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生誕『アンジェ』

 《アンジェの世界》


 オレはアンジェ。アース村で生まれた少年だ。

 家族はオレを含めて3人。お父さんとお母さんと、長男のオレ。村の西にある普通のおうちで、仲良く暮らしている。


 村は貧乏だけど、のどかで平和だ。山の中にあるけど、気候は意外にも安定していて、野菜がよく育つ良い土地だ。

 危険な動物はたまにくるけど、出ても大人たちがやっつけてくれるから、安心だ。この村の人たちはみんな強いからね。何故かみんな剣を振れるし、農具を持ってもめちゃくちゃ強い。まるで物語の騎士団みたいで、超カッコいい。


 オレは村では天才少年と呼ばれている。剣のことじゃない。1歳にも満たない時に言葉を覚えたからだ。でも大人はみんな喋れるし、そのうち普通の人に埋もれていくんだとオレは思う。狭い村で生きていくだけなら、普通で十分だ。剣を振れる方がよっぽど羨ましい。


 オレがやるべき仕事は、洗濯と水汲みと畑仕事。

 朝に川で洗濯をして、水を汲んでくる。この付近の川の水は綺麗で清潔だから、なんとそのまま飲んでも大丈夫。作物も大喜びだ。


 畑仕事はお昼から。だけど土や草の機嫌次第で時間がかかるから、早めに始めるのが吉。肥料作りや力仕事はお父さんがやってくれてるから、オレはオレで頑張らないと。


 夕方になると引き上げて、お母さんのご飯。だいたいは野菜と豆の汁物だ。塩も香辛料もあんまり無いから味が薄いけど、まごころが美味しい。胸とお腹がいっぱいになる。


 日が落ちたらみんなで寝る。どこの家でも、やることがない時は寝るのが普通だ。

 ……でも、オレの場合は少し違う。両親に内緒で、しばらくは起きている。夜になると隣の家の■■■が元気になるからだ。

 ■■■は陽の光に弱いから、曇りの日以外は夜しか外に出られない。だから、夜になると会いに来る時があるんだ。


 ■■■が話してくれるのは、草花や裁縫のこと。外に出られないから、村の裁縫係として役目を請け負っている。だからいろんな依頼が舞い込んできて、みんなから頼りにされている。つまりはすごい幼馴染なんだ。


 ■■■とのお喋りが終わると、オレは疲れて眠ってしまう。■■■が隣にいてくれることもあるけど、外へお花を探しにいってしまうこともある。ついて行きたいけど、オレはまだ子供だから、難しい。もっと体が大きくなれば、夜のお出かけもできるのにな。


 いつか大人になったら、■■■みたいな立派な人になりたいな。■■■の隣に立って、今度はオレが頼られる番になるんだ。

 狭い村で、子供があまり産まれないから……たぶんオレは■■■と一緒になるんだろうし。


 ……あれ?

 ■■■って女の子だったっけ?

 ■■■って誰だっけ?

 あれ?

 おかしいな。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 フニフニという悪魔が生み出した水の中を、深く、深く、潜っていく。

 光はもう届かない。周囲は暗闇そのものだ。ただでさえ息ができないのに、圧迫感で更に苦しくなってしまう。


 それでも私は潜り続ける。アンジェの気配を感じているからだ。

 近づいている。アンジェが。私の相棒が。アンジェの魔力は濃くて独特だから、離れていても、水の中でも、手に取るようによくわかる。


「(視覚も聴覚も嗅覚も頼りにならない。……アンジェの魔力だけが、私の道標だ)」


 私はアンジェの居場所に向けて、ただ真っ直ぐに泳いでいく。


 〜〜〜〜〜


 《アンジェの世界》


 今日は雨天。農作業がないから、オレはお父さんに物語をせがんでいる。

 聞きたいのはもちろん英雄譚だ。カッコいい男が、美しい姫を助ける話。屈強な騎士が、恐ろしい魔物に挑む話。旅の一団が、宝を求めて冒険する話。どれもこれも胸が躍る。


 オレが肩を掴んで揺さぶると、お父さんは農具の手入れを中断して、少し真剣な顔で話し始める。


「しょうがないな、アンジェは。甘えん坊だな」

「別にいいだろ。オレはお父さんの子供だ」

「……わかった。とっておきの話をしてあげよう。そこに座ってくれ」


 お父さんは藁の座布団を用意して、作業場の近くに置いてくれる。オレのために■■■が作ってくれた、特別な観客席だ。


 オレはワクワクしながら席に着き、身を乗り出す。

 お父さんのお話は面白いものばかりだ。英雄譚が好きで、たまに隣村に行って教わってくるんだって。やっぱり親子は似るんだなあ。ちょっと嬉しい。


 お父さんはいつもより少し真面目な顔で、聞いたことのない表題を、もったいぶった口調で告げる。


「『白き剣士』」


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 ついにアンジェを見つけた。

 この空間の、おそらくは最深部。水底から生える謎の白い手に、アンジェは捕まっている。

 どうやら意識が無いようだ。赤ちゃんのような姿勢で眠っている。当然、抵抗できない状態だ。


「(人質……?)」


 私は花を過剰なまでに咲かせて、周囲を警戒する。

 アンジェの魔力を辿って私が現れることは、フニフニも想定済みだろう。アンジェという餌に食いついた瞬間を狙うべく、今か今かと狙いを定めているに違いない。


 もしそうなら、話は早い。全身全霊で返り討ちにしてやるだけだ。


「『ヒガン……』」


 フニフニの声がする。方向は不明。奴が霧になれるなら、この水そのものがフニフニということもあり得るだろう。


 私は体表に魔力をバチバチと散らし、威嚇する。


「(さあ、何処からでも来い)」

「『カナタへ』」


 詠唱らしき、不可思議な声。男とも女ともつかない声。それが私の耳の奥に入り込み、脳を揺さぶる。


「(『水の耳:モレルリ』)」


 ……私は水魔法を耳の穴から吹き出し、流れを操って抵抗する。

 この程度か。対応できないとでも思ったか?


「(このくらいアンジェから教わってるよ)」

「『カナタヘ』」


 続けて、フニフニは私の鼻に水を注入する。

 鼻の奥が痛い。だけど、これくらいでどうにかなる私ではない。私は無詠唱の魔法で抵抗し、撃退に成功する。


「(溺れさせようとしているのかな。……無駄だよ。私は無限の魔力と変化の魔法を持っている。いざとなれば魚にだってなれるんだから)」


 不細工だからやりたくないけど、危機に陥ったらやるしかないかもね。どうせ誰も見ていないし、英雄の名に傷がつくこともないはず。


 私はフニフニを無視して、アンジェのそばに寄る。

 絡みついている白い手が邪魔だ。微塵切りにしてやろうか。


「(それ以上アンジェに触るな)」


 私は胸元から剣を出し、アンジェに当たらないように『魔剣・二の舞』で切り伏せる。

 白い手はあっさりと斬り飛ばされ、水底に沈んでいく。……混ざり物のような妙な魔力を帯びているけれど、一体なんだったのだろう。


 私は更にアンジェに近づき、蔦を伸ばして抱き寄せる。


「(よし。確保。浮上しよう)」


 しかし、私の足元に白い手がまとわりつく。

 斬られたはずの手が再生している。いや、それどころか……数が増えている。分裂しているのか。

 いつのまにか水底一面に手がびっしりと生え揃い、全てが私を狙って伸びてきている。


 フニフニの狙いはこれか? ガシャンドクロという強力な個でも勝てないから、自分の独壇場に引き摺り込んで数で圧倒する作戦。

 理屈で考えるならそうだ。だけど、そうとは思えないのが奴の恐ろしいところ。これを切り抜けたところで、更なる妙手を仕込んでいそうだ。


「(アンジェを守りながらでも、全部斬るのは簡単。だけど、それが分裂したら、更に取り返しのつかないことになるかもしれない)」


 私は一目散に逃げることにする。アンジェを逃がすのが最優先だ。フニフニは仲間を揃えてまた挑めばいい。アンジェが万全なら、次こそは絶対に殺し切れるはず。


 私は海竜のヒレを呼び出し、地上を目指して全力で移動を始める。

 アンジェはまだ目覚めない。だけど地上に出してしまえば、いくらでも解説策を考えられる。

 ビビアンならなんとかしてくれるはずだ。以前アンジェが死んでしまった時のように、私ではどうしようもない事態でも、ビビアンなら答えを見つけ出せる。


 私はゆらゆらと追ってくる白い手を避けながら、潜ってきた深さと同じだけ上昇する。

 ……だけど、何故か地上が見えてこない。もう外に出られても良い頃なのに。


「(まさか)」


 私は歯を食いしばり、まだ姿を見せないフニフニに向けて憎悪を向ける。


 おそらく、この空間は閉ざされてしまったのだ。外に出る手段は、フニフニだけが知っている。奴がいまここにいなければ……詰みだ。


「(閉じ込められた。やられた。……いや、そうじゃない。私が考えるべきは、そんなことじゃない)」


 私はアンジェを守る蔦を増やし、身を翻して白い手を斬り刻む。


「(何処かに出口があるはず。無くても力でこじ開ければいい。悔しがるのは敗者がすることだ。私にできることは、英雄の戦いだけだ)」


 ますます数を増す不気味な白い手に、私は一振りの黒い剣を突きつける。


 やれるものなら、やってみろ。


 〜〜〜〜〜


 《アンジェの世界》


「こうして、白き剣士とお姫様は、運命の再会を果たしたのでした。めでたしめでたし」

「すごーい!」


 オレはお父さんが仕入れてきた新しい物語に興奮してている。

 白き剣士は強くてカッコいい。姫のために何体も狼を斬るなんて。姫のために巨大な悪魔に立ち向かうなんて。姫が死んで風になった時はどうなることかと思ったけど、旅の先でまた出会うなんて。

 あまりにも劇的だ。絆の強さ。剣と魔法の強さ。そして何より……相棒の死を前にしても諦めない、心の強さ。どれを取っても感動的だ。


 オレは大はしゃぎでお父さんに抱きつき、顔を見つめる。

 お父さんはオレに似ていない。面長で、髪がパサパサしていて、色も違う。でもとっても優しそうな目をしていて、実際本当に優しくて、大好きだ。


「お父さん! オレ、白き剣士みたいになりたい!」

「ダメだよ。白き剣士は■■■なんだから」

「えーっ。じゃあ、お姫様になりたい!」

「……どうしてだい?」


 オレの発言を聞いて、お父さんは少しだけ悲しそうな顔をする。

 そういえば、オレはどうしてお姫様になりたいだなんて言ったんだろう。確かにお姫様は綺麗で、時に美しく、時に可愛らしく、時にお茶目で、素敵な役割だと思うけど……。


「どうして、お姫様になりたいと思ったんだい?」

「えーっと……」


 オレは必死に考えて、自分を見直して、理由を突き止める。


「オレは女の子でも、別にいいんだ」

「……女の子だと、カッコいい英雄になれないかもしれないぞ?」

「なれるよ。だって、英雄は心が強いんだ。たとえ女の子でも、強ければ英雄になれるよ」


 オレは■■■のことを思い浮かべながら、お父さんを説得する。


「だからオレは、お姫様でいい。いいや、大切にしてくれる白き剣士がいるなら……お姫様()いい!」


 するとお父さんは涙ぐんで、寂しそうな顔でオレを抱き返す。

 細いのにしっかりした腕。血管が浮き出ていて、触るとぷにぷにして面白い。強くて頼もしくて、オレはこの人の子供でよかったって思えてくる。


「そうか。アンジェはもう、立派なお姫様だ」

「えへへ。お姫様のオレも、可愛がってくれる?」

「勿論だ。だってアンジェは、オレたちの自慢の子供だからな。なあ、マリー」


 お父さんは料理をしているお母さんの方を見て、涙を拭う。

 お母さんは夕食の汁物をお椀に取り分けながら、くすくす笑う。


「そうね、マイケル。アンジェが生きているなら、男の子だって女の子だって、構わないわよ。元気でいてくれるなら、それでいいの」


 ……もう夕飯の時間だっただろうか。時間の感覚がおかしい。

 窓の外を見ると、夕暮れが赤く燃えている。まるで今日という日が終わってしまうかのようだ。

 いや、あるいは、この村での日々さえも……。


「あれ……? さっきまで雨、降って……」

「アンジェ。今日は腕によりをかけて作ったから、味わって食べてほしいわ」


 お母さんがオレを呼んでいる。どことなく切なそうだけど、それを押し隠している表情。

 ……お母さんはとびっきりの美人だ。狭い村の美醜しか知らないから、本当はそこそこ程度かもしれないけれど……それでもアンジェという少年にとっては、お母さんこそが理想の母親だ。

 艶々の髪。大きな目。目立つ位置に小さなほくろ。素敵な母親だ。何があっても嫌いになれないだろう。


 オレはいつのまにか用意されていた席につき、木の匙でいつもの煮込み野菜を口に運ぶ。

 温かい。ただそれだけの味。野菜はえぐみが取れず粗野な風味で、豆はぼそぼそと舌に残る。


 それでも、オレは本心からこう口にする。


「美味しい。毎日だって食える」


 それを聞いて、お母さんはほろりと涙をこぼす。

 そんなに嬉しかったのだろうか。……いや、確かお父さんを射止めたきっかけも料理だったはずだ。二人きりで振る舞ったとか、そんなことを言っていた。それなら褒められたら嬉しいはずだ。


 オレは残さず完食した後の器を見て、何故か懐かしい気持ちになる。

 毎日飽きるほど見ているはずなのに、どうしてこんなにも切ないのだろう。二度と戻れない過去を見ているかのような……。


 オレが戸惑っていると、お母さんがにこやかな声で尋ねる。


「ねえ、アンジェ。■■■ちゃんが待ってるんじゃない?」


 お母さんはそう言って、扉の外を示す。

 家の外に続く扉だ。■■■はいつも、そこからやってくる。

 しかし、まだ夜になっていない。■■■が来るには早いはずだ。今外に出たら、夕焼けで焦げてしまう。


 オレが怪訝な顔をすると、お父さんは額に手を当てて嘆く。


「まだ思い出せないのか……。そんなに家が恋しかったんだな……」

「ごめんなさい、アンジェ。幼いあなたを置いて逝くなんて……」


 何を言っているんだろう。大好きなお父さんとお母さんが、オレを置いていくなんてあり得ない。

 でも、ついこの前も、そんなことがあったような。大切な両親と、永遠のお別れをしたような気がする。


 オレは妙な胸騒ぎを覚えつつ、それを否定するためにお母さんを抱きしめる。

 細身の体。こんなに華奢でひ弱なのに、どうやってオレを産んだのだろう。不思議だけれど、オレのお母さんなんだ。きっとオレの想像より遥かに強いのだろう。体の芯と、心の奥が。


 お母さんは嗚咽しながら、大粒の涙をオレの額に落とす。


「アンジェ。離れたくなくなっちゃうじゃない。ダメよ、こんなことしたら」

「ダメなわけあるかよ。オレはお母さんの……」

「わかってる。アンジェは私たちの子よ。どんな姿になったって、私たちの宝物なんだから。……だけど」


 離れまいと抱き合うオレたちに、お父さんが申し訳なさそうに、だけど予想外の喜びが舞い降りてきたかのような上機嫌さで、声をかけてくる。


「アンジェ。お迎えが来たぞ。……まさか君に会えるとは思わなかった」


 家の扉が開かれ、外から光が差し込んでくる。

 その強い輝きに目を細めながら、オレは来訪者の姿を見る。


 小さい。細い。それなのに、知的な姿。

 ここにいるはずがない少女。アンジェの片割れ。


「ニコルじゃなくてごめんよ。ひひひ」


 群青卿……ビビアンが、そこに立っていた。


 〜〜〜〜〜


 《ビビアンの世界》


 ぼくは霧についての理解を終え、アンジェ救出のために尽力している。

 霧はあくまで魔法の産物。魔道具によって回収できる。よって、部下に集めさせて分析し、性質を把握。ここまでは楽勝だった。


 問題はそこから。ぼくの水になれる右手を集めた霧に浸した結果、霧が『知識の海』に通じていることが判明したのだ。

 これはつまり、今回襲ってきた奴が知識の海を有していることになる。知識の海を最大限活用してくるとすれば、とんでもない強敵だ。未曾有の危機となり得るだろう。


 知識の海は、その名の通り知識の集合体だ。アンジェもよくわかっていないらしいけれど、意思を持った水であり、魔物として生きてきた年月が長いぼくであれば、なんとなくその性質が読み取れる。

 世界のあらゆるものは微量の魔力を纏っている。草も木も、雲も川も、普通の生物も……みんな魔力を持っている。

 そして魔力には情報が刻まれている。生命の性質、外見、その他諸々。魔法を使用したらそれが顕著に現れるんだけど……ま、それはこの際置いておこう。


 つまり知識の海は、世界に存在するあらゆる『生きた痕跡』の集合体だ。

 これだけでは説明できない部分もあるけど、ぼくはこう考えている。


 ……では、ここで知識の海の応用をしよう。

 知識の海で、故人の情報を見た時。観測者はそこに命を見出すのだろうか?

 容姿も声も性格も、何もかもが寸分違わずそこに保存されているのを見てしまったら……生きていると、そう勘違いしてしまうんじゃないだろうか。


 〜〜〜〜〜


 《アンジェの世界》


「というわけで、ぼくとアンジェは今、知識の海の中にいるんだよ」


 アース村の実家に押しかけてきたビビアンは、そう言ってオレの両親をまじまじと観察している。

 いつもと同じ、研究者の目つきだ。理知的で、どこか冷たく、それでいて胸が熱くなるほど頼もしい。


 ……いや、おかしいだろう。オレはアース村の炭の小僧だ。マーズ村のビビアンを知っているはずがないじゃないか。

 いや、目の前のこの子がマーズ村の少女だと何故わかった?

 そもそも、オレは……この村は……。


「うーん……アンジェはアース村の崩壊を引きずっていたんだねぇ……。心の傷が思ったより深かったみたいだ。敵にとっては付け入る隙でしかないねぇ」


 ビビアンはお母さんから汁物の入った器をもらっている。

 ……お母さんの分だぞ、それ。全部は食うなよ?


 お母さんは大喜びで器を渡しながら、食い気味にビビアンに話しかけている。


「ビビアンちゃんのことは知ってたわ。アンジェと仲良くしてくれて、ありがとうね」

「へぇ、この海の中でも意識があるのか。いや、意識と呼べるほどはっきりしたものじゃないか。記憶という蓄積された情報が紡ぎ出す高度な予測……?」

「あの世って知ってるかい?」


 物知り顔でお父さんが会話に混ざる。

 ビビアンとお父さんが一緒にいるのを見ると、頭がおかしくなりそうだ。あり得ない。

 ……それと同時に、そんな未来があってほしかったとも思う。


「生きている時ほどはっきりとはしてないんだけど、なんとなく自分がマイケルだとわかる感じかな。魂が漂っているって雰囲気。自分でもうまく説明できないな……。難しい」

「あぁ、死後の世界……。怪奇現象はくだらないと思って履修してこなかったけど、これを機に学んでみるしかないかぁ……」

「死ぬのは案外悪くない。でも、生きている方が絶対にいい。死者にできることは、こうやって思い出になることだけだ」


 お父さんはオレの方を見て、悲しげに微笑む。


「アンジェの力になれないのは、つらいよ」

「……いいお父さんを持ったなぁ、アンジェ」


 うざったい口調で絡んでくるビビアンをかわし、オレは光差す扉を一瞥する。

 ……流石にもう、状況は飲み込めている。


「推測するに、悪魔が作り出した幻ってことかな」

「ふぅん?」

「知識の海を操る悪魔がいた。そいつは知識の海を強制的に他人に見せることができた」

「うん」

「オレみたいに適性がある奴しか情報の中身は見れないけれど、適性が無くても現実への意識は薄れる。目の前に水槽があったら、邪魔で前がよく見えなくなるような感じ。それがぼやける視界の正体だ」


 ビビアンは呆気に取られ、匙を器に突っ込んだまま止まっている。


「……急にいつものアンジェになったねぇ」

「どう? ビビアンちゃん。うちの子は賢いでしょ」

「身に染みて承知しております」

「水だけに染みてる……」

「マイケル。その洒落、封印ね」


 会話劇を繰り広げる両親と親友を前にして、オレは推測を続ける。


「ここはその悪魔が見せている光景だ。オレは知識の海でアース村での生活を思い出し、その通りの光景を作り出してしまった。そして、再現された懐かしい思い出にまんまと乗せられ、浸ってしまった」

「うんうん。たぶんそうだと思うよ。ぼくも知識の海を経由してここにきたからね」


 オレはアース村の実家を見て、郷愁に浸り、そして両親への恋しさを爆発させてしまったのだ。


 これも奴の……フニフニの戦法だったのだろう。

 知識の海が見えない奴を、ぼやけた視界で機能不全に陥らせる。見える奴はどっぷり浸からせ、廃人にしてしまう。

 現実のオレは、きっと今頃……眠りの中だ。


 オレは両親の顔を今一度見る。

 懐かしい。今でもはっきり思い出せる。ここで過ごした毎日を。暖かい安寧の日々を。

 ここにいたい。いつまでだってここにいたい。


 けれど。


「お父さん、お母さん。オレは……行きます」


 自分を断ち切るためにそう宣言すると、両親は笑ってビビアンの背中を叩く。


「生きてるんだから、当たり前だ。こんなところにいちゃいけない」

「この子を幸せにしてあげなさい。ニコルちゃんとも仲良くね」


 そうだ、ニコル。現実にはニコルがいる。何故今までニコルのことを思い出せなかったのだろう。ニコルに会いたい。ニコルはどこだ。

 ……フニフニめ。意図的に消しやがったな。目が覚めたら徹底的に痛めつけてやる。


 一方、ビビアンは驚愕で目を皿のようにして、オレの両親に確認を取っている。


「ぼくを幸せにって……ひ、ひひひ……ぼくは恩を返したいだけの友達で……」

「好きなんでしょ? 顔に出てるわ。あと、なんとなくわかるの」


 お母さんはビビアンのことを気に入ったのか、恐ろしい笑顔で彼女に詰め寄っている。


「私はマイケルのただひとりの妻として、幸せに生きたけれど……アンジェはきっと、ひとりだけじゃ足りないわよ」

「アンジェは寂しがり屋だからな。大切にしてくれる人は何人いてもいい」


 お父さんまで何言ってるんだよ……。


「ニコルちゃんははいい子だけど、なんというか、みんなのニコルでありたがるみたいだから……アンジェだけに構ってられないと思うの」


 止めてくれ。後押ししないでくれ。オレがニコルのことを本気で好きなのは知っているだろう。だから、決意を揺らがせないでくれ。


「やっぱりアンジェにはたくさんの人に囲まれてほしいわ。こういう村の生まれだから、私たち、そのへんの感覚は緩いわよ」

「この子なら女の子同士で子供を作る方法を編み出してくれるだろう。孫の顔が見たくないと言えば嘘になるなあ」

「下世話が過ぎる!」


 オレは両手で顔を覆う。たぶん顔が真っ赤になっているだろうから。お父さんも若干引いてるし。

 ……否定し切れない自分が情けない。案外ちょろいのかな、オレ。というか、こういう村ってどういう村だよ……。アース村に何か秘密でもあるのか?


 ビビアンは両親に深々と頭を下げて、オレのところまで歩いてくる。

 貴族が軽々しく頭を下げるなって何度も言われただろうに。そんなにオレが欲しいのかよ。


「アンジェ……好きだ。結婚してくれ」

「帰ったら殴る」


 オレは扉の向こうにビビアンを蹴飛ばして、最後に両親に向き直る。

 ……優しい両親。悪魔に殺されてしまった、哀れな両親。


 ああ、そうか。オレの悪魔への恨みは、ここから来ているんだ。かけがえのない家族を失ったから、こんなにも恨んでいるんだ。

 思い出すとつらくなるから、今まで両親のことは思い出さないようにしていた。だから恨みの理由を見失ってしまったんだ。


 ……そして、当然、両親の死と向き合うこともできずにいた。


「お父さん。お母さん」


 オレは海の中の親に向けて、笑顔を見せる。

 もう心配はいらない。元気でやっていく。その意思を顔を全てで表現してみせる。


「オレ……必ずすごい人になるから」


 英雄譚の人々を思い描く。

 剣士。騎士。姫君。魔物。

 その雑踏に、自分もいる。

 何食わぬ顔でそこにいる。


「オレ……精一杯頑張るから!」


 両親も、心からの安堵を表情に乗せる。


「いってらっしゃい」

「無理はするなよ」


 言いたいことは山ほどある。そんな気持ちが前のめりに伝わってくる。

 オレも同じだ。もっと喋っていたい。

 しかし、どこかで見切りをつけねばなるまい。


 オレは両親に背を向け、光の中に身を投じる。


 目覚めの時だ。みんなが待っている。

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