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14.状況不利

 

「……眠い」


 亀のような動作で姿を現したシュウを、強引に押し戻して室内に入り込む。

 私が焦っているときに限って、彼はのんびりとかまえているような気がする。それで余計に焦ってしまうのかもしれないし、逆に言えばこんな心理状態だからこそますます暢気さが際立って見えるだけなのかもしれないけれど―― どちらにせよ歯痒い。

 しかし私に、面と向かって文句を言う勇気があるはずはなかった。

 それは何も、今回に限ってのことではない。いつだってそうなのだ。誰かに文句を言いたくなってもせいぜい眉間に皺を寄せるとか、語気を少々荒げるだけで最終的には流されることしかできない。

 だから実際のところ、私は情けない自分に一番苛々しているのだと思う。


「邪魔するぞ」


 当然のような顔をして、加賀見さんも私の後に続いた。遅れて大量の荷物を抱えた栞さんも姿を現したものだから部屋はたちまち満員御礼、窮屈なだけならまだしも蒸し暑くて参ってしまう。

 各部屋にはきちんとクーラーが備え付けられているものの、役に立っているのかどうかは甚だ疑問だった。石造りだからだろうか、熱気が逃げずにこもっているような状態なのだ。


「あのね、ソフィが別の部屋に誘い込まれた時のことなんだけど」


 ベッドの隅に腰を下ろしつつそう切り出すと、シュウは椅子に逆向きで跨がりながら両目を大きく見開いた。虹彩の淡いグレーが綺麗だ。


「何か分かったのか」

「うん。鍵なんだけどね」


 顔の前に掌がずいと突き付けられる。続く言葉を思わず飲み込んだ。


「ちょっと待て、メモする」


 シュウはそのままの格好でポケットをまさぐった。「ん? あれ、メモ帳」そういえば。

 さっき、資料と一緒に私が預かったのだった。そっくりそのまま部屋に置いてきてしまった。鍵もかけて来なかった気がする。


「ごめん、部屋に置いてきちゃった。すぐにとってくるね」

「あ、ああ、頼む」


 ぎこちなく頷くところを見ると、預けたほうもすっかり忘れていたのだろう。私は三人をシュウの部屋に残し、ひとり自室へと駆け戻った。

 きっともうすぐ犯人がわかる。シュウが暴いてくれる。そうしたら、お兄ちゃんのこともわかる。そう思うと、足取りは軽い。トンネルの出口が見えて来たような、夜明けが近いような、そんな気がした。

 机の上の資料を手にし、さて行こうと振り返る。瞬間、視界の隅に見覚えのないものが映り込んだ。

 ベッドの下、小さく丸められた薄汚い布。草木さんが清掃をした際に忘れた雑巾だろうか。屈んで拾い上げると、それが施設で貸し出されているパジャマだとわかった。

 こんなところに放置した覚えはない。疑問に思いながら広げたそこには、黒っぽいものが一面にこびりつき固まっていた。

 絵の具だろうか、いや、だとしたらもっと化学的な匂いがするはずだ。何故だか生臭い。まるでさばいた魚のような、生き物の……。


 戦慄した。そうだ、これは血液だ。しかも豪快に飛び散ったあとも見受けられるし、尋常な量ではない。これほど出血するなんて、まさか。


 まさかこれはソフィの――――。


「ひ……っ!」


 床に投げ捨て、よろけながら後ずさる。全身が総毛立っていた。

 どうして。どうしてこんなものが、私の部屋に。

 す―― 捨ててしまおうか。いや、ばれれば証拠隠滅をはかったと思われるだろう。置きっぱなしにもできないし、こそこそ隠し持っていればますます怪しい。洗ったって落ちそうにないし、何とかして片付けてしまいたいけれど、方法なんて思い付かない。

 何とかしたいと思えば思うほど、どうにも出来ないような気になる。震えながら嗚咽を飲み込むと、かわりに冷や汗がどっと溢れた。どうしよう。

 と、その瞬間私の脳裏にはこれまで支えとしてきたお兄ちゃんとは全くの別人が浮かんだ。金の髪に囲まれた、気怠そうな表情が。


「……ん、っ」


 息を止め、目をそらし、血だらけのそれを指先でつまみ上げる。本当は触れたくなどなかった。気持ち悪い。恐ろしくて、噛みしめた奥歯がガチガチと音を立てる。

 でも、シュウなら何とかしてくれる。きっと助けてくれる。

 それは彼が身近な人間だからというわけでも、シザーだからという理由でもなかった。この時の私は、もうすっかりシュウを選び、信用しきっていたのだ。

 そして私はあろうことか血まみれの寝間着を指先から下げ、一切隠すことのないまま―――― 部屋の外に飛び出してしまったのだった。


「こ、香月さん」


 声のほうに視線を振ると、そこには志津木さんの姿があった。見つめる先には赤黒い染みだらけのパジャマがある。ぎくりとした。

 まずい。喉の奥で呼吸がぐっと止まる。


「それ、もしかして」


 その目はすでに猜疑に満ちていた。穏やかで人の良さそうな目尻は固く凍り付いている。


「ち、ちがいます。これ、気付いたら部屋にあって」


 首を振って否定する私を凝視し、彼は恐怖の表情で半歩下がる。信じてもらえていないことが、はっきりとわかった。


「志津木さん、私――――」

「長谷くん、伊倉くん!」


 あとはもう、否定なんてする暇もなかった。部屋から飛び出してきたふたりは事態を察すると、鬼の形相で飛びかかってきた。

 そうしてあっという間に取り押さえられた私は、一階の食堂へと連行される羽目になったのだった。

 

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