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8.協会と闇

 

 不思議なことに、居合わせた者達の口から通報という手段が挙げられることは一度もなかった。

 だから当然のことながら、警察はやって来ていない。同様に救助もだ。ここへは車での出入りができないようだから、助けを呼ぶならヘリしかない。しかしそんな要請を、誰かが行っている様子も見られなかった。

 現時点で出来ることは全てしたとでも言いたげな顔で皆、木の椅子に腰掛けている。

―― 異様だ。

 この屋敷も、内部に流れる空気も、会している人間たちも、全てが一般的な常識の範囲外にある。独自の社会でも存在しているかのようだ。だとしたら、まだこの状況に馴染めていない自分のほうこそ、彼らから見て異様なのだろう。


「……真夜中に侵入者がいたっつーことか」


 両手で顔を覆って泣き崩れる栞さんの肩を抱き、シュウは暗い顔でテーブルの上へ視線を投げた。

 まさか、と加賀見さんは一笑に付す。


「ありえん。ここは立地的にも孤立しているし、協会の護りは鉄壁だ。何人たりと外部から侵入はできん」


 不満そうに足を揺らした彼の横で、志津木さんがうつむいたまま口を開いた。


「しかし……実際に人が殺されているんだ。珍入者が潜んでいないとも言えないだろう」

「何度も言わせるな。護りは堅固だ。なにしろ、日本の法が及ばぬ場所なのだからな。対策は義務だ」


 法が及ばない、だなんてまさか。

 私は眉根を寄せて視線を上げる。


「ここ、日本じゃないの……?」


 いや、と加賀見さんは静かに答えながら立ち上がった。


「日本にありながら、日本ではないというべきか。この土地はリール協会の管轄下にあり、全てではないが外交特権に近い権利が与えられている」

「は……?」

「つまり、現在私の許可なくこの敷地内を侵すことはできないのだ。要するに一国の大使館のようなものなのだよ、ここは」


 意味が分からない。


「た、大使館って―― どこの国の、ですか」

「言うなれば、リール協会の、だ」


 協会とは単なる集団ではないのか。それだけ規模の大きな組織だということなのだろうか。しかし外交特権を認めるとなると、規模うんぬんでどうにかなる話ではないと思う。

 混乱する私を横目に、彼は食堂唯一の窓へと歩み寄った。


「我らの歴史は深くはあらねど浅くもない。……香月くん、君は組織について知りたいと思うか」

「え……あ、はい」


 慌てて頷いた。知りたいに決まっている。


「そうか。だがこれを聞けば、もう引き返せない。名実共に君は協会の一員として我々の仲間に加わらねばならん。行動にも制約が設けられることになるが、かまわないか」


 それで今の今まで、はっきりとしたことを説明してくれなかったのだろうか。

 行動の制約、とはどんな意味だろう。私生活にも及ぶことなのだろうか。不安が頭をもたげはじめたところで、私ははっと我に返った。そうだ、佑お兄ちゃんのこと。

 彼と協会には、過去、何らかの関係があった。これは確かだ。彼の死に関する答えもそこに繋がっているような気がしてならない。

 ソフィの死との関連性も含めてわからないままではいられないし、私はそれを知らなければならないと思う。


「はい。知りたい、です」


 久々に、自らの意思で大きな決断をした瞬間だった。恐らく、高校を受験しようと決めた時以来だ。あのときも私を動かしたのは佑お兄ちゃんだった。

 とはいえ、お兄ちゃんが通った学校に行きたいとか、彼の思い出が詰まった場所で場所で学びたいとかいう、もっともな理由からではない。

 当時生きる気力さえ見失いかけていた私の脳裏には、たびたび彼の言葉が蘇っていた。ずっと一緒にいよう、という例の約束だ。

 逢いたい。側に行きたい。一緒にいたい。そこで思った。そうだ、私も彼と同じような道を行けば。

 彼と同じ高校へ通い、同じ夏期講習に向かい―――― 同じように事故に遭い、死ねるのではないかと。

 今思えば到底理屈に合わない破綻した考えだとわかるのだけれど、当時はそれが私にとって何より正しくて、何よりの原動力になったのだった。


「大丈夫なのですか。もっと、きちんと説明してからではなくて」


 伊倉さんが心配そうに加賀見さんへ問う。


「私も、もっと時間をかけようとは思ったのだがな、こうなっては何もわからぬほうが不安だろう」

「ですが」

「やむを得ねえだろ。本人も知りたいっつってるんだし」


 そう言ってユーヤさんが大きく息を吐きながら天井を見上げると、栞さんの背をさすりながらシュウが口を開いた。


「香月、全部を聞いたところですぐには現実として認められないかもしれない。それは仕方がないと思う」

「シュウ」

「でも、オレらはそんな現実の中にいるんだ。それだけは、受け止めて欲しい」

「……うん」


 場には、真冬の霜のようにひやりと張り詰めた空気が降り始めていた。

 しぶしぶだけれど納得した様子で、伊倉さんが頷いてくれる。

 窓の外を眺めていた加賀見さんが、振り返りざまに乾いた唇を舐め―――― そこから、昔話は始まったのだった。


「……そうだ。我らを取り巻く現実だけは今も昔もかわらぬ。リールの街の周囲に堅固な防壁が構えられていた頃と、何も」


 私は唾を呑み込む。こくりと小さな音が上がった。


「リールって地名だったんですか……?」

「ああ、『リール』にはふたつのスペルがある。ひとつめは『Lille』、直訳すれば『島』なのだが島ではない。フランス北部の都市を指す。我々の組織は十九世紀半ば、そこで生まれた」

「フランス……」


 そういえばシュウも昨日言っていた。アールヌーボーを模したインテリアが伝統なのだと。

 ‘アールヌーボー’はフランス語だ。お兄ちゃんから聞いた話によれば、パリの一角にあった東洋美術の骨董店名に由来しているらしい。


「その地は街を取り囲む堅固な防護壁を有し、様々な民族間闘争の舞台として侵略を繰り返されてきた」


 彼は陰鬱な表情を浮かべ壁にもたれた。


「だが、民が本当に恐れたのは敵国からの進軍ではない。まるで封鎖するかのように街を防壁で囲んでいたのには理由がある」

「……理由?」

「ああ。彼らが危惧したのは、その地に住まう特殊な人々が他国に流出することだった」


 特殊な人間? 疑問に眉をひそめたところで、草木さんが私の前にカフェオレを置いてくれた。


「当時のフランスは不安定な政情であったものの、パリの大衆は大戦までの四半世紀を『ベル・エポック』――――‘良き時代’として謳歌していた。夜は遅くまで街にあかりが灯り、人々は演劇を含め色彩豊かな芸術に酔いしれた、のだが」

 

 ひとつ頷く。


「先を見越せば一九一四年の第一次世界大戦勃発を控え、当時の世界情勢がいかなるものだったのか……想像に難くなかろう。地球はもっと混沌としていたのだよ」


 入り口近くに立っていた翠川医師が、おもむろに音を立ててカフェオレをすすった。こんなときくらい、静かに飲んで欲しい。


「我らの祖は賑わいの裏で、来るべきその日に備え『リール協会』を組織した。決してこの力が戦争の道具にならぬよう、護り、後世に残していくために」

「戦争の道具? 人質ってこと、ですか」

「いや、そうではない。―― 確かにリールは大戦勃発の年、ドイツ軍に占領されたが……」


 戦争? ドイツ軍? どちらも教科書でしか見ないような、私にとっては現実味の薄い単語だ。

 戸惑う私の目の前で、皆悼むように沈痛な面持ちをしていた。立ち込める重苦しい空気が、冗談だとは言い難い雰囲気を作り出している。

 なんだろう。一体、この話の出口では何が待っているのだろう。少しだけ、背筋が寒くなった。


「組織はすでに外部とのパイプを持つことに成功していた。敵国に捕らえられた者を除き、故郷を捨て他国へ逃げ延びた者達が今日のリール協会の礎を作ったとも言える。彼らは第二次世界大戦後、秘密裏に列強の国々と条約を結んだのだ。この先、我々は永遠にどこの国にも味方しない。だからどの国に対しても損害は与えない。永久的に中立の立場を守る、ゆえに我らに対しても不可侵であれと」


 つまりそれが、外交特権に似た権利に繋がるということか。でも、なぜそんなことが許されたのだろう。味方する、しないというだけで。

 シュウはふんと鼻を鳴らす。


「一見平和に聞こえるけど、協会の目をかいくぐって俺達を捕え、政治的に利用しようとする奴らは未だにごまんといるぜ」

 

 私は咄嗟に腰を浮かせた。


「じゃあもしかして、そういう人達がソフィさんを狙ったってこと?」


 しかし、彼女が政治的に利用される理由がわからない。


「さあ。それはまだ分からねえけど……可能性はゼロじゃないだろうな」

「……誘拐ねぇ。殺しちまったら意味が無いだろうが」


 ユーヤさんが憤った口調で言うと、伊倉さんも静かに口を開いた。


「確かに、利用しようとしたなら生きたまま連れ去るのが普通でしょう」

「抵抗されたのでは。騒がれて殺したとか」


 すかさず志津木さんが口を挟むと、翠川医師が割って入った。


「遺体には、さほど抵抗した様子は見られなかったよ。どちらかというと―――― 気絶している間に全てを手際良く済ませたような。とても……狡猾な印象を持った」

「狡猾……となると、恐怖を与えることが目的だったとも言いにくくなるよな。当然、オレ達の力を利用したかったとは考えにくいし」


 シュウは眉をひそめて唸る。

―― 力。

 先程から何度も彼らが口にするその言葉を、私は未だ噛み砕けずにいた。

 それはきっと、リールの民が流出を恐れたもの。そして戦争の道具になりうるもので、時には一国の行く末を変えてしまうようなもの。


「……何? 何なんですか、その、力って」


 躊躇しながらも尋ねずにはいられなかった。加賀見さんは小さく咳払いをする。


「リールのもうひとつのスペルは『lire』、直訳すれば‘読む’」  

「読む……」

「ああ。我らは通常ヒトが知覚できないモノを見、読む。それを可視と呼ぶ」


 話題はいままさに核心に触れようとしている。どくん、どくん、鼓動がいつもより激しく打つ。汗で蒸れた掌を握り合わせ、私はそれでも問うた。


「ヒトが知覚できないモノ……?」


 そうだ、と彼は真っ直ぐにこちらを見る。


「それは我々の間を繋ぐ糸であり、ひもであり、弦なのだ。ある者はそれを読み解き、ある者は触れ、繋ぎ、またある者は切断する」


 ああ、そうだ。シュウも言っていたではないか。人と人を繋ぐもの、と。

 それが曖昧な言葉ではなく、的確に答えを表現していたとするなら、つまり。


「……縁……、ってこと?」


 語尾が震えていた。

 まさか。では彼らには、縁なるものがその目に見えているというのか。そんな―― そんな、現実離れした話、到底信じられない。


「縁か。厳密に言えば少し違うのかもしれない。でも、日本語ではそれが一番近いだろうな」


 突飛すぎる。理解しろと言われても到底無理だ。しかし。

 私には身に覚えがあった。何度も目の当たりにしてきたのだ。疑問に思っていたのだ。単なる特技だと言いながら、恐ろしいほど正確に自らが成し遂げてきた『あること』を。


「あ、あの、待って。私、わたし、もしかして」


 するとシュウは複雑そうに笑った。


「そうだよ。香月はひもを繋ぐ力を持ってる。自覚症状、あるだろ、告白代行屋さん」


 やはり――――。

 半信半疑ながらも、ようやく合点がいった気がした。


「じゃあ、戦争に利用されるっていうのは」

「ああ、例えばスパイや工作員を見抜いたり、資金源とのパイプを太くしたりだな、悪用しようと思えばいくらでも出来るだろ。諍いなんて人と人との間に起こるものなんだから」

「でも私、フランス人なんて何代遡っても関係ないはずだけど」

「単純に血の問題じゃねえんだ。協会の調査では、各国土着の能力者も確認されてる。組織が発足したのは十九世紀だし、フランスのリールだったけど、同じような人間は太古から様々な土地に存在していたんだと思う」

「うそ……」


 彼は頷きながら「マジだよ」と言った。


「ほら、シャーマンとかいるだろ。そういうのも無関係とは言えないんじゃないかって」


「ちょっと待てよ」ユーヤさんが身を乗り出す。


「ひとつ聞いていいか。捺南ちゃんは不可視だったよな」

「ああ」

「見えないのにどうやって繋ぐって言うんだよ。そんなの、目隠し状態で針穴に糸を通すくらい困難だぜ。不可視のリーラーなんて前代未聞だ」

「まあ、そりゃそうだけど」


 どこかで聞いた台詞だ。リーラー、……縁を繋ぐものという意味だったのか。


「いまいち信じられねえ。そうだ、今やってみせてくれよ」


 訝しげに言って彼は右手を私に差し出す。人差し指と親指で、何かをつまみ上げながら。初対面の時にもこんな仕草をしていたけれど、つまり、彼が持っていたのはひもだったのだろう。


「見えなくても触れるんだろ。ほら」


 無理矢理に掌へ乗せられたそれは、当然のことながら私には見えない。見えないし、重さも感触もない。空気そのものだ。

 なす術もなくぽかんとそれを見つめていると、ユーヤさんが驚いた顔をして背筋を伸ばした。


「うわ、通り抜けた。もしかして君、触れもしないのか」

「え、あの」

「本当にリーラーなのかよ。まるっきり一般人じゃねえか」


 知るかよ、とシュウは眉根を寄せて怠そうにため息を吐く。


「それでもこいつは百発百中の腕を持ってる。何度か現場を見に行ったが、こいつが何かをしていることは確かだ。ほんの数秒の間に、ひもを継ぎ目もなく結んじまう」

「継ぎ目がない? それは凄い、私には真似が出来ないよ」


 丸い顔で丸い目をして、志津木さんが感嘆の声を上げた。そういえば彼もリーラーだと言っていたような気がする。


「本当、どうやっているのか、一度見てみたいねえ」

「とはいえ、協会に属するからにはもう勝手に能力は使えないでしょう。何かの機会に、ぜひ拝みたいものです」


 一気に好奇の目を注がれて、居心地が悪くなる。私は苦し紛れにシュウへと会話を振った。


「あの、シュウは? シュウは可視なの? ひもが見えるの……?」

「ああ。物心がついた時からオレの視界はひも状のもので溢れてる。だから曲線の中にいると、自然と安心するんだ」


 そうか。室内に溢れる病的な曲線の装飾を、ようやく納得して受け止める。と同時に、まるで響き合うように過去の記憶が浮かび上がってきた。

 ひも――――。  


『物質の究極の要素は、粒子でなくひもなんだってさ』


 ……お兄ちゃん……?


『捺南に、いつか見せたいものがあるんだ』


 それは彼の口癖。なにを、と尋ねても返事はいつも同じだった。


『何だと思う? これが何なのか、僕にも分からないんだ』


 つまり彼には、私に見えない何かが見えていたのだ。正体不明の何かが―――― もしや。

 掌のみならず、額にまで汗がじっとりと滲んでくる。暑い。にもかかわらず、足先は冷えていくようだった。

 もしや彼は、可視、だったのでは。

 しかしなぜ、あれだけ協会に反発していたのだろう。私と引き離される、というようなことを耳にしたような気がするけれど、それが原因だろうか。

 入院するだけなら、完治すれば家に帰れると聞いている。なのにどうして。

 何故あれほど取り乱していたのだろう。『死』などという単語が出たのだろう。

 何かがひっかかる。

 三年前、彼の身に一体何があった?

 

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