第10話『からっぽの矛盾』
ニコルの口から語られたのは、まさに血で血を洗う死闘であった。
先に出発した村人たちが魔物に襲われているのを見て、ニコルは後先を考えず突撃した。
シュンカに噛まれていた男を救うべく、その鋭い牙を拳で吹き飛ばした。シュンカを仕留めるには至らなかったが、幸いにして救出することはできた。
だが男は既に死んでおり、体が千切れかけていた。生き残った者たちは怒りに打ち震え、ニコルと共に意を決して戦いに挑んだ。
彼らはある程度交戦したものの、2、3回もシュンカの攻撃を受け止めると、槍が折れ、骨が折れ、やがて心も折れてしまった。
ニコルは植物に擬態した触手を振り回して3体のシュンカを引きつけ、村人たちを逃走させた。
「それは……大変だったね」
「……そうだね」
ニコルは腰につけた花飾りのようなものから、何か黒い物体を取り出す。
知識によると……シュンカの耳だ。それも、8枚ほどある。
英雄譚においては、魔物を打ち倒した時、証として体の一部をお守りに加工して身につける風習があるらしい。ニコルもそれを参考にしたのだろう。
それにしても、8枚とは。
「4体も倒したんだね……」
「えっ? ……あっ、1体で1つだよ。これ以上は、その……数が多すぎて取れなかったけど」
よく見ると、それらは全て右耳だ。
つまり、ニコルは8体以上のシュンカと連戦して、無事に生還したことになる。
「(え? 伝説の怪物が……まるで雑兵扱い……)」
アンジェには無理だ。1体が相手でも死にかけたというのに。
「ニコルはオレよりずっと強いんだね」
アンジェは幼馴染を尊敬の眼差しで見つめる。
美しく、頼りになるのに、更に腕っぷしの強さまで備わってしまった。どれほど魅力的になれば気が済むのだろう、この女神は。
だがニコルは浮かない顔をしている。勝利を誇るわけでもなく、力自慢をするわけでもなく。
「私はもう悪魔だからね。忌み嫌われる怪物だから」
そう言って、アンジェを抱擁する。優しい手つきで背中を撫で、心地よい力で包み込む。
アンジェは困惑しながらも、自分もちょうどそうしたかったところなので、ニコルにすっぽり包まれながら抱き返す。
顔は見えていないが、ニコルはおそらく、泣いている。
「私は気持ち悪い、意地汚い、駄目な子だから……嫌われるくらいがちょうどいいのかもね」
どうやらニコルは、まだ混乱しているようだ。強く抱きながら、寂しがって愛を求めながら、何を言っているのだろう。
アンジェはニコルに求められる快感に身を委ねながら、彼女の背中を手のひらで軽く叩く。
大切な人に、大切にされる。なんと心地よいことだろう。出来ることなら、ニコルがニコル自身を大切にしてくれれば尚良いのだが。
そう思い、アンジェはニコルの存在を肯定する。
「オレはニコルが強い方が嬉しいよ」
「……本当?」
「うん。無理して戦う必要はないけど、やっぱり自分の身を守れる力はあった方がいいと思うから」
するとニコルは感極まったらしく、アンジェの体勢を怪力によって無理矢理変え、激しく地面に押し倒す。
そして、時折首筋に唇を当てながら、すりすりと頬擦りをし始める。
ニコルのくせっ毛が擦れて痛い。だが、止めたいとは思わない。夢中になっている彼女を引き剥がすことなど、アンジェにできるはずがない。
「(昔のオレと、今のオレは違う。きっとニコルは、女の子の親友と接しているつもりなんだろう)」
そう思いながらも、アンジェはニコルを諦めることができずにいる。心の何処かで、まだニコルが恋してくれていると思いたがっている。
知識を覗くうちに、同性同士でも恋することがあると知ってからは、尚更だ。
本人に確認することは、怖くてできない。もう恋人なんかじゃないと言われてしまったら、きっと立ち直れない。
「(男のままだったら良かったのになあ)」
周囲に敵がいないかどうか警戒しながら、アンジェはそっと、ニコルに頬を寄せる。
自分の中にある愛情をそっと仕舞い込みながら。
〜〜〜〜〜
《ニコルの世界》
私は本当に、自分が嫌いだ。
アース村の様子を見に行くと聞いて、なんだか嫌な予感がしたから、アンジェを安全な村に置いて、マーズ村の人を助けに行った。
でも守りきれなかった。目の前で死なせてしまった。
死んだのは、街道沿いの街を回って、娘さんと共にマーズ村に定住した元商人のおじさんだ。
死んでいい人じゃなかった。私もたくさんお世話になった。私が腰を抜かさずに戦えているのは、アンジェと一緒に旅立つ決意ができたのは、きっとあの人がいたからだ。
だから私は戦った。これが私の役割なんだと、そう思った。復讐しなきゃいけないんだと思った。
必死に戦って、戦って、戦って……なんだか英雄みたいだって、ちょっと思ったりもした。
たぶんだけど、あの狼たちは魔王に与えられた命令を必死に守っている。
ドウさんを直させない。それが彼らの役割だ。だからあそこを離れようとしない。たとえ仲間がやられても、私がドウさんから離れれば、追いかけようともしない。
10ほど倒した辺りで、馬鹿な私はようやくそれに気がついて、逃げた。尻尾を捲って、逃げた。
すぐに治りはするけど、痛いのはもう嫌だったし、キリがないと思ったから。復讐とかどうでもよくなって、ただただ嫌な気分になっていた。
怠け癖が出たんだと思う。いつもサボってばかりいるから、大事な場面でもほどほどにしか頑張れない。請け負った役割さえ、投げ出してしまう。
そんな私を、アンジェは慰めてくれた。
シュンカを蹴散らせる気持ち悪い私を、諦めて帰ってしまう駄目な私を、抱き返してくれた。
……私は甘えている。
アンジェはきっと無垢な親愛を抱いてくれているのに、まだ幼い体を目いっぱい使って愛を与えてくれているのに、私はそれに寄りかかっているだけだ。
それだけじゃない。私はアンジェの匂いを嗅いで、心臓の鼓動を聴いて、呼吸に合わせて動く胸を触って興奮している。優しくされればされるだけ、もっと甘えてしまう。
このままじゃ良くないと思っているのに、離れられない。どうすればいいんだろう。どうすればアンジェは私を諦めてくれるんだろう。
「私、都会に行くのが夢だったの」
目の前で死んでしまった彼の顔を思い浮かべて、いつのまにか、私はアンジェに身勝手な思い出話をしていた。
アンジェは別に聞きたくないと思う。自分でも、話していて楽しい話題ではない。何故こんなところで話そうと思ったのか、よくわからない。
「村の外の話を聞いて、行ってみたいと思ったの。他の人は私を看板にして、えんだ……えーっと、宣伝をしたかったみたいだけど、私はそうじゃなかった」
良い男の人を連れてくるための縁談。村長やお母さんは、そう言っていた。
でも私は単純に、都会に憧れていた。元商人のおじさんから聞いた、美しい都会に。
綺麗なもの、可愛いもの、素敵なものに溢れた場所に、行ってみたかった。そこで暮らしてみたいと思った。だから誘いに乗った。
「都会はきっと良い人ばかりで、幸せなことがいっぱいで、お姫様みたいな人がたくさんいるって、本気で信じてたの」
くだらない、儚い、意味もない夢だった。
私はあの時、自分が馬鹿だと知ったんだ。
「嫌ではなかったよ。好きになったものもたくさんあった。あんなに甘いものは初めて食べたし、初めて見た魔法も不思議だった。学校も興味がないわけじゃなかったし、お貴族さまも……顔は見れた」
アンジェは私の話を聞いて、お日様みたいな笑顔になっている。嬉しそうに、興味深そうに、心を躍らせている。
胸が痛い。これはたぶん、罪悪感だ。今からアンジェの夢を打ち砕くことになるから。
「でもね……それで終わりだった。どうしようもないって、気づいちゃった。私はただ、表面の綺麗な部分をなぞっただけ。実際には暮らせないし、もし奇跡が起きて暮らせるようになっても、そしたら、私の中の夢は吹き飛んじゃう。それがわかっちゃったの」
私の口から、信じられないほど薄汚い言葉が、アンジェに聞かせたくなかったはずの過去が、ぽろりと落ちる。
「麦餅は高かった。それなのに、もっと高いお菓子が隣に並んでた。砂糖菓子がどんな味なのか、今も知らないままなんだ」
心という器から、石が落ちる。
「魔法はつまらなかった。物語の魔法は自由で、困っている人を助けられる素晴らしいものなのに、私が見た人は、騒ぎを起こして先生に怒られてた」
やがて、大きななだれに。
「お貴族さまは……私を見て、うすぎ、うっ……」
吐きそうだ。これまでにない、強い吐き気。
私はアンジェから飛びのいて、崖に向かって胃の中身を全てひっくり返してしまう。
自分から抱きついておいて、自分から離れて、最後はこれだ。何をやってるんだ、私は。
こんな調子だから私は薄汚い田舎娘なんだ。
「ニコル。お水」
アンジェは私の口に魔法の水を当ててくれている。私が離れてすぐに、何が起きたのか察して、魔法を唱えてくれていたらしい。
他の人とは違う、細やかで、勇ましくて、本当に何でも叶えられる魔法。アンジェはそれが使える。
ああ、その詠唱が紡がれる口に、口付けがしたい。
ああ、違う。そうじゃない。今そんなことをしたらアンジェが汚れて大変なことになってしまう。私の手で汚すのは、それはそれで興奮するけど。
ああ、違う。違う違う違う違う違う!
……ああ。
「ニコルはニコルだよ……。だから、大丈夫」
アンジェが何故か羨ましそうにこちらを見つめている。
褒め言葉のつもりらしい。昔の、人間だった頃と同じだと、言いたいのかもしれない。
それはそれで、少しだけ嬉しい。もっと欲しい言葉が山ほどあるけど、アンジェが私のためにくれた言葉だから……喜べるよ。
それに、人間だと思ってくれているなら、救われたような気分にはなれる。実際にはとっくに悪魔なんだけど、私の中に人間が残っているのは、安心する。
まあ、人間の頃から駄目な子だったけどね。欲深さは元からだし。
「ねえ、ニコル。どうして今、その話を?」
アンジェは聞いていいのかどうか迷っているみたいで、もじもじしながら俯いている。
可愛い。また押し倒したい。でもさっきの吐き気を思い出しそうだから、やめておく。
「なんで自分が思い出話を始めたのか……自分でも、よくわかってない。それでもいいなら、このまま聞いて。頭にあるものを垂れ流すから……」
そう前置きをした後、私は目の前で死なせた人との思い出を語ることにする。
私は私の考えていることを知りたい。そう思って、アンジェと一緒に分析する。
重い話だけど、アンジェは真剣に聞いてくれて、自分のことでもないのにつらそうな顔をしてくれた。
思い返せば、村にいた頃はあんまり真面目な話をしてこなかったかもしれない。キリッとしたアンジェも素敵だ。またひとつ好きになれた。
「元商人かあ。どんな人だったの?」
「……興味があるの?」
「まあね。オレたちとは違う生き方だし」
意外な感想だ。それに、何故か心に引っかかる。指に棘が刺さったような心地だ。どうしてかな。
私はふと思うところがあって、アンジェの能力について確認する。
「今のアンジェは、魔法とか、お勉強とか、いろんな知識を持ってるんだよね?」
「だいぶ偏りがあるみたいだけど……そうだね」
悪魔から得た力だからか、人間の村とか、そこで暮らす人の知識はあんまり無いらしい。
国や都会の建物とか、歴史とか、地形とか、それくらい大きな範囲になると詳しくわかるらしい。
……私はもやもやとしたものを感じて、アンジェに確認する。
「アンジェは……どこまで知ってるの?」
「あの魔物について?」
「違う。私が経験したことについて」
私が食べ損ねたお菓子。私が通えなかった学校。他にも、たくさん。それらを今のアンジェは知っているのだろうか。
私がひとつずつ確認していくと、アンジェはあっさりと答える。……答えられてしまう。
「それはこの国に伝わる伝統的な砂糖細工だね。べっとりと甘いだけで、他国からの評判は悪いらしいよ」
「その特徴はエーテル魔法学校の制服かな。学費が高い割に乱暴者が多いらしい」
「あー、そうか。現役の領主ならともかく、中央貴族の第二子以降はちょっと、あれなんだね。ピリピリしてたんでしょ。お嫁に行かされるとかで」
アンジェは当たり前のように知識を持っていた。
私の話を聞いて、今しがた仕入れたばかりかもしれない。
それでも、知ったかぶりではない。事実だ。本で読んだ程度じゃない、詳しい情報を手に入れている。
私の中のもやもやの正体はわかった。
これは羨望……違う。もっと後ろ向きな考えだ。
たぶん、嫉妬だ。
アンジェはできるはずなんだ。なんでもできる。頭が良くて知識もあって魔法を使えてしかも可愛い。
何ひとつ手に入らなかった私とは違う。もっともっと大きな舞台で活躍できるはずなんだ。
「(どうしてアンジェは、こんな田舎に……)」
私は胸の内側でモヤモヤが大きくなっていくのを感じながら、アンジェに尋ねる。
「アンジェは行ってみたいと思わないの?」
「何処に?」
「他の街に」
私はあの人の話を聞いて、憧れた。ちょっとかじって、味を覚えて、もっと触れてみたくなった。
アンジェもそのはずだ。アース村よりもっと広くて豪華で楽しい世界があるって、わかってしまった。
大きくて高くて頑丈で、見ているだけでゾクゾクするような建物。色とりどりで、凝ってて、着ている自分を想像するだけで胸が高鳴る、個性豊かな衣装。田舎じゃ滅多に見られない、見ても手なんかとても出せない、自分の瞳まで輝き出すような宝石。
手を伸ばしてみたくなるはずだ。ここにいても触れない物に、会いに行きたくなったはずだ。
それなのに、なんでそうしないの?
どうしてこんなところで燻ってるの?
アンジェは天才なのに。都会でも通用するのに。
きっとアンジェなら、私なんかじゃ想像もつかない職業に就いて、数えきれないほどたくさんの人と友達になれる。みんなに尊敬されて、お金も手に入って、好きな物を好きな時に、好きなだけ手に入れられる。
まともな恋人だってできる。アンジェより可愛い子は都会でも見つからなかったし、これからも見つかる気がしないけど、でも私より綺麗な人は、街を歩けばすぐに見つかる。
「私には手が届かなかった。憧れは、憧れのままで。お金も無いし、頭も悪いし、貴族も嫌いだし……」
「ニコル……? そんなこと……」
「でもアンジェは違う。アンジェは何処にだって手が届くはずなの! あの世界に、飛び込んでいけるはずなの! 頭が良くて、魔法が使えて、太陽の下を歩けるじゃない!」
全てを落として、からっぽになった腹の中から、隠れていたものが飛び出してきた。
私の中に、こんな気持ちが押し込められていたなんて。アンジェに向かって、こんなことを言いたかったなんて。
「アンジェは凄いのに! 世界で一番素敵なのに! こんなところで終わるなんて耐えられない! アンジェは勇者にだって王様にだってなれるんだから!」
「えっと……ニコル……。そっか、凄いか。でもニコルだって……」
「私みたいなゴミ屑がどうかした?」
「ゴ……なんて? ニコル、なんか怖いよ……?」
私はアンジェが違う話をしていることに気がつく。
話を聞いていない……わけじゃない。こっちをじっと見ている。私を見てうるうるしている。
嬉しいのか悲しいのか、それとも両方なのか、アンジェ自身でもわからないという目をしている。
違うものを見てるんだ。私が気がついてない、私の話の、違う部分を。それに夢中なんだ。
私は一旦、アンジェが気にしている部分を聞くことにする。
話の腰を折られたみたいだけど、私の勝手で始めた話だし、これでいい。仕方ない。
アンジェは怯えるような目を向けて、尋ねる。
「ニコルは、旅、嫌いなの? きっとニコルだって、いや、ニコルの方が……オレより成功できるはずだ」
親に捨てられた子供のような、泣きそうな目だ。あるいは、都会の路地裏で膝を抱えて絶望していた、痩せ細った乞食のような……。
彼らと違ってアンジェは無力じゃない。それなのに同じような顔をしている。なぜだろう。わからない。
でも、とりあえず質問には正直に答えよう。
「私には無理だよ。失敗して、思い知ったから。狭い世界で穏やかに生きていければ、それでいいの」
「じゃあオレもそうする」
アンジェは当たり前のようにそう言ってのける。何の躊躇いもなく、自分の才能をドブに捨ててしまう。
……違う。そんなこと、してほしくない。
「こんな村の暮らしの、何処に魅力があるの?」
「ニコルがいる」
私はその言葉に強い衝撃を受けて、理解した。何故アンジェがここにいるのかを。
私がアンジェの翼を縛り付ける鎖なんだ。鳥を閉じ込める籠なんだ。
私がそばにいる限り、アンジェは自分の意思に従って生きることができない。私から離れることができない。
何もしなくても餌を与えられて、飼い主に愛でられて。そんな人生が最善だと疑っていない。私に縋っている。翼の使い方を忘れてしまっている。
これではいけない。アンジェは私がいないと生きられないような、弱い人じゃない。私と違って。
「駄目だよアンジェ。いつまでも私と一緒にいられるわけじゃないんだから」
「オレたち、口付けまでしたんだよ? 今は違うかもしれないけど……でも、きっと仲良しで……」
アンジェは嫌な予兆を感じ取ったのか、谷底に落とされた子供のような顔で両手を伸ばしてくる。私が何を言いたいのか、察してしまったんだろう。
私はアンジェを愛している。今だって、その震える唇に愛を重ねたくて仕方ない。
でも過去の私はそうしてアンジェを束縛してしまった。生まれた時から洗脳し続けてきた。
これ以上はいけない。
私はなんとか断る口実を捻り出して、アンジェを突き放そうとする。
「女の子同士で愛し合うなんて、許されないよ。今のアンジェならわかるでしょ?」
「この世には同性婚って概念が存在するんだ! 世界の何処にでもある愛の形で……」
「ほとんどはそうじゃないの! 私とアンジェは仲が良い友達でしかないの! それが普通なの!」
「世界なんか知らない! オレはこうなんだ! ニコルだって……」
アンジェはガチガチと顎を震わせながら……それを口に出す。
「ニコルだって、オレのこと……好きなんでしょ?」
きっと、女の子になってから……ずっと聞きたかったことなのだろう。
アンジェは知識の海で、女の子同士の恋愛についても理解しているらしい。そういう少数派の意見が聡明な頭を狂わせているんだろう。
私みたいな前例が他にあることに、少し安心する。私たちが愛を表明したら、味方してくれる人が確かに存在する。なんだか救われたような気持ちになってしまう。
でもそれに従ったら、それ以外の大多数の人たちの賛同を得られなくなってしまう。女同士でなんて気持ち悪いと言い出す人の方が多いんじゃないかな。
「(もっと沢山の人に好かれてほしい)」
私は何を言われても構わない。でもアンジェが傷つくのは耐えられない。友達になるはずだった人たちを敵に回す姿なんて見たくない。
……この想いを、受け入れちゃ駄目だ。
「私とアンジェはただの幼馴染で、親友なの。恋人みたいな関係のまま、何年かしたら……アンジェが成長して大人になったら、必ず私のことを嫌いになる!」
「そんなわけあるか! オレにはニコルしかいないんだよ! ニコルに何されても嫌ったりするもんか!」
「村から出たことないくせに何言ってるの!」
口喧嘩だ。私とアンジェの、はじめての喧嘩。8年も一緒にいて、初めての経験だ。
それがこんな所で、こんな形で起こるなんて。誰も仲裁なんかしてくれないのに。
「これ以上、アンジェの面倒見れないよ!」
私は勢い余って、そう宣言してしまった。
早まった。言いすぎた。
私は優柔不断だから、そんな後悔が今になって押し寄せてきているのを感じる。
でも、後戻りする気にもなれない。私と結ばれたらアンジェはきっと不幸になる。その考えは変わらないままだ。
「に、こ……う……」
血の気が失せて真っ白になったアンジェを、私は黙って見つめ返す。
ごめんね、アンジェ。世界はアース村の何倍も広いから、きっと他に大切な人が見つかるよ。
それまでは私が面倒を見るから。責任はちゃんと果たすから。
だからどうか、泣かないで。
「アンジェ。私たち、友達でいよう?」
「いやだぁ……」
「旅に出て、新しい友達を作ってよ。お願い」
私は提案する。アンジェが同意しやすいように、穏やかで丁寧な声で。
アンジェが答えることはない。ずっと下を向いて泣きじゃくったままだ。
そんな顔をしないでほしい。体内を駆け回る痛みに屈してしまいそうだ。
私も友達でいたくない。恋人同士に戻りたい。性別なんて関係ない。私はアンジェが好きなんだ。
でもアンジェは……まだ子供だから。私にその未来を奪う権利なんか無いから。
こんな辛い想いをするくらいなら、口付けなんかしなければよかった。
〜〜〜〜〜
アンジェはあの後のことを覚えていない。
ニコルから今のアンジェも魅力的だからいつか素敵な人が見つかるとか、旅に出て広い世界を見ておいでとか、そんなことを言われた気がする。
どうでもいい。どれだけ有象無象を積み重ねたところで、ニコルひとりの重さに勝てない。
ニコルは途中から、明らかにアンジェを見る目つきが変わった。まるで睨んでいるようだった。マーズ村の長老みたいな目だった。アンジェの大嫌いな目だ。
アンジェは気を失いそうだったが、気力でなんとか耐えた。同じ日に同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。
「ニコル。オレのこと、好きなんだよね?」
確認のために、シュンカの居場所に向かいながら、何度も何度もそう尋ねる。虚ろな声だ。
そのたびに、ニコルは優しく答える。
「えっと、うん。好きだよ。恋人って意味じゃないけど、ちゃんと好き。さっきだって、アンジェのことを想って突き放したんだから」
「……恋人じゃないの?」
「落ち込まないで。いつか大人になったら、アンジェも恋をするはずだから」
歯切れが悪い。自分自身に嘘をついている。誤魔化している。アンジェはそう感じ、更に気落ちする。
ニコルはアンジェの中の優先順位を、変えようとしているのだろう。アンジェにとって、ニコルこそ最も大切な存在だ。しかし彼女は、それが嫌で嫌で仕方ないのだろう。故に、もっと大切なものを見つけてほしいのだ。アンジェはそう推測する。
ニコルは都会で見た綺麗な物の話。アース村がいかに狭いかという話。そんなことばかり口にしている。
口調が嘘臭いのは、ニコル自身は恋を見つけられなかったからだろうか。自分が失敗した方法をアンジェにもやらせるのは心苦しいからか。
「(いつからこうなってしまったんだろう。オレが男だった頃は、最期にオレを求めてくれたのに)」
アンジェは枯れた涙の痕を拭うことさえせず、とぼとぼと山道を歩いている。
「(女だからか? この体がいけないのか? オレが男のままだったら、きっと何事もなく恋人を続けられただろうに)」
暗い夜道を、貧乏ったらしく歩いている。
「(それとも、本当はあの時から……独り身で死ぬのは嫌だったからってだけで……オレのことは、別に好きじゃなかったのか?)」
からっぽの表情で、力無く歩いている。
「(かつて都会に行ったのも、オレじゃ満足できなかったから……?)」
悪い想像が止まらない。
ニコルにとってアンジェという人間は……どのような存在なのだろう。
想像は転がり落ち、次第に悪い情景を思い描くようになっていく。そんなアンジェの想像さえ現実は下回る気がしてならない。
「まぶしい」
気がつくと、朝日が登っていた。
これからどうしたらいいのか、わからない。
わからないけれど、とりあえず、なんとなくだけどシュンカを滅ぼそう。アンジェはそう決意する。
どうせマーズ村のために、倒さなければならない相手だ。今はただ、新しい目的が欲しい。生きる目的が必要だ。
「(そうと決まれば、ニコルの体を傷つけたあいつらに八つ当たりだ)」
アンジェは目の奥を焦がすほど明るい朝日を浴びながら、渇いた心を奮い立たせる。
「(ニコルがオレを欲しくなるように、たくさん活躍してやる)」