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激突『人類の頂点は複数ある』

 《ニコルの世界》


 私はガシャンドクロと剣を交える。

 相手の初手は何の工夫もない斬り上げ。剣の先端を地面に擦り付け、私という小さな的を狙っている。

 私もほぼ力任せの横薙ぎ。巨大な剣の行く手を阻むため、少しでも黒剣をぶつけて勢いを削ぎたい。


「ウオオオオッ!!」

「でやあああっ!!」


 獣と鋼の咆哮。威勢の衝突。その心意気は互いの剣へと託され、ついに振り抜かれる。

 しかし剣と剣がぶつかり合った直後、私は力負けして弾かれる。


「ぐっ!」


 力押しではどうにもならない。伝説の存在である龍でさえも。


 その場で足を軸にして回転。ぬかるんだ地面でも、体勢が崩れる事はない。魔力を纏った龍の脚は、いつだって私を綺麗な姿勢で立たせてくれる。


 私は龍の脚と翼から風の魔法を放ち、悪魔の追撃を回避する。

 私の剣とみんなの矢で傷ついた鋼の腕。その痛々しい傷口が、飛んだ私の下をくぐり抜けていく。


「(今、中身が見えた)」


 内部は暗い空洞だった。筋肉も骨もない。ただ魔力で満たされていて、奴はそれで鎧を操っている。

 悪魔は魔力量が多い生き物だけど、あんなに大きな鎧を高速で制御し続けられるなんて、出鱈目だ。人間がやりくりできる魔力とは、桁が違う。


「(カラッポのくせに、溢れ出る力。矛盾だ。この世の歪みを感じる)」


 ガシャンドクロの袈裟斬り。逆袈裟。振り回し。そして水平斬り。

 更なる追撃をかわしつつ、私は隙を見て奴の傷口に狙いを定める。


「『魔剣・二の舞』」

「見切ッたァ!」


 私は風の魔法を背負い、くるくると舞うように剣を振る。しかし奴は腕をゆらゆらと動かして避ける。私の剣の癖を理解したのか。この短時間で。

 ガシャンドクロは相当な手練れのようだ。一度見せた技は通用しなくなるとみていいだろう。


 ……でも、問題ない。傷口に接近できた。私の身長2人分くらい。この距離なら良い威力の魔法を叩き込めるはず。


「『風の……」


 飛び回りながら詠唱を始めた私に、ガシャンドクロの声が届く。


「キメるぜ。『鉄の(アイアン・)激情(ハウル)』!!」


 詠唱を利用した体術。魔力を暴力に変え、研ぎ澄まされた剣を振るう特異な魔法。

 やはり私だけが使える戦法じゃなかった。こいつも習得していたんだ。


 悪魔の魔力が腕に満ち、その脅威性が急激に膨れ上がっていくのを肌で感じる。身体能力を強化する魔法のようだ。

 これからは直撃したら死ぬ。間違いない。接近戦を続けるのは無謀だ。死んでしまう。


 それでも、今は千載一遇の好機だ。攻めないわけにはいかない。逃げの一手を選べば、次にここまで迫れるのはいつになることか。……きっと二度と巡ってこないのだろう。


「『風の指:ウタ・カイ・ハジメ』!」


 私は恐怖で震える喉を、筋力と度胸で強引に整え、詠唱を完遂する。

 私の指先から鋭い風が伸びていき、ガシャンドクロの傷にぶち当たる。


 十分な速度と威力を確保したためか、風はしっかりと奴の傷を抉り、空洞を広げることに成功した。

 あと何度か魔法か剣を叩き込めば、腕を落とせるだろう。本体に届くような攻撃もしやすくなる。勝利がぐっと近づくはずだ。


「うっ!」


 魔法の行く末を見守っていた私に、死の予感が駆け巡る。

 ガシャンドクロの詠唱が、その力を発揮しようとしているのだ。


 奴は全ての目を赤く光らせ、巨体を軽々と持ち上げて跳躍する。

 重さを感じさせない動き。金属の塊が悠々と垂直に跳ぶその姿は、どこか冗談じみた光景にさえ見えてしまう。


「『金の(ゴールデン・)一撃(フルスイング)』!!」


 私の頭上に移動した奴は、私の目でも追えないほど凄まじい速度で回転し、竜巻のように猛烈な風を纏い始める。


 そして。

 回転の勢いをそのままに、傷がない方の腕が振り下ろされる。


「ひっ!?」


 私は恥も外聞も捨て、全力でその攻撃から逃げる。

 翼、風魔法、脚……全てを使って逃げに徹する。


「(食らってたまるか!)」


 思考が生存本能に飲み込まれた直後、私のすぐ背後に腕が着弾する。


 炸裂。轟音。

 地面が爆発したかのような凄まじい突風が、私の体を撫でる。


「がっ!?」


 私は鋭い痛みを背中や翼に覚える。大きさや硬さからして、おそらく石ころだろう。奴の腕に弾かれたそれらが、私に当たったのだ。

 ただの余波でこの威力とは、恐ろしい。


 ……当たりはしたが、問題ない。まだ動かせる。痛みはあるけれど、擦り傷でさえない。戦える。そう自分に言い聞かせて、私は立つ。


 広げた視界で奴の攻撃の威力を見る。

 地面が抉れている。悪魔の腕の長さだけ、地面に穴が掘られている。ぬかるんでいない、荒野の踏み固められた地面。それに手を突っ込んで叩き割るなんて。


 ああ。やはり、直撃すれば無事では済まない。回避に徹して正解だった。


「『紅蓮の(レッドホット・)解放(エクスプロージョン)』!!」


 ガシャンドクロは腕を地面から引き抜き、こちらに向ける。

 魔力が膨れ上がっているが、半ば座ったようなその体勢からどのような体術を……。見極めなければ、命はない。


 その時、アルミニウスさんの声が響く。


「『避けろ、バカ!』」


 それを聞いて、私は反射的に何かを察知し、再び奴に背を向けて逃げる。

 頭で理解できてはいない。単に嫌な予感がしたから体を投げ出しただけのこと。


 すると、さっきまで私が立っていた場所に、黒い何かが激突する。

 ガシャンドクロの腕から放たれた物体。それが地面に触れ、高熱と共に弾け飛んだのだ。


 アルミニウスさんの声がなければ、避けきれなかっただろう。信じられない速度の攻撃だった。


「(土と火の混合魔法……!)」


 体術ではなかった。おそらくは、彼独自の魔法。

 破裂した塊は地面を焦がし、赤黒く染まった溶岩に変えている。どれほどの高熱を持っていれば、あんなことになるというのか。


「避けタ……。オマエが初めてだ。うざッてエくらいに憎たらシいな、ガガンボもどきめ」


 相当に自信がある一撃だったようで、ガシャンドクロは先ほどより少し慎重になっている。

 今の彼は、私たちを簡単に潰せる相手だと思っていない。侮るのをやめてしまったのだ。

 彼の心変わりが吉と出るか、凶と出るか。


「『……おい、ニコル。奴の相手させてすまねえな。お詫びに良い知らせだ』」


 生唾を飲む私の耳元で、花がアルミニウスさんの声を伝える。


「『辺境伯、出るってよ』」

「『そうですか。……ははっ』」


 私は生き延びられたという確信を胸に、ほっとして息を吐く。


 私の手で倒せなかったことは残念だけど、あの悪魔は……私たちに薬を打ち込んだ宿敵は、もはや一貫の終わりだ。


 〜〜〜〜〜


 《ナターリアの世界》


 あたいは疲れたドリーちゃんを介抱しつつ、ビビアンちゃんの作業を見守っています。


「ドリーちゃんの矢は凄かったですよ。とんでもなく悪い悪魔も、思わずたじたじだったそうです。よく頑張りました」


 あたいがそう言うと、ドリーちゃんはゆっくりと目を閉じて、おねむになります。


 ……ありがとう、ドリーちゃん。あなたのおかげでニーナさまが間に合います。あなたが街を救ったんです。


「ふう……」


 ドリーちゃんが眠りに落ちた直後、ビビアンちゃんがあたいの側に歩み寄ります。


「ナターリア。前にいる奴らに伝言を頼む」


 ビビアンちゃんは汗だくで工具を握りしめ、今にも倒れそうなほど憔悴しています。

 だけどどこか誇らしげで、仕事をやり切った後のような清々しい表情をしています。


「『辺境伯のおでましだ。道を開けろ。命が惜しければ、全軍を退却させて脇に寄れ』」


 そんなに大逃げしなければいけないなんて。

 あたいが不安を隠しそうとしながら頷くと、ビビアンちゃんはあたいの内心などお見通しと言わんばかりに苦笑します。


「事前に調整が必須。おまけに聖水もたっぷり使う金食い虫。だが、安心したまえ。人を守るためにアレはある。怖がらないでやってくれ」


 そして、次の瞬間。

 いつもより濃い隈を擦るビビアンちゃんの後ろに、ニーナさまが現れます。


 ……ああ。

 これが、ビビアンちゃんの最高傑作なのですね。

 強い。これは絶対に、強い。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私は後ろで大勢の人たちが動くのを見て、もうひと踏ん張りする覚悟を決める。彼らが逃げるまでの時間を稼ぐのが務めだと理解したからだ。


 とはいえ、戦うつもりはない。ここからは会話で足止めをするつもりだ。

 ……あいつは私が相手するには危険すぎるとわかったからね。


「悪魔さん。名前、なんでしたっけ?」

「ガシャンドクロ。だ! 覚えて死ネ!」

「ガシャンドクロさんは、アース村という村をご存知ですか?」


 私が尋ねると、ガシャンドクロは振り上げた腕を下ろし、骸骨のような体をケタケタと動かして笑う。


「前の魔王をぶッ殺した奴がいたンだろ!? 谷で知らねエ奴はいねエよ! ソイツには勝ち逃げされタけどよ……生き残リを倒セたなら、今の時代ハこッちの勝チッてことでイイよな!?」


 なるほど。エコーといい、こいつといい、アース村を滅茶苦茶に出来さえすればなんでもよかったのか。

 許せない。やっぱりアイツらは滅ぶべきだ。


「私、あの村にいたんですよ。ご存じでしたか?」


 私があの時から変わらない白い髪をなびかせると、ガシャンドクロはつまらなそうな声と共にとんとんと足踏みをする。


「ああ? 興味ねエ。ヒトはどれモ同じだろ」

「……でしょうね」

「……あ? それがここにいるッてことは、滅ぼせてなかッたッてことじゃン。くッだらねエ! フニフニが適当しやがッたせいか? もっとマシな薬作ッとけよ、水虫野郎!」


 ……私たちに投与された薬の製造元は、フニフニという悪魔らしい。後でアンジェに聞いてみよう。知識の海にあるかもしれないから。


 私は黒い剣を納め、ふっと短く息を吐く。


「ありがとう、ガシャンドクロ。今聞けてよかった」

「あん? 何の感謝だソレ。オマエ、今から斬られるンだぞ?」


 まだ勝利するつもりでいるらしい彼に向けて、私は憐れみの視線と共に、嘲笑を向ける。


「ニーナさまと当たったら、あなた……カケラも残りませんから」


 刹那、領軍があけた道を通って、白く輝く英傑が風のように現れる。


 一種物(いっすもの)辺境伯、ニーナ・フォン・ピクト。当代最強の魔道具使いにして、人類の砦たるピクト領の最高戦力。


 彼女が今、戦場に立つ。


 〜〜〜〜〜


 《ニーナの世界》


 ニーナ・フォン・ピクト。それがわたくしの名前。

 これを初めて名乗り、背負った日。わたくしは正式に貴族となりました。

 人間の領域を守るため、王国から特命を受けている特別な爵位……辺境伯。その重い肩書きを継ぐ資格を得たのです。


 わたくしはすぐに背負うものの重さを理解し、それに相応しい人物となるために努力しました。

 貴族としての社交や政治のお勉強。嗜みとしての茶や音楽のお稽古。ピクト領の学問として魔法や武術。それらを先生方から叩き込まれ、余さず吸収していきました。

 覚えはまあ、普通くらいだったと思います。かつての辺境伯の方々と比較して、良いわけでも悪いわけでもなかったそうです。魔法が得意で政治が苦手。トントンといったところでしょうか。


 しかし、わたくしは重い病に侵され、すぐに肉体的な死に至りました。以降は魔道具の体を動かし、ろくな働きができないお人形の領主として働くこととなってしまいました。


 最初の体は、本当に酷くて。関節がうまく曲がらなくて、本も読めませんでした。歩くことも、喋ることもままならなくて。クリプトンは努力してくれましたが、それでも……あの頃のわたくしは、彼を思いやることができませんでした。ずいぶんと酷い言葉をかけてしまったこともあります。


 その後、各地から技術を集めていって、ようやくまともに動けるようになって。それどころか、1年も経った頃には、わたくしは並の人間より強い体を手に入れていました。

 人間より遥かに丈夫な魔物の素材を使っているのですから、魔力という動力を適切に与えれば、人間より強くなるのは道理というものです。


 とはいえ精密な動作はやはり難しくて。繊細な感情表現や丁寧な所作が求められる貴族という肩書きは果たせそうにありませんでした。そういうわけで、わたくしは英雄として人々のお役に立つことを選んだのです。

 これはクリプトンの努力を腐らせないためであり、お父様たちのかつての期待を裏切らないためであり、そして何より……わたくし自身が生きることを諦めないためでもありました。

 何かをしていないと、死にたくて死にたくて仕方がありませんでしたから。戦場に出ることでしか、自分を満たすことができなかったのです。

 金を無駄遣いするだけの能無し貴族。せめて戦場で役に立って死ねば、祝福されるかもしれない。そんな想いで、私は戦っていました。


 そんな時、ビビアン様は唐突に現れました。汚らしい水路の縁で、絶望に満ちたお顔をされていました。

 青と赤と黒がぐちゃぐちゃに混ざり合った髪。同じく混沌とした色の瞳。傷だらけの体。唯一残った右腕は、細く白く、頼りなく。


 戦場に向かう途中だったわたくしは、死に満たされた彼女の姿を見て……自らの贅沢に気がつきました。

 わたくしには支えてくださる方々がいます。悪魔となっても庇い、資金を援助してくださるお父様。活躍の場を作り、辺境伯としての面目を保たせてくださる軍の方々。

 わたくしは死を望むにはあまりにも恵まれすぎていたのです。ビビアン様ほどの地獄を味わってはいなかったのです。


 だからこそ……ビビアン様に、奉仕をしようと思い立ったのです。全てを失ったビビアン様に、ほんの少しの生きる理由を与えたくなったのです。


 そうして招かれたビビアン様は、しばらくの療養の後、勉学に励み始め……なんと恩返しと称して、わたくしに奉仕を始めてしまいました。

 そう、わたくしは他人に無償で施しているつもりだったというのに、実のところ、自らの味方を増やしていただけだったのです。これでは打算で助けたのと変わりません。


 ビビアン様はこの街に蓄えられたあらゆる知識を全て吸収し、学者たちをまとめ上げ、瞬く間にこの地を塗り替えてしまいました。わたくしとピクト家の予想を大きく超えた権力と財力を手に入れ、この街の半分を掌握したのです。何ということでしょう。

 社交界では、わたくしの慧眼でピクト家が倍の発展を遂げたということになっておりますが……そんなつもりではなかったのです。わたくしはただ、可哀想な少女を助けたかっただけなのです。


 最終的にビビアン様は、アンジェ様という恐るべき悪魔を味方につけ、ついにわたくしの秘密を暴くに至りました。

 わたくしは暴走して彼女を押し倒したことさえあるというのに、秘密を知っても尚、ビビアン様は味方であり続けてくれました。


 ……こうなってしまったからには、やるしかありません。

 わたくしはわがままで、愚かです。気まぐれで少女を助け、自らの体を任せてしまう傾奇者です。

 故に、わたくしはビビアン様が作り上げたこの体を存分に活用します。戦い、戦い、戦果を上げ、この地に平和をもたらすのです。

 ピクト家とビビアン様の生き様を、わたくしの力で華々しく体現するのです。尊敬しているから。愛しているから。自分の命より大切だから。


 以前までとは、戦う理由が違います。背負う者の強さは格別ですよ。


 さあ、いざ。

 生きましょう。


「わたくしはニーナ・フォン・ピクト! この地を襲う不届きものを……この手で摘み取りに来ました!」


 戦場に立ったわたくしは、高らかに宣言します。


 〜〜〜〜〜


 《アンジェの世界》


 観測班には、ニーナの姿が見えている。魔道具で常に視界を確保しているためだ。


 隊員たちは新しくなった辺境伯の姿を見て、色めき立っている。


「美しい……。この世のどんな芸術品よりも美しい」

「本当に人間の手で作ったのか? 神々が手を貸したわけではなく?」

「馬鹿、製作者はビビアン様だ。……あの輝きもまた魔性ということだろう」


 彼らの反応を見つつ、アンジェは荒野に立つニーナを注視する。


 全身が白く丸みを帯びた金属で覆われている。真珠を思わせる曲線美だ。ニーナは真珠が好きだと聞いているため、ビビアンはそれを意識したのだろう。

 ビビアンの水で保護された球体関節は、四肢を自由自在に曲げることを可能にしている。人間では再現不可能な体術を可能にしていることだろう。

 全体像を見ると、高身長な品のある女性に見えないこともない。服を着せれば辺境伯としての箔がつくことだろう。あるいは、全裸のままでも社交界で通用するかもしれない。それほどまでに美しい体なのだ。今のニーナは。


 ……外見はともかく、現在注目すべきは性能だ。


「(さあ、どれだけ戦えるのかな)」


 アンジェは期待を胸に戦いを見守ることにする。

 知識の海にも無い魔道具の英雄。その力を余すところなく見られるのだから、役得だ。


 ニーナは右脚を半歩後ろに引く。戦闘態勢か。

 ガシャンドクロも剣を持ち上げる。ニコルとの戦闘で散々見た構えだ。


 ガシャンドクロは、あのニコルでさえ傷付けるのに苦労するほど硬い外殻を持っている。そのうえ機動力があり、恐ろしい速度で剣を振ってくる。当然怪力でもある。

 接近戦では付け入る隙が無いため、魔法部隊の攻撃で決着がつかなければ苦しい戦いになるだろうとアンジェは予想していたのだが……。


「(ビビアンも太鼓判を押していたけど……そんなに強いのかね。あの辺境伯は)」


 アンジェの疑念など、戦場にいる者たちは知る由もなく。


 戦いはまず、ニーナの先制攻撃で始まる。


「参ります」


 律儀にそう述べた後、ニーナは愚直に突進する。

 速い。龍を全て解放したニコルに匹敵する速度だ。それでいて余力を残しているように見受けられる。まさか、最高速度はニコルより速いのか?


 悪魔は剣を振り上げる。おそらく反射的に体が動いたのだろう。相手が素早いと見るや否や、考える前に最適な行動で迎撃している。剣が体に染み付いた達人にしかできない技だ。やはり奴は悪魔でも屈指の強者なのだろう。


 ニーナはその剣を軽々と回避し、跳び上がり、悪魔の腹を両足で蹴る。


 金属が大きくひしゃげる音。


「えっ」


 ニコルの剣でもびくともしなかった奴の体が、明確に折れ曲がっている。なんという威力だ。とても信じられない。


 悪魔は尻もちをついている。このような経験は奴にとっても初めてなのだろう。鎧の上からでもはっきりわかるほど戸惑いを見せている。


 奴がそうしている間にも、ニーナは次の手に移っている。空中で風と火の魔法を噴射し、強引に方向転換して追撃しようとしている。

 噴射装置を起動し続ければ、おそらく空も飛べるのだろう。なんということだ。羨ましい。


「はいっ!!」


 空中で勢いをつけたニーナの掌底が、ガシャンドクロの腹部を再び捻じ曲げる。

 同じ場所を二度も強打された彼は、満足に動くことさえできなくなっている。大きく破損した状態で鎧を動かす訓練はしていなかったのだろう。


 勝敗は決したと言える。既にニーナの圧勝だ。

 だが、ニーナの手は止まらない。このまま奴の本体をすり潰すつもりなのだろう。


「はいっ!! はいっ!! そうれっ!!!」


 凄まじい声量の掛け声とともに、圧倒的な威力の体術が次々に繰り出される。

 掌底が主だ。脚は使わないのだろうか。


「(ビビアンの技術力……恐るべし)」


 しかし、次の瞬間、アンジェの目が驚愕の光景を捉える。


「あっ!?」


 内部にいたガシャンドクロの本体が、こっそりと抜け出している。

 案の定、カブトムシのような外見の虫ケラだ。散々ニコルを虫呼ばわりしておきながら、本体があのザマとは。腹が立つ。


 問題は奴が施している高度な魔力擬態だ。悪魔特有の嫌悪感が完全に消えているだけでなく、周囲の地面や空気の魔力を溶かし込んで、魔道具を欺いている。

 ニーナの目は魔道具だ。そして観測班も魔道具で見張っている。擬態を見破れるニコルは戦闘の邪魔をしないように蝶を含めて撤退済み。


 ……このままでは本体に逃げられてしまう。

 逃げられたらどうなるか。

 殺せないではないか。


 殺せないではないか。アース村を襲い、ニコルに薬を投与しやがった、あの黒光りのゴミクズ野郎を。


「逃げんなクソ悪魔がああああぁぁぁぁっ!!!」


 気づけばアンジェは観測部隊を飛び出し、風の異説魔法を駆使して、戦場に飛び出していた。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 空を飛ぶアンジェの姿が見えて、私は慌てて蝶を飛ばし、連絡を取ろうとする。

 だけど追いつけない。蝶はそれほど速く飛べるわけでは無い。異説魔法まで使ったアンジェの異常な速度にはまったく敵わない。


 仕方がないので、私は自分の足でアンジェを追いかける。


「アンジェ!」


 私が声をかけた時には、もうアンジェは声の届かない位置にいた。

 崩れたガシャンドクロのすぐ近く。戦場の一番危険なところだ。


 アンジェは恐ろしい形相で何かを探し、1秒もしないうちに破顔する。


「いた……!」


 アンジェは何かに向けて飛びつき、土の魔法で作った槍を突き刺すような動作をする。

 何度も振り上げ、下ろし、また振り上げ、下ろす。

 親の仇のように、刺して、刺して、刺す。


「死ね! 死ねぇ! 何度でも……何度でも死ね!」


 アンジェの狂った声が響いてくる。聞いたこともないような、おぞましい声。

 まるで、そう、愉悦に浸る悪魔のような……。


 すると、アンジェにやられていた何かが、抵抗を試みる。

 黒い甲殻のような何かを分離して、アンジェの土魔法による拘束から逃れ、ツノのようなものでアンジェの胸を差し貫いたのだ。


「アンジェ!!」


 私がやっとの思いで駆け寄ると、ようやく状況が理解できた。

 アンジェは甲虫のような魔物に馬乗りになっていたのだ。土の魔法で動きを止め、土の槍で刺す。そうしてトドメを刺そうとしていた。


 アンジェは貫かれた胸を見て、次に魔物を見て、にっこりと穏やかに微笑む。


「死んだ。こいつ、死んだよ。生命維持に必要な器官を剥ぎ取ってまで、オレを殺そうとした。馬鹿な奴」


 アンジェはゆっくりと、私の方を向く。

 満ち足りた笑顔だ。人生の答えを得たかのような、悟りの笑み。


「ねえ、ニコル。やったよ。オレはやったんだ。憎たらしいクソ悪魔の一角を落としたんだ。勲章があるなら、是非貰いたいね」

「そんなことより、傷を……」

「大丈夫。これくらいなら、治せるから」


 いつのまにかアンジェは地面から魔力を吸い上げている。イオ村で再生したのと同じやり方で、足と地面を一体化させているのだ。


 それでも、心配だ。今のアンジェは正気ではない。痛みが走っているのか、それとも悪魔が気に障るようなことを言ったのか。


「ねえ、アンジェ。痛くない?」

「痛いよ。死ぬほど痛いし、人間としては今死んでる状態だ。……だけど、オレは悪魔だから平気」


 アンジェは駆け寄ってくるニーナさまの方を見て、頬が裂けそうなほどの笑顔を浮かべる。


「オレは悪魔だ。オレが大嫌いな悪魔そのものだ。だから、オレが悪魔じゃないことを証明するために、これからも悪魔を殺す。悪魔を殺している間は……オレは悪魔じゃないんだって思えるから」


 アンジェは魔力検査の結果を引きずっているんだろうか。

 生まれた時から悪魔だったんじゃないかって言われたね。もしかしたら、それで傷ついていたのかも。


 私はアンジェに駆け寄って、そっと抱き締める。

 他に慰める方法が見つからなくて。……私は馬鹿だから、気の利いた言葉が出てこなくて。


 私はアンジェに、正直な意見を伝える。


「今のアンジェ、ちょっと怖かった」

「そう? やっとオレの手で殺せて、すごく嬉しかったけど」

「殺すことを楽しむなんて、普通じゃないよ」


 ガシャンドクロは嫌な奴だった。だけど、知能があった。喋ることができたし、意志もあった。そして何より、剣術や魔法を必死に学んできたんだと、彼の戦いぶりから伝わってきた。彼の死が私にもたらすものは、その脅威が二度と襲ってこないという安堵くらいだ。


 私はエコーをこの手で殺した。その時も、楽しくなんかなかった。村で起きた悲劇を思い出して、ただただ悲しかった。エコーにも好みや生き様があるんだとわかって、少しだけ戸惑った。結局殺しはしたけど、積極的に自分の手でやりたいとは思えないままだ。


 アンジェは楽しいのか。彼らを殺すのが。


「アンジェはもっと優しい人でしょ? もっと優しいことで喜んでほしいな……」

「ニコルこそ、おかしいよ。村を滅ぼした奴なんだから、殺すのが当然じゃん」

「そうかもしれないけど……いや、でも……」


 わからない。アンジェがわからない。私とアンジェでは価値観が違う。


 ……こんなの、初めてのことだ。小さな好き嫌いはあったけど、ここまで食い違うのは初めてだ。同じ村に生まれて、隣同士で生きてきたのに。どうしてこんな違いが生まれてしまったのだろう。


 私は少しだけ考えて、それらしい予想さえできず、また尋ねる。


「アンジェは悪魔が憎いんだよね?」

「憎い。それはニコルも同じでしょ?」

「うん。全員殺してやりたいよ」


 私たちを襲った悪魔と遭遇できたら、確実に全員殺す。それくらいの殺意は私も持っている。

 ……でも、アンジェとはやっぱり違う気がする。


「私は、笑いながら殺したりはしないよ。義務感でやってるだけ」

「…………そう、なんだ」


 アンジェはひび割れた鏡を見たかのような表情で、私の腕から離れる。

 足も胸も既に治っている。ひとりで歩いて帰るつもりだろう。

 ……このままではいけない。アンジェの心が離れてしまう気がする。それだけは絶対に避けたい。


 私は背を向けて離れていくアンジェに飛びつき、唇を奪う。


「んっ!」

「ひゃうんっ!?」


 視界の隅で、大きな影がうろたえている。


「あ、あの、ニコル様……なんとなく入りづらい雰囲気で静かにしてましたけれど、わたくしもおりましてよ。そんな破廉恥なこと、なさらないで」


 外野がうるさいから、今回はこのくらいにして、アンジェに向けて釘を刺す。


「アンジェ。今晩ゆっくり分かり合おうね。ちょっとくらい意見を違えても、私たちは伴侶なんだからね」

「……はい」


 アンジェの火照った頬を撫で、私はアンジェを背負ってニーナさまの方を向く。


「アンジェが本体を仕留めました。勝利宣言をお願いします」

「え、えーと……」

「観測班にも勝利は伝わっているはずですから」

「あ、あなた様が、それでよろしければ……」


 すっかり気が動転しているニーナさまは、専用の魔道具を起動して、各部隊の隊長と基地に向けて声をかける。


「首魁、悪魔ガシャンドクロを討ち取りました。我々の勝利です!」


 まともになったニーナさまの口調に戸惑っているらしいざわめきが、遠くにいる前衛部隊の方から響いてくる。

 過去最大級の苦難が去ったというのに、過去一番の締まらない終戦だ。


 私は歩き慣れた荒野をゆっくりと戻り、アンジェを連れて凱旋する。

 勝ったはずなのに、ちくちくした気分が抜けないままだ。

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