54 旦那さまをお止めしなくては!
「こら、あんまりしがみつくんじゃない。……やはり子犬のようだな、君は」
「ぶあううううう……!! だって、だって、オズヴァルトさばあ……っ!!」
告げたい言葉はたくさんあった。
オズヴァルトさま格好良いですだとか、オズヴァルトさまが大好きですだとか、そんな思いがぐちゃぐちゃになってしまう。
けれど、ともかくいまは、ここから逃げてもらわなくては。
「オズヴァルト……!!」
ランドルフが、ゆっくりと顔を上げたのが分かる。
結界が無理矢理に破られれば、術者に衝撃がいくものだ。
お陰でしばらく動けなかったらしいランドルフが、忌々しそうにオズヴァルトを睨みつけた。
「王家に逆らうつもりか? 無欲なふりをしていたくせに、やはり本性を現したな、紛い物が……!!」
「そちらこそ、一体どういうおつもりで?」
「何!?」
シャーロットを抱き上げたままのオズヴァルトが、静かにランドルフを見据えた。
「聖女がずぶ濡れになっている。人の妻を勝手に連れ去った挙句、随分と、手荒な真似をして下さったようですが……」
(オズヴァルトさま……?)
オズヴァルトは、一見すれば涼しい顔をしているのだ。
けれどもその首筋に、汗の雫がつうっと流れた。いまは真冬で、崩れた壁からは外気が吹き込み、オズヴァルトの外套はシャーロットに掛けられているというのに。
「王族としての自覚があるとは、到底申し上げられない振る舞いかと存じます」
「お前……。僕に向かって、何を言っている……?」
「こんな簡単なことすらも、お分かりにならないのですか?」
嫌な予感がこみあげてきて、ふたりのやりとりが耳に入らない。
オズヴァルトがいかに誤魔化そうと、彼の呼吸がいつもより浅いことを、シャーロットは明確に感じ取っていた。
(もしや、オズヴァルトさまは……)
彼の指や、その耳に、指輪や耳飾りなどの装飾品が見受けられる。
普段は身に着けていないはずのそれは、シャーロットが手作りしたものと同様に、神力が込められたもののようだ。
つまりは、オズヴァルトの身を護るための道具である。
とても強いはずの彼が、そんなものをいくつも着けている理由を想像して、血の気が引いた。
「オズヴァルトさま、駄目です……!!」
「王家の恥さらしはどちらかと、そう申し上げているのです。――『兄上殿』」
「……っ!!」
その瞬間。
「貴様が……っ!!」
オズヴァルトの挑発に乗ったランドルフが、激昂して叫びをあげた。
「卑しい血の混ざった分際が、王族を語るな!!」
「――――……」
魔法陣から吹き上がった炎が、濁流のように押し寄せる。
凄まじい熱気と轟音に、ほとんど目が開けていられないほどだ。けれどもオズヴァルトは冷静に、炎へと真っ直ぐに右手を翳した。
淡い光の膜が生まれ、ランドルフの炎を遮断する。それと同時に、ぱきん! と爆ぜるような音がした。
オズヴァルトが嵌めた指輪が、砂糖細工のように砕け落ちる。
(この結界は、オズヴァルトさまご自身の魔術ではなく、守護石による外的なもの……! 転移魔術も、強力な結界も、オズヴァルトさまにとっては僅かな魔力で実行できる魔術のはずです。それなのに、結界を守護石に頼らざるを得ず、この場所からすぐに転移なさらないのは……)
シャーロットは確信した。
(やはり。……オズヴァルトさまの魔力は、枯渇しているのです……!)
その瞬間、恐怖のあまりに身が竦んだ。
魔力や神力は、言うなれば命の源だ。人によって潜在魔力の大小はあれど、生命維持には必要不可欠なものとなる。
(きっと、先ほどの結界を破壊した際の魔術で最後。……私を危機から救い出し、守るために……)
シャーロットは、急いで床に降りようとした。
けれども身じろいでみせるほど、オズヴァルトは片腕でシャーロットを抱き直す。そうこうしている間にも、炎の第二波が襲い掛かってきた。
「オズヴァルト!! 貴様が、この世界に生まれて来たせいで、何もかもが不愉快だ……!!」
「オズヴァルトさま!!」
ふたつ目の指輪が、大きな音を立てて爆ぜる。それと同時に、みっつ目の結界が展開された。
いまのオズヴァルトは、普通に呼吸をするにも苦しいはずだ。それでも彼は、シャーロットを見上げてこう言った。
「大人しくしていてくれ。ランドルフの魔力を、ここで極力削いでおきたい」
「ですが、それではオズヴァルトさまが!!」
「奴の攻撃魔術は、確かに高火力で高威力だ。……それでも、考えなしに連発すれば、すぐに魔力も、底を尽きる」
一言ずつ、刻むように言葉が紡がれる。
だが、そんなに悠長なことを言っていられるわけがない。守護石によって張られた結界の周囲を、炎が蛇のように這い回っていた。
「その、小賢しい結界を、さっさと退けろ!!」
「……っ」
ランドルフの叫びと共に、結界が壊れる。
けれどもオズヴァルトの着けた耳飾りが、再び新たな結界を作った。だが、安堵してもいられない。
(オズヴァルトさまが着けていらっしゃる守護石は、残り七つです……! せめて、オズヴァルトさまにお贈りするつもりだった耳飾りが、ここにあれば……)
神力を込めた手作りの耳飾りは、ハイデマリーの屋敷にある。何か無いかと探ろうとして、自身の胸元に思い至った。
(でしたら、この、私がいただいた迷子札を……!)
どうやらこの水色の美しい石は、ただオズヴァルトに居場所を知らしめるためのものではない。強力な力が込められていて、シャーロットを守ってくれた。
これをオズヴァルトに返せば、きっと彼の助けになるはずだ。
しかし、首の鎖を外そうとしたシャーロットの手を、オズヴァルトの手が捕まえた。
「それは君に贈ったものだ。……ずっと、君に着けていてもらわなくては困る」
「……っ、オズヴァルトさま……!!」
優しい触れ方だが、オズヴァルトの力は強く、シャーロットは首飾りを外せない。
そのことを確かめたオズヴァルトは、それでいいと言わんばかりに小さく息を吐き出す。そして、シャーロットを抱えたオズヴァルトの足元に、ひとつの魔法陣が出現した。
(まさか)
陣が帯びている光の色は、淡い緑色だ。
それがなんのための魔法陣なのか、シャーロットにはすぐに分かった。
「――シャーロット」
シャーロットを見上げて、オズヴァルトが笑う。その瞬間、シャーロットは息を呑むのだった。
(オズヴァルトさまが、選択なさろうとしていることは……!!)




