思い出だって言うなら、もう少し詳しく話してみせろ」
オレが言い終わると、ガシャンドクロは少し俯いて考え込む。
「オイラから見た魔王のコトでモ、話スか」
ガシャンドクロは顔を上げ、あくまでビビアンの方を向いたまま話し始める。
「魔王は倒セナイ。斬れねエし、潰れねエ。モシそうなッてモ、タブん治ル」
「ほう」
「普通の硬サじャねエ。有り得ねエんだ。タダ硬いダケなラ、石デモなンデモあるケドヨ……。アレはコッチの硬サも操レルんダ。ダカラ、もット硬クなレル」
ガシャンドクロはかつて『狂い目』と呼ばれる側近だった。魔王の戦いを間近で見てきたのだろう。そんな彼からの意見は、先ほどまでの曖昧な発言よりは、幾分有用に思える。
ガシャンドクロは指同士を擦り合わせつつ、神経質な声で続ける。
「ソウイう魔法じャねエかッて思ウだろ? 違ウ。違ウんダ。魔王は魔法なンか使わナクてモ、ソレがデキちまウ。ヤベエだろ?」
「硬さを操作する魔法、ではないのか」
単なる体質か、極め抜いた体術の応用ということだろうか。それにしては些か常識外れの効力だが。
オレが疑問を漏らすと、ガシャンドクロは笑みのようなものを口先から漏らしながら、魔王の恐ろしさを更に語る。
「フニフニの予想ダケドよォ……魔王ッてのは、怖ガラレルかラ魔王なンだ」
「なんだその精神論は」
「サッきの続キだ。魔王がなンで硬イのか。理由はタブン、怖イかラだ。……オイラもソウだと思うゼ」
恐怖心を操ることでこちらの攻勢を抑える戦法のことだろうか。
……いや、違う。そうではない。もっと神秘的でどうしようもない代物か?
「魔王は怖イ。魔王に逆ラウのはもッと怖イ。魔王と戦ウなンテのは、正気のサタじャねエ。魔王はソレを利用デキる。怖がル相手を柔ラかくデキる。ムカつく特性ダろ?」
「特性……」
ビビアンの呟きに、オレはごくりと唾を飲む。
特性。魔法ではない、もっと根本的な何かが働いている証。
目に見えない何か。理解さえ及ばない法。運命じみた存在が、魔王に加護を与えている。
「魔法なンてのは、結局訳のわかンねエ何かを、理解デきるヨウに押シ込めたダケのもンだ」
「……魔王は、理解の外にある……?」
「そうだナ」
なるほど。何百年かけても倒せないわけだ。我々と同じ枠組みで生きていないのだから。対抗できる道理がない。
口を結ぶビビアンを前に、ガシャンドクロはぽんと自らの膝を叩き、喜色の声を上げる。
「あア、もッとイイ言葉があッた。コレだ。包囲采で言ウトコロの、決まり事ダ」
「規則か。駒の動かし方、盤面の大きさ、対戦相手の数、その他諸々……」
「怖がッタラ、負ケ。魔王の決マリは簡単だナ」
ガシャンドクロは口を閉ざし、駒を並べ始める。
続きを聞きたければ、もう一度勝てということか。
……思いのほか、ガシャンドクロは協力的だ。予想より遥かに親しみが持てる。
オレたちが人間じゃないからかもしれないけれど。
オレはビビアンと同調で会話をし、魔王についての考察をまとめる。
「(魔王は独自の法則によって守られている。あいつの言い分を間に受けるなら、こちらが恐怖を抱いている限り勝てないということになる)」
「(恐怖って、どういう状態を指すんだろう)」
「(ぼくたちの体内で何らかの物質が分泌された時、魔王がそれを検知して硬度を操作できるようになるのかもしれないけれど……奴の口ぶりではあらゆる生物に適応されるんだろう。この線は薄いか。……まあ、これからの質問で確定させていこう)」
ビビアンは机を挟んだ向かい側の悪魔を、これまでより厳しい視線で見つめる。
賭けるものが大きくなるほど、勝負は熱が入るものだ。負けられない。勝たなければならない。そんな想いが伝わってくる。
オレは心の中で、そっとビビアンに寄り添う。
親友の心が潰れてしまわないように、支えてあげたくなったから。
〜〜〜〜〜
《アンジェの世界》
ガシャンドクロから5回ほど勝利をもぎ取り、少しずつ魔王の詳細がわかってきた。
その1。
魔王は恐怖で強化される他、恐怖を食って生きている。自分に対する恐怖は勿論、他人に対する恐怖も対象となる。
例として……オレが魔王の隣で恐怖小説を読んだとする。すると魔王はオレが発した恐怖をつまみ食いして、勝手に強化される。
なかなか理不尽だが、そういうものらしい。手癖の悪い奴だ。
その2。
魔王は効率的に恐怖を確保するために『魔王の谷』を作り上げた。
生存競争を続ける魔物たち。強さこそが全てと信じる悪魔たち。彼らは常に命を脅かされ、明日が来ない可能性に恐怖し続ける。
魔王は彼らの恐怖を浴び続けることで、老いることも朽ちることもなく生き続けている。寝ているだけで勝手に栄養が入ってくる状態だ。羨ましい。
その3。
魔物や悪魔が魔王に従う理由は、大抵の場合、単に怖いから。
死にたくないから……という場合もあるけど、家族や同胞の死を恐れている場合もある。案外横の繋がりが強い種族もいるらしい。ガシャンドクロも含めて。
ただ、例外もある。魔王の役に立つことで強くなった気になりたい奴や、魔王が他者を蹂躙するのを間近で見たい奴もいる。そういう存在は命懸けで魔王と話し合い、力を認めてもらい、幹部になる。
要するに、魔王はいじめっ子だ。我儘で、乱暴で、取り巻きを囲って好き放題している。
その4。
魔王がピクト領を襲ったのは、腹が減ったから。
悪魔祓いなどの人間が魔王の谷を襲撃すると、魔物の数が減る。魔物の数が減ると魔王の食事が減る。故に餌を求めて外に出てくる。そういう理由らしい。
……これからは誰も魔王の谷に侵入できないよう、厳重に見張らなければなるまい。
その5。
魔王がアース村を襲ったのは、奴なりの新しい試みらしい。
魔王の存在が知れ渡ったことで、この時代では世界中が恐怖に包まれている。そのため、魔王の谷の外からも、僅かに恐怖が届くようになった。魔王はこれに味を占め、世界全体を餌にしてやろうと考えたのだ。
エコーの大暴れは、そんな魔王の企みに乗っかったもの。魔王の名の下に領土を得れば、世界は更に恐怖する。そんな口八丁で魔王の手を離れたらしい。
……エコーの本当の目的は、小豆を腹一杯食べたいだけだったが。
〜〜〜〜〜
《アンジェの世界》
オレは脳裏に焼きついたアース村の惨劇を振り払うため、壁に拳を叩きつける。
「くそっ。魔王め。食い意地が張ったクソ野郎なんかのために、どうしてオレたちが死ななきゃいけないんだ」
ざらざらとした石が指を傷つけ、振動が骨を軋ませる。
それでもオレは、怒りのままに壁を殴る。
「何が恐怖だ。何が食事だ。オレたちはお前の腹を満たすために生まれてきたわけじゃない。お前なんか、お前なんか……!」
「アンジェ。やめてくれ」
何度目かの拳を、ビビアンが両手で止める。
彼女の目もまた、怒りに染まっている。オレの怒りが通じている。だというのに、冷静なフリをしてオレの前に立っている。
「アンジェが傷付いたら、魔王の死が遠ざかる」
「……そう」
魔王を殺すためには、オレが必要だということか。
嬉しいことを言ってくれるなあ、ビビアンは。激怒しているというのに、それ以外の優しい感情が溢れてくる。
オレは握った拳を解けないまま、黙ってビビアンの胸を小突く。
ビビアンはひんやりした手で包み込んで、義手から取り出した包帯を巻いてくれる。
「それに、魔王がどうあれ、目の前で好きな人が怪我していたら放っておけないじゃないか」
「……そうだね」
ニコルがこの場にいたら、やはりビビアンと同じようにオレを止めただろう。我ながら馬鹿なことをしたものだ。
一方、ガシャンドクロはつまらない茶番を見るような目でオレたちのやりとりを眺めている。
人間の事情など知ったことではないということか。虫が同じことをしても少しは興味を持つのだろうか。
「見たくないならあっち向いててよ」
「ケッ。もウ顔色がワかるヨウになッたのか。ソコのアウスは、もうチョイかかッたンダがなァ……」
「ビビアンは盤面に集中してたから仕方ないでしょ」
オレは対局中のビビアンの姿を思い出しながら擁護する。
ビビアンは研究者であり、攻略するべき課題を前にすると周りが見えなくなる性格だ。その悪癖のおかげで助けられた身としては、矯正して欲しくない。
ビビアンは恥ずかしそうにオレの方をチラリと見てから、器用に頬杖をついたガシャンドクロに尋ねる。
「今更だが、どうして内部事情をぺらぺらと話してくれるんだ?」
「ホントに今更だナ」
昆虫の腕で腹を掻き、奴はあっさりと答える。
「家族が死ンだカラ、オイラは魔王ヲ頼ッた。でモ、ココに魔王はイナい。生キ残ルにはドうする?」
「はあ。忠義なんてものは、お前には無いんだな」
ビビアンが挑発すると、ガシャンドクロは憤慨した様子で触覚をピンと張る。
「『一族のために』。アト『強く生きろ』。ソウ言わレテ育ッたから、ソレがオイラの流儀ダ。一族がモうオイラしか残ッてイナいから、オイラはオイラを生カシたイ。ソレを馬鹿にスるナラ齧るゾ、クソアウス」
彼の忠誠心は、過去に死んだ者たちに預けてあるということか。
ビビアンも思うところがあったのか、バツが悪そうな顔になって、貴族流の謝罪をする。
「……違う話をしよう。君を誤解したくない」
「ソウだナ」
駒の音が響き、再び対局が始まる。
〜〜〜〜〜
《アンジェの世界》
監獄を出て、帰り道を歩く。
まだ日は高いが、そのうち夕暮れが街を染めるだろう。
ビビアンはオレと手を繋いで歩きながら、ぼんやりと告げる。
「やっぱりぼく、アウスなんだな」
残念そうだけど、悔しそうではない。言葉の中に、諦めが混じっている。
受け入れた事実とはいえ、突きつけられるとつらいのだろう。その内面は、オレが察するにはあまりにも深すぎる。
「悪魔呼ばわりは何度もされてきた。実際ぼくは悪魔だから、仕方ないことだ」
ビビアンの手は冷たい。この手の冷たさが、人ではないことをはっきりと表している。
いくら外見を人に似せていても、いくら魔力を擬態していても、気づく人は少なくないだろう。
「でも……あいつからアウスだと突きつけられると、途端に嫌な気分になる」
「なんで?」
オレにとっては、分類が細かくなったくらいの違いしか感じられないのだが。
そう思ってビビアンの顔を見ると、ビビアンも同じようにこちらを見て、そして顔を背ける。
「ぼくはティルナという人間を下敷きにして生まれたから。どう足掻いても人の屍の上でしか成り立たない罪深い存在なんだ」
「その人のこと、知らないんでしょ?」
「そうだけどさ……」
ビビアンは足を止め、道を行く人々に目を向ける。
何人かはこちらを見ている。オレたちは有名人だから、遠目でも判別できるのだろう。オレの視線に気がつくと、逃げるように背を向けたり、親しげに手を振ってきたりする。
何人かはこちらに気がついていない。立ち話をしていたり、洗濯物を取り込んでいたり。それぞれの日常を過ごしている。
「ぼくの中にいるティルナ。彼女の国にも人はいた。広い領地を持って、国政にも関与して、人の生活に関わっていた」
「おとぎ話になるくらいだからね」
「追手も沢山来た。ぼくは罪を償わず、挙句そいつらの人生を台無しにした。そうしてぼくは、今も生きている」
ビビアンはいつになく頼りない目をしている。
「ぼくはこれからも貴族をやっていく。ぼくの力を求めてくれる人たちがいるから。……だけど、もしぼくのせいで狂わされた人たちが前に現れたら……」
「その時は、オレがビビアンを肯定するよ」
民衆の前で涙を晒す前に、オレはビビアンを元気付ける。
ガシャンドクロの前では、結局オレは役立たずだった。魔道具作りを放り出した分の価値を生み出せなかった。
だからこういう時くらい力になりたい。オレを大事にしてくれるビビアンの価値になりたい。
「ビビアンが間違ってると言う人がいたら、オレがその分正しいって言うよ。オレこそがビビアンの成果なんだから」
「……ふひひ。おかげで明日も頑張れそうだ」
ビビアンは田舎娘のように、歯を剥き出して笑う。
貴族のビビアンもカッコいいけど、素直なビビアンも魅力的だ。
オレたちは手を繋いで街を歩き、食事と買い物をして回った。
ビビアンの街は、やはり心地の良い活気で満ち溢れていた。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
夕食前のひと時。
私とアンジェとビビアンは、3人で娯楽室に集まっている。
貴族の遊びを学びながら、私はアンジェとビビアンから、魔王についての情報を聞いた。
私の頭じゃよくわからなかったけど、どうやら魔王は相当手強いらしい。
普通に戦っても絶対に勝てない。というか、普通に生きているだけであいつの糧にされてしまう。
……今の私も、あいつが怖いもん。
「とりあえず、魔王の谷を塞ぎに行かなければならない」
そう言って、ビビアンは包囲采の駒を動かす。
装飾の凝った駒。私には動かし方がまだわからないけど、見た目だけで高価なものだと理解できる。
こういう高そうな物はビビアンによく似合う。すらりとしていて雰囲気がカッコいいから。
「(お貴族さまになったビビアン……。最初に見た時はびっくりしたけど、もう見慣れちゃったな)」
ジーポントとミカエルが見たら、どう思うのかな。きっと大絶賛してくれるはず。
「とはいえ、この国で魔王の谷と隣接しているのはピクト領だけだ。軍の監視を強化しつつ、お触れを出して広めれば、ひとまずはどうにかなる」
「向こうの国はどうするの?」
反対側の駒を動かしながら、アンジェが尋ねる。
アンジェは見た目が可愛すぎて、駒が似合わない。でも手つきは一流だ。打つ前は真剣に悩み、打つ時は迷いがない。
ビビアンは頭を掻きながら答える。
「一応使者を出すけど……それ以上は難しいかな」
谷を挟んだ隣の国って、どんな様子なんだろう。
私が疑問に思って聞いてみようとすると、察してくれたアンジェがすかさず解説を始める。
「『ヤマト連邦」は連なった47の小国からなる共同体だ。ひとつひとつの国が小さいから、小国と言うより都市の集まりと表現した方が正確かもしれないね」
私たちの国で例えるなら、貴族領がそのまま国として独立してる感じかな。
そう考えると、谷の向こうもあんまり変わらない国なのかもしれない。人々が生活も、案外違いはないのだろう。
「47のそれぞれが領土と民の奪い合いをしていて、常にどこかで戦火が上がっている。今は47だけど、数年前までは50はあったかな」
「そんな状態なんだ……」
「滅んだ3つのうち、ひとつは敗戦で君主一族郎党が皆殺しにされた。ひとつは隣国とのぶつかり合いの末に財政が破綻して自滅。ひとつは不作による大飢饉で隣国に助けを求めて吸収された」
「ひっ」
前言撤回。全然違う生き様だ。サターンもピクトもそんなに殺伐としてないよ。まるで別世界だ。
「一応連邦だから、それぞれの国の代表が集まって国の舵を取ってるよ。外に対してはこの『連邦会議』が方針を決めることになるから、オレたちが使者を送る相手はそれだね」
「……国の名義で書かなきゃダメかなぁ?」
ビビアンはひどい頭痛が起きたかのように苦しんでいる。
「国相手に送るなら、こっちも国で出さなきゃダメだよねぇ?」
「基本はそうだね。……となると、王族の許可が必要になる……。許可を得るには、中央に出向いて事態の深刻性の説明もしないとね。勿論、ちゃんとした知識人の口で」
「説明……。ぼく中央に行きたくないんだけど。悪魔だし、きっと酷い目に遭うはずだ」
ビビアンは椅子の背もたれに体重を預け、だらりと腕を落とす。
「ああ……。やってらんない。ピクト家に押し付けちゃおうかなぁ。外交担当のドムジ様1名、いってらっしゃい」
「王都でもビビアンの名声が広がりつつあるらしいから、たぶん召集されるよ。ひと目見たいだろうし」
「うみみみみぃ……!」
ビビアンは傾いた椅子から転げ落ち、清潔な床の上でバタバタと暴れ始める。
まるで駄々をこねている子供みたい。……みたいというか、そのものなんだけど。
「何か……何か方法は無いのか!? ぼくが王都に行かなくて済む方法!」
「ドムジさまが言いくるめてくれるんじゃないの?」
私は足りない知識で質問する。
ドムジさんなら王さまが相手でも物怖じしないんじゃないかと思ってるけど……。違うのかな。
ビビアンは天井をぼんやりと見上げながら、死にかけの虫のようにピクピクしている。
「無理だ。あれは王族に対して腰が低い」
「そうなの?」
「この領地は武力と資金と技術を溜め込んでいて、しかも移民が常に入ってくるから他所とは違う空気をしてるんだ。もし目をつけられたら……国家転覆の疑いをかけられてしまうかもしれない」
「それは……低姿勢にならざるを得ないね」
難しい言葉を使ってるけど、要するに武器を持った人がいたら、王さまだって怖いって話かな?
ドムジさまは誤解されないように頑張って親しげに振る舞わないといけない。だから、丸め込んだりするのは無理……。
なんだか、私たちの魔王に対する恐怖に似ている。
ビビアンは「んみぃみぃ……」と鳴きながら芋虫のように這いつくばっている。余程王都に行きたくないんだろう。
正直なところ、私は代わりに行ってもいい。むしろ一番の都会である王都に行ってみたいんだけど、無理だろうね。私じゃここで起きた事件や魔王の谷の説明なんかできないし、何より戦力としてここを離れられないし。
アンジェも行けないだろう。何の地位もない女の子でしかないから、王さまが納得しないだろう。本当は世界で一番可愛くて賢いのに。
ナターリア?
うん。
「どうしたものかなあ……」
アンジェが足をぶらぶらさせながら呟く。
……長い沈黙。
妙案が浮かぶまで、喋ってはいけないような空気。
そんな心地悪い静けさを、外からやってきた使用人さんが打ち破る。
「アンジェ様。お客様がお見えです」
呼びにきたドーナさんは、不思議そうに戸惑いながらも、ひとまず仕事を果たそうとしている態度だ。
真面目で堅物な彼女があんな顔をするなんて。一体どんな人が来たんだろう。
私はアンジェと顔を見合わせて、共に来客に対応することにする。
アンジェは魔法使いとして強い。けれど、剣は私の方が強い。お客さんが突然襲ってきたら、私が防がないといけないね。
「ビビアン。ラインを借りるよ」
「どうぞ」
男性の使用人であるラインも連れて、私たちは一階まで降りる。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
一階の玄関ホールに、ずいぶん目立つ奇妙な集団がいる。
珍しい形の服を着た若い女の人。その護衛と思わしき3人の男性。
何処かで見たような気がするけど、思い出せない。何処かですれ違ったことがある程度だろう。街の住民じゃないのは間違いないけど……。
アンジェは名指しで呼ばれた立場として、とりあえず話しかける。
「お待たせしました。オレがアンジェです」
「アンジェ様! 嗚呼……よくぞご無事で……!」
女性は何やら感極まった様子で大袈裟な涙を流している。
……知り合いだろうか。でも、アンジェの知り合いを私が知らないなんてことがあり得るのかな?
アンジェの様子を窺ってみると、案の定目に見えて困惑している。
やっぱり知らない人なんだ……。なんか怖い。
私たちが挙動不審になっていると、女性の後ろにいる3人が不満そうな顔で非難してくる。
「お前ら、このお方のご尊顔を忘れたのか?」
「忘れたとは言わせないぞ無礼者め」
「こっちは本を貰った恩を覚えてるんだぞ馬鹿者め」
本……?
私が書庫に置いてある本の題名や、街にある唯一の書店の店主さんの顔を思い出している最中、アンジェが唐突に声を上げる。
「ああ、モズメさんでしたか」
誰……?
私は記憶を遡り、出会った人々の顔や性格を頑張って思い出していく。
この街のみんな……。旅で出会った人たち……。アンジェを失った前後はつらすぎて記憶に残ってないから飛ばすとして……。
私が首を捻っていると、モズメさんという女性はぷんすかと腹を立てて腕を振り回す。
「もう! サターンの街でお会いしたではありませんか! 失礼しちゃいます!」
彼女が地団駄を踏むたびに、腰にぶら下がっている何かが揺れ動き、キラキラと光る。
あれは……悪魔祓いの聖水。私たちが過去に出会った悪魔祓いは、そう多くはない。
私は脳の隅の方を探して、ようやくそれらしい人影を見つけ出す。
「ああ……。確かに、会った覚えがあるような気がします」
「その程度ですのー!?」
呆れ顔のアンジェと、目を吊り上げているモズメさん。
ごめんなさい。あの頃は都会とアンジェに夢中でしたから……。




