第1夜:うつのせかい
うつ病の症状は人それぞれですが、私の場合、精神的な症状はもちろんですが、それと連動して肉体的な症状が強く表れます。
身体がだるくなる、鉛のように重くなる、といった初期の症状はずいぶん前に通り過ぎて、今では、固いゴムや皮のようなもので全身を締め上げられるような痛みと、仄暗い水の底に沈められるかのような息苦しさに襲われます。
そう聞くと、ずいぶん重症のように聞こえるかもしれませんが、私にとっても、この病気を抱える人たちにとっても、果ては過去に生きた人たちにとっても、こうした痛みと苦しみはごく普通の症状です。
うつ病という病気が、まだこの世に認知されていなかった遙かな昔から、私たちはこれらの痛みと共に生きてきました。
それらの歴史は、言葉として受け継がれています。例えば「苦悶」という言葉がありますが、先ほどの前半の症状が苦痛の”苦”、後半の症状が悶絶の”悶”です。
この状態では、もちろん歩くこともままならず、前かがみになって、身体を引きずるようにして歩きます。アスファルトの灰色の記憶しか残らず、感覚の大部分も持っていかれるので、季節も寒暖の変化も感じることができません。
また、平坦な道でも、全てが急な坂道のように感じます。周りの人はすべて私を追い越して進んでいるので、景色は常に逆方向に進みます。
先日は、帰宅後、余りの苦しさに廊下で動けなくなり、その場で「うぅ”ー、うぅ”ー」とうなり声をあげて、のたうちまわりました。そして、やがてその声は、どんどん低くなり、まるで獣のような、妖怪のような声になっていきます。
しかし、そんな苦しみの中でも、なぜか自分の中に別の意識があって、そちら側の自分は、苦しむ自分の姿を冷静に観察していて、「あぁ、多分、昔の狐憑きってこういう状態のことを言ったんだろうなぁ」などと、ひとり頷いています。
まったく、意味が分かりません。
しかしならが、そんな自分も、この苦しみと痛みが、実のところは事実を伴わない架空のものであると、頭のどこかで理解しています。
うつ病とは、精神の病ですから、その苦しみは、現実の痛覚や触覚とは明らかに異なります。
例えようのない不思議な苦しみなのです。
確かに、耐え難い苦しみとしてそれはそこに在るのですが、事実としては無いのです。