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対局『穴場は悟りの木の下に』

 《ニコルの世界》


 ナターリアを病室に戻した翌日。

 私は屋敷の中の様子を使用人さんたちに聞いて、花を通じて仕事場のビビアンたちに伝える。


「問題ないから仕事に専念して、って言ってた」

「まあ、そう言うだろうね」


 彼らが仕事を怠けるような人たちだったら、安心して家に帰れないからね。確実に温かい布団と料理が待っているという保証こそ、安心の要だ。


 とはいえ、屋敷を守るために避難せず、武装して残るような人たちばかりというのは、却って不安になるなあ……。無理しなくていいのに。


 花の向こうで、ビビアンは大きなため息を吐く。


「ま、彼らに何事もなくてよかったよ。これでこっちの仕事に専念できる。……あぁ、書類が山積みだ。見たくない見たくない……」


 ビビアンは声だけでわかるほどぐったりしている。たぶん外見はもっと弱っているのだろう。

 ずっと働き詰めだからね。たまに花で見てたけど、書類の山が本当に山のようで。判子を押すだけで手が疲れそうだ。


 ビビアンは自らの仕事内容を愚痴のようにぶつぶつと並べ立てている。


「混乱に乗じて空き巣に入られただの、足腰の弱った老人が避難できないだの……そんな報告要らないんだよぉ……。そういうのは自警団の管轄だろぉ……」

「……おつかれさま」


 本来なら関係ないはずの事項まで舞い込んで来ているらしい。軍人は奉仕者じゃないのにね……。


「まあ、色々あったけど……調査の結果、フニフニはもう街にいない線が濃厚になったので、地下の避難民に勝利を報告した」

「よかった。もうあいつはいないんだね」

「仕留め損なった可能性もあるけどね。アレは掴み所がなさすぎるから、油断は禁物だ」


 ビビアンは鈍った声の中に理知的な光を灯らせる。どれだけくたびれていても、その本性は探求者だ。そこに研究しがいのある何かがあれば、深掘りしたくなるのがさがなのだろう。


「ぼくも同じアウスなのに、まるで違う魔物のように思えてくる。殺しても死なないんじゃないかと疑ってしまうくらいに」

「確かに。私も戦っていて手応えを感じなかった」

「アウスは何かを拠り所にしないと知能を保てない。アレは一体何に寄生していた? 知識の海ではなく、もっと具体的な……」

「拠り所は……たぶんガシャンドクロとかいう鎧だと思うけど……」

「……それが一番楽かな。そうであってほしい」


 ガシャンドクロの鎧の中にいたってことは、そういうことだと思ったんだけど……。

 ああ、でも、彼は彼で別の人格を持っていたように見えたから……ビビアンにとってのティルナという人とはまた違うのか。

 あいつらはどういう関係だったんだろう。今思うと不思議だ。


 ビビアンは分厚い書類を捲る音を立てながら、ふと思い出したように語る。


「あ、そうだ。ガシャンドクロ、生捕りにできたよ」

「えっ……死んでなかったの!?」

「うん。間違いなく致命傷だったのに、息を吹き返したんだ。鎧の中にあったフニフニの魔力を、脱出する直前に拝借してたんだろう。それを口内に隠しておいて、時間差で魔力供給を行い、蘇生した……らしい」


 ずる賢い奴だ。戦っている間は馬鹿そのものだったのに。


「たぶんフニフニの発案だねぇ。アレにそんなことを思いつく知能があるとは思えない」


 あ、そういうこと。それなら納得だ。


 ……だとしても、あのフニフニがガシャンドクロというひとりの馬鹿に執着していたことになるから、ちょっと違和感がある。


「あの得体の知れない奴が、ガシャンドクロひとりを生かそうとするものかな……?」

「さあね。気になるなら奴の尋問に付き合いたまえ」


 どうやら話ができる状態らしい。

 ……会うのは怖いけど、今のあいつがどういう状態なのか、少し気になる。ビビアンの邪魔をしない程度に参加させてもらおうかな。


「じゃあ、好きな時に予定を入れておいて」

「助かる」


 話し合いの結果、私は午後から軍の魔法部隊が管理している牢獄に向かうことになった。

 普段は凶悪犯を捕らえるために使われているらしいから、ちょっと緊張する。看守の人に変な目で見られないといいんだけれど。


 私はビビアンに労いの言葉をたっぷりとかけて、花の通話を切る。

 本当は向こうにいるアンジェとも話したかったけれど、知識の海について調べ続けていて、缶詰め状態らしい。集中力が要るだろうし、そっとしておくべきだろう。


 ——さて。

 私は今、屋敷に用意されたナターリアの部屋の前にいる。昨晩屋敷と使用人の無事を確かめるついでに、ここに送ったのだ。


 ナターリアと私。親友であり、それ以上でもある。アンジェが許してくれているからこそ成り立つ、歪な関係だけど……お互いの全てを許し合うのは、気楽で心地よい。


「起きてる? 入るよ」

「どうぞ」


 入室を許可されたのでお邪魔してみると、ナターリアは寝起きらしい姿のまま、寝台の上でくつろいでいる。

 髪はボサボサ、寝巻きはヨレヨレ。それなのに、ナターリアは相変わらずすらりとした見事な体で、そこに横たわっている。


 ナターリアは自分のことを不細工だと思い込んでいるけれど、おかしな話だ。顔も体つきも何もかも、ナターリアほどの美人はそうそういない。

 今だって、そこに寝ているだけでナターリアの空間が出来上がっちゃってるし。


「(脚が細い。お目目大きい。肌も綺麗。爪が宝石みたいに艶めいている。……意識が吸い寄せられる)」


 襲いかかりたくなってきたけど、我慢我慢。そういうことをするのは、アンジェの許可が出た時だけにしないと。私の伴侶はあの子だから。


 私はナターリアの近くに腰かけて、適当な話題を振る。


「調子はどう?」

「よく眠れませんでした。また悪魔に襲われるんじゃないかと思うと、気が気でなくて……」


 ……それもそうか。私は何故か慣れてしまっているけれど、普通は悪魔との戦いに巻き込まれたら、心が弱るものだよね。


 私はナターリアの頬を撫でて、その身を気遣う。


「大丈夫? ひとりで寝れる?」

「ぴえっ!? ドリーちゃんがいるから、心配いらないっすよ……!」


 それもそうか。エイドリアンがいるなら、心身共に安全だ。気遣いが空回りしてしまった。


 ……それはそれとして、私の予定を伝えておこうかな。何をしているのか知らないと、心配事になってしまうだろうから。


「ナターリア。私、午後はビビアンちゃんのところで手伝いをするね。お留守番、よろしく」

「了解です。無限の魔力持ちを腐らせるわけないですもんね」


 おそらく、向こうに着いたら魔道具への燃料補給もこなすことになるだろう。片手でできるけど、適当にこなして故障させてしまったらまずい。神経を使うからあんまり好きじゃないな。


 ナターリアは毛布の皺を伸ばしながら、あからさまにいじけている。何もできない自分が不甲斐ないと思っているのだろう。


「あー、あたいも何かすることないかなあ。書庫にオススメの本、ありますか?」

「読んだことないからわからない。というか、書庫に入ったこともあんまりない」

「もったいないっすよ。何年もかけないと読み切れない量がありますよ?」


 そんなに沢山の本が並んでいるんだ……。読破した上で内容をちゃんと覚えているビビアンの頭の良さがわかるね。

 ……アンジェも書庫に通っていたはずだけど、どれくらい読んだんだろう。後で聞いてみようかな。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 午後。私は軍が管理している牢獄に向かっている。ガシャンドクロへの尋問のためだ。


 道中の定食屋で昼食を済ませようとしたものの、みんな避難しているから営業していなかった。考えてみれば当たり前だ。うっかりしていた。


 というわけで、私は腹から音を鳴らしながらビビアンの前に立っている。


「お腹すいた……」

「あの虫に会う前に腹の虫をどうにかしないとねぇ」


 ビビアンは懐から固形物を取り出して、私に手渡してくる。

 茶色く平べったい物体。素朴なでこぼこのある外見から察するに、穀物を練って乾燥させたものか。たぶん何種類もの植物が使われている。私でも再現するのは骨が折れそうだ。


「軍用携行食のひとつだ。おいしくないし岩のように硬いけど、水で戻して食べれば……まあ、食えないことはないかな」

「……わかった」


 私はビビアンの右手に携行食を戻す。


「ん?」

「うん?」


 ビビアンは硬直したまま動かない。……私、何か変なことをしちゃったのかな。


「……水魔法といえばビビアンだと思ったんだけど、違った?」

「いや、まあ……」

「私じゃどれくらい浸せばいいのかわからないのに、一枚しかないから失敗できないし……。やってもらうのが一番だと思うんだけど」

「それは、そう、だけど……。そっか……」


 あまり乗り気じゃないらしい。何を思い浮かべたんだろう。私より頭の良い人の考えることは、想像もつかない。


 ビビアンは冷めた表情で精密な水魔法を使い、携行食を食べられる柔らかさにしてくれる。

 ついでに、ビビアンはそのまま私の口にそれを突っ込んでくる。


「仕方ない。おら、食え!」

「むにゅ……」


 まず穀物の粗野な感触がぼそぼそと舌先をくすぐってくる。これは味にもあまり期待できないかな。食感だけで美味しくないのが伝わってくるなんて、滅多にないことだよ。


 続いて、味が口の中にぼんやりと広がる。まるで秋のような香ばしさだ。収穫の時期を思い出すね。むしろそれしか感じ取れない。他の味がしない。ただ香ばしいだけ。いっそ怖い。


 噛んでみると、ぞりぞりとした音を立てて抵抗なく潰れていく。これは歯の隙間に残る予感がする。これから人に会うのになあ。ちゃんと歯を磨かないと。


 私はビビアンから残りを受け取り、大して味わうことなく一気に食べ終える。

 ビビアンは苦笑している。この味を既に知っているからだろう。軍にいるなら、きっと何度も食べたことがあるはずだ。


「感想は……聞くまでもなさそうだね」

「顔に出てた?」

「思いっきり」


 ビビアンはあまり面白くなさそうに笑う。なんだか少しだけ不機嫌だ。

 ……ご飯も済ませないで来て、忙しい人に奢ってもらって、挙句の果てにまずそうにしたわけだから……私、酷いことしたね。


「ありがとう、ビビアン。おかげでお腹を誤魔化せそう」

「はいはい。報酬に見合うだけの働きを期待するよ」


 私がお礼を言うと、ビビアンは背を向けて右手の甲を義手でなぞる。

 照れている。ビビアンは感情表現が素直だから、とても話しやすい。いつも作り笑顔をしている私とは大違いだね。


 その後、私たちは特に世間話をすることもなく、静かに悪魔のもとへと向かう。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 ぼくは魔法部隊の面々に顔を通し、奥まで連れて行ってもらう。

 内部構造はとっくの昔に把握してあるが、道案内は必要だ。部外者であるぼくたちが勝手な行動をしないかどうか見張っておくのも、看守の仕事だからだ。


 ぼくたちは働き者の看守に連れられ、最深部まで寄り道せずに歩いていく。

 他の囚人がいる区域は通らない。悪魔と人間を同じところにまとめるわけがない。ちゃんと互いを感知できないように遠ざけてあるのだ。


「これより地下に潜ります」


 看守の案内で、ぼくたちは暗い地下道を進むことになる。街の住民の避難通路から隔離された、ずっとずっと深い穴の底に、目的地はある。


 看守の手によって入口の扉が開かれると、廊下の壁にかけられた魔道具の灯が一斉に点る。

 普段は使われていないのだろう。今しがた満たされたばかりの魔力が、埃まみれの硝子の裏でゆらゆらと揺れている。


「(型を見るに、監獄ができた当時からあるようだ。風情を感じるね。見捨てられた空間って感じで)」


 反響する足音をうるさく思いながら、ぼくは周りの物を観察する。

 ここは滅多に入れない場所だ。少しでも風景を記憶に残し、今に活かさなければ。


 看守は廊下の魔道具の頼りなさを見てか、手持ちの灯火具に火を灯し、足元を照らし始める。

 既に光量は十分だが、あるに越したことはない。彼が燃料の管理に慎重な人物なら、それでいい。足りないならニコルに任せてもいいからね。


 ぼくが廊下の材質に目を向けていると、不意にニコルが質問を投げかける。


「看守さん。どうやってガシャンドクロを抑え込んでいるんですか?」

「魔法部隊の魔道具で拘束し、定期的に魔力を注ぎ込んでいます」


 戦場でかけられた錠を、そのまま現在も使っているということか。今となっては少し強いだけの甲虫だから、そこまで警戒するほどの脅威にはならないはずなんだけどねぇ。


 ニコルはその返答を受けて、更に会話を進める。


「この通路、使われた痕跡がありません。他にも通路があるんじゃないですか?」


 ……うむ。それ、指摘しちゃう?

 ぼくも変だと思ったよ。ここを通ってガシャンドクロが運び込まれたなら、床にこんなに埃が積もっているはずがない。


 薄暗い廊下でほのかに警戒心を強めていると、看守は何ともない様子で解説する。


「投入口があるんですよ。地上から食料や必要品などを補給するための。奴はそこから今いる地下室に投げ込まれたんですよ」

「……乱暴ですね」

「人の目に晒すわけにはいかなかったので……。迅速かつ内密に投獄するには、手段を選ぶ暇がなかったのです」

「あぁ、もう……悪魔を不用意に刺激しやがって……。せめて今後の扱いは気をつけてくれよ……?」


 相手が極悪極まりない悪魔とはいえ、酷いことしやがる。それで相手を怒らせたら、これからの尋問も難しくなるぞ。

 これは魔法部隊隊長ゲルマニクスの指示ではないだろうな。末端の仕事か。あまりにも大雑把だ。


 ぼくが腹を立てていると、看守は何か言いたそうな様子で、少しだけ歩く速度を落とす。


「……群青卿は悪魔であると伺っております」

「間違いない」

「魔物を迎え入れようとする昨今の方針を……受け入れ難いと感じる職員が多いのです。我々のやり方は間違っているのでしょうか?」


 ……おそらくだが、彼もまた、ピクト領の方針に思うところがあるらしい。

 悪魔を拘束し、一方で別の悪魔を上司とする。自分がやっていることに矛盾を感じているのだろう。


 彼はひとつ思い違いをしている。

 この地において、奴は罪人で、ぼくは貴族だ。


「ガシャンドクロであっても、最初から降伏の意を示し、我々に恭順していれば、今頃は温かいお茶でも飲んでいただろうよ」


 群青卿としての、ぼくの意見だ。

 ビビアンとしての意見は、また少し違うけれど……彼にはこの言葉の方が受け止めやすいだろうから。


「ありがとうございます。……失礼しました」


 彼はニコルの方をチラリと見て、ほんの僅かに灯火を持つ手を上げる。

 身が引き締まった、ということだろう。何らかの助けになれたならいいけど。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 ガシャンドクロが収容されている独房にたどり着いた。

 地下深くの闇の中にぽつんと浮かび上がるそれは、まるで冥界への入り口のよう。開けたら魂が吸い取られてしまいそうだ。


 看守は鍵を握る手に少しだけ緊張を滲ませて、扉を開錠する。


「決して近づかず、拘束具に触れないようお気をつけください」

「間合いは知ってる。問題ないさ」


 ガシャンドクロの中身は、比較的ありふれた魔物でしかない。奴の力の源は、おそらくあの鎧だ。


 ……とはいえ、警戒はするべきだろう。通常ではありえない経験を積んでいるのだから、突飛な技を持っているかもしれない。いざとなったらニコルに助けてもらわなくては。


「(あんなクソまずい保存食しかあげられなくて、ごめんよ。報酬は後で考えるから……)」


 ぼくは看守によって開けられた金属の扉をくぐり、内部へと足を踏み入れる。


 この部屋の内部には監視用の魔道具が備えつけられており、それを通じてガシャンドクロの様子は看守に伝わっている。彼が扉を開けたということは、安全だと判断したのだ。


 それでも生命の危機を感じずにはいられないのが、ぼくの性格だ。……昔から命を狙われてばかりだったから、明確な敵を前にすると、ちょっとだけ緊張しちゃってね。


 内部は湿気が酷く、人が住める環境ではない。だが魔物であれば問題なく生存できるだろう。

 ……その心象を考慮しなければ。


「(……いる)」


 真っ暗な部屋の奥に、気配がする。魔物……いや、悪魔の気配。そして、それを封じる魔道具の気配も。


 同じく気配を感じ取ったのか、ニコルがぼくの前に出る。盾になるつもりなのだろう。剣も取り出して構えている。実に頼もしい。


 ぼくは貴族らしい仕立ての良い服の胸を張って、威圧的な声を上げる。


「ガシャンドクロ。お前の退屈を吹き飛ばしに来てやったぞ。感謝したまえ」

「……ケッ」


 ガシャンドクロは闇の中で蠢き、うんざりした様子で床に唾を吐く。


 すると看守は魔道具の灯火を強め、部屋の内部を光で満たしてくれる。

 なかなか気が利くじゃないか。イラついただけかもしれないけど。


 明るさで部屋の内部は隠し事を失い、ぼくたちに全てを明らかにしてくれる。

 部屋の内部には人間用の古びた寝具と、低い机が置かれている。使用された形跡があるが、ガシャンドクロが寝たのだろうか。


 問題の奴は、部屋の隅で娯楽用の盤上遊戯をいじっている。盤面を見ると、上手いとは言い難いが、定石は知っていそうな雰囲気だ。


 ……なるほど。面白い。


「ガシャンドクロ……」


 奴と直接交戦した経験があるニコルは、冷や汗をかきながら剣の柄を握り直す。

 かつての強敵との熱戦を思い返しているのだろう。ただ、今の奴は鎧を失い、魔道具で縛られ、目も当てられないほど弱体化している。そう固くなる必要はないだろう。


 今のガシャンドクロは大きな甲虫そのものだ。手足が合わせて6つ。背中に羽。頭の先には立派なツノ。何より目立つのは、あまりにもつぶらな目か。


 アンジェが刺した傷はどこにも見当たらない。おそらくフニフニの魔力を消費して回復したのだろう。

 体が魔力でできているというのは、便利なものだ。ぼくもそうやって疲労や傷を癒しているから、身に染みてわかる。


 ぼくはニコルの肩をぽんと叩いて後ろに下げ、ガシャンドクロに提案する。


「へえ。『包囲采(ほういさい)』ができるのか。ぼくと一戦やらないか?」

「あァン? てめェ、悪魔だな? しかもアウスか。よりにもよッて、なンでアウスがそッちにいやがる」


 呆気に取られているニコルを横目に、ぼくは貴族らしい笑みを浮かべながら、悪魔らしく粗野な対応をする。


「やりながら話そう。ぼくに勝ったら、少しは待遇を改善してやるぞ」

「……まァいいや。変なヤツだな、オマエ。先手、もらッていいカ?」

「どうぞ」


 ぼくが盤面を初期位置に戻すと、奴は鎖の拘束具でぐるぐる巻きにされた状態で、ちょこまかと短い腕を動かし、最初の一手を打つ。


「ふむ」


 奴の一手目は……定石通りだ。


『包囲采』は石を並べ、陣地を作り、その広さを競う遊びだ。石をうまく配置して敵の陣地を削り、味方の陣地を守る。


 奴は最初の石を手前に置いた。受け身の姿勢だ。その道の達人から学び初めの素人まで幅広く使う、防御の采配。


「(奴が達人か、素人か。当然まだ見えてこない)」


 この一局が終わる頃には、奴のおおまかな実力が見えてくるだろう。

 もう何回か相手してやれば、ガシャンドクロの性格や得意とする戦法も見えてくるはず。

 そこまでやるかは、まだ未定だけど。


 ぼくは困惑しているニコルと看守をよそに、自分の第一手を投じる。

 自分寄りだが、盤の中央にやや近い位置。攻撃的な手だ。今後の衝突に備えた陣地を作るという宣言に等しい。


 さて、奴はどう出るか。すぐに挑みかかるか?


「……やらせねェよ」


 ガシャンドクロは二手目をぼくの石のそばに置く。

 好戦的だ。戦場での奴と相違ない。


「静かすぎるね。雑談でもするかい?」

「……オイラも聞きたイことガ山ほどあンだよ。全部答エろ」


 ぼくが二手目も攻めを選ぶと、奴は虫の顔でもはっきりわかるほど挑戦的な眼光を覗かせ、勝負にのめり込み始める。


 これなら口を滑らせてくれそうだ。ぼくは胸に秘めた打算をこっそりと握りしめ、ほくそ笑む。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 対局はそれほどかからずに終わった。言うまでもないことだが、ぼくの圧勝だ。


 奴は序盤こそいい手を打っていたが、陣地を形成した後の中盤戦からボロを出し始めた。敷いた陣地を崩してまで攻撃しようとし、自分の軍を自分でぐずぐずにしていったのだ。

 終盤はひどい有り様だった。ばらばらになったガシャンドクロ軍の石を、ひとつずつ刈り取っていく作業と化していた。奴が投了していなければ、そのうち奴の石は全滅していただろう。


「投了するんだな、君は」

「次だナ。次ヲやらせろ」

「そういうことか」


 負け戦をいつまでも見ているのがじれったくなったのか。

 ……どうもこいつは勝つのが好きらしい。戦いはあくまで、勝つための手段か。


 看守は呆れた様子で魔力の残量を確かめている。かなり魔力量が多い人らしいけど、長いこと灯りを使わせるのは流石に気の毒か。

 ニコルは生み出した石板に何かを書いている。盤面の移り変わりか、それともガシャンドクロの様子か。


「次、ぼくが勝ったら……フニフニのことを聞かせてほしい」

「あア、そう」


 興味がなさそうな素振りで、ガシャンドクロは先手を取る。

 初手は先ほどと同じく……防御の姿勢だ。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 2戦目は更に早く終わった。奴の癖が読めてきたので、わざと敵陣近くに石を置き、有利な場所に誘い込んで叩き潰したのだ。


 ガシャンドクロはあまり悔しがっていない。打つ手の素振りから、どことなく諦めのようなものが垣間見える。


「フニフニから教わッたンだ。コれ」


 ガシャンドクロは約束通り、フニフニの情報を話し始める。


「アいつはコレが好きだッた。いや、好きッてわけじゃねェな。暇ナ時によくやッてた。時間潰しに丁度いいッて感じだッたな」

「仲が良かったようだね」

「ちげェよ」


 ぼくが切り込むと、奴は雨垂れのようにポツリポツリと話し始める。


「オイラは借りがあンだ。フニフニに生かさレた借りがあンだよ。ダからそばにイた。それダケだ」

「命の恩人か」

「そうだナ。アイツは恩とかそンなこと、考えてナかッただろうケドよ」


 ガシャンドクロは何もない天井を見上げて、ひとつ息を吐く。


「飢エ死ニしかけたオイラに腹一杯食わセてくレたのは……間違イなく恩だ。大恩だナ」


 魔王がいる谷でのことを話しているのだろうか。

 あの僻地で魔物たちがどのような生活をしているのか、人間側は誰もわかっていない。アンジェの知識の海でさえも、ろくに情報が手に入らない。

 ただ『実力主義』で『修羅の土地』であるという雰囲気だけは察している形だ。


 ぼくははやる心を押さえつけながら、貴族らしい声で質問する。


「詳しく教えてくれないか?」

「……オマエら、フニフニを負かシただろ?」


 ガシャンドクロはほんの一瞬だけ剣呑な雰囲気を醸し出しつつ、ぼくを睨む。

 殺気。そうだ。こいつは暗黒の谷でも指折りの強者のはずだ。鎧を捥がれた今となっても、その心は健在なのだ。


 ……敵だというのに、なかなかどうして、面白い奴じゃないか。良い根性をしている。


 目にも止まらぬ速度で間に割って入ったニコルの剣を制し、ぼくは社交界で磨いた会話術を用いて、殺気を前にして表情を崩さずに笑う。


「ぼくは会ってないよ」

「見てもいねエのかよ。ガッカリだ」

「彼らしき霧とは遭遇したよ。いい魔法だった」

「……そうカ。そういうコト。アイツ、マジだッたンだな」


 やはりあの霧はフニフニ本体が分裂してできたものだったようだ。


「アイツは水ならなンでもなレるンだ。氷も作レる。霧にもなレる。そンで、栄養混ぜたラ……食いもンにもなる」


 フニフニは文字通り身を切ってガシャンドクロに与えていたのか。日常的にそうした行動をとっていたのなら、蘇生のために魔力の一部を与えたのも納得だ。


「『昆虫ゼリー』ッてアイツは言ッてたナ。変ナ名前の魔法だろ?」

「聞いたことがないな」

「だよナ。アイツ、変なンだ」


 ガシャンドクロはこちらから頼んでもいないのに、どんどんフニフニの情報を開示してくれる。


「アイツ、世界はいくつもあるンだッて言い張ッてたンだ。バカみたいだろ?」

「なるほど、変だ。でも興味深くもある」


 世界とは、人間が知覚できる最も大きな枠組みを指してそう呼ぶものだ。村、街、国の、そのまた外にある柵。

 それが複数。……ずいぶん大袈裟な表現だな。フニフニは詩人だったらしい。


「魔法が無イ世界。魔物しかイナイ世界。人間と魔物ガ仲良くシてる世界。探せばあるッて、よく言ッてたナ」

「ふぅん」

「電気で動ク世界なンてモンも……想像つかネエな」


 表現の大きさに目を瞑れば……ありえないとは言い難い。現にピクト領は魔物を受け入れつつある。魔法使いが生まれず、魔法に頼らず生きようと試みる村もある。


 ……だが、そうではないだろう。フニフニの言う『世界』とは、そんな意味ではないはずだ。

 暗黒の谷こそ、魔物しかいない世界ではないのか。それでは「探せばある」と言うのはおかしいじゃないか。探さなくてもそこにあるのだから。


 探さなければ見つからないもの。強大な悪魔でも、知覚できないもの。それが、奴の言う世界。


「世界というのは……何かの比喩か?」

「アイツは割とそのまンま話す奴。例えたりシナイ」

「……世界。世界、ねぇ」


 おそらくは球状の土塊の上にこびりついているのだろう、生命の巣。星という、最も大きな世界。フニフニはそこから離れようとしていたのだろうか。

 それこそ、無謀。錯乱。愚者。狂気。理解できない考えだ。もはや空想に片足を突っ込んでいる。


 でも、浪漫はあるね。想像力を掻き立てられる。

 女同士で子供を産める世界があったなら、僕はアンジェと子作りできていたわけだし。ぼくが人間に生まれていた世界なら、もっと……。


 ガシャンドクロは机を軽く引っ掻きながら、思い出話を続ける。


「違う世界ガあるなら、オイラは生キルために戦わナイ世界に行きタイ。そう言ッたこともあッたナ」

「戦いが嫌いか?」

「好きダ。でも好きな戦いだけシタイ。コレみたいなヤツだけやッていたい」

「殺しをしたくない、ということか?」

「全然違ウ。わかッてネエな、オマエもフニフニも」


 そういえば、奴はニコルとアルミニウスを、面倒くさいという理由で無視しようとしたらしい。勝ち負けや強弱といった物差しで勝負を測っていないようだ。

 楽しいか、楽しくないか。奴にあるのはそれだけなのか。享楽的で、まさしく悪魔的だ。


 ガシャンドクロは決着のついた盤上遊戯をつつき、再度並べ直す。

 もう一度やるつもりのようだ。……このままでは、看守が可哀想だな。立ちっぱなしで退屈だろう。


 ぼくはニコルの魔力を精製して作った聖水を看守に渡して、小声で告げる。


「疲れたなら、交代を呼んできて休みたまえ」

「囚人を前にして、お二人だけにするわけには……」

「じゃあ仲間をここに呼びつけて。聖水があるから、その魔道具は誰でも動かせる」


 ぼくがそう言うと、看守は大きなため息をつく。


「私、そんなに退屈そうに見えましたか?」

「ああ。見えたよ」

「……そうでもありませんでしたよ。興味深いお話でした」


 どうやらさほど退屈はしていなかったらしい。何故だろうか。暗くジメジメした場所で話し相手もいないというのに。盤上遊戯を知っていたとしても、今のやりとりが面白いものだとは思えない。ただの一方的な蹂躙でしかなかったはずだ。


 ぼくが首を傾げていると、ニコルは蔦で編んだ椅子に座り、植物繊維で編み物をしながら苦笑する。


「ビビアンは仕事をしていればいいと思うよ」

「そうか」


 なんとなく釈然としないものを抱えつつも、ぼくはニコルの言葉通りにガシャンドクロの尋問を再開することにする。


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