4 旦那さまには内緒です!
「大人しくしていろ、と警告したはずだ。……何故、神力を使った?」
(もしかして、日記帳から出て来たあの光が神力でしょうか)
オズヴァルトは、氷によって拘束されたシャーロットの腕を掴んだままだ。
返答次第では、本当に殺されるのだと実感する。
だけど、それも仕方がないのかもしれない。
脳裏に浮かぶのは、先ほど映像で見た光景だ。
「オズヴァルトさま。私はこれまで、聖女の力を利用して、悪辣な振る舞いをして参りましたか?」
「……今更、何を」
オズヴァルトの声には、静かで深い嫌悪が滲んでいた。
(では……先ほど目にした光景は、実際に起きた出来事を記録したもの?)
そして過去のシャーロットは、彼と対峙したのだ。
(きっと、オズヴァルトさまは、強力なお力を持つ魔術師なのですね)
室内を一瞬で氷漬けにしたのは、間違いなくオズヴァルトの力だろう。
しかも、この部屋から離れた場所にいて、遠隔魔法を使ったのだ。
(私が『稀代の聖女』であることと、先ほどの光景が事実なのであれば、私はたいそう凶悪な存在です。オズヴァルトさまはそんな私に対処することが出来る、唯一のお方……なのかもしれません)
だからこそ、シャーロットの監視役として結婚をさせられることになったのだろうか。
(聖女は高位の身分ですもの。その婚姻を管理できるお方といえば……この結婚をお命じになったのは、国王陛下か、それに近しいお方でしょうか)
「……おい?」
(となればオズヴァルトさまもきっと、国に仕える魔術師、あるいは王家に近い貴族のお方で……あ、あああっ!!)
「おい。シャーロッ……」
大方の思考が纏まったところで、シャーロットに限界が訪れた。
「お、オズヴァルトさまのお顔が格好良い…………っ!!」
「――は?」
形の良い眉に、切れ長の瞳、長い睫毛。シャーロットに向けられたその渋面は、物憂げで色っぽい表情とも言える。
整い過ぎた容貌を間近に見続けて、頭がくらくらしてきたのだ。
「申し訳ありませんオズヴァルトさま、ちょっとだけ離れてくださいませ……! それが無理ならもういっそ、もっとずいっと近付いて下さい! ずずずずいっと!」
「だから、君はさっきから何を言っているんだ……!?」
言いながらもシャーロットの手を放し、ちゃんと一歩だけ後ろに離れてくれる。ほっと胸を撫で下ろしつつ、これはこれで寂しいのだから困った話だ。
オズヴァルトは、シャーロットの様子をじっと眺めたあと、警戒心を滲ませた声で言った。
「……君は以前にも、改心したと見せかけて、しおらしい少女の振る舞いをしたことがあったらしいな」
(以前の私ったら。なんだか色々な悪事に手を染めているようですね)
きっと、本当にひどいことをしてきたのだろう。
先ほど見た映像だけでも、たくさんの人が泣いていた。シャーロットを恐れ、怯えて憎みながらも、大切な人を助けるためには縋るしかない。
「……」
そんな人々の想いを、シャーロットは笑いながら楽しんでいたのだ。
(オズヴァルトさまは、私に昨日までの記憶がないことを、ご存知ありませんが……)
そのことを話せば、オズヴァルトはシャーロットを信じてくれて、この冷たい視線もなくなるだろうか。
そんなことを想像して、くすりと笑う。
オズヴァルトは不快そうに眉根を寄せたものの、何も言わなかった。
「ごめんなさい、オズヴァルトさま」
シャーロットは、丁寧な謝罪を口にする。
「私、『神力を使わずに生活する』ということに、まだあまり慣れていないのです」
「……?」
本当は、記憶のどこを探しても、神力の使い方なんて思い出せない。
けれどもそれは、口には出さないことにする。
(記憶喪失といえど、悪行をしてきたのは私。『覚えていない』などと宣って、責任逃れをする訳には参りません)
目を瞑り、くちびるの前で両手の人差し指を交差させた。
(夫に秘密を作るなんて、悪い妻かもしれませんが……)
そう決めてオズヴァルトを見つめ、淡く微笑む。
(悪妻上等。――記憶を失くしてしまったことは、隠し通すといたしましょう)
その瞬間、オズヴァルトが少しだけ目を見開いたような気がした。
シャーロットの罪を負えるのは、シャーロット自身に他ならない。
記憶があろうとなかろうと、それは決して揺らがないはずだ。ならば、『夫としての責任は果たす』と約束してくれたオズヴァルトに倣い、シャーロットも責任を果たすべきだろう。
「オズヴァルトさまは、このあとお仕事に行かれるのですか?」
「……俺の予定を把握して、監視から逃れようとしても無駄だぞ。国王陛下より、お前への対処を最優先とするように賜っている」
予想した通り、この結婚は王の意思が関与しているようだ。
だが、『それは当然知っていましたとも』という顔をして、うんうんと頷く。
「では、お仕事の間は大人しくしておりますね。とっても良い子に。良妻として。それはもう、最高のお留守番をお約束いたします!」
「そうも強調されると、却って怪しみたくなるんだが」
「では。お留守のあいだ、お役に立てそうなご用件をお申し付けくださいませ」
そう告げると、オズヴァルトはやはり鋭いまなざしを向けてくる。
「何を企んでいる?」
「うう……っ!! 怒っていらっしゃるお顔も、あまりにも素敵……!」
「おい、話を聞け」
ふるふると美しさを噛み締めていると、感動ゆえの震えばかりでなく、本当に寒くなってきた。
「っ、くしゃん!!」
シャーロットがくしゃみをすると、オズヴァルトが顔を顰める。はしたない所を見せてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
どうして寒いのだろうと不思議だったが、当然だった。
なにしろ部屋は凍り、手首には氷の枷が嵌められていて、纏っているのは薄手のナイトドレスなのだ。
それに気が付いたのは、オズヴァルトも同時のようだった。
「……っ、くそ」
オズヴァルトは忌々しそうに舌打ちをしたあと、自身の着ていた外套を脱いだ。
かと思えば、その青い外套を、シャーロットの肩に掛けてくれる。
シャーロットが目を丸くしている間に、彼が小さく詠唱すると、それに合わせて一面の氷が消えた。
「……あったかい……」
掛けてもらった外套を手繰り寄せ、嬉しさに頬を緩ませる。
「ありがとうございます。オズヴァルトさま」
「君の体力が低下すれば、神力が暴走し、何を起こすか分からない」
「ああ……っ、合理的なお考えでいらっしゃるところも素敵……!!」
噛み締めながら呟くと、ドン引きだという顔をされた。それもまた良い。
「もう行く。――いいか。くれぐれも。大人しく、していろ」
(すごく小刻みに仰いましたね……)
言い聞かされているようで、それも胸がきゅんとした。オズヴァルトは、今度は扉を使うのではなく、出現した魔法陣の中に足を踏み入れる。
「いってらっしゃいませ、旦那さま」
一瞬で姿を消した背中に、シャーロットは小さく手を振った。
「……ああっ、旦那さまだなんて! なんて困った響きでしょう……!!」
外套の裾を抱きしめたまま、室内でぐるぐると喜びのダンスを踊る。日記帳の存在を思い出したのは、部屋を三周ほどした後だ。
床に落としていた日記帳を拾い上げ、埃を払った。
表紙を開けた一ページ目以降は、やっぱり張り付いて動かない。
そしてその一ページ目には、オズヴァルトの肖像画が挟み込まれており、細い字でただ一言こう書いてある。
――『敵』、と。
「……んん……」
シャーロットは、これが自分の筆跡かどうかを確かめるべく、まずは室内のペンを探し始めるのだった。
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同じ作者で、他のお話も連載中です。
◆『ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する』
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