21 忌むべき『敵』はすぐ傍に
シャーロットの部屋を出たオズヴァルトは、執務室に向かう途中の廊下で、大きな溜め息をついた。
(毎夜のことながら、元気だな。あいつは)
シャーロットは今日、ハイデマリーの元に向かい、作法教育を受けて来たはずなのだ。
ハイデマリーも、誰かれ構わず『生徒』として迎え入れるわけではない。
オズヴァルトは分かっていて、それでもとハイデマリーに無理を願った。『聖女』シャーロットに何かを教えるなど、普通の貴族女性には受け入れてもらえないからだ。
(あの方に認めさせるとは、一体どんな手を使った?)
手紙に詳細は書かれていなかった。だが、ここ数日のシャーロットを見ているだけで、ろくでもない予感がひしひしと漂ってくる。
(手酷く指導され、落ち込みきって帰るかと思ったが……)
シャーロットは、帰宅したオズヴァルトの顔を見るなり、世界中の花が一気に咲いたかのような笑みを浮かべて言ったのだ。
『私、オズヴァルトさまが帰って来てくださって、すごくすごく嬉しいです!』
「…………」
かと思えば、オズヴァルトが彼女の衣服について尋ねると、一転してこの世の終わりのような顔をする。
『ごめんなさい!! ひょっとして、お見苦しい姿でしたか!?』
あの瞬間のシャーロットは、本当に泣きそうな顔をしていた。
それを思い出し、オズヴァルトは額を押さえる。
「……俺の一言で、一喜一憂しすぎだろう」
実際のところ、罪悪感が湧いたのだ。
オズヴァルトの言葉くらいで、シャーロットがあれほど動揺するとは思っていなかった。
一緒に街に出ると告げたのは、もしかすると、『そう言えばシャーロットは喜ぶのか』という推測が浮かんだからだ。
だが、ドレスを買いに行く提案が罪滅ぼしだということは、絶対に言わないでおく。
(……そうだ。罪滅ぼしの要素は一割程度で、夜会の衣装を確保するのが主目的だからな)
そしてオズヴァルトは、辿り着いた執務室の扉を見遣る。
(それに……)
すっと目を細め、表情から一切の感情を消し、扉を開けた。
「遅かったじゃないか、オズヴァルト」
「――……」
オズヴァルト個人の執務室には、案の定、客人がいる。
銀色の髪を持ち、前髪を片側だけ後ろに撫で付けたその男は、オズヴァルトの机に腰掛けていた。
長い脚を持て余すように投げ出し、にやにやと笑う彼は、女たちが妖艶と持て囃すその目でこちらを眺めている。
この人物の立ち入りについて、当然許可した覚えはない。
だが、彼の入室を拒絶する権利など、元よりオズヴァルトには無いのだった。
彼らが望めば、なんだって差し出さなくてはならないと決まっている。
「お待たせしたようで、申し訳ございません。――ランドルフ王子殿下」
「ははっ」
この国の、正統な王位継承者であるランドルフは、オズヴァルトを嘲るように笑ってみせた。
「まったく驚きもしない。僕がここに来ていたことを、最初から見抜いていたな?」
オズヴァルトは静かに目を伏せ、ランドルフに一礼して答える。
「殿下の魔力は、唯一無二の性質をお持ちですから。その輝きに気付けぬようなら、殿下の臣を名乗る資格もございません」
「見え透いた世辞はいい。歴代の王室が編み出した、諜報用転移陣の発動に気付く人間が、お前のほかに存在すると思っているのか?」
ランドルフの整ったその顔が、汚らわしいものを見るように歪められた。
「――化け物め」
「……」
オズヴァルトは、それに何ら反論する気はない。
ランドルフが言い慣れている以上に、こちらは言われ慣れているのだ。とはいえ今日のランドルフは、虫の居所が悪いらしい。
「ああ、そうだ。お前の花嫁殿に挨拶をしようではないか」
「ランドルフ殿下」
「二階にいるのだろう? どれ。俺が兄上たちよりも先に、神力の封じられた聖女の顔を見てやろう」
執務机から降りたランドルフに、オズヴァルトは進言の形を取る。
「恐れながら。封印の陣の定着には数日を要し、いまだ不安定な状況です。この段階で聖女を刺激することは、お控え下さい」
「刺激? 無礼だぞ。僕はただ、聖女に挨拶をするだけだと言っている」
「ランドルフ殿下のような素晴らしいお方の前で、平常心でいられる婦人はおりません。……何卒」
「ふん」
瞑目して頭を下げたオズヴァルトに対し、ランドルフは、心底面白くなさそうな声音で言う。
「それで上手く隠しているつもりか? オズヴァルト。涼しい顔をしていても、僕には予想できている」
「……仰っていることの意味が、私には」
「お前、魔力がほとんど尽きかけているだろう?」
オズヴァルトは頭を下げた姿勢のまま、ゆっくりと目を開いた。
「お前の魔法は確かに優れている。編み出した魔法式は緻密で正確、それでいて極限まで効率化されたものだからな。だが、いかに魔法陣が優れていても、それを動かすための魔力が無いのでは話にならない」
「……」
「元来、お前が持つ魔力は膨大だ。大戦争のさなかでも有り余っていたその魔力、本来ならば尽きることはなかっただろう! ――『稀代の聖女を封じる』という、大仕事がなければな」
何がそんなに楽しいのか、ランドルフは肩を震わせながら笑い始める。
「安心しろ、きっと他の誰も気付いてはいないさ。僕だからこそ、想像することが出来たのさ」
「……殿下」
「だからな、オズヴァルト? 残る魔力も乏しく、無防備ないまのお前には……」
その瞬間、ランドルフの右手に魔力の揺らぎが生まれるのを、オズヴァルトは当然見逃さなかった。
「いつもなら通らない攻撃も。……こうやって、叩き込んでやることが……っ!!」
「――――……」
振り翳されたのは、炎の剣だ。
動きはすべて見えていた。しかし、たとえ追うことが出来ていても、オズヴァルトは指一本動かさない。
ランドルフが握ったその剣を、冷めた目で静かに見据えるだけだ。
「な……っ!?」
燃え盛る剣は、オズヴァルトの眼前でぴたりと止まった。
ランドルフがその目を見開くが、こちらは表情を作る気にもならない。瞬時に展開した魔法陣は、強固な盾となってオズヴァルトを守っている。
「馬鹿な! こんな魔法を使う魔力など、理論上、残されているはずが……!!」
「ご期待に添えずに申し訳ございません。ですが、このようなお戯れは、どうかご容赦を」
「……っ!!」
ランドルフは一歩後ろに下がると、手にしていた炎の剣を消し去った。
「正真正銘の化け物が」
そのあとに、赤い瞳で強くこちらを睨みつける。
「お前のようなものが、存在している所為で……!」
「……」
オズヴァルトは、もう一度彼に一礼した。
「もういい。興が削がれた」
魔法陣が展開される気配と共に、部屋に眩い光が溢れる。その光が収まったあと、ランドルフの姿は消えていた。
(……ふん)
オズヴァルトは、自身の右手を開いて見下ろす。
(敵を欺く分くらいの余力は、残しているに決まっているだろう)
だが、いまのでいくらかは消費した。舌打ちをしたい心境だが、あくまで顔には出さないでおく。
実際は、ランドルフの言った通りなのだ。
いまのオズヴァルトに、魔力はさほど残っていない。
シャーロットの神力を封じる際に、オズヴァルト自身の魔力も捧げたからだ。魔力が完全に満ちた状態を千とするならば、現状の残量は、実のところ十にも満たなかった。
(回復の速度自体は、覚悟していたよりも速いくらいだ。大きな戦闘にさえならなければ、数人の手練れ以外には隠し通せる)
オズヴァルトは、纏っていた外套を脱いで机に放ると、椅子に深く腰掛けて息をついた。
『正真正銘の化け物が。お前のようなものが、存在している所為で……!』
(…………)
目を瞑り、瞼に手の甲を押し付ける。
するとどうしてか、頭の中に、驚くほど能天気な声が聞こえてくるではないか。
『私、オズヴァルトさまが生きていて下さるだけで嬉しいので!!』
シャーロットは、オズヴァルトを真っ直ぐに見上げて言ったのだ。
「くそ」
頭が痛くなってきて、思わず顔を顰めてしまう。
オズヴァルトは、脳裏に思い描いたシャーロットの笑顔に、胸中で苦々しく告げるのだ。
(…………俺のような人間に、そんな言葉を掛けるものじゃない…………)
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ここまでで2章は終わりになります!
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