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仙境『迷い込んだ人間と人外』

 《ニコルの世界》


 突然、アンジェが目を覚ます。

 一回だけ浅く呼吸をして、身じろぎをしたのだ。

 何もしてないのに、どうやって息を吹き返したんだろう。もしかして、抵抗できない状態だと思っていたのは私だけで、アンジェはずっと戦っていたのかも。


 アンジェは慎重に目を開いて、油断のない目つきで周囲を確認している。

 フニフニと戦っている最中に眠らされてしまったんだろう。私の姿さえ目に入っていないみたいだ。


 私は花を通じて、少し離れた位置にいるアンジェに声をかける。


「アンジェ! 起きたんだね!」

「あ、ニコル。えっ、ニコル!?」


 アンジェは何故か驚愕を露わにしている。

 そんなに驚かなくてもいいのに。悪魔が出たら戦いに出るのは、私の役目なんだから。


「水の中……。おそらくはフニフニの内部か。まさかこんなところに囚われているなんて。というか、ニコル……まさか自分で飛び込んだんじゃ……」

「ダメだった?」

「悪魔の口に飛び込むようなものだぞ!? 普通はやらないよ、そんなこと! もっと自分を大切にしてくれよ!」


 アンジェは起きて早々に早口でお説教を始める。頭の回転が早いなあ。寝起きでも戦えるんだ……。


「(悪魔への憎しみがそうさせているのかな……。いつもはもっと抜けてるのに……)」


 アンジェが安らかな日常を送れていない事実を苦しく思いつつ、私は剣を握り直す。


 アンジェは優しいから私の身を案じてくれているみたいだけど、大丈夫。白い手は起き上がらなくなるまで斬りまくったし、今なら呼吸もできる。長期戦だってできるつもりだ。


 私は黒い剣をぶんぶん振り回して、力を誇示する。

 水の中で振るのも慣れた。水魔法と風魔法で水流を作れば楽になる。修行としてはほどほどに難しくて、いい感じだ。また一段階強くなれた気がするよ。


「ほら、見て。全員やっつけたよ」


 私が白い手の名残りを指先で摘むと、アンジェは激しく動揺し、真っ青な顔で視線を逸らす。


「うわ……! それ、人間の情報の塊じゃん!」

「なにそれ」

「怪奇作品っぽく表現すると、人間の魂がドロドロに溶けたものって感じ。知識の海の産物か……。ひどいことするね、あのフニフニ野郎……」


 なんですかそれは。ものすごく怖い。実質死体みたなものじゃん。私、今までそんなものを斬ってたの?


 私は剣を水魔法で入念に掃除して、吐き気を意識から追いやる。

 フニフニめ……。人間をこんなふうにしてしまうなんて。タチの悪いやつだ。こんな姿じゃ誰かもわからないし、遺族にも会わせられないじゃないか。本格的にイライラしてきたよ。

 ……いや、人間そのものってわけじゃないのかな。斬った感じ、生き物ではないみたいだし。私じゃわかんないや。


 それはそうと、アンジェに聞かなければならないことが増えてしまった。知識の海についてだ。


「フニフニは知識の海を使えるの?」

「そうだ。ここは実体化した知識の海の内部だね」

「ここ!? 知識の海って実在するの!?」


 てっきり、アンジェの頭の中にある何かだと思ってたんだけど……こうして触れることができるものなんだね。なんだか感動。


 でもアンジェは眉間にものすごく深いシワを寄せている。歯茎で硬いものを噛み千切ろうとしているかのような顔だ。


「フニフニの能力のせいだと思う。普通、こうやって生身で入ることはできないはずなんだけど……何故か具現化している。オレにもよくわからない」

「……やっぱりあいつ、霧を出すだけじゃなかったんだね」

「あの霧も知識の海が変化したものだよ」

「ごめん、アンジェ。意味がわからない」


 私は白い手の残党を蔦の触手でぐちゃぐちゃに引き裂きながら、思考を放棄する。


 実感を伴って理解していない身としては、アンジェの発言はあまりにもふわふわし過ぎている。私も知識の海から情報を引き出せるようになれたら、違う世界が見えるようになるのかもしれないけれど……。


「(こうして眺めていても何の知識も浮かんでこないし、さっきの霧だって……。私じゃダメなのかな)」


 これが知識の海なら、覗き込んで何かを得ることができれば、少しはアンジェに近づけるのに。その資格さえ無いなんて。


 ……まあ、落ち込んでいても仕方ない。今は水の中で殺し合いだ。


 ある程度敵が片付いたところで一旦手を休めて、私は苦笑しているアンジェと合流する。

 アンジェは賢い。だから、きっと突破口を見出してくれるはずだ。未だに姿を見せない臆病者のフニフニなんかに負けるアンジェじゃない。


「アンジェ。フニフニをやっつけよう」

「よし。実は、いい作戦があるんだ。まずはここの広さを確かめよう」


 アンジェはビビアンみたいな悪戯っぽい笑みを浮かべて、蔦の端を持って浮上を開始する。

 私はその蔦を伸ばしながら、底まで。……やるべきことは、これで合ってるよね?


「(何をするつもりなんだろう。知識の海の話といい、ついていけてない気がする)」


 これは劣等感なのだろうか。アンジェの隣にいるのに、アンジェの足を引っ張っている気がする。


 すぐに水底に到着して、暇を持て余して。アンジェの姿が恋しくなって、しばらくすると。

 アンジェは印のついた蔦を持って現れ、したり顔で語り始める。


「やっぱりだ。知識の海と暗闇の世界は、この世界に対して平行に存在する舞台裏だった」

「はい?」


 ついにアンジェの賢さが人間の理解を超えてしまったのか。やったねアンジェ。でも私は周回遅れだよ。


「暗闇の世界って何?」

「ああ。オレが死んだら迷い込む、暗い空間。世界がオレを分解しようとするんだ」

「んん……うーん……?」

「あそこも知識の海に近いものだったんだなあ……」


 アンジェはどこか青ざめた表情で、二度と起きてほしくないだろう臨死体験を語る。


 ……周りの魔力を吸い取って生き延びたって言ってたよね? それに近いってことは、知識の海も魔力でできているってこと?

 頭おかしくなりそう。いや、アンジェの頭がおかしいと言いたいわけじゃなくて。ああ、こんがらがってきた。……うーむ、悔しい。


 わからない。わからないけど、何か打つ手があるらしいことはわかる。

 細かい話は後回し。今は今の話をしよう。


「アンジェ。理屈はともかく、私がやるべきことを教えて」

「うん。オレの言う通りに龍の息吹(ドラゴンブレス)を吐いて欲しいんだ」


 私の吐息は冷気だ。水の中で使ったら、身動きが取れなくなりそうだけど……大丈夫かな?

 使うのは久しぶりだから、ちょっと不安だな。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 部下たちの尽力のおかげで、霧の範囲をだいたい掴むことができた。

 水路付近から風に吹かれるように、扇状に広がっている。外に行くほど霧の濃度は薄くなり、視界がぼやけにくくなっているらしい。


 そして、これはアンジェからの情報だが……フニフニが展開した水の空間も、おおよそ同じ形をしているらしい。

 つまりアンジェとニコルは今、霧の中にいるということだ。


「霧は異空間そのものだ。慎重に破こう」


 ぼくはエイドリアンに頼んで工房から実験設備を運んでもらい、ナターリアをこき使って準備を整えた。

 ……あとは起動するだけだ。


 ぼくははやる気持ちを抑え切れず、アンジェに向けて声をかける。


「準備はできた。いつでもどうぞ」

「流石はビビアン。手際がいいね」

「ひひひ……。それほどでも……」


 ぼくはアンジェの両親との会話を思い出し、ぽっと顔に熱を宿す。

 両親公認。なんて素晴らしい免罪符だ。アンジェと結婚して毎日いちゃいちゃして、一緒に公の場に出たり、暖炉の前で静かな夜を過ごしたり……。


 ……ニコルは許してくれるだろうか。たぶん嫌な顔をするだろう。アンジェはニコルにご執心だし、ニコルもアンジェを溺愛している。ぼくが入る余地なんか無いのに、割り込もうとしているんだ。嫌だろうな。


 それでも、ぼくのアンジェへの好意は全員知っているはずだし……なんとかならないかなぁ……。


「おーい、ビビアン?」


 アンジェの声で、ぼくは我に帰る。

 作戦開始前に空想とは、遊撃部隊隊長もやきが回ったかな。気を引き締めよう。


「大丈夫。考え事してただけ」

「どうせあの件でしょ? 後でニコルと話し合いね」

「ふへへぇ……はぁい」

「はあ……。じゃあ、いくよ」


 締まらない合図と共に、ぼくは装置を起動する。


 工房に設置されている大型の気候変動装置。普段は倉庫の室温を一定に保つために使われているが、出力を調整すればちょっとした兵器にもなり得る。


 湿度を操って、範囲内の霧を消し飛ばす。

 さようならだ、霧野郎。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私が息を吹きかけると、フニフニの海がどんどん凍っていく。

 そのままだと口が凍りつきそうになるので、冷気を水流に乗せて運んでいく。

 奥へ、奥へ。この世界の端まで。


「ニコル。もうちょっと右に多めだってさ」


 アンジェはどうやっているのかわからないけれど、ビビアンと会話できているらしい。知識の海の適性持ちって、ずるいなあ。


 私は言われた通りに流れを調整して、氷の力を輸送する。

 視界がだいぶ白くなってきた。綺麗だけど、同時に不安にもなる。私たち移動できなくなっちゃうよね、これ。どうするんだろう。


 アンジェに視線を送ると、あの子はくすっと微笑んで視線を返してくれる。

 可愛いけど、そうじゃないんだよなあ。でも、そんなことをする余裕があるってことは……勝ちが近づいているということだろう。


 私は風魔法を体内で生成して、息を吹き続ける。

 氷龍の吐息。灼熱の溶岩さえ石ころに変える、伝説の固有魔法。

 どうして私がそれを使えるのかは……わからない。わからないけど、私は気にしない。気にする必要がないし、解き明かす必要に迫られたらアンジェがやってくれるはず。


 視界のほとんどが氷で満ちたところで、アンジェは私と密着して、ビビアンに合図を送る。


「全部凍ったよ」

「うん。確認できた。氷を割ったら、すぐに脱出してくれ」


 なんだか物騒なことをしようとしているらしい。

 周りが水だらけで、それを凍らせて、砕いて……。そうしたら、どうなっちゃうの?


 不安に駆られる私をよそに、アンジェは私と腕を組んで、勇敢な顔つきで氷に指を当てる。


「大丈夫。これならいける」

「本当?」

「オレを信じて」


 アンジェはぷにっとした頬を持ち上げて、愛くるしい笑顔になる。


 ……ほんの少し眠っていただけのはずなのに、今のアンジェはやけにすっきりした様子に見える。良い夢でも見たのかな。

 ここが知識の海なら、その中で見る夢は、どんなふうになるんだろう。私は普段、人に言えない夢ばかり見てるんだけど……。


 アンジェは迷いのない手つきで氷をなぞり、魔力を書き込んでいく。魔道具を作るときの流れだ。

 アンジェは道端の小石や棒切れをその場で魔道具に変えて戦うことがある。マンモンと戦った時もそうだったらしい。普通の職人じゃ真似できない、アンジェだからこその神業だ。


「割れろ」


 アンジェが氷に命令を下すと、私たちを取り囲む氷は全て粉々になり、宝石のように煌びやかな光を纏いながら、地面へと落ちていく。


 ……地面。そう、地面だ。私たちは街に戻ってこれたのだ。

 しかも、狙い澄ましたかのように基地の目の前に降りることができた。


「わあ……!」


 抱き合いながら窮地を脱して。魔法の光でキラキラ光って。なんだかおとぎ話みたい。


「アンジェはやっぱりすごい。こんなにあっさり戻ってこれるんだ……!」

「ビビアンに頼んで霧を減らしてもらったからだよ。出口を絞ったんだ」

「ふふっ。ビビアンにも感謝しないとね」


 私の周りには、頼りになる仲間がたくさんいる。私じゃどうあがいても脱出できなかったあの海を、いとも簡単に攻略してしまう天才たち。剣を振るしか能がない自分が情けない。


 びしょ濡れの体を水魔法でどうにか乾かそうとしていると、基地の中からナターリアが飛び出して、私に抱きついてくる。


「ニコルさん!」


 彼女は自分の体が汚れることも構わず、私にしがみついて泣き始める。

 ガシャンドクロからの連戦で、すっかり疲労してしまったのだろう。治りかけとはいえ、怪我している身でよくがんばりました。お疲れ様。


 私はナターリアの背中をさすり、泣き止むまで待つことにする。

 その間にエイドリアンとニーナさまがやってきて、戦況報告をしてくれる。


「霧は魔道具で回収済み。現在は見落としがないかどうか、大勢で確認作業中ですわ。ここの氷は、見ての通りドリーちゃん様が全部集めました」


 足元を見ると、いつのまにか砕けた氷が全てなくなっている。溶けたわけではなく、全てエイドリアンの枝に囚われているようだ。


「ちょっと目を離した隙に……いつのまに……」

「えっへん」


 エイドリアン本体はいつも通りのむすっとした顔で胸を張っている。褒めてほしいのかな。


「よくできました」

「ドリーはいわれたとおり、われないようにきをつけながら、ぜんぶとりました。ドリーはえらいです」


 エイドリアンは鼻息を荒くして、ニマッと笑う。

 わかりやすくて素直な感情表現。幼少期のアンジェとは全然違う、大雑把な性格。

 子供を理解するのは難しいな。でも、可愛らしい。


 エイドリアンの頭頂部と頬と顎をくまなく撫でていると、ニーナさまはその様子を微笑ましそうに眺めながら、更に報告を続ける。


「霧はフニフニ本体が分裂したものだそうですわ。凍らせて魔力の動きを止め、叩き割る。形を失ったフニフニは、きっと死を迎えたはずです」

「……なら、これって」


 私は自分の濡れた体を見て、ゾッとする。

 これ、全部フニフニの死体? 


 いや……そもそもあいつ、まだ生きているかもしれないよね。また動き出すかもしれないと思うと、背筋が凍りそう。私は凍らせる側だけど。


「へっくちっ!」


 私はひとつくしゃみをしつつ、大慌てで服を脱ぐことにした。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 あたいはびしょ濡れになった服を脱ぎ、ビビアンちゃんに渡しました。

 ただの水に見えますが、フニフニの死体である可能性が高いそうですので、万が一に備えて回収しなければならないそうです。


 どうでもいい服で助かりました。気軽に処分できます。……まあ、今のあたいは上裸ですので、ある意味助かってませんけど。


「おつかれ、ナターリア」


 やることをなくしたあたいが基地の一室で手持ち無沙汰になっていると、同じくやることをなくしたらしいニコルさんが部屋に入ってきます。


 ニコルさんは前線に出て戦うのがお仕事なので、敵が全て片付いた今は暇をしているのでしょう。基地にいる理由は、他のみんなもここにいるから……でしょうか。


 あたいは丸出しの胸を椅子の背にかかっていた毛布で隠して、ニコルさんに話しかけます。


「ニコルさんこそ、お疲れ様です。ずっと戦い続けていたんでしょう?」

「まあ……うん。でも、あんまり仕事した感じがしないな」


 そう言って、ニコルさんはあたいのすぐ隣に椅子を持ってきて、腰かける。


 ……近いです。ドキドキしちゃいます。心なしか、良い匂いがします。ニコルさんはいつもお花みたいな香りがするんですけど、今はどことなく石鹸みたいな清潔さが……。


 あたいは体の火照りを隠しながら、ニコルさんに背を向ける。


「あたいなんか、何もしてないのにくたくたですよ。ニコルさんはすごいです。あちこち動き回ったのに、全然息が上がっていない。あたいも丈夫な体が欲しいですね」

「ナターリアはその体でやれることを精一杯こなしてたよ」

「そうですかねえ……」


 今思えば、もっとみんなの役に立つことができたような気がします。ビビアンちゃんの指示で魔道具を動かす時も、鈍臭くて色々失敗しちゃいましたし。

 体、鍛えた方がいいんですかねえ。


 あたいは無力感を噛み締めながら、廊下に続く扉をぼんやりと眺める。


 あの扉の向こうでは、今でも軍人さんたちがあくせく働いています。そろそろ夜が明けて、補充の人たちが現れる頃です。溜め込んだ疲労が頂点に達しているはずですが、それでも頑張っています。


 彼らを指揮するのはビビアンちゃんとその他の隊長さんたち。彼らは代わりがいないので、ずっと起きています。そのうち副隊長に任せて仮眠をとるはずですが、それでも2時間くらいしか眠れません。上に立つというのは大変ですね。


 軍人ではないのに、アンジェちゃんとドリーちゃんもずっと起きています。悪魔だから睡眠は不要なんですけど、それでも重労働を長いこと続けると、いずれ精神的に限界がきます。アンジェちゃんは精神力が強いのでなんとかなるかもしれませんけど、ドリーちゃんはまだ幼いので、早く解放してほしいものです。


 ……彼らのことを考えるほど、あたいの中の焦りや不安は膨らんでいく。

 ここにいていいのかな。どう考えても穀潰しでしかないですよね、今のあたい。


「あたいも何かしないと……」

「ダメだよ」


 立ち上がりかけたあたいの肩を、ニコルさんが掴みます。


「ナターリアは休んでて」

「そんなことしてたら、あたい、みなさんと対等でいられませんよ……。みんな働いてるのに……あたいだけこんなところで……」


 役立たずの自覚があるからこそ、周りがみんな働いている状態が、たまらなくもどかしいのです。

 しかしニコルさんはえらく真剣な顔であたいを否定します。


「誰かがナターリアを責めたりした?」

「……いいえ」

「きっと宿に勤めてたから、働くのが癖になってるんだよ。……ここはナターリアの勝手の知れたおうちじゃないから、変に動いても混乱させるだけなのに。働いても、必ずしも役に立つとは限らないんだよ?」

「うっ」


 あたいは思わず汚いうめき声を発してしまいます。

 ニコルさんの指摘は正しい。実際、あたいは罪悪感に押されて動こうとしていましたが、具体的に何をするべきかはまったく頭にありませんでした。


 あたいは足りない頭で、今基地内でありそうな仕事を探します。


「ええっと……物を運んだり、記録したり、色々できますけど……」

「それはビビアンちゃんの指示でドリーちゃんとアンジェがやってる。2人に任せればいいよ」

「じゃあ、もっと末端の仕事を……」

「被害の確認も、魔物の回収も、兵隊さんの仕事。ナターリアにできることはないよ。おとなしくしてて」


 ああ、無情。やりきれない気持ちを抱えたまま、ここで過ごさねばならないなんて。


 ……それにしても。

 あたいはあんな事件があったというのにあまり変わらない雰囲気のニコルさんを見て、少しばかり考え込みます。


「(戦うのが仕事って言ってましたけど……怖くなかったんでしょうか)」


 ガシャンドクロ。そしてフニフニ。どちらもエコーに匹敵するほど厄介な相手だったはずです。

 エコーほど巨大ではありませんでしたが、片方は硬く、片方は掴み所のない存在でした。あたいが宿屋の巨人で挑んでも、瞬殺されるでしょうね。


 しかしニコルさんは、そんなことは普段通りだと言わんばかりに堂々としています。疲れた様子もなく、苛立つわけでもなく。


「2体とも直に相手したニコルさんにお聞きしたいんですが……今回の敵は、どうでした?」

「どうって?」

「何か、こう……感想みたいな、ものとか……」


 ああ、またふわっとした質問をしてしまいました。あたいは馬鹿だから、頭の中で具体的にまとめることができないんです。


 するとニコルさんは、驚くべきことに、綺麗な顔を引き攣らせ、苦しそうな声を喉の奥から搾り出す。


「はは……。何も無いよ。何も」

「楽勝だったってことすか?」

「違うの」


 ニコルさんはあたいから目を逸らしてしまいます。


「ガシャンドクロはニーナさまが、フニフニはビビアンとアンジェが倒しちゃったから……よくわからないまま終わってしまって、困惑してる」

「ニコルさんも戦ったんでしょう?」

「役に立てた気がしないの」


 ……ニコルさんはどちらも相手にして、対処するまでの時間を稼いだじゃないですか。それなのに、まるで自分の手柄じゃないようなことを言って……。

 あんまり仕事した気がしないって、そういう意味だったんですね。トドメだけが仕事じゃないと思うんですけどねえ……。


 もしかして、あたいと同じような心境だったりするんでしょうか。自分は無力だ、なんて思ってしまっているんでしょうか。

 ニコルさんはあたいみたいな無能とは違う。行動力があって、人を導くだけの人望があって、恐怖に立ち向かえる勇気もある。凡人にはできないことを、ちゃんとやってる。


「ニコルさんが解決までの道を引いたんですよ。ニコルさんがいなければ、今頃どうなっていたことか。街に被害が出ていたかもしれません。我々の誰かが欠けていたかもしれません」

「……うん」


 まだ他に気にしていることがありそうです。戦いの役割以外にも。

 あたいは聞き出すことにします。


「何がそんなに引っかかってるんですか?」

「……理解できないの」


 敵が、でしょうか。街を襲う悪魔のことなんて、わからない方が自然だと思いますけど。


「私は知識の海に入ったのに、全然そうだとわからなかった。何も読み取れないし、何も推測できないし、何の作戦も思いつかなかった」

「はあ」

「適性が無いのは仕方ない。諦めはつく。でも周りに説明されても頭が追いつかないのは……努力と実力が足りないみたいで……アンジェに相応しい人間になれていないみたいで……心が苦しい……」


 ニコルさんはかなりの早口で、時折つっかえながら胸の内を晒してくれます。


 本心なのでしょう。アンジェちゃんとビビアンちゃんの頭の良さについていけないのがつらいと言いたいのでしょう。もしかすると、アンジェちゃんの恋人として釣り合っていないとか思っちゃったりしてるんでしょう。


 はあ。

 ああ、もう。この人は本当に。


「なんて贅沢な悩み……!」

「えっ」


 あたいは立ち上がり、ニコルさんの額に拳をちょこんと当てます。


「あたいも何が起きているのか、さーっぱり理解できてません」

「ナターリアもそうなの?」

「当然っすよ。それで、ニコルさんはあたいのことを嫌いになりましたか?」


 あたいがほんの僅かな不安を隠しながら尋ねると、ニコルさんは首を横に振ります。

 よかった。嫌われてなかった。一安心。


「ニコルさんは頑張りました。以上! 考えることは頭の良い人たちに任せてしまえばいいんです!」

「……ふふっ」

「やるべきことをやったニコルさんは偉い! それでいいじゃないですか」

「……ナターリアも」


 ニコルさんは少しだけ気持ちが和らいだようで、温かい笑みを浮かべてこう言います。


「戦いの時……ナターリアも、いい矢を作ってくれたよ。あれのおかげで大した怪我しないで済んだの」

「あれはドリーちゃんが……」

「作戦を思いついてビビアンに直談判したのも、エイドリアンを連れてきて動かしたのも、ナターリアでしょ?」

「……そっすね」


 なんということでしょう。あたいの発言があたいに返ってきてしまいました。

 やるべきことをやって、頑張って結果を出した。他のことは他人に任せてもいい。……そのまんま、あたいにも当てはまってしまいます。


 自分を肯定するのは、難しいです。周りが揃いも揃って有能だらけですから。劣等感は絶え間なく襲いかかってきますとも。

 それでも。どうにかして自分を肯定していくべきなのかもしれませんね。それが巡り巡って、他人を肯定することに繋がるなら。


 あたいはニコルさんの頑張りを否定する気になれません。暇しているニコルさんを責めたりもしません。だから思い切って……自分の立場を肯定してみたいと思います。


「今日と明日は休みます。動きすぎてボロボロの手足が痛いです。また完治が遠のいた気配がしますよ」

「ふふっ。じゃあ、安静にしないとね」

「はい!」


 あたいはみんなが頑張っている横で、胸を張って休むことにしました。

 無能ですよ、あたいは。それでもやるべき時が来たら、いつでも呼んでくださいね。


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