2 見知らぬ自分と向き合いましょう!
数ある魔力の性質の中でも、生命力と治癒に関する力を持つものは、決まって女性であるとされていた。
希少な能力である上に、ごく軽い病を治せる程度であることがほとんどだと言われている。
だからこそ、ときには瀕死の者を蘇らせるほどの強力な力を持つ女性は、国から『聖女』の称号を与えられて大切に保護されているのだった。
「そういったことは、不思議と覚えているのですが」
ひとりぼっちの広い部屋で、シャーロットはわざと声に出して言ってみる。
華麗なる失恋のあと、シャーロットの『夫』だというオズヴァルトは、さっさと部屋を出て行ってしまった。
『ああっ、お待ちくださいオズヴァルトさま! もうひとつ、あなたのご年齢を! ご年齢を教えてくださいませ!!』
『さっきから何なんだ君は!? ……二十だ!! もう行くぞ、離せ!』
そう言った瞬間の、オズヴァルトの渋面を思い出す。
(『意味が分からない』という顔をしながらも、律儀に教えて下さった……。ふふっ)
その喜びを噛み締めつつ、鏡台を覗き込んだ。
そこに映っているのは、十八歳前後の少女だ。
月色の長い髪が、腰のあたりでさらさらと揺れている。大きな瞳で、睫毛は長くて、くちびるはふわふわと柔らかい。
ナイトドレスから覗く手足は細く、長い爪は綺麗に整えられている。
胸はそれなりにあるようだが、それがオズヴァルトの好みかどうかは分からなかった。
(私が『聖女』?)
心当たりがないせいか、まったく心に響かない。
だが、もうひとつ得ている情報については、考えるだけで浮き足立ってしまいそうだ。
(……あの方のお嫁さん……)
ほわっと口元がとろけるのを感じた。
顔が緩みすぎて、溶け落ちてしまいそうなため、むぎゅむぎゅと両手で頬を押さえる。
「んふ、んふふふふふ……。なんにも思い出せないけれど、この事実だけで元気に生きていけそうです」
たとえ、その夫から、『君を憎んでいる』と宣言されようとも。
(悲しいですが、落ち込む必要はありませんね。だって、何も覚えていないということは)
淡い水色の瞳で、まっすぐに鏡の自分を見つめる。
(――いまの私に、失うものは何もないということ)
そう考えると、なんでも出来そうな気がしてきた。
(よおーし、それが分かれば行動あるのみです! オズヴァルトさまに何かご迷惑をおかけしたのなら、それについて思い出しませんと。これではお詫びも出来ません!)
しかし、頭を捻っても記憶が戻りそうにない。
うーんと悩んでいると、廊下からノックの音がした。
「し……失礼、いたします……」
「? はい、どうぞ!」
客人があるとは思わなかったので、驚きながらも嬉しくなった。
数秒ほどの間があって、ゆっくりと扉が開かれる。
そこには、メイド用らしきお仕着せを纏った、小柄な少女が立っていた。
「ご朝食を、お持ちしました……」
「朝ごはん……!」
その言葉を耳にして、シャーロットは空腹だったことに気が付く。
「ありがとうございます。とても良い匂いがしますね」
けれども気になるのは、配膳台を傍らに立つメイドの少女が、青褪めて震えていることだった。
「どうかなさったのですか? 具合が悪そうですが……」
「ひ……っ!?」
シャーロットが一歩踏み出すと、少女がびくりと肩を跳ねさせる。
「っ、申し訳ございませ……」
「お顔が真っ青です。もしよければ、ここにある寝台をお使いになって? それとお水も……あ!」
その瞬間、シャーロットのお腹から、ぐうううと大きな音が聴こえてきた。
「…………」
お腹の虫の鳴き声、というものだ。
自覚していなかった空腹が、実は深刻なものだったらしい。シャーロットは両手でお腹をきゅっと押さえつつ、ちょっとだけ恥ずかしい心境で言う。
「あの! は、はしたなくてごめんなさい。ですが私の空腹より、まずはあなたに休んでいただかなくては……!」
「ご……ごめんなさ……」
「え?」
後ろに後ずさったメイドが、枯れた声を絞り出す。