崩壊『訓練は経験を武器に変えるもの』
《ニコルの世界》
基地を飛び出した私は、水路から漂ってくる正体不明の霧を目撃する。
かつてビビアンが流れ着いたという、川をそのまま利用した水路。敵はおそらく、それを取り込んで水魔法の威力を高めているのだろう。
魔物の魔力が流れ込まないように、魔道具による『選別』が為されているそうだけど……どうやら敵は抜け穴を発見したらしい。
「(元凶を討てば止まるはず)」
今出てきて広がっている霧については、後続に任せよう。私がやるべきことは、本体を見て、殴って、殺すことだ。それしかできないからね。
私は龍の脚の全速力で現場に向かう。舗装された道が荒れていくけれど、気にしていられない。
ごめん、街のみんな。後で修理するから許して。
私が懺悔を終える頃には、水路が目の前だ。
まだ踏み込んではいないけれど……明らかに有害な魔力が、そこに居座っているのがわかる。
捉えどころのない魔力。まるでニーナさまの本体みたいだ。でもあの人よりずっと自然な形で存在している。そこにいるのが当たり前かのように、空気に溶け込んでいる。
……まるで自然そのものを相手にしているかのような気分になるね。
「(アンジェが言うには、魔力は世界中に漂っているものらしい。魔物が濃い魔力から生まれるなら、魔物との戦いは自然との戦いと言い換えられるのかもしれないね)」
そんなことをふと思いつつ、私は霧の濃い部分に向けて宣言する。
「私は『白き剣士』ニコル。お前を倒す英雄だ」
無差別に人を襲っているのなら、血の気の多い奴だろう。誘ってみれば挑んでくるかもしれない。そう思って名乗りを上げてみるけれど、効果はない。
だが湯気のような何かが揺らいで、私の前で少しだけ形をとる。
「『フニフニ』」
名乗ったのだろうか。目の前の白い何かは、男とも女ともつかない声でそう言い捨てる。
……フニフニ。聞いた名だ。ガシャンドクロの知り合いか。最初から組んでいたのだろう。
反応があったということは、もう少し揺さぶれるかもしれない。私は剣を抜き、挑発してみる。
「ガシャンドクロは倒れた。次はお前の番だ」
「『ソウデス』」
「……えっ」
……今、なんて言った?
この悪魔、もしかして……自分の死を受け入れている?
その上で、人を襲っている……。やけを起こしたわけでもなく、冷静に。
何が目的なのか、さっぱりわからない。理解できない。どういう奴なんだ、こいつは。人を困らせればそれで満足? ……それにしては行動に計画性がありすぎる。
ひとまず、私は人間の強さを誇示してみることにする。こいつが人間の敵ならば、主義主張のどこかに刺さるかもしれない。
「人は弱くない。たとえ混乱しても、たとえ死人が出ても、街はすぐに復興する。軍が再編され、全ては元通りになる。無駄な足掻きだよ。大人しく死んで」
「『ユメタガエ』」
……詠唱だ。奴の体が一気に霧散し、空へと消えていく。
何の魔法かわからない。不思議な現象だ。対応した方が良いのかもしれないけれど、どうするべきかわからない。吹き飛ばすために風の魔法を準備しておくべきか。
何処からか、奴の声が聞こえる。
「『ヤスラカニ』」
「お祈り? 何のつもり?」
「『ソコニ、アレ』」
途端、視界がぼやける。
水の中に入ったかのように輪郭が虚になり、色が淡くなっていく。
川の流れがわからない。周囲の風景が霞んでいく。足元を見ても、地面がどこにあるのか不明瞭だ。
私の視力が弱まったのか。それとも……世界がおかしくなったのか。
私は足踏みをしてみる。足の裏の感覚がない。手を振ってみる。風は起こらない。
このままでは何もできないではないか。
「(……まずい。負けに近づいている気配がする。それなのに攻撃の正体がさっぱりわからない。どういう効果の魔法? 理解しないと、殺される)」
大変なことが起きているのに、どうしたらいいのかさっぱりわからない。考えても焦りがつのるばかりで状況が改善しない。
私は耳を澄ましてみる。音は聞こえるような、聞こえないような。曖昧だ。
匂いを嗅いでみる。さっき抱きしめたアンジェの匂いしかしない。
「(アンジェ)」
私は突破口を掴む。
五感が歪んでしまっても、私がアンジェを見逃すはずがない。アンジェが隣にいてくれれば、きっと何とかなるはずだ。
先に飛び出して行ったアンジェも、きっとここに辿り着くはず。探せばすぐに見つかるだろう。
「(アンジェを探そう)」
不確かな世界を見渡して、私はアンジェを探すことにする。奴と戦うには、私だけじゃ力不足だ。
その間に、奴が何をしでかすのか……。不安はあるけれど、できることをやろう。
〜〜〜〜〜
《ナターリアの世界》
突然たちこめた霧が、あたいたちの五感を蝕んでいきます。
ふわふわした気分。気持ちがいい。不安などの悪い気持ちが洗い流されていくような心地です。
だけど、これ……悪魔か何かの攻撃ですよね?
基地の中にいるのに、こんな大規模な攻撃を受けてしまうだなんて。何がどうなっているのでしょう。
「あれ? 基地の中にいるんですよね?」
あたいはぐるぐると首を回して、辺りを確認しています。だけど滲んだ絵画のようにしか見えません。色も輪郭も不明瞭で、まるで抽象画です。
あたいはとりあえず、近くにいるはずのニーナさまに話しかけます。困ったら人を頼るのがあたいの流儀です。
「ニーナさま。いますか?」
「ナターリア! はい、ここに!」
意外なことに、はっきりと声が聞こえました。
すると次の瞬間、ニーナさまの姿が目に映ります。さっきまで見えていなかったのに、そこにいるのがしっかりとわかります。
新調された綺麗なお顔。細くて白い腕。作り物だけど素敵な脚。相変わらずの赤い髪。今なら全部、見てわかります。
ニーナさまは驚いたような顔であたいを見つめ返します。美人さんは変な顔をしても綺麗なままで、とても羨ましい。
「ナターリア。ああ、そこにいたのですね」
「巣箱って言わないの、ちょっとだけ慣れませんね。まあ、呼びやすい方でいいですけど」
普通になってしまったニーナさまは、ちょっとだけ寂しいですね。なんというか、よくあるお貴族さまになってしまった気がして。
でもありふれたお貴族さまは、あたいなんかに話しかけてくれませんから……やっぱりニーナさまは変わり者なんでしょう。ありがたいことに。
あたいが返事をすると、ニーナさまは早足であたいに近づいて、手を握ってきます。
表面は柔らかいのに、芯があって硬い手。まだまだ改良するべきですよ、ビビアンちゃん。
「ナターリア。あ、えっと、巣箱よ。聞きたいことがあります」
「はい。ドリーちゃんを探したいので、手短かにお願いしますね」
「……そのドリーちゃん様が、あなたに重なっているように見えます」
「はい?」
ドリーちゃんが寝ていたはずのところを見ると、いなくなっているのがわかります。
あたいは体をぺたぺたと触って確かめてみます。しかし、やっぱりあたいの体です。ぼやけていないのは幸いですが、ドリーちゃんはいません。
あたいはドリーちゃんに声をかけます。起きているなら聞こえるはずです。
「ドリーちゃん、いますか?」
「ドリーはここにいるよ」
あたいの頭の中から声がします。ちょっとだけ右側に寄っている気がします。なんとなく、右目にいるという予感がします。
右目に戻ってしまったのでしょうか。どうして。視力が戻ったわけではないようですが。
あたいの疑問に答えるかのように、ドリーちゃんは寂しそうな声を上げます。
「ドリーは……おねえちゃんだから。たぶん」
「何を言ってるんですか。あなたにとってあたいは姉であり、あたいにとってあなたは娘ですよ」
奇妙な関係ですが、そういう認識だったはず。
するとニーナさまは珍しく考え事に耽り、ひとりごとを呟き始めます。
「これは魔力の再吸収……? やはりドリーちゃん様の正体は魔法……」
「何か知ってるんですか?」
「あ、あら……この体だと、ひとりごとが聞こえてしまいますのね」
ニーナさまは焦りを浮かべ、少し悩んだ後、降参した様子で首を振ります。
……今までもひとりごとはしてたんすね。ちょっと意外です。
「巣箱よ。ドリーちゃん様は正確にはあなたの魔法なんです。触媒を軸に固めた魔力に命令を与えることで生まれた存在です」
「……はい?」
「魔物も悪魔も、魔力と肉体が融合した生物。ドリーちゃん様は眼球という触媒を用いたために悪魔と同一の振る舞いをしていますが……正しくは魔法、それも魔道具に近いものなのです」
「……ぴんときません。魔法と魔道具の違いもよくわかってないので」
「同じですよ。宿屋を巨人に変えたことがあるのでしょう?」
「うーん……?」
あたいが右目を指で撫でながら困惑していると、ニーナさまは考え込んで、さらに説明してくれます。
「生物の体内で生まれた魔力は、命令を受けて解き放たれることで魔法となります。しかし涙や唾が生命の情報を有していることと同じで、魔法もまた個人情報を宿しています。肉体から分離した魔法を調べてみると、分泌物……いえ、もっと近い……それこそ体の一部のような反応を示すのです」
「はあ……。やっぱり頭いいんすね、ニーナさま」
あたいがお手上げ状態に陥っていると、ニーナさまは簡潔に結論だけ述べます。
「つまりドリーちゃん様は、ナターリアの体の一部。もっと言えば、ドリーちゃん様とナターリアは同一人物なのです」
嘘だ。そう言いたいところですが、理屈を理解できないからっぽの頭で否定しても、仕方ありません。
あたいは体の中のドリーちゃんに、話しかけます。
「さっきの、本当?」
「よくわかんない」
「それもそっか」
冷静に考えてみれば、ドリーちゃんが知ってるはずがありませんね。あたいだって自分の体のことを何もわかっていませんから。
……あたいの周りの風景が、また徐々にぼんやりしてきています。ちゃんと見ていないと、わからなくなってしまうようです。
しかしニーナさまの周辺はくっきりとしたまま。誰かが見ていればそれでいいのでしょう。ニーナさまはそれがわかっているようで、ちゃんと周囲をきょろきょろして警戒してくれています。
霧の中では、人が多い方が有利なようです。ドリーちゃんもお外にいてほしいかな。そうすれば、もっと広い範囲を見れるようになるはず。
あたいは試しに、ドリーちゃんに向けてお願いしてみます。
「出てきて、ドリーちゃん」
「わかったよ」
ドリーちゃんはあたいの右目から飛び出して、床の上に立ちます。
ドリーちゃんの周囲が明るみに出て、物の位置までよくわかるようになりました。机はあそこ。椅子はそこに。そうそう、こんな間取りでしたね。これで安心して歩き回れます。
あたいはドリーちゃんをじっくりと眺めます。
あたいとは違う褐色の肌。あたいと同じ緑色の髪。姿かたちは子供の頃のあたいにそっくり。……もしあたいが悪魔になったら、こんな見た目になるのでしょう。
ニーナさまはドリーちゃんがそこにいることを確かめるように、頭を撫でています。
「魔法がどの段階で使用者から独立するかは、諸説あります。この領地でもわかっていないのです。……ですが、ドリーちゃん様があなたと違う存在になるのは時間の問題でしょう」
「あたいからしたら、同じってのが理解できないんすけどね……。だって、ここにいるじゃないですか」
あたいもニーナさまと手を重ね、ドリーちゃんを撫で回します。
ドリーちゃんは水分が少ないのか、髪艶がよくありません。もっとちゃんとお手入れしないと。
ドリーちゃんはあたいたちを見上げて、いつも通りの真顔でそこに立っています。
感情があまり顔に出ない子です。笑ったり泣いたりしません。だから、あたいもこの子が何を考えているのか、よくわからない時が多いです。
今だってそう。ドリーちゃんが何をしたいのか。何を思っているのか、伝わってきません。……幸せであることを願うばかりです。
「ドリーはおねえちゃんのまほうなんだね……。おねえちゃんのやくにたつために、うまれてきたんだね」
「……娘ですし、多少は言うこと聞いてほしいですけど……完全に言いなりにはならなくていいですよ」
ドリーちゃんにあたいの意図が伝わるかはわかりません。幼児は語彙が拙く、感覚も大雑把ですから。
それでもあたいは、本心を伝えてみます。
「ドリーちゃんにはドリーちゃんの人生があります。あたいとか、ニーナさまとか、いろんな人からいろんなことを学んでほしいものです」
「……ドリーは、もうまちがえたくないよ」
「間違えたら、あたいたちがなんとかします。あなたはあたいの魔法ではありません。したいことがあったら、遠慮なく言ってください」
あたいには何が正解かはわかりません。ドリーちゃんはまだ幼いので、学ぶことさえ難しいかもしれません。
でも……ドリーちゃんはあたいの子供の頃より賢いと思います。親の贔屓目ではなく、本当に。だから、こういう躾もちゃんと理解してくれると思います。
ドリーちゃんはちょっともじもじした後、部屋の隅を指差して、願いを告げてくれます。
「わがまま、いっていい?」
「どうぞ」
「みんなに……あいたいです」
あたいとニーナさまは顔を見合わせて、早速それを叶えることにします。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
奇妙な霧。もう少し腰を据えて分析したいところだけど、被害者がいる以上、そうは言っていられない。現場はいつだって行き当たりばったりだ。
敵の本体はこの場にいない。それくらいわかる。ならば今やるべきことは……。
「点呼をとる!」
ぼくはこの場にいるはずの面々の名を呼び、全ての声を聞き届ける。
すると辺りの光景が鮮やかになり、人の姿が見えるようになる。今の状況に慌てているが、仲間の存在を確認できたためか、滅多な行動を起こす兆候はない。
「整列!」
ぼくが命令すると、皆はいつも通りの動きを取り戻し、きびきびと統率の取れた行動を取り始める。
流石は軍人。逆境に強いね。ぼくも含めて。
この『ぼやけ』は人の認知に反比例しているのだろうか。世界を観測する人が増えれば増えるほど効力が減っていく。
ならば打つ手はある。霧を恐れず、行動範囲を広げていくことだ。
ぼくは魔道具で観測班と連絡を取りつつ、次の行動を決める。
「基地内の見回りをする。二人一組で行動すること」
こうすれば基地内はボヤけずに済むだろう。
問題は、完全な解決が可能かどうかだ。
「(連絡によると、避難民に影響はないらしい。ということは、これは範囲の限られた魔法だ。範囲に限界があるならば、それ以外の限界も必ず存在する。今に見ていろ。得体の知れない相手だろうと、既知に落としてやるからな)」
大量の魔力を浴びせれば解けるのか。より大勢の人の目に晒されると耐えきれなくなるのか。魔法の行使者を倒せば終わるのか。この辺りの検証が必要だ。
だとすると、必要になってくるのは人手だ。部下はもちろん、頼りになる仲間たちも。
まあ、研究はぼくの得意分野だ。やってやるさ。
軍人たちが散ったところで、扉の向こうからニーナとナターリアとエイドリアンが現れる。
3人ともおててを繋いで、仲良しだ。羨ましい。声をかけて輪に入れてもらおうか。
「いいところに来たね。ちょうどモヤモヤを消したところだ」
「えっ。ここも被害が出てたんすか? とてもそうは見えないんすけど」
「軍人の対応力を甘くみるなよ」
この感じだと、本物のナターリアで間違いなさそうだね。情けないけど、そこがいい。
ニーナも本物だ。ちゃらんぽらんに見えて案外頼りになる。ピクト領で英才教育を受けたのだから、教養があって当然だけどね。
……さて。情報交換の時間だ。これの対処法を模索しなければなるまい。まずはぼくから、出せるだけの考察を出すとしよう。
「この霧は人の認知を妨げる。見る、聞くといった、原始的な手段による情報獲得を妨害してくるんだ」
「さっきから難しい話ばかりで頭おかしくなりそうっすよ……」
「弱音を吐いた奴から死んでいくぞ。ほら、気張れ」
「ふぐう!」
泣き言を言うナターリアの脛に蹴りを入れつつ、ニーナのためにぼくは解説を続ける。
「2人以上の人が集まって同一のものを確認すると、霧は一気に弱体化する。情報の確度が高まるためかと思われるが、確証はない」
「やっぱりそうでしたのね。妙な魔法ですこと」
「聴覚に異常が発生しているにもかかわらず、お互いを呼ぶ声はよく通り、声を掛け合った時点で意思疎通が可能になる。理由は不明。そういう魔法ってことで納得するしかないかな」
エイドリアンは思考を放棄したナターリアのそばに駆け寄り、背中を撫でている。慰めるためだろうけど、ナターリアを認識し続けるためのようにも思える。
さてはあいつ、今の状況を理解しているな。ナターリアより賢いじゃん。
続いて、ニーナからも情報が出される。
飛び出していったニコルと、リンとクロム。そしてアンジェが行方不明のようだ。
「ニコルは今頃この霧を放った奴を突き止めているはずだ。花による索敵能力に加え、龍の力による圧倒的な機動力。これらから逃げる術は無いだろう」
「同感ですわ。ニコル様はお強いですもの」
「じゃあ、あたいたちがするべきことは?」
ナターリアの問いに、ぼくは断言する。
「アンジェの捜索だ。今、彼女は単独で行動している。今一番危険なのはアンジェだ」
これは私情じゃないぞ。アンジェさえいればこの霧の由来も調べられるはずだからだ。アンジェが心配だからでは断じてない。
ナターリアはニヤリとしつつ、左手をニーナと、右手をエイドリアンと繋ぎ直す。
ニーナは嬉しそうな顔で手を握り返し、ナターリアに笑いかける。
そういえば仲が良いんだったか。ぼくが作った新しいニーナにも慣れてくれたようで、何よりだ。
「では、わたくしは街の方を探索してみます。何かあれば、この枝に」
ニーナの要請を受けて、エイドリアンが枝を渡してくる。これに声をかければ、彼女に届くのだろう。相変わらず便利な魔法だ。
「(ん? これを応用すれば解決できそうだな)」
ぼくは枝を街に張り巡らせて認知を広げる作戦を思いつく。見聞きすれば霧は弱体化する。ならば、声や視界を広げられるこの枝はうってつけではないか。
ぼくがやるべきことも決まったな。人を使える立場だからこそ、大胆に戦わねば。
「ぼくは人を集めつつ、霧の影響範囲を確かめる」
この街の水として、新参者の霧に立ち向かおうじゃないか。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
私は花を街中にばら撒いて、敵の本体を探しつつアンジェの居所を探る。
とりあえずこの街の大通りは大体把握できた。家の中まではよくわかってないけど、一般人はみんな地下に避難しているから、たぶん問題ないはず。
「(範囲はそう広くない。霧の外に本体がいるとは思えないし、しらみ潰しに探すしか……)」
無数の視界を管理していると頭が痛くなる。もう少し効率の良い方法があるといいのだけれど。
……私じゃ思いつかないね。アンジェかビビアンがここにいればなあ……。
とりあえず、私はアンジェがいそうなところを優先的に探してみる。
基地の周辺にはいない。ガシャンドクロがいた荒野にもいない。観測班のところにもいない。お屋敷にもいない。ビビアン率いるノーグ商会にもいない。
アンジェの行動範囲はそれほど広くない。これらのどこにもいないとなると、絞るのは難しい。
「目的意識を持って移動しているわけではない?」
アンジェは霧のせいで迷子になっているのかもしれない。そう考えて、私は全ての花を同期させて、一斉に声を出す。
「アンジェ! どこにいるの!?」
私の叫びに、言葉は返ってこない。
……ありえない。アンジェは私のことが大好きだ。聞こえているなら、必ず返事をしてくれるはず。
「アンジェは今、声を出せないほど弱っている?」
私の中で、最悪の想像が膨らみ始める。
フニフニと名乗る悪魔。あいつがこの魔法を使用した理由。もしかすると、ガシャンドクロにとどめを刺したアンジェを倒すためだったのでは?
だとすると、アンジェは……。
「う、うぐ……」
私はアンジェの死を連想し、吐きそうになりながら川を覗き込む。
すると、私の中に何か閃くものがある。
「フニフニ。あいつは川を利用していた。もしかすると、アンジェは……」
私は思い付いたそれを、すぐさま試してみる。
水面に顔を突っ込み、龍の瞳で奥を見通す。
水路はそれほど深くない。雨が少ない時期なら子供の遊び場にできるくらいだ。本来なら、私の視力で底まで見通せる程度でしかない。
……しかし、私が覗き込んだ水中は、どこまでも続く暗闇に通じていた。
「(ここだ。ここにいる。奴も、アンジェも。空間が増築されているなんて思わなかったよ。こんなに近くにいたのに、盲点だった)」
光の届かない場所を見つめながら、私は確信する。アンジェはこの場所に迷い込んでしまったようだ。そして、今も抜け出せずにいる。
アンジェは簡単には死なない。周囲の魔力を吸収して生命を保つことができる。だけど暗い水底で窒息し続けるのは苦しいはず。一刻も早く助けないと。
私は龍の力を解き放ち、迷うことなく深淵へと飛び込む。
水中戦は初めてだけど、成長した今の私なら負けはしないはず。水の魔法もいくらか使えるし。
「(とりあえず、目指すは底かな。待っていて、アンジェ。もう少しの辛抱だから)」
私は水路のへりを蹴り、敵陣へと潜る。




