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◆番外・ひとひら

 

 久々に登校した朝、私の爪先は確かに痛かった。


 原因は新しい革靴だ。

 今朝家を出ようとして玄関で見つけたそれは、どうやら自分のためにそこに置かれたもののようだった。もちろん確認したわけではない。けれどサイズはもちろんのことデザインも地味な学生仕様だったし、丸みを帯びた形からして、若い女性向けであることは確実だった。

 父も母も忙しい人だ。腰を落ち着けて話す暇がない。だから何かと―― こんな些細なことですら―― 確かめる機会がない。しかし、これまでずっとそうだったから慣れてしまったし、今後改善して欲しいかといえばそんなこともないのだけれど。

 あの日、彼らは私の帰宅を待っていてくれたから。

 不思議なことに、それだけでわだかまりは溶けて消えた。私は彼らときちんと繋がっているのだということが信じられた気がした。


 脳は想像する。

 そうして世界を補う。良くも、悪くも。どちらに傾くのかは自分と言うフィルター如何、けれど対象物ありきなのも確かだ。原因すらないのなら、最初から見るも感じるもないからだ。


 靴下を脱ぐと、中指には見事な靴擦れが出来ていた。生徒手帳の中に常備している絆創膏を取り出し、貼付けながら耳を澄ませる。

 ホームルームを待つ朝の教室は、静けさとは縁遠い。氾濫する音には喚き声も多く混じっていて、意味ある言葉を見事に掻き消している。それらはそこかしこで重なり合い、無造作に混色した絵の具のように、濁った色を思わせた。


「カヅキちゃん、ひさしぶり!」

「病気してたんだって? 大丈夫?」


 長く欠席していた私には少しの懐かしさを噛み締める間も与えられず、矢継ぎ早に質問が浴びせられた。靴下を履き直しながら、顔を上げる。足の爪が少し汚れていて恥ずかしかった。


「うん、大したことはないから。もう大丈夫」

「そう? でも心配したんだよ。私たち、カヅキちゃんに頼ってばっかりだったでしょ。お休みの間、そのことも実感したっていうか」

「そうそう。告白代行、毎日休む暇もなかったもんね」


 口々にそんなことを言う女子達に囲まれて、目をしばたたく。

 これは野次馬だろうか。まさか私の友人なのだろうか。いや。

 しかし差し出されるノートやプリントの量を見るに、疑う余地はないようだった。

 前向きに捉えるなら、縁結びの役をこなすことで積み上げて来たのは、何も実績ばかりではなかったということなのだろう。

 決まりの悪さに愛想笑いでしか対処出来ずにいると、そのうちの数人が目を合わせて言いにくそうに切り出した。


「でさ、ひとつだけ、聞いておきたいことがあるんだけどお」

「うん、あのね、カヅキちゃんとシュウのことなんだけどお」

「ふたり、同じ期間欠席してたでしょ。どうなのかなあって」


 どうなのか、という問いこそどうなのか。確かに今日は珍しくシュウも朝から出席しているけれど、だからといって何なのか。

 眉をひそめた私に、前の席の渡辺さんが耳打ちしてくれる。ちょうど、入学式の日と同じように。


「あのね、凄い噂なの。シュウと捺南ちゃん、付き合ってるんじゃないかって」

「は……? な、なんでそうなるの」

「一部の情報では、二人が熱海に婚前旅行とか」


 昭和か。

 どこから否定していくべきか一瞬迷った私の後頭部、ちょうど中央にぽこんと何かが当たった。振り返ると、文字がぼやけてどうにか見える位置に、丸められた国語の教科書。

 そして、周囲は一気に黄色い悲鳴で満ちた。


「おい香月」

「シュウ!」

「きゃー! 見つめ合ったー!」

「ええ?」


 振り返っただけだが。

 どうしてこう、同世代の女子は皆、手当り次第邪推して恋愛と結びつけたがるのだろう。理解出来ない。好意にだって種類はある。恋愛感情はその最高峰なのだと、私はそう思うけれど。


「あの、私とシュウはそういうのじゃなくて」


 しかし必死の説明は誰の耳にも届かない。それどころか、シュウの次の台詞で私はいよいよ窮地に立たされることとなったのだった。


「香月、週末空いてるか」

「え?」

「頼みがある。オレの―――― 家族に会って欲しい」


 悲鳴、なんてものではなかった。天変地異が起こったのではと疑いたくなるような状況の中、私は思わず耳を塞いだ。

 ひもを、とシュウの声が微かに聞こえたけれどかまっている余裕など無かった。

 言いたいことには察しがつく。幼い頃になくしてしまった家族との絆を、取り戻したいから協力しろということなのだろう。でも、出来れば場所とタイミングを考えて貰いたかった。

 シュウの馬鹿。見直したことを後悔させないで欲しい。

 下校する頃にはすっかり新妻というレッテルが貼られてしまった私に、悪びれもなく彼は言う。


「オレ達さ、コンビ組まねえ?」

「……メオトの噂が広まったからですか」

「いや、漫才じゃなくてさ。……つか香月、怒ってる?」

「機嫌が良さそうに見えるなら眼科に行く必要があると思います」

「待て、敬語が怖いぞ。あのな、シザーってのは通常、リーラーと二人一組で行動するんだ。それで事件に挑むんだよ。だからオレには香月が必要で」


 いやです、ときっぱり言って校門を出る。早足で進む私は、爪先の痛みをすっかり忘れてしまっていた。

 自分のことですらよくわからなくなるのだから、それ以上のことをわかったつもりになるのは愚の骨頂というもの。

 謎なんてもうごめんだ。どうせ全てを把握することなんて出来ないのだから、暴こうだなんて無駄な行為、最初から関わらないに限る。

 そう思っていた私は数ヶ月後、不可抗力で新たな事件に挑まざるをえなくなるのだけれど、それはまた別の話。


 今はまだ島国の、箱庭の中―――― いつか芽吹く時を待って。


 太陽からの放射熱を日々、この身に、蓄積している。


 fin.

 

 

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