1 見知らぬ美青年が夫だそうです!
目が覚めたら、強烈なまでに美しい男性がそこに居た。
ふかふかの寝台で身を起こしたまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。その黒髪の男性は、鮮やかな青色の外套を纏い、険しい表情でこちらを見据えているのだ。
(この美しい男性は、どなたかしら……)
どこかぼんやりとした心境で、その男性のことを考えた。
重厚な扉を背に立つ彼は、その黒髪を、横髪が耳に掛かるくらいの長さで切っている。
毛先は無造作に跳ねているが、前髪は右で分けられて、形の良い額が露わになっていた。
目元は凛々しく、冷ややかな印象を帯びているが、瞳の赤色はまるで秘めたる情熱を表現しているかのようだ。
その眉間には深い皺が寄っていて、表情は硬い。
それでいて、どこか苦々しい表情も絵になるという、誰もが目を奪われそうな容姿だった。
「――目覚めてしまったか、シャーロット」
その低い声に、室内の空気が張り詰める。
豪奢な部屋も、赤を基調にした調度品も、しいんと凍りついてしまったかのようだ。
「あの、私」
「動くな」
「!」
咎められ、反射的にびくんと肩が跳ねる。その様子を訝るように、男性はこちらを睨んだ。
そして、嫌悪感を隠しもせずに言う。
「君の神力は、死なない程度にしか残さずに封じてある。君が『稀代の聖女』であろうとも、すぐには取り戻せないはずだ」
「聖女? 稀代の? 私が?」
「だが、それで監視を緩めることはしない」
男性は、刺すように鋭い視線をこちらに向けながら、こう告げてきた。
「――抵抗するようであれば、殺してでも君を封じる」
(まあ、物騒)
自分の口元をそっと両手で押さえ、失礼なことを言わないように気をつける。
美しい顔には似合わない言葉だ。そんな言葉を向けられる理由は、まったく身に覚えがない。
(というよりも……)
ことんと首を傾げる。すると、ナイトドレスからむき出しになっている肩の上を、長い髪がさらりと零れていった。
淡い紫色のナイトドレスも、細くてふわふわな金糸の髪も、これが自分のものなのだろうか。
(まったく、なんにも、思い出せません!)
これは困ったことになった。
(いわゆる、記憶喪失というものでしょうか……)
先ほど呼ばれた『シャーロット』というのが、自分の名前になるのだろうか。
男性は溜め息をついて、『シャーロット』に背を向ける。
「くれぐれも大人しくしていることだな。君が何もしなければ、こちらも最低限の責任は果たしてやる」
「責任、と仰いますと?」
「無論。――君の、夫としての責任だ」
「夫」
その発言には、起きてから一番びっくりした。
「分かっているとは思うが、俺は、夫という名の監視役でしかない」
ぱちぱち瞬きを繰り返していると、『夫』を名乗るその男性は忌々しげに顔を歪める。
「君の悪行も、これで終わりだと心に留めろ」
「待っ……」
「話は以上だ」
そう言い捨てて廊下に出た男性が、金色のドアノブから手を離した。
「あ……」
重厚な扉が閉まりゆく。ゆっくりと、背中が見えなくなる。
その瞬間に、シャーロットはほとんど反射で飛び出していた。
「お待ちください、美しい方ーーーーっっ!!」
「!?」
がしりと腕にしがみつくと、男性が驚愕の表情で目を見開いた。
「もっと色々と教えてください!! あなたのお名前は、ご趣味は、お好みの女性は!? 私とはいつ結婚して、交際期間はどのくらいで、新婚旅行はどこに行きましたか!?」
「な……っ、にを、いきなり」
「聖女ですとか神力ですとか、そういうのは一旦は置いておきましょう!! ひとまず今、今は、私の胸をときめかせて仕方のないあなたのことを……!」
「離せ、この細腕のどこにこんな力がある!?」
「それは自分でも不思議なくらいです!」
自分のことはひとつも分からないが、心に生まれた感情のことは分かるのだ。
「お願いします、どうかとにかくお名前だけでも!!」
「っ、オズヴァルト……!」
「オズヴァルトさま!!」
いまこの瞬間に確信した。
渾身の力で抱きついたまま、オズヴァルトと名乗った彼を見上げる。
「私、あなたに一目惚れいたしました!」
「俺は君のことを憎んでいる。我が妻シャーロット」
そしてオズヴァルトは、シャーロットへの嫌悪を隠さない目付きで言った。
「もう二度と、君の顔を見ることがないことを、心より願いたいものだな」
(……あららら……)
――こうして、記憶喪失の聖女シャーロットは、『夫』に恋をした数秒後に失恋してしまったのだった。
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