表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
病疼らく時のまにまに  作者: 伊達賢治
1/6

第1夜:うつのせかい

うつ病の症状は人それぞれですが、私の場合、精神的な症状はもちろんですが、それと連動して肉体的な症状が強く表れます。


身体がだるくなる、鉛のように重くなる、といった初期の症状はずいぶん前に通り過ぎて、今では、固いゴムや皮のようなもので全身を締め上げられるような痛みと、仄暗い水の底に沈められるかのような息苦しさに襲われます。


そう聞くと、ずいぶん重症のように聞こえるかもしれませんが、私にとっても、この病気を抱える人たちにとっても、果ては過去に生きた人たちにとっても、こうした痛みと苦しみはごく普通の症状です。


うつ病という病気が、まだこの世に認知されていなかった遙かな昔から、私たちはこれらの痛みと共に生きてきました。


それらの歴史は、言葉として受け継がれています。例えば「苦悶」という言葉がありますが、先ほどの前半の症状が苦痛の”苦”、後半の症状が悶絶の”悶”です。


この状態では、もちろん歩くこともままならず、前かがみになって、身体を引きずるようにして歩きます。アスファルトの灰色の記憶しか残らず、感覚の大部分も持っていかれるので、季節も寒暖の変化も感じることができません。


また、平坦な道でも、全てが急な坂道のように感じます。周りの人はすべて私を追い越して進んでいるので、景色は常に逆方向に進みます。


先日は、帰宅後、余りの苦しさに廊下で動けなくなり、その場で「うぅ”ー、うぅ”ー」とうなり声をあげて、のたうちまわりました。そして、やがてその声は、どんどん低くなり、まるで獣のような、妖怪のような声になっていきます。


しかし、そんな苦しみの中でも、なぜか自分の中に別の意識があって、そちら側の自分は、苦しむ自分の姿を冷静に観察していて、「あぁ、多分、昔の狐憑きってこういう状態のことを言ったんだろうなぁ」などと、ひとり頷いています。


まったく、意味が分かりません。


しかしならが、そんな自分も、この苦しみと痛みが、実のところは事実を伴わない架空のものであると、頭のどこかで理解しています。


うつ病とは、精神の病ですから、その苦しみは、現実の痛覚や触覚とは明らかに異なります。

例えようのない不思議な苦しみなのです。


確かに、耐え難い苦しみとしてそれはそこに在るのですが、事実としては無いのです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ